第3部 革命2(魔法物語)

第2章 フィンブルの冬

   ChapterII Fimbulvetr
        二度目のフィンブルが来る
        二度目のラグナレクのあと
        見よ、フィンブルの冬、裁きの時
        人は飢え、国滅ぶ
        神は人を見捨てたまうや
                    ガブレリア神話『アレフ書』

 アーサー師もラグナレク以前には「普通」の仕事を持っていた。しかしその時でさえ、このような時がいずれ来るだろうことはわかっていた。
 〈洞〉には毎日のように各地から魔術師達が訪れてはまた去っていく。アーサー師らの活躍によって、地球の歴史が始まって以来初めて、大多数の白魔術師の結束が成立していた。しかしそれでも人出は足りない。
 ラグナレク――全面核戦争がもはや避け得ないとわかった時から、アーサー・ジョーンズとその弟子達は巨大なシェルターと食料自給のための施設を、核弾頭の直接標的にならないような田舎に築いた。そしてあの破壊の後には、共に同じ魔法の師についた仲であるカルロスと協力しあって、シェルターにとり残された人々に食料を供給しつづけてきた。残されたシェルターの中には食料再生装置の設備を持つ者もいたので、生存に欠かせないもうひとつの資源――清浄な水と交換に協力してもらったりもした。地上の水はほとんど汚染され、場所によっては飲料水が手に入らない状態であったが、アーサー師は水から放射能を除去する技術を発明していた。
 よく知られているように、魔法は物理科学とは異なった原理にしたがって作用する。つまり対象に対して直接手を加えないでも、呪文や身代わりのような間接的なものを用いることで目的を成し遂げることができる。アーサー師はこの初歩的な原理を用いて対象から放射能を除去する魔法を編み出したのだった。
 この日自分の部屋の中でのアーサー師の心を占めていたのは、しかしながら、慢性的な人数不足のことでも世界的な食料不足のことでも無かった。
 アーサー師の、石から切りだして作られた机の向こうの椅子に、問題の男は落ち着いた表情で座っていた。
 歳の頃は四十代ぐらいで、ぼさぼさの髪と髭は燃えるように赤い。一年前、すなわちラグナレクの十七ヵ月後、(計算上では二一六九年の十月九日)にほとんど無防備な状態でシェルターの前に倒れていたこの男も、魔術師でないながら、「技術主任」として多くの人間の上に立つ立場になっていた。
 問題はまさにそこにあった。
 いくら実績を上げたと言っても、彼は魔術師でない。魔術師が中心となってささえているこの小さな社会で、彼への待遇は一部の人たちから大きな反感を買い始めていたのである。
 生き残った科学者、技術者のほとんどすべてがガブレリアに連れ去られてしまった。そんな中で、魔術師の存在は人類の生存の条件そのものとなり、魔術師は無条件で信頼されるようになっていた。また、アーサー師が魔術師として選んだ人間は、皆それに値するもの達ばかりであった。
 ところが、この目の前の赤毛の男が今だに魔術師となっていないことから、彼がガブレリアのスパイではないか、という噂までもが立ち始めていた。正直いうと、アーサー師本人すらついこの前までは実際に彼のことを疑っていたのだった。それはガブレリアのジョハンスンが、そろそろかなりの勢力を持つアーサー師の施設をのっとろうと企んでいるという噂があったせいもある。
 アーサー師は、彼が技術主任と呼ばれるようになった頃に一度、試しに魔術師になることを勧めたことがあった。しかしその時は彼は自分にはその資格が無いと、その申し入れを辞退していた。
 目の前の男はそのグレーの瞳でアーサー師をとらえ彼の言葉をじっと待っていた。
 吸い込まれそうな瞳。彼は魔術師としての資格を十分すぎるほど持っているのだ。
「ニコラスよ。」
 遂にアーサー師の方が根負けして話しを切りだした。
「はい、マスター。」
 落ち着いた深い声が答えた。
「わしはあれから常にお前の行動を観察して来た。さらにはお前の適性を占ってもみた。
 お前は資格があるばかりでなく、その必要さえあるのだ。」
 そこで師は言葉をいったん切って、もう一度目の前の男――彼がニコラスという仮の名を与えた男の目を覗き込んだ。男は相も変わらず落ち着いた視線を投げ返してくるだけだった。
「お前は魔術師になるか、もしくは今の職を解かれ〈洞〉を出てゆくかどちらかを選ばねばならない。」
「しかしマスター、弟子にすることで妬むものが出るかも知れないのですが。」
 師はうなずいた。
「お前のいうのはヴィルハイムらのことであろう。わしはすでにお前に声をかける前に彼らにも意見を聞いたのだよ。彼らもお前を〈仲間〉とすることに心から賛成してくれた。それでもまだ断る理由はあるかね?」
 そして今度は師が男の目をじっと覗き込むようにして返事を待った。
