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BookReview

レビュアー:[雀部]&[栄村]

星からの生還
『星からの帰還』
> スタニスワフ・レム著/吉上昭三訳/A・ソコロフ画
> ハヤカワ文庫SF
> 400円
> 1977.6.15発行
 いくたの危難を乗り越え、10年にわたる調査探索の旅を無事終了した宇宙探査船プロメテウス号は、ついに母なる地球に帰還した。だが、その10年の間にすべてが変っていた! 宇宙船時間で10年、しかし地球時間ではなんと 127年が経過していたのだ。超高度な発展をとげた機械文明、複雑化した社会機構、そして科学技術の粋を結集した異形の都市……。だがなによりも隊員たちを驚かしたのは、理解不能なまでに変貌した人々の心だった!

『金星応答なし』
> スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/中原脩カバー
> ISBN 4-15-010417-4
> ハヤカワ文庫SF
> 580円
> 1981.1.31発行
 2003年――世界の最辺境地シベリアの原生林の地中から、ツングース隕石に関係すると思われる奇妙な物質が発見された。地球上のいかなる場所でも製造不可能な合金でつくられたコイル、そして、そこには磁気でかきこまれた〈報告〉が。その謎を解読すべく人類の叡智が結集される。そしてついに、それが金星の高度な文明の産物だとわかったのだ。やがて、全世界の注目のなか、金星探険隊は旅立った。だが、なぜか金星は、全地球局あげての呼びかけにまったく応答しない。沈黙する金星の謎は?名作の呼び名高い巨匠レムのSF処女長篇
金星応答なし

エデン
『エデン』
> スタニスワフ・レム著/小原雅俊訳/千葉たかし装幀
> 早川海外SFノヴェルズ
> 1200円
> 1980.6.15発行
 カバーの画に、エデン人の姿が載っています。

