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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[ゼラ泉]

虐殺器官
『虐殺器官』
> 伊藤計劃著/佐伯経多&新間大悟カバーイラスト
> ISBN 978-4-15-208831-4
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1600円
> 2007.6.25発行
粗筋:
 激化の一途を辿るテロとの戦いは、サラエボが手製の核爆弾により消滅した日を境に転機を迎え、先進諸国は個人情報認証による厳格な管理体制を構築し、テロを一掃したかに見える近未来。いっぽう後進諸国では内戦や民族虐殺が凄まじい勢いで増加していた。
 ぼくの所属している特殊検索群i分遣隊は、特殊部隊にあって暗殺を請け負う唯一の部隊だった。虐殺の起きている某国で、標的の"国防大臣"を捕らえるが、彼は自分がどうして虐殺をしているのか理解できないようだった。そして、これら突然虐殺が増加するように見える場所には、必ず謎の米国人ジョン・ポールの影があった。

『SFマガジン 2007年11月号』
これが噂の赤い本。
多分に黄色い本("Self-Reference ENGINE")を意識した配色と思われます(笑)

日本人作家特集号
収録作家:神林長平、円城塔、平山瑞穂、coco

伊藤計劃「The Indifference Engine」
粗筋:
 ゼマ族とホア族の対立が続くアフリカ某国で、突然停戦が成立した。ホアを心底憎んでいたゼマ族の少年は、「微笑みの家」に入れられ、敵のホアと一緒に授業を受けていたが、ついに我慢できず大立ち回りを演じてしまう。そしてやってきた医者に"心の注射"(敵味方の区別が出来なくなる処置)をされるのだが……
SFマガジン2007年11月号

雀部 >  今月の著者インタビューは、2007年6月にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから『虐殺器官』を出された伊藤計劃さんです。
 伊藤さん初めまして、よろしくお願いします。
伊藤 >  よろしくお願いします。「アニマ・ソラリス」はSF者として当然巡回リストに入っているサイトなので、すごいドキドキしております。
雀部 >  ありがとうございます。励みになりま〜す(嬉汗)
 SFマガジン'07/8号に、『虐殺器官』の紹介が載っているんですが、これまでのハヤカワSFシリーズ Jコレクションで刊行された本のパターンですと、これは著者インタビューになっているはずなんですが?
伊藤 >  刊行時期が決まって、いよいよ来月、というときに病気が発覚しまして、入院したためにそれができなくなってしまったのです。代わりにといってはなんですが、山岸さんに紹介文を書いていただき幸運でした。実は「虐殺」の最終ゲラチェックを行ったのは胸を開いた手術の四日後というすさまじいスケジュールでしたが、塩澤さんによると、あれくらいの進行はなんでもないうちに入るそうです。世の中にはもっともっと名状し難き宇宙的恐怖の進行があると(笑)
雀部 >  やはりそういう事情がおありでしたか。大変でしたね。
 ということは、プリントアウトされたものを病室でチェックされたんですか。
 医師や看護師さんに何も言われませんでしたか?(笑)
伊藤 >  うーん、雪風読んでるって女性看護師さんがひとりいた以外は特になかったですかね。友人が海賊ファンだとか。神林パワー、おそるべしですね。
 どんな本を書いてるんですか、とか訊かれても困るだけですし。女性に「ええとですね、罪のない人々が十把ひとからげに殺されまくる近未来が舞台で、主人公が殺し屋で」とか説明したなら、まあ単純にドン引きだろうと。会話が凍る。看護師さんには若く美しい女性が多かったので、長い病院生活、楽しく生活するために引かれるのだけは避けたい、とまあ、ヘボい下心も。
 最近は術後2、3日で多少無理でも歩かせるというのが主流なんだそうで、ものにもよりますが、腸とか手術してもすぐに動くよういわれるとか。そのほうがリハビリにいいんだそうで、それに比べたら塩澤さんの赤が入ったゲラをチェックなど大したことはなかったですね。
雀部 >  そうなんですけど、術後すぐ歩くのは痛いんですよね。
 かまわなければ、"伊藤計劃"というペンネームの由来をお聞かせ下さい。Jコレの著者名が"Project Itoh"と書かれているんで、"伊藤計画"であろうことは想像が付くのですが。