「私が以前このことを辞退したのは、私にとっても、また私のまわりにとってもまだ時期が早過ぎると判断したからです。先輩方からすら勧められるほどになった今、どこに断る理由がありましょうか。よろこんでお受け致します。」
 ニックはこの部屋に入って始めてにっこりと笑った。
 師はそれでも、ニックがヴィルハイムらのことを口に出した時はさすがに内心どきっとしていた。アーサー師はヴィルハイムたちが免許皆伝となって以来直弟子をとる事無く、実際の教授は彼らにすべて任せていたのだった。しかしこの男の素質を見抜いていたアーサー師としては、いくら導師となったといってもまだ若輩者である彼らの手で、金の玉をみすみす曇らせてしまうには忍びなかったのだった。
「よろしい、後日入門の儀式をとり行なう。それまでの期間、地下から汲み上げた魔力の加わっていない清水で毎日身を清めて待っているように。」
 しかし、部屋を出ていくニコラスの後ろ姿を見送りながらも、師は彼の自信のある言葉に逆に疑いを抱き始めていた。彼が、最初に入門を勧められたのがわなであることを見破っていたのは確かである。もし彼が優秀なスパイだったら、やはりその申し出を見送っていたのではないだろうか。
 師は首を振ってそんな考えを頭から追い払った。
「やめよう。不信が魔力を弱める。」
 彼の占いでは、彼こそが今の人類を救け、次のステップへと進化させる最初の口火を切ることになっていた。彼こそ、人類の新しい歴史の第一ページに記されるべき人物になるはずなのだ。

 トムことトマ・ジャルダンは決して臆病ではなかった。彼のことを臆病者と罵るような愚か者は身をもって思い知ることになるだろう。が、そんな彼もジョハンスンの玉座の前に集まった黒魔術師らの、どことなく近付き難い雰囲気には身が縮まる思いをしていた。
 トムはそもそも、彼の目の前の玉座にくつろいでいるガブリエル・ジョハンスンをアステロイドベルト(小惑星帯)で助けるまで、魔法などからっきし信じていなかった。
 しかし、ガブリエルの父、バーソロミュー・エイモス・ジョハンスンの理論が実際に有効である証拠を見せつけられ、彼のいう魔法による理想社会の実現という考えに魅せられて、トムはガブリエルに協力していこうと決心したのであった。そして確かに、彼の仕事を手伝ううちにトムはますます彼の人柄に惹かれていった。
 しかし、ラグナレクから三年ほど経た今になって、彼のその気持ちは少しぐらつき始めていた。その原因のひとつがこそが、ここに集まっている黒魔術師達であった。
「…というわけであるから、君達は史上初めて君達の宿敵を根絶やしにするチャンスをつかんだというわけなのだ。」
 ジョハンスンは目の前の魔術師達に演説していた。トムは今日明日には旅立たなければいけない身ではあったが、彼自身のたっての望みからこうしてジョハンスンに付き合っていた。
「現在、偉大なる術、大いなる魔法は人類史上始まって以来、二度目の黄金期を迎えようとしていることは諸君等も承知のことと思う。
 我らが〈敵〉も勢力を伸ばしつつあるのは事実ではある。しかし、主たる交通手段を我が手のものたちが独占している現状を顧みるに、彼らが一つの勢力として我らに立ち向かってくる可能性は皆無に等しい。いくつかの障害となるグループを潰せば、あとは君達の天下だ。むろんそのためには君達が一つにまとまる必要はあるがな。」
 魔術師達の賛否両論の声でしばし部屋は騒がしくなった。
「もちろん、私は君達の派閥同志にもちょっとした意見の食い違いがあることぐらいは知っている。だがだ、そんな些細なことに気をとられていたならば、その間に〈敵〉はますます力を付けてくることになる。つまり、君達は一つにまとまらなければならないのだ。それもできるだけ早くに。」
 また口論を始めそうな魔術師らをおさえ、彼らのうちの一人が代表していった。
「しかし、誰が我々をまとめ上げていこうというのだ? まさかお前がその大任を引き受けようなどというつもりはあるまいな?」
 魔術師達は品の無い笑いを浮かべてジョハンスンを嘲笑った。しかし、彼は少し鼻を鳴らして静かに答えた。
「黒魔術師らをすべてまとめ上げようという者は、すべての流派に対して偏見の無い者でないとならないのは当然のことではないのか。君達の中にそれが務まる者がいるというのなら、私は喜んでこの大任をその人物に託そう。」
 急に辺りはしんと静まってしまった。自分たちの勝手な論理を主張し他を認めない彼らとはいえ、さすがに大筋においてジョハンスンの意見は認めているのである。それに、彼らの中にリーダーとなり得る人物がいないこともまた事実であった。
「私は先ほど〈敵〉が一つにまとまるのは難しいといった。だが現実としては、幾つかのグループを中心に彼らが団結しつつあるという事実を君達は知っているのか? 君達がくだらない派閥争いなどしている間にだぞ。」
 ジョハンスンは声を一層張り上げた。
 魔術師達は不満の声を上げたが、それはさっきよりずっと小さくなっていた。
「彼らの目的はなんだ? この世から黒魔術を消し去ることではないのか?」
