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WからAへ 異邦物管理所

田中彼方

 0

「ねえ」
「何?」
「ううん、何でもない」
「そう……」
「うん」

「あ、あのさっ」
「何?」
「えーと」
「……」
「手」
「手?」
「手、つないで」
「いいよ」

 僕はいつも受身だ。僕と彼女の関係は言葉なしでは成り立たない。


 1 

「う、ん……」
 目を開ける。いつもと違う見慣れない天井と部屋の様子。
「ううっ……」
 それが驚きになるより、無理やり起こされたように頭が重く、身体がだるいことを理解する。とても起きる気にはなれない。それも含めて違和感に包まれる。
 部屋は薄暗く、まだ夜明け前なのか夜中なのか分からない。何時寝たのかもはっきりと分からない。
「うっ……」
 考えることを拒絶するように、頭と身体が眠りを欲している。
「うぁ……」
 欲望のままに任せる。一瞬のうちに今まで感じたことのない程の快楽を感じ、そのまま意識を失った。

(ここは? ここはどこだ?)
 奇妙な浮遊感に包まれていた。空を飛んでいるようで、それでいて上下が分からない。落ちているのかもしれない。
(何も見えない? いや、追いつかないのか?)
 目は開いているはずなのに何も見えない。真っ暗な闇のなかにいるわけではなく、視界がないわけでもない。見える、何かがあると感じているのにはっきりと形にならない。明暗も曖昧であるが感じられるのに、何も見えない。
(何だ? 夢?)
 夢ということなら受け入れられる。だが違う。夢とは違う。夢と認められない。意識だけがしっかりとしていて、夢の中にいるとは思えないほど頭は冴え、回転している。
(どうして?)
 疑問ばかりが浮かび、そのどれも解答が得られない。頭が考えることを望み、その通りに考えを巡らしても、一向に満足できる結果が出ない。
(わからない、わからない、わからない……)

 どのくらい時間が経ったのだろうか。気付けば、またあの見慣れない天井が目に入っていた。
「ううっ……」
 灯りがついていないようだが、部屋の中は前より幾分明るい。
「あ、朝?」
 前とは違い、いつものようにすぐに目が覚め、頭がはっきりする。身体もだるくない。
 寝起きはいいんだよなと思いながら身体を起こそうとすると、どこからか音がした。
「あら、起きましたか?」
「あ、はい」
 声の聞こえた方を見ると、人懐っこい雰囲気の女性が立っていた。女性? いや、女性だよな。
「おはようございます」
「おはようございます」
 軽く頭を下げながら挨拶を交わす。違和感を拭いきれない。
「寝惚けているわけでもないのに、落ち着いていますね」
「ええ、まあ、寝起きは良いので」
「でも、少しは慌てませんか?」
「表に出てないだけで、内心はいろいろと混乱しています」
「そうですか」
「はい」
「いろいろと聞きたいことがあるでしょうが、どうします? もう少し後が良いですか?」
「いえ、できれば今すぐにでも」
「分かりました。では私について来てください」
 初対面のよそよそしさを表に出さないように僕は彼女の後について行った。そう彼女も装っていたのだ。僕と同じように。こうして異世界が始まった。


 2

 今では、世界は一つだけではないということは知っているものからすれば、当たり前のことでしかない。歴史が示すとおり、一つの世界においても文化等の違いは軋轢を生み、衝突を繰り返す。したがって、異なる世界の存在が確認された世界では、一方的な侵略を受けないために、国家間では秘密裏に異邦のものを管理する機関が構成された。それが異なる世界との交流を行う機関、異邦物管理所の始まりであった。
 今はもう、その名残をほとんどとどめていないが、過去、異邦物管理所とは、巨大な統治機関であった。表向きは異なる世界との交流のための機関であるが、当然裏の顔もあった。異なる世界に限らず自分以外の他人との交流を行うためには、情報伝達が必要となる。同じ世界でも言葉が違うのに、異なる世界で同じ言葉が通用するはずがない。結果、国家同士で争っていたように異世界同士で争うようになり、そうして力のある世界の異邦物管理所は規模を拡大していった。当然、力のあるもの同士が衝突すればどうなるかは明白である。自分の世界がなくなってしまっては元も子もないということで、侵略でもなく、抑えつけるものでもない交流が始まった。
 現在の異邦物管理所は、新規に交流を行う場合も規模に係わらず、一方的に抑えつけることはない。純粋に異なる世界との交流を行う機関となっている。


