Author Interview
インタビュアー:[雀部]
『七十四秒の旋律と孤独』
  • 久永実木彦著/最上さちこ装画
  • 東京創元社
  • 1800円,Kindle版1710円
  • 2020.12.25発行

収録作:

「七十四秒の旋律と孤独」

以下《マ・フ クロニクル》シリーズ

「一万年の午後」「口風琴」「恵まれ号 Ⅰ」「恵まれ号 Ⅱ」「巡礼の終わりに」

第八回創元SF短編賞受賞作「七十四秒の旋律と孤独」をはじめ、人類が滅亡したあとの宇宙で、ヒトの遺した教えと掟に従って宇宙を観測し続けるロボットたちの日々を綴る連作《マ・フ クロニクル》の全六編を収録。永遠の時を生きる美しいロボットたちと、創造主である人間をめぐる新たな神話がここに。

「七十四秒の旋律と孤独」
  • 久永実木彦著/加藤直之イラスト
  • 東京創元社
  • Kindle版198円
  • 2017.7.28発行
  • 第8回創元SF短編賞受賞作

〈空間めくり(リーフ・スルー)〉と呼ばれる時空転移技術が開発され、宇宙交易が活発になった未来。

紅葉は宇宙貨物船グルトップ号にクルーの一員として乗り込む朱鷺型のAIを搭載した人型戦闘兵器。彼は、〈空間めくり〉の際の人間が認識できない七十四秒の閉じられた時間内で貨物船を襲撃から守っている。しかし、運行開始から一度も襲撃を受けたことのないグルトップ号の乗組員たちは、紅葉のことを“空焚きのポット”と揶揄し、その存在をほとんど無視していた。自らの存在意義に疑問を持つ紅葉だったが、あるときグルトップ号が〈空間めくり〉中に海賊に襲われた。

加藤画伯による、表紙画がなんとも格好良いですね。この戦闘タイプのロボットと、短編集の書影(最上さちこ装画)からうかがえる可愛らしいロボットとの対比が内容にどう関係しているかも読みどころの一つです。

「愛猫、おやつ」
  • 久永先生談:
    以前、うちに「ごはん」と「おかず」という猫たちがいまして、それでこの子は「おやつ」です。最高に可愛い子に、最高に可愛い名前をつけてしまいました。
「おやつ」って面白い名前ですよね。

『七十四秒の旋律と孤独』という題名についても、「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」(『時を歩く 書き下ろし時間SFアンソロジー』収録)に、“ブラッド・ボトルの正式名称は漢字で書いて七十四文字もある”とあるとおり、七十四という数字に意味があるのですよ。どうも知る人ぞ知る「謎の数」であるみたいなのですが(笑)

スマホ等で書影が表示されない方はこちらから

雀部 >

今月の著者インタビューは、「七十四秒の旋律と孤独」で第八回創元SF短編賞を受賞された久永実木彦先生です。久永先生初めまして、よろしくお願いいたします。

久永 >

よろしくお願いします。

雀部 >

連作短編集『七十四秒の旋律と孤独』は、第42回日本SF大賞最終候補に選ばれましたが、結局大賞は、『大奥』(よしながふみ作)が受賞しました。候補作の中で高山羽根子先生と高野史緒先生は、著者インタビューをさせて頂いたことがあるし、『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』の脚本は円城先生とあって、どの作品を応援したものかと(汗;)

よしながふみ先生がモーニング誌で連載中の『きのう何食べた?』も楽しみに読んでいるし、実は隠れファン。毎週読みたい(汗;;)

久永 >

わたしもよしながふみ先生のファンです。『西洋骨董洋菓子店』でファンになりました。『きのう何食べた?』もとても好きです。『大奥』が大賞をとってよかったです。

雀部 >

もちろんSFファン的には『七十四秒の旋律と孤独』がイチオシだったのですが、SF大賞という賞の性格を考えると(汗;)

その意味では「第42回日本SF大賞:選評冊子」のなかの、草上仁先生の選評「実は、個人的には最も楽しめたし、大賞に推した作品だった。」には同意を得たりの思いでした。と、それに続く「詩情と驚きに満ちた物語は美しく、独立したエピソードが緊密に呼応する構成も、計算された省略も見事で酔わされる。視覚的であると同時に小説である必然性も備えている。」には大きく頷きました。

