第2回 死亡遊戯王


 それは奇妙なゲームサイトだった。スポンサーも広告もない、一見どこかのプログラマが自作を公開しているような,けれどやたら太い回線と高速なサーバーを擁しているらしいサイトで、アクセスしたとたんにほとんど何の説明もないままにゲームが始まるのだった。いや、そもそもどこをどういうふうにたどってそのサイトにたどり着いたのか、あとから思い出そうにも思い出せなかったし、ブラウザの履歴にもなぜか記録が残されていなかった。今にして思えば、こちらが向こうを探り当てたのではなく、向こうがわざわざカオル君を迎えに来たのでもあろう。とにかくゲームというゲームをやり尽くしてすっかり退屈していたカオル君が新奇なものを探しに行こうかと考えているうちに、いつのまにかコンピュータの画面が切り替わっていたのだ。
 最初は知識を試すだけのクイズに過ぎなかった。ただ、その設問があまりにもツボにはまったマニアックなものだったので、ついつい回答をクリックしてしまったのだ。(おいおい、そんな質問に答えられるやつなんてそうそういないぜ…)正解した者だけが次のページに進める仕組みだった。正答率は最初から50%以下だったが、数ページ進んだところから20%を切り、同時に正解者の延べ人数を示すカウンタの数字がどんどん減って3ケタになった。そのころからゲームはただのクイズではなく、短いレクチャーとその習熟度を調べるミニ・テストに変わっていった。(なんだい、お勉強ソフトだったのか?)レクチャーの内容は多岐にわたっていたが、ひどく偏ってもいた。弾道の計算方法、寒冷地でのサバイバル知識、近距離戦用兵器の使用法、暗号の基礎理論。(これじゃあまるで…)スパイかグリーンベレーの教則本じゃないか、とカオル君がいぶかっているうちに、画面はいつの間にかRPG風の探索ゲームに切り替わっていた。
 参加者はすでに80人に減っていた。めいめいが自分の適性に応じたアイテムを選び、次々に現れる敵を倒しながら迷宮を進んでいく。迷宮…といっても苔むした石造りの壁にあかあかと松明がともり、おどろおどろしいBGMが流れるといったありがちなダンジョンではなく、どこか巨大な研究施設の内部をそのまま模したようなモダンで無菌的なセットの中を移動していくのだ。ゲーム開始早々、画面をポーズしてあちこち拡大していたカオル君はほうっと賞賛の溜息を漏らした。カオル君は凄腕のゲーマーとしてネットではけっこう有名人なのだが、世界中のゲームサイトを総なめにしてきたその目で見ても、このゲームのディテールへのこだわりははんぱなものではなかった。そう、例えば今歩いている廊下の壁に貼られた合金のパネルだ。ちょっと見にはただのアルミ板だが、四隅を固定しているリベットの特殊な形状をみれば、こいつが厚さ10ミリ以上のチタン=モリブデン装甲だとわかる。つまり、この建物はICBMをぶちこまれてもびくともしないだろうということだ。それにこの照明、こいつは…おっと、頭上のナトリウム・ランプがほんのわずかちらついたのをカオル君は見逃さなかった。接近戦ではいちばん有効な陽子銃〜あらかじめ設定した距離内に着弾すると直径数センチの火球となってすべてを焼き尽くし気化させてしまう〜を構えたまま振り仰ぐ。案の定そこには「蟹」と呼ばれる多触手型ロボットがへばりつき、胴体中央の排出孔をいまにも開こうとしていた。捕獲タイプだ。こいつが吐き出す泡に呑まれると手足がしびれ行動の自由を失ってしまう。カオル君はあわてずさわがず「蟹」の排出孔に狙いを定め、透明な泡が盛り上がる瞬間を狙ってトリガーを引いた。「蟹」は胴体の真中を射抜かれて十本の触手をばたつかせながら床に落ち、活動を停止した。上出来だ。「蟹」が取りついていた照明のほんの一部でも壊そうものなら、廊下中に警報が鳴り響き、ありとあらゆるトラップが作動してしまう。もう一息だ。すでに入手したこの建物の設計図によれば、次の角を曲がったところが最深部のコントロールセンターであり、そこでラスボスのお出迎えとなるはずだった。パスワードをクリアして難なく扉を開けたところで突然、画面が暗転しメッセージが現れた。

