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シャンダイア物語

第三部 海洋民族の島
第一章 双子の怪人

福田弘生

 航海二十五日目
 
 まだ風は冷たいが、風が無い日は気温が高くなってきた。ザイマンの五隻の高速艇は、ブライスとセルダン王子の仲間を乗せてここまで順調に航海を続けている。これまでは特に大きな事故や航行に支障をきたすような悪天候には会っていない。それにしても、海にこれほどたくさんの人間が住んでいるとは思わなかった。船が立ち寄る小さな島の一つ一つに村があり、私達は食べ物をそこで補給している。海辺の村人はおおらかで優しい。私のサルパートとは違う世界がそこにあるという事をしみじみと実感する時だ。
 ああ、またブライスが大声で笑っているのが聞こえる。海に戻ってからのブライスのはしゃぎようはいささか異常に見える。「これで安全だ」が彼の口癖だが、私から見れば、海の上よりも山の上のほうがはるかに安全だと思う。
 出発の前夜にエイトリ神がくださった五つの「溶けない氷の箱」はとても重宝している。大切な薬草や一部の野菜の鮮度が落ちないので、長い航海で起こる様々な事がらに十分に対処する事ができる。なにより私が隠しているチョコレートが溶けないのが素晴らしい。溶けたチョコレートはなさけないものだ。

(スハーラ・レリスの航海日誌より)

 マルバ海の海賊王ドン・サントスは、その日はいささか不機嫌だった。つけ狙っていたソンタールの商船団を、横からバルトールのマスター、メソルの海賊船に横取りされてしまったのだ。海賊らしからぬ灰色の立派な軍服を着た長身のサントスは、くわえていた上等の葉巻を噛み締めた。この海賊の頭目は海の男にしては珍しく身だしなみがよく、髭も毎日短く刈り込んでいる。顔は赤銅色に日焼けしているが、四角く厳しい顔には気品すらうかがえて、そのまま王宮の高官の列に並べても違和感は無いだろう。
(あの不思議な女は、どうやって俺達の気が付かないうちに船団に近づいたのだろう。きっちり船団の後をつけていた俺の、まさに目の前だ。忽然とソンタールの商船の横にメソルの船が現れて、あっという間に襲って去っていった。あそこまで見事にやられては追う気にすらなれねえ)
 今、サントスの六隻の海賊船団は、根拠地があるグーノス島からはるかに西、ちょうどザイマンとソンタールが一番近づいたあたりを航行している。
(確かにここはメソルの活動範囲だが、何か仕掛けがあるのだろうか。それともソンタールの魔法使いとでも手を結んだか)
 現在ソンタールの南の将とザイマンのドレアント王がにらみ合っているため、マルバ海は事実上海賊の天下だった。マルバ海最大の海賊の頭目サントスと、ザイマンに根拠地をおくマスター、メソルはマルバ海をめぐって協力したり、対立したりしながらソンタール・シャンダイア両勢力の船に海賊行為を行っている。マルバ海の表の世界を、南の将とザイマンが二分しているとすれば、裏の世界はサントスとメソルが二分している事になる。そして両者は、この半年ばかりは対立状態にあった。
 このあたりは、かつてはサントスの支配海域だった。しかし、着々とメソルの勢力が拡大してきている事をサントスは感じていた。
「ちくしょうメソルめ、二年前、あいつに頼まれてカインザーにあの不思議な小僧を運んだ時から運がおかしくなってきちまった。利発ですばしっこいガキだったが、あの小僧っ子が何かこの船に細工でもしたんだろうか」
 その時、サントスの部下が頭上の見張り台から叫んだ。
「前方に鳥の群れが見えます」
 サントスが気がついて遙か彼方の空を眺めると、沢山の鳥が舞っている。
「コッコだな、南の将の鳥か」
 やがてその鳥の大軍の下に無数の船影が見えた。海賊達が動揺した。
「グルバの艦隊だ。凄い数だ。お頭、早く逃げましょうぜ」
 サントスは首を振った。
「いや、あれだけの数を出すのにはそれなりの理由があるはずだ。おれたちにゃあ目もくれねえほどのな」
 サントス達が見守っていると、グルバの大艦隊の向こうに、これも水平線を埋める艦隊が見えてきた。
「ドレアントだ。息子がいない間に好き放題って所だな」
 部下が心配そうにサントスを見た。
「やるんでしょうか」