久永 >

選評冊子をひらくのが怖くて、一日くらい部屋の隅に置いて遠目にながめていました。酷評の嵐だったらどうしようと(苦笑)

しかし、読んでみると勇気の出る選評ばかりで、とてもありがたかったです。とくに草上仁先生からは身に余るお言葉をいただき、心も体も震えました。大賞に推してくださった方がいたということに大変救われましたし、「ライバル視させていただく」とも書いてくださっていて。あまりのことに真に受けていいものかまごついてしまうのですが、いただいた期待には今後の作品で応えていきたいと思っています。

雀部 >

表題作の「七十四秒の旋律と孤独」は、特に映像的な感じがしたのですが、お好きなアニメとかはおありでしょうか。というのは、昔タツノコプロ製作の『宇宙の騎士テッカマン』(1975)というのがありまして、強化スーツを着て宇宙船(巨大ロボット)の上に立つ姿が「七十四秒の旋律と孤独」とダブって。あと、超空間飛行は、まっすぐな線を何重にか畳んでそこを通り抜けるという説明シーンがありました。

久永 >

「七十四秒の旋律と孤独」を書くうえで意識はしていませんでしたが、『宇宙の騎士テッカマン』は子供のころ再放送で観ていました。そういえば「一万年の午後」に虫を踏み潰すシーンがありますが、リメイクの『宇宙の騎士テッカマンブレード』(1992)でもラダムの寄生虫を踏み潰していましたね。こちらも意識はしていませんでしたが、かなり好きなシーンです。深層意識で『七十四秒の旋律と孤独』と『テッカマン』はつながっているのかもしれない(笑)

雀部 >

まあ、そこらあたりは全部繋がりがありそうです(笑) わたしたちの世代では、小学生の頃のモノクロ版アニメ「鉄腕アトム」が原点ですが。 

久永 >

子供のころ好きだったのは『リボンの騎士』、『キャンディ・キャンディ』、『機動戦士ガンダム』、『銀河鉄道999』、『聖戦士ダンバイン』、『機動戦士Zガンダム』、『超獣機神ダンクーガ』、『蒼き流星SPTレイズナー』などなど……書ききれないですね(笑)

当時は録画機器なんてなかったので、カセットテープに音声を吹きこんで、台詞をノートに書き起こしたりしていました。ちなみに初恋は『機動戦士Zガンダム』のフォウ・ムラサメです。死んでしまったときは本当に悲しくて、しばらくふさぎこんでいました。

雀部 >

先日地元のデパートに行ったら、手塚治虫版画展をやっていて、『リボンの騎士』もありました。『0マン』が無かったのが残念でしたが、まあ一枚7万円だったのであっても買わないか(汗;)

ガンダムあたりから、息子世代かなあ。孫の名前はキラ(燦)といいます。もちろんあのキラです(笑)

久永 >

ヤマト的な感じですね。素敵なお名前だと思います。

小学六年生になってようやくわが家にビデオ・デッキが来たのですが、そのくらいのタイミングでちょうど『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』という素晴らしい作品がテレビ放送されまして、このふたつを録画したビデオテープは本当に擦りきれるくらいくりかえし観ました。

そして、中学生になって以降は『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』と庵野秀明作品にどっぷりでした。いちばん好きなのは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』です。『シン・エヴァンゲリオン』もよかったのですが、わたしにとって最高のエヴァンゲリオンは旧劇場版です。

宮崎駿監督ももちろん好きです。どれも素晴らしいのですが、後期の作品のほうがいいですね。お気にいりは『風立ちぬ』です。ああいう、善悪や正邪を超えた美しいものに惹かれるんです。声優としての庵野さんも完璧でした。

雀部 >

そういえば、「小説すばる」掲載のエッセイでも憧れの作家として「スティーヴン・キング、村上春樹」、敬愛する映画監督として「M・ナイト・シャマラン、庵野秀明」をあげていらっしゃいましたね。