伊藤 >  はてなダイアリーのblogを書き始める前からWEBサイトをやっていたのですが、そのときにつけたハンドルです。自分自身を計画する、というか、若かったので、なんかやってやろう、という野望の反映だったのでしょう。「劃」の字が古いのは、香港映画とかでそう書かれているのが印象的だったからです。ジャッキー・チェンの『A計劃(プロジェクトA)』とか。
雀部 >  あ、本当だ(汗;)>『A計劃』
 『虐殺器官』の帯に“小松左京賞最終候補作”と書いてあるということは、元々小松左京賞の応募作だと思いますが、Jコレから出版されることになった経緯はどういったものだったのでしょうか。
伊藤 >  最終選考で落ちる前に、円城塔さんがmixi内で私を見つけてくださいまして、マイミクシィになっていただいたんです。落ちたことはまあ残念だったんですが、なにぶん最初に書いたオリジナルの長編小説だったもので、本人はあまり気に病むこともなく「最初の作品で最終選考まで残れたことはむしろ幸福だな」と気をよくして、「次はファンタジーノベル大賞あたりかな」と思い、次の応募作に取り掛かってました。
 そうしたら、円城さんに「私は早川さんに原稿を送ってみたんですが、伊藤さんもどうですか」と言っていただき、そうか、そういうやり方(投稿)があったのか、と。目から鱗が落ちる思いでした。それとは別に、落ちた作品がどんなものだったか、残念がってくださった友人知人マイミクシィの方々に見てもらおうと、第一部だけを密かにサーバにUPしていたら、そのURLを大森望さんが塩澤編集長にメールしてくださり、まあそんなこんなで塩澤さんはご決断くださった、という流れです。だから、円城さんと大森さんはわたしの大恩人ですね。
雀部 >  大森望さん、大活躍ですねえ。
 SFに興味を持たれたのはいつ頃からでしょう。
伊藤 >  SFと意識せず読んでいたのは、筒井康隆さん、小松左京さんです。小松さんは「首都消失」の映画版のCM「新宿!新宿御苑!」のアレで興味を持って、徳間の文庫を買って読んでました。中学一年生のときかなあ。筒井さんは、教室の後ろに、先生とか保護者の古本を集めた「学級文庫」という本棚が図書室とは別にありまして、友達が「すげえエロいぜ」と「俺に関する噂」を薦めてくれたので読み始めました。中学生ですから「エロいぜ」「やりてえ」とかそういうスケールでしか生きていないわけで、そこにぴったり「ダバダバ杉」とかがハマったわけですね。
 ただ、筒井さんも小松さんもSFと思っていたわけではなく、「これがSFか」と意識して読んだのは『ニューロマンサー』が初めてです。中2だったかなあ。
雀部 >  中学生で、サイバーパンク初体験なんだ。
 小松先生、筒井先生と『ニューロマンサー』とでは、相当違うと思うのですが、最初に読まれた時の感想はどうだったのでしょうか。
伊藤 >  いやもう、カッコよくない中学生の私には「……」とか体言止めとかルビとかがいちいちカッコよくてカッコよくて。なんでおれはこんなにカッコよさから疎外されているのに、このたかが文字の連なりがこんなにカッコよくて仕方ないんだ、と。それまで小説ってあんまり「カッコいい」って媒体じゃないように思ってたんですけれど、とにかく読みやすくてカッコよかった。形から入る、じゃないですけれど、小説のすごさ、というやつには文体から入った感じです。内容ではなく。
 とはいえ、今にして思い返すと、あれはギブスンというより黒丸尚さんのカッコよさだったのかもしれません。というのも、ジーターを読んでもウォマックを読んでもそのカッコよさは変わらなかったので。なにせ『黒龍とお茶を』を読んでもカッコいい(笑)それはそれで問題ありありな気もしますが。
雀部 >  SFファンが読んでも『黒龍とお茶を』は確かにカッコいいですよ。大森望さんもそう言ってるし(笑)
伊藤 >  だから黒丸訳の本は(まだネットのない)高校のとき古本屋を巡って出来る限り集めました。それこそ「ダイ・ハード」の原作みたいなものまで。だから『虐殺』でもクエスチョンマークは一切使っていません。「彼」「彼女」も極力使わないようにしました。黒丸さんの刷り込みのせいで生理的に駄目になってしまったようです。
雀部 >  なるほど、文体は黒丸さんの影響大ということですね。
 他に影響を受けた作家とか作品はおありでしょうか。
伊藤 >  小説家ではないのですが、ゲームデザイナーの小島秀夫さんの作品には大きな影響を受けました。特に「スナッチャー」というゲームを中学生のときにPC-88で体験したのは大きかったと思います。実は「虐殺〜」の原型は、3、4年前に書こうと思って数ページで挫折した「スナッチャー」のファン小説なんです。テクノロジーと社会の相互関係というものがあるんだ、ということを中学生の自分に教えてくれたのが「スナッチャー」です。