「いや、見たところ両方とも五十隻程度だ。グルバもドレアントもゆうにあの四倍のガレー船を持っているはず。これはいつものにらみ合いだ。どちらかが決定的な優位に立ったと判断するまでは海戦はやるまい。痛み分けはどちらもマズイ」
「そうなんですか」
「ああ、グルバには身内に敵がいる。ここでズルズルとドレアントと戦っているうちにユマールの将ライケンにソンタールの制海権を奪われちまうかもしれん。ドレアントも同様だ。勝たなきゃ次の再起に時間がかかる」
 海賊達が見守るなか、両艦隊は静かに睨み合っている。サントスは船べりを叩いた。
「見てみろ。グルバの船団には化け物鳥のデルメッツがいない。魔法使いザラッカがいねえって事だ。ザイマン側の本命もブライスだ。そろそろどの船乗りもブライスをかつぐ時が来たと思ってる」
 サントスの見た通り、両艦隊は徐々にその間隔を広げていった。
「この先どうなるんでしょうね」
「いつかやる。どちらかが勝てるとふんだ時にな」
「そんな時が来やすか」
「ああ、どうやらサルパートのマキア王が北の将を倒したらしい。そうなればブライスがこっちに帰ってくる。ザイマンはその時にグルバに総攻撃をかける」
「勝てるでしょうか」
 サントスは部下を見た。
「ザイマンだけでは無理だ。だがシャンダイアは今、勢いがある。西の将を追い出し、北の将を倒した。カインザーの狂戦士があの大陸から流れ出している。その流れをザイマンが取りこめればあるいは勝てるかもしれん」
「おれたちはどうします」
 海賊王は高らかに笑った。
「おれたちゃあおめえ、海賊よ。どっちが勝とうが関係ねえ。今はまずメソルのアマを懲らしめてやる方法を考えねえとな」
 部下達はほっとしたようにうなずいた。
「でさあね。二度と逆らえねえように思い知らせてやりましょう」
「ああ、きっちりとな」
 そう言ってサントスは葉巻を海に投げた。

「海に流れがある事は知ってるよな」
 ブライスが板に打ち付けた海図に描かれている矢印を棒でたたいた。ブライスの前の甲板には樽が並べられ、セルダンとスハーラ、それにベロフとアタルス達兄弟が神妙に腰掛けている。なぜか突然ブライスの海洋学教室が始まったのだ。
 海洋民族の王子は船がサルパートのアントワを出港した直後こそ防寒服を着ていたが、サルパートの陸地に沿って南下してユマール大陸の南をまわる航路に入った頃には、お馴染みの赤い袖なしのシャツに革のチョッキを着込んだいつもの海賊のような姿に戻っていた。頭にはエルディ神から授けられた銀の輪がはめられている。
「流れっていうと、川みたいなもの」
 カインザーの王子セルダンが不思議そうに質問した。やっと少年期を抜けた聖剣の守護者は今日もお気に入りの淡い水色の上下の服を着ている。そのシャツの袖は航海が進むにつれてまくり上げられていったが、ある日面倒がった王子がバッサリと剣で切り落としてしまった。ボサボサの切り口がほつれて、こちらもだんだん無法者じみてきている。
「まあ、そんなもんだ。とにかく海には流れがある。俺達はサルパート沿岸の北から南に流れる流れに乗って南下した。この流れはこのままエンレ海からマルバ海に、ユマールの南を通って流れ込んでいる」
「流れに乗っているという事は、この船も少しは早く動いてるって事」
「そういう事だ」
 樽のような巨体のブライスはそう言って矢印をたどった。
「流れはこの世界の海にはいくつもある。今、俺達が乗っている流れは、このまま乗っているとマルバ海のグーノス島の東に流れ下る。逆にザイマンからグーノス島の西に北上する流れもある」
 無関心そうな生徒達の中で、一人、セルダンだけは熱心だった。
「流れがぶつかる所はどうなるの」
 ブライスは太い両腕を広げた。
「素晴らしい。海の生き物があふれる海になっている。グーノス近海は漁業の宝庫だ。だが、現在そこは海賊の支配海域になっている」
「海賊」
「ああ、ユマールの将とザイマンが戦力温存で牽制しあっているうちに、海賊が力をたくわえてきてしまったんだ」
 それまで黙って聞いていたベロフが目を輝かせた。
「それは退治しないといけませんな」
「ああ、ドン・サントス。この名前を憶えておいてくれ。いつか叩き潰す」
 セルダンは話を変えた。
「ブライス、僕はこの航路を旅するのは初めてなんだけど、ずいぶんと地図に無い島があって、沢山の人がいるんだね」