久永 >

スティーヴン・キングと村上春樹はロー・ティーンのころから好きで、人生のほとんどの期間をおふたりの小説とともに過ごしてきたという感覚があります。心の師匠といっていいですね。わたしのつくる物語や文章には、おふたりからの影響が少なからず反映されていると思います。それは作法を真似るというよりは、スティーヴン・キングと村上春樹に育てられた人間として、おのずとあらわれてしまうしるしのようなものかもしれないですね。

ちなみにおふたりの作品はどれもみんな好きなのですが、強いてひとつずつあげるとするなら、スティーヴン・キングは『ザ・スタンド』、村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』でしょうか。でも『IT』も好きだし、『1973年のピンボール』もいいな。それに、あれも、これも……。すみません、やっぱりひとつに絞るのは無理なようです(苦笑)

雀部 >

ほんとにお好きだというのがビンビン伝わってきます(笑)

久永 >

映画も大好きで、よく観ています。M・ナイト・シャマランはとくにお気にいりの監督で、これはスティーヴン・キングや村上春樹とも共通するところなのですが、日常の一歩向こう側にある異界を描いてくれるのが魅力です。『アンブレイカブル』、『サイン』がとくに好きです。運命がテーマになってるのがいいですね。

また、『インデペンデンス・デイ』で有名なローランド・エメリッヒ監督もお気にいりです。『2012』はもっとも偏愛する映画のひとつですね。エメリッヒ作品はとにかく破壊、という感じなのですが、わたしはものが壊れて内側があらわれることに美しさを感じるんです。

庵野秀明監督が好きなのも、破壊の描写の美しさというところで共通しているのかもしれません。先ほども触れたように十代のころはひたすら庵野作品を観ていましたから、庵野さんがわたしの青春を完全に決めてしまったといっても過言ではありません。オタクとしての青春ということではありますが(笑)

でも『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』を観ると、オタクとして生きてきたことの喜びを感じるので、ちゃんと責任はとってくれているんだなと思います。

雀部 >

庵野先生は、SFやSFコンとも関係が深く知らない人はいないし、作品にはみんなお世話になってますね。オタクとしては神様クラス(笑)

では、お好きなマンガとか漫画家はどうでしょうか?

久永 >

わたしは漫画が大好きで、じつは高校時代に漫画研究部の部長をしていたんです。『うる星やつら』、『ふしぎの海のナディア』などの二次創作や、オリジナルのファンタジーものを描いて、コミケなどの同人誌即売会にサークル参加していました。だったら、どうして漫画家じゃなくて小説家になったのか、ときかれることがありますが、漫画家はいまも目指しつづけているので……(苦笑)

好きな漫画家はなんといっても荒木飛呂彦先生です。小学生のときに親から漫画を禁止されていたのですが、運命の神さまがそんなわたしのために歯医者の待合室にそっと『ジョジョ』の第一巻を置いてくださいまして(笑)

ディオにキスされたエリナさんが泥で唇をぬぐうシーンを読んで、子供ながらに感動したことを覚えています。『ジョジョ』はどの部も好きですが、強いて一番をあげるなら『ストーン・オーシャン』かな。ラストシーンがとても美しいんですよ。そういえば、こちらも運命がテーマですね。いつか、『ジョジョ』のスピンオフ小説を書くというのが夢のひとつなので、荒木先生、集英社のみなさま、よろしくお願いいたします(笑)

雀部 >

それは、《ジョジョ》をセレクトした歯科医院に感謝しなくてはですね(笑)

スピンオフ作品を描かれたら、ぜひ集英社に持ち込みしてくださいませ。

少年ジャンプ誌はかれこれ50年弱くらいは購読しているのですが、ウルトラジャンプまでは読んでないので、私の一番は能力の奇想天外さを買って「黄金の風」です! ジョジョを好きな作家の先生、多いですよね。

久永 >

独特なスタイルに惹きつけられますよね。語りにキングや村上春樹に通じるところがあるようにも感じます。ちなみに「黄金の風」はアバッキオのエピソードがとくにお気にいりです。

ほかに好きな漫画は山本鈴美香『エースをねらえ!』、萩尾望都『トーマの心臓』、高橋留美子『うる星やつら』、市川裕文『混淆世界ボルドー』、山口貴由『覚悟のススメ』、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』、諫山創『進撃の巨人』、藤本タツキ『チェンソーマン』などなど……やっぱり書ききれません。抑圧されていた反動が見事に出ていますね(苦笑)