『すばらしきレムの世界』
> スタニスワフ・レム著/深見弾訳/金森達カバー
> 講談社文庫

自選傑作集
1の収録作(1980.10.15発行)
ミスター・ジョンズ、きみは存在しているのか?
迷路の鼠
侵略
友人
アルデバランからの侵略

2の収録作(1980.12.15発行)
闇と黴
ハンマー
リンフォーテルからの公式
手記
真実
二人の若者

すばらしきレムの世界

先月号からの続き
雀部 >  残念、『すばらしきレムの世界』読んでません。
 どんな短篇なのでしょうか?
栄村 >  先に挙げたコンタクト・テーマの他に、物質を喰う原子バクテリアであるヴィステリアによる破滅を描いた「闇と黴(かび)」、進化の流れを解きあかし、人間を凌駕する存在を造りだす「リンフォーテルからの公式」、おなじく、人工的に作られた超知性とその内面をテーマにした「友人」、そして、100万度を超す高温プラズマの中に存在する生物を描いた「真実」など、11の短編からなる小説集です。
 この中からコンタク・トテーマの「迷路の鼠」(初出56年)と「手記」(初出62年)について紹介したいと思います。
 レムがソラリスを書き始める三年前に発表した「迷路の鼠」は、カナダのアルバーニ近郊の森に囲まれた湖を舞台にしています。ある晩、休暇に来ていた大学の研究者とジャーナリストの二人が、数日前から地球近傍空間で不可解な軌道を描き、多くの天文学者の注意を引きつけていた巨大隕石の落下に遭遇します。日が昇ると彼らは湖にボートを出し、落下地点を探そうとするのですが、不可解な渦巻き状の霧に包まれ、舟は転覆、気がつくと奇妙な、薄闇につつまれた洞窟のような空間に自分たちがいるのに気づきます。光を放つ脈や、無数の走りまわる火の玉に囲まれ、彼らの身体も燐光を放っています。ふたりはそこから出るために周囲を調べはじめますが、乳白色に輝く巨大な管や、収縮をくり返し息づくような空間や迷路をさまよううちに、ここが宇宙船の中ではなく、それ自体が一個の、金属の殻をまとった巨大な生物の体内にいるのではないかと考えはじめます。そして、接触を図るべき対象を見つけようと努力するのですが、この生物は時間をモデル化したり、その流れに影響を与えたりすることのできる、人間とはかけ離れた思考や感覚を持つ異様な存在であることが次第にわかってきます……。
雀部 >  なにやら、『ソラリス』を思い起こさせる導入部ですね。
栄村 >  おそらく、レムのコンタクト・テーマへのスタンスも、この時点でいままでとは違うものに変化しはじめたのでしょうねえ。雀部さんは前回のレビューのとき、ソラリスの海は人間の脳を走査し研究する過程で、人間の思考方法に影響されたように思えたと、言われましたが、この話に出てくる生命体も、人間をはるかに凌駕する能力を備え、一見、完璧無比の存在のように見えますが、「いきもの」である以上、そこにはやはり「あやまち」があり、「死」という運命からも逃れることはできません。
雀部 >  〈ソラリスの海〉なんかは、おそらく主星が超新星あるいは赤色巨星化するまでは滅びはないのでしょうが……
 「あやまち」の方は、確かに逃れることはできないですね。というか、「あやまち」から学ぶのが知的生命体だと思いますし。知的の意味論的な定義は別として(笑)
栄村 >  題名の「迷路の鼠」というのは、登場人物のひとりが死に際に呟いた言葉で、彼は巨大な迷路のような地球圏外生物の体内をさまよううちに、異常現象に巻き込まれ、瀕死の重傷を負います。そして、薄れゆく意識の中で、かつて実験で迷路に入れられた鼠の運命と今の自分自身が重なり、なにもわからないままに死にたくない、相手――異星の生物に本当の顔を見せてほしい、という悲痛な思いから、この言葉を残します。