「ザイマンの海図には載っているさ。おまえがいつも見てるのはカインザーの陸戦用の地図だけだろう。ちょうどいい機会だから勉強したほうがいいぞ。この星全体から言えば、カインザー航路よりはこちらの航行の方が遥かに賑やかなんだ。これからマルバ海に入れば船がさらに増える、ザイマンとセントーンの間、あるいはユマール大陸と南の将の要塞を繋ぐ航路には船が沢山行き交っているし、海賊も多い。そしてこの方角には」
 そう言ってブライスは南を指差した。
「未踏の大陸と呼ばれる大陸がある。いつも霧がかかっていて、船が近づく事ができない。しかも海流が大陸から流れ出すように流れている。その流れを調べた者すらいないんだ。もっとも有能な航海士は常に戦闘に駆り出されているからな。ソンタールとの戦いが終わったら、いつか未踏の大陸に足を踏み入れるのが俺の夢なんだ。ここにはなあセルダン、ソンタールとの戦い以外のもう一つの夢があるんだよ」
 セルダンが今度は隣に座っているスハーラに聞いた。
「ザイマンの海図にはすべての陸地と海が描かれているよね。あの全体は何という名前なの」
 スハーラは質問の意味がよくわからないようだった。
「この全体って」
「うーん、この星の名前って事になるのか。小さいころから大人たちに聞いてまわったんだけど、誰も答えてくれなかったんだ」
「それは無理も無いわ。だって星の名前は統治の神がつけるのだもの」
「統治の神というと、翼のマルトン神の事」
「そう。この星はアイシム神とバステラ神がお創りになって、統治の神に渡される事になっていたの。でも星が出来てすぐにバステラ神が姿を隠してしまって、そのうちアイシム神とバステラ神の勢力の間に戦いが始まってしまったので、まだマルトン神への引き渡しがちゃんと済んでいないのよ。当然、命名もされていないっていうわけ」
 ブライスもこの事は知らなかったようだった。
「そうなのか。俺も不思議に思ってたんだ。じゃあまだ名も無い星に俺達は住んでいるわけか」
 スハーラはちょっと得意げに答えた。
「そうなるわね。ところでブライス、私にも一つ質問があるの。私達はこの暑い中、どうして船室の外で授業を受けないといけないの」
「それは、その、気持ちがいいからさ」
 スハーラはツイと立ち上がった。
「でも日焼けするわ。私はこれで今日の授業をおしまいにさせてね」
 そう言ってスハーラは船室に戻っていった。ブライスはそれでも鷹揚に微笑んでいた。セルダンはブライスにたずねた。
「スハーラさん、怒っちゃったよ。それなのに嬉しそうだね」
「ああ。この気持ちをどう説明しても、ザイマン人でないおまえにはわからんと思うが、久々の航海が嬉しくてたまらんのさ。しかもおそらくこの星の上で最強の船に乗っているんだからな。カインザー、サルパートと続いた戦いの間中考えていたんだ。いいかセルダン。船の戦いというのは本質的に陸上の戦いと変わらない。戦闘になったら、相手の船に横付けして乗り移り、それからは白兵戦になる。ザイマンにはソンタールのように奴隷がいない。戦闘時の櫂も船員が漕ぐ。ようするに船乗りは優れた船員であり、漕ぎ手であり、戦士じゃなくてはいけなかったんだ。だが、カインザーとサルパートが解放された。俺達ザイマンの船はカインザーの戦士をのせて航行する事ができる」
 そう言ってベロフを見た。
「いま、この船には三十人の抜刀隊が乗っているよな。もし百人の海賊がこの船に乗り移ってきたとして、生き残るのは何人だ」
 ベロフは不思議そうな顔をした。
「敵が生き残る可能性があるとは思えませんが。もちろん生かす必要がある者がいれば、指定された者だけは残す事ができます」
「うむ。抜刀隊の実力からしてそのとおりだろう。だがいくらカインザーの戦士でも、オルドン王やトルソンの重戦士やロッティの騎兵は海戦には向かない。ベロフの抜刀隊を見たときにこれだと思ったんだ」
 ベロフは満足げだった。
「そうでしょうな。カインザーの九諸侯のうちで、船上の戦いに向いているのは私の抜刀隊。そしてバイルンの元にいる比較的海になれた戦士達と弓兵部隊でしょう。バイルン自身の強弓もなかなかのものです」
 ブライスが続けた。
「南の将の要塞を攻めるのにも、落とした後を守るのにも強い兵士が必要だ。バイルンの戦士団をごっそりザイマンとカインザーの艦隊に乗せて南の将と戦えば、あの海上要塞を制圧できるんじゃないだろうか」