雀部 >

おお、王道ですね!(笑)

久永 >

ちなみに、萩尾望都先生の作品はどれも好きなのですが、はじめて読んだ『トーマの心臓』が特に印象深くて、わたしの「一万年の午後」はあのギムナジウムの雰囲気が出せたらと思って書いたところもあります。なので読者の方から「萩尾望都の絵柄が思い浮かんだ」という感想をいただいたときは嬉しかったですね。

雀部 >

あ、あ~っ、そうか萩尾先生のギムナジウム! なんで思いつかなかったんだろう(汗;) 『トーマの心臓』の冒頭、喧嘩ばかりしている印象が強いからかな(笑)

久永 >

十代の終わりのころに小学館からマーベル・コミックスの『X-MEN』日本語訳版が出て、そこからはアメコミにもハマっていきました。好きなキャラクターはプロフェッサーXです。敵役のマグニートーとの関係性があまりにもいいですね。2017年に開催された「東京コミコン」にスタン・リーが来たときに、いっしょに写真を撮ってもらってサインもいただいたのですが、本当に感無量でした。

『X-MEN』のほかには、アラン・ムーア『ウォッチメン』や、最近のものだとグウェンドリン・ウィロー・ウィルソン『ミズ・マーベル』が好きです。『ミズ・マーベル』、物語はもちろん、エイドリアン・アルフォナのアートも素晴らしいんですよ。このふたつは映像化されたものも非常にいいです。

映像化というところでいうと、もちろんMCU、DCEUの作品群にも完全にハマっています。映画・ドラマも込みで好きなキャラクターは、バッキー、ロキ、カマラ、ワスプ、オジマンディアス、フラッシュ……これまた書ききれない(苦笑)

そしてやっぱりプロフェッサーXですね。プロフェッサーはパトリック・スチュワートも、ジェームズ・マカヴォイも、どちらも最高です。

雀部 >

プロフェッサーXですか。私も敵役のマグニートー好きです。敵役が魅力的なお話は絶対に面白い!

『ウォッチメン』は、ちょっと異色でしたが面白いです。一巻にまとめられた日本語版コミックは、出たときに直ぐに購入しました。

巻末の解説で牧眞司先生もふれられていたコードウェイナー・スミス氏はお好きなのでしょうか?

久永 >

コードウェイナー・スミスは読んでいないんですよ。牧眞司先生が触れられていたのもあって読んでおかないととは思っているのですが、義務感があるとかえって読めなくなる性分でして。でも、『七十四秒の旋律と孤独』が刊行されてから一年半がたちますし、そろそろ義務感も薄れてきたので(笑) 近いうちに読めたらと思います。

雀部 >

ぎゃ、なんとコードウェイナー・スミスとは関係なかったんですね(大汗;)

まあ、《エヴァンゲリオン》シリーズには、SFのエッセンス、とりわけ《人類補完機構》シリーズの影響がてんこ盛りだから、あながち間違いとも言えないか(汗;)

ということは、マ・フ クロニクルの背後には人類補完計画的なものは存在していないのですね。

久永 >

ある世代を超えたマ・フの意識にはなにやら先があるっぽいですよね。高次領域を知覚できることとも関係あるかもしれません。このへんはスピンオフなどで書くかもしれないので詳しくは秘密です。

雀部 >

ワクワク(笑)

もっとも、元々は補完計画というよりも、宗教的なものを感じていたんです。とくに、“「マ・フ」たちは原罪を持たない知性体として生まれたのでは?”との想いがありました。

久永 >

マ・フ クロニクルは宗教を意識して書いてるところもあります。たとえば儀式的なルーティーンや、過去の出来事が改変されて神話になるところなどです。

また、“ロボットには魂があるのか”という問いや不安にたいする、“ロボットはロボットなりの宗教を持とうとするのではないか”、という考えは「七十四秒の旋律と孤独」のころから頭にありました。