 地球圏外生物が、何らかの目的で人間の複製を送りこんできたり、「コンタクト」を図ろうにも、そもそも、すべての動きをつかさどる中心が存在するのか、しないのか、それすらも最後まではっきりしない、なにか読む者を足場のないところに、中づりにするような感覚は、この作品から色濃く出てきます。物語のはじめの、コンタクトは人類に利益をもたらすか、「宇宙戦争」を引きおこすかという登場人物たちの会話でも、「どうせ蝸牛(かたつむり)が栗鼠(りす)のところへ出かけるようなもんだ。結果は目に見えている。なにも起こりゃせんよ! もともと構造が違うんだ。そいつを埋めるなんてどだい無理な話さ」と、その後の作品の中心となってゆく考えが語られます。
雀部 >  「迷路の鼠」って題名は、そんな切ない思いが込められていたのか。もう一つの『ソラリス』と言っても良いような短篇ですね。
栄村 >  もうひとつ紹介したいのは、ソラリスが出版された翌年に発表された「手記」です。ソラリスでは、
 「つまりこの海は、信じがたいほどの規模に肥大し、惑星全体をとりまく原形質の脳のようなもので、宇宙の本質について異様なほど幅広く理論的な考察を行いながら時を過ごしている。この海は、われわれの理解のいかなる可能性も超えた巨大なモノローグを深淵で永遠に続けているのであって、われわれの装置が捉えるものはすべて、そのモノローグからたまたま盗み聞きした取るに足らない断片に過ぎない」 (「ソラリス」国書刊行会版より36頁)
 という一節がありましたが、そのアイデアを発展させたのがこの小説です。ソラリスとはまったく関係のない別の星の知性体という設定ですが、描かれているのは、ソラリスの中で扱われたテーマのひとつと同じです。それは人間以外の超知性がこの宇宙の本質に対して考察したモノローグであり、ある意味で、宇宙を生みだした「神」それ自身の内面です。
 エリダヌス座にある星系のひとつに発生した文明は、その母星の第二衛星に、自己発展してゆく電子脳の胚ともいうべきものを植えつけ、月を合成進化の実験場に変えてしまいます。やがて、彼らはエリダヌスの太陽が原因と思われる異変によって絶滅してしまいますが、造りだされたメカニズムそのものは存在し続け、何千年という歳月をかけて、ニッケルと鉄を大量に含む月の内部を食い尽くし、内部に巨大な構造体を造りだします。それは凝結した溶岩の地殻という〈岩の頭蓋骨〉の中に閉じこめられた衛星規模の巨大な「脳」ともいうべきものでした。
 のちに地球の探検隊から「電神」と呼ばれる存在は、進化の過程で起こったある出来事によって周囲の環境から切りはなされ、外部とのつながりを失い、ついに情報理論しか理解できなくなってしまいます。「電神」は、自身の頭の中に浮かんだありとあらゆる現象を自分の体内でモデル化する能力を持ち、その電脳空間内に一種の仮想世界を無数に創造します。そこには〈星霧(ネビュラ)〉や〈不羅奈(フラナ)〉や〈偽星〉という疑似宇宙システムが存在し、〈生物学的進化〉さえも存在していました。そして、「電神」は、みずからが創造した仮想宇宙の中で、己自身が唯一例外的に存在しているものだと考え、自分自身の起源を、いったいどこから現れてきたのかという謎を解明するために、数百万年もの歳月をかけます。
 しかし、そんな人間の理解をはるか超えたものにも、やがて死が訪れます。地球からの探検隊が訪れる数万年前、隕石が地殻をつらぬき、電子脳が機能するための重要な部分が破壊されてしまいます。そして、探検隊が発見したのは、人工知能進化の過程で生まれた思考実体の、ゆっくりと崩壊している遺体であり、その長い臨終の「つぶやき」を描いたのがこの作品です。
雀部 >  なんと、『ソラリス』のアイデアを発展させた短篇があるんですね。
 しかも、これまた切ない短篇だったとは。この電子脳と人類はコンタクトできたのでしょうか?
栄村 >  小説は探検隊がエリダヌス座α星から持ち帰った資料の翻訳という設定で、前半の「電神」が内面の宇宙を考察したモノローグをのぞいて、架空の書評集「完全なる真空」や「虚数」に近いかたちをとっています。コンタクトについていえば、探検隊が発見した時は、もう、電子脳は正常な活動をできなくなっており、とてもコンタクトできるような状態ではなかったのでしょう。
雀部 >  「完全なる真空」や「虚数」に近いかたちなんですか、それは理解が難しそう(汗)