 ベロフもうなずいた。
「ザイマンの技術を借りてカインザーで艦隊の建造が始まってから、もう一年以上になります。輸送船団くらいは編成可能でしょう」
「問題はゼイバーの艦隊だな。ソンタール大陸中央部のエルバン湖から流れ出すエルバナ河の河口付近は、ソンタール皇帝直属の海軍提督ゼイバーの艦隊が制圧している。たぶんバイルンの艦隊はまず真っ直ぐにザイマンに来て、ザイマンの海軍と合流してから、一緒に北上すればいいのだろう。セルダン、オルドン王にバイルンとその兵団の派兵の検討に入ってくれるように頼んでくれないか」
「わかった。まずザイマンまで運ぶんだね」
「そうだ。ところで、現在のカインザーの情勢はどうなっているんだ」
「サムサラにはカイトが城を築いている。これが元の北の将の要塞にいるマキア王とポイントポートのトルソンの両者の連携の要になるはず」
「適任だな。海のバイルン、陸のカイト・ベーレンス。この二人は物流を知っている。しかし惜しいな、できればカイトも南の将の要塞攻めに参加させたい。あの頭の回転の速さで要塞攻めの面白い方法を考えてくれるかもしれないのに。サムサラにはロッティとクライバーにそのまま残ってもらうわけにはいかんのか」
「それはあの二人の性格上無理。すでにさっさとサムサラ城を出たらしい。もうすぐポイントポートに着く頃だと思うよ。これでポイントポートにカインザーの主力が集結だ。この軍隊なら、海づたいに南の将の要塞を落とせないかしら」
「それは無理だ。エルバナ河が渡れない」
「ゼイバーの艦隊のせい」
「いや、単純に河幅だ。百キロはゆうにある」
 セルダンは驚いた。
「ひゃくきろ」
「そうだ。無茶苦茶な大河なんだ。ここからの戦いにはどうしても船が必要になる。ザイマンとカインザーの艦隊がな。ところでアシュアンはどうした」
「エラク伯爵とのんびり旅してるんじゃないかなあ、牙の道に温泉をつくるんだとか言ってたから、サルパートがけっこう気に入ったのかもね」
「確かにサルパートのきつい酒はうまかったなあ。しかし俺は温泉には行かんぞ」
「僕もそれは同じ」
 その後セルダンは、父に伝言を送るためにスハーラに相談しに行った。智慧の峰の巫女は鳥を扱うのがうまい。おそらく学校でふくろうと暮らしていたからだろう。
 スハーラに伝言を頼んだ後、セルダンはふと思いついてスウェルトを訪ねた。ユルのエンストン卿からブライスに贈られた雄大な葦毛の馬は、相変わらず船酔いしているのか厩の中で不機嫌そうだった。 
「セントーンに着いたら王宮にあずかってもらって、放牧してもらうようにブライスに頼んであげるよ。しばらくは海の戦いになりそうだから」
 スウェルトはうれしそうにいなないた。

 セルダンの頼みを受けたスハーラは、船の後方に設置されている伝令鳥の巣箱の前に立った。こんな海の中でもマルトンの弟子達が伝えた鳥はちゃんと伝令の役目を果たしている。スハーラが口で器用に鳥の鳴き声の真似をすると、巣箱から白い大型鳥がおとなしく出てきた。おとなしく見えるが、飛ぶ速度はとても速い。
「ザラッカの鳥に襲われないように気をつけてね」
 鳥を送りだした後、スハーラは部屋に戻ってリラの巻物を開いた。この一巻の巻物に、信じられないほどの知識が書き込まれている。色が白い雪国の巫女は、日焼け止めの項目を探した。いつも使っている雪焼けのための薬があるので、これが何とか効くだろう。几帳面で清潔好きな巫女にとって、船の旅はなかなかたいへんだ。これから洗練された都セントーンのエルセントに向かうのだから。なおさらみっともない顔をして行くわけにはいかないのだ。
 厳重に日焼け止め対策を施して甲板に出たスハーラが、何気なく四方の海面を見渡すと遠くの海面に奇妙な物が見えた。スハーラはそれを指さして近くにいたブライスにたずねた。
「あれは何」
 その言葉を待つかのように、スハーラの指さす前方の海面が広い範囲に渡って台のように盛り上がってきた。その白い台はゴウゴウという音をたてながら海の中から沸き上がるように見えた。ブライスが叫んだ。
「ソホス玉だ。舵をとれ。ここまで来るか」
 見張りの男が叫んだ。
「ギリギリでさあ。動いてねえから」
「離れろ」
 セルダン達はその巨大な白い玉を驚いて見つめていた。ブライスの船団は玉から急いで離れ、ゴウゴウという音が遠ざかった。
