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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[ケダ]&[佐々木]

『忘却の船に流れは光』
> 田中啓文著/岩郷重力画
> ISBN 4-15-208502-9
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> ¥1,890(本体:¥1,800)
> 2003.7.31発行
粗筋:
悪魔の襲来によって絶滅寸前に追い込まれた人類。主は、生き残った子らのために、壁によって悪魔の侵入から守られた5つの階層からなる閉鎖都市を創造した。それから幾星霜、都市を統べる<殿堂>の聖職者見習いのブルーは、煩悩に悩まされながらも勉学と先輩たちの小間使いとして忙しい毎日をおくっていた。ある日、悪魔崇拝者の黒ミサ摘発が重なったことから、ブルーは単独で摘発に参加、思いがけない手柄を立てて、大蟻象司教に認められることに。その摘発時に<雌雄者>が、たまたま生んだ<普遍者>の子供を<保育者>に託そうとするが、その時に知り合った世界の真理を探究する修学者ヘーゲルとの出会いが、やがて<殿堂>の厳格な支配に疑問を覚える契機となったのだった。

『銀河帝国の弘法も筆の誤り』
> 田中啓文著/フランク・Y・パウル画
> ISBN 4-15-030658-3
> ハヤカワ文庫JA
> ¥609(本体:¥580)
> 2001.2.15発行
収録作:
「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」
「銀河帝国の弘法も筆の誤り」
「火星のナンシー・ゴードン」
「嘔吐した宇宙飛行士」
「銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて」

グロテスクかつ美しく

雀部 >  今月の著者インタビューは、昨年夏に『忘却の船に流れは光』をハヤカワSFシリーズ Jコレクションから出された田中啓文さんです。
 田中さんよろしくお願いします。
田中 >  こちらこそよろしくお願いします。
雀部 >  インタビュアーとしてはもうお一方、田中さんのファンサイト「ふえたこ観測所」の管理人をなさっているケダさんです。ケダさん、今回もよろしくお願いします。
ケダ >  よろしくお願い致します。
雀部 >  『忘却の船に流れは光』を読んでまず感じたことは「うわっ、SFしてるなぁ」と。日本のポップス界なんかでも、最近カバー曲がよくヒットしています。これは日本ポップスがそれなりの歴史を積み重ねてきた結果であると思っています。で、この本がカバー曲というわけではなくて、日本のSF(といっても翻訳SFを含めてですが)の長年の蓄積の上に築かれた傑作であると感じました(SFの決まり事を逆手に取るとか、茶化すことなども含めて)
 拡散と浸透で、最近元気がないのは気がかりなんですが、こういう書き方をすればSFもまだまだ面白いぜという意気込みを感じ、楽しませていただきました。
田中 >  ありがとうございます。でも、個人的にはあまり満足していません。もっとおもしろくなるはずだったんだがなあ……。だれずに最後まで読んでいただけるようには書いたつもりなので、一応、商業出版としてお金を取れるレベルには達しているとは思いますが……(まあ、その話はおいおい)。
 最近のSFを全然フォローできていないので、Jコレクションみたいに正面切って「SFを書け!」と詰め寄られると、出てくるのは自分にとってのSFというか、かなり古い、「あの頃のやつ」になってしまうわけで、それはたとえばハヤカワSFシリーズのなかでも、文庫に落ちなかったような、レスター・デル・レイとかマレイ・ラインスターとかチャド・オリバーとか……そのへんのテイストに通じる、いかにも古い「世界が滅んでて、ドーム都市があって云々」みたいなものを書いてみよっかなと思ったのでした。「古き良き」というやつへのあこがれみたいなもんでしょうか。そのわりに、スカトロだったりしましたが。
雀部 >  リイの『神経繊維』ラインスターの『宇宙震』オリバーの『時の風』あたりが好きでした。世界が滅んでドーム都市というと、ハミルトンの『虚空の遺産』とかありましたね。あ、太古の話だし文庫に落ちているか(笑)
 『蒼白の城 XXX』の著者紹介に“好きな作家はシルヴァーバーグとディック”と書かれてますが、この二人はSFの傾向としてはちょっと異なりますが、どういうところがお好きだったんでしょうか。
田中 >  えーと、どっちもぐちゃぐちゃっとしたグロテスクなもの(モノであったりココロであったりしますが)を描くのに巧みであり、それを美に昇華しているという点であります。そういうものを描くのがSFだというすり込みができてしまったらしく、グロテスクかつ美しいものを描いていない作品は、SFとは考えていません。シルヴァーバーグは、いわゆる「ニュー・シルヴァーバーグ」の時期の作品はどれも好きです。ディックは、『ユービック』とかのわかりやすいやつより、もっと何がなんだかわからないようなぐじゃぐじゃのやつが好きです。
雀部 >  えっ、『ユービック』ってわかりやすいですか(笑)
 グロテスクかつ美しくというのは、田中さんの作品を形容するにピッタリの言葉ですね。でも、田中さんの作風からいくと、古き良き時代の『非A』のヴォクトの力技で読ませる感覚とか、『虎よ、虎よ!』あたりのベスターの語り口のうまさなんかも連想させるんですが、この二人なんかはお好きだったでしょうか?
田中 >  どちらもきらいではありませんが、とくに好きでもありません。ていうか、『非A』も『虎よ、虎よ!』も「こっから先も」記憶に残っていないので。
 『虎よ、虎よ!』は、タイトルを見ると、反射的に「虎よ、虎よ、おまえは虎になーるのだ、バカボン」という言葉を思い出してしまいますが。
雀部 >  それは失礼しました(汗)
 古き良きというと、『蒼白の城 XXX』の後書きで、'67年4月〜9月に放映された『キャプテン・ウルトラ』に対する愛情を吐露されてますが、田中さんが小学校入学する前ですよね。この時期にこういう番組を観たことが、後のSF観に大きく影響しているということは、おありでしょうか。
田中 >  そんなこと後書きに書いたっけ。全然覚えてません。ただ、『忘却の船に流れは光』の第何章かの冒頭に引用してある詩は、『キャプテン・ウルトラ』の挿入歌「宇宙マーチ」の翻案(というかパクリ)です。誰も笑ってくれないので、一応、指摘しておきますです。
 でも、『キャプテン・ウルトラ』にかぎらず、怪獣はめちゃめちゃ好きです。
 e−NOVELSというサイトでも、「まみむめモンスター千一夜」というエッセイをずっと連載していたぐらいです。
 『キャプテン・ウルトラ』でいうと、人間の魂を食料にしている、口のなかに顔がある幽霊怪獣キュドラとか、全身に血管が浮き出してて、超能力者にしか見えないまぼろし怪獣ゴースラーとか大好きですね。それがSF観に影響したかというと、そんなことはないと思いますが、人生観には影響してるでしょうね。気色悪いものは、気色いいものと同じぐらい好きですから。
雀部 >  SFではなくて、人生観に影響ですか。なんか凄いことに(笑)
 このシリーズに出てくる怪獣たちが、『忘却の船に流れは光』の登場人物の造形に影響を与えたということはありませんでょうか(笑)
田中 >  うーん、ここだけの話ですが、『忘却の船に流れは光』についても細部はほとんど覚えていないので……(記憶喪失かおまえは)。怪獣なんかでてきましたっけ?
 でも、私の小説はデビュー作以来ほとんど、怪獣もしくは怪獣っぽいものが一カ所はでてくるはずではあるんですけど。
 文章で、スクリーンにおける怪獣の巨大さ、量感、迫力などを表現するのはとてもむずかしいことではありますが、そのうち、本格怪獣小説にチャレンジしたいと思っております。書かせてくれるところがあればですが。
 これは、ぽしゃってしまった企画なので言ってしまってもいいと思いますが、実は、大映が徳間グループにあったとき、「大魔神」のオリジナルストーリーを書けという依頼がありまして、ぜひぜひやらしてくださいというわけで、「大魔神伝奇」という時代伝奇怪獣SFのプロットを事細かに作ったのですが、大映が角川に移ってしまって、ダメになりました。角川の担当にも打診したのですが、無理だということで……。すっっごくおもしろいネタができてたのになあ……。
雀部 >  「大魔神伝奇」!それはぜひ読みたいです。

