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BookReview

レビュアー:[雀部]&[たなか]&[とりこ]

solaris
『ソラリス』
> スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/L'ARCHIVISTE.SCHUITEN&PEETERS装幀
> ISBN 4-336-04501-1
> 国書刊行会
> 2400円
> 2004.9.30発行
スタニスワフ・レム・コレクション第一回配本

 早川版で欠落している個所(約原稿用紙40枚分)を新たに訳出した完訳版です。
 二重星を公転する惑星ソラリス、計算ではその軌道は不安定で、とっくに主星に“墜落”しているはずであった。そして研究の結果、軌道を安定させているのは、ソラリスの海らしいと判明した。そしてこの“海”の研究を始めてから100年たった現在でも、その本質は不明のままであった。


『星からの帰還』
> スタニスワフ・レム著/吉上昭三訳/A・ソコロフ画
> ハヤカワ文庫SF
> 400円
> 1977.6.15発行
 いくたの危難を乗り越え、10年にわたる調査探索の旅を無事終了した宇宙探査船プロメテウス号は、ついに母なる地球に帰還した。だが、その10年の間にすべてが変っていた! 宇宙船時間で10年、しかし地球時間ではなんと 127年が経過していたのだ。超高度な発展をとげた機械文明、複雑化した社会機構、そして科学技術の粋を結集した異形の都市……。だがなによりも隊員たちを驚かしたのは、理解不能なまでに変貌した人々の心だった!
星からの生還

砂漠の惑星
『砂漠の惑星』
> スタニスワフ・レム著/飯田規和訳/中原脩カバー
> ISBN 4-15-010273-2
> ハヤカワ文庫SF
> 320円
> 1977.12.15発行
 6年前に消息をたった宇宙巡洋艦コンドル号探索のため〈砂漠の惑星〉に降りたった無敵号が発見したものは、異星の地に傾いでそそりたつその船体だった。生存者の姿は見あたらない。船内が混乱を極めているにもかかわらず、不思議なことに攻撃を受けた形跡はなく、さまざまな防衛手段は手つかずのまま残されていた。果てしなく続く風紋、死と荒廃の風の吹き抜けていく奇怪な〈都市〉、偵察機を襲う〈黒雲〉、そして金属の〈植物〉――探険隊はテクノロジーを駆使して異星を探査したが……。

