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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『深海大戦』
> 藤崎慎吾著/INEI inc,富安健一郎装画
> ISBN-13: 978-4041105252
> 角川書店
> 1800円
> 2013.8.30発行
 子供の頃の事故が原因で海中に適応する身体改造を施されているシー・ノマッド出身の宗像は、海中でシャコに似た形態の警備用イクチオイドに乗り、メタンハイドレート生産現場の警備に当たっていた。ある日の想定外の事故のせいで、彼はそれまでの組織を首にされ、新たな職場へと赴任する。
 その時代、日本周辺海域をはじめ、各地で海洋資源開発が進み、その資源が世界のパワーバランスをも左右するようになっていた。海洋開発を担った人々は、国家を超えた新たな共同体=海洋漂泊民(シー・ノマッド)を形成し、その影響力を日増しに高めていた。
 事故の生存者である宗像逍は、巨大なシー・ノマッド集団「オボツカグラ」に拾われ、半水没型移動基地「ナン・マドール」に配属される。そこにはバトル・イクチオイド(海中生物型機動兵器)の新型が存在した。パイロットとして選抜された逍は徐々に適性を示していくのだが……

『遠乃物語』
> 藤崎慎吾著/坂野公一+吉田友美装幀
> ISBN-13: 978-4334928360
> 光文社
> 2000円
> 2012.7.20発行
 明治三九年、台湾原住民の査察を終え、郷里の遠野に帰省していた伊能嘉矩は、天ヶ森近くの熊野神社で、マラリヤの発作を起こして倒れる。目をさました彼は、介抱してくれた遠野の豪農の倅である佐々木喜善とともに、「遠乃」という、郷里の「遠野」と良く似てはいるが、どこかズレのある町に迷い込んでいることを知った。
 しかしここには、昔語りも言い伝えも存在しないようなのだ。徐々に昔話や言い伝えを思い出していく二人の前に、その秘密の影にはさらに驚くべき真相を見せはじめる……

[前編の続き]
雀部> 『深海大戦』についてお聞きしますが、主人公の宗像逍は、海で生まれ育った二十歳前の少年ということで、『衛星軌道2万マイル』の石丸真哉くんの出自と共通するものがあります。ジュブナイルでは物足りなくなった層が読んでくれると嬉しいですね。
藤崎> そうですね。その時までに、この作品が絶版になっていなければいいんですが……(笑)。ほぼ同じ時期に書いたせいか、確かに宗像と石丸には共通点が多いと思います。
雀部> 文庫化されれば、単行本の方は絶版になっても(笑)
 ところで、宗像が出会う型破りの主席研究官の長池豪博士って、モデルは長沼毅先生でしょう!(笑)
藤崎> しーっ、それは内緒です!
 実際、本人には何の断りも入れてないんで……見本は送りましたが、たぶん読んでないから、気づいていないと思います。
雀部> メールで教えちゃおうかな(笑)
 藤崎さんの専門と長沼先生の専門分野は、けっこうかぶっているところも多いし、長沼先生の研究からインスパイアされることも多いんじゃないかと想像してるんですが……
藤崎> 私は専門家じゃなくて、ただの科学オタクなんですけど、分野的に最も土地勘があるのは海洋生物方面でしょうから、そういう意味では、かぶっています。だからこそ長沼先生の研究に興味を持って、一緒に仕事もさせていただくことにしたわけです。当然、インスパイアはされまくってます。
 結果的に研究ばかりでなく、その特異な人柄にも、色々な意味で影響を受けました。
雀部> 藤崎さんの小説に出てくる主人公たちは、みんな長沼先生に影響されていたりして(笑) そういえば、『遠乃物語』の帯で東雅夫さんが“佐々木喜善の相方に柳田國男ではなく伊能嘉矩を起用した奇計と、重厚な想像力の奔流に、私は戦慄した。”と紹介されてますね。
 なんせ『遠野物語』を読んだのははるか昔のことなので、今回読み返したのと、伊能嘉矩先生についても全然知らなかったので『明治の冒険科学者たち―新天地・台湾にかけた夢― 』(柳本通彦著)も読んでみました。『クリスタルサイレンス』や『ハイドゥナン』、伊能嘉矩もそうなのですが、フィールドワークが大好きな科学者が主人公なことが多いですよね。やはり書きやすいとかあるんでしょうか?