でたらめをでっちあげることが生業

ケダ >  田中さんの作品って、たしかにジャンルに関係なく怪獣、化け物が出てきますから、怪獣=SFっていう認識はなさってないのかなあ、と思ってましたが、人生観だったのか……(笑)
 それにしても、時代伝奇怪獣SFってどんなものか想像つきませんので、ぜひどこかで実現させて、見せていただきたいものです。
 『忘却の船に流れは光』では、妖精とか伝説上の生き物みたいな異形と、でかい・こわい・つよいという怪獣系の生き物も出てきますね(砂龍とかダンサーとか。ダンサーはでかくないけど)。さらに、今ある「人種」とか「性別」っていうものと違う分岐をたどった人類が描かれています。
 こういう生き物のイメージは、「世界が滅んでて、ドーム都市があって云々」というSFに不可欠な要素ですか? それとも、コアな部分は設定とかストーリーで、後から設定やストーリーに合わせて捻出してらっしゃるのでしょうか?
田中 >  「よりむちゃくちゃに」というのが常にコンセプトとしてあるので、その場その場の思いつきでいちばんむちゃくちゃな感じになるように、でたらめを書いているのです。
 でも、『忘却の船に流れは光』ではあんまりうまくいきませんでしたね。
 ダンサーというのはたしか、高校のときに習作として書いたときにすでに登場していて、今回はいまいち話にあわないので削ろうかとも思ったのですが、「まあ、ええわ」ということで残しました。最初は、ダンサーの踊る曲は「ダンシング・クイーン」にしようと思ってたのですが、あんまりだと思って、変なわらべうたみたいなやつにしました。中途半端でしたね。
ケダ >  フォーリーブスの「♪わたしは、踊り子よ」でもよかったですね(あ、年がばれる……)。
 そういえば、e-NOVELSの山田正紀特集で、『仮面戦記』に出てくる子供たちの歌を絶賛されていましたが、こういうわらべ歌とか伝承の物語とかを捏造(というと言葉は悪いですが)して作品にとりこんでいくというのは、ジャンルの特徴みたいなものなのでしょうか。それとも、音楽や歌詞の面白さに敏感な田中さんのこだわりなのでしょうか?
田中 >  山田正紀さんのそういった詩的な面はとても好きです。『宝石泥棒』の歌とか、もう、いっぱい好きなのがあります。あと、筒井さんの「熊の木本線」の歌とかも、読むたびにしびれまくります。
 わらべ歌や伝承に限らず、作品に使用する小ネタをすごくもっともらしくでっちあげるというのは、私の生き甲斐みたいなもんです。でも、伝奇というジャンルの特徴かといわれるとそうではないと思います。
 たとえば、民俗学や文化人類学なんかの本を読むと、イザナミ流とか陰陽道とか立川流とか大本教とか古史古伝とかどこそこの原住民の歌とか……もう、いっぱい使えそうなネタが転がっているわけですが、だからといってそれをそのまま使うというのはいかがなものかと思います。
 朝松健さんに代表されるような、そういったことに造詣の深い皆さんが、こだわりにこだわって研究して、そのうえで引用するというのは、作家の姿勢としてすばらしいことだと思いますが、私のような無知な作家がその上っ面をなでただけで「ありもの」の一部を雰囲気づくりなどのために、切り取って使ってしまうというのはやりかたとして安易じゃないか、とつい思ってしまうのです。なにしろ、でたらめをでっちあげることを生業としているわけですから。でも、でっちあげようと思っても、なかなか「ありもの」にはかなわないので、ついつい流用したくなるのですが、うまくいかなくても、自分でそれらしく捏造するほうがいいんじゃないんじゃない? とか思っておるわけです。
 とかえらそうに言っても、『ベルゼブブ』のときは、だいぶ「そのまんま」の引用箇所があったりするのですが、姿勢として、ということでご勘弁を。
雀部 >  そういうこだわり方もあるんですね。小ネタをでっち上げるのに、敢えて安易な方法を選ばないというのは、その姿勢がとてもハードボイルド。
ケダ >  ジョーズを撮ったスピルバーグが、(表現は全然違っていたと思いますけど)「ああいう作り物は恐怖心を煽るようにリアルっぽく作るんだけど、でも同時に、どこかに『これは作りものだよ』っていうのがわかるところを残すのが大切」って言っていて、わたしは面白いな、と思ったんですが、田中さんの場合、「もっともらしくでっちあげ」た挙句に「まんまと読者が真に受ける」ところを狙っておられるのですか。
 「わはは、ようこんなんでっちあげよったなあ」と感心した上で楽しんでもらうほうが本望でしょうか。それとも、そういうのは読み手まかせで、「それは生業だから」とハードボイルドな決め台詞で終わるべきことでしょうか。
田中 > 「それは生業だから」(決ったぜ)
ケダ@インタビューワー失格 >  ……しまった……。
雀部 >  題名の英語表記が「THE CITY AND THE STARS」となっていて「クラークの『都市と星』えっ!そうなのかぁ?」と思いましたが、やはりオマージュの要素も込められたのでしょうか?
田中 >  はははは、全然関係ないっす。本が出る直前に塩澤さんから、英文表記はどうします、ときかれたので、「BOKYAKUNO FUNENI……」にしてくれと答えたら、すでに腹案があったらしく、「THE CITY AND THE STARS」にしようと思ってるんですが、と言うので、うーん、なんかわからんけどそれでいいです、ということになっただけです。
 クラークとか(今は)まるで興味ないし、『都市と星』も中学生の頃に読みましたが、片鱗すら覚えていません。クラークの本とまちがえて買ってくれる人がいたらうれしいのですが。
雀部 >  あれれっ、そうなんですか。う〜ん、なんだかなぁ(爆)
田中 >  こないだネットで、『邪馬台国はどこですか』とまちがえて私の『邪馬台洞の研究』を買ったという人の日記を読みましたが、うれしいもんですねえそういうのは。どんどんまちがえてほしいです。
ケダ >  『異形家の食卓』のときも、似たような(まちがえて買ってくれる人がいたらうれしい)ご発言を耳にしたような……(笑)。
 『都市と星』って、『神曲』とのつながり、あるんでしょうか? あとがきに、タイトルを『神曲』から引いたとありましたが……。
田中 >  さあ……なにしろ『都市と星』は完璧に忘れてしまってるし、『神曲』も、必要箇所を拾い読みしただけですから、つながりといわれても……。
 だいたい、『神曲』っぽい構成にしたのも、塩澤さんが、どたんばになって急に、「『神曲』でいきましょう」と言い出したからであって、もともとあんな三部構成になっていなかったのを、『神曲』にあわせて三部に組み直したのです。
 しかも、第二部が、地獄へ降りていくような内容なので、私は「煉獄篇」「地獄篇」「天国篇」の順番にしておいたのに、それでは『神曲』とちがってるから、と塩澤さんがああいう章題になおしたのです。内容よりも『神曲』にあわせることを優先したわけで、あっぱれな本であります。きっと『神曲』ファンに買ってもらおうという作戦じゃないかと思います。
 あと、タイトルを『神曲』から引いたというのは、あれは嘘です。あんな言葉は『神曲』のどこにも出てきません(でも、斜め読みしかしてないから、もしかしたら偶然にもそういう言葉がどっかにないとも限りませんが)。あとがきの最初に「嘘を書く」と書いたのでだいじょうぶと思ってたら、さる書評、に「『神曲』から引いたタイトル云々」と出てしまって、ああ、人間、あんまりいい加減なことを書いてはいかんなあ、と反省しました。その書評家のかたには、真実をいまだ告げてはおりません。反省。
ケダ >  わ、わははは……嘘……。しかも「神曲ファン」狙いって……(誰)。
 あの、ところですみません、これは雀部さんへの質問になっちゃうんですが、『忘却の船に流れは光』をお読みになって、その『都市と星』という作品が連想されたり、思い出されたりするものなのでしょうか?
 他にも、雀部さんの「忘却の船磁石」に引き寄せられる作品ってありました?(田中さんへのインタビューなのに、すみません)
雀部 >  あまり『都市と星』は意識しませんでした。で、英語の題名を見て、そうなのかなと思ったわけで…
 まず念頭に浮かんだのは、初期の頃の筒井康隆先生の作品。スピード感のあるドタバタ+スプラッタ。あと、月並みですが山田正紀先生の『宝石泥棒』と椎名誠先生の『アド・バード』あたりかな。
ケダ >  なるほど……って、どれも知らないもので、どんな部分で連想が働くのかわからないです、すみません(汗)。
雀部 >  スプラッタは分かりますよね(笑)
 『宝石泥棒』と『アド・バード』は、現在の地球環境と異なる世界に巣くう奇天烈な生命体が出てくる冒険譚というところかなぁ。
ケダ >  ドタバタはわかるんですけどね。