 魔術師のひとりが反論の声をあげた。
「しかし、お前はやつらと取引をしているではないか。」
「その通りだ。しかし、それはまだ我々に自給に足りるだけの食料が、再生しきれなかったからにすぎない。君達のおそらく知らないことだと思うが、〈敵〉の中についに食物の品種改良でドームの中での食物の栽培に成功した者がおるのだ。私は秘密裏にその技術を入手することに成功したのだ。それは実用化には程遠い失敗作だが、ガブレリアの技術者の手にかかれば、あと数年のうちに我がガブレリアは〈敵〉に頼らずとも食料を自給できるばかりか、それを武器に彼らを孤立させてしまうことすら可能になるのだ。」
 そこで一旦彼は言葉を切ると、居合わす魔術師達の顔をぐるっと見回し、にやっと笑った。
「君達のうち誰がこれと同じだけの成果を上げられるというのかね。誰がこれだけの情報を手に入れられるというのかね。」
 魔術師達はついに観念したようである。しぶしぶと同意の意志を示し始めた。
 ガブリエル・ジョハンスンが、黒魔術師達を仲間にひきいれようとしてこのような会合を開いたのは、別に今回が初めてではなかった。そしてそのたびに彼は黒魔術師達を次々と仲間にしていくことに成功していた。すでに、彼、ジョハンスンは世界中に生き残っていた黒魔術師のほとんどをその勢力に組み入れていたのである。そこがまた、トムにとって彼の意図を不透明にしている要因だった。
 ラグナレクの直後から、ジョハンスンは世界中から優秀な技術者を集め始めた。このことは不思議ではない。いくら彼が魔法による理想世界を建設しようとしていても、現状ではその橋渡し的存在として生存のための技術が必要である。しかし、最近始めたこの黒魔術師集めはまったく不可解としか言いようがないのだ。トムがいくら考えてみても、その大部分がおぞましい思想の持ち主たる黒魔術師の存在は、理想郷と結びつきようがないようにしか思えてならなかった。

 当時残っていた魔術は、少し大雑把な分類となるが、だいたい黒魔術と白魔術に分類できた。
 当時の魔術というものは呪文や道具を媒介として、心に強く思い描いたイメージを実現化する技術のことである。
 それらの魔法に使う道具や思想が不浄な物とか、悪魔に由来している物であったりする方法を当時は黒魔術と分類していた。そしてこれらの不浄な道具を用いないその他の方法をひっくるめて白魔術といい、それを使うのが白魔術師である。
 黒魔術師達のなかには、黒魔術を単に道具と割り切って使っている者もいるが、当時としては大部分は心までそのとりことなり、心の底まで腐り切っていることが多かったと伝えられる。
 トムとて決して清廉潔白な人物ではない。ジョハンスンと会うまでは海賊の頭領だった男だ。しかし、ここに集まる黒魔術師達はそんな彼でさえへどが出そうな存在であった。
「何を考えているんだい、トム?」
 いつの間にかジョハンスンは立ち上がって彼の顔を覗き込んでいた。
「あててみようか。さっきまでここにいた連中のことだろ。」
 そこでようやっとトムは黒魔術師達が部屋から去っていたことをしった。そして、ジョハンスンもいつものガブリエル・ジョハンスンに戻っていた。
「その通りだガブリエル。俺にはあんたの考えがわからない。」
「きみはそのことを考える必要は無いんだ。」
「あんたはいつもそうやってはぐらかす。でも今日こそ聞かせて欲しい。なぜあんたは黒魔術師なんかをここに集めようとするんだ? エイモス・ジョハンスンの夢はどうなったんだ?」
「バーソロミュー・エイモス・ジョハンスンの夢…か。
 大丈夫だよトム。人々は私をキャプテン・アレフの対極として史上最大の極悪人とののしるかもしれない。だが、君の名は別の意味で歴史に残るだろう。
 心配しなくてもいい。このことは忘れるのだ。」
 トムはますます混乱したが、ジョハンスンは彼に質問するすきを与えなかった。
「それより、君に頼んでおいた役割はちゃんとこなしているかね。」
「あ、ああ。俺はアーサー師のシェルターで顔なじみになることができたよ。さすがに魔術師にしてくれなどと言い出すわけにもいかなかったが、ほぼ、あそこでの定住権を得ることができた。あとは連中と溶け込むようにすることだな。」
「魔術師の件についてはあせる必要は無い。頃合をみて私が推薦状を書こう。」
 これには、さすがのトムも驚いてジョハンスンの正気を疑った。
「おい、連中はあんたのことかなり毛嫌いしているんだ。そんなあんたの推薦状じゃあ…。」
「その点も安心していて欲しい。大丈夫だ。もっともこれはまだずっと先のことだがね。他に何か無かったかい?」
「ひとつ。前にも話したが、例のニコラスという魔術師だが、奴は俺の正体に気づいたかもしれん。奴の出生はまったくしられていないが、ことによるとラグナレクの前には惑星パトロールかなんかにいたのかもしれん。どうにも見覚えのある顔だった。」
 ジョハンスンは彼にそのニコラスという魔法使いの人相を言わせた。
