第1回 裸者と死者の奢り


 ひゅっというかすかな風切り音を残してダーツが射出された。ノクトビジョンのざらついた画面に重なって白色の格子と緑色に光る放物線が現れ、赤く点滅する目標に近づいていく。目標の数は10個、カオル君が狙ったのは右上から3番目の兵士、塹壕から身を乗り出して最初に発砲してきたやつだ。目標にズームインしてみる。優秀な狙撃兵なのだろう、ダーツの気配を察して、ライフルの筒先をまっすぐこちらに向けてきた。ノクトビジョンの感度を上げる。恐怖と憎悪に見開かれた目がぎらっと光り、ライフルのトリガーが今まさに引き絞られようとした瞬間、(ざーんねん)カオル君のつぶやきと同時にカオル君の放ったダーツは過たず敵兵の眉間にヒットしていた。
「命中」
 乾いた合成音声が株式概況でも読み上げるような調子で淡々と中継する。
「ターゲットのバイタルサインすべて低下中…収縮期圧100、心拍数50、呼吸数12で安定…捕捉完了」
 ダーツの先端に仕込まれたセンサーが血液の分析を終え、機能を停止した。インスリンとバルビツール酸化合物と鎮静剤のカクテルを注入された目標は急激な低血糖のため意識を失い、次第にゆっくりと明滅する黄色の光点に姿を変えながら脳死へと向かっているはずだった。視野をパンしてみる。作戦開始後きっかり5分で、フィールド全体に散らばっていた赤い点はすべて黄色か緑に変わっていた。反撃と呼べるほどの反撃はなかった。羽根の角度を変えながら複雑な軌道を描いて飛んでくるダーツの発射地点をとっさに割り出すのは不可能だし、ダーツが刺さった当人は声を上げる間もなく昇天してしまう(カオル君はダーツの軌道を曲げるのが嫌いでいつも真っ向勝負を挑むのだったが)。仲間のカタキとばかり立ち上がった敵が血眼になって探しても、背中を丸めた攻撃体型で地面に転がっているシムは岩かアリ塚としか見えないはずだし、よしんばまともに銃弾を食らったとしてもシムの全身を覆う特殊装甲が難なくはじいてしまう。あっけないほどの戦いだった。
「OK、作戦終了。回収作業に移る」
 ネコタ隊長が例によって耳障りな声を張り上げる。どんなにボリュームを絞っても細目の紙ヤスリで神経を逆なでされるような違和感は薄れない。(細目っていうのがミソなんだよな)カオル君はひとりごちた。等倍に戻った視野の中で、白く輝く宇宙人みたいな6体のシムが戦闘体型を解いて立ち上がり、のろのろと敵のアジトに向かって歩き出した。白く光って見えるのはコンピュータ処理のせいで、実際には肉眼でも赤外線スコープでも見つけにくい迷彩が施してあるはずなのだが、お互いのスクリーン上では敵と誤認することがないよう、くどいくらいに目立つ姿だ。標的は一掃されたがアジトの周辺には無数のトラップが残っている。カオル君もマニュアルにしたがってトラップを取り除きつつながらそろそろと前進した。戦闘モード解除とともに自動的に聴覚のレベルが上がり、夜闇にすだく虫の音がいっせいに押し寄せてきた。都会では聞くことができなくなった、分厚い音の塊…たぶん日本のものとは違うはずのひとつひとつの鳴き声を聞き分けようとしても無駄だった。(こんな虫の音を前にも聞いたことがあったっけ、あれはどこだったろう)父親の仕事の都合で半年だけ過ごしたI県の田舎でのことだったろうか…
 敵の兵士たちはいつものように安らかな寝顔を見せて横たわっていた。額や首筋に突き立ったダーツがなければ酒盛りのあとで眠りこけているようにしか見えない。みんな驚くほど若くてヒゲもすね毛もほとんど生えていない。マニュアルに従い携帯脳波計で脳波の平坦化イコール脳死を確認してから衣類をはぎとり、ざっと消毒してから死体搬送用のプラスチックバッグに詰め込む。上空に待機していた飛行船がかすかなモーター音を響かせながら降下して来た。死体は敵国軍に引き渡され、故国へ送られるのだという。最初のうちは気味が悪くて吐きそうになった通称「死体洗い」にもいつしかすっかり慣れてしまった。死体を扱うときはスクリーンがモノクロの最低解像度になるし、荷重のフィードバックが10分の1ぐらいに調整されているから、マネキン人形を扱っているようなものなのだ。それよりなにより、シム・オペレータのところには匂いが届かない。血と汗と、甘ったるい熱帯の花や果物の匂い、たちまち腐りはじめる肉の匂い…ぼくたちはそんなものとは無縁だ。
「なあおい、なんとも人道的な軍隊じゃないか、おれたちは」
 またしてもネコタの説教だ。用事が済んだらさっさと解放してくれればいいものを、この小隊長ときたら帰りのホームルームよろしく、何かしらひとことコメントしないと気が済まないと来ている。おまけに小隊長の訓話だけは音量調節が効かなくて、いやでも聞かされることになっているのだ。
「おれたちは略奪しない。金品を奪ったところで国に持ち帰ることができないからな。重火器を使わないから環境を汚さないし、戦争につきもののレイプにいたってはやりたくてもできないときている。シムには余分な道具がくっついてないからな」
くくく、と下品に笑う声にまぎれて、誰かがかすかに舌打ちする音が響いた。もちろん隊長にも聞こえたのだろう、やや間をおいてかすかな怒気を含んだざらざら声が「解散!」と告げた。

