| TOP Short Novel Long Novel Review Interview Colummn Cartoon BBS Diary |

Author Interview

インタビューア:[雀部]&[しお]&[ダン]

『ノルンの永い夢』
> 平谷美樹著/ヨコタカツミ画
> ISBN 4-15-208456-1
> 早川書房
> 1800円
> 2002.11.30発行
 SF新人賞を受賞した岩手県在住の新人作家、兜坂亮は、授賞式から帰ると、ただ一人の身寄りである義父が居なくなっていた。本間鐡太郎という数学者をモデルにした小説の執筆を依頼されてから身の回りに不穏な事件が続く。調査を進める亮の周囲で、公安調査庁が不気味な活動を始めた……
 一方、暗雲たちこめるドイツでは、16歳にして天才数学者の本間鐡太郎は、高次元多胞体理論なる独自の時空論に到達していた。

『約束の地』
> 平谷美樹著/芦澤泰偉装幀
> ISBN 4-7584-1011-9
> 角川春樹事務所
> 2100円
> 2003.6.8発行
 フリーライターの高木琢己は、かつて取材したことのある、《超能力者同盟》に関わっていた新城邦明の訪問を受ける。彼の依頼は同じサイキックたちの住所を探り出してくれというものであった。邦明は、何かと摩擦の多い普通人とは隔離された<約束の地>に仲間達と移り住もうと考えていたのだ。
 一方、陸上自衛隊の櫻木陸佐は、サイキックたちを兵器として使う計画に加わり、邦明たちを捕まえようとしていた。

平谷さんがどんな先生かちょっと興味があるんですが…

雀部 >  今月の著者インタビューは、『ノルンの永い夢』作者の平谷美樹さんです。
 また、インタビュアーとして、平谷先生の教え子でもあるしおさんと、古くからの読者でもあるダンさんをお招きしました。しおさん、ダンさんよろしくお願いします。
しお >  雀部さん、ダンさんはじめまして。しおでございます。どうぞ、よろしくお願いします。平谷先生、お久しぶりでございます。
ダン >  雀部さん、しおさん初めまして。ダンと申します、どうぞ宜しくお願いいたします。平谷さん、ご無沙汰しております。
平谷 >  ダンさん、こちらこそご無沙汰しております。
 しお姉。こんな所でなにをしているんだぁ!
 いやあ、アニマソラリスは前回といい、今回といい凄いサプライズ企画をするのですね(汗)。
しお >  いやいや、こんな所で先生とご一緒するとは思いませんでしたヨ。
平谷 >  ほんとだよねぇ。しばらく会っていないから、ぼくの頭の中にはまだ中学生の〈しおチャン〉の顔が浮かんでいる(笑)。なんだか、T中の放課後の美術室かなんかで雑談してる雰囲気ね(笑)。
 机を四つあわせてさ。雀部さん、ダンさん、しおチャン、ぼくが座って。
 しおチャンは中学生の姿だけど、もう社会人だからお客さんとしてコーヒーを淹れてあげよう(笑)。
しお >  それじゃ、大人のフリして砂糖抜きのミルクだけで(笑)
雀部 >  しおさんは「平谷先生が授業中にしてくれた、痛い話とキモチ悪い話は今だに忘れられません(笑)」そうなのですが、どういう話だったんでしょう?
 平谷さんがお得意の怪談話ですか?
しお >  怪談もよく話してくれましたねぇ。しかも、全部自分の体験談。タクシー婆さんの話とか。
 美術の時間に突然、「痛い話と怖い話、どっちがいい?」って聞いてくるんですよ(笑) それで、多数決採って話題を決めるんですね。
 個人的には、痛い話の方がよく覚えてます。平谷先生の身に降りかかってきたことを話してるだけに、リアルなことこの上なしで。校庭でガラスの破片踏み抜いた話なんかは具合が悪くなった生徒までいましたから(笑)
雀部 >  ぎゃ、それは痛そう。
平谷 >  痛い体験もいろいろしてますから(笑)。切った話とか、縫った話とか、雷で飛ばされた話とか。
 授業時間に恐い話や痛い話や汚い話をするのは、生徒をこっちのペースに乗せるテクニックのひとつ……というのもあったんですけど、お話をするのが好きだっていうのが一番かな。
 《言葉だけでいかに痛がらせるか》という技を磨いていたっていうのもあります。
 恐い話も《言葉だけでいかに怖がらせるか》という技を磨く練習でもあったかな。
 痛がらせたり怖がらせたりするには、ただダラダラと話していてはダメなんです。朝会での校長の話みたいなのは誰も聞かない(爆)。
 話の組み立てや、緩急。リアルな描写など、ずいぶん小説の勉強にもなりましたよ。
 『ノルン』でのトライチケの拷問シーンとか、『約束の地』の黒崎の拷問シーンとか(笑)。
雀部 >  授業中に、小説の勉強をするとは一石二鳥(笑)
 平谷さんがどんな先生かちょっと興味があるんですが、なにか面白いエピソードとかあったら、教えて下さい。
しお >  いつもスーツでバシっと決まった格好をしてらっしゃいましたね。存在がハードボイルドとでも言いましょうか。
 それでいて、話のしかたが上手な先生でして。4時間目のオナカがすいた頃に「こないだ食べたトンカツがさぁ、すんごい美味しかったのよ」といきなり話し始めてくれまして。「コロモがカリっとしてて、肉汁がジュワときてさ」と。
 ホントに美味しそうに話してくれましてねぇ。なかなかにウィットに富んだお人柄というか、なんというか。
 それと、柔道部の顧問もしてまして、何故か私、誘われました(笑) 柔道やらないか、と。
 そういえば、先生の担任してた教室、雨降って水浸しになって引っ越ししたこともありましたね。
平谷 >  雨漏り! そうそう。老朽校舎だったからねぇ。
 でも、あの校舎、好きだったなぁ。まだ美術が週に2時間あった時代だから、外に出て校舎の写生をしたじゃない。絵になる校舎だった。スクラッチタイル風ブロックでね。

