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BookReview

レビュアー:[雀部]&[栄村]

火星ダーク・バラード
『泰平ヨンの未来学会議』
> スタニスワフ・レム著、深見弾訳
> 集英社
> "Kongres Futurologiczny" by Stanislaw Lem
> 1400円
> 1984.06発行
> ISBN-13: 978-4087730586
 

雀部> 読者の皆様お久しぶりです。「スタニスワフ・レム追悼ブックレビュー」で、「『大失敗』編その3」をやってからから、二年半も経ってしまいましたね。さて栄村さん、今回取り上げさせて頂くレム氏の著作は?
栄村>

 人間の心は痛みをさけてよろこびや快楽を求めるようにできている。そんな人間たちがそれぞれの幸福や願望を実現する計画にしたがって生きる世界。そこではすべての者たちが最大の幸福をつかむことができるのだろうか。
 「泰平ヨンの未来学会議」は1971年にポーランドで出版された幻想的な寓話で、マルサス学派の人口危機という設定の中でこの問題をあつかっています。マルサスは18〜9世紀に生きた経済学者で、人口と食糧との関係についての理論を唱えた人でした。彼によれば、人間はいつも食料の限度以上にふえようとするものの、絶対的にふえすぎた人口は宿命的に食糧不足や、流行病、戦争、貧困や悪徳などにより結婚を控えざるをえなくなり、限度内に抑圧されるというものでした。

 物語は宇宙航海士・宇宙探検家である泰平ヨンが、第8回世界未来学会議に出席するため南米のコスタリカを訪れるところからはじまります。会議は人口過剰危機がひきおこすさまざまな問題、都市の荒廃、生態学的問題、大気汚染、エネルギー、食糧危機などが話しあわれる予定になっており、ノウナスのヒルトン・ホテルで開催されます。世界中から198名もの未来学者があつまるのですが、会議を時間内に終わらせるために講演には、わずか4分間の時間しかあたえられません。ひとりの学者が人口増加がこのまま続けば、この400年のあいだに人間は光の速度で拡大する生きた球体になるだろうといい、べつの者は人口爆発による終末をさけるために、広報活動と警察権力による禁欲、色情除去処置、強制的妻帯禁止等の禁止令をあげ、従わない者は重い刑罰や去勢処置をうけさせることを提案します。

 この時代、地球の人口は295億にまでふくれ上がり、天然の鳥はすでに絶滅しています。しかし、国家間の紛争はなく、気候は人工的にコントロールされ、福祉もあまねくいきわたり、街を歩く人は鸚鵡のように着飾り、その表情は気高く慈愛に満ちて微笑をたやすことはありません。だれもが立派で、陽気で、きちんとしており、熱心で、調和がとれ、幸福で、満足しているように見えます。お金は銀行に出かけ領収証にサインするだけで必要な額を債務をともなわずうけとることができ、返済する義務は良心にゆだねられています。借金を返済するのにどれだけ歳月がかかってもかまいません。(もっとも督促状は送られてきますが、それには良心の呵責と労働意欲を目ざめさせる揮発性の薬品がたっぷりとしみこませてあります)

 社会を支えているのは精神化学(サイコケミストリィ)−精神化文明(サイビライゼーション)という考え方でした。それによると人間はもともと動物から引きついだ旧大脳と新大脳の両方によってひき裂かれた存在でした。旧大脳は、衝動的で、理性がなく、利己的で、残酷性を持った本能に支配されるものであり、新旧両方がそれぞれ別の方向に、あたかも二頭の牛が別々の方向に荷車を引くようにひっぱりあうため、人を悩ますさまざまな葛藤がうまれてきます。精神化学のうみだす薬物は、そうした旧大脳の、動物的で、本能的なものをコントロールします。この時代の人々は自然の感情をあてにすることは不作法なことと考え、つねに状況に応じた薬を服用します。彼らは、薬が人をたすけ、支えになり、導き、向上させると信じています。おかげで、なにごとに対しても、もはや自然な感情の反応をおこすものはだれもいません。薬物の作用による感覚と自然の感覚をわける垣根はとりはらわれました。人は薬の力でものを学び、愛し、抵抗し、ものを忘れてゆきます。

