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Bookreview

レビュー:[雀部]&[崎Q]

わたしは虚夢を月に聴く

ISBN419-905067-1 C0193
上遠野浩平著/中澤一登イラスト

徳間デュアル文庫 590円 '01/8/31
粗筋:
 虚空牙が襲ってくる絶対真空から背を向け月面に閉じこもってしまった人類。より大きな敵から目を背け、内部抗争に励む人類に絶望した人々が造り出した数万個の受精卵が隠されたファウンデーション・プラント。その受精卵たちを生き延びさせるた
め、夢を見させるために巨大な機械群が作り上げたのがこの世界なのだった。
 その世界で生きる一人の少女が、自分の存在に疑問を持ちつつも、侵入してくる虚空牙のデーモンと闘う。
 前作に続き仮想空間と宇宙空間が渾然一体となった世界ですね。時代的には前作の『ぼくらは虚空に夜を視る』より随分前の時代です。同じデュアル文庫から刊行の『少年時代』所載の「鉄仮面をめぐる論議」と同じ頃かな。今度の戦闘シーンは、仮想
空間で、潜入した虚空牙がダウンロードされた人間と前作でも登場したキャラたちの闘いですね。今度は仮想空間上の戦いが、現実の宇宙空間での戦いに影響を及ぼすところが変更点かな。メタ・フィクションがお好きな方には絶対のお薦め(^o^)/
紫骸城事件

ISBN406-182184-9 C0293
上遠野浩平著/金子一馬イラスト

講談社NOVELS 880円 '01/6/5
前作『殺竜事件』と同じ設定の中で語られるファンタジー・ミステリ第二弾
粗筋:
 三百年前、究極の魔女として生まれ、全世界を恐怖で支配した魔女リ・カーズが、魔法によって作り上げられた最強の破壊兵器オリセ・クォルトと戦うエネルギーを集めるために用意したとされる城<紫骸城>。その城の中では魔力が吸収されるという特異な構造を活かし、現在は魔術師たちが互いの技を競いあう魔導師ギルド主宰の限界魔導決定大会の開催地となっていた。この城に入るのも出るのも専用の呪符がなくては不可能で、しかも大がかりな魔法は、紫骸城に吸収されてしまうため、この城は一種の密室状態であった。
 ところが、前年の優勝者が変わり果てた姿で登場したのを皮切りに、今年の大会に集まった者たちが次々と謎の死をとげていく。審判役としてやって来ていた魔導大佐フロス・フローレイドは、擬人機のU2Rと協力して事件の捜査に乗り出すが・・・
 前作の方がミステリ味が強かったかな。今回は戦地調停士ミラル・キラルの双子の姉弟のキャラが強烈でした。一風変わったファンタジーとして、また変格ミステリとしてもお薦めできます。

