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- SF的言語入門(その2) エジプト・メソポタミアの文字編 -

おおむらゆう

SFって架空の言語が出てくるけど、架空の言語を作ったりその雰囲気をわかろうとしたら本物の言語について知ってた方がいいよね、 とばかりに180号ではSF言語学と称して海外のいくつかの言葉の特徴の触りだけ紹介しました。

今回はそれに引き続いて文字編の1回目をやってみたいと思います。


さて、文字の世界と言っても、世界にはかなりの、しかも系統が違う文字が大量にありますので、 最初は定番の(?)のメソポタミアとエジプトの文字について話してみましょうか。

エジプトのヒエログリフ hieroglyph はとてもわかりやすく絵文字だということが分かりますね。

でもエジプトの文明が紀元前30年にプトレマイオス朝 Πτολεμαῖοι で滅んでしまってから、 その読み方、というかこれが文字なのかどうかまで分からなくなってしまいました。

プトレマイオス朝はアレクサンダー大王 Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας の帝国が分裂した後にできたエジプト王朝ですが、 エジプトの文明を引き継いだ最後の王朝となりました。最後の女王がかの有名なクレオパトラ7世 Κλεοπάτρα Ζ' Φιλοπάτωρ ですね。 クレオパトラはローマの独裁官 dictator カエサル Gaius Julius Caesar と恋に落ちますが、 カエサルが殺害されると今度はアントニウス Marcus Antonius に乗り換えます。 そして最後はカエサルの養子で初代ローマ皇帝のアウグストゥス Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus との争いに敗れエジプト文明は滅びました。

ちなみに、当初のローマ皇帝はカエサルの一族であり後を継ぐものであることを示すためにカエサルの名前を継いでいます。 転じて、後の世では皇帝のことをカエサルと呼ぶことがあって、ドイツ語のカイゼル Kaiser はカエサルから来ています。

さて、なんでエジプト最後の王朝のことを延々と説明したかというと、これがエジプトのヒエログリフが解読されるきっかけと関係が有るからです。

ロゼッタストーン Rosetta Stone と呼ばれる文字が刻まれた石板が発見されたのはかのナポレオン皇帝のエジプト遠征の折のことでした。

ロゼッタストーンにはヒエログリフと、後にデモティック Demotic と呼ばれる文字、そしてギリシャ文字が刻まれていました。

ヒエログリフはかなり欠損した状態だったのですが、カルトゥシュ cartouche と呼ばれる文字列を囲んでいる図形が固有名詞を表すという仮定のもとに、 ギリシャ文字との比較からプトレマイオスの名前を同定することができました。

同じ文面が既知の言語で書かれていたことが、ヒエログリフの解読のきっかけとなったのです。


ヒエログリフはご存知の通り一つ一つの文字が絵文字になっています。

文字は縦にも横にも並べることができるのですが、横に並べた時に面白い特徴が見られます。

人物などは横向きに描かれているのですが、人物が向いている方から読むようになっているのです。 つまり古い日本語の文章みたいに右から左に読む場合と、アルファベットのように左から右に読むこともあるのです。

ちなみに古い日本語のは、縦に書くときに行を右から左に書きますが、その1行の長さが1文字なんだと思えば良いです。

ついでにエジプト語と同じ系統の言葉とされるアラビア語やヘブライ語は文字を右から左に綴ります。

文字の研究とともに言語の研究も進みました。エジプト語はハム語族と呼ばれる言語グループに属していたのです。 ハム語族はアラビア語やヘブライ語のセム語族と兄弟関係にあって類似の特徴を持つと言います。 これらの言語は文字で書き表す時に母音がなくても良いのです。そのため、これらの言葉を綴るための文字には基本母音がありません。 (厳密にいうなら“a”や“y”や“w”のような文字はあります。)

エジプト語にも母音記号がありません。

実はもう一つの特徴があります。

ヒエログリフは絵文字だけあって、単独で意味を持つ記号となっていることがあるのです。 そのため、ヒエログリフの文章はアルファベット的というよりも、漢字かな混じりの日本語のようになっているのでした。

一説によるとヒエログリフの一部が変化してアルファベットになったのではないかと言われますが、 ヒエログリフそのものはエジプト以外で主な筆記用の文字としては用いられなかったようです。