マ・フが原罪をもたないのはそのとおりだと思います。

雀部 >

原罪を持たないマ・フたちが、事故とはいえ仲間の破壊の原因となり、身を守るために創造者である人間を殺めたりするのも宗教的なエピソードですよね。「巡礼の終わりに」ではマ・フと人間の立場が逆転してますし。ここらあたりもクロニクルが宗教的な歴史を描いていると感じている要因でもあります。

久永 >

意識していたところなので、そう感じてもらえて嬉しいです。現実の歴史にもこういった逆転はたびたびあったのだろうと思います。

雀部 >

それが神話なり経典になってしまうと。

ラストでエドワードが植物と一体化して惑星Hと人間たちを見守る存在となり、スティーブは地底の奥深くで人間たちを滅ぼそうとする存在になっていくことが示唆されますが、これはそのまま神(見守ってくれてはいるが積極的に何かをしてくれるわけではない)と堕天使(人類に害をなす)ですよね。ここらあたりの描かれ方も、う~ん、上手いなあと唸ったところです。

久永 >

ありがとうございます。人類を助けてくれていたナサニエルがいなくなって、中立的・自然的なエドワードと敵対的・悪魔的なスティーブが残りました。そうしたなかで人間は自分の力で歩いていかないといけない。そのために人間は新しい神を自ら造るかもしれない。そうしてまた歴史がまわっていくのかもしれない。

雀部 >

翻訳されて、キリスト教圏の読者に読んでもらったらどんな感想を持つかとても興味があります。

翻訳の話は出てないのでしょうか?

久永 >

お待ちしております、ということで(笑)

特定の宗教ということにかぎらず、外国の方の反応には興味がありますね。

雀部 >

ここからは、読んでいてよく分からなかったところの質問です。すいません(汗;)

「おあつまり」とか「おやすみ」という言葉(小学生低学年くらいまでで使っているような)を使われているということは、読者にどういう効果を与えようとしているか今一分かりませんでした。で、背後に人類補完計画的なものがあって、マ・フたちや人間が愚鈍化しても内容がわかるように簡単な単語を選んだのかと(汗;)

久永 >

マ・フたちはあらかじめインストールされたデータとしての言葉を、経験にあてはめて使っています。経験がまずあって、そこから言葉をつくるのとは逆の流れですね。なので、人間がきいたときに違和感を覚えるような使い方もあって、とくにいくつかの言葉についてはマ・フの純粋さ、幼さが顕著に出てしまう。というのが設定上の理由です。

執筆する際には、最初に「おでかけ」があり、そこから「おやすみ」、「おあつまり」と決めていきました。「一万年の午後」を書くにあたって最初にあったイメージが、球体関節人形のようなロボットたちが人間のいない自然のなかを連れだって散歩しているというものだったので「おでかけ」としたのですが、マ・フたちは何も知らないままいいつけを守って行動しているという意味では小さな子供のような存在なので、そこともマッチしていると思っています。

雀部 >

書影のマ・フたちのような形態ですね。なるほどそっちから来ていたのか。

もう一つ、人間たちが赤溶病から復活して、1万年経っても電気関係に無知なままということは、赤色体になると、愚鈍化、獣化してしまうのを示唆しているのかなとも想像していたんですよ。

久永 >

「巡礼の終わりに」は人間たちが赤溶病から復活して400年後くらいの話ですね。巫子の紅葉が、寺院で毎朝おこなうお集まりのなかで明言しています。人間が認識している歴史は真実と嘘が混ざっていますが、この400年という数字は比較的正しいものです。

流れとしては「恵まれ号」の話のあとにふたたび人間たちが赤色体になり、ナサニエルが一万年かけて赤溶病の治療薬をつくり、そのおかげで人間が赤色体から元のかたちをとりもどして400年という感じです。人間たちはこの400年のあいだに少しずつ数を増やし、文化的な暮らしを取りもどしました。

雀部 >

あちゃ。勘違いですね(大汗;)

ジョン・リィーとグァラは論外として、オク=トウも、マ・フたちに対して結局は完全に上から目線で、SFファンとしては許しがたい存在です(笑)