田中さんのSF観

田中 >  実は、『忘却……』を書くときにちょっとだけ意識した作品がひとつだけありまして、それは荒巻義雄さんの「神聖代」です。もちろん、あの大傑作にはおよびもつきませんが。
雀部 >  “Kは、半ば諦めていた神聖試験(教皇庁により厳重な情報封鎖を受けている惑星ボッス星研究部門)に合格したが、それ以降奇妙な事件に付きまとわれることに。修道院で研修中の彼の前に600年前に斬首されたダルコダヒルコの幽霊が現れるのだ”とかいう所から始まる'78年の荒巻さんの作品ですね。
ケダ >  えっと、わたしは田中さんの作品で、まずは登場人物の名前から、先ほども出てきた『慟哭の城XXX』と『蒼白の城XXX』、屋台骨を支えるある存在から『銀河帝国の弘法も筆の誤り』所収のある短編(双方にとってネタバレになりそうで、名前が言えません)、ストーリーの展開のさせ方、そしてある鍵になる設定から『星の国のアリス』を思い出しました。

 ところで、こうやってみると、コアではないけど、スペオペっぽいフレーバーを取り入れた作品が結構ありますね。『星の国のアリス』は、宇宙船こそ完全な密室、っていうミステリのために宇宙(船)が使われているので、SFという感じではありませんが。
 スペースオペラとか宇宙って、田中さんのSF観にとって、どういう位置付けにあるんでしょう?
田中 >  えーっ? 屋台骨を支えるある存在から『銀河帝国の弘法も筆の誤り』所収のある短編、ストーリーの展開のさせ方、そしてある鍵になる設定から『星の国のアリス』……? なんのことか全然わからんのですが、そんな風なところありましたっけ? ちょっと読み返してみようかな、マジで。
    ◆オフレコ◆ ネタバレですので、ご注意ください
ケダ >  脳が「ある閉じられた世界」を支えているっていう設定が「脳光速」を連想させてくれまして、あと人格分裂者の存在、そしてミステリのどんでん返しな骨格が『アリス』を彷彿とさせるなあ、と。
田中 >  ここはオフレコなんですね? じゃあ、言っちゃおうかな。『忘却の船に流れは光』のあの○○ネタはですね、全部書き上げてから、喫茶店で、塩澤さんに突然、主人公と○○が実は○○だったというのはどうですかね、と言われて、そんなことはいまさら無理です、もう全部書いちゃったんだし、そんなことはもっと前に言ってくれと抵抗したんですが、だんだんそのほうがおもしろいかな、という気になってきて、時間が全然足らなかったんですが、全体に大なたをふるって直したんです。だから、つじつまのあわない箇所のオンパレードです。「絶対、つじつまのあわないところがいっぱいでてくる」と言ったんですが、「うーん……いいんじゃないですか?」ということで……。あの人は、本格ミステリの人じゃないから(私もちがいますけど)。案の定、あの部分はいろいろ言われましたが、責任は塩澤さんにあるのです。私は被害者なのです。
雀部 >  あぅ。あの部分、私も仰け反った一人なんですが、そういう経緯だったとは。
 辻褄は……あまり合ってませんよね。全然追求する気は無かったですが(笑)
ケダ >  え、つじつま、あってないんですか? それはわかってませんでしたが、田中さんにしては伏線が淡白だな、とは思いました。なんかクリスティのあの作品みたいな「一言さらっ」で流しているようなところとか。でも、あとから思い出して、「あ、あれかー!」と笑えたので、読み方はおかしいかもしれませんけど、ゆるーいミステリ読者にはそのあたりも楽しめるかもしれません(無責任発言)。
雀部 >  私も辻褄の合わないところを見つけだそうと、読み返すことに(笑)
 これも前から知りたいと思っていたんですが、SFマガジン上での田中さんの売り方は、完全に本人と作品を茶化していて(SF BOOK SCOPEの講評も含めて)楽しいんですが、あれは綿密な打ち合わせに基づいて成されたものでしょうか(笑)
田中 >  なんの打ち合わせもありません。塩澤さんが勝手にやっとることです。私は被害者なのです。
    ◆オフレコ終わり◆
田中 >  でもって、現実の「宇宙」には何の興味も関心もありません。「宇宙作家クラブ」も退会しちゃったし(会員の皆さんの高度な会話にまったくついていけなかったもんで)。火星がどうだろうと銀河がどうだろうとスペーシャトル計画がどうだろうと、「ふーん」という感じです。こういうところが、自分で自分を「SF作家じゃないなあ」と思う点です。
雀部 >  宇宙を舞台にしているものだけがSFじゃないと思いますが(笑)
 宇宙とか宇宙船が好きなSFファンは確かに多いと思いますけどね。
 あ、そうか現実の宇宙に興味がないたけで、宇宙での冒険に夢を羽ばたかせるのは、お嫌いじゃないんですね。なるほど。
田中 >  スペースオペラについては、キャプテン・フューチャー一作(というか一シリーズ)あれば十分なので、ほかの作品にはあまり興味はありません。キャプテン・フューチャーは、何度読んでも笑える、私にとって大事な作品です。宇宙海賊とか悪の宇宙人とか、いいですよねえ(うっとり)。ワイドスクリーンバロックとなると話はちがってきて、すごく影響されていると思いますが。
雀部 >  『銀河帝国の弘法も筆の誤り』所載の「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」。そうかぁ。
 そういえば、《キャプテン・フューチャー》は、『キャプテン・ウルトラ』の元ネタでもありましたね。私は、《キャプテン・フューチャー》のほうを先に読んでいたので、『キャプテン・ウルトラ』を初めて見た時はちょっとがっかりしたんです。あのまま特撮になると思っていたから(笑) 全然別の番組として見れば当時としては良くできているんですが。
ケダ >  え、キャプテン・フューチャーって、タイムボカンがモトネタじゃないのか!(アニメの「説明しよう」ナレーションの話)
 関係ないですが、東京創元社から復刊されるそうですね>キャプテン・フューチャー
 わたしが唯一17冊も読んでいるSF文庫なんです。早く18巻以降が出ないかな。
 ちなみに、買う人の半分は老眼入ってると思うので、大きな印字にしてくださいね>東京創元社さん!
雀部 >  あぅ、私のこと呼びました(爆)>>老眼入ってます