上遠野浩平先生のその他の著作紹介

[雀部]   今月号の著者インタビューは、八月三十一日に徳間デュアル文庫から『わたしは虚夢を月に聴く』を出された上遠野浩平先生です。上遠野先生、よろしくお願いします。
[上遠野]  よろしくお願いします。ところで細かいところでありますが八月三十一日じゃなくて二十一日でした。この日にするために関係者各位が血の滲むよーな苦労をして、作者はストレス性の皮膚炎を発症させてしまったりと大変だったので。本当に三十一日にしよううって言ってたのに、聞かねーんだもんなあ徳間の○野さんは。あの人の仕事量は生きているのが不思議だ。しかし原稿が上がったのが八月X日なんて怖くて言えません。
[雀部]  ありゃま、そんな壮絶な時間との戦いがあったんですね。それでは読者も心して読まねばいけませんね。
 実は、うちの長男と三男も《ブギーポップ》の大ファンでして、三男(高校一年)は夏休みの宿題の感想文で「《ブギーポップ》シリーズを読んで」とか書きまして先生の顰蹙をかっていました。私も身に覚えがあるので、こういう本の感想を書きなさいとは言いませんが。別々に買っているんで、三セットあるんです(笑)
 丁度一年前に出された『ぼくらは虚空に夜を視る』と、『わたしは虚夢を月に聴く』は、題名も対になってますし、乱暴に位置づけると、前者が現実(宇宙空間)が仮想世界の人格を目覚めさせる話、後者が仮想世界から現実(スタースクレイバー)への呼びかけとかが軸になっているような気がします。やはりこれは最初からペアにすることを意識してお書きになったのでしょうか。
[上遠野]  全然考えてないです。というかそもそも「ぼくらは虚空に夜を視る」に続編があるなんてことも去年の時点ではまったく考えていなかったし。小説を書くというのは可能性を探っていく作業でもあるわけで、書いていて「あ、こういうこともアリじゃんか」と見つけていく過程で、特に私の場合は他の作品との関連が生まれていくので、作者的にぶっちゃけて言ってしまえばブギーポップシリーズとして流通している作品群と「夜を視る」の関係も「月を聴く」とのそれと同じです。もちろん「殺竜事件」も。ただタイトルに関しては明らかに対にしようと思いました。だから徳間デュアルからもしもう一冊出すとしたら、内容はともかくタイトルはまた似たようなものになると思います。そんな予定と構想はまだありませんが。
[雀部]  わかりました。自然発生的にできてきたものなんですね。
 さて『ぼくらは虚空に夜を視る』『冥王と獣のダンス』(電撃文庫)→「鉄仮面をめぐる論議」(『少年の時間』所載)→『わたしは虚夢を月に聴く』という順番で出版されたわけなんですが、物語の時代背景的にはどういう順番になっているのかちょっと気になりました。「鉄仮面をめぐる論議」と『わたしは虚夢を月に聴く』には“スタースクレイバー”が出てくるから同時代で、一番昔ですよね?
 で、それから数千年後の地球の話が『冥王と獣のダンス』で、五千年後から一万年後のカプセル船での話が『ぼくらは虚空に夜を視る』だと感じたんですが、合っているでしょうか?もっとも読む上では、重要ではないのは分かっているんですけど、SF者としては(笑)
 どの時代の<夢>を見せるかはジャイロ(シールド)サイブレータの考え次第なので、現在の風俗の記述が出てきても、それは実際とは違うわけですし・・・
[上遠野]  SF者とかおっしゃるので、まあ怒らないだろうと思ってワケわからんコト言ってしまいますが「ぼくらは虚空に夜を視る」のあの小説中での、調整されていない客観時間は最低でも数百年あると思います。「鉄仮面をめぐる論議」と「わたしは虚夢を月に聴く」でのスタースクレイパー登場シーンの間には何百年か何千年かありそうだ(そんな長いこと生きているなんて奴らはどこに住んでいるんだ)。「冥王と獣のダンス」の時代では、というか作品中のキャラの立場からは、宇宙で何をやっているかまったく知らないだろうなあ(枢機王は・・・知っているかな)。小説のそれぞれの時間の流れがバラバラなので、重複している時期も多そうです。特に「月に聴く」は時間の整合性が存在しない小説なので。というわけでどんな解釈をされても、それが正解なのです。だから合っているかと訊かれれば、合っていますと答えます。それでは。
[雀部]  ありがとうございます、時間的には全く整合性がないということがわかっただけでも大収穫です。
 わたしは、絶対真空の、超絶虚空に人の精神が押し潰されないために用意されている世界というアイデアが、とても気に入っているんです。それと冷凍冬眠させている人間も、コアにつき合わされて夢を見せられているというのも。SF的に考察すると、絶対零度近くまで冷やされた脳神経細胞(シナプス)は、超伝導状態になっていると想像できます。しかし、発火はしてないと。そこで、彼らを強力な磁場の中に置いて移動させる(磁場が移動するのかな)と誘導電流が流れて、結果として夢を見るのではないかと想像しているのですがどうでしょう(笑)
