第6回 海から来た機械


(どうしてこんなことになったんだろう)
 例によってモノクロに変わってしまった画面を食い入るように見つめながらカオル君は呟いた。画面の中央にはもはや機能を停止したシム、禄号機が胸の真ん中に開いた穴からどぼどぼと真っ黒なオイルを流していて、そのオイルはシムが覆い被さったベッド中を汚している。シムの両手はベッドに横たわった患者の首をしっかり締めつけていて、(たぶん)青黒く変色したその顔からは巨大な舌が飛び出している。カオル君はこみ上げてくる吐き気を必死にこらえていた。シムの操作に入る前3時間は絶食しているから、たとえ吐いたとしても少量の胃液でヘルメットの内面がすっぱ臭くなるくらいのものだが、もちろん吐かないに越したことはない。死体なんか見飽きているから、例えば死体の表情が気持ち悪くて吐きそうになったわけじゃない。死体が置かれている状況があまりにも異様だから胃がひっくり返りそうになるんだ。他殺体なんか見慣れているさ、でもこれは自殺なんだから… ネコタの操るシムがどこからともなく現れ、枕元に置いてあった4つ折のガーゼを広げて死体の顔にかけてやっている。あいつは自分が操縦するシムに首を締められて死んだのだ。
「シムは呪われたまがまがしいシステムなんだ」
 さっきからカオル君の頭の中でエンドレスに再生されているのは誰の言葉だったっけ。呪われている…本当にそうかも知れない、だとしたらどこでお祓いしてもらったらいいんだろう? 

 オペレーションは唐突に幕切れとなった。今回ばかりはネコタの説教もなくそのまま海軍病院で現地解散となり、復原につきものの吐き気とのダブルパンチに脂汗を流して耐えながら、カオル君はようやくさっきの言葉を発したのがこのあいだ家を訪ねてきた幼なじみのヒカルだったのを思い出した。あの時ヒカルはただ漠然とシム・システムにまつわる胡散臭さを指摘したのだったが、カオル君はなんだかヒカルが今回の事件を予言していたような気になっていた。いいやそもそも、あいつがあの時あんな話をしなければ、こんなことは起きなかったに違いないんだ、カオル君はやり場のない怒りの矛先をヒカルに向けて、しばし吐き気を忘れていた。