「あれ、ユマールの将の小さな獣、ソホスの塊なの」
「そうだ、五十センチくらいの七本足のイカだ。あの塊で船の底から突き上げてくる。小さな船はバラバラになっちまう。大型のガレー船でも、櫂がこなごなになる。後はソホスが落ちた人間にからみついてそこまでだ」
 スハーラは震え上がった。その時、上から再び見張りの声がした。
「王子、目の前にもう一つソホス玉」
「よけろ」
「動いてくるんでさ。目玉がいるんだ」
「目玉」
 セルダンが問い返した。
「ソホス玉の中に時々、リーダーみたいなのがいる玉があってな、そいつは追いかけてくる。しかしまだエンレ海のはず。どうしてソホス玉がこんなに浮いてるんだ」
 そう言ったブライスの目の前で、危機を感じたセルダンが半ば本能的にスラリと剣をぬいた。ブライスはハッとした。
「そいつだ。ここにはカンゼルの剣とリラの巻物がある。引きつけられているのか、あるいはユマールにいる黒い冠の魔法使いがかぎつけたかだ」
 それを聞いてセルダンが興味を持った。
「なあブライス、黒い冠の魔法使いの名前を知ってるかい」
「いや」
「サルパートで捕まえた黒の神官に聞いた事があるんだ。どの魔法使いの部下になりたいかって。一番なりたいのが、南の将の元にいるザラッカ。一番嫌なのがユマールの将のもとの黒い冠の魔法使いなんだそうな」
「なる程、ザラッカが好かれる理由はわかる。正直、黒い盾のゾノボートや黒い短剣のギルゾンはあまりに化け物過ぎた。ザラッカはあの巨大な鳥さえあやつらなければ海賊の親分といってもいい奴だからな。だが会ったら、気をつけろよ。おまえと好一対といった感じのものすごく好戦的な奴だ」
「だって剣の魔法使いだろ、僕は剣の守護者だぜ」
「なる程、それはそうだ。南の将の要塞を攻める時に、ついに対決ってわけだ。さて、その前にまずはユマールの将のお使いが来ている。戦うぞ、配置につけ」
 ザイマンの船の船乗り達は一斉に剣をもって船べりに並んだ。ベロフがブライスにたずねた。
「ソホスはどう襲ってくるんです」
「この船はソホス玉が突き上げてもバラバラになる程ヤワじゃない。おそらく海面から飛び上がってくるだろう。どんどん船べりに取りついて船を傾かせてひっくり返そうとするはずだ」
「なる程。ならばソホスが取りついた側の船べりに抜刀隊を配置しましょう」
「頼む。中々斬れないから気をつけてくれ」
 ベロフは無言でうなずくと、テキパキと部下の抜刀隊に指示を出した。船から船へ、五艘の船の抜刀隊に特殊な手旗信号が送られた。ブライスは後ろで見つめているスハーラに言った。
「スハーラ、船室に降りてくれ」
「はい。何か用意する薬はありますか」
 ブライスは笑った。
「君が大丈夫なら他の連中は大丈夫だ。中に入って柱に体をくくり付けていてくれ」
「はい」
 ソハーラが船室に入るのと、ほとんど同時にソホス玉の突き上げが始まった。ガクン、ガクンという衝撃と共に頑丈なザイマンの高速艇がグラグラと揺れた。ブライスは柱に片手をつくと、両足を踏ん張って豪快に笑った。その姿は父親のドレアントにそっくりだ。
「はははははは。やれやれい。ビクともしねえや」
 つきあげが突然止んだ。
「来るぞ」
 次の瞬間、バタバタバタと船べりを叩く音がして、やがてそれが耳をふさぐばかりのゾーっという轟音に変わった。セルダン達の目の前の手すりが一瞬にしてソホスの壁になった。しかし抜刀隊は少しもあわてず、船べりをそぐようにソホスをなで切りにした。ブライスが愕然とした。
「切れるのか、そんなに簡単に」
 剣をふりながらセルダンが説明した。
「簡単じゃない。だけど出来るんだ」
 しかし抜刀隊の奮戦をものともせず、ソホスは次から次へと船団に襲いかかった。白いソホスの塊が船べりの上に盛り上がって、甲板になだれ込むように船に圧力をかけてくる。
 セルダン、ベロフの抜刀隊、そしてブライスの船員達は数十分に渡って懸命にソホスをたたき斬り続けた。その間、船は大きく傾いたがなんとか持ちこたえた。そしてやがて、緊張が解けるように船がガクンと大きく揺れてソホスは退散した。さすがの抜刀隊もセルダンも、その次の瞬間には大きく全身で息をついた。
「ふあー。きついきつい」
 ブライスもゼイゼイ言いながら、膝に手をついているセルダンの隣に腰を下ろした。
「わかったか。おれたちでこうだ。普通の商船団なんかひとたまりもない。しかし」