前回からの続き
雀部 >  恋愛エピソードというよりはむしろ人間の本質に迫る話になってますからね。
 某所で、とりこさんと高村薫さんの『神の火』の話になって、私が「えっと、我が家では『マークスの山』は、ミステリ史上燦然と輝く傑作と認識しているのですが『神の火』は、ちと(だいぶ)面白味に欠けるというか。だいたい調べたことを自分で整理して、必要十分なところだけを書けばいいのに、全部書いちゃったので、読みにくいことおびただしい。SFとミステリの違いかも知れないけれど、やはり原発を扱った夏樹静子さんの『ドーム』(だったと思う)も、こってり書いてあったなあ。高村さんは、『照柿』までは付き合ったけど、そこで挫折(笑)」と書いたら
とりこ >  ああ〜、そうなんですね!
 わたしは、むしろ『マークスの山』は、あんまり興味がもてなかったです。。
 『照柿』は、まあ、普通かなあ、ってかんじです。(でも、オジさま萌えですが☆)
 うーん、面白いですね!(^^)
 『神の火』は、あの圧倒的な情報の積み重ねが一種の描写効果というか、はげしく萌えのポイントなんですよ。。
 ストイックな、というか無味乾燥な積み重ねの合間にちょろっと叙情が入ってくるその絶妙さに、もう、メロメロになるんですよ! (なにをいうか、この)
雀部 >  というと、『ソラリス』にもメロメロになっちゃうのでしょうか?(笑)
たなか >  萌えますよ、メロメロに。(笑) わたしが読んだなかでは、レム作品のなかでは、蘊蓄部分と叙情部分のバランスがいちばんとれている作品が『ソラリス』じゃないかと思います。
雀部 >  女性お二人からそう言う言葉を聞こうとは思いませんでした(汗)
 女性といえば、昔パミラ・ゾリーン女史が書いた「宇宙の熱死」(SFマガジン69/10)という当時滅茶苦茶衝撃を受けた短篇があるんですけど、これあたりが近いのかなぁ。エントロピーの増大と宇宙の熱的死といった概念を、一人の主婦の日常的な意識の世界に持ち込んだ意欲的な作品です。
たなか >  「宇宙の熱死」は残念ながら未読なんですけど、おもしろそうですね。読んでみたいです。
 レムの場合、そういったような、個人にスポットを当てている作品は少ないんじゃないかと思います。主要登場人物が出てはきますけれども、かれらの個性がうんぬんとか、個人としての葛藤がどうのというよりは、ある集合の代表者としての個人、ある困難に放り込まれた一類型としての個人、そういった描かれ方が多いんじゃないかと。そういう意味でも『ソラリス』はレム作品のなかでも個性的なのではないかと思います。ソラリス学にまつわる話は、主人公はそれを完全に外部のものとして受容するかたちになっていて、情報の集積が語られる部分を切り離して楽しむこともできますし、けれどもそれは同時に主人公と同一の視点でもある。一方、主人公がハリーという存在のありようについて思い悩む、そういった個人特有の意識を読んで共感あるいは反発することもできる。どうでしょう、上のような説明で、雀部さんの考えていらっしゃる『ソラリス』の楽しみ方を言い表すことはできているでしょうか。
雀部 >  新訳『ソラリス』の後書きでも、レム氏の作品の中でユニークな位置を占めていて、恋愛小説としての要素がSF以外のファンを多く獲得した要因ではないかと書かれてますね。まあ、かつて私が最も“萌えた”のは、ソラリスの海が、記憶の中の人間を復活させるという圧倒的な能力を持ちながら、何のためにシミユラクルを作り続けるのかその理由すら不明であるという、“海”の絶対的異質者としての存在感でした。
とりこ >  『ソラリス』、あわてて再読してみたのですが、初めて読んだ時はほんとに怖かったんですが、やっぱり、すっごく怖い作品ですね。。
 レムは「虚数」などの実験作もすごいですが、たしかにソラリスは中間にある作品かもしれないなあと思います〜。なにが怖いかというと、ようは、ソラリスという場所において、自分の最も大切(あるいは「弱い」)相手と出会わなくてはいけないということが怖いです。それはしんどい。。
 弱い相手の姿をとられてしまうと、混乱すると思います。ほかのヒトの姿であれば別の反応かもしれないことがカナリ変わりますよね。
 そのことは、いろいろなことと対峙することだと思いますし。
雀部 >  他人だとどうでも良いことでも、こと元妻、元恋人、元子供とかになると目の前の姿に抵抗できないだろうなあ。
 『ソラリス』に出てくる“海”が作り上げた人間たちの記憶については、どうもあやふやなところがあるのですが、基本的には観察(調査)できたステーションに居る人間の記憶に基づいて作り上げられているはずですから、ハリーはクリスの記憶の中に存在するハリーであって、元のハリーとは違いますよね。遺伝学的には人間に違いないものの、そのハリーが、自分の存在について自問自答するんだから、私にとっては窮極のアイデンティティの問題に思えました。そんなわけで、正直なところあまり叙情的な部分には気づくこともなく。まあ最初に読んだのは高校生のころだったんで(笑)
たなか >  え? 「お客」としてのハリーって遺伝学的に人間なんですか……?
雀部 >  遺伝子レベルでは、人間と見分けが付かないんじゃないんですか。素粒子レベルになると違っているようですが。人間の出来の良いコピーを作る場合、少なくとも原子レベルまでは全く同じに作る方が簡単だと思います(笑)
 レム氏の原作ではニュートリノ、ソダーバーグの映画『ソラリス』ではヒッグス素粒子で原子もどきを作ったみたいですね。
たなか >  ハリーにおけるアイデンティティの問題というのは、「わたしはどこから来てどこへ行くのか」という、人間なら誰しもがもつ問題と同じものと考えることができると思うので、むしろ思春期のころに読むとがつんとくるんじゃないかと思うのですが。自分の存在が確かなものだと思える理由なんて、思考ループにはまればはまるほど誰だってわからなくなるものですし。
雀部 >  高校生のSFファンなので、そこらあたりは深く考えなかった(笑)
 ほかで面白かったところはおありですか。
たなか >  ハリー関連でいうなら、わたしにとって興味深かったのは、ハリー個人ではなく、クリスがハリーの存在というものについて思い悩むところですね。クリスが愛したハリーという存在はもういないことをクリスは知っている。けれども、「お客としてのハリー」という、目に見える存在を眼前にたたきつけられて、クリスは、もう変更のきかない過去を何度も反芻する。過去を修正しようにももうハリーはいない。けれども「ハリー」はいる。眼前の「ハリー」をして、過去のやりなおしはできないはずである。けれどもクリスの意識は憑かれたように過去へと舞い戻り、あるはずのない未来を感じてしまう。存在と非存在との間で揺れ動くクリスの意識のゆらぎは、わたしはかなり興味深く読みました。まぁ、結果的には、クリスはとても理性的な人間だったので、眼前のハリーが偽物であるという認識を確固としてもつことができたわけですが。
雀部 >  読み返してみて、そこらは本当にきっちりと書かれてますね。
とりこ >  恋愛の話が出たので、ソラリス以外に、けっこう古い作品で、たしかもっと青臭いのがあったんじゃないかと思って、大急ぎで『星からの帰還』と『浴槽で発見された手紙』再読してみたんですが(とくに『星からの〜』は、もう、15年くらいまえに読んだので、自分の記憶が間違いだったかと思って。。)この2作は、やっぱり、どうしたらいいやらってくらい青臭かったです。
 『星からの帰還』はソラリスより恋愛度が高いですよ! なにしろ、主人公が人妻に一目ぼれして、耐えられなくなってベッドで悶々としたりなんだりの挙句、ホレた当人に向かってぐちゃぐちゃな思いを「どうにもならん、どうにかしてくれ」とぶちまけ(どうしろってんだ)、しまいには、その人妻をさらって逃げるという。。(個人的には、復刊してほしいです。大好きな作品なので!)
 「個人」もかなりハッキリ出てると思います。
雀部 >  あ〜、読み返してみました。ほんとだ一目惚れしてる(笑)
とりこ >  おはなしは、恒星間宇宙船に乗った主人公が地球に帰ってきて、プチ浦島太郎状態になるって設定なのですが、せいぜい100年ほどのタイムラグなので、寿命が延びた物語世界においては、かろうじて存命しているヒトにも出会うくらいのかんじです。いわゆる手塚的なレトロフューチャーな未来観で、でも主人公の思考がドライで現代的なので、いま読んでもまったく遜色ないです(というか、あまり違和感なく読めるんじゃないかな、と思います)。