「ふむ。彼は魔術師として認められたのか。それはいいや。トム、その男と反発してはいけないぞ。それが将来役に立つ。」
 そして彼はトムに質問させるすきもみせずに彼に背を向けた。しかし、部屋からでていこうと数歩歩いたところでふと立ち止まると後を振り向いた。
「またしばらく会え無くなるが元気にしていろよ。」
 そしてそのまま彼は隣の部屋へ消えていった。
 トムはまた疑問が頭を持ち上げて来たことを感じたが、それを押さえつけると旅支度を始めるために自室へ引き上げた。

 アーサー師の面前に、彼の弟子達は沈痛な顔をして集まっていた。
 まったく不可解なことであった。
 アーサー師のテーブルの上にはニックたちの品種改良した新しい植物がのっていた。それは、一応シェルターの地下で育てることには成功したものの、栄養価が低くすぎた。
 問題なのは、これがみつけられたのが彼らのシェルターでではなく、ガブレリアから来た旅人の荷物の中から偶然発見されたことだった。ニック達は実用になりそうもないこの品種を流通させることをあきらめ、部外者には洩らしていなかったのにだ。
 ややしてヴィルハイムが疑問を口にした。
「一体これは何を意味しているというんだ?」
 その問いに、新しい魔術師としてニコラス・フランシス=ロジャーの名を与えられたニックが答えた。
「今現在わかっていることを総合してみましょう。
 今は誰もが食料自給の手段が開発されることを望んでいますが、そのなかで、ガブリエル・ジョハンスンの行動はとくに際立ってています。
 彼の今までの行動を考えてみてください。
 まず第一に彼はラグナレクの前からあのドーム都市ガブレリアの準備をしてきましたが、同時に魔法社会の到来を予測していたらしいということ。これは彼がラグナレクの直後から早々に我々の交易に手を貸してきたことから推測できます。ところが第二に、特に最近になって、彼が世界中の黒魔術師達をガブレリアに集結させていることから、彼の求める魔法社会の理想が我々とかけ離れたものらしいということがわかってきました。第三に早い時期から、ほとんどの技術者をガブレリアに集めたことから、彼が技術力の独占をも計っていることがわかります。第四に、この目の前の証拠からガブレリアないしは他の協同体の何れかに、我々の食用植物の情報が漏れていることがわかります。我々の協同体の他に、この植物の栽培に成功するだけの技術力を持っているのはガブレリアだけです。
 これらのことから、彼はおそらく技術力と魔法の力をもってこの混乱した世界に秩序をもたらそうとしているのではないでしょうか。彼は、おそらく黒魔術師らをまとめるのに食料流通ルートの独占化によって我々を追い詰めることで釣ったのでしょう。最終的には、ことによると白魔術の根絶をもくろんでいるのかもしれません。我々が彼の支配の下に甘んじるということは考えられませんから。」
 彼らは皆不安げにアーサー師の発言を待った。師は石の机の向こうでゆっくりと目を開けて一同を見回した。
「おそらくフランシス=ロジャーの言う通りであろう。問題はこれからどうすればいいのかと言うことだ。」
 アーサー師の視線がニックのところで止まり、みんなも彼の方を見た。
 一人がニックが口を開く前に意見を言った。
「まず、どこからこれが漏れたかと言うことです。」
「食料開発のことは〈洞〉のみんなが知っている。しかし、実際にそれに触れられるのはその開発に携わっている人間と、ここに集まるものとそれからマスターの親友であるカルロス師とその二人の直弟子達だけだ。」
 一人が答えた。
「ではその中にスパイがいるのでしょう。」
「そんな馬鹿な。マスターがこれまで人選に誤ったことがあったか?」
「マスターの人を見る目は確かだと思います。しかし、新種の植物の開発に携わる人間を選んだのは食物生産を任したオズワルドですし、カルロス師とその弟子のこともよくわかりません。」
「よろしい。」
 師が話しをさえぎった。
「今後食料自給部門に携わった人間に対してその完成まで彼らを外部の人間と接触させないようにしよう。」
 師の強硬な意見にヴィルハイムが反論した。
「しかしそれでは彼らのストレスがたまってしまって、新種開発どころではなくなってしまいます。」
「それでは一体どうすればいいと言うのだ? みすみすやつらに食料自給の手段を与えてしまおうと言うのか?」
 ニックが穏やかな口調でそれに答えた。
「そんなもの与えてしまってもたいした問題では無いはずです。それよりもすぐにしなくてはならないことがあるはずです。黒魔術師達がガブレリアに召集され始めてからもう一年近くたつのですよ。」
 みんなの視線は再びニックに集められた。
「ガブレリアで今何がなされていると思います? いま、あそこではガブリエル・ジョハンスンのための城が建設されつつあるのですよ。これは黒魔術師達や技術者たちをまとめることにジョハンスンが成功したということを意味するのではないのですか?
