雀部 |
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15年前に小学生だった娘さんに童話を自作してプレゼントされたのが最初だとお伺いしましたが、それからずっと作家を目指してこられたんですか。 |
神崎 |
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いいえ。作家を目指したことはありません。 |
雀部 |
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ありゃ(ポリポリ)
いや、これだけの作品を書ける方は、ぜひ次作を書いていただかないと困ります。
日本のSFファンに対する義務であると思うのですが(笑)
こういう理系の匂いのするファンタジー系の作家というと、芥川賞を受賞された川上弘美さんがいらっしゃいますが、神埼さんもぜひもっと書き続けてもらわないと~。切実に希望します。 |
神崎 |
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ありがとうございます。やってみます。 |
雀部 |
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ぜひお願いします。
作家としてのデビューは、遅いほうだと思うのですが、なにかご苦労されたことがおありでしょうか。また、これは歳をとってないと書けなかったと感じられたことはあるでしょうか。
私は、このなかの「飛開原」がとても好きなのですが、作中の“ぼくらはみんな、生まれた瞬間から永遠の不在をしょっているんです”というセリフにも感じ入ってしまいました。すごく含蓄があります。 |
神崎 |
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デビューとは思っていないので、苦労もありません。歳に関しては、古いSFを知っている点が強みだわよと思っています。
「不在の風景」は子供の頃から見ていました。見ると涙が出るので、何故だろうと、いつも不思議に感じていました。「飛開原」という名字に出会った瞬間、謎が解けたのです。気に入っていただいて、とても嬉しいです。 |
雀部 |
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表題作の「幻の向こう側」でも牡鹿くんが、似たような感想を述べてますよね。
日常と非日常というか、自然と人があつらえた物の危うい関係が上手く切り取られた表現だと思いました。
あの飛開原が成立する条件として「人工物であるここと、人間の不在」もう一つが「飛開原を感じ取ることのできる、ぼくら自身」とありましたが、これは「人間原理」のバリエーションですよね。SFファンだと、ついこういう所に反応して唸ってしまいます。なんというか、嬉しい驚きと申しましょうか(笑) |
神崎 |
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そうですね、人間原理に近いですね。情報というもののとらえ方だと思います。ほら、フレドリック・ブラウンの短編にあった「誰も聞く者のいない森の中で木が倒れたら、音はするのかしないのか」というやつですね。情報は受け取る者がいなければ情報とならない。感じ取る「ぼくら自身」がいなかったら飛開原は存在しません。その飛開原を物理的に形作ったのは「ぼくら」なのですから、やっぱりフィードバックでしょうか。 |
雀部 |
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「叫べ、沈黙よ」(『真っ白な嘘』所載、創元推理文庫)ですね。私も大好きな、だけどちょっと怖い短編です。最近のSFでも、この情報の捉え方を題材にした作品が良く見受けられますよ。清水義範さんの『銀河がこのようにあるために』なんかはその代表的な例ですが。こういう認識は、いわゆるメタフィクションにも相通ずるものがあると思いますが、そういう方面の作品を書かれようと思われたことはおありでしょうか。 |
神崎 |
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メタフィクションというのがわからないのですが、超小説というような意味ですか?
私は自分が読みたい物語を書くだけなので、そういった認識は別にないと思います。 |
雀部 |
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私の理解しているところでは、現実と虚構の境界を危うくする感覚を味わえる小説です。評論では、巽孝之さんの『メタフィクションの謀略』
があります。ピンチョン、筒井康隆、ルーディ・ラッカー、スティーヴ・エリクソンらの小説が取り上げられていました。
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神崎 |
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ああ、そうなんですか。勉強不足でした。読んでみます。 |