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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『夢見る猫は、宇宙に眠る』
> 八杉将司著/菅原健イラスト
> ISBN-13: 978-4198618803
> 徳間書店
> 1900円
> 2004.7.31発行
第五回日本SF新人賞受賞作
 医療ナノマシン機器メーカーに勤務するキョウイチは、仕事のために訪れたカウンセリング施設で、研修生のユンとその恋人マークに出会った。キョウイチは、天衣無縫なユンに次第に惹かれていく自分に気づく。そしてこの懊悩は、お互い共に、“オリジナル”ではないことを知り頂点を迎える。やがてユンは、臨床心理エンジニアとして赴任するマークと一緒に、火星へと旅だった。その半年後、火星は突如として緑の星に変貌し、独立運動を背景とする反乱が勃発する。キョウイチは連絡の途絶えたユンたちを探すため、軍に同行し、火星へと赴く。そこは、思念が現実化する、異様な世界であった…。

『光を忘れた星で』
> 八杉将司著/中山尚子イラスト
> ISBN-13: 978-4062837651
> 講談社BOX
> 1500円
> 2011.1.5発行
 故郷を失った少年マユリは、視力とは違った感覚「無我の目」を得る計画に参加させられていた。しかし親友のルーダが能力を開花する一方でマユリは落ちこぼれ、施設から逃亡。辿り着いた村で監禁されてしまったマユリは政府の女剣術使いアージュに救い出され、ルーダとも思わぬ再会を果たすのだった。数奇な運命に翻弄されながらもたくましく生き抜く少年を描くSFサスペンス。


『Delivery』
> 八杉将司著/撫荒武吉カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4152092960
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1700円
> 2012.5.25発行
 ノンオリジンの少年アーウッドは、天上に輝く月という“神の世界”に憧れていた。だが、突如として起きた原因不明のスーパーディザスターにより、地球は災厄に見舞われた。それから10年後。荒廃した世界で仲間とともに生き延びたアーウッドは、地球と月をめぐる畏怖すべき運命に巻き込まれていく。

『楽園追放—Expelled from Paradise—』
> 虚淵玄脚本/八杉将司著/齋藤将嗣イラスト
> ISBN-13: 978-4150311711
> 早川文庫JA
> 620円
> 2014.10.25発行
 西暦2400年、地球はナノハザードによって廃墟と化し、人類の多くはデータとなって電脳世界ディーヴァで暮らしていた。しかしディーヴァが、フロンティアセッターと名乗る謎の存在からハッキングを受ける。ディーヴァの捜査官アンジェラは、マテリアルボディを身にまとって地球に降り立ち、地上捜査員ディンゴとともにフロンティアセッターの謎を追う。虚淵玄(ニトロプラス)×水島精二の話題のアニメを完全ノベライズ。


『《九十九神曼荼羅》&《夢幻∞》シリーズ
まなざしの街1〜11』
> 八杉将司著
> 小学館
hontoビューア版
> 100〜200円
> 2013.5.24〜2015.6.19発行
 コースケは19歳。酒もドラッグも身体に合わないから、スナック菓子にはまっている。バーの用心棒がシノギで、酔ったサラリーマン相手に、勘定をめぐる暴力沙汰も日常茶飯だ。暴力団組長の愛人になった昔の恋人、理沙も刹那的に生きるコースケを心配している。ある日、コースケの前に緑色の身体をした“ジジイの妖精”?が現れた。モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議のかずかず。ハードボイルド青春群像シリーズ。

『ミューズ叢書<1>
特集『妖怪探偵・百目』対談&インタビュー』
> 上田早夕里・八杉将司著
> BCCKS Distribution
Amazon Kindle版
> 400円
> 2016.1.21発行
 光文社文庫で発売中の『妖怪探偵・百目』シリーズ(上田早夕里・著/全三巻)の対談本。ゲストはSF作家の八杉将司氏。シリーズの出発点となった『異形コレクション』シリーズ、百目シリーズに登場する諸々に関する裏話や考察、登場人物や妖怪やSFへの愛着などを、民俗学や古典芸能の話なども交えながら、著者と共に語り尽くした一冊。特別企画として、八杉氏へのインタビューも掲載。


雀部 >  今月の著者インタビューは、日本SF作家クラブ会員有志により運営されているネット・マガジン「SF Prologue Wave」の初代編集長で、作家の八杉将司先生です。
 八杉先生初めまして、よろしくお願いいたします。
八杉 >  初めまして、よろしくお願いします。アニマ・ソラリスは購読させていただいているので、今回呼んでいただいて光栄に思ってます。それから「SF Prologue Wave」では立ち上げのときにアンケートなどにお答えくださってありがとうございました。経験がなくて手探りだったものですから大変助かりました。
雀部 >  いえいえこちらこそ。当時、著者インタビューに掲載させていただいている《第11回・日本SF新人賞作家インタビュー特集》は、とても評判良かったです。
 ブック・アサヒ・コムの「わたしとSF」によると、第五回日本SF新人賞を受賞した『夢見る猫は、宇宙に眠る』は、“SF小説を書こうと思って書いていたわけではなかった”そうですが、当時もSFはあまり読まれてなかったのでしょうか。
 出始めの頃のナノテクがらみのSFというと、リチャード・コールダーの『デッドボーイズ』('97)とかベアの『女王天使』('97)あたり、火星のテラフォーミングというとキム・スタンリー・ロビンスンの『レッド・マーズ』('98)が思い浮かびますが。