『金星応答なし』の理想郷、『エデン』の地獄、その背景

雀部 >  初期の長編『金星応答なし』は、レム氏ご自身の評価は高くないようですが、沼野さんの解説によると、そのアイデア進行・構成の部分部分を練り直すことによって、その後の傑作群が生み出されたのではないかと考えられるほどなのだそうですね。『天の声』『ソラリス』『エデン』『砂漠の惑星』等々。そう言われて読み返すと、なるほどと思いました。
栄村 >  レムが『金星応答なし(原題:宇宙飛行士たち)』を気に入らない理由は、実は、ほかにも事情があるんですよ。あの小説は1951年、昭和26年に書かれた作品で、第一作目の日本の「ゴジラ」より古い(笑)。半世紀以上前の作品ですね。
雀部 >  ありゃ、そんな前でしたっけ。私の生まれた年です(笑)
 ということで、簡単なレム氏年表をつくってみました。
栄村 >  21世紀、社会主義の理想社会を達成した人類は、両極の寒気を永久に葬るため地球規模の環境改変計画に着手します。それは南極と北極に人工太陽を打ち上げるというものでした。彼らは人工太陽の制御基地のひとつをシベリアに建設するのですが、作業中にツングースカ隕石に関係があるらしい磁気コイルを発見します。分析から金星から来たものらしいということがわかり、宇宙船で調査に向かうというのが、この小説のプロローグです。
 残念なことに、話の前提となる科学的情報が、今では時代遅れになっています。極冠の寒気を消滅させ、気候をコントロールするために直径数百メートルの人工太陽を両極に打ち上げ、氷床を全部溶かすというアイデアは、地球の温暖化の警告や「京都議定書」のCO2削減が問題になっている今、ちょっと苦しい(笑)。
 小松左京先生が仰有っておられたけれど、第二次大戦後、それまで各国が独自に持っていた地球環境に関する情報が、自由にやりとりされるようになったのは、1957年の「国際地球観測年」くらいからだそうです。それまで南極大陸なんて、月の裏側ほどわからない未知の場所だったと言われていました。レムがこの作品を書いていた頃、南極の氷床の厚さは、まだ測定中だったみたいですね。小説中には「……南極を何百メートルもの厚い鎧のようにおおい……」という描写が出てきます。でも、平均で2000メートルを超える厚さであることが、後でわかるのですが。バン・アレン帯もまだ発見されず、その後の水爆実験によって放出されたトリチウムの汚染範囲を調べることによって、はじめてわかった深層海流の存在――そしてそれが世界の気候に影響を与えていることなど、想像すらしなかった時代ですね。もし北極圏のグリーンランドの氷河や日本の33倍の面積を持つ南極の氷を全部溶かしたら、おそろしい量の真水が海に流れこみ、大規模な海面上昇はおろか、世界規模で循環する深層海流の流れが崩壊し、どんな激しい気候変動に見舞われるか……。
雀部 >  想像するだけで恐ろしい。まあ、いくら人間が威張ってもまだまだ自然現象には勝てませんね。温暖化温暖化と騒いでいますが、でかい火山噴火の一つもあれば、太陽光が遮られて氷河期なみの寒さになるかも知れないし。
栄村 >  ところで、この物語の時代設定は2003年。3年前ですね(笑)。「最後の資本主義国家が崩壊してから長い年月がたっていた」という一節が初めの方に出てきますが、なんのことはない、この小説が出版された51年から、きっちり40年後の91年に、共産主義国家のソビエト連邦が崩壊してしまった。そして、それを皮切りに、その波が東ヨーロッパ全体に伝わり、社会主義国家が次々と消滅するのですから皮肉ですね。
雀部 >  レム氏は、当時はまだ社会主義に希望を抱いていたのですね。
栄村 >  第二次大戦中、20歳になったばかりのレムは、まるでウェルズの「宇宙戦争」を地で行くようなナチス・ドイツの侵攻を、当時はポーランド領だったリヴォフ(現在は西ウクライナ)で経験していました。街ではユダヤ人が次から次へとポーランド国内の絶滅収容所へ送られて姿を消していました。ユダヤ系であった親族の多くも、この頃、命を落とし、彼も幾度となく殺されかけたそうです。レムは医者になるための学業を中断し、自動車の修理工として働きながら、リヴォフのドイツ空軍戦利物資集積所から武器弾薬を盗んでは、レジスタンスを指揮する男に渡していました。しかし、ドイツ占領軍補助警察に見つかりそうになって逃げ出し、終戦までの数年間は、書類と身分証を偽造し、別の人間になりすまして生活していたそうです。