ワイドスクリーンバロック

ケダ >  あ、すみません、話がそれました。宇宙そのものにはご興味がなくても、宇宙海賊とか悪の宇宙人のいる「舞台」としての宇宙、わたしたちの住んでいる地上とは違う生き物や生き方が存在する可能性ある場所としての宇宙は、作品に使う上で使いやすいとか、実は楽しいとかありませんか。やっぱりUMAハンター馬子シリーズなどで出てくる「この地上の秘境」を創り出すほうがお好きですか?
田中 >  いや、まあ、その、べつに、どこでもいいんです。どうせ行ったことないんだから、そーゆーとこはぜんぶ「卑怯」、じゃない「秘境」でしょう。宇宙も、この世の秘境も、中国も、時代小説における過去も、どれも「怪獣を出す」ために必要な設定というだけです。
 嘘です。
ケダ >  ところで……ワイドスクリーンバロックって何ですか?
田中 >  広いスクリーン上に構築されるバロック建築のことです。
 嘘です。
雀部 >  名付け親のオールディス氏によると“時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深淵であると同時に軽薄な小説”“空間的な設定にすくなくとも太陽系全体―アクセサリーには、時間旅行が使われるのが望ましい―それに自我の喪失などといった謎にみちた複雑なプロット。そして、世界を身代金に、というスケール。可能と不可能の透視画法がドラマチックに立体感を持って描き出されねばならない。偉大なる希望は恐るべき破滅と結び合わされる。登場人物は、理想を言えば、名前が短く、寿命もまた短いことが望ましい”。
 『忘却の船に流れは光』、かなり当てはまってます。
ケダ >  え……SFファンの方って、今の説明でわかるんですか!?
雀部 >  ワイドスクリーンバロックと呼ばれる本を読んだことがある人は分かります(笑) 前述のベスターとかヴォクトの作品があげられています。もう一人は、ドク・スミス。彼のレンズマン・シリーズは、映像化されたので、見たことのある人も多いはずです。
ケダ >  ……うーんと、「広いスクリーン上に構築されるバロック建築」みたいな、スケールはでかいけど人物の名前は短い、『忘却の船に流れは光』みたいな奴、でとりあえず覚えておきます。ありがとうございました(涙)。
 あ、よろしかったら、田中さんの作品で、ご自身が「こういうとこ、ワイドスクリーンバロックの影響受けてるよなあ」と思われるところってどのあたりか教えていただけないでしょうか。
田中 >  えーと……私自身は『忘却の……』はまるっきりワイドスクリーンバロックとは考えていません。次に書くSF長編が、そうであるはずです。
 あと、レンズマンとかベスターとかヴォクトも、あんまりワイドスクリーンバロックどんぴしゃりとは思いません。ベイリーの『禅銃(ゼンガン)』と『カエアンの聖衣』あたりは、ワイドスクリーンバロックと呼んでさしつかえないと思います。
雀部 >  ベイリーは、ワイドスクリーンバロックそのものでしょうね。
 クリス・ボイスの『キャッチワールド』もかなりその線。
田中 >  でもって、影響を受けてると思ってる点は、デビュー作の長編を書いたときからそうなのですが、よく、小説入門とかで、素人の作品を評して、「これはアイデアの詰め込みすぎだ。ここには10のアイデアが詰まっているけど、ぼくならこれで3本の作品が書けるよ。10のアイデアを3ぐらいに削りなさい」とか書いてあったりするでしょ。あれのまったく逆なんです。10で満杯のところに、100ぐらいアイデアをぎゅうっと凝縮して詰め込むのです。それも、互いに関連性のないようなことをばんばんつっこむわけです。そうすると下手な鉄砲も数うちゃ当たるで、相互に反応してどっかーんと爆発して、ハレーションみたいになるわけです。そういう小説を書きたいといつも思っています。
 まあ、うまくいったためしはありませんが、それでもいいんです。
ケダ >  好きだなあ>ぎゅうぎゅうつめこんでどっかーん!
 スクリーンついでにうかがいますが(違?)、田中さんは、映像の影響は受けておられますか? SF映画とかホラー映画とか。
田中 >  ほぼゼロに等しいです。だいたいホラー映画は嫌いだし、SF映画もほとんど見たことないです。興味がかろうじてあるのは小説としてのSFであって、映像のSFには関心ありません。
ケダ >  読む側から言うと、田中さんの作品は「映像」とか「絵」より「音」に特徴があるように思います。
 小説って、読んで「(静止)絵」が浮かぶもの、「映像(実写)」や「アニメ」が頭の中に映写されるものなど、いろいろあるのですが、田中さんの作品は、擬音語も実際とても多いですし、しかも執拗ですよね。
 作家の方のインタビューなどで、「見えている絵や映像を書きとめる」といった表現をなさっているのを見ることがありますが、田中さんの場合はいかがですか? 「音」は効果音として作っているのでしょうか。それとも実際に「聞えているものを書きとめている」感じですか?
田中 >  我孫子さんによく言われるのは「あんたの小説は、イメージを思い浮かべて書いてないから、つじつまがあわない」ということです。そうなんです。全然「見えていない」んです。たとえば「彼の目のまえに突如、数万キロの幅の巨大な火の柱が立ち上がった」とか書くとき、適当にいいかげんなことを書いているわけで、「数万キロ」というのが現実にはありえない数字だったとしても、勢いでつい書いてしまうわけです。白髪三千丈というやつでしょうか。実際にどうかということよりも、その「言葉」の響きを優先してしまうのです。ようするにどでかい火柱があがったんやな、ぐらいに思っていただければそれで十分です。こういうところが、自分で自分を「SF作家じゃないなあ」と思う点です(それ以前に、作家じゃないかもしれん)。
 あと、音も、たぶん、おそらく、きっと、適当だと思います。音の使い方に関しては、もっともっとうまい作家がたくさんいますし。
ケダ >  田中さんは、SF-Japanの筒井康隆特集号でも、筒井さん(作品)への愛を綴っておられますが、「言葉」の「響き」を活かした文章といえば、筒井さんもそうですよね?
田中 >  そうです。要するに私は筒井さんからそういうあたりをパクったわけです。筒井さんだけではありません。山田正紀さんからも、荒巻義雄さんからも、半村良さんからも、大原まり子さんからも、神林長平さんからも……まあ、とにかくいろんな人からいっぱいパクったのです。そして、それを薄めて、商品化しているわけです。パクリ多売というやつです(それが言いたかった)。
雀部 >  んまぃなぁ。座布団10枚(笑)
 筒井康隆先生と言えば、『忘却の船に流れは光』は、『馬の首風雲録』頃の作風に似てませんか? ドタバタ入りの、しかし一方ではしんみりとしていてたりして、何げに感動的だったり。ジャズのプレーヤーであられるところも。
田中 >  『馬の首風雲録』は、その昔読んで、すごくおもしろかったという記憶はありますが、ストーリーも何も覚えていません。潜在意識のレベルでの影響はありうるかもしれませんが……。とにかく筒井さんは大好きなので、どの本からも大なり小なり影響は受けているはずです。

今となっては何もかも忘却の彼方であります

ケダ >  ところで、『忘却の船に流れは光』にマリアという女性が出てきますが、この名前はXXX(トリプルエックス)でも出てきますし、最近では『陰陽師九郎判官』にも登場します。お好きな名前なんでしょうか?
雀部 >  『XXX(トリプルエックス)』の主人公であるブルーという特命部の刑事の名前も同じですね。
田中 >  『忘却の船に流れは光』も『XXX(トリプルエックス)』も高校のときに書いたものが原型で、そのときから主人公はブルーで女性はマリアでした。ああいうやつがああいうことをして最後にああいう目にあうざまあみろ的作品は、「青いやつ」という意味でブルーという名前の主人公にしたんだと思います。マリアという名前は、「血の汗流せ」という短編でも使いましたが、たぶん駄洒落に使いやすいんじゃないですかね。よくわかりませんが。
ケダ >  忘却……は、高校二年生のときに思いついたとあとがきにありましたが、高校生のときに頭に描いた通りの作品になりましたか?
 まだ、プロの作家になる前に小説を思いつくときって、頭の中ではどの程度完成してるんでしょう? 先ほど「『忘却の船に流れは光』についても細部はほとんど覚えていない」とおっしゃっていましたが、今も覚えている部分って、やっぱり昔から温めていたコアなものなんでしょうか?
雀部 >  あ、それ私も聞きたいです。そう言えば「XXX(トリプルエックス)」も高校時代の大晦日に思いつかれたんですね。
田中 >  全然なってません。もともとは「大傑作!」になるはずだったので……。でも、あのネタで「ファンタジーノベル大賞」に応募して、一次も通らなかったので、そうか、このネタはだめなんだ、と確信していたので、今回、こうしてちゃーんと本になって、お金もいただいたということで、ちょっとホッとしました。頭のなかにあるおもしろいネタを世間に発表するために作家になったわけですから、形にすることができてとりあえずは満足です。
 で、『忘却の船に流れは光』については、核となるネタは、ようするにアレがああなってああなってああなると思ってたら実はああなってどひゃー、ちゃんちゃん、というものですから、細かい字で書けばノート一ページで終わるような内容です。でも、実際にできあがったものは千枚近くあるわけだから、付け足しであるところの部分をほとんど忘れてしまっていても当然ではありますまいか!(と開き直る)。