ナサニエルが去った後で人間たちがどうなっていくかについても興味津々で、スピンオフに期待してます。

久永 >

マ・フは人間に創られたものではありますが、自分たちで考えることができ、自分たちの意思をもっています。創ったものと創られたものの関係であっても、人間がマ・フを支配していいとは思いません。にもかかわらず、人間の多くがマ・フはあくまで人間に奉仕するものだという認識をもっているし、マ・フの側も人間を創造主として崇拝している。そこに悲劇がある。こうした不幸は現実の親子の関係にもたびたび見られるものだと思います。

これから自律的に考えることのできるロボットやプログラムが現実にあらわれてくるなかで、人間が彼らとどのような関係を築くべきかという議論は、これまで以上になされることになるでしょう。おっしゃるとおりジョン・リィーたちにくらべたら、オク=トウはある程度そういった価値観のアップデートができているように見えるのですが、じつはマ・フが好きなのではなく、マ・フに優しい自分が好きなだけなのかもしれません。いざとなれば彼らを見くだして「こっちはせっかく優しくしてやったのに」みたいなことをいってしまう。そういう邪悪さがあるんです。

雀部 >

久永先生の略歴とか自己紹介の所には必ず「愛猫家・愛妻家」であられることが記されていますが、猫と付き合うことと作家業の関係はどうなのでしょうか。

というのは、NHKのEテレで『ネコメンタリー 猫も杓子も。「神林長平とビタニャ」』という番組を見たからなのです。番組中では“猫なしでは作家になってない”とか“いつか猫になりたい”とおっしゃられていました。ビタニャは二匹目の猫で、もの書く人のかたわらにはいつも猫がいたと。まあ猫は執筆の邪魔しかしないともおっしゃられてましたが(笑)

久永 >

わたしも猫になりたいです(笑)

わたしは妻さんと猫がいなければ、いま生きていないと思うので、そういう意味では猫なしでは作家になっていなかったといえるかもしれないですね。作家業との関係というより、人生とか愛の話になってしまいますが、いまのわたしをつくったのはまちがいなく妻さんと猫です。

うちの猫はおやつというのですが、世界でもっとも可愛い生きものなんですよ。たまにツイッターに写真を載せていますので、よかったら見てください。甘えん坊な性格で、いつもわたしと妻さんにくっついています。執筆のときに傍らでごろごろいって寝ていることがあるのですが、そのときがいちばん原稿に集中できるんですよ。いわゆるホワイトノイズのような効果があるみたいです。キーボードの上で寝ることもあるので、そういうときは執筆どころではないのですが(笑)

雀部 >

「おやつ」君の写真は時々拝見してます(笑)

神林先生は“物語は、どうなるかわからないから書ける。ストーリーテラーではなくて、シチュエーションテラーである。”とも。《戦闘妖精・雪風》なんかは、まさにそんな感じがします。

久永先生の《マ・フ クロニクル》も、最初から年代記を物語ろうとしたのではなくて、「七十四秒の旋律と孤独」の設定から必然的に生み出されたのではないかと感じたのですが、どうなのでしょうか。

久永 >

第8回創元SF短編賞をいただいたあとの打ち合わせで、編集者さんから「七十四秒の旋律と孤独」のつづき、あるいは同一の世界の話を書いてほしいといわれました。それで「七十四秒」の事件後に起きたマ・フの独立運動や人間との戦争の歴史について設定をつくっていったのですが、たまたまそのタイミングで球体関節人形たちが自然のなかをお散歩するイメージも浮かんでいたので、数万年先の未来を舞台にすればこのふたつをつなげることができるなと。なので、「一万年の午後」は偶然生まれたものですね。

一方で「一万年の午後」を書きはじめたときには、《マ・フ クロニクル》のラストシーンまで、おおよその物語はできあがっていました。もちろん書きながら変わっていったところはたくさんありますが、年代記的な構成は「一万年の午後」時点で決まっていたものです。