 《美味しい話》も、もの凄くリアルに描写しなければ猛烈な空腹感は導けない(笑)。喋ってる本人も、強烈な空腹感を覚えますけど(爆)。
 スーツについては《制服》だと思っています。今でも、運動会以外ではジャージを着ない(笑)。教師個々にポリシーがあるんだろうから、他人の服装については云々しませんが、生徒に服装を正して授業に臨むように求める以上、ぼくもきちんとした服装でなければならないと思っています。インクを使う版画やペンキなどを使う授業以外は、真夏でもちゃんとネクタイ締めてます。
 あっ、でも最近は技術も教えてるから、ツナギを着たりしてる。
 しおチャンはスマートだったけど、負けず嫌いだったからね。柔道やったら強くなってたよ。絶対。
しお >  あの時柔道始めてたら、今頃どんなことしてたんでしょうねぇ、私。ちょっとだけ惜しかったかなぁ、と思ってるんですよ、実は。
 技術も教えてらっしゃるんですか! 最近は何を作ってるんですか? 私が中学の時は、空き缶で電気スタンドとか、ちっちゃい本立てとか作りましたねぇ。私は不器用の3乗くらいだったので、板を真っ直ぐに切れなくて苦労しましたよ(苦笑) どうにも直角が出なくて。

 美術は今週1時間でしたか? 5教科以外の時間はどんどん削られていってますねぇ。おかげで教育学部の芸術系の教員採用率は下がりっぱなしデス(嘆)
 週休2日になって授業数が減ってるのは分かるんですが・・・余裕のない時間割になってしまっているような気がしますね。
 などと、教育学部卒らしいことを言ってみたりして。
平谷 >  1年生は木製ラック。2年生がコンピュータ。3年生は機械。板を真っ直ぐに切れない子は多いよぉ。
 美術は1年生は1時間強。1年間の授業時間の平均だから、ちょっとハンパ。2年3年は完全に週1時間。君たちが中学生だった頃の週2時間が懐かしい(涙)。
 美術の教科に関してはまだまだ面白い話も有るんだけど、インタビューの方向がどんどんずれていくのでやめときます(笑)
雀部 >  しおさんは、舞台美術のお仕事をされているそうですが、平谷さんのお仕事と関係が深いような気がします。学生時代になにか影響を受けられたとかおありでしょうか。
しお >  授業で言われた事で印象に残っているのは、「見えてる通りに描けばいい」ということですね。よく観察してリアルに描く、ということを言われました。
 ものすごく簡潔だけど、ずばりその通りのことなんですよね。
 あとは、物事を多方面から見るということを教わりましたね。何か質問すると、ものすごい予想外な答えが返ってきたりして。どうしたら、あんなに面白い人間になれるんだろうかと思ってました。
 いつか絶対ギャフンと言わせて見せる、と密かな野心を抱いていたのですが、かないませんねぇ(笑)
平谷 >  いつでも受けてたつぞぉ!(笑)
 絵を教えるテクニックはあの頃より随分磨きがかかってるから「見えている通りに描く」っていうのはもっと分かりやすく教えています(笑)。
 多方面から見るってのも、まだやってます。特に生徒会役員とかリーダーの指導をする時に。今は逆に、こっちから予想外の質問をしていきながら、いつの間にか問題の本質に到達しているっていうようなやり方だけど。
雀部 >  なんか教師してますなぁ(爆)
平谷 >  だって、教師ですから(笑)

観る者に何らかの感情を抱かせる作品

雀部 >  小説中には、あまり教師は出てきませんけど(笑)
 平谷さんの小説は、読んでいてパッとその場面の絵が浮かんでくるタイプのお話が多いと思うのですが、しおさんはどうでしょうか?
しお >  そうですね、細かい所まで書き込んでありますよね。『エリ・エリ』ではすぐに映像作品にできそうなくらい場面が浮かんできましたね。この場面が実際に存在していたとしたら、あの辺りなんだろうなぁとか。
 漫画家になりたかった、と言っていたような気がしますが、平谷美樹作のハードボイルド物語の漫画をぜひ読んでみたいです。あ、もちろん絵も先生が描いたもので。
平谷 >  漫画の話はやめてくれぇ。三好くんが喜ぶ!(爆)
 でも、そのうち自分の小説に自分の絵を何らかの形で出してみたい気はしてるけど。
 まだ確実なことではないので公表できませんが、はっきり決まったら告知しますね。
 小説の場面が絵で浮かんでくるっていうのは、とても嬉しい感想でありますね。
 頭の中に出てくる映像を文章に起こしているっていうのは色々な所で語っていますが、読んでいる方にも同じ映像が見えていると嬉しいですね。
 映像といえば、ぼくの未発表の短編を映像化しようというプロジェクトがありまして。商業ベースのものではなく、何人かの素人とプロの映像関係者が集まって、県の芸術祭への参加を目標にしてっていう動きなんですけど。
 完成したら知らせるから、しおチャンも観においでよ。
しお >  短編の映像化ですか。面白そうですね。観たいです、ぜひぜひ。

 怪談でやるんですか??
平谷 >  怪談というよりファンタジー、あるいはいわゆる〈奇妙な味〉と呼ばれる類の短編。ちょっとした悪戯心でやったことが、取り返しのつかないことにつながっていく、切なくて綺麗な話です。
しお >  大学時代のことについて聞いても良いですか。
 一つは、学生時代にかいていた絵についてなんですが、専攻や、よく描いていた物(人物とか、静物etc)は何ですか。
平谷 >  大学時代には、SFアートを描いてた(笑)。芸術ってのに疑問を持ってね。
 芸術っていうのは個人の(共同で創り上げるものもあるけど)心の中から噴き上げてくる物の表現だと思う。つまり、作者以外、誰もそれを評価できないわけね。芸術作品というのはそれでいいと思うし、発表するものではないと思う。鑑賞者を想定した時点で、それは芸術ではなくなってしまう。まぁ私見だけどね。
 ぼくが目指したかったのは『観る者に何らかの感情を抱かせる作品』だった。見る人に「綺麗だな」とか「恐いな」とか「凄いな」と感じさせたい。
 それって、イラストレーションなんだよね。だけどぼくは絵画科に在籍してた。
 でも、自分の気持ちを偽って作品を描きたくはなかった。だから、当時興味を持っていた海外SFのイラストレーションに影響された作品を描いていた。
 破壊されて宇宙空間を漂う宇宙船とか、ロボットのユニコーンとか。
しお >  「芸術」の定義については、私もよく考えこんでましたよ。お客さんに見せる舞台をやる以上、分かりやすい上演にすべきだとは思うものの、果たしてそれで演出意図が100%出し切れているんだろうか、とか。
 自分の考えていることだけを表現するんだったら、別に他の人に見せる必要は無いんじゃないか、とか。
 理解されづらいモノが「芸術」なんだとしたら、それは存在する意味があるのか、などなど。未だに結論は出ませんねぇ。
 ある一つの完成された作品を上演することで、何かを表現していくという事は、実は物凄く難しいことなんではなかろうか、と。観衆からみると、比べやすいとは思うのですがね。