 そういう視点を得てから、スターリングにハマっていきました。テクノロジーが社会と個にどのような作用を及ぼすのか、そして社会はテクノロジーをどのようにかたちづくるのか、というダイナミクスのもつ面白さをスターリングは教えてくれました。「ネットの中の島々」にはとりわけインパクトを受けたと思います。「スキズ〜」でも「巣」でもなく。いわゆるレッテルとしてのサイバーパンク的な「頽廃した近未来」でなく、我々の社会と極端に異なる遠未来でもなく、今のわれわれとあまり変わらない「ちょっとだけ未来」を描いていて、それがすごく新鮮でした。「虐殺〜」は基本的にその「ちょっとだけ未来」の手法で描かれています。たとえば、脳で直接ジャックインするような技術は実際に開発されてはいるのですが、先行するサイバーパンクの作品群や「攻殻機動隊」のイメージによって、未来未来したものと見られてしまう可能性が高い。かつてのサイバーパンクで描かれたテクノロジーの幾つかはもはや、ロボット工学にとっての鉄腕アトムやガンダム、アメリカでいうと「スタートレック」のような、科学者や技術者の幼心にトラウマを与えた(笑)、それを目指して現実に後追いされる類いのフィクション、こういってよければR&Dの神話的存在になってしまっていると思うんです。そうした神話的、イコン的未来性は注意深く排除しました。スターリングの「ネットの中の島々」も、当時にあってはそうした絶妙なポジションを描き出すことができた作品だったのだと思います。
 そういう意味で、スターリングは私にとって最も──ギブスンよりも──重要な作家です。私のオールタイム・ベストは『ディファレンス・エンジン』です。
雀部 >  『ネットの中の島々』が近未来とすれば、『ディファレンス・エンジン』は近過去ですから、そういう意味では一貫してますねえ。
 では、他にお好きな小説は?
伊藤 >  「ニューロマンサー」から入ったので、やはりサイバーパンク少年でした。といっても小説のようにアウトローだったわけではなく、非モテで地味な少年でした。ギブスンとスターリング、ラッカーは好んで読んでいました。とくにスターリングですね。政治とテクノロジーのかかわり、ということに興味を持ち始めたのは『ネットの中の島々』からです。あと『ニューロマンサー』の山岸さんのあとがきに載っていた名前は全部辿りまして、そこからヴァーリイやバラードにもはまっていきました。今回書くに当たって、一人称小説のいくつかを意識したのですが、『スチール・ビーチ』はそのひとつで、大好きな小説です。
雀部 >  サイバーパンクとヴァーリイとは。そういえば『スチール・ビーチ』は、円城さんも大好きだとか。ヴァーリイの「ブルー・シャンペン」(同名の短編集所載)は、私の大好きな短篇なんですが(Love affairを描いたSFとして最高傑作)、これとギブスンの「冬のマーケット」(『20世紀SF5 1980年代冬のマーケット』所載)は、要約すると同じテーマと似たような結末なのですが、雰囲気とか読後感が好対照ですよね。私は、ヴァーリイの短篇のほうが好きなのですが、伊藤さんはどうでしょうか?
伊藤 >  ギブスン好きの私が言うのもなんですが、私にとって「冬のマーケット」はものすごく印象薄い。かわいそうなくらい印象薄い。というのも、それを読んだ短編集『クローム襲撃』は、表題作はもちろん、「記憶屋ジョニイ」「ニュー・ローズ・ホテル」「ガーンズバック連続体」、そしてスターリングと合作した「赤い星、冬の軌道」、個人的にギブスン短編の最高傑作だと思っている「辺境」など、とにかく素晴らしい短編が多すぎて、哀しいくらいに霞んでしまっているんです。短編集というのは、単独の作品の評価が実は難しい。たとえば、雑誌で読むのと文庫で他の短編と併せて読むのではぜんぜん印象が違う。他の収録作との兼ね合いで、実はそれほど悪くない作品もイマイチ感を与えてしまうことがある。あそこで描かれた不死性の話題も、すでに「ニューロマンサー」のROM人格構造物で体験済みでしたから、「ふーん」という感じで。むしろ「辺境」のクールさと壮大さが同居する感じに惹かれていました。
 逆に「ブルー・シャンペン」はというと、これはものすごくうまいと思いました。あの本では「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」の次に好きな作品です。サイバーパンクが「カッコいい」んだと、ヴァーリイは「おしゃれ」なんだという印象があります。クールというより、ポップでキュートでガーリーな感じ。もちろんその底にはどうしようもない苦さや切なさがあるんですが。ただ、「スチール・ビーチ」はその苦さや切なさが薄くて、よりポップでフリーキーな、不気味に突き抜けたものを感じた長編でした。