 3

 連れてこられた部屋に入ると、スーツを着た女性がいた。やはり、このときも違和感があった。
「初めまして」
「あ、初めまして」
「私は、異邦物管理所の者です」
「いほうぶつ?」
「はい、異邦物です」
「えっと、違法ですか」
「はい、異邦です」
「僕は何か、法律を犯したのですか?」
「いいえ」
「でも違法だと」
「異邦は異邦です」
「法律にそむくことですよね?」
「いえ、違います。異なる国、異なる世界ということです」
「あ、異なる国、異なる世界ですか……」
「はい」
「ここは日本ではないということですか?」
「はい」
「でもあなたは日本人ではないのですか?」
「いいえ、違います」
「日本語ですし、外見も」
「それはあなたに合わせているからです」
「合わせている?」
「仕事をする上で必要なことですから」
「はぁ……」
「異邦つまり異なる国、異なる世界の物を管理するにはその国、その世界の物とコミュニケーションをとる必要があります」
「それで、相手に合わせるということですか?」
「はい」
「言葉だけでなく、外見もですか?」
「円満に行うためです。話しやすいでしょう?」
「まぁ、そうですが……」
「外見は日本人ではなくて良いのですが、日本の方は久しぶりなので合わせてみました」
「はぁ……」
「日本語はとても便利です。どんな言葉もカタカナで表現できます」
「そうですね……」
「はい」
「……」
「何か?」
「ここは日本ではなく、あなたは日本人ではない……」
「はい」
「でも、ここは地球ですよね?」
「いいえ、違います」
「でも」
「部屋の様子も雰囲気も合わせてあるのでそう思うのは仕方ありませんが、ここはあなたのいた日本がある地球とは異なる世界です」
「異なる世界……」
「はい」
「では、ここは……」
「詳しい説明が必要ですか?」
「……」
「必要ですか?」
「いえ、いいです」
「賢明です。説明したところで、異なる世界としか理解できないでしょう。説明は面倒なので助かります。人に説明することほど難儀なものはありません」
「ときどき本音が」
「建前だけであれば私は必要ありません。私は建前だけでこの仕事は行いません。それに私は仕事だと思っていません」
「……」
「もちろん本音だけというのも駄目ですが」
「そうですね……」

「それでは、なぜあなたがここに来たかを説明します。よろしいですか?」
「お願いします」
「理由はちゃんとあります。始まりは偶然で、本来は紛れ込んだり、自分の意志で来たりするのですが、あなたの場合は特別です」
「何ですか?」
「私があなたを招きました」
「はい?」
「私があなたをこの世界に連れてきました」
「なぜ?」
「暇だったからです」
「暇つぶしですか」
「そうです」
「はぁ……」
「どうしました?」
「そんな理由なんだと思って……」
「そうです。そんな理由です」
「そうですか……」
「はい」
「僕はたまたま選ばれたのですか?」
「いえ、どうせなら理解のはやい方が良かったので、あなたを選びました」
「事前に調べたということですか……」
「はい」
「情報のやり取りが行われているのですか?」
「今では異なる世界との情報交換の方法は確立しています。各世界に異邦物管理局がありますが、これは知っている人は知っていて、知らない人は全く知りません。情報交換だけでなくあなたのように故意に連れてくることもできます。自分の意志で来る方もいます」
「元の世界では僕の扱いはどうなっているのですか?」
「元の世界のあなたは意識を失っている状態です」
「ということは意識だけがこちらの世界に来ているということですか?」
「そうです」
「大丈夫なんですか?」
「元の世界では時間が進んでいるのでどうなるかは分かりません。もちろん手を加えることはできますが、このまま放っておけば、行き着くところまでいくでしょう。そうなれば元の世界に帰ることはできません」
「帰れない……」
「あなたは元の世界に帰りたいですか?」
「……」
「帰りたくないのですか?」
「……」
「どうしました?」
「はい、僕は帰らなければいけません。このまま残るのはだめだ、元の世界に戻らなければいけないと強く僕の中で何かが主張してくるのです。大切なことを忘れている気がします。とても大切なことを……」
「大切なことを忘れている?」
「はい、思い出せません。でも、思い出さないといけない……」
「思い出したいですか?」
「思い出せるのなら」
「それでは少しお待ちください」
「はい」

「これは?」
「あなたの持ち物ですよ」
「僕のですか?」
「はい」
「どうしてこんな物を持っていたのでしょうか?」
「それは誰かに贈るためでしょう」
「誰かに贈る……」
「思い出しましたか?」
「いえ……」
「そうですか」
「はい。これを誰かに贈るのだとしても、それも分かりません」
「贈る意味は分かりますか?」
「はい……」
「あなたは元の世界に帰りたいですか?」
「僕を待ってる人がいる。それに僕はその人に会いたい。不思議なほど強くそう思っています。それに……」
「それに?」
「その不思議が不快ではなく、心地良いのです」
「それでは帰りますか?」
「はい、帰ります」
 