藤崎> 書きやすいかどうかというのは、考えたこともありません。あまり関係ないような気がします。研究室に閉じこもっている科学者というのも、それはそれで個性的ですから――。むしろマッド・サイエンティスト系だったら、そっちのほうがいいかもしれない。
 フィールドワークをする学者がよく登場するのは、たぶん私の周囲にそういう人が多いせいでしょう。自分もそういう学者に、あこがれていたことがあります。アメリカの大学まで行って、研究船や漁船でカニや魚を採ったりしてましたし……結局、挫折しましたけど。
雀部> 『深海大戦』を読んでいて、長池豪博士と長沼毅先生の関係は、『鯨の王』主人公の須藤秀弘とモデルの鯨類学者の加藤秀弘教授みたいだな、でも長池博士どこから活躍するんだろうと思っていたら、最後に(中深層編 了)の文字が……
藤崎> すみません。私が決めていたタイトルは『深海大戦 中深層編』で、続編があるとはっきりわかるようになっていました。カバーの色校が出るあたりまで(つまり、ぎりぎりまで)、ずっとそれで進んでいたんです。ところが版元の意向で、最終的には「中深層編」を表には出さないことになってしまいました。
 今のところ長池については「友情出演」的に考えていて、須藤と同じ扱いにはしないつもりです。何しろモデルがモデルなだけに、キャラが立つことはまちがいないんですが、あまり前面に出すと主役を食ってしまいかねない……それでは全く別の物語になってしまうでしょう。
雀部> 今回は、少年期を脱しつつある主人公なのですね。
 “巨弾ロボットSF!!”との煽り文句が帯で踊ってますが、海が舞台で人型ロボットが活躍するというのはかなりユニークで、しかも説得力があるというのが凄いです。これはそうとう練られたアイデアだと思うのですが……
藤崎> 深海と人型ロボットを結びつけたらどうかというアイデア自体は、ずいぶん昔から持っていました。「ガンダム」シリーズにも水中用や水陸両用のモビルスーツはありますけど、あれじゃまだデコボコ、ズングリし過ぎていて、ありえない形状だよなあ……じゃあ、どういう姿で、何を素材にして、理想的な動力源や推進方法、インタフェースは何かとか、つらつら考えていたことは事実です。
 だけど、そういうアニメっぽい、あるいはラノベっぽい小説を書ける自信がなかったんで、誰かがやってくれないかなあと待っていました。だけど、なかなか出てこない。そのうちに角川書店からお声がかかって、担当編集者がまたアニメオタクだったもんですから、じゃあ自分でやってみようかなと真面目に検討し始めたんです。
 海洋研究開発機構で無人潜水機を開発されている方にも取材して、ずいぶん色々な情報やインスピレーションをいただきました。ここで改めて御礼申し上げたいと思います。
雀部> その成果がバトル・イクチオイド(海中生物型機動兵器)の“タンガロア”や“ダゴン”の造形に活かされているわけですね。で、主人公の宗像が、イクチオイドを操縦するために習得しようとしている“水中合気柔術”というのは実在するんですか?