 そういって周りをみまわした。
「抜刀隊というのは凄いな」
 スハーラが恐る恐るといった感じで外に出てきた。
「ソホスは行ったの」
「ああ、おれたちは頼もしい連中を乗せている事がわかった」

 戦闘の後、甲板の上はソホスの残骸が散乱する壮絶な風景になった。ベロフは腕組みをしてそれを見つめていたが、部下に言って調理用の火鉢を持ってこさせた。そして試しにソホスをその上にかざしてあぶると、良い匂いがあたりにただよった。ブライスが仰天した。
「おいまさか食うつもりじゃないだろうな」
 セルダンは面白そうにベロフの手からそれを受け取った。
「なんで、だってイカだよ」
 そう言って口に入れた。
「うん。これはうまいや、みんな食べよう」
 ブライスは蒼白になって、スハーラに助けを求めるように後ろを振り向いた。そこではアタルス達三兄弟が、甲板でソホスの内臓を取り出していた。そしてその横でスハーラがエイトリ神からもらった「溶けない氷の箱」の一つに内臓をつめていた。
「おいおい、どうするんだ」
 アタルスが答えた。
「身の部分の皮をはいで干す。水分が抜けたら切って内臓につけてまた冷やす。一週間くらいでうまい酒の肴ができる」
 スハーラが付け足した。
「ブライス、海水からつくった塩を少しちょうだい」
「勝手にしろ」 
 ザイマンの恐れを知らない船乗り達は、とんでもない人々を味方にしてしまった事におののいて顔を見合わせた。ブライスは胸の前で両手を握り合わせて祈った。
「エルディ神。俺に正気をください」

 ソホスの来襲の夜。セルダンは昼間の戦いの興奮が続いていて中々眠れなかった。翌朝、寝不足気味で早い時間に起きだした王子は、気分転換に甲板に出た。すると甲板の手すりに座っている人影があった。
「ここで一番の早起きなのは、あなたなの」
 セルダンは目をこすりながら近づいた。その人物の姿がどうも妙だったのだ。その女性は白い服を来ていたが、それは布では無かった。やや透明な羽のようなものが両肩から生えて体全体を包んでいるが、体の線がほとんど見えている。目が大きな顔は人のようにも見えたが頭に毛は無く大きな耳と小さな角があった。手の平の間には水かきがある。不思議な格好だが、美しくもあった。
「いや、一応ザイマンの王子が早いはずなんだけど、今日は特別です。あなたは誰ですか」
「チッチ・ヒッチ。それよりエルディから伝言よ」
「えっ」
「にぶいわね。そのザイマンの王子を起こしてらっしゃい」
 セルダンに呼ばれて、ブライスとスハーラ達がゾロゾロと船室から出てきた。船べりに腰掛けているチッチ・ヒッチを見て、ブライスが不思議そうな顔をした。
「ホックノック族の者がザイマンの船にあらわれるとは、珍しい事もあるもんだ」
「相変わらずザイマンの王族は不摂生な体をしてるのね」
 これにはブライスの後ろにいたスハーラがちょっとムッとした顔をした。チッチ・ヒッチはおかまいなしに続けた。
「えーとね。エルディから伝言よ。そう、珍しいの。エルディが頼み事をするなんて。女王様に直接連絡をとったのよ。魔法の鏡に出たの」
 セルダンはちょっと頭が混乱した。この不思議な種族は長い会話に向かないらしい。ブライスの顔にエルディ神へのあこがれが浮かんだ。
「女神は何と」
「一刻も早くザイマンに戻りなさいって。ドレアントがグルバと戦おうとしているって」
「なんだって。親父だけでか。まだ早いぞ、俺やセルダンやスハーラが向かっているんだ。カインザーのバイルンも力になれるはずなのに」
 チッチ・ヒッチと名乗った海の精霊は怒ったような顔をした。
「だから急げって。でね、女王様がトンポ・ダ・ガンダを通りなさいって」
 ブライスが青ざめた。
「あそこは海に生きる者の終点だ。死者が流れ着く所だ。生きてあんな所にいけるか」
 チッチ・ヒッチは両手を振り立てた。
「あたしたちだって。死者なんて嫌いだもん。あんた達が戦争するから、色々なつまらないものが綺麗なトンポ・ダ・ガンダに流れ着くんじゃない」
 この会話を聞いていたセルダンは困ったと思った。どういういきさつか知らないが、あまりザイマン人はこのホックノック族と仲が良くないらしい。セルダンはチッチ・ヒッチにたずねた。
「トンポ・ダ・ガンダを通ると、早く行けるの」
「あたりまえじゃない。ここよりずっと流れが早いんだもん。伝言伝えたよ。今夜、女王様が呼びに来るよ」