「実は俺、お尋ねものなんだ。グリーン・アースっていう組織で反戦活動しててさ。ほんとはこんなことしゃべっちゃいけないんだけどね。カオリンにだけは嘘つきたくないから」
 カオル君の部屋に通されるなりヒカルはヘビーな話題を繰り出して来た。盗聴されているのは承知の上だ。今ごろは一緒に来た仲間が屋根の上に陣取って盗聴用の周波数に割りこみ、あたりさわりのない会話を収録したダミー情報を流しているはず。
「えーそんな、いきなり反戦なんて言われても困るよぉ。ボクだっていちおうソルジャーなんだぜ」さりげなくソルジャーのソの字にアクセントを置きながらカオル君は答えた。
「だからこそ来たのさ。時間があまりないから手短に言うよ。グリーン・アースは目下シム・システムにいちばん注目しててさ、全力を上げて情報を収集すると同時に、なんとかしてシステム全体をご破算にしたいと考えているんだ」
「ご破算って…爆破しちゃうとか?」
「あるいはね」ヒカルはいったん深ぶかとソファに身を沈めながら言った。表情は穏やかだが目が本気だ。「できれば秘密を暴いて世界中に公表したい。我々だってあんまり手荒なことはしたくないからね。でも、それができないとなれば…」ぱん、と軽く手を叩いて見せる。
(うわー我々だって、なんか本物っぽいぞ)
「物騒な話だなあ。でもボクは単なるオペレータだから、公表されている以上のことは知らないよ」今度はレの字にアクセントを置きながらカオル君が答える。
「シムのデータは恐ろしく厳重に管理されててね、我々には手の出しようがない。でも我々が知りたいのは数字なんかじゃなくてちょっとしたヒントなんだ」
「ヒント?」
「そう、たとえばカオリンがシムを操縦していて感じる微かな違和感みたいなもの」
「違和感って言ったって、そんなもの機械の操作にゃつきものなんじゃないの?」
「機械…ね。カオリンはシムが単なる機械だと思う?」
「え?」カオル君は絶句した。
「俺にはそうは思えないんだ。シムは単なる操り人形じゃないよ。たとえばゴーレムとか、ピノキオみたいなものかも知れない。学習する機械、魂を持った機械とかね。あるいは俺はこんなふうに思うんだ。シムとオペレータはふたつでひとつ、あるいはそれ以上のものなんじゃないかって」 
「わからないなあ」(天才の考えることってやっぱ普通じゃないや、ついてけないっす。ピノキオって言ったらあの鼻がペニスみたいに勃起するあぶない奴だろ、でもゴーレムって何?)
「うん、実は俺にもよくわかってない。でも、シムには妙なことが多くてね」
「たとえば?」
「たとえば…そうだな、零式のシムは形にばらつきがあってみんな大型なのになぜ最近のやつは小ぶりなのか、とか」
「それはさあ、零式はプロトタイプだから、いろんな会社の試作品の寄せ集めなんだよ。最近のは量産体制を敷いているし、技術が進んで小型軽量化に成功したんだって」
ヒカルはカオル君の説明をろくに聞かず、うつむいて自問し続けている。
「なぜシムの指は5本なのか? 3本でも4本でも機能的には問題ないのに? それにあの献体条項は何なんだ」
「…何じょーこー?」(上皇それとも情交?)
 ようやくヒカルは顔を上げた。
「政府との契約書さ。おしまいの方に、『万一オペレータがシムの操作中に不慮の死を遂げた場合には病理解剖に附すこととし、解剖後の死体は研究用に提供されるものとする』ってあるじゃないか。カオリンってば覚えてないの?」
「ああ、あれね(全然覚えてないぞ)」
「あれってまるで人質を取ってるみたいじゃないか。何のために?」
 ヒカルはまじまじとカオル君の目を覗き込みながら言った。
「とにかくシム・システムには胡散臭いところが多いのさ。呪われてる、とか禍禍しいシステムだとか、とかく噂が絶えなかったんだぜ。カオリンには悪いけど」
「噂って、どうしてヒカリンはそんなに詳しいのさ」
「俺、シム・オペレータのリクルートプログラムを担当するプログラマだったんだ、この間まで。プログラム部門の他の連中が次々におかしくなっちゃうもんで気味が悪くなって辞めたんだ」

 ヒカルはその後、何かの緊急連絡が入ったとかであたふたと帰っていってしまった。「ま、そんなわけだからさ、何か気づいたことがあったら連絡してよ、俺は○○にいるから」と、連絡先の住所を口走っただけで。電話番号もメールアドレスも、そもそも連絡先の住所さえ紙に書いて残さなかったのはいかにも活動家らしかった。呪われてるなどと言われてはさすがのカオル君も少々気分が悪かったが、ヒカルと入れ替わりに最近ご執心の女の子たち、エチルちゃんとミチルちゃんが訪ねて来たのでゲン直しとばかりに早速ご乱交に及ぶとそんな気分もすっ飛んでしまったのではあった。

     *                           *

 そしてあの事件だ。電波の入りが極端に悪い、地形の込み入った山岳地帯で扇状に散開して索敵にあたっている最中に、いきなり禄号機が暴走したのだ。通称「臍の緒」と呼ばれている通信用ケーブルを引きちぎってやつは走り出した。遠くからだったが直接目撃した同僚の話では、まるで何か大きな手につまみあげられているみたいに、軽々と跳ねながらすごい勢いで山に入っていったらしい。わけのわからないことを叫びながら。カオル君はディスプレイ上の光点が弱々しく明滅しながら画面のはじに消えていくのを見ただけだった。何が起きたのかしばらくは誰にも見当がつかなかった。「脱走だ!」と弐号が叫んだときにようやく小隊の全員がむりやり納得したけれど、志願兵ばかりの軍隊で、しかも遠隔操縦のシムが脱走するなんてあんまり変じゃないか。バックアップ用の通信気球は上がっていたけれど、あんな電波の状態ではケーブルなしで遠くに行けるわけがない。通信が途絶えればシムは停止するしかないんだから、ゆっくり探しに行けばいいや。誰もがそう考えたが、ネコタ小隊長だけはなぜか大慌てで禄号機の後を追うように命令を下したのだった。通信が途絶した地点を中心にぐるっと描いた円を縮めながらくまなく探索したが、禄号機は見つからなかった。とりあえず我が軍初のMIA(missing in action)だった。