 もうひとつお聞きしたいのは、、いつごろから文筆活動を始めたんですか? 
 大学時代にはどんな作品を書いていたんですか??
平谷 >  小説を書き始めたのは小学生の頃。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに影響されてね。探偵小説を書いていた。
 中学・高校時代はSFだね。NHKで少年ドラマシリーズってのがあってね。少年少女向けのSFドラマをよくやってた。それに影響されて学園SFみたいなのを書いてたな。それから平井和正さんのウルフガイ・シリーズにも影響され、ハードボイルド小説にも影響されて、ハードボイルドも書いたなぁ。
 大学時代にはSFを書いていたなぁ。伝奇SFとか本格SFとか……。今とあまり変わらないや(笑)。

「フライの雑誌」

雀部 >  三つ子の魂百まで(笑)
 お待たせしました。ダンさんは、「フライの雑誌」に掲載されていた頃からの平谷さんのファンであられるそうなのですが、平谷さんはどういう連載をされていたんでしょうか?
 また、どこがお好きだったのかお聞かせ下さい。
ダン >  フライフィッシングを趣味とする人を対象とした「フライの雑誌」という季刊誌があるのですが、その本で平谷さんの作品を読んだのが最初の出会いでした。

 当時はまだ「平谷美樹」という方が書いた作品とは知らずに、なんて怖い文章を書く人なんだろう、釣り場でこんな怖い話を思い出したらどうしてくれるんだ、と云うような妙に脳裏にこびりつくホラー作品、およびじんわり怖い作品を書かれていました。

 怖いのは好きではなかったのですが、いままでのフライ関連の小説にはない展開の面白さ、釣り人でなければ書けないディテールの表現に惹かれ、さぁ次はどんな怖い話だろう?と期待してしまうようになってしまいました。(笑)
雀部 >  そうなんですか。平谷さんが文章にされたのは、SFより怪談話のほうが先なのか(笑)
平谷 >  その前に岩手日報社主催の「北の文学」に書いた純文よりの小説が何本かあります(笑)。
ダン >  数年後、SF作家で釣友でもある野尻抱介さんからネット上で「フライ好きのSF作家の方で、この度小松左京賞を受賞した方です」と紹介を受けたのが平谷さんだったのです。
 その時初めてあのフライの雑誌の著者が平谷さんだったとわかり、あらためてファンとさせて頂いてしまった訳です。
雀部 >  フライ友だちの輪ですね。
 そうか、それでダンさんのホームページのリンクのコーナーに、野尻抱介さんのホームページへのリンクがあったのか。あそこだけ異色だったから(笑)
 ということは、平谷さんと野尻抱介さんもフライ友だちなわけですよね。
平谷 >  そうなんです。一昨年、岩手にいらして一緒に川を歩きました。その時は浅暮三文さんも一緒でした。で、昨年の秋に冒険小説家の樋口明雄さんともフライ友達になりました。
雀部 >  ダンさんは、平谷さんのSFも好きだけど、怪談話のほうがもっと好きだそうですが、特にお好きな作品は何でしょうか?(笑)
ダン >  SF作家へのインタビューで「怪談話」のほうが好きというのも申し訳ないのですが、何と言っても一番好きな作品は、初めて平谷さんを知ったフライの雑誌の作品「恐怖の一夜」ですね。

 源流釣行をする途中、滝の近くで水死体を発見ししてしまい、仕方なくテントサイトの傍に死体を置いて夜を迎えるはめに。
 揺らめくランタンの灯に照らされ、死体がこちらを見ているような・・・。

 キャンプをしたことがある人なら誰でも感じたことがある「闇」への恐怖。
 川の水音も聞きようによっては人の話し声に聞こえてしまう怖さが行間に溢れていましたよね。
 ソコに死体と二人、しかもその死体がどうやら動いているらしいんですから、恐怖のファクターてんこ盛り、このうえもない卑怯な作品でした。(爆笑)
平谷 >  創作の過程をばらしちゃうと興ざめでしょうけど(笑)、あれはよくある雪山怪談の変形パターンです。
 雪山で吹雪に遭い、命からがら山小屋にたどり着くんだけど一緒に登山していた友達が死んでしまう。死体と一緒に小屋の中で夜を過ごすのは恐いので、外に出して戻ってみると……。というやつ。それを渓流にアレンジして色々味付けをしたわけです。
 しおチャンの話にも出てきたけど、「4時間目の美味しい話」っていうのが好きなんです。基本的にぼくはもの凄く意地悪なのかも(爆)。
 フライフィッシャーの多くはキャンプ好きでもあります。キャンプの時は、フライフィッシングでももっともエキサイティングなイブニング・ライズ、夕方羽化する虫を夢中になって捕食する魚を、思う存分狙えるんです。
 最終的に水面の毛鉤が見えなくなるくらい暗くなるまで川に居ます。
 そういう時にふっと『恐怖の一夜』を思い出す。「ほーら、いつまでも遊んでいると、死体が流れてきますよ〜」って、読んだ人の耳元でぼくの囁きが聞こえるわけです。
 だからフライの雑誌用に書いた小説は、たいてい釣りの時に思い出してゾッとするように書かれている(笑)。
ダン >  ずるい!意地悪!(笑) その時限爆弾が仕掛けられているため、黄昏時の釣りが怖くて仕方がありませんよ。
 しおさんも、こんな先生に鍛えられていらしたんですね、貴重な人生経験をされてきたワケだ。(笑)
雀部 >  平谷さんとダンさんの共通の趣味である釣りの話題は、『約束の地』でもちらっと出てきますし、『運河の果て』にはボートでの川下りのシーンも登場しますが、こういう場面についてはどうお考えですか。
ダン >  『エリ・エリ』にも出てきましたよね、角川春樹事務所HPでのショートショートにもフライフィッシングを扱った作品がいくつか出ていましたね。