 もちろん、全体の骨格は一応覚えてますね。そこまで忘れたら、人間としていかがなものか、ということになると思います。
 「XXX(トリプルエックス)」は、高校のときに書いた習作から、実はほっとんど何もいじってません(だから、あの本は一冊を二週間で書きました。会社員だった頃ですから、めちゃめちゃ早いペースですよね。今となっては夢のようなスピードです。あの日にかえりたい)。アレもコレもソレも、ほぼ全部のネタがそのときすでに出ています。こいつをこういじめて、こいつをこういう風に殺して、こいつは実はこういうやつなんだけどこうしてこうして……とネチネチ考えていたわけで、ろくな高校生じゃなかったように思います。
ケダ >  バッドエンディングというレベルじゃない悲惨なエンディングでありながら「ちゃんちゃん」とか「どんどーん」と音が入りそうなラストが結構多いんですが、これは田中さんの小説の型みたいなものになってるんでしょうか? それとも悲観的な人間でいらっしゃるとか……?
田中 >  基本的には、どんな体裁の作品も、「笑ってもらう」ことを念頭に書いていますので、たとえ気色悪い作品でも「こんな気色悪いことを書くなんて。はっはっはっ」、嫌な思いのする作品でも「こんな嫌な思いをさせるなんて。はっはっはっ」、暗い作品でも「こんな暗いことを書くなんて。はっはっはっ」と笑ってくださればうれしゅうございます。だから、「どんどーん」と太鼓が入るのは当然であります。これはお笑いですということがどなたにもわかるようにはっきり示すために、なんでもかんでも必要以上にとことんまで書くようにしていますので、それで笑えなかったら、私の力不足で、「とことんまで書けてなかった」ということですね。
 嘘です。
ケダ >  (どんどーん)
 『忘却……』は1000枚にもなっているそうですが、読んでいると、「この人物のこの話、もっと読みたいなあ、外伝みたいなの。こんなさくっと流してもったいないなあ」というところもあったんです。たとえば最下層に住むストリートキッズたちの暮らしぶりなんかは、もっと読みたかったな、とか。
 田中さんご自身は、「ここはもっと書きこみたかったのになあ」というのはありませんでした? 二分冊にするわけにもいかないから泣く泣くカットした話があったとか?
田中 >  はっはっはっはっ。いろいろ削ったからなあ、ばっさばっさと。章単位で落としたり、エピソードをごそっと削除したりしてますから。でも、すっごく惜しいと思われるような部分でも、パソコンの削除ボタンを押してしまうと、憑きものが落ちたようにすっきりして、どーしてあんなとこ惜しいと思ったんだろうな、と思うのです。
 でも、今となっては何もかも忘却の彼方であります。
ケダ > (独白)今、ふっと思ったんですけど、あの世界は5階層になってたんですよね? なのになぜ3獄構造の神曲をコラージュ(?)してるんでしょう?
田中 > (独白)私も、今、ふっと思ったんですけど、ほんとになぜでしょうね?

ジャンル作家であることはまちがいありませんが…

ケダ >  「だれずに最後まで読んでいただけるようには書いた」と先ほどおっしゃってました通り、あの枚数を(しかもあのスカトロまじりを!)むさぼるように(ううう)1日で読みきらされてしまったんですけど、『ベルゼブブ』(トクマノベルス)でも思いましたが、SFとか伝奇とか怪獣とかいやな話とかそういう中身はいろいろですけど、流し方がとてもミステリ的ですよね。何かが「あ、わかった」と思ったら次の「?」が出てきて、「気になって寝られへんやろ!」っていう。
 現在、ミステリーズ(東京創元社)や小説すばる(集英社)にもミステリを連載中でいらっしゃいますし、『鬼の探偵小説』(講談社ノベルス)もスーパーナチュラル交じりだけれど本格テイストのミステリです。
 SFとミステリ、これは同じように田中さんの骨になってるんでしょうか? ミステリ作家、SF作家……ご自身をジャンルでくくると、何作家だと思われますか? それともジャンル意識というのはないですか?
田中 >  牧野さんともよく話すのですが、ジャンル作家であることはまちがいありません。でも、どのジャンルに属するかといわれると、たぶん、どのジャンルからも「おまえは来るな」と言われるでしょうね。ミステリもSFもホラーも、「わあ、これがぴったり!」みたいな、すごくホッとする、居心地のよいジャンルは今のところありません。コウモリみたいなものですね。
ケダ >  ジャンル作家ではあるけど、今のところこれがぴったりというジャンルはない……それは、一人一ジャンルみたいな感じですか、それとも作品によって都度、特定のジャンルを意識しながら創作なさっているということでしょうか?
田中 >  どのジャンルにも、それぞれの道に命をかけた「本格魂」「ホラー魂」「SF魂」をもった作家がいらっしゃるわけで、私などはその隙間にこそっと入っては、ちょこっと書いて、びゅっと逃げる……ようなことを繰り返しているのですが、できれば、これはほんとに「できれば」の話ですが、できれば、そのジャンルの読者にも「田中ちゅうやつは、ホラーがわかってないけど、まあ、許せる範囲やな」とか思ってはいただきたいと。つまり、ジャンルのコアな読者にも「許してもらう」程度には、「ちゃんと」書きたいですね。そういう意味では、ジャンルを意識して書いております。ただ、何を書いても「田中じるし」にならんとあかん、というのは、当然のことでありましょう。
ケダ >  作家として一つのジャンルだけにこだわるわけではなく、作品ごとにジャンルを意識して創作していく、という感じでしょうか。
田中 >  さようでございます。
ケダ >  「『よりむちゃくちゃに』というのが常にコンセプト」とおっしゃいましたが、ラストは収斂させるミステリと、ラストは開放系でもいい他のジャンル(たとえばSF?)だと、ご自分に合ってるなあ、と思うのはやっぱりSFですか?
田中 >  うーん……うーん……うーん……うーん………………………………。
 ジャンルというより手法という意味では、ミステリですかね。ラストは収斂させたいという欲求は、けっこう強いですから。でも、そこへいたるまでは、とにかくめちゃめちゃにしたいです。だから、「心はSF、手法はミステリ、テイストはホラー、しかしてその実体は……ギャグ」というのはいかがでしょう(といわれても困るでしょうけど)。
ケダ >  あ、それ、とっても腑に落ちます!!(でも、いいのかな、実体ギャグで……)
 今、伝奇という言葉が出てきませんでしたが、伝奇は「心はSF」のSFに含まれているのでしょうか? 読者であった田中さんが創作者として「おれも伝奇を書きたい」って意識させられた作品ってありますか?
田中 >  私の「伝奇観」は『禍記』に収録されている「本格伝奇宣言」に書いてあるとおりです。あれにあてはまらないものは、「伝奇っぽい作品」であっても、私にとっては「伝奇」ではないんです。その、狭いストライクゾーンに来た作品は、半村さんの『産霊山秘録』の第一部、それから『石の血脈』ぐらいかなあ……。たとえば『妖星伝』はめちゃめちゃすばらしい作品ですが、私の基準によると「伝奇」じゃないんです。『○○伝説』のシリーズもちがうし。あとは、諸星大二郎さんの多くの作品ということになりますか。つまり、「おれも伝奇を……」と思わせたのは、諸星さんの作品ということになります。
 諸星さんの作品は、とにかく好きです。愛してます。恋してます。
ケダ >  あ、『蓬莱洞の研究』『邪馬台洞の研究』(講談社ノベルス)の諸星弾次郎・比夏留父子って、ウルトラセブンやうる星やつらじゃなくて、諸星大二郎さんラブだったんですね。
 諸星さんの影響をうけて「わだば伝奇作家になる」と書いた(考えた)最初の作品は、現在本になっていますか?
田中 >  たぶん、それは『水霊』です。あの話の原型は、高校生のときに考えたものですから。
ケダ >  へえ、あれも高校生のときに!
 先ほどのお話ですと、田中さんの基準に見合う伝奇小説は現実にはとても少ないということですけれど、それってまだ伝奇小説を楽しむ読者が育ってないせいなんでしょうか。伝奇というのは、今のエンターテインメント小説の世界では、一つのジャンルとして確立されているのでしょうか。それともSFとかホラーのサブジャンルなのでしょうか。
田中 >  あくまで「私にとっての伝奇小説とは」ということであって、読者とかは関係ない話であります。みな、それぞれ「自分にとっての伝奇小説とは」があるはずなのです。ある人にとってはそれがリンカーン、ある人にとってはそれが西郷隆盛、ある人にとってはそれが二宮尊徳なのです。あと、あくまで私見ですが、現状ではサブジャンル状態だと思います。