 今我々が一刻も早く白魔術を使う者達を結束させない限り、いつしか本当に彼らの思う通り我々は根絶されてしまうことでしょう。どっちにしろ、失敗作とはいえこの試作品が彼らのもとにある以上、そして彼が多くの技術者を抱えている事実からして彼らがすでに食料の大量生産の手段を持っている可能性もありうるのです。」
 ニックは確実にアーサー師の思う通りの能力を発揮し始めていた。彼はまさしく彼らに必要な者、リーダーとなるだけの資格があったのである。
「もはや私のいうことは無いようだ。この件についてはフランシス=ロジャーにすべて任せたいと思う。」
 アーサー師の言葉に全員が賛成し、会合はお開きとなった。
 最後にアーサー師の机の前にニックだけ残された。
「マスター、例の占いの結果はでましたか?」
 師は眉をひそめながらうなずいた。
「うむ。だが、これは一体何を意味するのであろう。」
「まず、結果をお教えください。」
「ガブレリア・ジョハンスンのもくろみは失敗する。もっともこれはかなりの先のことになるようなので正確な予言はできん。それともうひとつ、彼はかなりの大きさの運命に支配されている。神としか言いようの無いほどの強い運命にだ。
 フランシス=ロジャーよ、お前はこの失敗のきっかけが今日のことにあると思っているのではないのか。」
 ニックはうなずいて声をひそめた。
「断定はできませんが、これは我々白魔術師達を一つにまとめさせるために、わざと手の内を見せたものでしょう。」
 師は眉をひそめた。ニックの言わんとすることが読めない。
「お前はこれをどう考える?」
「これはおそらく、バーソロミュー・エイモス・ジョハンスンの遺言による物でしょう。いま、いえ、将来のことですが、ガブリエル・ジョハンスンが滅びたらどうなります?」
「ガブレリアは大混乱となるな。」
「それは、私達が彼に気づかれぬようガブレリアに潜入することができていれば防ぐことができます。それより、その問題の瞬間に黒魔術師達を一ヵ所に、それもジョハンスンのそばに引き留めておくことができたら…」
 アーサー師ははっとしてニックの顔を見つめた。
「もしや、奴めの生死と黒魔術の存亡と関連があるとでも言うのか?」
「おそらく彼はどちらの勢力を残すか決めかねているのでしょう。魔法と同時に技術文明にも未練があるのかも知れません。」
「どちらを残すだと? そんな選択の自由なぞあろうものか。」
「バーソロミュー・ジョハンスンの理念とは、魔法によって統制された精神世界を建設しようというものでした。そしてその基本的精神は、白黒関係は無いのです。」
 師は呻いた。
「しかし、連中はほとんどが下劣な精神を持っている。」
「それでも彼らなりの倫理というものが存在するはずです。そもそも黒魔術での神、我々は悪魔などと呼びますが、それらは本来太古の異教の神に端を発しています。彼らも我々も、基本的なところではアラビアやインド、アフリカなどの土着の魔術と変わらないはずです。その証拠に魔術の基本原理は何れも同じではないですか。
 ジョハンスンの運命が最後に失敗を抱えているのは、今では黒魔術の根底を支える信仰が少ないことと、技術者を黒魔術師たちと同居させたことです。魔法を信じたがらない技術者の負の意識が黒魔術の効力を確実に弱めています。ジョハンスンがこの負の意識を克服できたら、その時はおそらく我々の負けとなるでしょう。」
 おそらくこれはニックの持つ民族学的知識が言わせたことなのだろう。アーサー師は反論をやめた。表面上はともかく、基本的なところでは確かにニックの言う通りなのであった。師はニックのまた一つの謎の部分を見つけたような気がした。
 ニックは一礼すると部屋を去って行った。
 アーサー師は彼の姿を見送りながら思った。
 ニックの運命もジョハンスンの運命と似たものになるということを。そして、ジョハンスンのもくろみは表面上は失敗だが結局は成功するということを。

 アーサー師はトムの持ってきた推薦状に目を通した。あれから一年近くたち、師のシェルターでは奇跡的に、ガブレリアに先んじて食物の自給に成功していた。それというのも、ガブレリアでは街の拡張工事が始められていたために、余分な技術者を食料にさくことができなかったからであった。
 そんな中の出来事であった。トマ・ジャルダンがガブリエル・ジョハンスンの推薦状を携えて彼らの許にやってきたのは。
 トムが彼らの許に出入りするようになってからもう三年ほどたつ。ニックは彼の素性、つまり元は宇宙海賊の頭領であったことを見抜いて、早くからアーサー師に知らせていたが、特に不穏な行動を起こさなかったのでそのまま泳がせていた。それが今では魔術師達の中にすら溶け込むほど信頼されていた。
 しかしながら、ガブレリアに対して優位に立ったとはいえ、逆にそういう時だからこそジョハンスンの推薦状を持ったトムに疑念が集中した。ことによると、前のニックたちの試作品が漏れたのも、彼のせいかもしれないからだ。
 師はトムを待たせたまま、弟子達を自室に召集した。
 彼は弟子達が全員集まったことを確認すると前置もなく始めた。