八杉 >  読んでないわけではないのですが、「SF」のくくりで本を読むということはしてなかったんですよね。宇宙が舞台の話、タイムマシンの話、ロボットが登場する話といった認識で興味ある作品を読んでいただけで、ことさら「SF」を意識することはほとんどありませんでした。小説、漫画、アニメ、映画として当たり前にそれらが周りにあったので。拡散して浸透したSFにどっぷり浸りきっていたんでしょうね。
雀部 >  SFの拡散と浸透の時代でしたか。ま、現在も同じような状況ではありますが。
八杉 >  ぼくが書こうとしていたものがSFだと気づかされたのはデビューした直後ぐらいですね。って、SFの新人賞に応募しておいておかしな話ですけど。SFとは何かがどうもぼくの中で曖昧だったんですよ。でも、堀晃さんとお話する機会があって「価値観がひっくり返るものを書きたいんですよ」と言ったら「うん、それがSFだよ」とおっしゃってくださって、いわゆるセンス・オブ・ワンダーになるのでしょうけど、ああそうだったのかあと目から鱗で。
雀部 >  さすが堀先生、良いタイミングで。元々「アニマ・ソラリス」は、堀先生主宰の同人誌「ソリトン」の仲間が集まって始めたものですから。
八杉 >  堀さんには大変お世話になってます。姫路の廃線になったモノレールを見て回ったり(このときは北野勇作さんも一緒でした)、小松左京さんと酒席をご一緒する機会をいただけたりしたのも堀さんのおかげでした。
 ところで、ナノテクはすでにアニメなどで割と普及してましたね。ガンダム(∀ガンダム)や攻殻機動隊、機動戦艦ナデシコなどで登場してました。小説でもベアの『女王天使』は読んでましたけど、印象が強いのは『ブラッド・ミュージック』でしょうか。『夢見る猫は、宇宙に眠る』を書くときにもっとも参考したのはグレッグ・イーガン『宇宙消失』ですね。
雀部 >  あ、それ分かります。>もっとも参考したのはグレッグ・イーガン『宇宙消失』('99)
 ばりばりの量子論ネタ(笑)
 確かにベアの作品では『ブラッド・ミュージック』('87)のほうがインパクトありました(生体素子ではありますが)。
八杉 >  でも、ナノテク、テラフォーミングを扱おうと思ったときは小説よりノンフィクションの本ばかり漁ってました。ナノテクはK・エリック・ドレクスラーの「創造する機械」の影響が強いです。あれは批判もあるようですが、ナノマシンのありようを想像するのに大変刺激されました。
雀部 >  巻末の参考文献に上げられてましたね。とするとテラフォーミングの方は金子先生の『テラフォーミング 異星地球化計画の夢』なんですね。
八杉 >  ああ、それです。ほかにもテラフォーミングの本は読みましたが、それが具体的で想像しやすかったですね。
雀部 >  『夢見る猫は、宇宙に眠る』では、量子力学のネタがアイデアの一つになっていますが、こういう人口に膾炙していない科学知識を作中で説明するのには苦労されませんか。コアなSFファンは説明しなくてもわかっていることだし、そっち方面に興味の無い読者には、説明してもわからないだろうしで(笑)
八杉 >  ぼくがコアなSFファンではなく、科学技術についてもたいして知識がなかったので、それゆえぼく自身にわかるように書けば、読者にも伝わるかなと思って書いてました。矛盾してますけど、過去の自分と照らし合わせてということですね。
 それと興味ない方はどれだけわかりやすく説明しても、その説明自体に興味がないのでつまらないだろうから、そこは理解してもらうことより、よくわからないけど、なんかすごいことになっているらしいという感覚を持っていただくことを目的に書いているところもあります。
 難しい科学用語やジャーゴンが並んでるとなんだか格好よく見えるじゃないですか。(笑) もちろん書く側は内容を理解したうえで書くんですが。そこを読み飛ばしても話がわかるようにはしてます。でも、うまくいっているのかなあ……。
 そうそう、興味のない人でもいかに興味をもってもらうかということも心がけてはいますよ。知らないことを知るというのは面白いはずですので。
雀部 >  なるほど。SF的な物語に興味を持っている読者には面白いと思います。表紙に“第五回日本SF新人賞受賞作”と書かれているので、純文学とは間違われないでしょうし(笑) 二作目の『光を忘れた星で』は、SFであることを意識して書かれたのでしょうか。
 箱に“全人類失明”と書いてあるんだけど、読み始めてもあまりその違和感が無い。作者もそれについては最初からは説明してない。で、読み進むうちに視覚から来る語彙がずるっと抜けている事に気づいて、「ああ、人類全体が視覚を持ってないということが普通の世界とはこういうことなんだ」と。
八杉 >  あれはそれほどSFを意識してなかった記憶があります。「目が見えない人々しかいない世界を描くなら、小説という活字媒体が最適なはず」という確信がまずあって、『光を忘れた星で』はそれをできる限り突き詰めた結果なんです。
 人類が失明する話はジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』やジョゼ・サラマーゴの『白の闇』がありますが、ぼくが書きたかったものとは違うんですよね。(余談ながら『光を忘れた星で』の装丁は『白の闇』を手がけた方です) ただH・G・ウェルズの『盲人の国』が比較的近い話でした。でも、ぼくそれを知らなくて、今こんな話を書いてますということを作家仲間に話したら、その指摘を受けて慌てて図書館に駆け込んだことはありました。すると『タイムマシン』と一緒に掲載されていて、『タイムマシン』は昔に読んだはずなのにおかしいなあと思ったんですが、どうやら差別用語の関係かカットされてしまってたみたいで。(ついでに余談。『光を忘れた星で』も差別用語に神経を尖らせなければと考えていたんですが、人類がすべて先天的に視覚がないため差別用語自体まったく使うことがないのでその心配はありませんでした)
