『雪』

先樹二(Sakiji)


 
 二人が暮らしていたのは、豪雪地帯で知られる地方の奥深い山々、山頂に社をいただくその辺りでもひときわ高い霊峰に佇む一軒家だった。

 男の名前は、シン。マタギとまではいかないが、腕の良い猟師だった。粗野で口数の少ない男だが、心根は優しく、わざわざこの辺鄙な一軒家を訪れ男に悩み悲しみを打ち明けたことのある人間は、みなその心が洗われ清々しい気分になって帰っていくという不思議な<力>を持っていた。
 女の名前は、ふみ。明るく良く気がつき、男とは反対によくしゃべり、聞く人の心を溶かす澄んだ歌声を持っていた。この場所で、女の唄を聞いたことのある人は、みなその心の中の小さな幸せが何倍にも豊かになり、その喜びを他の人にもわけてあげたくなってくるという素晴らしい<力>を持っていた。
 二人の仲むつまじい様子は、端から見ていても微笑ましく、それを見るためにだけにここを訪れて、塩・砂糖などの調味料を置いていく山の民も引きも切らなかった。

 ある冬の夜、つまらぬことでふみと諍いをしたシンは、自分から謝るのが照れくさく、爺から貰った年代物の二連銃を手に遅い猟へと出かけていった。

 二時間ばかりの間、月明かりにぼんやりと浮かぶウサギの足跡を追うとでもなく追うシンが突然体をこわばらせて立ち止まった。シンを呼ぶふみの悲痛な叫びを<耳>にした気がしたからだ。胸騒ぎを抱きつつ、シンが全速で小屋に立ち戻ってみると・・・
 そこには、はずかしめを受けることに抵抗し、既に事切れたふみの変わり果てた姿があった。激情に駆られたシンは、すぐさま外に飛び出し、ふみをこんな姿にした人間の追跡を開始した。それはつまらぬ諍いで家を空け、肝心なときにふみをに守ってやれなかった自分自身に対する苛立ちだったかもしれない。一面の雪景色の中で、逃げ去る足跡を隠しようもなく、街からやってきた犯人の男ふたりの胸に、シンのナイフが赤い花を咲かせたのは、その数時間後のことであった・・・

 激情に駆られていたとはいえ、自分の犯した罪の大きさに愕然としたシンは、ふみを山頂の社近くの雪中に葬ると、社で手を合わせ山の神に一心に祈りを捧げた。
「いくらふみを殺めたとはいえ、男ふたりを亡き者にした罪はどうあがなえば・・・」
「いっそ、ふみのかたわらでこの命を絶ちたいと・・・」
 シンは泣いた。このまま自分が命を絶ったのでは、あの世でふみと一緒になれないことくらいはシンも如実に感じていたからだ。
 山の神の声はシンの<耳>には届かなかった。シンは感じた。このまま生きながらえ、贖罪をしていくことが山の神の思し召しなのだろうと。

 その冬から、霊峰にはいつもの年にまして雪が降り積もった。そしてその雪の結晶はひときわ大きく美しかった。黒い雲が、街に住む人々の悩み・苦しみ・悲しみ・欲望を集め、霊峰の山頂に雪として降らせたのだった。その悲しみが、その苦しみが大きいほど、出来た雪の結晶は大きく美しかった。そしてその雪の結晶は、春が来ても溶けることがなかった。シンが、その悲しみ・苦しみを受け止め、自分のものとして解消してやらねばならないのだ。シンが、おのが身を痛めつけ、その負のエネルギーをうち消してやって初めて雪の煌めく結晶は昇華され消えゆくのであった。

 煌めく雪を溶かし消していく贖罪を始めてから十年。ある日シンは、憔悴しきったその体にむち打ちつつ、今日も雪の想いを解消しようと小屋の外に出てきた。その時、今は既に遠くなってしまったシンの<耳>にも、声が聞こえてきたような気がした。
「よく頑張ったな。もうよいぞ、ふみのもとへお逝き」

 ここ十年というもの、どか雪が降り積もっていたため、山の民の<力>を持ってしても近づくこともままならった霊峰にも春の芽生えがやってきた。雪が溶け去り緑も燃えだした様子を見て、山の民たちも久方ぶりに霊峰の社を訪れることになった。まだ雪が溶け残る霊峰の社のかたわらには、つい今し方事切れたと見まがうばかりのふみと、ふみの手をしっかり握りしめたシンの憔悴しきった変わり果てた姿があった。しかし、そのシンの顔は、やつれきってはいたが、つとめを果たした者だけが持つ達成感に満ちた満足が溢れていたのだった・・・
 

〜山の民3〜

(了)


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