 今度はブライスがたずねた。
「なぜミッチ・ピッチがエルディ神に協力するんだ。ホックノック族は中立だろう」
「知らない。エルディが女王様に何か約束したみたい。じゃあね」
 そう言うとチッチ・ヒッチは後ろ向きにトポンと海面に落ちて見えなくなった。一同はあっけに取られた。セルダンはブライスにたずねた。
「トンポ・ダ・ガンダってどこにあるの」
「もちろん海の中だ」
 ブライスがポツリと言った。
「そんな気がしたわ」
 スハーラがセルダンに笑いかけると、肩をすくめた。
「どうするのブライス」
 ブライスは手すりをたたいた。
「親父は何を血迷ったんだ。息子にトンポ・ダ・ガンダを通らせるなんて。俺は王になれないぞ」
 スハーラが驚いた。
「トンポ・ダ・ガンダは死んだ者の行く所だ。そこを通った俺を他の船乗りが認めるもんか。ちくしょう」
「でも急がないと、ドレアント王がグルバと戦いを始めてしまうかもしれないわ」
「ああ、トンポ・ダ・ガンダを通れば早くザイマンに帰れる。残念だが行くしかないな」
 セルダンは期待をこめてたずねた。
「セントーンに寄らないでまっすぐに行けるかな」
 ブライスが首を振った。
「そいつは無理だ。エンレ海と違ってここからしばらくはユマールの将の支配海域だ。補給用の島がほとんど無い。トンポ・ダ・ガンダを抜けたらセントーンの都エルセントに直行だ。あきらめろセルダン、エルネイアが待ってるぞ」
 スハーラは不思議そうだった。
「セルダン王子はエルネイア姫が嫌いなの」
「いや、そうじゃないけど」
 スハーラが笑った。
「面倒くさいのね。さすがにカインザーの男の子だわ」
 セルダンは何も答えずにその場所を離れた。説明ができなかったのだ。四年ぶりにあの華やかな女の子に会えると考えると、平静でない心になりそうで、それが嫌だった。
(なんとなく、会いたくないのさ)

 南の将の要塞を遙かに望んだテイリンは顔に流れる汗をぬぐった。乾いたカインザーの暑さは経験しているが、この海辺の暑さと湿気とムッとする程の潮の匂いは初めての経験だった。太陽の光の強さがまた半端ではない。海というのは、ソンタール大陸とカインザー大陸をつなぐパイラルの陸橋を渡った時に見たことがあるが、あそこは風が強いせいか、こういう全身にまとわりつくような暑さは無かった。テイリンは後ろに従えた二千数百のゾックの群れを振り返った。
(これは困った。果たしてゾック達はこの気温に慣れる事が出来るだろうか)
 前方には大きな港をかかえた南の将の要塞が見える。あのあたりにゾックを置くわけにはいかないから、要塞から離れた森に隠すか、黒い剣の魔法使いザラッカの承諾を得て全軍を要塞に入れてしまうしか無いだろう。
 そう思ったテイリンは、突然にあたりが日陰になったのでハッとした。おかしいと思って空を振り仰いだテイリンは空が無くなっている事に気が付いた。テイリン達の頭上にはいつのまにか天井が出来ている。何が起きているのか全く理解出来ない魔法使いは、すぐにその天井が動いている事を知った。そしてやがてそれが途方もない大きさの鳥である事が判った。
「デルメッツ」
 テイリンは驚嘆のため息とともにつぶやいた。これが南の将の大きな獣、不滅の鷲デルメッツだ。鳥はゆっくりと上空で旋回してゆっくりと降下してきた。暴風と言ってもよい風がおきた。やがてデルメッツはテイリンの目の前の大地に地響きをたてて着地した。見ると、その巨鳥の頭の上に一人の男が立っていた。
 巨大な体、つき出た腹。のびほうだいの髭に赤ら顔。一応、黒いマントはまとっているが、両腕も足も暑さにむき出しにしている。
 男は朗々と響く大声をあげた。
「そこにいるのはゾックだな。きさまかテイリンというのは」
 テイリンは驚いて答えた。
「はい。私がテイリンです」
 鳥の上の男は大笑いした。
「うわっはっは。俺はザラッカ。黒い剣の魔法使いだ。おまえの噂は聞いているぞ、ソンタールの将の疫病神だとな。西の将を敗れさせ、北の将を死に追いやった。貴様の行く所の将は滅びるとな」
 テイリンは言葉に詰まった。事実、ここまでの道のり、テイリンとゾックはソンタールの国の人々から避けられているのを感じていた。どこの村も町も、情報を聞きに立ち寄ったテイリンを追い払うような応対をした。あるいは近づいただけで村中が家にこもってしまい、いくら声をかけても出て来ないで、通り過ぎるテイリンとゾックを窓から恐々と眺めているだけの所もあった。もはやゾックは祖国ソンタールですら完全に孤軍になっている。