 と云うことは既に平谷作品に「釣り」はなくてはならないモノになっているんじゃないですか。(笑)

 世間一般の読者の方が何処まで「西洋毛鉤」について知識も持たれているかは、疑問ですが、平谷さんのファンであり、その道の人にとってはニンマリとせずにいられない美味しいファクターなのです。
 ですから今後もそういう場面が出てきたときには削除しないでくださいね。
 出版社の皆様。(笑)

 釣りシーンの入れ方は無理なく挿入されていると思っていますよ。
 フライフイッシングという釣りは、機械化を拒絶したヒューマンな道具で魚と対峙するトラディショナルな遊びです。
 そのため近未来はもとより、今後何世紀か経っても非効率的で不自由さを楽しむ「遊び心」が絶えるとは思えません。
 どうなんでしょうねぇ?平谷さん。
平谷 >  フライフィッシングもその他の釣りも、絶対に無くならないでしょうね。
 作品にもどんどん書いていくつもりです。一部ウェブ書評には、岩手を舞台にしたりフライを出したりすると「またかよ」的なことを書かれますけど(笑)。いいんです。作者の思い入れですから(笑)。
雀部 >  お暇が出来ましたら、ぜひ各県を回って釣り・旅して『全国恐いもの見てある記』なんかを出して下さい(笑)
平谷 >  あっそれいいなぁ(笑)!
 どこかの出版社で企画してくれないだろうか……。もちろん、アゴアシ付きで(爆)!

 フライフィッシングについては、地球外に殖民星が出来ても、絶対にイギリス人がトラウトを持ち込みますよ(笑)。現在、地球上のとんでもないところにまでトラウトが生息しているのは、すべて彼らのせいです(笑)。さすがにインドは暑すぎてトラウトは無理だったようだけれど。『運河の果て』の火星もそう。三分の一の重力下でのフライフィッシングシーンっていうのを書きたかったんですけどね。運河を下る話だからコースフィッシング(雑魚釣り)しか出せませんでした(笑)。
 ああ、でも毛鉤のマテリアル(素材)には科学技術によって開発されたものってのがどんどん入ってきていますよね。ぼくはあまり好きじゃないけど。
 そういえば、「形状記憶繊維を使って羽ばたくフライ」っていうのを書いたことがあります。発表したやつだったかな……。
 竿の素材もいろいろ凄いのが出てますね。最近はチタンってのもありますよね。
 でも一方で竹の六角竿が好きな釣り人もいる。毛鉤も頑なに天然素材だけ使う人もいる。たぶん、人類が生きている限り、竿も毛鉤も自作する人は残るでしょう。
 人類最後の一人がフライフィッシャーだったら、世界中のトラウトを独り占めだって喜ぶでしょう。人類最後の日のフライフィッシャーはそれでも“明日のイブニングのための毛鉤”を巻くでしょうね。
ダン >  そうそう、発表されていましたよ。「形状記憶繊維の羽ばたくフライ」。
 あれは面白かった!
 まだ結んでいないフライが風で飛ばされ、水面に落ちた途端、形状記憶が作動して羽ばたきはじめる、すると今までフライを食わなかった魚が、ガボッ!と食われる。
 と云うフライマンならではの発想の作品でした。
 ともすると機械チックになりがちな場面なのですが、とても幻想的に書かれていたことが印象的でした。

書きたいものは“それ”じゃなかったんで

雀部 >  4時間目の魚だな(笑)
 平谷さん、前回の『レスレクティオ』の著者インタビューに引き続きよろしくお願いします。
 『ノルンの永い夢』は、時間SFということで、時間論なんかもお聞きしたいです〜(笑)
平谷 >  じ、時間論ですか……(汗)。あまり突っ込まないでくださいね。
 よろしくお願いします。
雀部 >  意地悪な私は、ちょっと突っ込んでみたりして(笑)
 『約束の地』で“同じ波長の二つの波は重なっていると区別が付かない。しかしその波が少しずれると、波Aの山と波Bの谷とが創り出す、空間が現れる”“空間の前後に波Aと波Bの接点が出来る。そこが波動関数の収縮する場所だ。Psi能力は、その空間に存在する可能性の中から自分が望むものを選び出して決定する―。”この理論と『ノルンの永い夢』の多次元細胞体理論は、微妙にオーバーラップしている気がしますがいかがでしょう?
平谷 >  『約束の地』の方は「コペンハーゲン解釈」で、『ノルンの永い夢』(以下『ノルン』)は「多世界解釈」の変形という感じですか。
 『約束の地』では超能力に関するただの仮説として量子論が出てきます。
 あの作品では、科学設定は「こうではないか?」程度あればよかったからです。
 小説の世界を全部描写すれば一生かかっても一作書き終えることはできません。だから、細かく書く所と、匂い程度でぼかすところがあります。『約束の地』にとって超能力の科学設定は「匂い程度」で良かったんです。書きたいものは“それ”じゃなかったんで。「それが不満だ」という声もありましたが(笑)。“それ”を描かなければSFじゃないとか、SFなら“それ”まで描くべきというのであれば、『約束の地』はSFじゃなくてもいい。
 おっと、ちょっと口が滑ったかな(爆)。