 戦後、『金星応答なし』を出版したとき、レムは30歳になっていました。大戦の災禍から復興する街の中で、今はゴタゴタがあるけれど、20世紀の終わりごろには、きっと問題がかたづいて落ちつき、理想の社会の中で自分が暮らしているだろう、現実の邪悪な世界は終わりを告げ、やがて立派な世界がくる――戦争の暗い記憶を振り払い、未来に希望を託すつもりで、コミュニズムのユートピアであるこの作品を書いたそうです。……でも、ソビエトでは、あの大粛正を行ったスターリンが、まだ存命していました。
 ポーランド文学史でのレムは、若年に第二次大戦を経験し、その後、解放と輝く未来を約束するコミュニズムの熱狂に啓発されたものの、形式だけの社会現実主義に失望し、やがてスターリン主義を捨て去った世代に属する作家と見なされているそうです。しかし、レムは同世代の作家とは異なり、マルクスより科学や技術によって導かれる人間の生きかたの方に力点を置いていたのですが……。
 じつは『金星応答なし』を出版する3年前の1948年に、ナチス占領下の精神病院で働く若い医師を主人公にした「変身病棟」という現代小説を書いていました。でも、これは検閲に引っかかり出版できなかったそうです。そして、『金星応答なし』の後に「マゼラン星雲」というSFを書くのですが、これも検閲に引っかかり、しばらくの間出版できませんでした。
 「マゼラン星雲」は、30世紀の社会主義ユートピアを舞台にしています。この時代、人類は太陽系のすべてを植民地化しており、ケンタウルス座アルファ星系に向け、初の恒星間飛行を試みます。「ゲア」という宇宙船に227人の男女が乗り込み、8年間にわたる飛行の後、プロキシマ・ケンタウリを回る惑星のひとつで生命反応を見つけます。三重連星であるアルファ星系に属する惑星のひとつが、知的生命体によって生命が生存できる環境に変えられたのか? 物語には、アトラントスというヒューマノイドが出てきますが、これは冷戦下のアメリカと北大西洋条約機構をそれとなく描いたものだそうです。
 この小説は「IKARIE XB 1(邦題:イカロスXB1号)」という題で、1963年に旧チェコスロバキアで映画化されています。63年というと日本で東宝が「妖星ゴラス」を公開した1年後ですね。もっとも話の舞台は30世紀から2163年の22世紀に変更され、物語もかなり変えられています。レムも映画化には乗り気ではなかったそうですが。日本ではNHKの衛星第2チャンネルで「イカリエ−XB1」というタイトルで放映されたことがあるそうで、御覧になった方もいるかもしれません。
 ところで、検閲に引っかかった理由ですが、サイバネティクス(人工頭脳学)を描いていたからでした。MITの数学者ノーバート・ウィーナーのサイバネティクスの研究は、当時、さまざまな分野――機械や、工場、共同体さえもコントロールできると考えられ、その応用が期待されていました。そして、この時代の人に、来るべき思考機械によるパワー・アップされた社会と産業の変化への希望を与えていたそうです。しかし、共産主義下のポーランドでは、サイバネティクスが擬似科学であると解釈され、レムが『金星応答なし』を書いた51年には、誤った資本主義の科学として禁止されていたそうです。駅の自動改札やカーナビはもとより、無人化工場で産業用ロボットが生産を行い、パソコンの検索システムを使って昼飯を食べる店を探している今のわたしたちの生活を考えると、ちょっと信じられませんね(笑)。
雀部 >  そ、そんなことで(驚) もっと思想的な問題かと思ってました。
栄村 >  レムはウィーナーに触発されて、「マゼラン星雲」を書いたのですが、サイバネティクスという言葉がつかえず、「mechanioristics(メカニオリィスティクス)」という新しい言葉を作りだしました。でも、当時の最新科学に明るく、非常に博識な編集者に見破られてしまい、しばらく出版できなかったそうです。結局、「マゼラン星雲」はスターリンの死後、「雪解けの時代」である1955年になってやっと出版されます。もちろん、検閲で削除された部分があったそうですが……。「変身病棟」の方も「失われざる時」と改名され、同じ年に出版はされるのですが、こちらはその後、長く絶版の憂き目を見ることになります。
 「金星応答なし」や「マゼラン星雲」などで描かれる、当時の政府に奨励されていた社会的現実主義路線の楽天的な未来世界のビジョンや設定は、レムをとりまいたこんな事情によって、やがて彼にはとても受け入れがたいものになっていったのでしょう……。
雀部 >  なるほど。やはり初期の著作は、当時のポーランド情勢抜きには語れないのですね。
栄村 >  1959年にレムは長編「エデン」を発表しますが、もうここでは社会的リアリズムにのっとった楽天的な未来イメージは姿を消しています。