雀部 >

なるほど、最初の短編の時点で構成も決まっていたんですね。よくわかりました、ありがとうございます。

「七十四秒の旋律と孤独」で創元SF短編賞を受賞されるまでは、創作意欲というかモチベーションはどのようにして保たれていたのでしょうか。

久永 >

わたしはいつもなにかしら空想をしています。そうしなくてはいられないというか、わたしにとって空想は呼吸とおなじように、絶えず必要なものなんです。常に何人ものキャラクターの、いくつもの物語が頭のなかで進行していて、そうするとどうしてもなんらかの形で表現したくなってしまいます。わたしの空想の世界に彼らが生まれた証を、この世界にも残したいということなのかもしれません。本にしてくれ、と彼らがいうわけですね。ですから、わたしのモチベーションを保ってくれるのは、わたしの空想の世界の彼らであり、それらです。文章を書くのめんどくさいなと思うこともあるんですが、彼らの声は非常に大きいんですよ。

雀部 >

最後にアンソロジー等に収録されている短編群についてお伺いしたいと思います。

「帳尻が合う」(『ウカイロ9』収録)は、新一先生を彷彿させる壮大なスケールのバカSFで、その切れ味たるや、オールドSFファンも納得の面白さでした。(ネタバレありの感想はこちらに)

久永 >

あれは自分でも気にいっています。でもたぶんもう手にはいらないのかな?

当時たまたま星新一賞の告知を目にして、そこに『理系的発想力を問う』みたいなことが書いてあったんですね。それで、わたしだってそういうの書けるぞということを証明したくて(笑)

数字の差し引きがテーマになっていて、わたしの作品としては珍しいタイプかもしれないですね。読むとあんまり数字の話という感じはしないんですが。

雀部 >

「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」(『時を歩く』所載)は、言ってみればタイムパトロールものですが、なんと担当しているのは非正規職員というシュールさ。主人公が静かに狂っていく様が怖い短編で、待ちに待ったと言っても過言ではないです。

久永 >

ありがとうございます。こちらもけっこう気にいっている作品です。やっぱり主人公が破滅していく話はいいですね。小説の設定より年齢が上になりますが、イーサン・ホークとピーター・ディンクレイジのダブル主演で映画にしてほしいです。ハリウッド関係者のみなさんのご連絡をお待ちしています(笑)

雀部 >

「ガラス人間の恐怖」(『SCI-FIRE 2021』所載)は、全人類の皮膚がガラス化するという大爆笑お馬鹿SF。

「男性撤廃」(『2084年のSF』所載)は、全男性が冷凍睡眠状態になって世界から排除された世界の話。

この二作品と《マ・フ クロニクル》を読んで感じたのは、“男ってやつは、なんともしょうがない性だなあ”という作者の諦観とともに、男と人類を見守る温かい眼差しでした。

アメリカの銃撃事件(日本でも元首相が銃撃されましたが)などを見聞きするにつけ、確かに男が居なければ暴力犯罪はもの凄く減るだろうなというのは衆目の一致するところだと思います。

「男性撤廃」のラストでは、男性が居なくなった世界はより良くなったに違いないという考えと、解凍された男性の悟ったような物静かな様子が対比されていて、男性全てを冷凍にしてしまったのはそれで本当にそれで良かったたのかという密かな疑問も投げかけられています。冒頭で、鳥型の個人防衛用品が登場するのも、女性だけの社会でも人間の暴力性は全て排除出来たわけでは無いことを示唆していて象徴的でした。

久永 >

実際、男性にたいしてうんざりするところはありますね。ですから「男性撤廃」はひとつのユートピアだと思って書いています。そのうえで、ユートピアというものはなにかを犠牲にして成立しているのではないか、悪しきものだからといって凍結して地下に埋めるのが本当に正しいことなのか、ということもあわせて書いておきたかった。

個人防衛用品のことをいうと、あれは劇中の描写どおり結局ほとんど使われていないんですよ。ペット的なニーズが強くなっているのも、そういう理由です。それでもああいうものが必需品として存在するのは、AIが暴力にたいする忌避感を煽っているんじゃないかと思いますね。それはそのまま男性への忌避感につながりますから、AIとしては思いどおりに政策を進めやすいわけです。だからまあ、やっぱり男性がいなくなって暴力は激減しているわけですね。

「ガラス人間の恐怖」も、女性は新しい世界で前に進んでいるのに、男性は原始的な欲求にかられて破滅するというラストになっています。やっぱり、女性が中心になったほうがユートピアに近づくんですよ。だから、凍結されないように男性も変わっていきましょう、という。

雀部 >

久永先生は、現在のような競争と排除が錯綜しているが文明は発達していくダイナミックな世界と、競争が無く停滞はしているが文化は豊かな世界だと、人類にとってどちらが望ましい世界だと思われますか。それとも?