 『ノルン』に話を戻しますと、「高次元多胞体世界」は、時間や空間を共有する別の世界が幾つも重なり合っているわけです。つまり三次元の人々から見れば、一つの世界にしか見えない。そして重なり合っていながら、それぞれが独立した世界であったものが互いにじわじわと浸蝕しあっている……。
 そういう感じです。
 って、こんな説明でいいですか?
雀部 >  よ〜く了解です。
 でも、それにしては『約束の地』には、ペンローズ・ハメロフ極小管とか色々ネタが出てきてますよね(笑)
 私的な感想ですが、『約束の地』のテレポート原理は、『非A』。タイムスリップを扱った『君がいる風景』は、ジャック・フィニイあたりを思い起こさせました。そういえば、超能力者に順番にコンタクトを取り、メンバーを集め約束の地へ向かうくだりは、『七人の侍』! ストーリー展開は、まさに王道だと思いました。SFだと、設定そのものに飛躍があるので、展開をあまりひねると何がなんだか分からなくなる危険がありますから。
平谷 >  よく「オマージュ」ということを言われるのですが(笑)。大抵そのモトになる本を読んでいないんですよね。『非A』は読みましたが、フィニイは読んでません。
 書いているときもアイディアを練るときも、映像を意識しますが、他の小説を意識することはありません。アイディアにしろストーリーにしろ、他の作品とかぶってしまうのはもう避けられないと思っています。小説を書くための入門書などによくある「君の書こうとしている小説は既に書かれている」ってやつですね。星の数ほど作品があって、それを全て読んでチェックしてからというのでは、一生かかっても一作も書けなくなってしまう。だから、既出のアイディアだったりストーリーの展開であったりしても、自分のテイストで書ければいいと思っています。
 わたしの作品はよく「直球ストレート」と言われますが、あまり自覚はありませんでした。ですが、『約束の地』は意識してそれをやってみました。
雀部 >  そうなんですか、『約束の地』は今までの超能力者ものの設定を借りてますが、さらにそれを踏み越えた新しい超能力者像を描き出していると思いました。
 これも聞いてみたかった(私だけでは無いはずだ(笑))のですが、『約束の地』のPsi能力者同士の戦いは『幻魔大戦』を思い起こさせます。意識されてましたでしょうか。
平谷 >  まったく意識しなかったというと嘘になりますが(笑)。ファンでしたので。
 でも、本質的に、全然違うものだと思っています。
 『幻魔大戦』では、超能力者たちは使命を持った光の戦士です。『約束の地』の超能力者たちは使命なんか持っていません。
雀部 >  ええ。私が『幻魔大戦』を連想したのは"戦闘シーン"だけでしたから(笑)

お互いの美しき誤解

平谷 >  戦闘シーンは『エリート』って話もありました(笑)。

 あの時点で二つの勢力がぶつかり合うわけですが、どちらが正しいとは言えません。どちらもヒーローじゃない。だけど、どちらも自分の存在意義を賭けて闘っている。他を救おうとしているのではなく、自分を守ろうとしているわけです。在るがままの自分で生き続ける権利を主張し、それが認められず、やむなく闘いになるという形ですね。
 ヒーローは描きたくなかったんですよ。
 最後は、自分たちを守ろうとしてくれた集落の老人たちの生死さえ頓着せずに行動してしまう彼らに嫌悪感を抱いた読者も多かったようですけれど。
 あれは彼らにとっての必然であって、それを嫌悪する方が多いということは、やはり我々と彼らは共存できないのだなと思ってしまいますね。
雀部 >  そうなんですか。アンチヒーローというかカウンター・ヒーローものと呼べば良いのかな。集落の老人たちとの関係ですが、あの老人たちも勝手に超能力者の若者たちに入れ込んでいて、自分たちの死に方を美化しているようなところがありますよね。この本での老人達の結末は、悲惨なものではなく昇華されたものとして描かれているので救いがありました。
 超能力者ならざる普通の人間である私には、この最後のエピソードは「人間関係が上手くいっているということは、お互いの美しき誤解が根底にあるんだよ」と平谷さんが言っているような気がしました(笑)
平谷 >  言葉はとても不完全なコミュニケーション手段だと思っています。どんなに言葉を尽くして語り合っても、完全に理解し合うのは不可能です。
 まぁ、そんな身も蓋もないことは生徒の前では言えませんが(笑)。
 「お互いの美しき誤解」っていうのは、わたしが思っていることをかなり的確に表現した言葉だなと思います。どっかで使っていいですか?(爆)
雀部 >  どうぞどうぞ、って昔から名言にある言葉ですけどね(笑)
 彼らと共存するには、“超能力者は、心やさしい存在だ”、“誠意を持って接すれば普通人も超能力者を受け入れてくれる”と信ずる心が大事かと。
 あ、これではゼナ・ヘンダースンの《ピープル・シリーズ》になってしまう(爆)
平谷 >  共存はしない方がいいと思います。人間側がちょっかいを出しては潰される。しばらくは《痛み》を覚えているから手を出さないけれど、《痛みを知らない》次の世代がまたちょっかいを出して潰される。その繰り返しでしょう。
 “我が国が正義”なんて本気で思っている国もありますし。
 おっと、また口が滑ってしまった(笑)。『約束の地』を書いて以来、人間に対してのネガティヴな意識が根付いてしまったようです(笑)。
 そのうち書こうと思っている続編では離れた場所での《棲み分け》をしています。それは、超能力者たちの最大限の譲歩。人間は、眼に見える形で《人間以上》の存在が近くにいることを好みませんから。カミサマたちは姿が見えないから存続できるんです(笑)。
雀部 >  東北地方が独立してしまうとか(爆)
 関連するんですが、文中で“二人は心を開きあい、全てを理解し、許し合った”という箇所が在るんですが、これは本当にそうであると信じられていられるのでしょうか?(笑)
平谷 >  あっ。実は、東北独立の話はまた別に考えていたりして……。
 彼らも彼らのレベルで誤解しているんでしょうね。どれだけ理解し合えるかは、テレパシーがどの程度の情報を伝えられて、超能力者たちがどれほどの情報処理能力をもっているかによるわけですが。
 ただ、あの時点ではテレパシーは彼らにとっても新鮮なコミュニケーション手段だったわけで。「話せば判る」というとんでもない誤解よりは、まだましだったかと(笑)。
雀部 >  東北地方は独立させやすいのか。『戦争の法』とか『吉里吉里人』とか『寒河江伝説』もあるぞ(笑)
 超能力者の脳の処理能力(いわゆる頭の良さ)は当然違うから、処理能力が劣っていると、テレパシーで心を共有していても当然理解出来ないことも生じてくるでしょうね。う〜ん、なんか悲しい。
 『ノルンの永い夢』に話を戻しますと、本間鐵太郎という脳の処理能力が超ハイレベルな天才が出てきますが、とても私のような凡人には理解できそうもありません(泣) 本間の天才ぶりを際だたせる狂言回しとして、ノーベル物理学賞を受賞したプランク博士が登場しますが、ここらあたり上手いですね。あのプランク定数のプランク博士がやり込められるくらいの天才だということで。
 で、なんでもっと有名なアインシュタイン博士にしなかったんだろうと思ったら、本間鐵太郎がノルンシュタットに到着した1936年には、アメリカに永住していて、ドイツには居ないんだった(笑)
平谷 >  そうなんですよ。それにプランクは学生の指導にも熱心だったし。
 本文中で本間が開発するものは、すべて彼らよりちょっと未来や我々の現代のテクノロジーや理論です。それを第二次大戦中に置き換えると「あら。天才のできあがり」と、少々狡いやり方ですよね。だって、ぼくだって天才は理解できません。

