ブックレビュー

『ハルモニア』

篠田節子著
レビュー:[雀部]&[増田]&[上田]

マガジンハウス 1800円 '98/1/1
堂本光一と中谷美紀の主演でTV化され話題になったドラマの原作
粗筋:
 中堅チェリストの東野は、精神障害者のための社会復帰施設「泉の里」 に勤める深谷から、入所者に音楽療法の補助としてチェロを教えて欲しい と懇願される。気が進まないながらも引き受けた東野であるが、その入所 者、他人との意志の疎通が不可能な由希が、類い希な音楽に対する才能を 持っていることに愕然とし、その才能を引き出すことに全力を挙げて取り組むようになった。しかし、由希の才能を顕在化させることは、同時に由 希の持つ別の<力>を開花させることにつながっていたのだった。 

独断と偏見のお薦め度:☆☆☆☆☆
 冒頭に描かれた異様なラストシーンに向かって、由希の音楽の才能を開 花させるために、狂おしいほどのひたむきさで自分の全てを捧げる東野の 心情がなんとも切ないですね。いまがかつてこれほどまでに感動的で、悲 しい音楽SF&ファンタジーは、あったでしょうか。 




 
[雀部]  私も増田さんも、大のお気に 入りで、ネットでもファンクラブがまだ存在している「ハルモニア」(TV版)ですが、こっちは愛を前面にしてきている作品になっていたと思います。
 ところで、言語的な機能を司る脳の部分が欠落した由希とのコミュニケーションの手段としての音楽がテーマの一つになっていると思うのですが、異なる種族(例えば妖精とか)とのコミュニケーションが題材のファンタジーってありましたっけ?  
[上田]  私はTV版は全然観ていないのですが、原作自体は、ものすごく好きです。 ☆五つ。
[増田] ファンタジーだと、世界背景や人物背景に重点が置かれることが多いので、コミュニケーションそのものがテーマとされることはあまりないように思います。むしろ、そういったテーマはSF向きの題材なんじゃないでしょうか。そういうテーマのSFは結構ありますよね。
[雀部]   あります。有名どころでは、戦闘に特化した言語の秘密を扱った『バベル−17』(ディレイニー、ハヤカワ文庫SF)とか、自閉症の少女が主人公の『時の果てのフェブラリー』(山本弘、角川スニーカー)、個人用の言語を設計する言語デザイナーが出てくる『夢の樹が接げたなら』(森岡浩之、早川)などが思い浮かびますね。
 音楽絡みのファンタジーというと、《スペルシンガー》しか知らないのですが有名どころがあったら教えて下さい。
[増田]  同じ篠田節子著の「カノン」がやはり音楽を扱ったものだったように思います。主人公がチェリストでした。しかし「ハルモニア」「カノン」「エヴァンゲリオン」と、チェロは人気ですね(^^;)。
 やはり芸術的な器楽器、というと、ヨーヨー・マの影響があってチェロになってしまうのでしょうか。バイオリンだとベタベタになっちゃいますからね。
[上田]   篠田さんの場合、確か、ご本人もチェロをお弾きになっていたと思います。直木賞受賞後のインタビュー記事の中に、執筆の合間にチェロを演奏しておられる写真が載っていて「それで『ハルモニア』はチェリストの話だったのか」と納得した覚えがあります。
[雀部]   思い出しました^^;音楽ファンタジーと言えば高野史緒さんがいらっしゃいましたね。『ムジカ・マキーナ』でデビューされ、去勢歌手が主人公の『カント・アンジェリコ』、仮想空間でニジンスキーが踊るという『ヴァスラフ』という傑作もありますね。
 音楽SFなら、カードの「無伴奏ソナタ」(同名の短編集所載、ハヤカワ文庫SF)『ソングマスター』(同)、ディッシュの『歌を翼に』 (これはサンリオ)、ロビンソンの『永遠なる天空の調』(創元SF文庫)などがあります。特に『永遠なる天空の調』は、音楽によって、森羅万象を表現し、宇宙そのものを聞く人々の心に再現するという作曲家が出てくるんです。これは広大無辺な宇宙の摂理と秩序をハルモニアとして聞くことの出来る由希に相通ずるものがあるかも知れませんね。
 異星人とのコミュニケーションと音楽双方が題材のものとしては、スパイダー&ジーン・ロビンソンの『スターダンス』という作品があります。無重力状態で踊るシーンが圧巻でした。
[増田]  「超時空要塞マクロス」でも歌が重要なファクターでしたね。 そういえば、日本ファンタジーノベルス大賞受賞の「オルガニスト」も音楽を題材にしたファンタジーでした。バロックミステリーと名乗っていたようですが……。
[雀部]   ああいうラストになりましたが、由希は幸福に死んでいったとお思いですか?
[増田]  私自身は、周りの人間が自分の願望を由希に投影させて由希を滅ぼしていった作品だと解釈しました。作中では由希が周囲の人間を利用して自分の目的を達成しようとしているのだと説明されていますが、わたしはそういうふうには感じませんでした。
