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今月の著者インタビューは、2025年11月に『宇宙ランド2100 堀晃ジュニアSFコレクション』を出された堀晃先生です。堀先生、今回もよろしくお願いいたします。
巻末の初出を拝見すると、1971~1991年発表のジュニア向け作品のようです。
残念ながらリアルタイムでは読んでないうちのですが、今読むと何か懐かしい感じがします。
当時の学年誌だと、『中一時代』に連載の『夕映え作戦』(1964、光瀬龍)とか、『蛍雪時代』に連載の『やぶれかぶれ青春記』(1969、小松左京)はリアルタイムで読みました。
デビュー作がSFマガジンに載って半年ほどして『高二コース』から依頼があったのですが、気をつけたというより、迷いましたね。自分の高校時代といえばSFマガジンに熱中していましたから、高校生向けというのがよくわからないのですね。意識したのは、主人公を高校生にすることだけでした。
堀先生の高校時代というと、ちょうど『S-Fマガジン』(1960年創刊)が出た頃ですね。私が読み始めたのは1965年ころです(中学生)。科学好きの中高生にとっては宝物のような雑誌でしたね。親を騙くらかして定期購読してました(笑)
堀先生は、SFマガジンはどうやって読まれていたのでしょう。お兄さん(堀龍之氏)経由なのでしょうか
本は高いから、SFに限らず、教科書・参考書以外の本はすべて兄と共有でしたが、それぞれ高校・大学に進学した60年4月以降はバラバラです。
SFマガジンは4号以降はそれぞれで買ってましたが、ハヤカワの銀背は何を買うか手紙で連絡しあって、休みで帰省する時に持ち帰ってくれました。こんな習慣はともに就職するまでですね。下宿、寮生活時代の蔵書は全部実家に残ってます。
私が高校・大学時代に購入したSF本も、贈呈したものを除けば全部残ってますね。お友達の迷子@岡山さんの書庫には、私の数倍の本が、きちんと整理されて!書棚に収納されています。
堀先生のSFマガジンデビュー作の「イカルスの翼」は1970年6月号だから、1971年1月号の「高二コース」掲載ということは、短期間(半年)で二本の短編を書かれたということですね。
就職されて間もない頃だし、結構大変だったのではないでしょうか。
就職してからの5年は大変でした。仕事は正直いって大学時代より楽でした(笑)が、寮生活で個室が確保できないのがつらかったですね。これはジュブナイルに限らないんですが。
同室だと飲みに行こうとかの誘惑も多いだろうし、断わりにくそう(笑)
寮は、いつ頃出られたのでしょうか
1974年の春に、同期入社の男と2DKの部屋に引っ越して、やっと個室が確保できました。営業部門の男で、仕事のパターンも違うから、ありがたかったですね。
シェアハウスですね。最近もそこそこ流行ってるような。
『別冊新評 SF-新鋭7人特集号』(1977.7月)の自筆年表を拝見すると“SFマガジン1970年6月号に「イカルスの翼」でデビュー、9月号に「恐怖省」掲載の後、四年間学習誌の数編を除き作品なし。”と書かれてました。これが、『宇宙ランド2100』に収録された作品のことですよね。
“なぜ書けなかったかについては、多くの理由があるが、決定的な理由はない。”とも書かれてますが、1974年に復刊した「NULL」誌に「最後の接触」を書かれていることからすると、個室の確保も執筆の原動力の一つになっている気がします。←勝手に思っているだけですが(汗;)
この『別冊新評』に掲載された「電送都市」も、ちよっと「ミステリーゾーン」を思わせる結末で面白かったです。電送と暗号理論を組み合わせて、あっと驚く結末に持って行く手腕が良かったです。当時としては最新の理論ぽいし←よく知りませんが(汗;)
やはり個室の確保がいちばん大きいかったですね。執筆だけでなく、寮生活では、相部屋の男がテレビ見出すと本も読めなくなりましたからねえ。
ところで、ご結婚されたのはいつ頃なのでしょうか。
2年ほどして、同期の男が東京に転勤になって、そのまま住んでましたが、それから3年ほど経った1978年です。結婚すると1週間休みがもらえるのです。その休みを利用して書いたのが「梅田地下オデッセイ」です。梅地下をウロウロするのが新婚旅行でした。
なんと結婚休暇で執筆されたのですか(驚!)
