第8回 ショット・バイ・ミステイク


 母親のあんな表情を見るのは初めてだった。決死の形相とでも言うんだろうか。階段を上がってくる足音もノックの音さえもいつもとは違って断固としていて揺るぎがなかったから、軍からの使者が来たかと勘違いしたほどだ。
「カオル、今からヒカル君のお葬式に行くから着替えなさい。下で待ってるからね」
 有無を言わせぬ口調だった。唇にも頬にも血の気がなく目だけが血走っている。オンラインの貸し衣装屋からでも調達したのか、ダブルの黒いスーツと黒いネクタイ、白いシャツ、黒い靴と靴下を投げ出すように置くとどすどすと階段を下りていってしまった。
 何事が起きたのか理解するのに時間がかかった。ヒカルって、あのヒカル? いきなり葬式って何なんだよ。ヒカルが死んだってこと? どうして? そもそもなんだってあの人がそれを知ってるわけ? ぴかぴか光る頭からクエスチョンマークを鈴なりに生やしながらベッドから立ち上がり、お葬式セット一式を手に取る。
(泣いてたのかな、あの人)
 せめてもの抵抗にのろのろと着替えながらカオル君はつぶやいた。そういえば母親が「さん」をつけずに彼のことを呼ぶのも久しぶり、というか記憶にないことだった。スーツは身体にぴったりで、少したるんだお腹がきつくないのがちょっと悔しかった。

 タクシーから降りたカオル君はポケットに突っ込んで来た毛糸の帽子をかぶった。天気はうす曇りだが木枯らしが冷たい。帽子を編んでくれたパルコちゃんとは月が変わったらどういうわけか連絡が取れなくなってしまった。それでも帽子は気に入ったので当分愛用するつもりだった。黄色いスキー帽はどう見てもスーツには似合わなかったが、ミカはちらっと一瞥したきり何も言わずに足早に歩き出した。カオル君はすぐに、おそろいのマフラーをしてこなかったことを後悔していた。目的地への地図は覚えて来たのだろうか、迷わずに先を急ぐ母親は黒いワンピース一枚に手袋もせずコートさえ羽織っていない。

 住宅街のはずれの小さな一軒家にたどり着いたときにはミカはすっかり息を切らしていた。迎え入れてくれたヒカルのおばさんは昔とちっとも変わっていないみたいだった。背が高くって声に響きがあって美人で、ヒカルがうらやましかったのを思い出した。アンティークのライティングデスクが置かれた奥の小部屋に遺影とろうそくと花輪だけの祭壇がしつらえてあった。棺らしきものは見当たらない。最後のご対面があるかとどきどきしていたカオル君は少し拍子抜けだった。葬式ってこんなに簡単なものだったかな。そもそも親戚や友人知人の姿が見えないじゃないか。カオル君の疑問を察したかのようにヒカルの母親、ユキが口を開いた。
「実はまだ誰にも知らせてないのよ。知らせるっていっても遠い親戚ぐらいなんですもの」
 見よう見真似でミカに続いて献花を済ませるともう何もすることがなかった。ミカとユキが声をひそめて語り合っているのをソファでぼんやりと聞きながらふと見上げると天窓があり、雲からまっすぐこちらに伸びるヤコブの梯子が見えた。なんだかちっとも実感が湧かないし、悲しい気分にもなれない。何年も会わずにいて、突然この間現れたと思ったらすぐに姿を消してしまったんだもの。またいつかひょっこり出てきそうな気になるじゃないか。あ、これヒカリンの好きだった曲だ。低い音量で流れているサティのピアノ曲を聞きながらカオル君はうつらうつらしだした。

(…そうなの、事故に巻き込まれて…それはひどい爆発で…骨さえ残らなかったって言うのよ…まあ、なんてこと…溶けかけたベルトのバックルが届いただけ…でも来てくれてうれしいわ…発つ前に一目会っておきたかったの、だってカオル君はヒカルの分身みたいな…しっ、静かに!)