[上遠野]  知りません(笑)。というか、あの文明では、現代我々ではまだ発見してない未知なる物理現象に基づいて色々な物を造っているだろうから、確かにそこには超伝導も磁場による誘導現象も起こってはいるのでしょうが、それは本質的な機能ではないと想像できます。例えばF1カーが走る際に、タイヤと地面が激しく擦れることで高熱が生じますが、別にあれは発熱器ではないわけです。冷凍とか劇中では言っているし、水分が凍りついたりもしていますが、それはあくまで二次的なものではないかと。ではその未知なる物理原則とは何かと訊かれるとこれは要するに、知りません(笑)
[雀部]   ジョン・E・スティスが『レッドシフト・ランデヴー』で、光速の値を遅くして結果として超光速を得ていましたが、<相剋渦動励振原理>も時間加速が段階的に区切られているところなど相似点もありますね(すみません、独り言です。そういえば、石原先生の名作「オロモルフ号」も。こちらのほうが古いですが。)
 「SF Japan」の三雲岳斗先生との対談で、上遠野先生は「SFの基本はヴァン・ヴォークトである」とおっしゃられていますが、貴人漂流譚という点からもそれは感じました(注:平凡な生活を送っている人が実は・・・というやつ) このスタンスは、ファンタジーとも相通じるものがあると思います。というのは、ジェフ・ライマンの『夢の終わりに・・・』で「ファンタジーとは、痛めつけられた子供が、最後に逃げ込む隠れ場所だ」という記述があって、なるほど確かにそうだと思いました。上遠野先生は、そういう逃避文学としての側面をどうとらえていらっしゃるのかお聞かせ下さい。
[上遠野]  SFの基本がヴォークトだと言ったのは、私が魅力を感じる部分がそういう所であるという意味で、別に他の人にそれを押しつけるつもりはないです。あと「結果的に超光速」というのはまあ、私の場合はワープとか「抜け道」で他の所に行ってしまうのではなく、あくまでもこの世界の中でじたばたする人間たち、というテーマ的なところから造ったような所があり、あんましSF的な新しいアイデアの提示、というつもりはありませんし、現にそうでしょう。ワープというのはなんか、この世でないどっか別の所に行ければいいなあという、かなりファンタジーっぽい要素から支持されているアイデアのような気がするのですが。そういう意味では私はSFとファンタジーに境目はないと思っています。境目をつけようとするとなんか、その途端にその意見はものすごくドグマティックになるような気がします。特にファンタジーの方からの言い分が。で、痛めつけられた子供が幻想を求めるのは、それが「武器」だからだと思います。決してそこに逃げ込むために彼は幻想に魅力を感じるのではなく、あくまでそこにある、そして現実にはまだない“なにか”を使って世界に挑むために、剣と魔法とか宇宙人の侵略とか超能力者が弾圧される話とかは、彼らにとって意味があるのだと考えています。逃避は逃避ですが、それはただこの世界に居場所がないからであって、彼らが弱っちいからこそこそしているのだとは、これは思いたくないです。それは世界の方が悪いのです。だから世界に戦いを挑むために、そういう物語は必要とされているのだと思います。まさに「武器を必要とする者はこの店に来たれ」というイシャーの武器店の如く・・・なんか口調が強くなっていますが、こういう話だと私はかなりガンコですんで、ハイ。
[雀部]  力強いお言葉ありがとうございます。読んで元気づけられるファンの方達も多いことでしょう!
 ちょっと関連するのですが、上遠野先生の作品の魅力の一つに「人間とは<空虚>なものだという認識」があると良く言われてますが、私はそんなことはないのではないかと思っています。うちの三男も「読んでいるとすごいフレーズがあって、あ、これオレのことやと思う」そうです。主人公たちのつぶやきは、上遠野先生の経験から発せられたものなのでしょうか?
[上遠野]  質問されているような意味では違いますが、またその通りでもあります。要するに自分が見てきたり読んだりしてきた作品の影響を、それも経験だというのなら、正に経験の産物であると思います。なんつーか、バーチャル世代とかポストモダンで主体性を失った時代とか言うのは簡単なんですが、それならやっぱりそーゆーのも「人生」なんじゃないの、とか。まあ世間一般的には、私はただの引きこもりのむさい男でしかありませんが。
[雀部]  『殺竜事件』と『紫骸城事件』は、ファンタジーとミステリが合体した作品なのですが、ファンタジー・ミステリというと、古典ではランドル・ギャレットの『魔術師が多すぎる』『魔術師を探せ!』が有名ですが、珍しいですよね。
 《ブギーポップ》などでも上遠野先生のパズラーとしての魅力の一端が伺えますが、この二冊はミステリファンにもお薦めできると思っています。そこで、上遠野先生が、この二冊を書かれるにあたって苦労された点、また反対に楽しかったところがおありでしたらお聞かせ下さい。
[上遠野]  だからジャンル間の違いとかは意識しないと言うのに(笑)。『殺竜事件』の時は、ほんとうにキャラクターに旅をさせたくて設定をつくったという感じでした。この場合「旅をする」という要素の方が「この作品はファンタジーだから」「ミステリーだから」という括りよりも作者的には大きなものなんですね。それで結果としてファンタジーになってしまったりミステリーになってしまうのは、もしかすると単に私に引き出しが少ないからかも知れない。どうも好きなもの、興味あるものに引っ張られてしまうという。まあ読者に私の考えていることがわかってもらえるように描かなくてはという事情もあるんですが。しかし評論筋とかは、まずその二義的な括りから論じられることが多いので、それで私の作品というのはなんだかその辺で収まりが悪いのかも知れません。自分で個人的にジャンルを述べよと言われると、なんかちょっと変わった「変身ヒーロー物」かなあ、とか思うんですが。仮面付けてるし(笑)。作品を描いていて楽しかったことは、殺竜事件の方はほんとうに、キャラクターと一緒に旅をするのが楽しかった。なんかすげえ単純な話ですが。紫骸城事件のときは、なんかこう「悪意の塊」みたいな感じで、ひたすら意地の悪いことをするのが楽しいという。
