第11回 電気獏はアンドロイドの夢を食うか?


「まあそう焦るなよ。貴様らの中継は見せてもらったよ。なかなかショッキングな暴露番組だったが、どのみちシムの国内生産は中止される予定だったんだ。上の連中は後片付けの手間が省けて喜んでるだろうよ」
 ネコタの声には奇妙な親しみと馴れ馴れしさがあった。
「おれがどうしてここに現れたか不思議か? いや、貴様もうすうす気づいてるんだろうが、おれはシム=システム内に常駐しているもんでな、トラブルがあるとすぐに呼び出されるのさ。まあ、あと40分もすれば貴様にもそれがどういうことかわかるさ。生身の身体に縛られないってのは結構オツなもんだぜ。ものを食ったりクソしたり風呂に入ったり、そんなことに手間は取られないし、毎朝何を着ようとかどんな髪型にしようとか悩む必要もない。そもそも眠る必要がないから、8時間の勤務が終わればあとはまるまる16時間何をしようと自由だ。おかげでおれはロボット工学に関するありとあらゆる文献を読み尽くしてしまったよ。それでもまだ時間が余って仕方がない。あんまり退屈だから仲間を増やしてやろうと思ってな」
 カオル君はSATの連中との交信を何度も試してみたが応答はなかった。冷汗が背中を伝うのがわかる。もちろんシムの背中ではなく、遠く離れた自宅で制御スーツを着込んだカオル君自身の背中だ。家にいるはずのヒラオ達はどうしているんだろう、まさか一網打尽に検挙されてしまったのだろうか…
 カオル君の不安を見透かしたかのように、ネコタは猫なで声で言葉を継いだ。
「今ごろ貴様の仲間は貴様を復原しようとやっきになってるだろうがな、久号機のコントロールは完全にこちらで掌握したし、通信帯域も変更したから連中には手も足も出せんよ。なあおい、どうしてシム計画はつまずいたんだと思う? ああ失敬、回線が開いてなかったな」
 シム相互の連絡に使われる専用回線が使用可能になったことを示すグリーンのランプが点いた。
「そんなことぼくの知ったことじゃないでしょう」
 虚勢を張るつもりでいながら習慣で敬語を使ってしまう自分が情けなかった。ネコタは委細かまわずにしゃべり続ける。自分の饒舌に酔っているみたいだった。
「敵の駒をぶんどって自軍に使うという発想自体はよかったんだ。シムに人権はないから3交代で好きなだけこき使えるしな。だが、オペレータとなるとそうはいかない。ちょっと甘やかすとつけあがるし、カゼをこじらせたといっては休みたがる。オペレータが生身の人間で一度に一体のシムしか動かせないとしたら、せっかく分捕った駒の持ち腐れじゃないか。そうだろう? だから、シムを考え出した連中はオペレータひとりで1個小隊を操れるようなシステムを開発することにしたんだ。ついでにオペレータもシステムに取りこんでしまえば都合がいい。まあさすがに自国の軍隊でそれをやらかすわかにもいかんから、上層部では改良されたシム=システム全体をあちこちに売りこむつもりらしいぜ、軍事力のバランスを崩さないよう配分を調整しながらな」
 首がもげるような強烈な衝撃を感じてカオル君はびくっとのけぞった。ネコタが力まかせに床に転がっている久号機の頭部を蹴っ飛ばしたらしかった。
「おれはシム試作機のテストパイロットに志願してな。シムの稼動限界を調べるため24時間ぶっ通しで操作したあげくに復原できなくなっちまったのさ。こうしている間もおれの身体は横須賀の海軍病院の集中治療室にだいじに寝かされているよ。貴様もじきに仲間入りだ。おっと、そろそろ時間だな。おめでとう、2階級特進だ。勲章つきの豪華ベッドに寝かせてもらえるぜ」
 ラスボスの分厚い手が久号機の手をつかんで乱暴に振り回すのが感じられた。握手のつもりらしい。
「おお、そろそろ始まったようだな。さて引き上げるとするか。燃えろ燃えろ、だ。薄汚ねえドブネズミどもの死骸をきれいさっぱり焼き払って、地球の裏側か砂漠の真ん中で出直しだ」
 ラスボスは久号機を肩にかついで動き出した。屋上から脱出するつもりらしかった。仕掛けたナパーム弾が発火したのだろう、階下から爆発音が断続的に響き、換気用のダクトからうっすらと煙が流れはじめていた。
 カオル君の視界ではシムからの離脱をうながす警告灯がさっきから点滅を続けていた。同時に合成音声のアナウンスがしつこく耳元で叫んでいる。
「警告、警告、シム=オペレータはただちに復原を開始してください」
 連続作業の限界を越えるとどうなるか、マニュアルには『全感覚の離脱を生じ、復原不能となる』としか記載されていなかった。今、カオル君は自分の体から自分自身が脱落していく無気味な感覚を味わっていた。

 冷汗に濡れて冷たくなった自分の背中が一瞬目の前に見えたかと思うとどんどん遠ざかり始めた。カオル君は自分自身の体から抜け出して、落下とも上昇ともつかない果てしない乖離を味わっていた。手袋をはめた自分の指がどんどん遠ざかり、冷たく凍えていく。自分の身体がどこまでも膨張する一方で脳みそがぎゅっと一点に収縮し、絶対零度の真空がその間に広がって行くようだった。たすけて、と叫ぼうとしたが、そのシグナルを伝えるはずの神経電位は真空のなかで行方を失ってしまった。冬空にはりつけられたオリオンのように、カオル君の手足は今や何万光年も離れてぽつんと光る点に過ぎなかった。