雀部 >  『白の闇』読みました。SFじゃないし『光を忘れた星で』とは方向性が違うし、テーマは重いけど面白かったです。なんか下ネタが効果的に使われていたりして新鮮でした(笑)
 全盲全聾の方の書かれた『渡辺荘の宇宙人—指点字で交信する日々』とか、SFだと大好きなジョン・ヴァーリイの「残像」とかも感動的ですよね。
八杉 >  とにかくあくまでSFというより、視覚が存在しない世界を描く、さらにいえば小説にしか描けない世界を描く、ということを念頭において執筆してました。いや、この作品はどう考えてもSFなんですが(笑)、過去のSF作品から系統立てた先にあるものとして書いたのではないという意味と言えばいいでしょうか。
雀部 >  確かに設定と進行共にSFマインドが横溢してますね、『光を忘れた星で』は。読み応えありましたよ。『白の闇』とか「残像」(視覚的な描写がある)より全盲の方が書かれた『渡辺荘の宇宙人』に近い書き方で、凄いです。
八杉 >  ありがとうございます。全盲の方の本は読みましたが、参考にするには非常に注意が必要で、というのは全盲の方が頭に描いていることは、周囲にいる視覚を持った人たちから得た情報も含まれているんですよね。「光を忘れた星で」を書くにあたってはそれを排除しなくてはいけない。作中には視覚を持っていた過去の人類の情報もあるんですが、でも、その情報を知っているのはごく一部の人たちだけで、ほとんどの人たちは持っていない。その持ってない人たちが頭の中で作り上げた「世界」を想像しなくてはいけなかったところがかなり苦労しましたね。
雀部 >  その想像された「世界」は、かなり成功してますね。地の文に「視覚情報が得られないので、うんたらかんたら」とかも一切書いてないのも良かったです。主人公の語りに最初は違和感を覚えないけど、読み進むにつれ、生まれた時から視覚がなくて、聴覚・嗅覚・味覚・触覚だけから得られる外界が徐々に明らかになっていくという過程が好きです。
八杉 >  視覚がない世界を書くんだということに集中していたので、その書き方が読者に受け入れてもらえるかどうかというのは当初は度外視していましたね。あとでよかったんだろうかとすごく悩みましたけど、書き切ったことには満足してました。
 箱の全人類失明は編集部がつけたのですが、勘違いされるんじゃないかなあとは思いました。でも、インパクトがいるというのであのまま。
 とにかくそんなわけでこれを書き上げたときは「誰がこんな変なの読むんだろう、ぼくだけじゃないのか」とか思ってました。(笑) ですから思いのほか反響があって驚きました。そのわりには売れませんでしたが……。
雀部 >  ありゃま(笑)
 今回は、人類が視覚を持っていた時代の科学や技術が残っているという設定(様々な機器や点字本等)だったのですが、視覚を持たない人類もしくは異生命体が科学とか芸術を発展させたらどういう世界になるか描いて欲しいですねえ……
八杉 >  あれは視覚を蘇らせるための技術がどうしても必要だったので、そういう設定にしたんです。またそこまでいってしまうと多くの読者がついてこれなくなってしまうのではという懸念もありました。
 それはともかくとして視覚がない知的生命の科学や芸術となると、我々との違いが大きくなるのは匂いと触覚でしょうね。匂いは感情にダイレクトで響くので、特に芸術ではすごいことになりそうな気がします。また科学の進歩は触覚によるものが大きいでしょうね。視覚と変わらない発展を遂げるかもしれませんが。これを書いていてわかったんですが、視覚は触覚の延長線上にあるものなんですよ。視覚で得られる情報量が極端に多いのと、色彩という特殊な認知機能があるのでわかりにくいのですが、実は見たものに対する認識は触覚の感覚に近いんです。
雀部 >  そうなんですか>実は見たものに対する認識は触覚の感覚に近い
 『夢見る猫は、宇宙に眠る』の総てを把握する神の視点から、次作が『光を忘れた星で』での視覚を失った世界だから振れ幅が凄い。次は、言語を失った世界とかはどうでしょうか?どうやったら小説になるかもわかりませんが(笑) 認知考古学者のスティーヴン・ミズンの著書『歌うネアンデルタール』('06)を読んでから気になっているんですが。
八杉 >  言語を失った世界は短編で書きましたよ。「娘の望み」(異形コレクション「進化論」収録)がそうです。でも、さすがに主人公は言葉を失わなかった設定にしてます。本当に言語が消えた世界を描くならタイトルと若干の文章以外は余白にしてあとは読者に想像させるというのも考えはしましたけど、考えただけにしました。(笑)
雀部 >  「娘の望み」読みました。ラストで本当の“娘の望み”が明らかにされてジーンときちゃいました。あれはずるい(笑)
 元々言語というモノが無い世界で、文化・文明が生まれてくるとしたらそれはどういう物なのか、人類に理解出来るのだろうか、知りたいです。『ソラリス』の“海”が言語を持たないのは分かるんですが、多数の知性体が生きている世界が言語なしでどうやって成り立つのかとか、そもそも言葉を持つということと、知性を持つ(自意識を持つ)というのは同義なのかどうかとか。個人的には違うと思うのですが……
八杉 >  そのご意見にはぼくも思っていることなので賛成したいんですが……。
 自意識を持つということは、自分の存在に対して他者がいるという認識をしていることが前提になります。そうでなければ「自意識」なる概念自体が出てきません。自分自身を他者として見る視点も必要ですしね。知性とはそんな自意識と他者との差異から生じるものと考えていいと思います。その差異を、記号を利用してシステム化したのが言語といってもいいでしょう。したがって知性は言語となることでぼくたちの前に具体的に表出してきたともいえます。同時に言語が知性のインターフェイスとして知性そのものに働きかけているわけで、そうなってくると知性と言語を切り離すことは非常に難しいんです。
