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シャンダイア物語

第三部 海洋民族の島
第三章 聖なる盾の守護者

福田弘生

 航海三十四日目

 海の女王ミッチ・ピッチと別れてから一週間がたった。明日はもうセントーンの都エルセントに着くとブライスが言っている。こんな何も無い海の上でどうやって船の正確な位置と速度がわかるのだろう。ザイマン人は皆不思議な力を持っているようだ。
 でも今日はそんな事を不思議がっている場合では無い。困った事に明日セントーンの王家の人達に会う時に着てゆく服が無いのだ。確かにサルパートの巫女の白い服はあるけれど、華やかなエルセントにそんな服で到着してセントーンの人たちに笑われないだろうか。ブライスもザイマンの王子ならば、こんな時に綺麗な衣装の一着くらいプレゼントしてくれてもいいのに。それともエイトリ神の巫女には女性らしい服など必要無いというのだろうか。あるいは女性として見てくれていないのかしら。
 もしそうだとすると、とても深刻な問題がもうひとつ増える事になるわ。

(スハーラ・レリスの航海日誌より)

 その日は風が強かった。テイリンは黒い剣の魔法使いザラッカに言われて、要塞から馬で半日程東に進んだ所にある岩山に向かった。そこは長い年月をかけて水に削られた岩がまるで林のように林立する不思議な景観の場所だった。川を挟んで並び立つ岩の柱の間を進んでゆくと、最奥にある一際高い岩の頂上に巨大な鳥がとまっていた。
 巨獣を待たせたかと思った小鬼の魔法使いは急いで岩山の下に駆け寄り、不滅の鷲デルメッツの前に立った。巨大な鳥は左右の翼の先から先まで五十メートルはあろうかという翼をたたんで、まるで巨大な像のように静止していた。テイリンは暗褐色の巨大な鳥を見上げて心の中で叫んだ。
「不滅の鷲よ、大空の王よ、私の名前はテイリン。ソンタール大陸の北、ランスタイン大山脈の山奥にあるゾックの故郷より参った」
 そう言ってテイリンはデルメッツをじっと見つめた。鳥は静かに目をつむっている。テイリンは続けた。
「ある目的によりシャンダイアのセントーン王国に行かなければならなくなった。そなたの大いなる翼を、私がセントーンに潜入するために役立ててはくれないだろうか」
 デルメッツはまだ目を閉じたままだった。テイリンはのどがカラカラになった。この鳥はドラティともバイオンとも全く違う雰囲気を持っている。かつてテイリンが問いかけた時には、巨竜ドラティは荒々しく攻撃的な思考で素早く頭を回転させて反応を返してきた。巨狼バイオンは孤高の気高さを持ちながらも、洞察の深い答えを瞬時に返してきた。だがデルメッツはその体の大きさのように思考が雄大なのか、それとも人間に全く興味が無いのか、その表情にも感情にもしばらく変化が見えなかった。
 強い風が吹いてきた。目をこらし過ぎて土埃が目に入ったテイリンは、軽い魔法を使って目の周りに埃を防ぐ空気の膜をはった。さらにしばらくの沈黙があって、忘れられたのかと思った頃にデルメッツの答えがテイリンの心に届いた。
「目的を、述べよ」
 テイリンはハッとして答えた。 
「ミルトラの水を求めに」
 デルメッツはようやく巨大な瞳を見開いて、テイリンをギロリと一瞥した。
「それは目的のための手段であるはず。本当の目的を述べよ」
 テイリンは迷った。この鳥に話しても大丈夫だろうか。しかし他にセントーンに潜入する手段は思い浮かばない。現在、セントーンの国境は東の将の軍によって封鎖されている。テイリンはザラッカの手配してくれた迎えの船が着く一ヶ月後までに、必ずミルトラの水を手に入れるつもりだった。いかにザラッカが庇護してくれようと、この湿気と暑さの南の地にゾックを長期間置かないほうが良いと保護官の本能が言っていたのだ。
 テイリンは心を決めた。自分の本当の目的をデルメッツに打ち明けても、巨大な鳥が魔法使いザラッカにすら軽々しく話すとも思われなかった。
「カインザー大陸で死んだ巨竜ドラティが卵を残していったのです。ドラティは死に際に卵を私に託し、ミルトラの水につけるように命じました」
 デルメッツは大きな目でテイリンを見つめ続けた。そしてやがて首を上に曲げてコーっと大きく鳴いた。上のくちばしが下に湾曲して鋭く尖っているのが見えた。テイリンの心に声が届いた。
「鳥であるわしですら産めない卵をドラティが産んだか。興味深い事だ。よかろう大地の魔法使い、我が頭に乗るが良い。セントーンに導こう」
 テイリンは巨獣の血で強化された体力を使って近くの岩を駆け登った。デルメッツが大きな羽を広げた。翼の先の羽を指のように広げたその姿はまさに大空の王の姿だった。デルメッツはその翼の先をテイリンに近づけた。
「乗れ」
 テイリンは思いきり跳び上がって翼に飛び乗った。鳥はじっとしたままだった。小鬼の魔法使いは急いで頭の上までよじ登った。鳥の頭の上には金色の冠毛が生えていた。
「しっかりつかまっていろ」
 デルメッツはとどろくように忠告すると、東に向けて頭をめぐらし、巨大な翼を岩に打ち付けるようにはばたいた。鳥の上ではあまり揺れを感じられなかった。デルメッツが巨大過ぎたのだ。いや、揺れを感じる余裕すら若者には無かったのかもしれない。空を飛ぶという経験は初めての者には恐怖以上の体験だった。デルメッツの大きな頭の上でテイリンは必死に鳥の長い羽毛にしがみついた。デルメッツの言葉が再びテイリンの心に届いた。
「わが故郷もランスタインであった。もう数千年も昔の事だ」
 やがて不滅と呼ばれる鷲は守りの平野と呼ばれる国に向けて大空に飛び立った。頭の上に大地の子と呼ばれる魔法使いを乗せて。