「これからトマ・ジャルダンの持ってきたガブリエル・ジョハンスンの推薦状を読む。質問は最後まで読むまで待つのだ。」

 尊敬してやまぬアーサー師へ

 このふみはあなた方にもたらされた、我が友であり協力者でもあったトマ・ジャルダンに対する疑念を晴らすがためにしたためました。
 あなた方の疑う通り、トマはあなた方から情報を盗む手引きをいたしました。
 しかし、それは彼が私の父、堕落する前のバーソロミュー・エイモス・ジョハンスンの求めていた理想社会、つまり精神科学――私達が魔法と呼んでいるもの――を基礎に置いたユートピア建設という考えに賛同したからにすぎません。もっともそのために、いささかまわりがよく見え無くなってはいますが。
 あなたは占術の名手であることをうかがっておりますが、それ故おそらく私の行く末についてある程度知られておられるのではないかと思います。私個人の考えといたしましては、いくら魔法を基礎とした社会が実現したとしても、人々の間に争いが消えるものでは無いと思いますが、すでに私は大きな運命に囚われてしまったあとです。
 しがない犯罪者の息子の愚痴とお笑いください。しかし、私は私を信頼しきっている哀れな友人をこの運命の犠牲にはしたくはないのです。
 おそらくご存じのことと思いますが、トマはかつてやはり犯罪者の一人でした。しかし、それは彼の資質がさせていたのではなく、環境の悪影響を受けていたにすぎません。
 無理なお願いとは存じております。
 後生ですから信頼すべき我が友、トマをあなたの元でお導きいただけないでしょうか。そしてできるならばこのふみは彼には見せず、彼に私を裏切るように仕向けてください。そうすれば私も未練無く仕事を行なえると思います。
 どうかよろしくお願いします。
ガブリエル・ジョハンスン

 ヴィルハイムがまず口を切った。
「わなにしては稚拙にすぎますね。かと言ってそのまま信頼する気にもなれない。」
 それはまさに居合わすほとんどの心を代表していた。
「フランシス=ロジャーよ、お前はどう思う?」
 ニックは最近伸ばし始めた真っ赤な口髭をなぜ付けながら答えた。
「マスター、あなたの思っている通りです。」
 師は頷いて見せるとみんなを見回した。
「私はトマ・ジャルダンを弟子にとるつもりだ。」
 ニックを除く弟子達が口々に異義をとなえ始めたのを押さえて師は話を続けた。
「ジョハンスンの推薦状の話の大部分は私はあらかじめ占った通りであった。
 さらにはジャルダンが私の許にいずれ来ることも占いに現われていた。
 諸君、これらのことには非常に影響力の強い運命が作用しているのだ。誰の力を持ってしても打破できぬほどの運命だ。だがもしこの運命が打ち破れるものだったとしても私はそうしなかっただろう。彼のやろうとしていることは結果的に、どちらに転ぼうとも、現在地上に残された人類の子孫のためになるようになっているからだ。
 それに、これとは別にジャルダンは類い稀な強運を持っている。彼がついてくれれば勝利は確実に我らの側に傾く。」
 弟子達は師の占いには絶対の信頼を置いていた。そしてその運命に従うことに決めたのであった。
「ジョハンスンから推薦状が来たことについては、我々の間だけの秘密だ。これさえ守られればジャルダンは仲間として迎えられるだろう。推薦状自体はフランシス=ロジャーに預ける。反対するものはおるか?」
 反対者はいなかった。
 こうしてトマ・ジャルダン――後のグラントムはアーサー師の弟子となった。

 全面核戦争のあとにおとずれた核の冬――彼らはそれをフィンブルの冬と呼んだが――の絶望的な環境のなかで、人々はよく健闘した。
 しかし、地上に残った何十億もの人たちも、あるものは核爆発による放射能から、もしくはシェルターの食料が尽きたための飢えから、そしてまたあるものは寒さのなか凍えやはやりの病により次々と命を落としていき、ラグナレクより三十年ほどたった現在では数万人のオーダーとなっていた。
 地球上に残された人々は、完全にふたつの勢力に別れていた。
 ガブレリアの支配者ガブリエル・ジョハンスンは、ドーム都市をオーストラリア、アフリカ、中東にも建設していた。その後、一部の科学者の反乱によってアフリカ・ドームを失い、また原因不明の伝染病によって中東ドームも全滅していたが、残ったふたつのドームと、その間を結ぶ通商路付近に集まった宿場町をあわせて、世界人口の八十パーセントを抱えていた。
特にこの三十年間の後半は、ふたつのドーム崩壊による死亡数をのぞけば、ほぼ出生率と死亡率が拮抗していて、人口は比較的安定していた。
 一方、残りの三十パーセントの人口を占める、アーサー・ジョーンズ師をリーダーとする魔術師を中心としたグループは、ここ三十年の間に勢力を大きく後退していた。それは皮肉にも、魔術師の人口に占める割合の増加がもたらした高齢化が原因であった。大いなる超自然力に守られた彼らは、一般に寿命が非常に長く、アーサー師にいたってはラグナレク当時ですらすでに七十をこえていたのだが、いまなおその活力は衰えるところを知らなかった。魔術師でないものたちも、魔法の保護下にあったので寿命は長くなっていた。だが、その結果として出生率は低下し、彼らの人口は減る一方だった。