虚実ない交ぜだと思いますが、比率はどれくらいでしょう?

雀部 >  前半の新世紀SF新人賞を受賞した岩手県在住の作家・兜坂亮が授賞式に出席するくだりは面白いですね。あれ〜っ、平谷さんも小松左京賞受賞の時はこんな風に感じていたのかなぁと思わず引き込まれちゃいました。
 たぶん虚実ない交ぜだと思いますが、比率はどれくらいでしょう?(笑)
平谷 >  かなり“あの時”の様子を再現しています(笑)。あの場面は「つや消し」だという感想もありましたけど。
 はっきりと覚えているウチに書いておきたかったというのもあるんですよ。
 編集者にかなり削られてしまいましたが。
雀部 >  あ、削られた部分も読んでみたいです〜。エッセイとかでも良いから。
 で、話が進むにつれて公安調査庁第三部とかが絡んできて、徐々に現実感が薄れてくるのですが、それに呼応するようにナチス時代の本間鐵太郎が関わるゲルマニアや全天候型ドームが一種異様な迫力を持って迫ってくるという対比が見事でした。これは明らかに、ねらって書かれてますよね。
平谷 >  公安調査庁第三部についても「つや消し」という意見が(笑)。
 構成は考えましたね。朦朧とした悪夢ではなく、黄昏の光の中ではあっても鮮明な悪夢を描きたかったというのはありました。
 ぼくの頭の中に見えていたのは、とても出来のいいミニチュアやオープンセットでした(笑)。CGは一つも使っていません。実は、CGが嫌いなんですよ。
雀部 >  CGがお嫌いというと、ゴジラ世代なんですか(笑)
平谷 >  CGの質感が嫌いなんですよ。最新の映画でも観てイッパツでCGって判るじゃないですか。もちろん気がつかないでいる場面もあるとは思いますが、それはそれでいいんですけど。
 なによりプラモ好きにとっては、ミニチュアを造る職人芸っていうのがタマラナイんです。
雀部 >  特撮日本にミニチュア芸ありですね。
 読んでいてちょっと疑問に思ったのですが、なんで第二次大戦の時代が舞台となるんでしょうか?第一世代のSF作家が、戦争の体験をSFという形で問い直すように、日本SF第一世代の作家の正当な後継者と評されることも多い平谷さんにとっては、一度は通らなければいけない道なのかと想像してしまいましたが。
平谷 >  基本的に、書きあげた小説のネタや資料は、頭の中から消してしまうので、細かい点についての説明はお許し下さい。
 以前から第二次大戦前・中のドイツの機械開発の爆発的進歩が面白いと思っていたんです。「あの時代のドイツに現代のテクノロジーが流入したらどうなるだろう?」というのが一番最初の発想だったと思います。もちろん、書き古されたアイディアだということは承知の上で(笑)。
 あの頃のドイツは“なんでもあり”の感じがあります。
雀部 >  ネタの宝庫になりそうですもんね。映画の『インディー・ジョーンズ』なんかでもさりげなく変な飛行機が出てきたりしていましたよね。
平谷 >  ぼくは1960年生まれですから、戦争の体験はありません。ただ、終戦から“15年”しかたっていない。生まれる前の年まではまだ進駐軍が残っていたんじゃなかったかな。だから、父や母、祖母祖父、伯父叔母、近所のおじさんおばさんたちはみな戦争体験者でした。周囲の大人は全員戦争を体験していたんです。そういう人達の“ふたむかし前”の昔話を聞いて過ごしましたし、岩手に高度経済成長の“恩恵”が到達するにはまだ間がありました。だから“戦後”の雰囲気もわずかではありますが感じた最後の世代ではないかなと思います。
 で、そんなぼくが第二次大戦前後に感じたものは、不謹慎と怒られるかも知れませんが“浪漫”でした。子供の頃に読んだ戦記マンガの影響もあるでしょうし、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの影響もあります。
 悲惨とか悲壮とかいうものが付加されたのは、ずっと後でした。“大人の分別で感じ取った戦争に対する感覚”ですね。
 だからぼくには第一世代の方たちが胸に抱く、戦争に関する切実な思いというものは存在しません。
 そんな自分が安易に真正面から戦争を描くことは出来ないと考えていました。「戦争体験もないのにおこがましい」という感覚は今も持っています。
 だから、今まで何度か第二次大戦前後を描きましたが、いつも軸が脇にずれています。
 『ノルン』の第二次大戦前・中のドイツはいわば、ぼくの中にある“幻のドイツ”です。戦争体験をしていない者の甘ったるい幻想ではありますが(笑)。
雀部 >  なるほど、そういう理由からですか。なんとなく分かりますね。
 ナチス親衛隊なんかも、不謹慎ですけどなんか格好良いところがあります。
 戦場は、悲惨だけれどなにか引き付けられる魅力がありますね。戦争映画の名作もいっぱいあるし。
 もう一つ、学術都市ノルンシュタットって魅力ある設定なんですが、ここは実在するんですか?(笑)
 実在しないとしたらモデルとなった都市はあるでしょうか?
平谷 >  架空の都市です。モデルもありません。
 学者を毛嫌いしていたヒトラーが、そういうものを造るわけもないとは思いましたが、“なんでもありの空間”を設定するにあたり、学術都市というものが一番都合がいいと思ったんです。現代の科学技術や理論が泉のように湧きだしている場所ですね。
 もちろん頭の中には今でもはっきりと映像は見えています。
 パイルシュタイン号が《ヴォータンの剣》の向こう側から巨大な銀色の船体を現す場面なんか、映画館のスクリーンに映し出されているようにはっきり見えます(笑)。