 ザラッカがまた大笑いした。
「しかし俺は貴様を歓迎するぞ。なぜなら我が要塞は滅び無いからだ。それよりガザヴォック様にすらたて突いたと噂される度胸が気に入ったわ。ゾックを要塞に入れよ」
「かたじけない」
 テイリンは心が熱くなった。久しぶりに受け入れてくれる場所ができたのだ。ザラッカが叫んだ。
「要塞への道にいる者には指令を出しておく、気にしないでやってくるがいい」
 そう言い残して、ザラッカとデルメッツは風をまいて飛び立った。しばらく茫然と巨大な鳥を見送っていたテイリンだったが、やがて気を取り直してゾックに号令をかけると南の将の要塞に向かった。この要塞は巨大な港と無数の運河に囲まれている水上の城である。南の将の要塞は都市を抱えていないと言われているが、カインザーやサルパートなどと違って、ソンタールの勢力圏の中央に近いこのあたりの町は都市に近い規模がある。道々の兵士や黒の神官は怪訝な表情で通り過ぎるゾック達を見ていたが。テイリンの道を塞ぐ者はいなかった。運河にかかる橋を渡りながらテイリンは思った。
(ここではゾックはほとんど戦えないな。もしザラッカがガザヴォック様の命令を受けていて俺を殺そうとしているのならば、まず助からない)
 しかしテイリンは悩んでも仕方無いと思った。これまで、ガザヴォックはソンタール大陸を横断しているテイリンとゾックを放置していた。それにサルパートの牙の道でバイオンを解放した時に、ガザヴォックのくびきの鎖の魔法の邪魔をした事もザラッカのようなごく一部の高位の神官しか知らないらしかった。黒の神官の総帥は、表向きテイリンを罰する態度はいまのところ見せていない。
 要塞の城門をくぐり、迎えの神官に従って幾重にも連なる扉を抜けたテイリンは、やがて要塞の謁見の間に導き入れられた。要塞の中央部にある巨大な広間には、テイリンから向かって左側に赤い鎧のグルバの兵が、そして右側に黒い衣のザラッカの神官がズラリと並んでいた。テイリンは静かにその中央の赤い道を進んだ。そして南の将の前に立った。
 そこには左にグルバ、右にザラッカ。瓜二つの顔と体型の巨漢が立って豪快に笑っていた。テイリンは思い出した。
(北の将ライバーが面白い物を見る事になると言っていたのはこれか)
 この要塞の将と魔法使いは双子だったのだ。おそらくソンタールの将の要塞の中で、もっとも将と魔法使いが緊密に協力しあっている要塞なのだろう。グルバが弟のザラッカと同じ朗々とした声で迎えた。
「我が要塞によくぞ来た。ゾックがここでどう役に立つかわからんが、面白い事もあろう。好きなだけ滞在するが良い」
「ありがとうございます。何とかお力になれるように頑張ります」
 グルバは笑った。
「あまり気にするな。ゾックは泳げるか」
「いえ」
「ゾックは弓が引けるか」
「それも」
「ゾックは剣をふるえるか」
「それは出来ます。しかしある程度の広さが必要です。ゾックの長所は跳躍力と集団戦闘の統制のとれた動きですので」
 グルバがうなずいた。
「ならば船の上では役に立たんな。まあよいわ。近々ザイマンを滅ぼす。そうなれば我々はセントーン攻めに向かう。セントーン戦線は平地と河ばかりではない、まわりはぐるっと山脈に囲まれている」
「はい。ただ、私は以前に東の将に参陣を申し出た時に、領地に立ち入ったら殺すと言われました」
「はっはっはははは。その時にはキルティアを貴様が殺してしまえば良い。いや、つかまえて俺にくれればもっと楽しい殺し方をしてやるわ」
 横からザラッカがつけ加えた。
「黒い巻物の魔法使いレリーバも始末して良いぞ。もっとも、まだお前の手には余るかもしれんな。その時には俺も手伝うが、貴様自身もこの要塞に滞在している間に魔力を磨くが良い」
 謁見の間に笑い声が広がった。テイリンはセントーン攻めがうまくいかない理由の一つに気がついた。
(東の将は背中にこの二人を抱えているので、あまり動けないのだな)
 こうしてテイリンとゾックは南の将の要塞の客となった。

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