雀部 >  あ、「辺境」は身震いするほど良いです。人間の未知なる物へのやむにやまれぬ憧憬と恐怖が根元的なところでない交ぜになっていて。ちょっとコードウェイナー・スミスを思わせる雰囲気もあるし。
伊藤 >  SF以外では、先に書いたエリクソン、そしてピンチョン、パワーズ、ボルヘスなどです。最近ではゼーバルトの『土星の環』がよかったです。あと、昔はトム・クランシーやJ・C・ポロックなどの軍事冒険小説、ル・カレやフリーマントル、グレアム・グリーンのスパイ小説も読んでいました。
雀部 >  読書体験も、確かに『虐殺器官』に活かされてらっしゃる(笑)
 ブログを拝見しますと、相当な映画通であられるようですが、ご贔屓の監督とか映画作品をお教え下さい。
伊藤 >  海外では、リドリー・スコット、デイヴィッド・フィンチャーなど、いわゆる「映像派」と呼ばれる人たちが好きです。この呼び方は映画原理主義的には蔑称である場合もあるのですが、まあぼくはミーハーなのであまり気にしません。最近はトニー・スコットに入れあげています。
 日本の映画監督では黒沢清さん、押井守さんです。みなさん言われるように「虐殺」は黒沢さんの「CURE」から影響を受けていまして、というよりそもそも「単位が個人でなく、国家・民族レベルの『CURE』」というのが出発点だったと思います。押井さんの「ビューティフル・ドリーマー」は、日本とは別録りの音声解説がついているというので、リージョン1の海外版(画質悪いですが)も買ってしまいました。音声解説が大好きなんです。
 あとライトな007オタでもあります。マガジンに載った「The Indifference Engine」の前に「57番目のフランツ・カフカ」と007を合体させたような話をやろうかと思っていたのですが、塩澤さんのアドバイスなどもあって、やめてしまいました。
雀部 >  ラッカーとボンドが合体するとどうなるか興味津々ですけど〜(笑)
 武蔵野美術大学を出られているそうなのですが、専攻はどの分野だったのでしょうか。
伊藤 >  映像です。アニメーションや写真、ドキュメンタリーやテレビ制作、あと当時は盛んだったメディア・アートなどと扱う学科でした。
雀部 >  そうなんですね、映画にお詳しいのは当然というか。
 『虐殺器官』書かれるにあたって、映画の影響はございましたでしょうか。
伊藤 >  先に書いているように、「CURE」は発想の根幹にある映画です。あと、映画の直接の影響ではないのですが、ジェームズ・キャメロンの映画『アビス』をカードがノベライズしたやつ、はリーダビリティという点でかなり影響を受けています。南山宏さんの訳が上手なんでしょうか。この小説とシモンズ《ハイペリオン》シリーズの酒井さんによる訳書は、読む側のことを考えるときに一番考慮した作品です。なぜ日本の作家さんによる直接の日本語作品でないのかは、自分でも分かりませんが、書いている内容(ジャンル小説である、ということも含めて)に比して異様に読み易い、ということを考えたとき、わたしはまっさきにこの二つの小説を思い浮かべます。
 あとはまあ、好きなのでモンティ・パイソンネタは入れてしまった、と。深刻になっている場面で突発的に笑いを入れたくなる癖があって、たぶんベタに憧れつついざその局面になると照れてしまう、という自意識の問題だと思うのですが。
雀部 >  カード氏の『アビス』は、SF者の間でも評価高いです。酒井昭伸さんの翻訳は、確かにリーダビリティ高いですね、たまに凄く難しい言葉が出てきますけど(笑)
 モンティ・パイソンネタは、何カ所か気づきました(笑)そういえば、円城さんもモンティ・パイソンネタ入れてましたね。
 『虐殺器官』の場合、メインアイデアと主人公のキャラ設定は同時に思いつかれたのでしょうか。
伊藤 >  主人公のキャラ造形は最初から決まっていました。しかし、「文法」のアイデアは途中で浮かんだんです。浮かばなかったらどうしていたんだろう、と思うともう、心臓バクバクものですね。すさまじい見切り発車です。世界設定先行型なので、次はこううまくいくのか、と。こういう大ネタ(SFらしい、こういってよければある種のバカネタ)を毎回書き始めてから思いつけるのか、と。
 だから、ピンカーの著書やデネットの「自由は進化する」はすでに読んでいましたが、このアイデアを思いついてから進化心理学に関する本をいくつか急いで読みました。マイケル・ガザニガの『脳のなかの倫理』はとりわけ刺激を受けました。
雀部 >  そういえば真ん中あたりで、シェパード大尉が交通事故にあって植物状態に陥った母親に意識があるかどうかを主治医に聞くくだりは、『脳のなかの倫理』でも“意識の終焉はいつか”で取り上げられてますね。