 ブライスの率いるザイマンの船団がセントーンの都エルセントを水平線の彼方に望んだのは、朝まだ早い時間の事だった。朝日を浴びた巨大な都市が水平線の上に浮かび上がった時、期せずして五隻の船から同時に歓声が湧き上がった。セルダンは久々に見るエルセントの華やかなたたずまいに懐かしさすらおぼえた。セントーン大平野の中心に小山のようにそそり立つ塔の数々。その塔を長くて堅固な城壁が繋ぎ、城壁はとぐろを巻いた蛇のように延々と続いている。さらに様々な色の屋根をした建物がその隙間をびっしりと埋め、森と小高い丘がその建築物の群れの中にポツンポツンと点在している。船が近づいてゆくと、海に面した港いっぱいに帆が立ち並んで、たくさんの船が停泊しているのが見えた。それだけでも、この都市がいかに繁栄しているかを物語っている。これが守りの平野セントーンの首都、この星ではソンタール帝国のグラン・エルバ・ソンタールに次ぐ大都市エルセントなのだ。
 朝日を背に浴びて甲板に立ったスハーラは、初めて見るエルセントに呆然として立ち尽くした。潮で焼けて赤みがかった髪と髭を風になびかせて、ブライスが近づいた。
「どうしたスハーラ」
「驚いたわ。カインザーのセスタも大きかったけれど、ここはその倍はありそう。しかも何て明るい印象なのかしら。セントーンはソンタールに包囲されていると聞かされていたから。もっと厳しい雰囲気があるのかと思ったのに」
 ブライスが前方に姿をはっきりと現わしてきた塔の群れを指さした。
「正確に言えばセスタの三倍の面積と四倍の人口だ。セントーンの平野は広大だ。ソンタールとの戦いが行われている国境ははるか彼方にある。もちろんまだこの都が戦場になった事は無い。確かにソンタールに包囲された形ではあるが、その包囲があまりに長期にわたっているので、ここの人達はすでにそれがあたりまえのようになっているのだろう。三千年持ちこたえている自信もあると思う。この明るさと活力がセントーンの大きな特長なんだ」
 ブライスの船は案内にやってきた小さな船の後をついて、港の中央の大きな道に面した波止場に着岸した。岸には無数とも言える迎えの者達が並んでいた。
「今日到着するという連絡は送っていたんだが、さすがにセントーンの出迎えはにぎやかだな」
 セルダンを先頭に一行がタラップを降りると、控えていた楽団が一斉に演奏を始めた。きらびやかな楽器が奏でる厳かで勇壮な響きは、波音だけを聞き続けてきた旅人達の心に心地よく響いた。それはカインザーの楽団とは比べ物にならない程に見事に洗練された演奏だった。セルダンは感心して足を止めた。
「なるほど、出迎えの演奏というのはこうやるのか。うちの楽団も、もう少し訓練しないといけないな」
 後ろにいたブライスが首を振った。
「もう少しではだめだろう。カインザーに行く度に俺は自分の耳が壊れちまったのかと思うぞ。いっそセントーン人を雇っちまえ。ここに出ている連中の下にも控えの演奏家がいっぱいいるんだ。楽隊の二つや三つすぐにつくれるぜ」
 カインザーの王子はため息をついた。
「カインザーにはセントーンの人達が楽しめるようなものは何も無いんだ。あそこまで来てもらうためには、余程お金を積まないといけないだろう。僕の国には軍隊はいてもお金が無いから」
 色々迷ったあげく、結局一張羅の巫女の白い服を着てきたスハーラが笑った。
「一つ方法があるわよ」
「どんな」
「セントーンのお姫様をお妃に迎えれば、楽団ごとやってくるわ」
 セルダンは真っ赤になった。
 地面に降り立った一行を迎えた華やかな行列の中から、一際大柄で凛々しい男性が進み出た。年齢は三十代半ば、カインザーのクライバー男爵を一回り大きくした感じのハンサムで力強いその人物こそが、エルネイア姫の兄にあたるセントーン王国の王子ゼリドルである。セルダンはゼリドルに挨拶した。
「ゼリドル、久しぶり。守りの平野の王家に栄えあれ、聖なる盾に光あれ」
「やあ、セルダン逞しくなったなあ。カインザーとサルパートでの戦いぶりは聞いているぞ」
 ゼリドルはそう言って胸に右手を当てた。
弥栄いやさか。戦士の大陸の王家に栄あれ。聖なる剣に光あれ。ブライス、海洋民族の島の王家に栄えあれ、聖なる冠に光あれ」
 ゼリドルはハキとした声でそう挨拶すると、ブライスの後ろで恥ずかしそうに立っているスハーラに向かって優雅にお辞儀をした。
「ようこそセントーンへ、リラの巻物の守護者様」
 スハーラははにかみながら微笑んだ。
「はじめまして、ゼリドル王子」
 ゼリドルは白い歯を覗かせて魅力的な笑みを浮かべた。
「なんと可憐で美しい方だ。セントーンでは花嫁ですらこれほど美しい白をまとうことは無いでしょう。着るものの心の美しさがこれほどに姿に現れるとは。私は奇跡を見た思いがいたします」
 スハーラはブライスを横目でにらんだ。ブライスは口をゆがめた。
「何だ」
「サルパート、ザイマン、カインザーと旅してきたけれど、セントーンまで来てようやく王家の公達に会えたという気持ちだわ。あなたもこのくらいのことを言ってみたら」
「けっ、面倒くせえ。あっ、たた」
 スハーラはブライスのお尻を思いっきりつねりあげた。ゼリドルは若い守護者達の後ろに整然と並んでいる、黒い鎖帷子の抜刀隊に興味の目を向けた。
「ベロフ、これが君の自慢の抜刀隊か」
 抜刀隊と同じ黒い服に身を包んだベロフは、畏まって答えた。
「はい。ゼリドル様」
 セントーン軍の総大将であるゼリドルは目を輝かせた。
「戦士の国カインザー屈指の戦闘指揮官が鍛え上げた特殊部隊。さすがに凄い殺気だな。どうだベロフ、せっかく立ち寄ったのだ、東の将の部隊と遊んでいかないか」