 「エデン」は、宇宙船が計算のミスから惑星エデンの持つガスの中に突入し、地表にほぼ墜落に近い状態で、不時着したところから始まります。
 乗組員は無傷でしたが、墜落の衝撃で宇宙船内の機械はすぐには修理できないほどのダメージを受けます。地球とよく似た大気成分を持つエデンで、彼らはふたたび飛び立てるまで、水と知的生命体の発見を期待して探査に出かけます。登場する6人のクルー(コーディネーター、エンジニア、物理学者、化学者、医者、サイバネティシスト)は、おたがいを職業名で呼ぶだけで、ほとんどと言っていいほど個人的な名前で呼びあうことはありません。ここで彼らはさまざまな理解のできない出来事に遭遇します。蜘蛛に似た植物や、呼吸をする“肺樹”、灰色をした人の背丈ほどの高さもある“杯”のような形をした植物。薄茶色の蠕動運動をするシールドに守られた大規模な無人化工場では、無機結晶体からなる物体を生産するも、作りだしたものをふたたび分解し、リサイクルするためにだけに稼働しているように見え、また巨大なタワー内部にあるドームの天井は、中に異様な骸骨を閉じこめた無数のガラス状の卵で占められています。さらに、武器を備えた円盤が飛ぶ谷間には、集団虐殺されたらしい死体が大量にころがり、死と荒廃が色濃く漂っています。
 やがて、接触を求めてきたこの星の“住民”によって状況の一端が――すべては明らかにされませんが――朧気ながらに明かされます。このエデンに棲む“住民”は、牡蠣を二つ繋げたような「労働部分」と、その結合部からせりだす、赤子のような小さな頭と手を持つ「思考部分」に分かれている複体生物であり、地球人には理解できないある思想のもと、生物学的改造プランによって、人工的に作りだされた者たちでした。
雀部 >  海外SFノヴェルズ版『エデン』の表紙画にあるエデン人ですね。
栄村 >  惑星「エデン」では、百年以上前まで多人数からなる中央政府が続き、その後、個人政権に変わるのですが、激しい権力闘争が起こり、支配者は次々と死によって終焉を迎えます。やがて強大な力を持った新しいタイプの支配者たちが現れ、徹底的な情報操作を行って、住民の心の中から、自分自身の存在はもとより、権力が存在するということさえも完全に消してしまいます。そして、この“匿名”の支配者の理想のもと、50年前に惑星の住民のほとんどを巻き込んで生物学的改造計画が開始され、プロクルステスの寝台(ギリシャ神話に出てくる強盗で、捕らえた人間を鉄製の寝台に縛りつけ、その人間の背が寝台より長ければ足か頭を切り落とし、短ければ足にひもをかけ、骨が避けるのもかまわず引き延ばしていた)を思わせる全体主義社会が生みだされたのでした。しかし、計画には重大な欠陥があり、数万もの数の知能に障害を持ったものや、ミュータントが生まれてきます。“住民たち”には一種の疫病として発表されていますが、乗組員たちが見た巨大な穴の中にぎっしりと詰まっているたくさんの死骸は、生物学的改造計画の中で不良品として廃棄された者たちの、なれの果ての姿でした。
 乗組員たちはジレンマに直面します。地球人の目には、かつて彼らがたどった歴史の残酷なプロセスのまっただ中に、この星の「住民」がいるように映ったがゆえに……。自分たちが目撃した悪をとめるために強力な反陽子砲を備えた破壊兵器を作動させ、この星の問題に介入すべきか、そして、地球人が望むようにこの星の今の状況を変えるべきか?――思い悩んだ末、彼らはこの星を去ることを選択します。なぜなら、エデンの“住民”は、別の星の生物であり、その社会の姿や心理は地球の人間にはとてもつかみきれないものがあったからです。彼らとの会話はコンピューターを介して行われたものの、その能力には限界があり、機械自身が理解できる範囲の情報しか乗組員にはもたらされません。謎の解明は最終的な解明ではなく、地球から来た人間たちによる解釈のひとつにすぎず、背後には人間の理解を超えた気味の悪いものが存在する気配さえします。さらに武力による解放は、この星に大量殺戮を引き起こし、最終的には退路もしくは協定の道を切り開くためだけに相手を殺すという、泥沼化した悲劇を招くことにもなりかねません。結局、地球人たちは宇宙船の修理を終えると同時に、惑星エデンを飛び立ってゆくというのが、この物語のあらすじです。