「おめでとう! あなたは無事一次選抜を通過しました。次の段階に進むための装備をこちらで用意しますので、今しばらくお待ちください」

 なんのことかといぶかる間もなく、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。高2の秋からカオル君が引きこもっているこの部屋を訪れるのはママしかいない。ママはいつでもかすかな、しかしはっきりそれとわかる足音を立てて階段を上ってくる。カオル君を刺激しないよう、だが間違っても不意打ちなんかしないように。そうしたママの気づかいが始めのうちはうれしかったカオル君だが、今ではそれさえ苛立ちのタネだ。ドアの向こうで息をひそめ、おずおずとこちらの様子をうかがっているママの姿が目に浮かぶ。指の背中でノックしようとして寸前で止める。音が大きすぎるし固すぎるんじゃないかしら。左手に抱えていた箱をいったん床におろし、ポケットから取り出したハンカチで指をくるんでから、ようやくママはこん、こんこんと3回ノックする。
「何だよぉ」
 カオル君は少しだけ大きすぎる声を上げた。一瞬身をすくめる気配。
「あのね、カオルさん。あなた宛に荷物が届いたんだけど。それがねえ、差出人の名前も住所も書いてないのよ。運んできたのもいつもの宅急便屋さんじゃないし、でも受け取らないわけにはいかないしねえ…」
「わかった、そこに置いといてよ」
 ほうっておくといつまでも自問自答を繰り返しそうな母親の言葉をさえぎってカオル君はさっきよりもさらに大きめの声を出した。
「そう、じゃあここに置いとくからね。いらないものだったらこのままにしておいてくれたら片付けるから…」
「ああ、そうする」

 何の変哲もない粗末な段ボール箱…と見えたのは外見だけだった。箱の内側は強化プラスチックで内張りがしてあり、完全な気密包装になっているばかりか30気圧耐圧の表示さえあった。4箇所に取り付けられたスクリューをひねって蓋を開ける時、充填してあった窒素ガスがしゅっと音を立てて噴き出した。(ゴーグルに手袋?)どちらもあつらえたみたいにぴったりだった。頭が小さいわりに目が離れているせいで、生物の実習ではいつも双眼顕微鏡の調整に苦労したものなのに。あまりにタイミングが良すぎるけれど、カオル君にはこの荷物の送り主が例の怪しげなゲームサイトに違いないという確信があった。それにしても一体何が目的なのだろう。たかがゲームにしてはあまりにも手が込んでるじゃないか。

 ゴーグルと手袋はカオル君の予想通りバーチャル空間でのシミュレーションゲームへのパスポートだった。そのバーチャル空間もまた並の精度ではなかった。足元の土くれを拾い上げ指先でつまむと細かく崩れていく、泥と石ころのまじったその感覚がはっきり指先に伝わってくるのだ。土くれの中には名前も知らない虫の死骸や雑草の種までがはっきりと見えた。そう、そのゲームではそんなささいな情報が場面解決の鍵となるのだった。ゴーグルと手袋はカオル君の眼球運動や指先への力の入れ方をゲームサイトにフィードバックしているらしく、VRゲームにつきものの身体の違和感はどんどん薄れていった。次の段階で届いたフルフェイスのヘルメットとボディスーツもまた気味が悪いくらいに身体にぴったりで、それらを身につけてゲーム内にダイブした瞬間からカオル君の乱雑でちっぽけな部屋は消えてなくなり、代わりに宇宙空間を舞台とした3Dシミュレーションの世界が広がるのだった。
 ゲームは変貌を続けながらどこまでも続いた。あるときは複雑な暗号や戦闘理論を盛り込んだパズルゲーム、ボディスーツが届いたあとでは実際に体を激しく動かしての格闘ゲーム…あんまり派手に騒いだものだからママが心配になって何度も階段を駆け上がってきたものだ。そして半透明のエイリアンの心臓に電磁ナイフを突き立てて最後の難関をクリアしたとき、カオル君はこのゲームサイトの本当の存在理由を知らされた。最終選抜に残ったのはたった10人ということだった。

 送られてきた契約書の内容はじゅうぶんにショッキングなものだったが、カオル君は迷わずサインした。戦争にあこがれたわけじゃない。ただ、ゲームの果てを見極めてみたいと思ったのだった。

 最終的な「調整」のため部屋から外に出るのには大いに勇気が要ったが、敵もさるもの、何から何までカオル君の部屋とそっくり同じ大きなコンテナを吊るしたヘリが現れたかと思うと、鏡の中に足を踏み入れたような気分であっけに取られているカオル君を連れ去ってしまったのだ。3週間後に戻ってきたカオル君を一目みたママの嘆きようといったら、さすがにカオル君もちょっとは後悔したものだった。カオル君の頭にはいっぽんも髪の毛が残っていなかったのだ。
 あとになってカオル君はママがどうしてあんなにうろたえたのか合点が行った。ママは昔やけどの治療のために大学病院に入院したことがあって、その時同じ病棟に放射線科の患者がいたのだそうだ。脳腫瘍の治療のためにガンマー線を頭に照射されていた若い男の子と我が子の姿がだぶったというわけだ。冗談じゃない、浴室の鏡の前に立ち、合わせ鏡でまんべんなく点検しながらカオル君は呟く。単なるハゲじゃないんだぜ、見てくれよ、この輝きを。そう、カオル君の頭からは文字通り後光が射していた。なにしろ髪の代わりに植えこまれた数万本のプラチナ電極のおしりが、お釈迦様の螺髪みたいに飛び出しててらてらと光っていたのだから。

(第3回に続く)


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