作家・田中啓文を人工的に作ろうと思ったら

ケダ >  それって、どっかのスナックのママの天然ボケ……?>伝記小説。
 ところで、そもそも田中さんは小学校5年生のときに作家を志していらしたそうですが、それまでの読書は(マンガも含めて)どういう傾向でしたか? 活字であればなんでも……っていう本の虫だったのでしょうか? そして、小学校のときから、現在の作品の原形ができてくる高校生ぐらい(?)までは、どういう作品を傾向的に書いていらっしゃったんですか?
田中 >  小学校三、四年のころはご多分に漏れず、手塚治虫、石森章太郎(石ノ森ではない)、藤子不二雄、横山光輝、つのだじろう……といったマンガ(サザエさんも好きだったし、ピーナツをはじめとするツルコミックスの外国マンガも好きでした)を山のように読んでいました。小説は……あんまり覚えてないなあ。ただ、『コルディッツ大脱走』というノンフィクション(カッパノベルスだったと思う)がめっちゃおもしろかったことを覚えてます。あとは、時代小説ですね。五年生のころに、『次郎長三国志』、『大久保彦左衛門』、『丹下左膳』、『銭形平次』、『遠山の金さん』……といった時代小説を、これまた山のように読んでいました。五年生で星新一を知り、そこからSFを知り、あとは泥沼に落ちていきました。
 自分で書くほうについては、はっきり覚えていて、最初に書いたショートショートは、
 彼は、何かの気配を感じとって、パッと振り返った。
 という書き出しではじまる小説を書いていた彼は、何かの気配を感じとって、パッと振り返った。
 という書き出しではじまる小説を書いていた彼は、何かの気配を感じとって、パッと振り返った。
 という書き出しではじまる小説を書いていた彼は、何かの気配を感じとって、パッと振り返った。
 という書き出しではじまる小説を書いていた彼は、何かの気配を感じとって、パッと振り返った。

 古いレコードは聞きにくいなあ。

 というやつです。
 中学二年ぐらいまでは、こういうショートショートを書き飛ばしていて、それが小説だと思っていました。
ケダ >  そこから長い年月を経て、ついに少年は専業作家になっちゃったわけですねえ!
 作家・田中啓文を人工的に作ろうと思ったら、(古き良き)SF、ミステリ、怪獣、アニメの主題歌挿入歌、ジャズ、おじゃる丸……いったいどういう材料がどういう比率でどのように混ぜればいいでしょう?
田中 >  そこにホラーと伝奇と上方落語と悟空の大冒険と駄洒落を追加して、SF2、ミステリ2、ホラー1、伝奇3、上方落語4、怪獣1、アニメの主題歌挿入歌1、ジャズ3、おじゃる丸1、悟空の大冒険2、駄洒落10(合計30)の比率で混ぜればいいんじゃないですかね。
ケダ >  ダジャレ、ぶっちぎりーっ!(狂喜)
雀部 >  やはり駄洒落の比率が一番高いのですね(爆)
ケダ >  じゃあ、先に露払い(をい)から話をさせていただきますけど、ジャズと上方落語では、微妙に上方落語の比率が高いんですね。同じぐらいになるのかと思っていました。落語との出会いはいつ頃ですか?
 出会ってすぐ、ずぼずぼにはまってしまったんでしょうか?
田中 >  こないだラジオでもしゃべったんですが、小学校三〜四年のころです。父親が出張に行くたびに、講談社文庫の興津要さんの「古典落語」というのを一冊ずつ買ってきてくれて、それに耽溺したのがはじまりです。あとは、ラジオで米朝師匠の落語を聞いてすっかりはまり、はじめて生で落語を聞きにいったのもその頃です。京橋のダイエーでやってた頃の島之内寄席で、もたれが春輔さんの「京都大原三千円」で、トリが米朝師匠の「京の茶漬け」で、最前列で聴いていたのに、米朝師匠のときにぐっすり眠ってしまったことを覚えています。最悪〜。そのあと、中学、高校とずっと好きだったんですが、高校のころ、「枝雀寄席」の放送がはじまって、そこからは一気に泥沼に落ちていきました。
雀部 >  自らを“関西で煮染めたような人間”と評されることもある田中さんですが、小説を書く上で、関西人であることを意識されてますか?
 また、関西人であることは、書かれる上でどういう影響があると思われますか?
田中 >  「関西で煮染めたような」というのは、中島らもさんのフレーズをぱくったのです(すいません)。小説を書くうえで関西人であることは、たま〜に意識します。とくに今、小説すばるでやってる上方落語の世界を舞台にしたような小説を書いてるときなんかですね。あと、馬子とか書いてるとき。関西弁というのは、しゃべっている言葉をそのまま文章にすると、くどくて、すごく読みにくいのです。
 それを、文章で読んで、すんなり頭に入って、なおかつリアルな関西弁を書くというのは案外むずかしいなあと思うことしきりです。有明夏夫さんの小説を読むと、そのあたりのバランスが絶妙で、いつも感心します。
 関西人であることは、私の創作の根本のところにはありません。まあ、スパイス程度でしょうか。でも、大阪の人間が深いところで持っている、京都や東京に対するコンプレックスと、その裏返しみたいなものは、たしかにあるなあと思います。マイナー指向とかB級指向みたいなものがあり、そのマイナーなところでそこそこがんばったらええねんみたいな。
雀部 >  博多弁(?)でしゃべくる坊さんや、世界各国の宗教が渾然一体となったような世界から、関西らしい大らかさとパワーを感じるのですが、普段はどういう生活をされてますか?
田中 >  ごく普通の生活です。サラリーマンとの兼業生活が長かったので、仕事をしないと世間さまに申しわけないような気分になるのです。サラリーマンは、朝八時半から夜七時頃まで働いてるわけで、作家だからといって、ぶらぶらしてるのはいかがなものかと思います。だから、私は朝六時に起き、ジョギングをして朝食を食べたあとはすぐに机に向かい、昼食をとる時間も惜しんで、夜七時までひたすら働きます。夜は健康のためにはやく寝ます。
 というような夢を見たことがあります。

ジャズ・サックス奏者としての田中啓文

ケダ >  (伝奇作家は関西で煮染めた村上春樹の夢を見るか……?)
 えっと、上方・関西という地方色濃い世界から、今度は国境を越えまして、ジャズですけれど、これはいつ頃からはまったんでしょうか? サックスの演奏者の部分と、小説家の部分って、関連性はあるのでしょうか?
田中 >  ジャズにはまったのはかなり新しくて、高校二年のときです。当時はフュージョンブームで、最初はナベサダとかヒノテルとかネイティヴ・サンとかそういうやつを聴いていたのですが、すぐに山下(洋輔)トリオを知ってしまい、山下トリオのアルトサックス奏者だった坂田明さんにあこがれて、自分でもやってみたくなり、サックスを吹くようになるのです。あとは前衛ジャズ、フリー・インプロヴァイズド・ミュージックなどの道をまっしぐら。いまだに普通のジャズはほとんど聴きません(聴けない体質になってるのか)。
 演奏と小説の関連ですか。ないです。サックスはめちゃめちゃ下手ですし。
 小説というのは密室の作業だし、書き上がったものへの反応もダイレクトではありませんから、たまに人前で何かライブなことをやりたくなるわけです。それが、私にとってはサックスなのであって、よーするに単なる息抜きです。きのうもスタジオで一時間ほどロングトーンとかスケールとかの基礎練習をしたのですが、ときどききちっとまじめに練習すると、ああ、まだちょっとは吹けるな、と安心するのです。
ケダ >  ちょっとミーハーネタに逸れて申し訳ないんですが、田中さんの参加なさっているビッグバンドのCDの帯を恩田陸さんが書いておられて、小説すばるでは、お二人がビールを飲みながらお話しする巻頭グラビアがありましたけれど、そこで恩田さんが、「今度はわたしがMCをやります」とおっしゃってましたね。実現のご予定は……??
雀部 >  CDの帯に「田中さんよりは上手に映画の説明ができると思います」って書いてあります。なんか挑戦されてますねぇ(笑)
田中 >  恩田さんは、たぶん私の千二百五十倍は忙しいと思われるので、実現の可能性はゼロに等しいでしょう。しかも(聴いたことがないのでこれは予想ですが)私の千三百十八倍は楽器がうまいと思われるので、あの人が来たら、私はサックスの席をゆずって、逆にMCに専念しなくてはなりません。それはちょっとまずいでしょう。
雀部 >  MCだけのCDになったりして(爆)
 『NEW CINEMA PARADISE』という題名のCDなんですが、このMCはアドリブなんですか?
田中 >  もちろんです。仕込んでいたら、もう少しまともなことをしゃべっています。
 マイクのまえに立った瞬間に頭をよぎったことをそのまま口に出しているだけです。だから、映画音楽特集とか言うとるのです。
雀部 >  それはそれで凄いなあ。アドリブは、ジャズメンならではですよね。あのMCは、口にしゃべり専用の付帯脳がついている古館アナみたいですね(笑)
 ということは小説中に出てくる駄洒落もアドリブが多いのでしょうか?
田中 >  いえ、作中の駄洒落は、考えに考えに考えに考えたものです、って……そのわりにたいしたことないですね。まあ、半々というところでしょうか。