[雀部]   回りの人間が自分の願望を由希に投影して、そこに自分の見たいものを見付けるというのは、その通りだと思います。でも、やはり由希があれだけチェロに執着していたということは、チェロが唯一の自己表現の手段だったからだと思うのですが。
[増田]  由希には本当に心がなかったのだと思います。ですので、本当に幸せだったのは東野だけでしょう。由希は東野が求める「至上の音」のために利用されただけのような気がします。由希にとってチェロが自己表現の手段だったように、東野にとって由希が自己表現の手段だったのです。だからルー・メイ・ネルソンのコピーである由希を認めなかったのですね。それは自分の求めている音ではないから。
[雀部]   カード氏の「無伴奏ソナタ」は、音楽の天分のある子供を見いだすとあらゆる既製の音楽を聞くことを禁止しちゃうんですよ。過去の偉大な音楽のコピーに陥りがちだから。
[増田]  由希は幸せだったのか不幸だったのかと問われれば、由希は被害者であったが本人に不幸だという自覚はないだろうというのがわたしの意見です。不幸だと自覚できるほどには心が足りなかったのですね。結局、東野ひとりの自己満足で終わってしまって(東野の考える由希の幸せは本当の由希の幸せではなかったように思います)、そのへんがちょっと不満でした。
[雀部]   所詮人間は犬と同じで社会性の動物ですから、由希がああいう自己表現の手段を得たことは、私は、ある意味幸福であったと言っても良いような気がしました。
 上田さんは、由希は幸せに死んでいったとお思いですか?
[上田]   ある一面だけ切り出して見るならば、幸せだったと言っても良いのではないかと思いました。
 最初のきっかけが他者による誘導だったとしても、彼女自身が弾くことに対して快感をおぼえ、それが自己表現とコミュニケーションの手段にもなり、場合によっては他人の心を動かすことすらできたのですから。
 しかし、彼女自身に、自分が幸福であるとか不幸であるということを判断するような基準や葛藤は、あまりなかったのではないかと思います。
 そういうことにとらわれない――というか、普通に関係を保てない人物であったからこそ、逆に、普通の演奏家には辿り着けないような特殊な領域へ、短期間のうちに、楽々と至ることができたような気もします。
[雀部]   なるほど。他の部分を犠牲にしての成果というわけですね。
[上田]   由希にとってルー・メイの技法を捨てて弾くことは、単なる自己の解放であり、新しい自分を発見する喜びであり、芸術的な価値云々ということは、あまり関係がなかったのだろうと思います。
 一方、東野には、由希がルー・メイから離れることは、芸術的な高みへと至る最上の道だと感じられていた。二人は一見同じことを目指しているように見えるのですが、その根本は、全く異質なものだったように思えます。 この二人の関係は、ある種の錯覚の上に成立していたのではないかと思うのですが、人間同士の相互理解というのは、そういう一面を常に内包しているような気がします。
[雀部]   恋愛とは、美しい勘違いであるとか(^o^;)/
[上田]   私自身は、東野に一番感情移入しながら読みました。
 彼は決して善意の人などではなく、むしろ罪深く、狂気にとらわれていた人物だと思うのですが、そういう部分に、小説としての面白味と魅力を強く感じました。
 由希が肉体的に壊れていったのと同様、彼も社会的に徐々に壊れてゆき、最後には体力的にも衰弱してゆく。このあたりを一足飛びに描かず、じわじわと描いているところが巧いなと感じました。
 作者は、東野がその後どうなってゆくのかまでは言及していませんが、本当にどうなってしまうんだろうなと思いました。廃人のようになりながらもこのまま生きてゆくのかもしれないし、由希の死と同時に、自ら人生にピリオドを打ってしまうような気もします。
 いずれにしても《究極の音楽》を由希を通して体験してしまった彼には、今後、もう二度と以前のような弾き方や聴き方はできなくなってしまったのではないかと思いますし、そういう意味も含めて、結局、二人とも滅びてしまったのだというのが、この作品に対する私の解釈です。
 深谷は、この二人とはちょっとカラーが違いますね。何だかんだ言っても彼女は強いです。ただ、その強さが、彼女にとっては苦悩の源なのだと思いますが。
[雀部]
48歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員
ホームページは、http://www.sasabe.com
[増田]
本誌主任編集員。本業はフリーライター。どちらかといえばファンタジー派
[上田]
病院勤めを一時中断して、今は主婦をやっています。趣味は読書。SF、ファンタジー、ミステリ、純文学等々、どんなジャンルの小説でも、興味を覚えたものは読んでしまいます。その他で好きなことは、映画を観ること、植物を育てること、南の海でシュノーケリングすること。


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