藤崎> いいえ、フィクションです。ただ水中合気柔術のもとになっているという設定の「大東流合気柔術」は実在します。源流は900年前にさかのぼるという秘伝的な古武道ですが、幕末生まれの武田惣角という伝承者から、だんだん世に広まっていったようです。惣角の弟子だった植芝盛平が、いわゆる「合気道」の開祖で、さらにその弟子の塩田剛三が金魚の動きを観察して体捌きを研究したというのも、作品中に書いた通りの事実です。
雀部> 大東流合気柔術、知らなかったんですが結構有名みたいですね。
 『深海大戦』では、アンフィトリテの存在が面白かったです。《ライラの冒険シリーズ》のダイモンみたいな存在なのかなと想像しているんですが、まだ小説中では明らかになってません。『ハイドゥナン』の柚もそうだと思うのですが、藤崎さんの小説では純然たるハードSFの部分の他にも、こういったあえて現代科学で説明しないほうが良い設定の使い方が上手いなぁと。これは意識して書かれているんですか。
藤崎> そうですね。私は科学オタクですけど、科学教の信者ではなくて、科学は物の見方の一つに過ぎないと思ってますから、その感覚を作品中にも反映せずにいられないんでしょう。
 ただ、ああいう設定には批判的な人が多いような気がします。編集者にも「トンデモ系」に勘違いされないかと危惧する人がいます。だから『深海大戦』では、あえて試しに、全部説明しちゃおうかと思っています。
雀部> 『遠乃物語』は、怪異譚か伝奇ものに分類されるような気がしたんで“こういうのも書かれるだ〜”と思ったのですが、考えてみると『蛍女』も怪異譚と言ってもよいのかも。
 読んでみると怪奇なことが当たり前に起こる世界が凄い現実感を持って迫ってきて、わくわくしながら読み終えました。これは『ハイドゥナン』と同じくらい好きです(笑)
藤崎> うれしいですね。実はあの世界って、私の日常感覚から、それほど外れてないんですよ。たぶん『ハイドゥナン』のころから私は科学よりむしろ民俗学にのめりこんでいて、沖縄や遠野なんかを何度も取材しているうちに、そうなっちゃいました。この手の作品も(書かせてもらえるなら)続けて書いていきたいと思っています。
雀部> それは楽しみです。これは秘密なんですが、『遠乃物語』の完成度は、藤崎さんの作品の中でのベストではないかと思っています。未完の『深海大戦』は別として、それが“最新の藤崎作品は、最良のものである”ということなのか、ハードSFよりも伝奇小説の方に親和性があるのかどうかは、わかりませんけれど。
 大学が仙台だったもので、同級生にも岩手県出身者が何人かいて(岩手町と塩釜)岩手町と花巻には大学時代に行ったことがあります。ひとつ疑問なんですが、『ハイドゥナン』では舞台が沖縄だったのですが、今度は何故“遠野”を舞台とされたのでしょうか。
藤崎> もともと『遠野物語』の世界に興味があったからです。『ハイドゥナン』が沖縄だったのは、『南島論序説』や『海の群星』(いずれも谷川健一著)がきっかけだったと以前のインタビューで申し上げましたが、それと似た経緯です。
雀部> 柳田國男先生の民俗学も沖縄と遠野ですし。
 『遠乃物語』を読み返すに当たって、京極夏彦さんの『遠野物語 remix』を読んだのですが、他と比べての『遠野物語』の特異性とかはあるんでしょうか。
藤崎> 『遠野物語』に対する私の見方や思いみたいなものは、「小説宝石」に書いた文章がありますので、それを読んでいただければと思います。
 テクニカルな面でつけ加えるとすれば、やはり『遠野物語』というのはその研ぎすまされた文語体の美しさを抜きには語れないんじゃないでしょうか。
「remix」にも意義はあるだろうと思いますが、やはり原文を超えるのは難しい気がします。
雀部> 「ふるさと」の物語、読ませて頂きました。ちょうど東日本大震災のころに取材に行かれたんですね。当時あのあたりで開業していた同級生には電話が通じず、気を揉んだものです。
 原文だと、私には難しすぎるんですが(汗;)、『遠野物語』はドラマ的なところや教訓めいたところが少なく、民話と現実の垣根が低い感じを受けます。それが『遠乃物語』の凄い現実感と良くマッチしているかなと思いました。
藤崎> 原文は難しいんじゃなくて、とっつきにくいだけじゃないでしょうか。いわゆる「古文」ではないので、慣れてくると、そんなに違和感なく読めるようになると思います。
 柳田國男は『遠野物語』の序文で、「要するにこの書は現在の事実なり」と言っているんですよね。つまり民話と現実の垣根が低いどころか、全部、本当のことなんだよと、字義通りに受け取れば、そういうことになります。
 私の『遠乃物語』は、民話や伝説に秘められた「現在の事実」を、ちょっとだけ表に出してみる試みでもありました。