 そんな現状をただひとり、ニコラス・フランシス=ロジャーと呼ばれるニックが憂いていた。
 彼はその魔法の修業の途中にガブレリアとオーストラリア・ドーム(バルトマイア)の様子を探って、その復興の様子をその目で見ていた。このままでは、彼らの勢力がガブレリアに飲まれて彼らの敗北で終わることになる。また、ガブレリアでは反乱を起こして消えていった以外の技術者は黒魔術師らと融合しあい、新しい技術革命を起こすことでニックの危惧を現実のものとしていた。アーサー師の占いは確実性を持っていたが、占いは逆の結果もまた真実であって、彼らの行動いかんによってはどうにでも転がる可能性を持っているのだ。
 何か、現実を引っ繰り返すようなものが必要なのだ。
 二十三世紀を目前に控えた二一九九年のある日、ニックはようやっと免許皆伝となり独立を許された。入門から早三十年近くが経過していた。
 これは事実上アーサー師の後継者として認められたことを意味していた。
 その日、ニックはニコラス・フランシス=ロジャーの名で魔術師たちを召集した。
 長い修業期間のうち、仲間の魔法使いたちの彼への信頼はいやが上にも増していたが、この日の急な召集にみな首を捻りながら集まってきた。
「ニコラス、私たちはきみの性格から言ってよほど重要な用件が生じなければこのような召集をかけることはないことを知っている。しかし、ここに集まったのはこの近隣のシェルターに住むものたちだけではないではないか。一体何が起こったというのだ?」
 アーサー師の古くからの弟子のひとりであるヴィルハイムが一同を代表して問うた。
「まだ起こってはいません。しかし、もうすでに進行中だともいえます。いや、もう手遅れになっているのかもしれません。」
 ニックは全員が集まったことを確認したのち、こう切りだした。
「私がこれから提言することは、その現状を打破することを目的としていることを心に留めておいてください。なぜこのようなことを言わなければならないのかというと、私が言わんとしていることは、いわば常識を大きく逸脱していると思われるかたもいるだろうからです。」
 ニックはちらりと師の方を見た。これから話すことにいちばんショックを受けるのはもしかしたらアーサー師かもしれない。
「ここに集まった魔術師たちのうちの九割はまだ修業中の身です。これから二十年たったとしてもあと一割程度の修業者が法を修められるだけにすぎないでしょう。それだけ魔法の修業は厳しいものだということは、今日修業を終えたばかりの私はよく知っています。これは別に驚くに値しないことです。
 しかし、尊師が予言した我々に勝利をもたらし得る期限も二十年です。現状のままでは我々の敗北は目に見えています。ガブレリアとバルトマイアの繁栄をご覧なさい。」
 地方から来た魔術師のひとりが異を唱えた。
「しかし、栄えるものもいるかかならず滅ぶとも言うではないか。」
 ニックはそちらの方をみてゆっくりと応えた。
「病んだ繁栄なら我らにも勝ち目はありましょう。しかし、彼らは繁栄期に入ったばかりです。これから冬が訪れようというときに、あなたは来年の秋の収穫に期待しろとおっしゃるのでしょうか。我々にはそれだけの時間が無いのです。
 ご存じのとおり、我々の勢力では魔法の加護の下、平均寿命が年々のびつつあります。しかしそれと同時に、ガブレリアと我々の人口の差はますます増えつつあります。そんななかで我々が彼らに勝利するためには、魔法使いの数を今よりさらに増やす必要があります。我々の仲間たちのうち六割までが魔術師となることができれば、我々は数の差を覆すことが可能となるでしょう。
 しかし、最初に申したとおり、魔術師にはそう簡単になることはできないのです。私はシステムに問題があるものと考えました。」
 ニックはここでひと息つくと、もう一度師を盗み見た。
「はっきりと言いましょう。我々が今のままの方法で魔術師を養成していたのでは間に合わないのです。子供でもすぐ使いこなせるような、簡単な魔法体系が今や必要とされているのではないでしょうか。私は、これからは瞑想を中心とした修業から、呪文を覚えることを中心とした体系的な学習が必要になると考えるのです。
 機は熟しました。魔法的素地が整った現在では冥想にたよらずとも呪文や道具を中心とした方法で効果的な施術が可能となったのです。」
 これは革命的な発言であると同時に、これまでアーサー師に受けてきた教育のほとんどを否定するような暴言であった。
 ラグナレク以後、魔法は力をつけ、アーサー師の放射能除去術のようにそれまでの時代よりも直接的な結果を生むようになってきたが、その魔法のほとんどは精神をイメージにより上位の魔法的な世界に投影し、そこで必要とする象徴を読取り、また働きかけることで術を行なっていた。