 ベロフは期待を込めてセルダンとブライスを見た。ブライスが首を振った。
「ゼリドル、俺たちはザイマンに急がなければならない。得難い戦力をここに置いてゆくわけにはいかない。ここに来る途中でソホス玉の襲撃を受けたんだが、抜刀隊は船べりにはい上がってくるソホスをなで斬りにして撃退しちまった。おそらく現在この近辺では最強の部隊だろう」
 ゼリドルとベロフは残念そうにため息をついた。ゼリドルが言った。
「そうだな、南の将と親父殿が一触即発だそうじゃないか。急いだほうがいい。船にはすぐに物資を積むように指示しておく。船員たちは港に宿を用意した、体を休めて船を整備させるがいい」 
「ありがとう。ここでの滞在は五日だ」
「それは短い。それでは君達と抜刀隊は城に来てくれ」
「そうだゼリドル」
 セルダンは思い出した。
「ブライスの乗馬のスウェルトを預かってもらえないか。カインザーからここまでずいぶん走らせたし、この先しばらくは海の戦いだから、放牧に出して休ませた方がいいと思うんだ。どう、ブライス」
 ブライスは、いいぞとうなずいた。
「よく気がついてくれた。航海の最中時々見に行ったが、ヘロヘロになっている。休ませてやってくれ」
 ブライスは部下に命じてすぐにスウェルトを引いて来させた。それを見たゼリドルの口が称賛にほころんだ。
「これは立派な馬だ」
 セルダンが説明した。
「馬術の名手ロッティ子爵の持ち馬の中から選んでもらった馬だから、血統、調教申し分無しのはずだよ」
 ゼリドルは嬉しそうにブライスに聞いた。
「どうだ、ここにいる間にこっちの牝馬と交配させていいか」
 ブライスはジロリとスウェルトを見た。
「サルパートのエレーデだったら、おまえの喜ぶ言葉がわかるんだろうな」
 スウェルトはそうだとばかりにヒヒーンといなないた。嬉しそうな馬を部下にあずけて一行を馬車に案内しながら、セントーンの王子ゼリドルはセルダンに小声でささやいた。 
「覚悟しておけよ、エルネイアは君達がサルパートを出発したという連絡を受けてから、一か月もかけて君を迎える準備をしていたんだ」
 剣の王子はすくみあがった。

 セントーンの王城エルガサール城は港を見下ろす丘の上に築かれていた。城に向かう都市の中の道はきちんと敷石が敷かれ、花壇には色鮮やかな花が咲き乱れている。この国の人は草木が余程好きなのだろう、木々の葉は青々と茂って道を木漏れ日で彩っていた。もう季節は夏を迎えている。セルダン達は春の間いっぱいを北の将の要塞からここまでの移動に費やしたことになる。馬車が丘を登りだすと、徐々に視界が広がり、都市全体の壮観が眼下に広がった。
「うわあ」
 スハーラが賛嘆の声をあげた。やがて一行の前にそびえ立つように城壁が迫り、馬車は分厚い城門をくぐって丁寧に踏み固められた中庭に入った。ここにも大きな花壇があった。スハーラは感動しっぱなしだった。
「綺麗、綺麗。サルパートは雪の国だったから、こんなに鮮やかでたくさんの花を見たのは初めてだわ」
 やがて壮麗な建物の大きく開かれた扉の中に導かれた一行は、明るいガラスから差し込む光が照らし出す廊下を通ってレンゼン国王に拝謁した。わざわざ自分の私室で一行を迎えたセントーン国王は、恰幅の良い人の良さそうな老人だった。
「やあやあ、セルダン久しぶりじゃのう。ブライスもよう来た。おお君がスハーラか、何と美しい巫女じゃ」
 レンゼン王は暖かな人柄で盟友の王子たちを包み込んだ。それはまるで孫を出迎えるかのようだった。すこししわがれた声はとても明るくハツラツとしている。これがセントーン王家の人柄だとセルダンは実感した。この土地で三千年間、意気軒昂に戦い続けられてきた原因がここにある。レンゼンは真っ白な髭をしごきながらブライスに言った。
「ブライス、おぬしもたいへんだな。じゃがわしもドレアントのように元気ならば戦場に出陣したいと思うかもしれん。壮健な親父を持った事を喜ぶが良い。幸いゼリドルが頑張ってくれているおかげでセントーンはいまだに無事だが、東の将もユマールの将も着々と戦備を整えつつある。ここもいつどうなるかわからん」
 そう言ってセルダンを見た。
「わしからも頼むぞ。セルダン、そしてブライス。早く南の将を倒してこのセントーンを救いに来てくれ」
 そう言うと扉の所に控えていた家来に手を振って呼び寄せた。
「ゆっくりと話をしたいが疲れたであろう、それぞれに部屋を用意した。夕食までゆっくり休んでくれ。そうそう、昼食は部屋に用意させておいたぞ」
 一同の顔に安堵の表情が広がった。セルダンはこれまで張りつめていた気持ちが一気に緩んだような気がした。
「お心遣いありがとうございます。ブライスはともかく、さすがに僕らは一ヶ月の船旅で疲れましたよ」
 セルダンはいつも通りアタルス達三兄弟と同じ部屋にしてもらった。そうしなければこの兄弟達は扉の外と窓の下で一晩中見張りを続けることだろう。実はこの三人のおかげで、何度か命を救われている事にもセルダンは気づいていた。バルトールの暗殺者が暗躍してるのだ。おそらくは北の将の元に潜入していたイサシの差し金だろう。
 風呂付きの大きな部屋に用意されていた食事をむさぼった後、体に染みついた塩を落とすために、珍しくセルダンは丁寧に湯につかった。そして髪を洗い、何とか人前に出られるかという姿になった所に王家の使いが来た。使いの者に導かれてセルダンとアタルス達三兄弟は城の屋上に向かった。
 天気の良い日だった。幅の広い石の階段を登り、まぶしい日差しに目をすがめて青い空を見上げた後、目線を下ろしたセルダンの前に聖なるミルカの盾の守護者が立っていた。そして戦士の大陸カインザーの王子は、女の子には徹底的に花開く時が来る事を知った。