 禄号機が姿を消してから12時間後にオペレータは横須賀の海軍病院に収容された。もよりの病院だったからという噂もあり、横田のほうが近かったのにわざわざ移送したんだという噂もあって真相は藪の中だ。そもそもオペレータの居所は公開されていないから知りようがないのだが、カオル君はわざわざ説の方が正しいと信じている。軍は行方不明になった禄号機が海から上がってくることをなぜか予想していたのだ。
 病院に収容された時のオペレータの状態はひどいものだったらしい。これも噂でしかないのだが、電子カルテにそう記載されていたという情報が流れていた。オペレータ(オペレートレス?)は女性だったらしい。しかも、自分でも知らないうちに妊娠していたというのだ。自宅の操作室で倒れていた彼女は口から泡を吹き、尿便を失禁し、股間からは血を流していた。流産だった。流産のショックで発狂したのか、それとも発狂してむちゃくちゃな操作をしたから流産したのか、今では知るよしもない。病院のベッドに縛り付けられ、大量の鎮静剤を打たれても彼女は眠らずに海を見据えていた。はるばると海を越えてやってくる自分の運命を待っていたのだ。
 小隊長のネコタと、射撃の腕を買われたカオル君のふたりが禄号機オペレータの「警護」にあたることになり、ふたりの操作するシムが急遽戦場から呼び戻された。「暴走」した禄号機がオペレータのところに帰ってくる可能性があるというのがその理由だった。通信が途絶えたシムなんて糸の切れた操り人形に過ぎないはずなのに、それがどうして方向ちがいの日本にやってくるというのか、それもまっすぐオペレータ目指して? 帰巣プログラムでもインストールしてあるってわけ? もちろん質問は一切許されなかった。カオル君たちはひたすら待ちうけ、任務を遂行するだけだ。海軍の兵士たちはひとりも作戦には加わらなかった。シムの不祥事はシム自身で解決するしかないのだった。
 そしてやつは海から上がってきた。汐に焼け、背中に点々と藻屑をつけて。ネコタの操るシムが猛然とタックルをかけたが、禄号機はあっさりとそれをすり抜け、2階の病室まで軽々と飛んだ。派手に窓ガラスを飛び散らせながら病室に飛び込んできたそいつを目の当たりにしても、カオル君はまだ夢を見ているようで身動きできなかった。暴走なんてとんでもない。禄号機はまぎれもなく、カオル君の前に横たわる病人が操作しているのだ、それだけは確信できた。自分は身体を動かすことなしに? そうさ、テレパシーとでも呪術とでも好きなように呼ぶがいいさ。窓から射し込む夕陽の逆光を浴びたシムは異教の神像みたいに見えた。神は病人の額にくちづけるかのように一瞬身をかがめ、それからゆっくりと両腕を病人の首に伸ばした。その時はじめてカオル君は自分が対シム用に改造された対戦車砲を手にしていることを思い出した。
「胸のど真ん中をぶち抜け。そうすればシムは停まる」
 背後からネコタの指令がひびく。それともこれは幻聴だろうか? のろのろと狙いを定める九号機の動作に気づいたのか、首を締められ涙とよだれを流している病人がこちらを振り向き、ささやくような気がした。
(こ・ろ・し・て…早く!)
 誰を? オペレータを? シムをあるいはカオル君自身を?
(シムとオペレータはふたつでひとつ、あるいはそれ以上のものなんじゃないか)
 誰が言ってるんだ、いやきっとこれも幻聴に違いないと思いつつカオル君はゆっくりと引き金を引き、特殊装甲弾の反動を肩で受けとめた。ディスプレイの解像度が急に下がり、画面がモノクロになる。禄号機の胸にぽっかりと開いた穴から驚くほど大量の液体が噴き出して来るのを見つめながらカオル君はひとりごちた。
(どうしてこんなことになったんだろう?)

(第7回に続く)


「在宅戦闘員」のTopページへ