 そのため、さまざまな象徴を詳細に読み取る技術が魔術師たちには要求され、さらに精神世界に対して自分の意志を『焼き付ける』ほどの強い意志が求められた。そして、これらのことを学ぶことこそ魔法の修業の主たる部分を占めていた。
「経験的に知られてきましたように、魔法の世界では原因となる何かの事柄に対して、想像によって想起されるあらゆる事柄を結びつけることができます。『結果は、原因と似たものになる』のです。
 ラグナレク以前より行なわれてきた魔術では、精神世界でこれらの作業を行なってきたわけなのですが、私は、これを現実の世界において直接的に行なうことができると考えるのです。もはや、魔法を妨げる条件は地上にほとんど存在しません。それどころか、魔法の恩恵にひたる人たちのあふれる環境のなかで、魔法はかつてないほどに強大になっているはずです。呪文が直接効果を生み出さないとだれが言い切れるでしょう。というより、もし、この方法が可能でないとするならば、我々のかつ可能性は万にひとつもなくなるのです。」
 アーサー師はたった今巣立ったばかりの愛弟子の思いがけないことばに顔を赤くしたり青くしたりしていた。
「そんなことをしたら魔法の破滅だぞ。すべての人が魔法を使いはじめたら、世の中は大混乱に陥りはしないか? 君の言う魔法は子供にも使いこなせるというではないか。」
 アーサー師をみかねたヴィルハイムがニックに尋ねた。
「すべての人が等しくこの術を身につけ得るとは私も考えてはいません。魔法がメンタルなものである以上、なんらかの形で呪文は術者の資質から魔法的なものを引き出さなければならないはずです。何の用意もない人間がいきなり魔法を使おうとしてもそれは無理でしょう。しかし、ここでも魔法の基本的な法則、『結果は原因と似たものになる』という法則がきいてきます。私は象徴がその拠り所になると考えています。皆さんは入門時に真の名を授かっているはずです。その名をこれからは力のあるシンボルに変えていったらどうでしょう? 過去にも大魔法使いといわれた人たちがいました。また、力を持つと信じられる空想上の存在もあります。それらの名を真の名にすることで、過去の偉大なる存在を自分自身と魔法的に同化するのです。あとは呪文の組み方次第で様々な魔法を駆使できるでしょう。」
 ヴィルハイムが反論した。
「しかし、君はそれが可能だという証拠を示していない。」
 ニックは集まった人たちを見渡しながら答えた。
「少し時間をいただきたい。明日、四大要素の精を呪文と象徴だけで物質化してみせましょう。」
 みながその場から引いたあとでトマ・ジャルダンが彼を問いつめた。
「やけに自信たっぷりだったが、君は本当に妖精を現実化できるというのかい?」
 旧知のガブリエル・ジョハンソンの不可解な行動が目立つなか、この三十年ばかりのうちに、トムはニックを信用しきるまでの仲になっていた。
「四大要素の精だ。」
 ニックはやんわりと彼を訂正した。
「魔法的象徴の違いだけにすぎない。」
 ニックは肩をすくめてみせた。
「正直言ってうまく行く確証はない。だがこれが失敗したときは我らの負けだ。これから呪文を磨き上げなければならないのだが、よければ手伝ってくれないかね。{火の精}{サラマンダー}、{風の精}{エイリエル}、{地の精}{ノーム}、{水の精}{アンディーン}をいっぺんに呼び出すのはかなりたいへんだろうからね。いままで精神界で召喚したエレメントを他の人にも見えるほどに実体化した例すらないのだから。」
 次の日、ニックが集まった魔法使いたちの前で唱えた呪文は、彼らにとっても奇妙なものとなった。
 ニックは4つのエレメントの象徴となる図形を十字に並べた祭壇中央に香を焚き、四方に五芒星を切って{聖なる四文字}{テトラグラマトン}の御名をとなえて場を浄化した。
 ニックはそれぞれの象徴に対し長い詠唱をはじめた。
 それは、魔法をかなり長い間修めてきたアーサー師にすらわからないことばだった。
 それは、人類の歴史よりも古いことばだった。
 それは、かつて、人類より以前に宇宙を支配していたといわれる前人類の言葉だった。そしてそれは、カッパーとアカギがかつて水星で神の封印を解くときに使った言葉と同じ物だった。
 そして、ときを経た今も、それは魔法的力を内部に秘めていたのだ。
 もちろん、居合わせたほとんどの人がこの言葉に無知だった。
 幸運にも幾人かがこの言葉に何度か接した経験があったため現在我々はこの日ニックが唱えた言語を推定することはできる。しかし、我々には彼の唱えた呪文の意味までは推測することすらできない。そこに居合わせた人も、またその子孫たちも、誰一人大ニコラスの魔法を再現できなかったのだから。
 とにかくにも、ニックの呪文は成功した。
 このとき、ニックが呪文のパワーを制御しきれなかったのか、それともわざと劇的な効果を狙ったのかはわからないが、それからしばらくの間、地球は妖精のあふれるいわばおとぎの国のようになった。
 それは、決しておとぎの国たりえなかったが…

(第四回に続く)


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