雀部 >  労働部分と思考部分というと、なにやら『タイムマシン』の未来世界を思い起こさせますが、自らの身体を改良(?)していこうという思想部分は、サイバーパンクを連想させるところでもありますね。
栄村 >  この小説は、ウェルズの『タイムマシン』のように人間の未来が「エデン」の文明にどれほど近づくかという、ひとつの描写として読むことができるかもしれません。惑星エデンの“支配者”は、“住民”の状況を前例の無い形で向上させようという意図により、科学技術を用いて肉体と認識能力を進化させようとするのですが、その中で自分たちの仲間に対し、あらゆる種類の冷酷な実験を行ないます。レムは、「エデン」を通じて、数百年の未来において、テクノロジーの発達が歪んだ思想によって利用され、その結果、この星と同じ状況を人間が作りだす可能性を考えていたのでしょうか。乗組員がコンピューターを介してこの星の“住民”と、不明瞭な会話を行う場面の背後で、レムはどんなことを書きたかったのか……。彼が行間に隠したのはどんな現実だったのか? 本当のところは、高い学識を持ち、レムと同世代でこの時代に生きて、当時のポーランド社会の盛衰を目のあたりにしてきたものでなければ、彼の隠されたメッセージというのは読みとれないのかもしれません。
雀部 >  それはきっと、人類補完計画だな(笑)
栄村 >  レムは50年代の最後の年に「エデン」を発表しました。60年代になると、ポーランドでは社会主義体制の行き詰まりや、不満、社会不安から出版への統制が厳しくなり、現代文学の「いま、われわれが感じていること、置かれている状況」といったテーマの小説を書くことが難しくなったそうです。その結果、散文は衰退してしまい、小説は歴史小説とSFの二極化に分解するような状況になっていったといわれています。
 ソビエトによる生まれ故郷リヴォフの占領、そして、ナチスドイツの侵攻により、知人や親戚、家族の多くを失い、みずからも幾度となく生命の危険にさらされ、戦後は政府による言論統制、ユダヤ系知識人の大量追放などを、その目で見てきた彼ですが、年を経るにつれて胸中にわき上がってきたものは、いったい何だったのでしょうか。1984年に行われた、あるインタビューの中で、彼はこう語っています。
 「……人間が人間たるのは、生物進化の過程でそのように作られたからです。これはまた、ある特定の生物学的、心理学的限界をも作りました。私は、たとえば、人間性は着実に改善され、高尚になってゆくという改善論者の信念には賛同できませんし、完璧な普遍的幸福と安寧にみちた社会状態が存在するというマルクス主義や共産主義のユートピアの概念も信じてはいません。せめてカール・ポパーの、開かれた社会の考えと歴史に対する痛烈な批評を、部分的に賛成するくらいです。小さなステップを経て、あれこれを改善することはできるでしょう。でも人は、自分自身から逃れることはできません。皮を脱ぎすてて、天使のような存在になることは、決してできないのです」


[雀部]
年表作り、疲れました(笑)
あ〜、ネタもとは、アイザック・アシモフ著『科学と発見の年表』と、AMEQさんの「翻訳作品集成」及び、サンリオの『SF百科事典』、「Twentieth-Century Science-Fiction Writers」(St_J)、GROLIER社の"THE MULTIMEDIA ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION"あたりから。
[栄村]
「小松左京マガジン同人」ならびにコマケン会員。海外の古代遺跡を観て歩くのが趣味。フィリップ・プルマンや上橋菜穂子などのファンタジー&ホラーに入れ込んでいます。
今回の出典は「An Interview with Stanislaw Lem by Peter Engel」© The Missouri Review

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