 エルネイア姫は少し首をかしげて不思議そうにセルダンを見つめていた。卵型のなめらかな輪郭の顔。長いまつげとやや茶色がかった柔らかい色合いの瞳。高い鼻筋は真っ直ぐに形の良い鼻に繋がっている。薄い頬はほんのりと色づき、小さな唇は常に微笑を浮かべてときおり真っ白な小さな歯を覗かせる。金色の髪は真っ直ぐに腰まで流れ落ちているが、その一本一本に命があるかのように風の中でサラサラと揺れている。細くて長い首には金のネックレス。その鎖の先に剣の模様が浮き彫りにされた金色のコイン。四年前にセルダンが送ったカインザーのコインだ。明るい水色のドレスからのびる細い腕は、夏の日差しをはねかえすようにまぶしく白い。腰のあたりを銀の帯で締め、ドレスのすそには白い水のしぶきが散る模様が染め抜かれているが、スラリと長い足の線がそのドレス越しに綺麗に透けて見える。足には白いサンダル履き、形のよい足の爪にはピンクの色がさされている。
 エルネイア姫はほがらかな声でセルダンに呼びかけた。
「おかえり、セルダン」
 見とれていたセルダンはちょっとまごついた。
「僕はセントーンの人間じゃないよ」
「もちろんよ。でもわたしの元に帰ってきたでしょ」
 セントーンの宝石と呼ばれる若い王女はツカツカと歩み寄ると、セルダンの頬に息が届くところまで顔を寄せた。セルダンはエルネイアが自分よりずっと小さい事に気がついた。でもそれはセルダンが戦士の体格になりつつある証拠なのかもしれない。セルダンはけぶって見えるほどに美しい顔を見下ろした。エルネイアはセルダンの目を真っ直ぐに見上げた。
「カインザーとサルパートの戦いについて色々な人から話を聞いたわ。何十万という戦士と戦士が戦ったのに、一番危険な魔法使いゾノボートとギルゾンとはあなたが直接対決したのね」
 セルダンは少し誇らしく思った。
「僕が剣の守護者だから。それにおそらくゾノボートとギルゾンは一番危険な相手じゃない。これまでに戦った中では西の将マコーキンが一番危険な相手だったと思うし、これからもそうかもしれない」
 セントーンの王女はカインザーの王子の肩にそっと両手をかけた。
「私は盾の守護者なのに、あなたを守る場所にいることはできなかった」
 そう言ってエルネイアは体を寄せた。セルダンは思いっきりつばを飲み込んだ。
「き、君はシャンダイアの盾の守護者だから。だからここ、守りの平野に必要だったんだ」
 その時、狼狽するセルダンの瞳は、エルネイアの髪越しにもう一人の美しい女性の姿をとらえた。淡い黄色のドレスを着た背の高い女性。彫りの深い思慮深そうな黒い瞳と鼻の筋。秀でた額、赤い豊かな口元。エルネイアと違って漆黒の豊かな髪が肩口で風に吹かれていた。その女性はセルダンに素早くウインクした。その少しいたずらっぽい表情が、あの不平屋で皮肉屋のサルパートの聖王マキアの顔によく似ていた。
「剣の王子もたじたじね。エル、そのぐらいにしておきなさい」
 エルネイアが美しい眉をひそめて振り向いた。
「ミリア、邪魔しないでって言ったのに」
 セントーンの女魔術師ミリアは軽く腕を組んで若い二人をにらんだ。
「いいえそこまで。あなたたちは十分に大人だけど、まだ時刻はお昼を過ぎたばかりよ。それにセルダンはすぐにザイマンに出発しなければならないの。今回の滞在は忙しいのよ」
 エルネイアはキッとした目でセルダンを見た。
「そうなの」
 セルダンはちょっとひるみながら答えた。
「ああ、五日しかここには滞在しないんだ。ドレアント王が南の将といつ戦闘を始めてもおかしくない状況だからね」
「次にセントーンに来るのはいつになるの」
 セルダンは青い空を見上げて指を折った。
「ううん。ザイマンに行って、まずドレアント王に時期を待つように説得する。それからマルヴェスター様の弟弟子を探して、バルトールマスターのメソルを探してその正体をつきとめる。それからカインザーから来る予定のバイルンの艦隊と合流して、南の将グルバと黒い剣の魔法使いザラッカを倒す。それからだね」
 エルネイアの瞳に大粒の涙が浮かんだ。その声は情感たっぷりに震えている。
「それは何年先になるの」
 頭に手をあてたミリアが首を振りながらエルネイアをさえぎった。
「やり過ぎよエル。それよりセルダン、マルヴェスターの弟弟子って誰の事」
「えーと、ザイマンのアードベルの町にいるんだそうです」
 これにはミリアが不思議そうな顔をした。
「ザンプタ。トーム・ザンプタの事ね」
「ご存知でしょうか。それをあなたにうかがいたかったんです」
 ミリアはため息をついた。
「彼まで引っ張り出すことになるとは思わなかったわ。実は私も会った事が無いの」
「そうなんですか。僕たちは何も聞いていないんです。でもマルヴェスター様はベリックたちとバルトールのかつての首都ロッグに向かっているし、ミリア様はここ、セントーンでの戦いに必要な方だし。僕達だけでは判断できない事柄も多いでしょうから」
 そこでセルダンはちょっと口ごもった。
「トンポ・ダ・ガンダでエルディ神にお会いしましたが、ザイマンの事でも知らないことがたくさんあるって言ってました」
 ミリアはもう一度腕を組んで考え込んだ。
「そうねえ、エルディに探し物や調べ物は無理ね」
 セルダンはその会話で無視された形になったエルネイアの顔に、危険な兆候を見て取ってあわてて言った。
「この航海自体はブライスが指揮しています。リラの巻物の守護者のスハーラさんもいますから、夕食の時にでも詳しく相談させてください」
 ミリアはうなずいてエルネイアの手を取った。