奥様は何も言われなかったのでしょうか。
出版社勤務でしたから、それは最初から理解してました
奥様は業界の方だったとは。
知り合いのコアなSFファンに聞くと、家族サービスと趣味のSFの両立に苦労している人が多いようです。同じ趣味の人を奥さんにすれば一緒に行動できるのですが、絶対数が少ないですし(汗;)
「高二コース」掲載作の中では、「猫と交差点」(1971)が特に面白かったです。
測定装置と対象との間の相互作用を扱っていて、ニールス・ボーア氏の理論を思い出しました。このアイデアは当時科学畑では広く知られていたのでしょうか。
まあ「猫」なので“シュレーディンガーの猫”も思い出したのではありますが、この思考実験を最初に知ったのは、1972年の短編SF「シュレーディンガーの猫」(ル=グウィン)よりずっと後のことなので。
「科学朝日」か「自然」で読んだ記事がヒントだったかな。ただ、猫を使ったのは、シュレ猫ではなく、母が猫好きで、実家では猫の切れ目がなかったからです。
ネタ元はご実家の猫繋がりだったとは。
再録された一番長い『地球は青い宝石』は、昔読んだことがあって(腐海の海に沈んでますが)、アニメ『GAMERA -Rebirth-』を見た時に何か既視感があったのです。少年が主人公で、それを助ける組織と、惑星改造を企てる組織もあってと。まあガメラと青い宝石はずいぶん大きさが違いますが(汗;)
版元のペップ出版って、ググってみたらタレント本で成長した出版社みたいですね。
ペップ21世紀ライブラリー(全9巻)の中では『ざぶとん太郎空をゆく!』(かんべむさし)も読んだことがありますが、社内にSFに詳しい人がいらっしゃったのかなぁ……
ペップ出版の原健太郎さんがSFファンで、ヨコジュン(横田順彌氏)と仲がよかったんです。この方は、杉浦茂の復刻(全7巻)も手掛けられてます。88年にヨコジュンと三人で三鷹にお住いの杉浦先生にインタビューに伺ったことがあります。その後、くもん出版に移られましたが、大衆演劇研究の分野でも活躍されていて、多才な方ですね。
原健太郎さんって、ググってみると「【騒動社リターンズ】の広場」というのがヒットしました。懐かしいお笑いのレジェンドの方々の思い出等で溢れていて大変懐かしいです。
『地球は青い宝石』と並んで、『宇宙ランド2100』の目玉の一つが「幻のSF人形アニメの絵コンテ」(小松左京脚本、堀晃協力)です。堀先生の「幻の人形アニメについて」を読むと当時の熱気が感じられて大変面白かったです。当時の堀先生は大学二年生にも関わらず小松先生からスタッフ要員として声がかかったということは、そういう資質があると評価されてのことだと思います。
“発言量は小松さん10、眉村さん8に対して私は1くらいだろう”とも書かれてますが、全体の1/20の発言でも凄いことだと思いましたし、試しに書かれた脚本の粗筋も、そのまま学年誌掲載短編の梗概にできそうだし、後年の作風にも通ずるものがあるように感じました。
アニメとジュニアSFとは別物なんでしょうけど、少年の視点で書くというのは初めてだったので、勉強になりました。アニメは実現しませんでしたが、ジュニアSFには影響したと思っています。
『宇宙ランド2100』編者の北原尚彦先生には、以前「未来趣味」購入でお世話になりましたし、ご著書の『初歩からのシャーロック・ホームズ』とか『ジョン、全裸同盟へ行く』などは読ませていただいていますが、「編者解説」を読むと堀晃先生のようなハードSFを書くのが目標だったとあり驚きました。大学の卒論が「太陽風の噴出」というのも。
北原先生とは昔からのお知り合いだったのでしょうか。
北原さんとは、古典SF研究会のメンバーとして知り合ったてますね。ぼくは会員ではなかったので、ヨコジュンつながりです。ハードSF志向だったと知ったのはもっとあとでした。……原健太郎さんもそうですが、ヨコジュンのコーディネーター的な役割は大きかったんだなと、今になって実感します。
『宇宙ランド2100』では、その北原先生と盛林堂書房の小野純一氏の尽力で、表紙画が加藤直之画伯、装丁デザインが岩郷重力氏とオールスターキャストで申し分の無い仕上がりとなっていますね。
いやまったく(こんなこというと盛林堂さんに悪いのですが)どちらかといえばマイナーな出版の表紙画とデザインを引き受けていただけるとは、ただ感激です。
盛林堂さんのサイトに行くと、「一人一冊」と書いてあって、欲しい人全員には行き渡らないんじゃないかと心配です。現在アマゾンからは購入できなくなっているし。
今回のインタビューにあたって、『マッド・サイエンス入門』(1977~78年、SFマガジン連載)を読み返したのですが、論理の組み立てとか、SF的な構築方法等、これで学んだことをベースとしてSFを読んでいることに気がつきました。
これを機会に堀先生の著作で絶版になっているものが再版されることを期待してやみません。