 ヨンはこの時代のことを深く知りたいと思い、百科事典を探すのですが、本はどこにも見あたりません。代わりにガラス管に入った錠剤を見つけます。知識は学ぶものではなく、砂糖をまぶした情報物質によって胃から吸収されるようになっていました。飲めば高等数学がいきなり理解できる「代数錠」や、ダンテが「神曲」を書いたときとおなじかたい信念がえられるダンテジンという薬があり、また意識を二倍にし、どんなテーマでも自分と自分で議論ができるダブリンという薬もあります。彼は知識欲を満足させるために百科事典二巻分を飲むのですが、情報量が多いために腹具合がおかしくなり、おかげで不必要な知的重荷をとりのぞく忘却剤や健忘錠といった薬を飲む羽目になります。
 薬の力は人間の心のさまざまな部分にまでおよんでおり、子供の教育においては正字法ソーダ水を与えて読み書きをおぼえさせ、精神的成長においては、まず親への反抗期をうながすためか、パパゴロシロップをあてがい、その後、人格形成をうながすため、イイアラソインとクチゴタエールが、そして感情を沈め、両親と和解するためにオリアインとキョウチョールがあたえられます。

 信仰についても薬は信者をふやすことにおいて、ほぼ全能の力を持っています。24時間営業のやわらかいオルガン演奏がバックにながれるセルフサービスの食料品店では、免罪薬や神学薬をはじめ、あらゆる宗教の特効薬――キリストジン、アンチキリストジン、ブッジン、ヒンジン、イスラミンをはじめ、光輪を放つパックにつつんである秘蹟授与剤(サクラメンタル)や聖体礼拝錠が棚におかれ、いずれも錠剤か丸薬、シロップ、粉末、点滴薬、幼児が飲みやすいようにキャンディにしたものまで売られています。
 渇仰薬には慈悲散、良心膏、罪過錠、免罪丸といった信仰布教薬が調合され、聖餐(せいさん)カリを飲めばたちまち聖者になることもできます。陶酔教という宗教団体では、信者のための極楽往錠(ごくらくおうじょう)、マゾヒスト用のアクマンとイキジゴクールが用意され、信者はイノリンを使って床にひざまずき敬虔な祈りをささげています。おかげでそばを通りかかったヨンも薬にあてられ、あやうく中にかけこみそうになります。また訪問先の晩餐会で目についたもの――スプーンだろうとランプだろうと机の脚だろうと、何でも信仰しはじめるココロガワリンを一服盛られ、ナプキンを紙と奉(たてまつ)るはめになります。

 ヨンはゆっくりとこの奇妙な新しい経験になれてゆきますが、次第にいらだちとともになにかしらの罠にはめられたような、うす気味の悪さを感じはじめます。そんなとき、シミングトンというひとりの企業家と出会います。彼の会社は人に悪をおこなう満足感をあたえる精神化学薬をつくっていました。

「最大多数のための最大幸福というベンサムの夢は実現されました――しかし、それは銅貨の一面にしかすぎません。『人はただ幸福であるだけでは十分ではない、さらに他人が不幸であることが必要だ』といったフランスの哲学者のことを覚えておいででしょう!」
「パスカルの格言だ!」吾輩はむっとして言った。
「たしかにそのとおりです。で、『プロクルスティクス社』で何を作っているかご存じですか? あそこで大量生産しているのは悪です」

 前置きのあと、シミングトンは人々が心の底で悪を求めていることを説明しはじめます。

「文化とはつまり、かつては、人とは善人でなくてはならないと、人間が人間を説得することでした。そこではただ善人しか必要としなかったのです。ほかのものは全部どこか目につかないところへ押しこまれてしまったのです。歴史は、善人以外のものを説得したり、警察を使ってとにかくどこかへ押し込みはしましたが、いつも最後には、なにかが頭をもたげ、逃げだし、反乱を起こしたのです」