 はっと目を覚まして振り向いたカオル君は唇に指を当てているミカに気づき、食い入るようにこちらを見つめるユキの視線にどぎまぎした。ユキがはっと目をそらした。分身? たしかそう言ったよね。親友…っていうほど親しかったわけじゃないしなあ。 

「ねえ、カオルさん」
 帰る道すがら、前を向いたまま突然ミカが切り出したのでカオル君は「んあ?」という間抜けな声を出してしまった。
「何さ」
「…何でもない。お仕事、気をつけてね」
「気をつけてったって、在宅勤務なんだからさ、地震で家が倒れるとか雷が落ちてくるとかしない限り大丈夫だって」
「そう、そうよね。でも気をつけてちょうだい」
 それきりふたりは黙りこんだ。

 家に着き、清めの塩をふりかけてもらって靴を脱ぎ、階段を上がりかけたところで今度はカオル君が口を開いた。
「爆発ってなんのこと?」
「…聞こえてたのね。こないだ小型原子炉の事故があったでしょう」
「過激派がプルトニウムを盗もうとしたとかいう話?」
「しっ、大きな声じゃいえないけど、ヒカル君もそれに加わってたみたいなのよ」
 放射線研究所のミニ原子炉を盗みに押し入った連中が操作を誤って極小規模の核爆発を起こし、ひと部屋がまるごと消えてなくなり半径100メートルが汚染されたとかいう話だった。それなら死体がないのも無理からぬ話だ。それにしてもあいつ、そんなに物騒な組織に絡んでたのかなあ。そんな風には見えなかったけど。カオル君はベッドに寝転がってしばらく物思いにふけった。

              *          *

「気をつけ!」
 ネコタ小隊長の操る零号機が準備室の戸口に現れたとき、カオル君たちは武器の調整中だった。全員がその場で立ち上がり直立不動の姿勢を取る。
「新たに投入された禄号機だ。入れ」
 零号機のあとに続いてやや大型の真新しいシムが入ってきた。傷ひとつないぴかぴかのボディの左胸に鮮やかなグリーンの「6」がペイントされている。
「よろしくお願いします」
 今度のオペレータも若い女性らしかった。敬礼をひとつして、壱号機から順に握手していく。その姿を眺めながら、カオル君は何かが胸につかえるような気がしていた。デジャブだろうか。ずっと前にもこんなことがあったような気がする。握手の順番が近づいてくる。そう、あれは小学校時代だ。あの学校には転校性がクラスの全員と握手して回る習慣があったのだった。カオル君の脳裏に、転校してきたヒカルと初めて握手したときの記憶がまざまざと蘇ってきた。どうして今ごろこんなことを思い出すのだろう。
「よろしく」
 はっとして見上げると禄号機がかすかに首を左に傾げながらさっと手を差し出すところだった。このしぐさ、このタイミングはまるであの時のヒカルそっくりじゃないか。そしてヒカルだったら…

(ローマ時代に迫害されてたキリスト教徒はある特殊なやり方で握手したんだってさ。相手が信者かどうかすぐにわかるように。ぼくたちもそんな合図を作ってみない?)

 握ったてのひらに何かが当たり、まるでノックするかのように押しつけられるのを感じてカオル君はあっと叫んで手を離し、一歩飛び下がった。禄号はけげんそうに自分の手を見ている。カオル君もその手を注視すると眼筋の緊張を察知したカメラがズームし、視界にシムの手が大写しになった。てのひらには中指が折り曲げられている。

 あの握手のしかたはヒカルとふたりで決めた合図だった。ぼくたち以外誰も知らないはずの… 意味は何だったっけ? タスケテ? アトデアソボウ?

「どうかしましたか?」
 禄号機がまた手を差し伸べてきた。今度は中指を伸ばしたままだ。握手しなおそうとしたカオル君は自分が左手にまだボウガンを持ったままなのに気づいた。

(撃ってよ)

 ヒカルの声が脳裏に響いた。そんなばかな、と思うまもなくボウガンを持ちかえて水平に構ていた。トリガーに指がかかる。

(撃つんだ)

 異変を察知した周囲のシムが殺到してくるよりも一瞬早くダートが放たれ、禄号機の胸に命中した。爆薬は装填していないが対戦車用の徹甲弾だ。シムの特殊装甲を破って6の字のマルの中心に深深と突き立った。ボウガンを叩き落され、数人がかりで床に組み敷かれながら、カオル君は禄号機がゆっくりと膝をつくのを見た。
 画面がぶれたかと思うといきなり全感覚が遮断された。強制終了されたらしい。無音の暗闇にぽっかり浮かんで復原を待ちながら、カオル君はてのひらに残る握手の、そしてトリガーの感触を反芻していた。なぜ撃ってしまったのだろう。命令されたから、というか頼まれたから? ヒカルの幽霊でも出てきたのか? 違う、そうじゃない。

 あれはヒカルだったんだ。

 突然すべてが了解された。ヒカルが言っていた「禍禍しいシステム」の意味が今ようやくわかった。シムは機械じゃない。サイボーグ化された死体なのだ。ヒカルはたぶん殺されてシムに改造されてしまったのだ。死にきれなかったので殺してくれと頼んだのだ。やがてカオル君を包む漆黒の暗闇に熱い光点がふたつ現れた。またふたつ、ぽつり、ぽつり、次々にいくつも。それが自分の涙だと気づくのに永遠に近いくらいの時間がかかった。ずっと以前、敵兵の遺体の袋詰め作業にいそしむカオル君にネコタが話しかけてきたことを思い出した。