 復原〜原状復帰の略語だが、現実復帰といった方がいいかも知れない〜の際にはいつも軽いめまいと吐き気に悩まされる。シムへのジャック・インは割と速やかに行えるのに対して、シムからの離脱は徐々に行わなければならないとされていた。潜水作業になぞらえて減圧時間と称される完全離脱までの時間を、カオル君は冷や汗を流しながらじっと耐えた。予定より早く終わったオペレーションでさえ減圧がこんなにきついのだから、限界ぎりぎりまでねばったらどうなるか、想像するだけでも恐ろしかった。カオル君はもともと乗り物に酔いやすいタチなのだ。
 クロダ=イノウエの限界として知られるVR環境の適応限界は、個人差はあるもののおおむね12時間とされていた。この限界を越えてシムとの接続を続けると神経回路に非可逆的な損傷を生じて原状に戻ることができなくなるとマニュアルにはあった。ネコタのような古参兵の中にはそうした「亡霊」が混じっているという噂だった。本物のネコタはひからびたミイラみたいな姿で自衛隊病院のベッドに横たわり、気管と血管、胃と膀胱に突っ込まれた管で生命維持装置につながれたまま、一日24時間一年365日不眠不休で戦略システムの中をさまよっているのかも知れなかった。もちろんそんな姿にあこがれているわけではないのだが、カオル君にしてみれば一日8時間の勤務は短すぎて物足りなかった。このめまいや吐き気と例の限界さえなければ、そっくりそのままシムの世界に引っ越してしまいたいと思うことさえある。シムを操作している間は貧弱な人間の身体を脱ぎ捨てて力強く敏捷に動き回れるし、食べたり飲んだり排泄したりといった日常のわずらわしさを忘れられる。そしてなにより魅力的なのが戦闘だ。知恵を絞って獲物を追い詰め、一撃で仕留める快感はなにものにも換えがたいし、ナイフを持った敵との接近戦は格闘ゲームの興奮に満ちている。そう、シムのオペレーションは極上のゲームであり、殺伐とした日常よりもずっと活気に溢れた現実以上の現実なのだった。
カオル君は右腕に目をやった。ワイヤーとスプリングの束みたいに黒光りしてたくましいシムの腕の輪郭の中に、茶色い毛がまばらに生えた自分の腕が現れ始めていた。シムからのフィードバックのおかげで、前よりはずいぶん太くなったような気もするが、やっぱりどうしようもなくみっともない。アメコミのヒーローみたいなシムの頭部のイメージがかげろうみたいに揺らいで消えると減圧終了を告げるチャイムが鳴った。
 鏡に映っているのはくぼんだ目の下に隈をつくったいつもの自分の顔だ。舌打ちしながら水泳帽そっくりのスカル=キャップを脱ぎ捨て、カオル君は支給品の長いすから起き上がる。水をかぶったみたいに汗でぐっしょりだ。肌に貼りつくレオタード型のユニフォームをやっとのことで脱ぎ捨て、丸めて専用の袋に放りこむ。3交代の勤務クール中は毎日軍の回収車がキャップと下着を取りに来る。なんでも汗の成分まで分析してオペレータの健康管理に努めているそうだが、ご苦労なことだ。シャワーを浴びてさっぱりしたところにバスローブをはおり、ミネラルウォーターを片手に端末の前に座ったときにはスクリーンセイバーの時計が4:28を指していた。カオル君の気配を察知した端末が最初の戦況広報を流し始める。
「本日午前3時40分、我が平和維持軍特殊介入部隊はカオシュン山中にて敵の偵察隊と遭遇、これをせん滅しました。我が軍の被害は皆無であり、これにより戦況は…」
 おお、これってうちらの戦果じゃん。お気に入りのアイドル、ムトウマリカちゃんがたどたどしく読み上げる報告をビデオクリップとして端末に保存しながら、カオル君は満足げにつぶやくのだった。

(第2回に続く)


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