 ただぼく自身、自分の中の知性がすべて言語によって構築されているのかというと違うんじゃないのかという思いがあるんですよね。言語を使って小説というものを創作してますが、書けば書くほど自分の中にあるものを正確に描写できているとは言いがたいところがあるんです。それはぼくの言語の操作能力が未熟だからとも言えるんですが、じゃあ、なぜ「違う」「正確ではない」と言語を介さず感情として浮かんでしまうのか、漠然とした違和感がずっとあるんです。もちろんただの勘違いかもしれません。それでも個人的には違っているほうが面白いので(笑)、これからもこのあたりのことは考えていきたいですし、作品にも反映できたらなと思ってます。
雀部 >  そういう意味論的な話は、SFファンとしては大好きなので期待してます。
 ノベライズの『楽園追放』に、フロンティアセッター(AI)が“音楽が処理能力を活性化させる”とかその繋がりで自意識という概念を見つけたというあたりにワクワクしました。とすると“歌うネアンデルタール人”にも自意識があったのでしょうか。またいわゆる言語は持たなかったであろうと想像されている彼らにも、サーガ的なものは存在したのかなぁと妄想してます。←情景曲(標題音楽)というジャンルがあるくらいだから……
八杉 >  音楽が処理能力を活性化させるといったことは脚本にもあったんですが、自我の発見につながったというのはぼくが付け加えた理屈ですね。音のつながりに過ぎないものをひとまとめにして音楽として認識するのは、記憶とそれを使って予測する機能があるからというような話を、ぼくなりの解釈で自我、自意識に結びつけたんです。
 それから考えるとネアンデルタール人も自意識を持っていた可能性は充分あります。問題はその自意識を本人たちがどう捉えていたかでしょうね。その自意識から自分たちが「個」として存在することを自覚できていたか……それはわかりません。なにせ人類もかつては自意識を自覚できていなかった、または自意識そのものがなかったという仮説もありますから。(参考「神々の沈黙 ―意識の誕生と文明の興亡―」ジュリアン・ジェインズ 紀伊国屋書店 SF Prologue Waveでも山口優さんがこれについてのコラムを書かれてます。)でも、このあたり証拠が残らないので証明は非常に難しいんですよね。
 ともかく音楽のみで個々人が互いにつながった社会というのは、今のぼくたち人類からは想像がつきにくい、でも、叙情豊かで大変面白い社会でしょうね。
雀部 >  いいなぁ、音楽で繋がる世界。
 「八杉将司『光を忘れた星で』インタビュー」で、聞き手の高槻真樹さんが“実際の話を読んでみたら筒井康隆さんの「残像に口紅を」であったという”と評されていましたが、私も最初に連想しました。
 順番に五感が減っていく小説は考えられたのでしょうか?
八杉 >  構想の段階で少しだけ考えたことはありますけど、小説の形にはまとめられませんでしたね。アイデアはよくても、人が読んで楽しめるだろうかといったところで引っかかってしまう場合があるんですよ。それでも実験的に書いてみたいとは思うんですが、そういうのは出版社が出してくれないだろうなあ……。
雀部 >  そこらあたりはプロとしての悩みですね。笑犬楼さまくらいになるとどんな作品の出版も大丈夫なのでしょうが。
 三作目の『Delivery』なんですが、これも量子論バリバリーーばりばり破る(笑)
 特にお気に入りは、“スーパーディザスターは、ウィスロー場によって、『強い力』と重力の効果が転換されたのが原因”というやつ。これ、凄いことですよね。重力波が光速で伝播しその力が離れるほど強くなるとしたらもう大変。宇宙の果てに追いついたら全質量が月を中心に集結しブラックホール化は必然でしょう。エントロピー増大の法則も破綻(笑)
八杉 >  このアイデアが浮かんだあと、宇宙全体の影響まで考えたとき、まずいと思いました。(笑) あまりにむちゃくちゃなことになるので本当に使っていいのか悩みましたけど、光速で伝播するとはいえ宇宙は広いし、そこまで影響が出るのは先のことだから、少なくとも作中のタイムスケールではストーリーにかかわる問題までいかないだろうからまあ、いいかと。
 これより悩んだのは、ちょうど刊行間近の時期にCERN(欧州原子核研究機構)でのヒッグス粒子の発見があってそれをどう反映させようかということでしたね。作中の架空の素粒子はヒッグス粒子(場)が標準理論と違う別の何かだったらという設定からきているので。発見は時間の問題と思ってましたが、まさかこのタイミングとは……作中の世界はヒッグス粒子がなかったという別の平行物理宇宙の話ということで処理してください。(笑)
雀部 >  わはは。最新知見を取り込むSFにはありがち(笑;)
 ヒッグス粒子というと、八杉先生の「作家の質量」の説明が面白くて分かりやすいですね。
八杉 >  ありがとうございます。コラムにも書いたとおり、あのパーティーのたとえは素粒子物理の本でヒッグス場を説明するときにときどき用いられることがあって、それを現実に見たものですから。(笑)
雀部 >  ところで想像上の粒子というとガンダムのミノフスキー粒子。『宇宙消失』というとコペンハーゲン解釈なんですが……
 『夢見る猫は、宇宙に眠る』の“人間の精神を光子一個分に縮小させて、同時に多宇宙を認識させる”というネタは、ミノフスキー粒子くらいで、ウィスロー粒子ネタは、『宇宙消失』のモッド《アンサンブル》くらいの破壊力かも。
八杉 >  どちらも最初はそこまで素粒子にあれこれやらせるつもりはなかったんですけど、宇宙の成り立ちや本質を調べていくとどうしても素粒子に行き着くんですよね。そんな量子の世界といえば人間の常識と反する世界で満ちているわけですから、この世が常識外れによって成り立っているというのはSF的な面白さを感じます。
雀部 >  まあマクロと量子的な世界は全く違いますからねえ。
 あと“瞑想状態に入るのに「般若心経」を唱える被験者も居た”とか書いてあって、なるほどと思いました。確か他の物語にも出てきますよね「般若心経」。