 ちょっとネタバレすると、未来人は(以下、ネタバレ→みな等しく人工的な身体操作?を受け、ヒト同士が争うことがない状態になってるんですが、そういう処置を受けてしまった未来人たちと、←ここまで)自分は決してわかりあうことは出来ないだろうというくだりなどは、スタージョンの『ヴィーナス・プラスX』(国書刊行会)に、ちょっと似てるかなって感じもありました。
雀部 >  たぶん人間は百年(いや千年でも)そこらでは本質的なところは全然変わらないだろうという推測の元、ベトリゼーション処置というアイデアを持ち込んで、未来人との断絶(デスコミュニケーションに)を描きたかったのでしょうけど。
とりこ >  そうだと思います>ディスコミュニケーション

 で、「萌え」というなら(そっちに戻すのか。。)『星からの帰還』はあるいみ女子的に萌えドコロ満載小説かもです!(恋愛以外に男子友情も入る。。)
 まあ、女子は一切出てこない『砂漠の惑星』なんかも、そう……かもですね(??)
 『砂漠〜』は、ドライというか人物描写が少ないので、わたし的には腐女子反応をおこすほどではなかったですが(こらこら)、でも、主人公の男性の隊長とのやりとりなど、なかなかです。
 『砂漠〜』の登場人物たちは、あまり細密な人物描写はなく、そのために匿名性が高いようにも思うのですが、それでも、それぞれ自律した性格、思考を思わせる奥行きがあって、なんとなく「どこかの研究室にいそうなヒト」だったり、艦長さんも存在感があって、人間くささ、厚みがあるなあと思います。

 レム作品におけるキャラ萌え度でいえば、やっぱり『宇宙創世記ロボットの旅』がわたし的にはベストで、トルルとクラパウチュスと、ときどきでてくる導師さまのかけあいなんかがもう、とってもキュートで! リクツっぽいですが、かわいくってたまらんです!(って)(笑)
雀部 >  まあレムは、私的にはそこらあたりは超越しちゃっている感じがするのですが。
 そういや、某所のとりこさんの日記で“『サターン・デッドヒート』はボーイズ・ラブとして読める”という記述に仰け反った記憶があります。なるほどと言う意味も含めて(笑)
とりこ >  え! 『サターン・デッドヒート』、あれはラブラブ小説ですよう! とくに1は、すんばらしいです。2は。。(ガクリと肩を落とす)(笑)

 わたしが思うレムは、視野の広さがやはりものすごくて、視点、批判の目線が常にある人で、且つ、それがかなり外部にあるというか。。
 思考実験も、ようは、人間の考えるちっさなせこい利害とか思惑とか、そういうのを超えた、もっと違う価値観、別の思考の枠組みというものについて、いろいろ考える一連の流れなのかなあという風にも思います。
(主人公が広い視野を得ようとするとき「ちっさな、せこい」眼前の様々なことに妨げられてしまう、そのあたりについては、多くの作品に描かれているように思いますし)