メソポタミア文明には、世界最古の文字と呼ばれるものがあります。

シュメール人 Šumeru (𒆠𒂗𒂠 ki-en-ĝir15)が発明した楔形文字 (cuneiform. 「くさびがたもじ」、もしくは「せっけいもじ」)です。

楔形文字は粘土板に刻まれた文字で、まるでくさびのような三角形の角を組み合わせて文字となっています。 これは、柔らかい粘土板に、割り箸のように角が尖った棒を斜めに押し付けることで線を表現してるためにこのような形になっているそうです。

シュメールが最初に使っていたのは、ヒエログリフほど精緻なものではない一種の絵文字でしたが、 粘土板に素早く筆記できるようにくさびの形に変化したのだそうです。

楔形文字も長い間解読がなされませんでした。ヒエログリフのロゼッタストーンような既知の文字との比較になるものがなかったからです。

結局、解読の糸口は古代ペルシャ語などを含む複数の言葉で書かれた碑文が発見された後のことでした。


楔形文字はかなのような音節文字で、同時に文字自体に意味も持っていました。 これは楔形文字が多く使われていた時代のセム・ハム語族の特徴と異なるので、 シュメールの存在が知られる前からこうした特徴を持つ言語があったと言われていました。 シュメール語そのものは確か今でも系統が不明の言語らしいです。

楔形文字そのものはいろいろな起源の文字が混ざってるらしいですが、 シュメールより後の時代の文明ではシュメールの使っていた文字の意味などを踏襲し、 さらに自分たちの言葉の要素をそこに加えていったようです。

そのため楔形文字は複雑な構造を持つに至ります。 一つの文字にいろいろな読みやすい意味があるのはまさしく漢字のようですね。漢字に音読みや訓読みがあるような感じです。

シュメールで有名なのが「ギルガメシュ叙事詩」Epic of Gilgameshの主人公である ギルガメシュ王(アッカド語: 𒄑𒂆𒈦 , Gilgameš)ですね。 某ゲームで有名な半神半人のおーさまの名前です。 ギルガメシュ王の友人のエンキドゥ(シュメール語: 𒂗𒆠𒆕 - EN.KI.DU3 - Enkidu) もまた有名になっています。(誤字じゃないですよ!)

シュメール語は系統不明ですが、それを引き継いだアッカド (𒆳𒌵𒆠, KUR.URIKI - AGA.DĒKI,英語:Akkad)が 用いていたのはセム・ハム語族の言語でした。

時代が下ってアナトリア(Ανατολία トルコの方の地名)にあったヒッタイトがメソポタミアを支配下に置きましたが、 ヒッタイトの言葉は英語やラテン語のようなインド・ヨーロッパ語族の言葉でした。 ヒッタイト Hittites というのはハッティ Hatti の英語名だということですが、 ハッティ(原ヒッタイトと呼ばれることもある)の使っていた言葉自体はインド・ヨーロッパ語族の言葉じゃなかったみたいです。 ハッティ は聖書におけるヘテびとのことだと言われています。

ヒッタイトを扱った漫画に、篠原千絵 による『天は赤い河のほとり』(少女コミックス、1995年3号 - 2002年13号 )があります。 現代人の少女がヒッタイト王国の時代にタイムスリップし、王家やその帝国とかかわることになるかなり壮大な物語で、 登場人物やできごとなど、一部実際のできごととされることとリンクされているみたいです。

ヒエログリフとは違い、楔形文字は様々な民族の、様々な言葉にわたって用いられました。

一度文字の研究が軌道に乗ると、粘土板の中に複数の言語の間の、文字通り辞書と呼べる文書があることがわかっています。 そのことがますます楔形文字や、当時の言語の研究を進めるきっかけとなっていったのでした。

おそらく、メソポタミアには多くの異なる民族が居住しており、それぞれがメソポタミアの支配権を獲得した時に、 それまで用いられてきた楔形文字を引き継ぎ、改良して用いたのでしょう。

その特徴はまさしくアジアにおける漢字と似たような位置づけだったのでしょう。

そんな隆盛を誇った楔形文字ですが、メソポタミア文明の没落とともに使われなくなり、 ヒエログリフと同様に紀元前後の時代を最後に消えてしまいました。

時代はアルファベットへと移りゆくのでした。


さて、どうだったでしょう。

古くから使われた文字には深い背景やドラマが隠されています。

創作で新しい文字が出てきた時にも、その背景には何があったんだろうと想像してみるのも面白いかと思います。

今回の話は特にWikipediaで言うような独自研究なるものが含まれてて、私個人の私見や偏見もかなり入ってると思います。

いつも書いてることなのですが、そのままコピペして被害を被っても責任は持てませんのであしからず。

おあとがよろしいようで。