雀部> なるほど。
 私は、全くそういう方面のことは体験したことがないんですが、インタビューさせていただいた作家さんの中では、平谷美樹さんが“見えちゃう人”なのです。怪談話もお得意だし……
 前回のインタビューで、藤崎さんから“柳田国男が『山の人生』で「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。また我々をして考えしめる」と言っていますが、実際そうだなあ、と思うようなことに、このところよく出会うんです。”とお聞きしたのですが、これって具体的にはどういったことだったのでしょうか。
藤崎> 平谷さんが“見えちゃう”というのは、たぶん、あっちの方の世界のことだと思いますので、ちょっとちがうというか、むしろ逆方向の話ですね。
雀部> あっちの世界かどうかは、ご本人じゃないので分からないのですが、少なくとも私の中では、若干の方向性の違いはあるにせよ、逆方向ではないと感じてます。
 藤崎さんのインタビュー内容とは直接関係はしないのですが、著作の『精霊のクロニクル』のなかで、精霊とともに山の中で生きていた旧石器時代の祖先と同化したり、縄文人が大陸から来た稲作する異民族と出会う瞬間とかも書かれてますから、根っ子はけっこう近いんじゃないかと思っています。
藤崎> 柳田國男の発言は『山の人生』の冒頭にある有名な「実話」をふまえています。「山に埋もれたる人生あること」という見出しの短い一文ですので、できれば青空文庫で読んでみてください。
 言い換えれば「一般人の想像を絶する生活や人生、現実というものが世の中にはあって、そちらのほうが、よくできたフィクションよりずっと深く胸を打つ」ということだろうと思います。今、私は「一般人」で片付けてしまいましたが、もうちょっと厳密に言えば、柳田が『遠野物語』で使った「平地人」とか、あるいは「都会人」や「文化的な生活を送っている人」といった言葉になるかと思います。
 さらに場合によっては「定型発達者(いわゆる健常者)」も、そこに含めていいんじゃないかと、前回のインタビュー当時には考えていたわけです。そういう話の流れでしたからね。また当時「山に埋もれたる人生」のような話を、よく見聞きするようになっていたこともふまえています。
 『遠野物語』の伝説にも、そういう「隠れた現実」を含んでいるものが多いんじゃないでしょうか。柳田の言う「現在の事実」は、それとほぼイコールなんだろうと思います。だから最後に「戦慄せしめよ」と言っている。
雀部> ご紹介ありがとうございます。青空文庫の『山の人生』全部読んでみました。そう言えば映画『瀬降り物語』('85、東映)を見た当時、『山に生きる人びと』('64、宮本常一著、未来社)というのを読んだなあと思いだし、書棚の奥から引っ張り出してみました。
 「戦慄せしめよ」の意味合い、だんだんわかってきました。そういう意味合いだと『遠乃物語』が遠野が舞台ではなく、なぜ遠乃が舞台なのでしょうか。
藤崎> 主に二つの理由があります。一つは、日常と非日常との間で人間がどう生きているのか、そこに「物語」はどう関与しているのか、というテーマを語るための仕掛けとして考えた、ということです。
雀部> なるほど、人生と物語がどう関わっているかがテーマの一つだったんですね。
藤崎> もう一つは――裏話になっちゃいますけど――遠野に先祖代々、暮らしている人々に対して、私なりの遠慮というか、まあ言い逃れみたいな意図があったんです。
 つまり柳田國男が100年前に「現在の事実」と言ったことは、ある意味、今でも変わっていないんですよ。なぜなら『遠野物語』には実在の人物、ないしは実在の人物をモデルにした人が何人も登場しているわけですが、その子孫の一部は今でも遠野に暮らしている。そういった人たちが万が一『遠乃物語』を読んだときに、遠野そのものが舞台だと、不快感を覚えたりしないかという心配があったんです。
 柳田國男も『遠野物語』を出版したときに、なるべく遠野の人の目には触れないようにと願っていたらしい。やっぱり色々とナイーブな問題を含んでいますから、うっかりするとプライバシーの侵害を含めて、何らかの非難を浴びかねないと思ったのでしょう。結局、杞憂ではあったようですが、その気持ちはよくわかるし、私も自分なりの配慮はすべきだろうと考えました。
 とくに佐々木喜善の出生に関する問題は――実際に謎めいた部分はあるんですけど――フィクションであることを明確にしなければならないと思っていました。佐々木が生まれ暮らしていた家は、今でもほぼそのままの形で残っているし、そこに子孫の方々が普通に暮らしているからです。