駄洒落と小説の融合

佐々木 >  田中さんの作品を読むと、しょうもなと思いつつニヤニヤさせていただいています。私の場合駄洒落にもセンスオブワンダーに近いものを感じるといいますか、美女が「事務所にいると自慰無性にしたくなるわ」といった時の驚愕。あるバンドの歌「ゴーイングマイ上へ」という題名を見た時の脱力感。そんな駄洒落による衝撃と、SFネタによる衝撃が渾然一体となった魅力を田中作品には感じております。二つほど質問させて頂いても良いでしょうか。
 1,駄洒落は思いついたらメモするのでしょうか
 2,数年駄洒落で受けたことがないのですが、どうすれば駄洒落で受けること
   が出来るのでしょうか
田中 >  できるだけメモするようにしているのですが、なかなかそうはいかず、思いついたものの大半は忘れてしまいます。でも、まあ、忘れるようなやつはどうせ使い物にはならんのです。今日も、金目鯛へのターンというのを思いついたのですが、どこにも使えませんねえ。
 駄洒落で受けたことがないとのことですが、駄洒落に関しては、ケダちゃんのほうが私よりずっと優れているので、ケダちゃんにおたずねくださるほうがよろしいかと。
 それに、私は、駄洒落で受けようとしたことはなくて、駄洒落で脱力させようとしているだけなので、駄洒落が芸術の域にまで達している高信太郎大先生や大矢博子さん、ケダちゃんなどにはとーてー太刀打ちできんのです(というか、太刀打ちしてどうなる?)。
ケダ >  そんなご謙遜を――ていうか、もしや企業秘密だから煙に巻いていらっしゃるのでしょうか?
田中 >  駄洒落のうまい下手で謙遜しあうという状況も世間から尺度がずれているような気もしますが、真摯な回答であります。また、駄洒落を企業秘密にするという状況も異様な状況のような気が……。
佐々木 >  今まで、駄洒落は、受け≧脱力だと思っておりました。受けを棄て脱力だけを目指してもよいのですね。眼からウドン粉が落ちる思いです。
 大矢博子さん、ケダちゃんなどの駄洒落も芸術的かと思いますが、田中さんの駄洒落も十分芸術的かと思います。(すいません高信太郎先生はあまりよく知りません。こんど読んでみます。)
 どこで拝見したのか忘れてしまいましたが、「聖痕つきはてた」の話など陶酔いたしました。(あれ、田中哲弥先生のネタでしたっけ)
 私も芸術的な駄洒落を目指し精進していきたいと思います。
田中 >  まずは高信太郎を読むことですね。おすすめは「日本チャンバラ伝」(青林堂)です(絶版だと思いますけど)。
佐々木 >  絶版では難しそうですが「日本チャンバラ伝」探してみます。
 田中さんにすすめていただいたので読まないわけにはいきません。見つかればいいな。
ケダ >  小説に駄洒落を取り込まれるようになったのは、いつからですか? すでに高校生ぐらいからでしょうか?
田中 >  うーーーーーん……覚えてないなあ……。駄洒落ではないですが、いわゆる言葉遊びは好きでしたから、そういう要素を使った小説を書いてはいましたが、はっきり駄洒落を作品に使うようになったのは、高校生のときに、いしいひさいちの「わいはアサシオや」の影響で書いた「わいはキリストや」というギャグ小説からかもしれません。
ケダ >  へえ、そんな早くから!
 田中啓文小説のサブジャンルとして駄洒落小説がはっきり際立ってきたのは、異形コレクションあたりからかな、と思っておりましたが、ご自身の中では、特に駄洒落にフィーチャーした小説を書いていこうと思われたわけでもなかったのでしょうか? 「駄洒落、駄洒落」と言われると、それもちょっと違うんだけどなあ、と思われていますか。
田中 >  さっきも言いましたが、駄洒落に関しては、もっとすごい人たちがいるわけで、私のは、あくまで物語の流れのなかで、ある種の効果を与えるためのものと考えています。まあ、いわば、池波正太郎作品における食べ物の描写のようなものでありましょうか。ハッハッハッハッ。
ケダ >  池波正太郎作品における食べ物の描写……って、それ、実はとっても強気なご発言ではっ!
田中 >  つーか、池波正太郎は「先生、もっともっと食べもののことを作品の中に書いてください」という注文に、「ぼくが食べもののことを書くのは、それが季節感の表現に必要な場合だけだよ。意味もなく書くわけにはいかない」といって怒ったらしいですが、私も、「ぼくが駄洒落を書くのは、それが季節感の表現に必要な場合だけだよ」と言っておきたいと思います。
雀部 >  池波先生の食べ物の話は一冊の本にまとめられたりしてますから、田中さんの駄洒落に関しても『田中啓文駄洒落全集』が出るのではないでしょうか。
田中 >  死後にね。
ケダ >  今何気なく聞き流していましたが、「物語の流れのなかで、ある種の効果を与える」……『ベルゼブブ』の駄洒落とか、「天使蝶」(『禍記』所収)の駄洒落の効果って……!????
 落語のオチなんかは、今までのフィクションの世界を脱力とともに壊して、「はい、出口はこちら」と現実世界に戻してくれる、催眠術を解く合図みたいなものですが、タイトルの駄洒落やオチの駄洒落と違って、前述の2つのなんかは、夢物語(フィクションの魔法)がまだ佳境というところで目覚まし時計を鳴らすようなものですよね。あえてそういう「目覚まし」「読者が物語りに没頭するのを妨害」するような狙いがあったりするのでしょうか?
田中 >  そういうあまのじゃくなところはあるかもしれません。駄洒落オチにしても、要するに夢オチみたいなもんで、一種の禁じ手ですよね。禁じられているものは、なんでもやってみたくなるもんです。若者がドラッグにはまるのも、理由の大半は好奇心からといいますし。
ケダ >  作家仲間の方から、「もうあんた地口はやめ」と言われることもおありのようですが、そういう迫害については、どのようにお考えでしょうか。
 そして、今後も駄洒落と小説の融合という田中道をお進みいただけるのでしょうか。
田中 >  融合というか遊離というか……。
 べつに駄洒落でなくても、読者を脱力させることさえできればいいのですから、地口にこだわることなく、脱力小説を書き続けたいと思っております。というか、総合的、世界的、宇宙的、四次元的視野にもとづき、地口も含めて、読者を脱力させるためのさまざまなツールを駆使して、作品を構築していく所存であります。
 ああ、不毛だなあ……。
 私に地口をやめろと迫害する作家たちについては、「じゃあ、あんたは電波をやめろ」とか「あんたは宮崎あおいのファンをやめろ」、「あんたは猫を秘書にするのはやめろ」、「あんたはぐふぐふ笑うのをやめろ」などと反論する用意がすでにできています。
ケダ >  なーんだ、迫害主は限定4名様だったんですねー。
雀部 >  あ、一人わかんない(爆)
ケダ >  読者を脱力させる、というのは、なるほどとうなずけます。物語そのものも、仕掛けた謎が解明されるという点では収斂ですけど、その世界そのものは崩壊っていうか悲惨っていうか、そういう方向性のものが多いですが、中身だけじゃなく、読んでる者までガラガラと音を立てて崩れていくような小説になってるわけですね。
 それにしても、「読者を脱力させたれ」っていうのは、お笑い志向がベースなんでしょうか、それともなにもかもが無に帰すような混沌とした終末観みたいなものがベースにあるのでしょうか。
田中 >  感動させたり、泣かせたり、考えさせたり、いやされたりする小説は世の中に腐るほどいっぱいありますからねー。たまには「アホかーっ!」と叫ぶようなものもいいんじゃないかと思ってるだけです。とにかく、真剣になってる人のうしろにそっと近づいて、脇の下をくすぐるような真似が好きなのです。
ケダ >  脱力が一冊にまとまってしまったといえば、『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(ハヤカワ文庫)ですが、なんかもうまじめな人にとっては一種の兵器ですよね、あれ。できあがってみて、いかがでしたか。
田中 >  うーん……ギャグってやっぱりダメな人にはダメなんだと思いました。みんな、泣きたいんですね。個人的にはすごく好きな短編集ですが。
雀部 >  ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」がベスト1のお国柄ですから。あ、私も好きなのは好きなんですが(爆)
ケダ >  ……あのタイトルを見て、ギャグだと思わずに買う人がいたんでしょうか。
田中 >  つーか、売れとらんのです、あの本(でも、さっき塩澤さんにきいたら「増刷はかかっていないが売れてないことはない」と言われてしまった)。