高次元多胞体のイメージ

雀部 >  挿し絵希望します!
 とういことは、ラストのほうの高次元細胞体が出てくるところなんかのイメージもはっきり見えるんでしょうか?
平谷 >  まず、挿絵の話ですが、ご存じのようにぼくは美術教師ですので絵は描けます。デビュー前は自分のイラストでカバーを飾ることを夢見ていましたが……。作家になってプロの方にイラストやオブジェでぼくの作品を表現してもらえるようになって、考えを改めました。やはりプロの方とは実力が違いすぎますよ(笑)。そのうち口絵でもやらせてもらえればとは思ってますが。
雀部 >  「平谷美樹・私設ファンページ」のトップページにあるアッシュ(『レスレクティオ』)の画なんか凄いですが。これを見て以来、『レスレクティオ』を読むとこの顔が出てきます。
平谷 >  ありがとうございます。すべての作品ではないのですが、時々イメージを固めるためにイラストを描いてみるんです。アッシュのイラストもその一つ。
 そのほかに『エリ・エリ』に出てきたサジタリウスとか、『エンデュミオン・エンデュミオン』や『エリ・エリ』のカバーイラストなんかも描いています。
 でも描くたびにプロの方は凄いなぁと思ってしまいます。

 さて、高次元多胞体の映像ですが、正しくはどう見えるのか判りません(笑)。
 最初の質問でお答えしたように、時間と空間を共有する世界の集合が一つの“胞”になるわけです。一つの世界の人間は、重なり合った他の世界を認識できない。本間鐵太郎が“軌跡”を見るシーンがありますが、あれがもっと複雑に重層的になったものが一つの“胞”になります。それが幾つも連なって多胞体になっていくわけですが、読者が一番イメージしやすい“泡”をモデルに描いてみました。
 実際に高次元多胞体というものが存在したとして、どんな姿になるのが正しいのかは判りませんが、遙かな彼方まで、歪に絡まり合い、膨れあがる多胞体の《ハリウッド的映像》は見えています。もちろんできのいいミニチュアで(笑)
雀部 >  複雑に絡み合ったn次元の多胞体を、3次元に投影したところを想像して見るというお話ですよね。想像力貧困につき、絡み合いねじくれた色とりどりの細長い風船が、くっついた部分でお互いの色が混ざりあっているところくらいしか想像できません(泣)
平谷 >  語彙が足りなくて、読む方に明確に伝わる表現が出来ていないのだろうなと思うのですが……。ぼくの頭の中には小説の中に出てくるものよりももう少しはっきりした映像が見えているのですけれどねぇ……。文章修行に励まなければ(笑)
雀部 >  あ、そこらへんが、私が文系ハードSF作家とお呼びする由縁が。そういう文章に出来ないようなことを他人に伝えるために数学があると思うんですが、それを敢えて言葉で説明しようとするところが(笑)
平谷 >  ああ。なるほど。数学というのはそういうものなんですね!
 ぼくは中学時代に数学がすっかり嫌いになってしまったので(笑)。公式の暗記が嫌いだったのですよ。「これを覚えてあてはめればよい」というのが。なぜその公式にあてはめれば答が出るのかということを教えて欲しかった。
雀部 >  そういうのは教えてませんでしたっけ。忘却の彼方だ(泣)
 デザイナーという言葉が出てきたので連想したのですが、普遍の極大構造としての高次元多胞体が、デザイナーのファッションショーだとすると、一人一人のモデル(とそのファッション)は、高次元多胞体に相当すると考えていいですよね?
平谷 >  そうですね。我々よりも高次な存在が、自分の理想的な世界をデザインしていくという感じですね。実は、これからの作品にも出てくるので詳しくは話せないんですけれど(笑)
 物理学素人のぼくは、理解していないから色々と妙な妄想を膨らませていくのですけれど……、多世界解釈とコペンハーゲン解釈を一緒くたにしているんです。
 我々の住む世界に波束の収縮という現象が起こるのならば(収縮するということは、拡散している状態というものも存在しているわけで)我々の世界自体が“収縮する以前の状態”ではないかと。
 つまり可能性が重層的に存在していて、それが局所的な収縮をしつつ構築されていく、不確定・不安定な世界であるのは、収縮に向かって進んでいる過渡的な存在であるからではないかと思ったりするんです。こういう世界が無数にあって、究極の世界に向かって収縮しつつある。我々の世界は、まだ選択が終了していない可能性の一つである。
 我々の時間は“俯瞰”すると、分断され継ぎ接ぎされ、バイパスが通り、過去と未来が逆転した、無茶苦茶なものである。しかし、我々は時間を過去から未来に“流れる”ものとしか感知できないために、それに気づかない。
 あっもちろんネタとしてね(笑)。
 でもハードSF研の方に聞かれると鼻で笑われそうな陳腐なネタでしょうね……(汗)
 『ノルン』もこれから書く小説も、それが基本的なネタです。
 『ノルン』は収縮させていく側の視点ですし、これから書く小説は収縮される側の視点です。
雀部 >  わっ、それは凄そうなアイデア! イーガン氏の『宇宙消失』には驚愕しましたが、波動関数が収縮する途中ですか。イーガン氏は、波動関数が収縮しては困る存在が存在することは書きましたが、具体像は書いてませんから、平谷さんがそれに成功すれば、これはもう大変なことに。