 部下と上司

「今回はいろいろとやり過ぎではないですか?」
「問題ありません。息抜きは必要です」
「そうですか」
「苦しんだものには救いの手を。私は神様でも何でもないので手を差し伸べるだけです。決めたのは彼です。彼は最後の最後まで迷っていました。だからこの世界に招きました。彼は流されやすい性質なのです。実際、この世界に来ても心の中では慌てていたそうですが外には出さず、適応しているように見えました。そうでしょう?」
「そうですね」
「彼はずっと流されてきました。心の中ではいろいろ思いながらも外には出さないままでした。そうして、彼の流されやすい性質は増長されていきました。心の中では駄目だと思いながらも流されるままでした。そんな彼に転機が訪れました。これを逃せば彼は一生変われないでしょう」
「最後ですか?」
「最初で最後です」
「でも」
「考えてみてください」
「そうですね」
「考えるまでもないでしょう?」
「はい」
「二人の関係は、お互いに限界でした。彼は自分を隠して、偽ってばかりいました。そうしているうちに他人に対して本当の自分を表すことはほとんどなくなりました。何人もの自分を状況に応じて使い分けるようになりました」
「でもそれは私たちも同じですよね」
「そうです。人格を使い分けることは問題ではありません。彼は自分一人だけのときしか本当の自分は表れませんでした。彼女と二人きりのときでさえ、本当の自分を表しませんでした。彼女は耐えられないでしょう。私なら耐えられません。何です?」
「いえ、何もありません」
「そう」
「はい。続けてください」
「二人の関係は彼にかかっていました。彼は決断しなければいけませんでした。結果は彼以外は誰でも分かっているというのに、それでも迷っていました。自分が決めるということに迷っていました。彼の記憶には何かを自分で決めたことがないのでしょう。もちろん些細なことはありますが、他人を左右するような決断をしたことが思い付かないため、迷っているのです」
「初めての体験ということですか」
「そう、初めては誰だって戸惑うものです。私も初体験のときは戸惑いました」
「何ですか?」
「いえ、どうだったのかなと思いまして」
「分かってますよね」
「ええ、もちろん。あなたがまだ」
「言わないでください」
「なぜですか?あなたがまだ」
「言わないでください」
「分かりました。言いません」
「お願いします」
「はい」

「何か聞きたいことはありますか?」
「上手くいくでしょうか?」
「彼を戻したポイントは間違えていません。彼は思い出すかもしれませんし、思い出さないかもしれません」
「それでは」
「どちらにしても、思い出より今です。決めるのは彼です。彼女は答えてくれます」

「はぁ」
「どうしました?」
「いろいろもっともな事を言いましたが」
「ええ」
「思いっきり私情ですね」
「いつも言っているでしょう。仕事だとは思っていないと」
「仕事だと思っていないのに、息抜きは必要なんですか?」
「仕事であることには変わりありませんから」

「さあ、それでは元の姿に戻りましょう」
「はい」
「何か?」
「いえ、自分でもよくついていけるなと」
「ええ、私もそう思います」


 4

 僕は目を覚ました。
 見慣れた天井。自分の部屋。

 僕は自分で自分を抑えつけてきた。いつのまにかそれが可能なほどではなく、過剰なほどになってしまった。
 今あったことは現実に体験したことなのだろうか。
 異世界なんて本当に存在するのだろうか。ただの夢ではないのか。精神的に追い詰められた自分の妄想ではないのか。

 けれど、そんなことはもうどうでも良かった。
 自分は変わった。変わったのだ。あとは彼女に知ってもらうのだ。自分の気持ちを彼女に伝えるのだ。
 彼女は驚くだろうか。きっと驚くに違いない。それでも彼女は受け入れてくれる。受け止めてくれる。そんな確信があった。

 高揚する気持ちを抑えることなく、彼女への贈り物を手に持って、僕は玄関の扉を開けた。


 5

「どうしたの?」
 彼女が驚いた顔で言った。
「うん。会いたかったから、会いに来た。それから、これ」
 僕は手に持っていたものを彼女に渡した。彼女はさらに驚いた顔になり、その後涙を流した。

「ねえ」
「何?」
「キスして」
「いいよ」
 僕はいつものように彼女にキスをした。彼女は浮かない顔のままだ。

「僕からもいい?」
「えっ!?」
「キスしたい」
「……」
 彼女は再び驚いた顔になった。僕は言葉を続けた。
「キスして欲しい」
「……」
 彼女は何の反応も返してくれない。そんなに驚くことだっただろうか。予想以上に衝撃だったようだ。さっきよりも驚かれるとは。僕に無理強いしていると思ったのだろうか。思わず苦笑する。
「どうしたの?」
「ううん、いいよ」
 彼女は、はっと気が付いたように首を振り、満面の笑みで言った。
 そして、彼女は僕の恋人になった。

「言葉は必要?」
「時と場合」
 そう言って、彼女は微笑んだ。

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