 私の作品は「どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかよくわからない」と言われることがままあって、いつもは褒め言葉だと受け取っているんですが、『遠乃物語』に関しては、ちょっとまずい。
 ついでの話で言うと、遠野で一度、地元の方のガイドをお願いしたことがあります。その方はもちろん『遠野物語』にも詳しくて、「サムトの婆」に出てくるサダの家とかにも案内してくれたんです。やっぱりそこも普通に人が暮らしている、普通の家でした。なので、さすがに看板などは立っていませんし、どこの観光案内書や地図にも載っていません。ガイドさんも「まあ、内緒だけどね」くらいの雰囲気で、教えてくれたわけです。裏返して言えば、その程度のタブー意識みたいなのは、まだ残っているということで、そのへんはやっぱり気にせずにはいられませんでした。
雀部> そうか。プライバシーの問題は思っても見ませんでした。確かに微妙な問題ではありますね。
 『山の人生』を読んで、柳田先生が非常に几帳面に調査されているのがよくわかりました。だから「戦慄せしめよ」という言葉が効いてくるんですね。
 神隠しや山人に関する噂とか言い伝えにもその地方特有の事情とか時代背景が現れていて面白いですね。『UFOとポストモダン』(木原善彦著、平凡社)を思い起こしました。
藤崎> 民俗学には、知れば知るほど自分が深い森の中に分け入ってしまうような、ちょっと怖いけど、ぞくぞくする魅力があります。科学のわくわく感を「陽」とすれば、「陰」の面白さとでも言いますかね。そして南方熊楠や伊能嘉矩は、両方の分野で業績を残した。そのへんもまた興味深いところです。
雀部> 自分のルーツが明らかにされるような感もありますね。
 『遠乃物語』には柳田國男先生が登場しないのですが、主人公の伊能嘉矩と佐々木喜善は、遠野出身だけど柳田國男先生は遠野出身じゃないからなんですか?
 伊能が自宅に台湾のものを展示しているんで、年代的には既に知り合っているよなと思って読んでいたんですが。
藤崎> 物語の設定年代――明治39(1906)年時点だと、現実にも佐々木喜善と伊能嘉矩はまだ柳田國男に出会っていません。それに『遠乃物語』は一応、『遠野物語』成立の前日譚という位置づけですから、柳田は登場しえないことになります。
雀部> ありゃっ、勘違いしてました(恥;;)
 『明治の冒険科学者たち』を読み返してみたら、伊能の言う「台湾館」が設置されたのが、明治41年8月で、柳田國男が遠野を訪れて、伊能と会ったのが、明治42年8月なんですね。なんとなく、「台湾館」の方が後のような気がしてました(汗;)
藤崎> もちろんフィクションなので、もっと前に出会っていたことにしちゃってもいいんでしょうが、そうする必然性があまりない。柳田は佐々木に似たタイプの人なんですよ。繊細で霊感が強い――柳田自身も子供のころ神隠しにあってますしね――どちらかというと女性的なタイプだと思います。一方で伊能は理知的で男性的なタイプですから、佐々木と組み合わせるには、そっちのほうが釣り合っていると考えました。
雀部> なるほどなるほど。
 東雅夫さんが“佐々木喜善の相方に柳田國男ではなく伊能嘉矩を起用した奇計と、重厚な想像力の奔流に、私は戦慄した。”と言われているのは、そこらあたりを評価されてのことなのですね。
藤崎> たぶん……。実を言うと「奇計」とおっしゃっていただいたのは、ちょっと意外でした。私としては先ほど申し上げた通り、わりと自然な流れで思い至ったことでしたから。
雀部> 佐々木喜善って、『ハイドゥナン』でいうと“柚”の役回りのような気がします。
 『深海大戦』でいうと、誰がそれにあたるのかなぁ。アンフィトリテあたりか、それともまだ出てないのか気になる(笑)
 続編はいつ頃出るのでしょうか?
藤崎> 一応、年内の刊行を目指しております……(汗)。
雀部> では、楽しみにお待ちしております(笑)


[藤崎慎吾]
1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどをするかたわら小説を書き、1999年に『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は「ベストSF1999」国内篇第1位を獲得。ほかの作品に『ストーンエイジCOP―顔を盗まれた少年』(光文社)、『鯨の王』(文藝春秋)、『遠乃物語』(光文社)、『深海大戦』(角川)など多数。
[雀部]
ジュヴナイルSFが意識して読んだ最初のSFだったような。小学生の頃「ナショナルキッド」とか「海底人8823」などで刷り込みを受ける(笑)

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