 ヨンはこの精神化学薬に支配された世界が、その負担以上の問題を生みだしていることを確信します。そこでは一見だれもが優雅な立ち振る舞い、天使のような清らかさ、崇高な美しさを持っているように見えます。しかし、人間が動物からひき継いできた部分を抑圧しているため、はげしいフラストレーションがうまれ、強い光がより濃い影を生みだすように、人々は心のバランスと平安のため、精神衛生のために、悪の幻覚をみせる薬――拷問や、性的暴行、殺人をおこなう幻覚を見ることができる、純然たる悪と完全な空想をだれもが満たせる薬を求めているのでした。
 ヨンはこの世界の人々の立ち振る舞いの、日常の中のさも優雅そうな物腰の陰に隠れる影の部分に気がつきます。ここでは人間のなかにある心の闇が、薬の力を借りてひきだされていました。彼は、はげしい不快感をおぼえ、薬をすべて処分します。そして、これからは誰のいうことにも耳を傾けないことを決意し、部屋にとじこもって孤独な生活をおくりはじめます。
 しかし、ある日、雑誌の中にコスタリカの未来会議で一緒だったトロッテルライナー教授の名を見つけてびっくりし、さっそく会いにゆきます。彼もヨンと同じく冷凍され、この時代で蘇生させられていたのでした。ヨンは自分の不安と薬にたよるこの文明への嫌悪感を打ち明けますが、意外にも彼は、皆とおなじように薬をうけ入れるように忠告します。当惑するヨンに、人々が飲む精神薬は氷山の一角にすぎず、現在ではそれとはくらべものにならない薬――現実を遮断し、人々に日常的にリアルな幻覚、白日夢を見せる薬がすでに使われていることを話します。マスコンというこの薬は、サイバーパンク世界の仮想現実のようにはたらき、人間の知覚を変えて現実を包みこむばかりか、どんなものも虚構のイメージでおおい隠し、世界認識さえ変えます。そのため、この薬の影響下にある者は自分の見ているものが現実に存在しているのか、それともまぼろしを見ているのか、判断がつきません。トロッテルライナーは、さらに恐ろしい事態がこの世界で進行していることをほのめかします。「たとえ一瞬にしろ、マスコンが生み出した架空の世界ではなく、実際にわれわれをとりかこんでいる現実の世界を見たら、震えあがってしまうにちがいあるまい」

 ヨンがアンチフという覚醒剤の一種強力な抗精神化学薬の入った小瓶を渡され、そのアーモンドに似た鋭い香りを嗅いだ途端、現実の崩壊がおこります。それまでトロッテルライナーと一緒に食事をとっていた豪華な五つ星レストランは蜃気楼のように消え、コンクリートの待避壕のなかで、ひしめきあう群衆とともに、足を朽ちた藁蒲団につっこみ、むき出しの木のテーブルの前に座っている自分に気づきます。水晶のように虹を放っていたシャンデリアは、ほこりをかぶった裸電球にかわり、雪のように白いテーブルクロスも消滅します。テーブルの上の銀の大皿は瀬戸物の食器へ、ヤマウズラのこんがりと焼けたきつね色の鳥の皮と、ぱりぱりに焼け、汁気をふくんでいる厚切りトーストも、どろどろした灰褐色の粥へとかわり、かつて錫(すず)だった古びたフォークにからみついていました。

 やがてアンチフの強烈な一撃がすぎると、汚れたテーブルはふたたび雪におおわれたように純白になり、クリスタルガラスが輝きはじめます。テーブルの上の灰褐色の粥はふたたび湯気をたてているヤマウズラと香ばしい匂いの焼けた厚切りトーストになり、足下の藁もペルシャ絨毯へとかわります。

 そのありさまに呆然としたヨンは、何らかの陰謀や邪悪な意図を感じ恐怖と怒りを感じます。しかし、トロッテルライナーは首を振り、すべては思いやりと人道主義からおこなわれたのだと語ります。いまや大量のマスコンの粒子が大気中のいたるところにばらまかれ、地平線の彼方までひろがる幻影の世界を作りだしています。多くの人が魅力的なフィクションの領域で自分たちの人生をおくり、永久に現実性を失いました。しかしその背後には、想像をこえる人口爆発により、人類はすでに零落していたというおそろしい真実がありました。だれもが申し分なく手入れをされた自然と先端技術を持つユートピアの幻想を見ていたとき、じつはヤマウズラをはじめ、多くの動物が死に絶え、経済、環境、人々の健康は、すでにとりかえしがつかないほど崩れさっていたのでした。
 ここからヨンをとりまく現実は雪だるま式に崩壊してゆきます。彼はその後、ビルから下を見下ろすのですが、川の流れのようにつらなる車の列も、じつはまぼろしであり、そこにはただビジネスマンたちが、ドライバーのまねをして遊ぶ子供のように、胸の高さまで腕を持ち上げ、徒歩で列をつくり走っているだけでした。人類が現実に所有している実在の領域は、いまやおそるべき速さでどんどん縮小しています。この幻影の世界を作り出した設計者は、いままで、現実にパッチを当ててきた上にさらに精神化学薬とマスコンのもたらす副作用にもパッチを当てなければならなくなり、さらなるマスコンを大気と水の中に入れました。しかし、人体が大量の薬剤にさらされることにより副作用があらわれてきます。次の世代には体に斑点があらわれ、背中は長くのびた剛毛におおわれ、耳にとげが生え、扁平足で、たえず走っているために心臓は肥大し、肺気腫にかかる者たちが大量に生まれてくることが予測されていました。それでなくとも、人々はすでに薬による影響をうけて、体が変形し尻尾を持っているのでした。