八杉 >  『光を忘れた星で』の「無我の眼」の設定を練るときに、たまたま読んでいた玄侑宗久さんの「現代語訳般若心経」を参考にしたんですよ。般若心経の一節に「遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」というのがあって、これは思い切り噛み砕いて説明すると、苦痛というのは自我があるから生まれるものなので、その自我を消してしまえば苦痛は存在しなくなるということになるんだそうです。この「自我」を「意識」「主観概念」として捉えることもできます。すると伊藤計劃さんの『ハーモニー』は科学技術の粋を集めて人工的に般若心経の悟りを人類にひらかせた話といってもいいんですよね。さきほど『光を忘れた星で』は過去のSF作品から系統立てた先にあるものではないと言いましたけど、実はこの関係で影響は受けているんです。というか『光を忘れた星で』を書いてる最中に『ハーモニー』が出版されて、肝心な部分のネタがかぶっていたので慌てて仕切りなおしたんです。
「般若心経」が出てくるのはそういった経緯がありますね。
雀部 >  なるほど、そういう経緯があったんですね。『光を忘れた星で』で“ハラギャテイプログラム。レベルポジソワカ。”なんてのが出てくるのもその流れなんですね。まあ、『Delivery』には、ちらっとハインラインの小説を読むシーンも出てきますが(笑)
八杉 >  あの主人公が妙に小説を読み漁っているのは、改造された遺伝子の影響によるものでブレインプロセッサーシステムで利用する直感を無意識に養わせるためです。(どれだけ多種多様な情報を持っているかで直感の質は変わるので) その本にSF、ファンタジーが多いのは、『Delivery』が最初からSFを意識して書いたからですね。
雀部 >  SFですよねえ。オールド・ファンには『イシャーの武器店』と『タウ・ゼロ』足して2で割って10倍にしたような話と説明すれば良いかも。特にラストは。なんか「出来るだけ派手な話にしてやれ」ってお考えになったことはありませんか(笑)
八杉 >  『Delivery』の初稿原稿を早川書房に持ち込んだときは、このラストではなかったんです。第三章ぐらいまでの話でした。というのも『夢見る猫は、宇宙に眠る』でラストのスケールをやたら大きくしたものですから、もうちょっとコンパクトな話も書けないと職業作家としてこの先が持たないぞと思ったんですよ。でも、読んでくださった担当編集の塩澤さん(SFマガジン編集長)が、「新しい素粒子のアイデアが面白いのだけど、もっと宇宙規模のスケールの話にできますよね。そのほうが出しやすいです」とおっしゃったんです。正直、ぼくにとってスケールを大きくするほうが格段に書きやすかったので、では、お言葉に甘えて、ということでこうなりました。IFI仮説なんて理屈もそのときに思いついたものです。
雀部 >  SFはでかい話の方が面白いっす。
 八杉先生は、短編集にまとめられてはいませんが長編だけでなく、短編もかなり書かれてますよね。長編とテーマが共通してるものも多くて八杉先生が書きたいものがなんとなくわかってきます。例えばわりと最近の短編「一千億次元の眠り」(『SF Japan』2011年)でも犯罪者に使われる矯正デバイスという装置が出てきます。この手の脳接続装置は『重力が衰えるとき』で効果的に使われていたんですが、この矯正デバイスはさらに先にいってますね。ライアル・ワトソンの『ダーク・ネイチャー』やマット・リドレーの『徳の起源』からマイケル・S.ガザニガの『脳のなかの倫理』('06)あたりの考え方が採用されていると感じました。
八杉 >  二十歳ぐらいのとき、たまたま哲学に興味を持ってあれこれ読み始めたんです。まずは定番のニーチェからハマりました。それは道徳や倫理が好きだったというより、それらの常識をひっくり返す哲学の方法論をとても面白く感じたんですよね。そのあたりをぼくの中でもうちょっと進めていきたいと思ったときに小説を書いてみるという選択肢が生まれました。それまで小説は読む専門で書いたことはなかったんですが、なんとなくより具体的に思考を進めていけると思ったんですよ。そうすると自然と進化論や認知科学などにも踏み込んでいくことになって、なおかつ哲学、倫理学と関係している部分にどうしても興味が偏るのでその結果でしょうね。
雀部 >  あと「一千億次元の眠り」のラストは、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」を地で行った感があって、なるほどなぁと感嘆しましたよ。
八杉 >  あのラストを読者がどう受け取るかは不安でした。自分の中にあるものをやや正直に出しすぎた気もしたので……ですからそう言っていただけると嬉しいです。
 ところで、あの一個の脳神経細胞を一次元として考えて脳を多次元の「思考立体」とする設定はぼく独自のアイデアではありません。何十年も前に脳の研究を位相幾何学(トポロジー)からアプローチしようとした学者がいらっしゃってそこからきてます。(参考「トポロジーの世界」野口廣 ちくま学芸文庫)
雀部 >  あら、元ネタがあったんですね。
 日本SF新人賞受賞後の「海はあなたと」から、「ハルシネーション」「娘の望み」「うつろなテレポーター」なんかは、量子論から認知科学などを駆使して書かれてますが、主題は確かに哲学的ですよね。
八杉 >  そうですね。でも、哲学を学校などでちゃんと勉強していたのではなくて、独学でしかもつまみ食い的なやり方でしか学んでないので間違ってるところはたくさんあるとは思うんですけどね。でも、勘違いから生まれる独自な理屈も面白いので、怒られるとは思うんですが、それはそれでいいかなと。
雀部 >  独自な理屈とかエクストラポレーション、SFの醍醐味ですから。
 「命、短し」は発表媒体が「小松左京マガジン」なので少しだけ毛色が違う感じがしますが、登場人物たちは、我々とは主観時間(哲学的な時間)の流れが違っているだろうなという感じを受けました。