「そうね。時間が無いからきちんと打ち合わせておいたほうが良さそうね。夕食は少し早めにするように言っておくわ。来なさいエル」
 そう言い残してミリアはエルネイアの手を引きながら、階段に向かった。エルネイアはどこから取り出したのか黄色いハンカチを取り出してセルダンにヒラヒラと振って見せた。呆然と見送ったセルダンが気を取り直して振り向くと、ポカンとした顔をしたアタルス達が立っていた。セルダンは三人がいる事をすっかり忘れていたのだ。
「ああ、ごめん。セントーンの王女ってああいう人なんだ」
 三兄弟の長男のアタルスも、あわてていかめしい表情をとりつくろった。
「いえ、盾の守護者様の、噂をはるかに越えた美しさに驚きました。そしてミリア様も」
 アタルスがそう言った時の三兄弟の目にはあきらかな憧れが浮かんでいたが、セルダンは気がつかなかった。

 その日の夕方。セントーンの王宮の豪勢な食堂で、一行は久しぶりに新鮮で豊かな食事に舌鼓を打った。中央にはレンゼン王と妻のエリダー女王。その向かって右に娘エルネイア、左に息子のゼリドルが着席している。ゼリドルの側にブライスとスハーラ、そしてベロフが。エルネイアの側にセルダンとアタルス達が座った。セルダン達は手持ちの服を何とか引っ張り出して着てきたが、アタルス達は王宮の者によって奇妙な宮廷服を着せられてちょっと迷惑そうだった。魔術師ミリアは席に着かずに、壁に寄り掛かって腕を組んでいた。セルダンは魔術師マルヴェスターがいつも会議の最初は立っていた事を思い出した。それが翼の神の弟子の特徴なのだろうか。
 一番豪快に食事を口に運んでいるのはやはりブライスだった。海の上では責任の重さに険しい表情が多かったが、ここではおおいに食事を楽しんでいるように見えた。
「やはり食い物はこうでないといかんな。我らが女神様も三千年にわたって海の民族の神をやっているのなら、船上で新鮮な食事を食える方法くらい考えてくれても良いのに」
 隣でスハーラが笑った。
「海には海の食事、山には山の食事があってこそいいのよ」 
 しばらく皆の食事の様子を眺めながら考え込んでいたミリアが、染み入るような深い表情をたたえてレンゼン王の正面の席に着いた。そしてお茶のカップを手にとると、さますように少しフーフー吹いてから言った。
「ブライス。マルトン神の弟子を捜す予定なのね」
「ああ、もうセルダンから聞きましたか。ザイマンにいるんだそうです。ご存じでしょう」
 ミリアは首を振った。
「いいえ、残念ながら私が師の弟子になった頃には、すでにトーム・ザンプタはいなかったの。マルトン神の弟子は同時期にみんなが弟子になったわけではないのよ」
「それは知らなかった。俺はみんなで机を並べて学んだのかと思った」
 美しい黒髪の魔術師は笑った。
「まさか。あのマルヴェスターが私と一緒に机を並べて、同じ呪文を学んでいたと思うの。そうね、少し説明しておくわ」
 そう言ってミリアは一同を見回した。
「マルヴェスターはこの戦いの最初からいたわ。マルトン神はアイシム神とバステラ神の間が気まずくなった頃から、弟子になる者を探していたのでしょう。バマラグの反乱の直後にマルヴェスターは歴史に登場するの。どんな生い立ちだったのかは一度も話したのを聞いた事が無いのでわからない」
「ふううん」
 エルネイアが果物をかじりながら相づちを打った。
「次がトーム・ザンプタという名前だけを私が知っている人物。彼はソンタール帝国のバルトールへの攻撃が激しくなった頃に弟子になったらしいのだけど。どういうわけかマルトン神の魔法に適性が無かったそうなの。もちろん誰にでも魔法が使えるわけではないし、魔法の才能を持っていてもその才能が使おうとする魔法に適さない時もある。おそらく翼の神の特性と彼の特性の何かが適応しなかったのね」
 スハーラが質問した。
「元は黒の神官だったと言う事はありませんか」
 ミリアは慎重に答えた。
「ありうるわ。とにかく私の知っている限りでは、バルトールの陥落の時に彼はしくじったの。マルヴェスターは別の使命でロッグを離れていて、トームがロッグを見張っていたはずなのに、ガザヴォックの進入に気づかずにロッグは陥落した。そしてトームはマルトン神の元を去った」
 ミリアはお茶をコトリと置いてエルネイアを見た。
「エル、お酒はダメ」
「はーい」
 給仕が持って回っている飲み物の中のビールに手を伸ばそうとしていたエルネイアは、オホホと笑いながら隣のジュースを取った。
「私とセリスがマルトン神の弟子になったのはそのずっと後。ロッグ陥落から千五百年もたった頃だから、まだ一千年くらいしかたっていないわ。最初に私が弟子になり、後からセリスも加わった」 
 その一千年という言葉を聞いた時、アタルスの顔に不思議な表情が浮かんだ。ブライスが骨付き肉をバリバリしながら質問した。
「それだけなんですか。マルヴェスターと、トーム・ザンプタ。あなたとセリス。マルトン神が弟子にしたのは三千年間でたった四人」
「私が知っているかぎりではそうね」
 セルダンが不思議がった。
「黒の魔法使いは六人もいるのに。いや、あの不思議なゾックの魔法使いも含めれば七人だ」
 エルネイアが口をはさんだ。
「でも聖宝の神も六人いるわ」
 セルダンがちょっとムキになって応じた。
「大きな獣も六体いたんだ」
「意地悪」
「いやべつにそういうつもりじゃ」
 魔術師ミリアがその後を受けた。
「微妙にバランスはとれているの。聖宝の守護者も六人いるはずだから。翼の神の弟子は本来中立なのよ。今はバステラ神のソンタールの側にコウイの秤が傾き過ぎているので、アイシム神のシャンダイア側の手助けをしているわけ」
 スハーラが質問した。