 私が、進化心理学とか認知考古学を最初に知ったのは、ミズンの著書の『心の先史時代』なんですが、この中に出てきた“脳のモジュール群”の考え方なんかも、「文法」のアイデアに近いものがありますね。
伊藤 >  そうですね。あるところでは、ローマ時代の人間にはわれわれのいう意味での意識は存在しなかった、という極論もあって、これはさすがに爆笑しましたけれど、「わたし」の根拠を科学が解体してゆく過程というのは、すこし前のイーガンがやっていたことですがスリリングなものです。ただ、それは倫理の根拠を切り崩していくという過程でもあるわけで、実は「わたし」というのは存在の根拠というよりは、ある種のガイドライン、もしかしたら人間に残された最後の倫理だったのではないか、と。だった、ってなんか過去形ですけど。
 それが切り崩されたあとに何が起こるか。「万物理論」ではわりと楽天的な場所に着地していましたが、どうしてもそちらの方向には流れられなかった、というのがスターリングやイーガンとは違う、わたし自身の方向性なんだと思います。「虐殺器官」は新しい倫理を探りつつ、それに挫折する過程を延々と描いた物語だということは出来るかも知れません。
 いや〜、「ホーリー・ファイヤー」とか読むと、スターリングってやっぱどこまでもオプティミストなんだな〜って。もう元気いっぱい。イーガンもぼくはある種のオプティミストだと思いますし。わたしの場合は、バラードの心でスターリングのように書きたい、と(笑)
雀部 >  “バラードの心でスターリングのように書きたい”というのは、凄いですね。"(C)伊藤計劃"として保存しておきましょう。
 「文法」というと、SFファンだと真っ先に『バベル−17』を思い出すのですが、『虐殺器官』は、どちらかというとソウヤーの《ネアンデルタール・パララックス》の設定に近いのかという気もしました。雰囲気とかは全然違いますが、ソウヤー氏も進化心理学や認知考古学からアイデアを得ている感じがしますので。もっとも、ミズンの『歌うネアンデルタール』によると、ネアンデルタール人との意思の疎通はなかなか大変そうです(笑)
伊藤 >  そうですね。ただ、ツールは同じなんですけど、ソウヤーはネアンデルタール平行世界や、カリフォルニアの州法で裁かれるエイリアン、といった人類の「外部」をSF的な自己(人類)参照のツールに使っているのに比べて、わたしはそのような外部を指向しない、もしくは指向できない、そのようなものを想定できる才能がない、という点が大きく異なるのだと思います。わたしは外部を想定できない体質なのかもしれません。どうしても人間の内側──システムや構造、テクノロジーや経済、歴史と自我といった方向に自己参照の根拠を求めてしまいます。
雀部 >  自己参照="Self-Reference ENGINE"(笑)
 ツールが同じだと、SFファンには、同じに見えるんです(爆)
 ジョン・ポールという名前と《ネアンデルタール・パララックス》の主要登場人物であるメアリ・ヴォーンという名前の付け方。頭頂葉の活動を抑制すると"聖なる体験"が出来るというアイデア。無神論的な結末。まだありそう。
 シェパード大尉が無神論者なのは、キリスト教的な終末観――アポカリプス(世界の終わり)の後に楽園が来る――に対して、アポカリプスの後もまた地獄が続くんだというラストのイメージと呼応している感じを受けました。
伊藤 >  そうですね。冷戦時代の「終わり」の在り方というのは、核戦争で人類滅亡、または文明完全崩壊、だったわけですが、それはいまのわたしたちの「終末」ではないだろう、と。「終わらない日常」というのが学園ものに代表されるモラトリアムもの、あるいはセカイ系で頻繁に扱われた時期がありましたが、いまのわたし個人の実感として、終わらないのは日常でなくむしろ終末である、と。終わらない終末、日々それぞれが世界の終わりであるような日常、そういう感覚があるだろう、と。そこでは滅びることも許されない。矛盾している言葉かもしれませんが、絶えず、永遠に滅び続ける。そんな、言ってみれば「ぼくたちの終末」を描いてみたいな、という気持ちはありました。冷戦時代の終末像ではなく。
雀部 >  主人公のシェパード大尉は、暗殺も任務に入っている特殊部隊所属ということなのですが、かなり内省的なところがストーリー展開の上で効果的だったと思います。で、このキャラクター設定は、『ランボー』や『コブラ』みたいにあまり人を殺すことを苦としないように見える主人公が多いハリウッド映画に対する伊藤さんからの提案なのかなと思いました。暗殺者が内省的であったらいけないのか、いや暗殺には細心の観察力や注意が必要なはずだからそういう性格の隊員もいるに違いないと。