八杉 >  あれはデビューして初めて雑誌掲載となった短編で、しかもまだSFとは何かが自分の中で固まってなかったものですから、どう書けばいいのだろうととても悩んだ記憶があります。結局、寿命が二十歳に満たないとしたら、どういう社会ができて、その当事者たちは何を考えるだろうかという思考実験を小説にしたらSFらしくなるかなと思って書きましたね。
 でも、送ったあとに指摘されたんですが、小松左京さんの有名な短編で「お召し」というのがあって、その設定に似ているんですよね。ぼく、それを知らなくて恥ずかしい思いをしました。(笑)
雀部 >  え、題材からいっても当然オマージュだと思っていたんですが(笑)
 《異形コレクション》シリーズではホラーを書かれてますが、ちらちらとSF作家らしいところが垣間見えて取っつきやすかったです。牧野さんなんかだと心臓に悪い(笑)
 主流文学系の篠田節子さんなんかも、また味わいが違って面白いです。
八杉 >  小松左京さんの作品は家に『日本沈没』や『首都消失』といった映画になった単行本があって幼いころから読んでいたんですが、短編は読む機会がないままデビュー当時にまで至ってしまっていたんですよね。
 《異形コレクション》シリーズはホラーですが、比較的SFも意識してます。ぼく、一緒に掲載されることの多かった平谷美樹さんとも仲良くさせていただいているのですが、よく「ぼくたちは異形のSF担当ですよね」といったことを話していました。このときに平谷さんのSFの取り組み方をずいぶん学ばせていただきましたね。
雀部 >  そうなんですか。ま、平谷先生は、元々ホラー成分も多い方なのではありますが(笑)
 短編繋がりでうかがうのですが、丁度今日('16/5/20)、SF Prologue Waveに新作ショートショートが発表されてました。
 これまでの八杉先生の作品も読むことが出来、なおかつ無料ということで、SFファンには絶好の憩いの場となっております。ここの作品は、あとから一冊の本にまとめられる計画とかはあるのでしょうか。
八杉 >  この「AI消費社会」が現時点での最新作になりますね。ショートショートとは言いがたい作品になってますけど。
 SF Prologue Waveの作品がまとまって本になるという予定は聞いていませんが、ここから東京創元社の「年刊日本SF傑作選」に転載されたり、田丸雅智さんが寄稿してくださってた作品も「夢巻」といった単行本に収録されたりしてます。これからもいろんな作家が書いてくださると思いますのでよろしくお願いします。
雀部 >  同じSF Prologue Waveでは、出版された紙書籍の告知とともに電子書籍の告知もあるのですが、その中で「宇宙の終わりの嘘つき少年」は、知らないうちに「TOP BOOKS」がサービス終了になっていて、読めないままでした。残念。
八杉 >  ほかにも寄稿した電子雑誌が読めなくなってたりします……「それを昔の人は魂と呼んでいた」という「魂(自我意識)」が消える病が広まった世界の短編を書いたんですが。電子書籍なら紙と違って絶版がないとか言われてましたけど、発行元がなくなるといっぺんに読めなくなってしまうんですよね。古本・古書という概念がないこともあって。
雀部 >  古本屋にも売れないし(笑)
 あと、SF Prologue Waveでは、シェアワールド企画「Eclipse Phase」の短編群も作家の皆さんの個性が出ていて面白いです。これから読もうという人は、どこから読み始めるのがお薦めでしょうか。
八杉 >  基本的にどの作品からでも読んでいただいても構わないと思うのですが、そうですね、片理誠さんの作品が入りやすく、なおかつSFとしても大変面白いのでお薦めですよ。
雀部 >  おっと、片理先生にも聞いてみよう。
 電子書籍と言えば、八杉先生のTwitterで、“昨日久しぶりに大学時代の同級生と会ったのだけど、老眼で字が小さい文庫本は読めないという話になって中年以降の活字離れの一因はこれかーと思った。(笑)”と老眼の話を出されていて、なるほどとか思いました。40歳代だと、ちょっと老眼が早いとは思いますが、私も老眼になるまでメガネをかけたことが無かったもので、メガネをかけていると眼が疲れるんです(汗;)
 今も50インチのTVをモニタ替わりにしてます。フォントを大きくして離れて見れば、メガネなしでも何とか。電子本だとそれこそ活字の大きさは自由自在なので、老眼にも優しいのではないかと。
八杉 >  ぼくも40歳代で老眼は早いんじゃないのかと思ってたんですが、そうでもなさそうですよ。ノベライズでお世話になったアニメ映画『楽園追放』の脚本を書かれてる虚淵玄さんはぼくと同い年なんですが、老眼を悩んでいらっしゃったみたいですし、この年齢からくるようですね。ぼくは近眼で、普段からメガネをかけているんですが、家ではあまり度が強いと疲れるのでゆるめのをかけているんです。それでこれまで本やパソコンの文字が離れると少し見にくかったんですが、老眼がきたおかげでちょうどいい具合になって恩恵にあずかってます。(笑)
雀部 >  なんと(笑)
 私も読ませていただいている、アマゾンやhontoで購入可能な八杉先生の『【シリーズ】まなざしの街』はちょっと毛色が違った連作短編ですね。著者インタビューでお世話になった、平谷先生、町田先生、片理先生、坂本先生等も書かれてますが。“九十九神曼荼羅”というみたいですが、全体的な括りみたいなのはあるのでしょうか。
八杉 >  最初はゴミを擬人化(妖怪化)したイラストが先にあって、これを使って小説を書いて欲しいという依頼だったんです。全体の世界観も一応あったんですが(未来の地球が九十九神化したというのがその名残です)、途中から自由でいいよとなってなくなりましたね。そういうこともあってその後は夢幻∞シリーズに変わりました。ここでは読者のことも考えてSFとしての要素は薄くしました……つもりなんですが、後半ついあれこれ書き込んでしまって反省してます。