「やはり聖宝の守護者は六人なんですね。ずっと不思議だったんです。サルパートでこの戦いの記録をたくさん読みましたが、三千年の歴史のどこを探してももう一人が出てこないんです」
「でもいるはずだわ」
 セルダンとブライスは興味深そうに身を乗り出した。スハーラが続けた。
「セルダン王子、ブライス王子、ベリック王、エルネイア様、そして私。あともう一人」
 エルネイアが勝ち誇ったように言った。
「聖なる指輪の守護者がいるのね」
 一同は顔を見合わせた。セルダンは今まで全くその存在を気にした事が無かった事に気がついた。
「考えた事も無かった。もしアスカッチの指輪の守護者がいるのならば、彼がシャンダイアのリーダーだ」
「あら、男とは限らないわよ」
 エルネイアがねええっ、と言いながらスハーラとうなずき合った。ブライスが腹を叩いた。
「それを知るためにはいずれ北の果てまで行って、シムラーのクラハーン神にお聞きするしか無いだろう。今はとりあえずトーム・ザンプタを探し出して南の将を討つんだ。ミリア、彼はアードベルの町にいるそうです。アードベルはザイマンの南の小さな町で沼地に囲まれている。何か手がかりはありませんか」
「困ったわ。本当に知らないの」
 セルダンが言った。
「そうなると行ってみるしかありませんね。実はもう一人捜さなきゃならない人がいるんです」
「使命が多くて大変ね。次は誰なの」
「ホックノック族のミッチ・ピッチ女王の弟についてご存知ですか」
 ミリアの顔が曇った。
「シュシュシュ・フストね。ミッチ・ピッチはまだ消息をつかんでいないのか。ホックノック族は元々二人だったの。シュシュシュ・フストの役割は主に海の力を操ることで、ミッチ・ピッチは子孫を増やす事。でもシュシュシュ・フストはなぜか地上に憧れた。そして海の力をホックノック族の一人一人に分け与えてトンポ・ダ・ガンダを出たの。だからホックノック族は皆で力をあわせて海の力を引きだすようになった」
 ブライスが首を振った。
「そんな奴を探し出すのか。これは全くお手上げに近いな」
「そうでも無いわ。エルディがあなた達にそれを依頼したのならば、あなた達の進む道のどこかに手がかりがある事を感じているんだと思う」
「だとすると、少なくともマルバ海かザイマンのどこかになりますね。それは心強い」
 つまらなそうに食事をしていたエルネイアがスハーラを誘った。
「ねえ、これから宮廷に出入りの商人が服を持ってくるの。五日あれば十分に仕立てられるわ。一緒にお洋服をつくりましょう」
「まあ素敵」
 そう言ってスハーラの顔が輝いた。ブライスが不思議そうな顔をした。
「なあにブライス」
「いや、君も女なんだなあと思って」
 スハーラは不吉な笑みを浮かべた。
「後で思い知らせてあげるわ」
 エルネイアがポンと手をあわせた。
「お兄さまが戦争の話をしたくてウズウズしているわ。私とスハーラは先にごちそうさまをさせてね」
 そう言って若い女性二人は楽しげに席を立った。レンゼン王とエリダー女王がほほ笑みながら見送った。痩せたエリダー女王が言った。
「美しい巫女様ね。ブライス、あなたとの噂は本当なの」
「えっと、ええ、もうここまで噂が来てるんですか」
 エリダー女王が笑った。
「もちろんよ。この平野に閉じこめられているセントーンの民は、世界中の情報に飢えているのだもの」
 セントーンの王子ゼリドルが姿勢を正してセルダンに尋ねた。
「カインザーの軍が北の将を倒したと知った時の国民の喜びようを見せてやりたかったよ。だがまだまだカインザーとセントーンとは遠い。一刻も早く南の将を倒して、東の将を背後からけん制してくれ」
「ええ。カインザーから陸づたいにここまでくるのは困難です。でも南の将を倒して、船で現在の南の将の支配地域にカインザー軍を運べれば、東の将と戦う事も可能でしょう」
 ゼリドルは身を乗り出した。
「それは頼もしい。ブライス、輸送力は大丈夫か」
 ブライスはまだビールのジョッキを手放さずに請け合った。
「南の将さえいなければ。ユマールの将はまだマルバ海を南下する準備はしていないだろうし、カインザーとサルパートが解放された事によって、提督ゼイバーの艦隊は長大なエルバナ河をそれほど離れるわけにはいかなくなったはずだから」
 魔術師ミリアが心配そうな顔をした。
「南の将グルバと正面から組み合うのはいいけれど、デルメッツとコッコに対する備えも必要よ。空飛ぶ敵との戦い方をきちんと準備しないと南の将は倒せないわ」
「それが問題なんだ」
 そう言ってブライスはセルダンに説明した。
「コッコは獰猛な鳥だ。こいつらの大群に襲われると、実際の戦闘が始まる前に兵力をズタズタにされてしまう。そしてデルメッツ。あの怪物をどうして落とせばいいのか見当もつかない」
「そんなに凄い鳥なの」
「ドラティよりもバイオンよりもはるかに大きい。獰猛では無いだろうが、くわえて来る石一つで大型の戦艦が沈む。羽ばたきで小さな船はひっくり返される」
 ミリアが言った。
「マルヴェスターが、トーム・ザンプタを推薦したのはそれが理由かもしれないわ。鳥と戦うには、翼の神の魔法と相性が悪かったトームの力が必要なのかもしれない」
「なるほど」
 セルダンがハッと気がついた。
「そうだミリア様。エルネイア姫に気をつけてください。エルディ神が警告したんです。何かがおきると」
 レンゼン王とエリダー女王が心配そうな顔をした。ミリアが王に安心してとうなずいた。
「わかったわ。エルは私がピッタリとそばにいて守るから安心して」
「それともう一つ。トンポ・ダ・ガンダで先代の冠の魔法使いに会いました」
 ブライスが驚いた。
「本当か」