 トロッテルライナーは、さらにマスコンのレイヤーから幻影をとりのぞく、より強力な薬の入った二つの小瓶をわたします。ヨンがそれを使うたびに積みかさなった精神化学薬の幻影のベールがはがれ、下からより真実に近い層が姿をあらわします。
 最初の瓶を使ったとき、彼が見たのは建物にはもはやエレベーターなど存在せず、エレベーターシャフトの壁をよじ登るビジネスマンの群れでした。街の雑踏を歩く通行人に正常な体を持った人間は見あたらず、しみだらけで剛毛が生えており、角を生やした者や、背中に鱗をもつ者、しわだらけの象のような耳をした女性が、ホームレスのように古新聞、藁の束、麻袋を身につけて歩いています。そして、その間をロボットが薬剤の噴霧器や計測器を持って人々が必要以上の薬を摂取することのないように動いていました。
 ヨンはあまりの光景に衝撃をうけ、うっかりふたつ目の小瓶を使ってしまいます。現実の殻がはがれ、別の層があらわれてくるというおそろしい予感の中、あたりは明るく、真っ白になります。歩道には雪が積もって凍りつき、街は荒涼とした冬の姿になっています。店先からけばけばしい商品が消え、軒や街灯からは、つららが垂れさがり、身を切るようなつめたい空気につよい悪臭と青黒いもやが漂っています。そこにはもはやロボットは一体もいません。というのも、ロボットは、自分たちがロボットだと薬の力で思いこまされた人々だったからです。ヨンは象徴的な光景を見ます。それはこの氷結した世界、雪の中でこの上なく幸福そうに眠るぼろを着たひとりの男の姿でした。彼は自分の家のベッドで羽根布団にくるまっているような格好で寝そべり、満足しきった表情をうかべて、素足で雪をほじくり返していました。そしてその横を、他の者に薬をふりかけたりすることで忙しい人間たちが、彼をまったく無視して通りすぎてゆきます。ヨンは氷に閉ざされた世界にいるにもかかわらず、まるで荒涼とした砂漠の中にいるような気持ちになります。

 絶望的な現実にうち砕かれたヨンは自分の存在を隠しこっそりとネズミのように隠れて生きたいと願います。しかし一方では、この事態はだれかが慎重に計画したことだと考え、それを知るため、内情を知っていると思われるシミングトンのもとへと向かいます。ヨンがあらわれたときシミングトンは控えめな事務所のイスに座り、彼がくるのを待っていました。破滅を目前にして運命をもはや変えることがかなわぬのなら、せめて人々につらい思いをさせないように真実を隠す――これは最後にのこされた者たちへの人道的行為であり、人としての義務ではないのか、彼はこう言って、平和と秩序を守る最後の手段としてマスコンが使用されたことを話します。そして、みずからは臨終をむかえた者への終末麻酔医としての役割をはたしていることを強調し、世界の終わりを隠すため幻影の中に人間を沈めるという、歴史上もっとも大きい隠蔽を正当化します。

「今年は2098年だ。合法的に登録されている人口だけでも690億、他に登録されていない非合法的な住民が260億はいる。年間の平均気温は4度に落ちこんでいる。ここ15年か20年で氷河期がやってくるだろう。その進行を阻止することは不可能だし、遅らせることもできん――やれることといえば隠すことだけだ」
「前からここはきっと氷地獄にちがいないと気づいていたが・・・・だからあんたがその門にきれいな絵を描いているのだな?」
「まさにその通りだ。われわれは最後のサマリヤ人というわけだ」

(註:サマリア人――憐れみぶかい人の意。聖書のルカ伝10:30−37より)

雀部> ご紹介ありがとうございます。
 この『未来学会議』は、レム氏の著作の中でどういう位置を占めているんでしょうか。
  [来月号に続く]


[栄村]
レムの30年来のファン。「砂漠の惑星」を読んだのが、SFに本格的に身を入れるきっかけとなりました。彼が亡くなる前に一度、ポーランドを訪れたかったのですが……。
生前、レムが言っていたように、インターネットで世界中から情報が入ってきて便利になる反面、駆けめぐる膨大な情報のために、ますます世の中は複雑化し全体像が掴みにくくなっているような気がします。彼のような広い知識と視野をもつSF作家は、これからますます生まれにくい状況になっているのかもしれませんね。
[雀部]
スタニスワフ・レム追悼ブックレビューから一年半(汗)
お待たせしました。今回は、絶版本の『泰平ヨンの未来学会議』を取り上げました。

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