伊藤 >  「一人称で戦争を描く、主人公は成熟していない、成熟が不可能なテクノロジーがあるからである」というのは最初から決めていました。ある種のテクノロジーによって、戦場という、それこそ身も蓋もない圧倒的な現実のさなかに在ってもなお成熟することが封じられ、それをナイーブな一人称で描く、というコンセプトです。
 イーガンではありませんが、テクノロジーによって幾つかの身体情報から切断された結果出現する、(我々にとって)ユニークなパーソナリティというのがあるだろう、と。そして、それは最新のテクノロジーの成果が投入される軍事領域に於いて最初に起こるだろう、と。そのような前提を立てて書き始めました。設定が一般人ではこの種の脳いじりを行う頃には、あらたなパーソナリティが自明のものとして確立し、それに違和感を感じて文章化したりしないので、あくまで最新技術が最初に投入され、それが世間一般とズレて主人公が違和感を感じられる職業として、軍人を設定しました。
 だから、今現在の軍人を主人公にしていたら、この語り口は採用しなかったと思います。もっとリアルな軍人にしていたでしょう。とはいえ、この語り口を正当化するために各種設定を立てていった面もあるので、どちらが先とは言いにくくもあります。あくまで、仮定したテクノロジーと、そのもたらす結果としての語り口です。
 ただし、イラク帰還兵の自殺率を考えるなら、ナイーブな人間は軍人にも多く存在すると思います。元軍人や傭兵の書いた体験記にはその種の甘さ、弱さ、ナイーブさは皆無ですが、彼らはあくまで引退まで生き延び、あまつさえ本まで書けてしまうようなパーソナリティだ、ということを考慮しなければならないのです。暗殺者に限らず、職業による意識のパターン化、こう言ってよければ「キャラクター化」は、わたしにはあまり説得力を持たないのです。
雀部 >  やはりそういう意図があったのですね。
 その成熟が不可能なテクノロジーというのは、作中に出てくる予防処置としてのカウンセリングと薬剤による戦闘感情調整のことでしょうか。
伊藤 >  そうですね。それと、社会全体が悲惨に対して「無関心」になっている、それを可能にしているライフスタイルも含みます。社会状況が先鋭化した針先に、感情調整などのテクノロジーが表象として現出している、ということです。社会そのものが、テクノロジーを経由して、個に投影される、という。
 だから、「虐殺」をセカイ系だという方もいらっしゃたんですけど、それはちょっと待て、違う、流入経路が逆方向だ、と(笑)
 個がセカイに直結しているんじゃなくて、セカイが個に直結している。逆セカイ系なんです。
雀部 >  なるほど。その「逆セカイ系」というのは、SFマガジン('07/11月号)に載った「The Indifference Engine」に如実に現れている気がしました。主人公が少年兵だけに、『虐殺器官』より生々しくて衝撃的です。この題名は、オールタイム・ベストだとおっしゃった『ディファレンス・エンジン』へのオマージュなんですか。
伊藤 >  そうですね。軽い気持ちでやった、いまは後悔している、と。SREを意識しているのか、とかいろいろ言われているんですが、本当に、本当に大した意味はありません。公平、とか差異の消滅、みたいな単語を題名にしたいな、と思ってindifferenceを思いついたとき、どうせdifferenceがらみの単語だったらengineにしてしまえ、くらいのものです。今考えると、「The Indifference Organ」にしとけばよかったかも。
雀部 >  あらま、そうだったんですか(笑)
 最初に読んだときは、この本のラストは、ガザニガの言う“道徳器官=人類共通の倫理”が“虐殺器官”に勝ったのだと思ったのです。アメリカを世界の舞台から引きずり降ろすことによって。
 シェパード大尉は、「文法」の影響を受けてないように見えます。ジョン・ポールは「文法」に影響されない対抗手段を開発していて、例のサイトに置いていたのでしょうか。いや違うなぁ。それなら作者は、ちゃんと言及するはず。とすると……
 ラストでシェパード大尉が「文法」をアメリカに対して処方し、アメリカは世界に対する影響力を喪失しまよすね。当然、アメリカとの輸出入で経済を支えてきた国々にとっては、ただならぬ負の影響があります――「文法」の英語圏への影響も含めて。となると、超大国アメリカが内乱状態になるということは、全世界が混乱状態になり、いっそう大勢の人間が死ぬことになります。まさに“増えすぎた個体数を調整するための虐殺器官”の全面発動状態ですよね。シェパード大尉は、正しいことをしたと思っているようですが、実は「文法」の影響下にあったと……
伊藤 >  それに言及する場合は、ジョン・ポール自身が自分自身の発見したものに影響されていなかったのか、というところから検証しなければならないですよね。そもそも論というか。かれが「文法」を英語で検証したことは明らかなんで。