久永 >

あらゆる意味で人類は速度を落としたほうがいいのではないか、ということはよく思います。食事の面でいっても、現代人は糖分だの塩分だのを摂りすぎですよね。でも、一方で生クリームたっぷりのパンケーキを食べたいという気持ちもあるわけです。分厚いステーキに岩塩をたくさんふりかけたい。サングラスをかけて岩塩を肘からぱらぱらとかけまくりたい。そういう欲望から離れられない自分がいるし、そのことを否定してしまうと人生が面白くない気もする。

藤本タツキ先生の『チェンソーマン』にイソップ寓話「田舎のネズミと都会のネズミ」のたとえが出てくるのですが、どちらにしてもマキマさんに殺されるんですよね(笑)

だから、どちらかに決めるのは無理なんじゃないかなと思いますし、そのとき、その場所で、ひとつずつ考えていくしかないんじゃないかなと。

それから、話がめちゃくちゃ逸れるのですが、せっかくなので『チェンソーマン』のパワーちゃんが大好きだということはいっておきたいと思います。いま一番好きなキャラクターですね。ちがうといえばちがうのですが、うちの妻さんにもパワー的な要素があって。だから、ああいう人が好きなんだと思います(笑)

雀部 >

今回はお忙しい中著者インタビューに応じて頂き誠にありがとうございました。

《マ・フ クロニクル》シリーズの新たな展開に期待しています。

久永 >

こちらこそありがとうございました。好きなものの話をたくさんできてよかったです。機会があれば今度は『ゲーム・オブ・スローンズ』だとか『LOST』だとか『ママと恋に落ちるまで』だとか、海外ドラマの推しについて語ります(笑)

雀部 >

『ゲーム・オブ・スローンズ』だとか『LOST』とか、『ラストシップ』や『ドーム』等々も(笑) ま、各《スタトレ》は当然として。

ま、一番よく見ているのシカゴ四部作とか(メッド、P.D.、ファイアー、ジャスティス)、その他刑事物なんですが。今見ているのは、《ルーキー》、《リゾーリ&アイルズ》、《クリミナル・マインド》(再放送)。WOWOW、FOX、AXN、スーパードラマTVあたりですね。すみません、話題が飛んで(汗;)

最後に、かまわない範囲で現在の執筆状況とか出版予定をお教え下さい。

久永 >

8月12日発売の「紙魚の手帖vol.6」(東京創元社)に「わたしたちの怪獣」という短編が掲載される予定です。

お盆の日に妹が父親を殺してしまうのですが、おなじタイミングで東京に怪獣があらわれまして、それで姉が妹の殺人を隠蔽するために、父親の死体を怪獣の暴れる東京に棄てにいくという物語です。怪獣パニックあり、死体遺棄のサスペンスあり、姉妹の絆ありという感じで、とても面白い作品になったと思いますので、よかったら読んでください。

また、しばらく前から魔法使いが登場するファンタジーものの長編を書いています。完成までもう少し時間がかかるかもしれませんが、こちらも面白いので楽しみにしていてください。

雀部 >

「紙魚の手帖vol.6」、予約しました。その展開は、木を隠すには森の中にですね(笑)

魔法使いものも楽しみにお待ちいたします。

[久永実木彦]
小説家。愛妻家。愛猫家。「七十四秒の旋律と孤独」で第8回創元SF短編賞を受賞しデビュー。同作を表題作とする連作短編集で第42回日本SF大賞最終候補。Twitter
[雀部]
「久永実木彦先生著者インタビュー関連本」で取り上げているとおり、ユーチューバーでもあられる久永先生の「読んで実木彦」シリーズも、とても面白いのでぜひご覧下さい!
なお「久永実木彦先生著者インタビュー関連その2(ネタバレ注意!)」は、題名通り各短編の粗筋(ネタバレあり)です。読後の参照をお薦めします(汗;)