 人間社会、というものの外にある別の価値観について考えることが、たまたまSFのかたちをとるのかな、というか。でも、でも、SF的にも非常に完成度が高くて、『砂漠の惑星』にしても『星からの帰還』にしても、とてもカッコイイです。わたしは宇宙船の技術とかにはあまり詳しくないので科学考証へのツッコミとかよくわからないんですが、あまり古びた感じがしないです。
雀部 >  レムのSFは、科学考証に突っ込みを入れる話ではないですしね。そんなところにレムの興味はないし、描こうとしてないから。
とりこ >  それと、人間(および人間社会)についてまったく興味がないわけではないんだなという風に思います。ヒト、個人ではなくて、ソーシャルなものについて考えることが、人間を考える時に、セットになっているのかな、みたいな印象ですね。
 ヒトと社会をセットにして考えるというのは、わたしにとってはものすごく自然な流れなので、そういうあたりが、すごく好きですし、読んでいて常に面白いです。
 ただ「風刺」や「批判」の視線はあっても、それが既存の人間社会への「否定」のようには感じないんですよね。そこが面白いし、このヒトはとってもアタマいいなあと思います。レムを読んでて、後ろ向きなかんじというのは、ぜんぜんしないですね。むしろ前向きというか。。もちろん、知的好奇心の旺盛な印象は、とても強いです。

 どの作品も、いま読んでも、ほんとにものすごく面白いんですが、このひと、同時代のヒトと話があったのかなあ? とかついつい思ってしまいます。
雀部 >  ところで、とりこさんは、笙野頼子さんのファンでもあられるわけですが、レム氏と共通点ありますでしょうか? もし、レム氏が日本女性に生まれていたとしたら、どんな小説を書かれたでしょうね。
とりこ >  レムがもし女性だったら、というのはよくわからないんですが(レムのアイデンティティは男性であることを前提に確立しているように思うので、女性だったら、というのが想像できないです)、ただ、レムはフェミ的な観点からみて超OK! とわたしは思っております(←このへん、語りだすとやたら長くなってしまうので、今回はパスさせてください〜〜(^^;))
 ただ、もしタイムマシンがあったら……系のドリームを想像すると、レム氏と頼子サマとの対談、なんて、もしあったら個人的にはそれこそ鼻血モノです。お、面白そう……!

 レムと頼子サマの共通項ですが、先ほど出たソーシャルな問題、既存社会への批判の視点という部分で、両者は大きく重なる部分があると思います。
 作品として似ている、とは一見言いにくいですが(レムは、ご自分が社会的マイノリティであるかどうかとか、個人的なルサンチマンの部分には、とくに拘泥してないと思いますし)、ただ、人間のアイデンティティには社会と関連、および他者とのコミュニケーションの問題が切り離せないものだということが、ほとんどすべてのレム作品にあらわれているようにわたしは思うのです。そして、それは笙野作品においても、かなり大きな部分だと思うので。。

 わたしは、個人的にこのテーマにとても興味があるので、レムがおもしろいのも、笙野作品に心酔してしまうのも、そういう意味では同じという感じもしています。
 その意味で、笙野作品とレムの作品は、別の視点、別の切り口から、同じことにアプローチしているようにもわたしは思います。それに、哲学的、思想的な方向へ思考が広がっていくところも似ているようにも感じますし。。でも、そんなこと考えるのはわたしだけかも(^^;)


[雀部]
今回は、たなかさんととりこさんという女性お二人をお迎えしてのブックレビューです。
たなかさんは超短編の書き手、とりこさんはレビュアーとして、お二人とも「アニマ・ソラリス」ではお馴染みですね。男性・女性と区別すると、また怒られるかもしれませんが、やはり女性ならではの視点というものはあるなぁというのが実感です(汗;)
[たなか]
しろうとレムファンの超短編屋。創作以外で Anima Solaris に参加するのははじめてなので、緊張中。超短編をはじめとするたなかの創作群は「たなかのおと」をご覧ください。また、超短編投稿サイト「500文字の心臓」に参戦しつつ、持ち回り自由題選者をつとめています。「超短編マッチ箱」にも、創作と作品紹介で参加中。超短編仲間は毎日募集中です。
[とりこ]
とりこ(鈴木とりこ):ヘボOL、サボり主婦、ときたまレビュワーの3足のワラジをほそぼそと営んでおります。
先月刊行された青土社『現代思想』3月号・笙野頼子特集号に、「鈴木とりこ」名義でブックガイドを寄稿いたしました。超充実の特集なので、どなたさまも是非!

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