「ああ、言わなくてごめん。そいつが名も無き魔法使いに気をつけるように言っていたんだ。カンゼルの剣で必ず倒せと。ゼリドル、セントーンにユマールの将の艦隊が近づいたら気をつけて」
「ああ、気をつけよう。ミリア、名も無き魔法使いとは何者です」
「その名の通りの者よ。数百年前に現在の黒い冠の魔法使いの地位についたはずなのだけれど、ユマールのどこにも彼が姿を現わした事が無いの。その名前すら伝わってこない。冠の魔法使いが代替わりした事さえほとんど知られていないのはそのため。おそらくどこかで、たった一人でソホスと巨獣を操っているんだわ」
 一同は漠然とした不安を胸に食事を終えた。

 翌日。セルダンは早朝からエルネイアにつかまった。
「セルダン、綺麗な服をつくりましょう」
「え、いらないよ。すぐに船に乗っちゃうんだから」
「ダメ。つくるの。次にエルセントに来た時に着てちょうだい。それまで私が大事にしまっておくわ」
 そう言われるとセルダンは断れなかった。
「じゃあ」
「それとね、ブライスのもつくるの。スハーラに頼まれちゃった」
 セルダンは意地の悪い笑みを浮かべた。
「それはいい」
「あなたの部屋で待っていて。昨日私たちの服をつくってくれた商人と一緒に行くわ」
 セルダンとブライスはそれから数時間。二人の女性のおもちゃになった。やがて大喜びの二人が出ていくと、憮然としたブライスとヘトヘトになったセルダンはどっかりと椅子に座り込んだ。ブライスがうなった。
「なんだあれは。俺達は、今朝はゼリドルと会議をするはずじゃなかったのか」
 セルダンは、テーブルの水さしから直接水を一口飲んで答えた。
「いや、実際に現時点で僕らにできる事は無いから。ゼリドルが妹にゆずったんだろう」
 部屋の中には二人の他にアタルス達と商人がいた。商人は中年で鼻の高い気品のある顔立ちをしている。顔の彫りは深いがやはりバルトール人だろう。その商人が色とりどりの布をまとめて二人に退出の挨拶をした。
「それでは王子様方。ご出発までに服を持って参りますので、一度ご着用になってください」
 ブライスが興味無さそうに手を振った。
「ゆっくりでいいぞ」
 その時、アタルスが目配せしている事にセルダンは気がついた。セルダンはゆっくりと剣に手をのばした。目ざとくそれを見つけた商人が笑った。
「ご心配なくセルダン王子。さすがにロトフが鍛えたアタルス達の目はごまかせませんね」
 そう言って商人は背筋を伸ばした。ブライスが真顔になって身を起こした。
「何者だ」
「初めまして。ベリック王からセントーンのバルトール人をあずかっております。マスターのリケルと申します」
 ブライスが驚いた。
「バルトールマスターか。王室に出入りの商人だったとは」
 扉の所に陣取ったアタルスが後ろから説明した。
「ベリック王が帰還された時に、最初に忠誠を誓った四人のマスターのお一人です。このお方は信頼してくださって大丈夫です」
 セルダンがその話に興味を持った。
「それはベリックから聞いていなかった。信じていい四人って誰なの」
 リケルが説明した。
「私が知っている限りでは、まず亡くなったカインザーのロトフ。そしてサルパートのモント。私。そしてユマールのマスターでございます」
「ロトフには世話になったし、命を助けてもらった。よしわかった、君を信頼しよう」
「ありがとうございます。それでは私から王子様方に三つほどお知らせがございます」
 そう言ってリケルは二人を見た。セルダンもブライスも身じろぎ一つしない。
「さすがに歴戦の勇士。見事なたたずまいですな。さてそれではまずカインザーのマスターから連絡が入りました」
 セルダンはちょっと驚いた。
「ああ、新しいマスターが決まったんだ」
 リケルは続けた。
「カインザーのマスター・アントからの伝言です。アーヤ・シャン・フーイ様の素性をザイマンのマスター、メソルが知っているはずだとの事です」
 ブライスが驚いた。
「それは本当か。マルヴェスターの養い子の正体をメソルが知っているとなると、いよいよ放ってはおけんぞ」
 セルダンはアーヤを思い出した。ずいぶん会っていないような気がする。
「そう言えばアーヤがセントーンに来たがっていたなあ。よし了解。アントというマスターに伝えてくれ。メソルの正体と共にアーヤの素性も探ってみるって。アーヤも喜ぶだろう。二つ目の報告は何」
「二つ目は悪い知らせです。グラン・エルバ・ソンタールに戻って裁判にかけられていた西の将マコーキンが、戦場に復帰するようです」
 セルダン、ブライスの顔色が変わった。ブライスがうなった。
「それは本当か」
「ええ、あの将才を無駄にするほどソンタールも馬鹿では無いという事でしょう。南の将グルバはマコーキンの援助など断るはずです。しかし、南の将の要塞を抜いた後、待っているのがマコーキンという可能性はあります」
 セルダンはブライスと顔を見合わせた。ブライスが言った。
「南の将はカインザーのバイルン子爵の艦隊と、ザイマンの艦隊の連合軍で攻める予定だ。海戦と海上要塞の攻め方ならばおそらくバイルンがカインザーで最も適任だろう。ベロフの抜刀隊とともに存分な戦いができるはずだったんだが。しかしマコーキンが戦列に復帰したとなると、セルダン」
「ああ、陸戦ではバイルンの軍だけではかなわない。どうしてももう一隊必要になる」
「それも早急にだ。南の将を倒したらすぐに要塞の防衛戦の可能性すら出てきた」
 部屋に沈黙が降りた。その間合いでリケルが最後の報告をした。
「もう一つ。ブライス王子に面会を求めている者がいます」
「俺に」
「はい、ドン・サントスの使いと申しております」
 ブライスの表情が変わった。