 ちなみにこの夢幻シリーズの新作を書いていて近々出る予定です。また裏社会の話になりました。《まなざしの街》シリーズで編集さんがその筋の作品を気に入ってくださったこともありまして。もうSF・ファンタジーの要素抜きでノワールものを書いてしまいたい気もしたんですが、シリーズに「夢幻」といった言葉が入っているので超能力ものの話にしました。
雀部 >  ぜひそこは超能力もので、なおかつノワールものでお願いします。
 SFでノワールもので思い出したのですが、やはり電子出版で、「ミューズ叢書<1>特集『妖怪探偵・百目』対談&インタビュー」が出てますね。これはどういった経緯から生まれた企画なんでしょうか。
八杉 >  上田早夕里さんとは同じ年にSFの賞をいただいて、しかも住んでいる場所も近いものですから、そのときからお付き合いがあります。(このあたりのことは文庫版「火星ダーク・バラード」の解説をぼくが担当したときに書いてます)それで自分たちが作品で何をやろうとしたのかを記録として残しておきたいねという話は以前からしていて、そのことが企画のきっかけになっています。当初はどこかで会場を借りて対談イベントをする予定だったんですが、時間を気にせず自由に掘り下げた話をしていくならこの形がいいだろうということで最初から電子出版になりました。
 なにせいつも上田さんと話をしだすと時間を忘れて意気投合するので(なおとても公にできない馬鹿話もたくさん)、こうしないと話し足りないことになりますからね。案の定、この対談も五時間に及びました。それでももっと時間が欲しいなんて思いましたが。(笑)
雀部 >  実は、『Delivery』と『華竜の宮』って構成的には似ているなぁと思ってます。
八杉 >  構成は舞台の大きさで決まってくることもあるので似た印象を受けられたのかもしれません。でも、『華竜の宮』のほうが構成は緻密で半端なく練られてますよ。ぼくも構成はしっかり考えるのですが、書いてる最中に思いつきで大幅に変えてしまったりするので出来上がりは結構いい加減だったりします。
雀部 >  ちゃんと一本筋が通っているように読めましたよ。
上田 >  八杉さんは「小説としての細部」を丁寧に積んでいく書き手なんです。SFは虚構性が強いジャンルなので、ハード系の作品は勿論のこと、どんなにほのぼのとしたロマンチックなSF作品でも論理性の塊みたいな側面があって、でも、作品に論理性があることと、小説としての繊細な部分が拾われているかどうかは別の問題ですし、論理性のために、小説としての特質の一部を積極的に捨てているSF作品も少なくない。そのほうが傑作と呼ばれる場合もありますから。でも、八杉さんはSFとしての論理性を保持しつつ、なおかつ、可能な限り「小説としての細部」を、繊細に丁寧に拾いあげようとするスタイルで、これは非常に手間がかかる作業なんですが、成功すると、ちょっと他では得がたい感動がありますね。
雀部 >  あ、上田先生いらっしゃいませ。
 なるほど。「ミューズ叢書<1>特集『妖怪探偵・百目』対談&インタビュー」でも、“神の視点ではなく、下から上を見ていく。それで個人の話にに戻ってくる”とおっしゃってますね。コアSFファンのみならず、一般的なSFファンの間でも評価が高いのはそういうところが評価に繋がっているのですね。
八杉 >  ああ、上田さん、お世話になっております。
 ぼくの場合、小説としての細部を拾い上げるには、世界を作り上げている論理性がある程度しっかりしてないと難しいというのがあるんですよね。また虚構性の強いSFの論理で構築した世界でそういった細部を拾い上げていくと、現実ではあり得ない価値観や常識が浮き出てくるので、それがぼくにとってはとても面白く感じるんです。というかそれを目的にSFを書いてるといってもいいと思います。
 でも、こういう書き方をすると戸惑われる方もいらっしゃるみたいで、どこをポイントに読めばいいのかわからないといった感想をいただいたりもするんですよね。ポイントとかテーマとか深く考えずのほほんと楽しんでもらえればいいのですが。(笑)
雀部 >  私も普段はのほほんと読んでます。インタビューさせていただく時は、重箱の隅をつつくような読み方をしてるかもですが(汗;)
 あと『楽園追放』も、要素だけ取り出してみると似てますよね。
八杉 >  編集さんがノベライズの依頼をぼくにしたのも、原作の脚本を読まれてそう思われたからのようです。
 ぼくとしては虚淵さんの構成がしっかりしてましたので、それに乗っかった感じですね。あの方の作品はほかもそうですが、ストーリーを構成の力で引っ張っていくので、実はぼくがあれこれ余計なものを入れた結果その面白さが削がれてしまったところはあると思います。読者が映画をあらかじめ鑑賞していると想定して書いたので、その余計なところを楽しんでもらおうとあえてそうしているんですが。
雀部 >  すみません、アニメ見てないんです(汗;)
 「ミューズ叢書<1>特集『妖怪探偵・百目』対談&インタビュー」の中で自作のショートショート「ぼくの時間、きみの時間」に関して“主観の時間(哲学での時間)に注目したSFというのがあまりないので書こうと思った。この前後に橋元淳一郎さんの『時間はどこで生まれるのか』が出て、ようやくそちらを書いてくれる本が出たと思った”との発言があったので、橋元先生にお伝えしたら「八杉さんの本は、まだ読んでいないのですが、そんなことを言って下さるのは、とても嬉しいですね。さっそく購入せねば。」とのことでした。
八杉 >  うわああ、大変恐縮です。(汗)
 二十代のころ、哲学の時間論を駆使してSFにおけるタイムマシンという概念をぶっ壊してやろうという野心のもとあれこれ本を読んだりしたんですが、結局小説にできるアイデアが思い浮かばなくて挫折した経験があるんです。
 すると二年ほど前に橋元さんが人工知能学会誌に「人工知能の心」というショートショートを寄稿されて、まさにそれをうまくひねった素晴らしい作品になっていたので平伏いたしました……。
橋元 >  うわああ、あのショート・ショートまで読んで下さったのですか。こちらこそ恐縮です。