これまたなんか・・・ははは。苦労した点は、基本的に小説を描くのは、というか仕事をするのは苦しいことなので、殊更に「これが苦しい」というよーなものはないです。
[雀部]  ジャンル間の違いは気にしないというのは、確か三雲岳斗先生との対談でもおっしゃられてましたね。批評というか感想を書く方の立場で言わせて貰うと、ジャンルで論じるのは楽なんですよ〜。格好が付けやすいし、さり気なく自分の知っている知識をひけらかすと、博学にも見えるし(爆)
 インタビュアー二番手は、上遠野先生の熱烈なファンであり、上遠野先生のメーリングリストも主宰されている崎Qさんです。では崎Qさんよろしくお願いします。
[崎Q]  上遠野先生との出会いは第一回の電撃ゲーム大賞受賞者の高畑氏の「タイムリープ」を読んで、電撃文庫に興味を持ち、金賞受賞作ということで刊行初日に即買したのが出会いです。
その構成力もさることながら、冷たくて熱い台詞回しに惚れ込んで周りに布教活動をしていました。そうこうしているうちに、上遠野先生のファンが集える場を作ろうと思いMLを立ち上げたのが99年の3月(ブギーポップ・オーバードライブや映画の噂が流れたころぐらいですね)。順調に布教しつつ今日に至っています。MLの方も参加者も200名を越え、ぼちぼちと活動しています。
 質問ですが、前回と違ってオムニバス形式にしたのはどのような理由からでしょうか?
[上遠野]  そういう作品だから(笑)。理由はそれ以外ないです。前回、といいますが、だから別に『虚夢を聴く』にとって『夜を視る』は作者的には前回ではないので。
[崎Q]  私は、「ぼくらは虚空に夜を視る」で、ひさびさに越境少年物を読みました。
 越境物は少女やおじさんが異世界にとばされる物が比較的多いと思いますがこの点に関してのこだわりなどありますか?
[上遠野]  越境ものっていうのは要するに「不思議の国のアリス」みたいなもののことですか?
いやそういう言葉はじめて聞いたんで。別の世界に飛ばされるものというよりも、『夜を視る』の場合は、元の世界も不安定、というようなニュアンスなので、中年男が過去に戻ってどうこう、という話とはちと違いますか。そういう意味での「越境もの」も今後描いてみたいとは思います。
[崎Q]   「あとがき」ファンなんです。最初から最後まで「あとがき」しか無い本とかの企画はないのでしょうか?というのは冗談として、エッセイ集などのご予定は?
[上遠野]  ありません(笑)。冗談で編集の人と「霧間誠一の本を出したら売れるかな」とか話をしているくらいです。あんまり私のしている仕事の領域では、その手の本は企画さえされないのが現状です。だから書きたいことがあるならあとがきにするしかないというか。一冊小説を書く必要があるから手間は掛かりますが、この世の中には抜け道があるもんです。
[崎Q]   最後に、今後の著作のご予定をお聞かせ下さい。
[上遠野]   よくわからん(笑)。今は電撃hpで連載している「ビートのディシプリン」の作業をしていますが、その後はどーするんだろう、俺・・・。たぶん講談社がらみの仕事だと思いますが、でもこれ本が出るのはだいぶ先だしな。正直最近バテてて(笑)年内はもう本は出ません。
[崎Q・雀部]  今回はお忙しいところを時間を割いて、インタビューに応じていただきありがとうございました。
 これからも応援を続けますので、いつまでも我々読者を楽しませて下さいませ。

[上遠野浩平]
  '68年12月12日生まれ。法政大学第二経済学部商学科卒。
 ビル整備会社に勤めるもすぐに退社。投稿生活に入り、'98年に「ブギーポップは笑わない」で第四回電撃ゲーム大賞を受賞しデビュー。
 以降の作品に「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー<パンドラ>」「殺竜事件」等がある。

[雀部]
 48歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
 ホームページは、http://www.sasabe.com/

[崎Q]
 Q'sWEBSITEという、私が好きな小説や漫画についてのHPを運営しています。小説では、上遠野先生をはじめ小野不由美先生や、古処先生。漫画では奥瀬サキ先生を中心に掲示板やチャットを運営しています。小説はもともとスニーカー文庫などから始まり、海外FT、国内ミステリーを中心に読んでいます。
 URL:http://www.lares.dti.ne.jp/‾sakki-/


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