 エレベータの扉が開いた。ネコタは肩に担いでいた久号機をいったん床に下ろしてエレベータに向った。中にはモスグリーンのプラスチックバッグが3つ。ドームの外で捕えられたハナダたち3人が入っているに違いなかった。ネコタは久号機の足をつかんで乱暴にエレベータに投げこみ、最上階のボタンを押した。

(ぼくはこのまま死ぬんだ)
 発進するエレベータの加速度を感じながらカオル君は考えていた。考えている脳と涙を流しているふたつの目の位置はでたらめで、それぞれがまったく別の世界にあるようだった。最上階につくまでの短い間が永遠に思えた。
(死ぬよりひどいや。身体を人質に取られ、ネコタや軍のいいなりになって死ぬまで働かされるんだ。死ぬまでだって?)
 今こうして移動している時間さえこんなに長く感じるのに、この先自分の脳が機能を停止するまでどれだけ時間がかかるかと考えるとぞっとした。宇宙全体に拡散した体の表面に鳥肌が立っていく。とてもゆっくりと、およそ1世紀に1個ずつ。
(脳がなくなっても死ぬとは限らないぞ。ぼくの脳の活動パターンがネットワーク上にコピーされてしまったらどうなる? ぼくはシム=システムある限り、いや、軍事ネットワークのある限りその中をさまよい続ける幽霊になってしまう)

 これはきっと罰なのだ。ひとでなしのひとごろしだったぼくへの罰。

 エレベータの扉が開き、久号機はまたラスボスの肩に担がれて動き出した。どさりと床に投げ出された拍子に、2時間ほど前に自分がそこから抜け出してきたパッケージが目に入った。修理が済んで戦場に戻されるばかりの禄号機、ヒカルの身体もその近くにあるはずだった。
(ヒカル! ぼくを助けておくれよ、お願いだ)
(母さんごめんよ)
(父さん、生きてるんだったら一度会いたかったな)
 自分でもコントロールできない様々な思いが一度にこみ上げてきた。 ラスボスがいったんその場を離れて部屋の隅に向う足音が聞こえ、続いて何か計器パネルを操作する電子音が聞こえてくる。その合間に階下からは炎が噴き出すごおっという音、逃げ遅れた作業員の断末魔の叫び、何かが爆発するずしんという響き… それらに混じってネコタが無線操縦で呼び寄せたのだろう、脱出用のヘリコプターが頭上に接近してくるのが感じられた。部屋には薄煙が立ち込めていた。おそらくは肉の焼ける嫌な匂いが充満しているのだろう。このままここから連れ去られたら何もかもおしまいだ。ぼくはシム=システムの奴隷になり、プラスチックバッグの中で気絶しているハナダたち3人は拷問に掛けられるか洗脳され、そして、

 ヒカルの身体も焼けてなくなってしまう。

 それじゃあんまりだ。ぼくはどのみち元に戻れないとしても、ヒカルの身体だけはここから運び出してやれないだろうか。カオル君はその時、自分が胸を打ち抜いて破壊した旧禄号機のことを思い出した。あのシムはオペレータとの電気的な接続を断たれた後も自らの意志を持っているかのように動き続け、はるばると海を越えてオペレータのもとにやってきたのだった。特定のオペレータに長く操作されたシムにはそのオペレータに向おうとする一種の帰巣本能が芽生えるのだ、などとわけのわからない説明がされたけれど、そうじゃない。あの時、あのシムは今のぼくと同じように接続限界を越えて廃人になり、海軍病院のベッドに寝かされていたオペレータが操作していたのだ。自殺するため、自分自身を破壊しつくすために。あんなふうに常人の域を越えた強烈な破壊衝動がテレパシーだかなんだかを介して遠く離れたシムを操っていたのだとしたら…

(ぼくにもヒカルの身体を動かすことができるかも知れない)

 カオル君は禄号機を収めたパッケージが置かれているはずの場所に意識を集中した。
(ヒカル!)
 呼びかけてもむろん返事はなかったが、やがて透明な身体の輪郭がほんのりと闇の中に浮かんでくるような気がした。それと同時に床に転がっている久号機の身体イメージが陽炎のように揺らぎ始めた。ふたつのイメージはしばらく重なりあっていたが、次第にカメのポーズを取った禄号機のイメージが強くなり、手袋に指がすっぽりはまりこむようにカオル君はその中に入りこんでいた。

 それは今までシムを操作してきたのとは全く違った感じだった。自分の身体以上に自分らしい感じ、と言ったら変だけれど、ヒカルの身体はカオル君にぴったりとなじんで隙がなく、カオル君はまるで生まれ変わって真新しいぴかぴかの身体を手に入れたような気がした。力が全身にみなぎってきた。カオル君は思いきり身体を伸ばした。強靭なポリカーボネート製のパッケージは卵の殻よりも簡単に破け、禄号機は空中で見事な宙返りをして音もなく床に降り立った。

 シムの操作につきものの微妙な動作の遅延はまったく感じられなかった。それどころか今までよりも反応速度が数倍跳ねあがったような感じさえする。CPUをまるごと交換したみたいだ、とカオル君は思った。ヒカルがどんなスポーツをやらせてもクラスで一番だったことを思い出した。

 振り返ると部屋の隅ではネコタがヘリコプターの遠隔操縦に没頭していた。熱せられたドームから生じる上昇気流のため、ホバリングが困難なのらしい、悪態をつきながらハンドルに取りついている。
(今なら勝てるかも知れない)
 カオル君は軽くはずみをつけるとラスボスの背中めがけて猛然とダッシュした。

(第12回に続く)


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