 「解毒剤」については、これははっきり言っていいと思うんですが、存在しない。というか、そもそも進化しすぎてドグマ化しつつあった「利他精神」に対するバランサーとして進化の過程で生まれた、という設定なんで。「文法」に対する対抗手段、という考え方でなく、文法そのものが種の存続に過剰な理性に対する対抗手段として生まれた、と。だから、利他精神と「文法」は車輪の両輪なんです。理性は感情を抑え込もうとし、感情は「文法」で理性を抑え込もうとする。そもそも解毒剤がどうこういう話ではない。文法自体がある状況の解毒剤としてあるのですから。理性というものを絶対的な何かでなく、あくまで進化の過程で生まれたより生存するためのツールのひとつにすぎない、と考えた場合、それを調整するものもありうるだろう、と。ですから、あの世界も落ち着くところに落ち着くでしょう。何年先か、何十年先か、何百年先かはわかりませんが、とにかく大量の人命が損なわれたあとで。
 だから「解毒剤」がつくられるとしたら、それは「文法」に対する解毒剤というよりは、完全平和状態、完全理性状態を人類にもたらすような、ある意味で「文法」の鏡写し、それはそれで想像するとちょっと恐ろしい別世界をつくりあげるツールになるでしょうね。
雀部 >  あ、それ読みたいです〜。それが恐ろしい別世界になるかどうかは書き方次第でしょうが。
伊藤 >  で、ジョン・ポールは自分の生み出したものに影響されていたかどうかというと、そこはあまり語りたくありません。いろいろ考えてくださっている読者の方もいるようなので、あまり楽しみを奪ってはいけないような気がします。アメリカの外の世界がどうなったかに関しても同様に、人によってさまざまな解釈があり、ぼくはそれを読むのがすごく楽しくて示唆を受けることも多いので、自分自身の楽しみを壊したくない、なにより次回作のネタがそうしたところから仕入れられるかもしれん(いやホントに)と思うと断言するのにはものすごい抵抗があります。自分勝手で申し訳ないです。自分自身の答えはもちろんあるのですが、これをいうとひどくつまらないような気がして。こういう「解釈の余地」をあまりやりすぎるのもどうかとは思いますが、このくらいは許してくださいませ。
 ただ、語り手があることに関して嘘をついているかもしれない可能性は、文中に忍ばせてありますので、ラストの語りの特定部分は嘘八百かもしれません。
雀部 >  確かに、謎が残るというのは楽しみでもあります。で、嘘八百説に3000点(笑)
 さて、ちょうどこのインタビューが始まったときに、mixiの〈伊藤計劃コミュ〉が出来ました。
 開設者であるゼラ泉さんは、『虐殺器官』のどういうところが面白かったでしょうか。また一番魅力を感じたのはどこでしょうか。
ゼラ泉 >  軍事SF、とはじめに聞いたときに想像していたイメージを、良い意味で裏切られました。主人公の造型もいっぷう異なっていますし、何よりもテクノロジーや政治、言語といったものに対するさまざまな視座が織り込まれているのが刺激的でした。現在の社会と地続きの近未来を舞台にしているので、まさに小説そのものが現在の社会状況へのひとつの批評、あるいは文明論にすらなっていると感じました。SFってこういうこともできるんだ!という純粋な驚きがありました。
伊藤 >  ありがとうござりまする。
 とはいえ、ニューウェーブやサイバーパンクからSFに入り、スターリングのファンであるわたしにとっては、それこそSFというのは社会とテクノロジーのダイナミクスを扱う唯一の小説ジャンルとして強く認識されていたので、これがわたしにとってのSFの「素」ではあります。「小さな、小さなジャッカル」がSFかと言われたら「スターリングが書いてるんだからSFに決まってるだろ」と(笑)
 ただ、逆に言えば、ハードな宇宙ものや遠未来とかは弱点というか、わたしのSF遍歴からはすっぽり抜け落ちてしまっている、と。わたしはおそらく、これからも地上や「いま、ここ」に縛り付けられたままなんだろうなあ、と思います。わたしにはたぶん宇宙ものやシンギュラリティとかは書く能力も想像力もない。ひたすら今現在の人間のことしか考えてない。これではいかんなあ、とは思うのですが、どうしても興味の方向がそっちに行ってしまいます。
雀部 >  宇宙ネタは、将来に備えて取っておくと。
 大ネタの「文法」なんですけど、SFファンだと『バベル』とか森岡さんや山本さんの作品から、昔から使われているネタの延長線上に想定されうるアイデアなので、違和感ないと思うのですが、一般的にはどうなんでしょうね。完全なるトンデモネタと勘違いする人はいないのでしょうかね?