 おっしゃるとおり「人工知能の心」は、ぼくの時間論を取り入れています。じつは、ここで始めて明かすのですが、人工知能学会誌に掲載することには、少し不安がありました。というのも、ぼくは人間のような主観をもった人工知能は創れないだろうという信念がありまして(間違っているかも知れないのですが……)、作品の中にもそういう思いを入れているのです。それで、人工知能の研究者から、反感を買うのではないかと危惧したのです。じっさいはどうだったのか分からないのですが、何となくそんな雰囲気を感じたのは、勝手な思い込みかも知れません。しかし、八杉さんのお話を伺って、あたりまえですが、ぼくはぼくの信念で書くべきだとあらためて自信が湧きました。この作品は、いずれ電子出版にも収録したいなと思っています。
雀部 >  橋元先生、ようこそ。
八杉 >  うわああ、こちらにもいらっしゃるとは。恐れ入ります。橋元さま、はじめまして。
 人工知能学会誌にはぼくもショートショートを掲載させていただきまして、そのとき見本として過去の掲載作品を送ってもらったので拝読することができたんです。
 個人的に褒められるより、反感を買われるぐらいの作品のほうがいいのかもしれないと思ってます。(思っていてもなかなかできることではありませんが)褒められるというのは批評する側がすでに知っていることを追認しているだけのことが結構ありますからね。反感というのは常識、観念をひっくり返される側面を不意に見せられた戸惑いが含まれていると思いますので。二割賛同、八割反対の企画のほうが優れたものに育つなんてことを聞いたことがありますが、小説もそのほうがたぶん面白いです。
 ところで、現状では主観を持った人工知能が創れないというより、機能としてそぐわないのでその方向には研究が進まないのではないかと思ってます。漠然とした印象ですが。主観を持った人工知能は人間そのものなんですが、求められている人工知能は一足飛びに人間以上の存在で、人間にできないことを代わりにやってもらおうということを主眼にしてる傾向があります。主観意識という機能は、極端なまでに情報不足の環境下(つまり現実世界)でもスタンドアローンな個体が自律および社会活動をするために発達したものですから、人間を見てのとおり、その求められている方向では思いのほか役立たない。というかその部分をそぎ落としたからこそ主観意識の機能が働けているんです。したがってその補完として人工知能が生まれたんですよね。
 もし主観機能を持った人工知能を創ろうとするなら、よほど世の中が必要としていない、何の役に立つのかまるでわからない、無駄と思われそうな方向に研究を進めていけば、もしかしたら主観を持った人工知能は生まれるのではないかなと、これは妄想の類になりますが、そう思ったりしてます。そのような研究をしていらっしゃる学者もいると思うんですが、主流にはなりにくいでしょうし、なかなか思うようには進められないのではないでしょうかね。
 でも、人工知能が人類に使役される現在の状態から、一つの「種」として人類から脱却したとき、人類と相互コミュニケーションを取るためにあえて主観を持った人間のような人工知能が開発されるかもしれませんね。人工知能自身の手によって。なんてこれはさらに妄想の類になりますけど……あ、十年ぐらい前にこれに近い設定の長編を書いたなあ、登場人物がすべて人工知能を搭載したロボットの。(なお出版社に採用されずお蔵入り)
橋元 >  八杉さま、はじめまして。
 こうしてお話しできるのも、アニマ・ソラリスのおかげです(笑)。
 人工知能に関するご意見、ごもっともです。主観というのは、科学的にも哲学的にもまだ解明されていない能力ですから、主観を持つ人工知能など創っても、あまり役に立ちそうにありませんね。実用面からいえば、そんなものは創らなくても、人一人いれば充分なんですから。
 しかし、哲学的には大いに興味がありますから、世界のどこかでは誰かが研究しているかも知れません。単に役に立つ人工知能は、あくまで機械に過ぎませんが、主観を持ったとたん、我々はとんでもない問題に直面することになります。
八杉 >  主観を持ったとたん、とんでもない問題に直面する……本当にそのとおりと思います。ただそのあたりのことを深く考えていこうとする姿勢が現実にはなかなか生まれてこないんですよね。全体としてまだそこまで考える必要がないと思われているからでしょうけど。
 ですが、そこを豊かに想像して掘り下げ、人々に気づかせたり考えたりを促していくことをできるのがSFですし、そんな役割も担っているのだと思います。もちろん娯楽として楽しく。(笑)
雀部 >  橋元先生、八杉先生、お忙しいところインタビューに応じていただきありがとうございました。
 八杉先生、引き続き今度はゲストとしてもう少しだけご協力をお願いします。

[八杉将司]
1972年生まれ。兵庫県姫路市出身。九州国際大学法経学部法律学科卒。
2004年、第5回日本SF新人賞受賞作『夢見る猫は、宇宙に眠る』で作家デビュー。
他の著作に『光を忘れた星で』『Delivery』、アニメのノベライズである『楽園追放』がある。
日本SF作家クラブ公式ネットマガジン「SF Prologue Wave」初代編集長。
書籍になってない作品は、岡和田晃氏の制作である2015-02-10の「八杉将司作品リスト」が詳しい
八杉先生の"twitter"
[雀部]
対談の中でも出てきたのですが、電子書籍を買うに当たって悩ましいのが発行元の撤退。なんらかの保証があればましな方で、ある日突然購入した書籍が読めなくなる場合も。Amazonは最大手なので、まず潰れる心配は無いとは思いますが。私はもっぱら「honto」を利用してます。割引セールが良くあるし、まれには全製品5割引セールがあったことも。その時は確か5万円分(値引き後価格25千円)買ってしまいました。う〜ん、まんまと思惑にはまったのかも(汗;)

まなざしの街 八杉将司

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