「なあゲームチャンピオン、将棋がチェスより高級なゲームなのはなぜだ?」
「高級、ですか」
「ああ。手を休めるなよ」
「わかりません」
「分捕ったコマを使えるからだよ」

 そうだ、あの兵士たちは国に送り帰されたわけではないのだ。分捕ったコマとしてまた戦場に戻されたのだ。きれいな戦争だって? どんでもない。ぼくたちは考えられるかぎりいちばん汚いやり方で死体を狩り集めていたのだ。ぼくは人殺しよりもひどいひとでなしだ。ぼくは…

 うええっと声を出してカオル君はヘルメットの中に少量の胃液を吐いたが、味覚も嗅覚もまだ回復していないため逆流した胃液でつんと鼻が痛んだだけだった。食後だったら窒息死していたところだ。いつしかカオル君は涙と鼻水とよだれを盛大に垂らしながら号泣していた。その声はカオル君自身には聞こえず、防音ドアを隔てた階下で仕事に没頭しているミカにももちろん届かなかった。

             *           *

「報告します。禄号機の損傷は胸筋、肋間筋と胸膜、肺の一部に留まっており、2週間程度で修復可能な見込みであります」
「ほお、その程度で済んだか」
「は。通常なら心タンポナーデを起こして危ないところでしたが、たまたま禄号のドナーが全内臓逆位でして、つまりは心臓が右側にあったために助かりました」
「暴走したオペレータは」
「自宅謹慎中です」
「これも例の共鳴現象の一部なのかね」
 毎度のことながらこいつとは話しづらいな、セキ中将は内心ひとりごちた。映話のスクリーンは切ってあった。表情のないシムを見ていると狛犬に話しかけているような気がしてくる。
「いえ、軍部精神科医の見立てではストレスによる一時的な精神錯乱に過ぎないとのことでした」
「処分はどうする」
「時期を見て永久オペレータ化を図ります」
 また狛犬が増えるのか、中将は舌打ちした。シムは順調に増産されているが、これではオペレータのなりてがいなくなってしまう。オペレータの人権などと言い出す輩がおるからな。早いところ中東にでも売り飛ばすのが上策だろうて。
「なんでも2度目のニアミスだそうじゃないか」
「面目ございません。DNAタイピングの結果到着が遅れまして」
「まあ、あれだけ見かけが違っていれば無理もあるまい」
「まったくです。どう見てもクローンとは…」
「表現形はともかく、遺伝子上は同一人物だからな、何かこう互いに引き合う力が働くのかも知れんぞ」
「乾雲と坤竜ですか」
「古いな。『ホワイト・パイロット』でも読んだらどうだ」
「はあ」
「昔のSFだよ」
 シム部隊との回線を遮断して立ち上がったセキ中将は後ろ手を組んでぶらぶらと書斎に入り、机に向かった。
「ビューア」声に応じて液晶スクリーンが起き上がった。
「オサム・テヅカの『ホワイト・パイロット』を掛けてくれんか」DVDジュークボックスからディスクが読みこまれ、やがて古い単行本の表紙がスクリーンに現れた。
「ブラウズ」ぱらぱらとページが繰られるのを「ストップ」で停止し、セキはしばらく画面を眺めていたが、うなずいて書斎から立ち去った。ややあってビューアの画面が消え、ぱたんと倒れて机の模様と区別がつかなくなった。

(思ったとおり単なる双子の話ではなかったな。分身製造機とはな)

 『ブリーダー』は希代の詐欺師だったが、ある意味では天才的な学者だった。受胎請け負いと称しながらその実は自分のクローンを高額で売りさばき、しかも顧客からのクレームは皆無だったというのだから、詐欺とさえ言えんのかも知れない。やつのすごいところは同一の遺伝子セットから表現形の異なる多種類のクローンを産み出す技術を持っていたところだ。『ブリーダー』はその技術情報と引き換えに釈放されて今ごろは南洋でのんびり暮しているはずだった。軍はようやくその技術の実用化に成功しつつある。完成すればさまざまな特殊技能を持った理想的な兵士を量産できるだろう。そうなれば共鳴現象のためにケチがつきだしたシム計画などお蔵入りにしてやる。そうなれば、狛犬たちも御用済みというわけだ。セキ中将はくつくつと忍び笑いを漏らした。

(第9回に続く)


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