本邦初の脱力小説家の今後

ケダ >  同じハヤカワから、次に出た『忘却……』は「もはや駄洒落の余地もない」ですけど、先ほどのお話からすれば、むしろ駄洒落だけにとらわれずに脱力終焉小説が書けたなあ、とか、そういう感慨みたいなものはおありですか。(ひょっとして編集長にもてあそばれてしまったの、わたし……ってなご気分なのでしょうか、どきどき)
田中 >  そんな感慨なんて感慨たこともありません。
雀部 >  わっ!(爆)
 脱力小説家というのは、凄いポジションですね。先達が居ないのではないかと思いますが、どうなのでしょう?
田中 >  どうなのでしょう。
雀部 >  本邦初の脱力小説家としては、これからどういう作品を書いていかれるおつもりでしょうか?
田中 >  読者の皆さんの「明日への脱力」になるようなものを書きたいですね。
 嘘ですけどね。
ケダ >  駄洒落以外のギャグといえば、「地球最大の決戦 終末怪獣エビラビラ登場」がまず思い浮かぶんですが、こういう最初から最後まで「アホかー!」って叫ばせる小説は、ちゃんと「ギャグを書いてください」と依頼されて書かれたものなのでしょうか?
 そして、シリアスなホラーや伝奇の中にギャグを地雷のように埋めこんであるのは、ギャグがないがしろにされている出版の現状への半ギャグ精神の笑われ、じゃなかった、反逆精神の表れだったりするのでしょうか?
田中 >  エビラビラのときは、編集長から「怪獣特集やりますから書いてください。ギャグでもいいですから」と言われたのですが、いろいろシリアスなネタを考えて持っていったのに、どれも蹴られて、最後に「あなたにはギャグを書いてほしいんです」と言われたのでした。それなら最初から「ギャグでもいい」じゃなくて「ギャグを書け」と言ってくれりゃあいいのに。ちなみに、そのとき考えてボツになったネタが、のちの「怪獣ジウス」です。
ケダ >  実際問題、お笑いってテレビでは位置付けがすごく高くなってますけど、小説の世界ではどうなんでしょう?
田中 >  めちゃめちゃ……めっちゃめっちゃ低いんじゃないですか? そのあたりのことは、よく田中哲弥氏とぼやくのです。ユーモアがかった小説はともかく、ギャグ小説は、ほんと低くみられますね。そんなことないとおっしゃってくださる奇特なかたもいらっしゃるでしょうが、ずーーーーーーっと私や哲弥さんが体験してきたことです。泣かせるより笑わせるほうが百倍むずかしい、とかよく言われますが、そんなたいそうなことじゃなくて、せめて泣かせの小説やら癒しの小説やら感動の小説やらとおなじ土俵にあげさせてよ……とそれだけが願いです。
ケダ >  ううむ、そうだったのかぁ……。
 ところで、田中さんは、今後泣かせや癒し方面の小説をお書きになるご予定はないのでしょうか。
田中 >  ほんというと、泣かせとか癒しは大っ嫌いですが、「表面的に泣かせに見える」作品を書くことはじゅうぶんありえます。すべてお金のためです。嘘です。
ケダ >  土俵の有無に関係なく、また銀河帝国のような、とことんお笑いを追求した――塩澤編集長の言葉を借りれば「もっとめちゃくちゃに」した――作品をまた読ませていただけるのでしょうか。
田中 >  たぶん、もうすぐ刊行されるはずのハヤカワの短編集がそういう類というか際物というかアホというか、そんな感じになるはずです。
ケダ >  わあ、楽しみです!
 ところで、フランク・Y・パウルさんの作品をオークションにかけるご予定とかはありますか?
雀部 >  あ、それ、私も聞きたいです。あの人の正体も(笑)
田中 >  パウルさんの未亡人とコンタクトをとっているのはハヤカワの編集者ですから、私にたずねられても何とも答えようがありません。
ケダ >  次に書くSFは、ワイドスクリーンバロック(とやら)になると先ほどおっしゃいましたが、これも「あの頃のやつ」で「グロテスクかつ美しいものを描いた」フレーバーの作品になるのでしょうか。
田中 >  どうなんでしょう。そんなたいそうなものかどうかはわかりませんが、ワイドスクリーンバロックっぽくて、ぐちゃぐちゃで嫌〜なスペースオペラだと思います。
ケダ >  ときに、スカトロはお好きなのでしょうか。
田中 >  カストロとかチェ・ゲバラは嫌いではありませんし、ネギトロもまあまあ好きです。
ケダ >  昔から温めていたネタあり、新たに思いつくネタあり、さらに「こんなの書いてくれ」と頼まれてひねりだすお話もありで、バックオーダーの生産だけでも相当お忙しいとは思いますが、今後こんな新しいこともやってみたいな、という夢や野望のようなものはおありですか。
田中 >  ヤボウについて語るのはヤボというものですし、ユメについても「言うめえ」ということで。
 ただ、いろーんなことをいっぱいいっぱいやってみたいです。
雀部 >  今回はお忙しいところインタビューに応じていただきありがとうございました。
 最後に現在執筆中の作品とか、近刊の本がございましたらお教え下さい。
田中 >  さっきも言いましたが、6月頃にハヤカワから「銀河帝国……」の続編的性格の短編集が出るらしいです。タイトルは内緒。でも、ほんとに出るのかなあ。あと、年内に、今、小説すばるで連載している「笑酔亭梅寿謎解噺」という連作が単行本になるらしいです。でも、ほんとに出るのかなあ。あとはどうなんでしょう。できれば、今書いている長編がとっととできあがって、本になってほしいです。まあ、ほかにもいろいろやってますし、いろいろはじめるつもりなので、気がむいたら読んでみてください。よろしくお願いいたします。
ケダ >  どれもこれも楽しみに待っています。今日はいろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
雀部 >  楽しみにお待ちしております。個人的には『銀河帝国……』の続編的性格の短編集というのが、とても気に掛かります。ほとばしるような脱力感を味わってみたいです(笑)


[田中啓文]
'62年大阪生まれ。神戸大卒。'93年『凶の剣士』が第二回ファンタジーロマン大賞に佳作入選して作家デビュー。'98年『水霊 ミズチ』で日本SF大賞候補、'01年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」が星雲賞短編部門賞を受賞。SF・ホラー・ミステリのジャンルで活躍中。
[雀部]
親父ギャグの好きなハードSF研所員(爆)
長男によると「東京もんは、駄洒落を言うても突っ込んでくれんけんつまらん」そうです。
[ケダ]
駄洒落の大王・田中啓文さん
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fuetako/)、
駄洒落の女神・大矢博子さん
http://www.na.rim.or.jp/‾achi-oya/hiroko/index.shtm
に私淑するふえたこ観測所管理人。
[佐々木]
SFと駄洒落をこよなく愛す一般人。ひょんなことから田中大先生のインタビューに参加でき大感激です。

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