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CH

白田英雄

 イリィは目の前に立っている女性をなんとはなしにながめていた。女性と言っても本物の女性ではない。リアルに作られているが、どことなく不自然な感じを受けるはずだ。イリィはその不自然さが嫌いで、それを改良するためのデータを作っているのだ。
 目の前の女性はそういったデータのひとつだった。
 しかも、この   C    H   コンピュータ・ホログラムは触れた感蝕がある最新版だ。CHの表面で、弱い電気を発生させることで、その刺激が触感と錯覚できる。もっとも、いきおいよく手をつっこめば、手は簡単にCHを突き抜けてしまう。
 左右は完全に対称的で、傷ひとつ、しみひとつない肌は、どことなくのっぺりとしている。リアルな感じに作り込んであればあるほど、その不自然さは増してくる。
 動きもシミュレートされているが、呼吸にともなって動く肩は、極めて周期的に同じリズムを刻んでいた。
 丁度、ずっと以前にはやった3Dタイプのグラフィックで描かれた2Dゲームにあったような不自然さを想像させられる。好きな人にはこれでもいいのかもしれないが、イリィには吐き気をもよおすような不快感がつきまとっていた。
 どうしても、こうしたCHを作成するツールは鏡像反転などの機能を効果的に用いて元の形状を作るために、造形は対称的になってしまう。呼吸動作にしても、実際の人間の動きをサンプリングしているが、それもせいぜい一サイクル程度なので、同じ動作を何度も何度もくりかえすことになる。
 そんなことはずっと以前から知られていたことなのに。
 いまだに2D画像でさえ、このCHと変わらぬクオリティとなっている。結局、 ツ ー ル プログラムが対称性を好む限りどうしようもないのだ。
 イリィはアリィが作った新型のプログラムを起動した。CHデータをより自然な形に変換するためのアルゴリズムを組み込んだということだ。
 手元に直径十センチ程度の円環が浮かび上った。イリィはCHの元のデータが格納されている、粘土のかたまりのような媒体をその円環に通した。これによってデータが自動的にスキャンされ、媒体の中のデータがアップデートされるはずだ。
 さすがに複雑なプログラムなためか、変換には時間がかかっているようだ。目の前のCHは画像が乱れ、ノイズが入ってみえている。
 アリィが入ってきた。
「今おまえのプログラムを試しているところだよ。」
「そうか、ちょっと遅かったみたいだな。」
「遅かった?」
 イリィは訝しげに聞いた。
「プログラムがウィルスに感染していたんだよ。」
 イリィは鼻で笑った。
「それなら心配に及ばないよ。ちゃんとウィルススキャンしてから使ってるからな。」
「ウィルススキャンにはひっかからないよ。」
 イリィは興味なさげに尋ねた。
「新型なのかい?」
 アリィはちょっと疲れたようにして言った。
「新型ではないんだ。ウィルスはウィルス作成ツールで作られるから通常はそんな変種は存在しないんだよ。今度はかなり根が深いところに原因があるんだ。」
 その時、プログラムによるデータの変換が終了したところだった。イリィは息をのんだ。修正箇所は微妙な部分に及んでいたが、その微妙な対称性のくずれが自然な印象を作っていた。それに、呼吸のリズムも自然に崩れている。イリィはデータ量を確認したが、驚いたことに大したサイズの増加もないようだ。
「これは一体どういうマジックを使ったんだ?」
「マジックもなにもないよ。それがウィルスの効果なんだ。シンメトリーを破壊するウィルスらしい。」
 イリィはなおも自らのCHに見入りながら答えた。
「でも、こんなすばらしい効果があるなら、害のあるウィルスとは言えないよな。」
 アリィはやれやれ、といった感じで言った。
「それがそうでもないんだ。プログラムはどうやって作られているか知ってるか?」
「いや。」
「プログラムを作るためにはプログラムを作るプログラムに設計図みたいなものを読み込ませて自動的に作ることになる。そのアルゴリズムの大半は過去にプログラムされたプログラムの部品の使いまわしにすぎないんだ。」
 イリィの関心はほとんど会話に向いていなかったが、それでもなんとなく答えた。
「それがどうしたんだ?」
「ウィルスを作るプログラムも、同じようにして作られている、ってことなんだよ。ウィルスがどういうふうにプログラムに組み込まれているかを知っている人間なんてほとんどいない。
 だけど、世の中には好き者もいるわけで、そういうプログラムの内部を好んで解析する輩もいるわけなんだよ。そいつがみつけたんだ。このウィルスを。」
「ふぅん。」
「いいか、おまえの作品はすでにそのウィルスに感染しているんだ。その作品は破棄しなくてはいけない。」
 ようやっと興味がアリィの方に戻ったイリィが答えた。
「そいつは残念だな。これほどの作品をまた作るのは大変なんだから。まぁ、バックアップもあることだし、問題あるまい。」
 アリィはため息をついた。
「それが駄目なんだよ。」
「駄目?」
 アリィはイリィのCHを削除しながら答えた。
「なんでこのウィルスが最近までみつからなかったと思う? プログラムの中身なんてちゃんと理解してるやつが誰もいなかったからだ。
 ところが、昔、まだプログラムを手で作っていたころはその動作原理をちゃんと理解してるやつらばかりだった。このウィルスはそんなころに感染して、そのままずっとナリをひそめていたんだ。誰にも知られることなくな。そして、プログラムがプログラムを作成するときに、自分自身を変化させながらコピーされ続けてきたんだ。
 今となってはウィルスとプログラムを分離することはできない。それにどんな副作用があるかわからない。感染してる可能性のあるプログラムは全て破棄しないといけない。」
「それで?」
 アリィはじれったそうに答えた。
「オレたちのプログラムだけじゃなくて、世界中の全てのプログラムが破棄されないといけないんだ。人類はプログラムを手でやっていたころに戻ってまた始めないといけないんだ。
 オレたちはふりだしに戻ってしまったんだよ。」
 イリィはなんとなくぼうっとした感じで答えた。
「そうか。もとに戻ってまたはじめるなんてわっかみたいなもんだな。プログラムの進化の輪はふりだしにもどるってわけだ。」

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