 『ノルンの永い夢』に話を戻すと、ファッションショーは、デザイナーが決めたコンセプトに沿って各々のモデルさんのファッションが出来上がります。で、このデザイナーが一人のモデルさんを好きになってしまい、彼女が目立つようにと若干全体のコンセプトから外れた、しかし素敵な服を着せてしまったと。(笑)
平谷 >  うんうん。でも、それはコンセプトから外れていないのです。「世界のデザイン」はデザイナーの考え方が唯一絶対のコンセプトですから、途中から変わろうが捻れようが、それが「真理」であるのですよ。
雀部 >  なるほど。
 『ノルンの永い夢』は、多次元世界という私のような普通人の想像の埒外にある世界を、美術的なセンスを活かし、子ども達を教えるように分かりやすく描いた傑作だと思うんです。なんとか理解の端っこをかじることができたような気がしました。
 あと、『ノルンの永い夢』は、貴種流離譚としても読めますよね。ヴォクト氏が得意の。『宇宙嵐のかなた』とか、主人公は実は**だったというやつ。コリン・ウィルソン氏も大好きだな(笑)
平谷 >  ありがとうございます。書いてる本人はよく判ってなかったりして……(笑)。
 転校とか、大阪の大学への進学とか、職場の中での微妙な位置とか、ぼくの中にはけっこう異邦人感覚があるのですよ。「ここはぼくの居る場所ではない」っていうのではないのだけれど「この集団の中でぼくは異質」というのはよく感じます。SF界の中での自分とかね(爆)
雀部 >  そうなんですか。その異邦人感覚が小説を書くのに必要なのでしょうね。
 最後に、執筆予定とかこれからの刊行予定とかをお教え下さい。
平谷 >  はい。2月25日にメディアファクトリーのMF文庫Jから『スピリチュアル』というライトホラー小説が出ます。カバーイラスト、すごくいいんですけど、44歳の男としては気恥ずかしいです(笑)
 それから光文社から聖天神社怪異縁起シリーズの第二弾が6月に出ることになってます。タイトルは『壷空(こくう)』となる予定です。
 7月頃に角川春樹事務所から『百物語』の第三夜。
 10月頃に、同じく角川春樹事務所から、『エリ・エリ』の第三部。
 第二部の『レスレクティオ』で「この宇宙の神」について書きましたが(けっこう読みとってくれなかった人が多かったのです……)今回は、近未来のエルサレムが舞台で「人類の神」についての決着をつけようと(笑) 何度も言いますが宗教についてはニュートラルです(爆)
 それから、まだ出版時期は決まっていないのですが中央公論新社から本格SFを一冊出します。
 昨年、デビューから10冊目を出したのですが、今回これが全部出ると、一気に15冊になっちゃいます(笑)
 それでも速筆のぼくですから、8月以降の執筆予定は入っていませんので、禁漁まで釣りにいそしもうかと(爆)
雀部 >  SFファンとしては、『エリ・エリ3』と中央公論からの本格SFに期待します(爆)
 8月以降は『全国恐いもの見てある記』を(笑)
ダン >  今日は久しぶりに平谷さんとお話が出来たし、雀部さん、しおさんともお知り合いになれてとても楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
 学校に、釣りに、執筆活動にお忙しいでしょうけれど、これからも平谷さんの作品を楽しみにしておりますので頑張ってください!!
平谷 >  ありがとうございましたダンさん。また岩手に釣りにいらしてください。良い川を何本かみつけてあります(笑)
しお >  今回は楽しい時間をありがとうございました。平谷先生と久しぶりのお話で、懐かしかったです。映像作品できたら、ぜひ知らせてくださいね。観に行きますから。ダンさん、雀部さん、また機会がありましたら、ぜひお誘いください。
平谷 >  ありがとうね。しおチャン。懐かしかったよ。そのうち岩手で会おう。本物のコーヒーをご馳走するから。あっそれとも酒の方がいいかな(笑)
雀部 >  ダンさん、しおさん、ありがとうございました。今回は、ちょっとユニークなインタビューになり、嬉しかったです。
 平谷さん、今回もありがとうございました。15冊の次は、100冊を目指しましょう(笑)


[平谷美樹]
'60年、岩手県生まれ。大阪芸術大学卒。岩手県の中学校に美術教師として勤める傍ら、創作活動に入る。2000年『エンデュミオン エンデュミオン』で作家デビュー。同年『エリ・エリ』で第一回小松左京賞を受賞。以後、多彩な作品を精力的に発表し、本格SFの書き手としてもっとも期待されている作家である。
[雀部]
ファンタジーも大好きなハードSF研所員(笑)
平谷美樹さんのオンラインファンクラブの管理人もしております。ファンの方は、ぜひこちらまでお越し下さい。http://www.sasabe.com/SF/hiraya/
[しお]
shiohata@pdx.ne.jp(spam防止に全角文字を入れてあります。)
中学時代、3年間美術担任が平谷先生でした。現在は都内在住で、舞台の裏方をやっています。6月くらいに新劇団旗揚げ公演を予定。興味のある方、ぜひ連絡ください。都内小劇場を予定しております。
[ダン]
都内某広告代理店に勤める傍ら、フライフイッシングをこよなく愛する中年男。女房と子供3人、そしてわんこと暮らしています。
現在は釣りのホームページ「フライだんだん亭」を運営しており、就業時間中もアクセスするため、そのうちリストラされるのではないかと怯える日々をおくっています。
「フライだんだん亭」には、平谷さんの愛犬の画像で載せてありますので、是非一度お立ち寄りください。(笑)
「フライだんだん亭」http://www2.odn.ne.jp/‾dun/

トップ読切短編連載長編コラム
ブックレビュー著者インタビュー連載マンガBBS編集部日記
著作権プライバシーポリシーサイトマップ