『約束』

先樹二(Sakiji)


  仮設の楽屋裏で妹の映子が泣いている。聞けば、一族の長老の<松>爺が危篤状態のようだ。よほど慌てていたのだろういつものジャージー姿のまま泣き続けている妹を見て、私ももらい泣きしそうになる。爺には、みんな世話になっていたし、特に、早く連れあいを亡くしたオフクロと、わたしたち姉妹は特に面倒を見てもらっていた。
 しかし、今見えているのは、映子の<思念>による姿だけなので、わたしには震える肩を抱きしめてやることもできやしない。
 そういや映子がちょっと前に「TVや携帯電話が発達したんで、今更わたしの<力>なんかなんの役にも立たないわ。わたしなんか気が強いだけが取り柄のただのおんなよっ」てぼやいていたっけ。
 楽屋入りを知らせる伝令がやって来た。
「オフクロには、あとで<電話>するから。」<力>で軽く妹の思念を抱きしめ、わたしは楽屋へと急いだ。

 抜けるように青い空。見上げると、小高い丘の中腹まで、この地方特有の白い壁と黄土色をした屋根の三四階建ての住居がぎっしりと建ち並んでいる。空の青、丘の緑と、壁の白さの対比が美しく、わたしは思わず見惚れてしまっていた。
 ここは、コソボ自治州の古都プリズレン。セルビア軍の侵攻が急だったので、コソボ解放軍(KLA)も目立った抵抗も出来ず、町並みは幸いなことにそのままであった。
 90年代に入ってユーゴのミロシェビッチ大統領が、コソボのアルバニア系に対して、その自治権さえも骨抜きにしようする試みを強行し、それに呼応してKLAが、支配するセルビア兵・警察に対する抵抗運動を起こしたのがコソボ紛争の発端と聞いている。
 いつも悲惨な目に遭うのは、何の抵抗手段を持たない住民たちだ。AMDA顧問になっている<一族>のものから要請を受け、私たちは彼らを救うために、慰問団としてここにやって来た。

 悲しくても今は涙をこらえて、唄いつづけることしかできない。日本を出てくるときにもう一人の妹、正確には<唄人>の双子の妹と、この戦争を終結させるまでは帰国しないと<約束>したんだ。あいつは、人生という織り物を涙と愛で繕うことが<定め>だし、私の叶えたい夢は、この世界から戦争を無くすこと・・・
 急ごしらえの会場からは、わたしの出番を待ちきれない兵士たちの、笑い声や嬌声が聞こえてくる。鏡に映る唇に、真っ赤なルージュをひいた。<力>が徐々に高ぶってくる。さあ、わたしたちの戦いが始まる。

 急ごしらえのステージ後ろには、真っ赤な生地に白くセルビア語で何か書いてある。おそらく「炎の女ロッカー参上」とかなんとか書いてあるに違いない。私は、衣装を確かめる。赤い編み上げブーツ、真っ赤なエナメルのホットパンツとそれとお揃いのビスチェ、真っ赤に染めたヘッドとこぼれそうな胸の半球で奴らを骨抜きにしてやるんだ。
 合図のベルが鳴る。もうすぐステージが始まる。なんとか気持ちを切り替えないと、聴きに来た兵士達に、気分が乗り移ってしまう。回りで、わたしに向かい親指を立てる<一族>の仲間たち。「いまは、やるっきゃないぜ」と、<思念>で語りかけてくる。

 いきなり唄が始まる。
 ベースとドラムがリズムを刻む。空から舞い降りるようにギターが絡み、わたしの全身に熱い血が流れ始めた。
 何曲唄ったあとだろう、兵隊達は熱狂して椅子の上に総立ちになって体を揺らしている。もう彼らは私のものだ。私は仲間たちに合図を送った。そろそろみんなの<力>を私に集めて<客>をコントロールする段階に達したようだ。私は唄う<愛>の唄を。故郷で待つ家族の歌、別れた恋人の歌、そして大きな人間愛の歌。やがて曲はスローなバラードへと変わる。
理由のない争いを止めるように、隣人を愛するように、そして愛する家族の待つ古里へ帰りたくなる歌を。

「最後の曲を唄う前に一言だけ言わせて」
「今日みんなと一緒の時を過ごさせてくれて、どうもありがとう」
「それから今日ここで聴いたことは全部忘れてね。わたしの唄を聴くと、故郷に帰りたくなるなんて評判がたったら、もうお呼びがかからなくなるから。」
 それから先は言葉にならずマイクの前にたたずむ。この鳴り止まない拍手を爺に聞かせたかった。
 ああ、視野の隅で誰かが手を振っているのが微かに見える。来てくれたんだね爺。ごめんね、<逢い>に行けなくて。ここから見送っているよ。いまの私には唄いつづけることだけしか出来ないから。

〜山の民4〜

(了)


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