ゼラ泉 >  私が「文法」から連想したのはウィルソン・ブライアン・キイが広告や映画に埋め込まれたサブリミナル効果を暴きたてようとして話題になった『メディア・セックス』という本です。この本は今ではトンデモ本認定されていますが、訳者あとがきではレム、ディック、バラードといったSF作家がサブリミナルをあつかう作家として引き合いに出されています。ですから、雀部さんには日本の作家をあげていただきましたが、サブリミナル的なるものとSF小説とはがんらい相性がいいと考えられます。小説のアイデアをトンデモネタと勘違いされるのは困りますが、サブリミナルとはやはりスリリングで魅惑的なネタであるとは思うんですよね。
伊藤 >  まあ、人間が無意識に動かされている、意識では感知できない領域がある、というのはSFに限らず多くのエンターテインメントで扱われている題材ではありますよね。極論ではありますが、サブリミナルネタの面白さと、ゾンビ映画の面白さというのは、根っこに於いて同一だと思います。ただ、リベットの実験や、そこから出てきている諸説──たとえば受動意識仮説などですが──の展開を見ますと、そもそも無意識と意識といった二分法が崩壊しているような節がある。サブリミナルの時代は、無意識という制御できない広大な領域が「わたし」の中に「異分子」として存在していて、それが自分を操るから恐ろしいということだったわけですが、現代の脳科学ではそもそも「わたし」というのは、脳や肉体がしたことに0.5秒遅れで承認を与えているに過ぎず、主体などというものは錯覚である、という可能性を論じている。そこではかつて主であった「わたし」などというものは、脳という自動機械のサブルーチンに過ぎない。議論の段階としては、かつての「わたしのなかの知らないわたし」というのがある種牧歌的に思えてしまうようなステージに到達しているわけです。もちろん、リベットの見解(実験ではなく)には異論も多数存在しますが、すくなくとも、議論の段階はそこ、もしくはそれより先にあるということですね。
雀部 >  私的には、ちょっと、後書きとか参考文献が欲しかったりします。
伊藤 >  うーん、みんな読んでる本ばっかりですからねえ。各所で言われてますが(笑)
 内容を補足するような後書きは苦手ですし。今回のインタビューでお分かりになったと思いますが、語るのはもう大好きです。根が饒舌で、痛いくらいの解説厨だという自覚もあります。なにせ昔blogでこういうこととかやってたくらいですから。
 でもそういうのは本には一緒に収めたくない。なんか本は本で美しく立っていて欲しい。内容と関係ない非モテ話とかボンクラ話とか延々と書いていいんならそうしますけど。入院しているときとなりのベッドでカップルがいちゃついてて、貴様らホルモン分泌を何とかしろ、と悶々と怒っていた話とか。でもそんなblogみたいなもの、本の後書きで読みたい人なんていないだろうしなあ。
 でも、オルタナティブヒストリーものを書いたら、アイリーン・ガンの「ディファレンス・ディクショナリ」みたいのを自分でつくって本の後ろにつけちゃうかもしれませんね。あれ大好きなんで。歴史改変ものには全部ああいうのつけて欲しい。辞書フェチではないですけど、ああいうおまけってすごく楽しいので、自分でもいつかはやりたいなあ、と。
ゼラ泉 >  私からも質問させてください。『虐殺器官』にはマニア心をくすぐる小ネタだけでなく、先ほど述べたようにテクノロジーや諸学問への知見が随所に織りこまれていますが、逆に伊藤さんが現在注目している科学技術、あるいは学問領域といったものはありますでしょうか。
伊藤 >  うーん、どうだろう。自分がいま何に興味があるのかよくわからないんです。ネットで面白そうな本を見ると買う、みたいなミーハーな興味の持ち方しかできないんで、なにか一本太い筋があるわけではない。なにぶんせっかちなので、読み易い本しか買わないし。
 あえていうなら、行動経済学、リベット周辺、あとエピジェネティクスがらみ。こうやって並べるとふつうだなあ(笑)一時期ルイセンコに興味があって、そのからみでエピジェネティクスは注目してました。あと、サイエンスではないですけれど、戦争に関する言説の歴史を調べてます。昔の人が戦争と政治の関係性をどう語ってきたか、戦争の言説に関する言説、ですね。これがまた読みにくい本ばっかりで苦労してます。
雀部 >  読みにくい本を元にして、ぜひ名作SFへと。
 今回は、公私ともにお忙しいところインタビューに応じて頂きありがとうございました。
 最後に、執筆中の作品または刊行予定がございましたら教えて頂けますか。
伊藤 >  うーん、いろいろ考えてはいるんですが、まだ決まっておりません。核が通常兵器化した世界を書きたいなあ、と思ってはいるんですが、大ネタが仕込めずに苦しんでおります。全然別の話をやるかもしれません。なにぶん右も左もわからぬ新人ゆえ、担当してくださっている方と話し合っているところです。
ゼラ泉 >  応援しております。
雀部 >  大ネタを楽しみにしております(笑)


[伊藤計劃]
'74年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。現在はWebディレクターのかたわら、執筆活動を続ける。
ブログは「伊藤計劃:第弐位相」http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/
本書は『Self-Reference ENGINE』とともに小松左京賞最終候補作。
[ゼラ泉]
1986年生まれ。都内某大学でSF研究会に所属。
[雀部]
ハードSF研、小松左京研究会所属。

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