「どうやらマスター、メソルとの間がかなり悪いようです。メソルがザラッカと組んだという情報も私の元に入っています」
「それでいよいよザイマンと手を組みたいと言うのか、海賊王め」
「お会いになりますか」
「ああ、さすがはエルセントだな。二日いただけで、これだけの情報と人と会える。どこに行けば会えるんだ」
「今夜、西の桟橋の海竜亭。アタルスをお連れください」
「了解した。セルダン護衛を借りるぞ」
「いいよ。頼んだアタルス」
「それでは私はこれで。王子様方、私の正体はセントーン王家の方々には内緒にしておいてください」
「ああ、もちろんだ」
 リケルは静かに挨拶すると荷物をまとめて部屋を出ていった。セルダンはすぐにベロフを呼んだ。油断の無いベロフはすぐにやって来た。
「ベロフ、セントーンのバルトールマスターから連絡が入った」
「何と。いつです」
「たった今さ。それより緊急にカインザーに連絡を入れて欲しい。マコーキンが戦場に復帰するようだ」
 ベロフの顔に緊張が走った。
「やはり来ますか。どこの戦場でしょう、カインザーか、セントーンか」
「それはまだわからないけど、最悪は南の将の後ろに来る可能性がある。バイルンの軍ではマコーキンを防げない」
 ベロフは考え込んだ。
「マコーキンが西に戻る可能性がある以上、トルソンとカイトは動けません。ロッティは馬がなければ役に立ちません」
「とすればクライバーか」
「またポーラを泣かせる事になりますな」
 セルダンは決断した。
「クライバーを呼ぶ。すぐに伝令鳥を飛ばしてくれ」

 ブライスはその夜、アタルスと共に都市の西方に突き出た形になっている桟橋の近くにある海竜亭を訪れた。ブライスはいつもの少しすり切れたシャツに赤いチョッキ。アタルスは黒い服に黒いマント。海に生きる者ならばブライスをザイマンの船乗りと気がつくはずだし、もっと修羅場をくぐった人間ならばアタルスをバルトールの訓練を受けた者だと悟ったはずだ。
 二人はゆっくりと酒場の扉をあけた。夏の盛りの匂いが充満している。酒場は満員だった。アタルスは酔った客をかきわけて真っ直ぐに酒場の奥に入ると、すぐに出てきてブライスを招いた。ブライスも酒の匂いの中を酒場の奥に急いだ。
「やけに手際がいいな」
「バルトールの酒場です。マスターがお膳立てしてくれたのです」
「なるほど」
 二人は二階に上がった。アタルスが一番奥の部屋の扉を開くと、酒臭いソファーに小柄な男が座っていた。男は気取った葉巻をくわえて、笑いながらジョッキを掲げた。
「よう」
 その男は水玉模様のシャツに派手な茶色の吊りズボンを履き、大きな鼻と縦皺がよった頬が特徴的だった。歳はけっこういっているはずだが、妙に血色のいい顔色をしている。ブライスが椅子を引き寄せて男の前に座った。
「いい葉巻を吸ってるな」
「ソンタール産だ。あんたがドレアントの息子かい。さすがにいい面構えをしてるねえ」
「そいつはどうも」
 男はニヤニヤ笑った。
「今回の取り引きなんぞうっちゃって、今すぐにおまえを殺したほうが親方のためになるって確信してきたぞ」
「それまたどうも。俺の後ろに立っている男が見えるな」
 男は目をあげてアタルスをじろじろ見た。
「体格はカインザー、身ごなしはバルトールの暗殺者。こいつは俺の手にあまる。わかった、ドン・サントスの言葉を伝えて俺は逃げよう。しかしブライス、とんでもねえ護衛を連れて歩いてるじゃねえか」
「セルダン王子の護衛だ。セルダンのほうは、こいつの数倍は強い」
 アタルスが言葉を添えた。
「私は物差しになりません。私がたとえ百人いようともゾノボートやギルゾンは倒せません」
 サントスの使いが落ち着きを無くしてきた。頭に手をやって柔らかい髪をクシャクシャとかいた。
「化け物かそいつは。まあいいやブライス、率直に言うぞ。ドン・サントスが手を組みたいと言っている。ザイマンに拠点を置くバルトールマスター、メソルがどうやらザラッカと手を組んだんだ」
 今度はブライスがニヤニヤしてきた。
「面白くなってきたじゃねえか。メソルにはあいにくだがザラッカは俺が倒す。メソルにも聞くことがたくさんある。逃がしはしない。サントスと手を組まなくても、俺達はやってのけるぜ。ドン・サントスの順番はその後だ、首を洗って待ってりゃいいんだ」
 サントスの使いも負けていなかった。
「そうはいくかい。そうなりゃ、こっちはユマールの将と手を組むだけさ」
「そこまでやるか」
「ああ。それにおまえがトンポ・ダ・ガンダを通ったという噂もすでに伝わっている。もしザイマンに戻ってトンポ・ダ・ガンダを通った王子にザイマンの船乗りが従わなかったらどうする」
「ちくしょう。痛い所をつきやがる」
 ブライスは不機嫌にうなった。ドン・サントスの使いの男が言った。
「グーノス島でドンが待っている。来るか来ないかはおまえ次第だ」
 ブライスは躊躇しなかった。
「いや行くぜ。サントスに警告しておけよ。カンゼルの剣の守護者と、カインザー屈指の戦闘部隊、ベロフ抜刀隊を連れていくと」
 使いの男は蒼白になりながらも。葉巻を噛み締めてこれで終わりだと手を振った。ブライスは笑いながら自分の首をヒタヒタと叩いた。
「へっへっへ、心配するな。たとえ戦いになっても抜刀隊の切り口は完璧だ。楽に殺してやるぜ」

 セルダン達が出航する朝、会議室で海図を前にブライスは皆を集めて航路の説明をした。部屋には他にセルダン、スハーラ、ベロフ、アタルス達三兄弟。そしてレンゼン王とゼリドル、魔術師ミリアがいた。エルネイア姫は顔を見せていなかった。別れの日の朝はいつもそうだとセルダンは思い出した。ブライスがマルバ海のほぼ中央にある大きな島を指先で叩いた。
「少し寄り道になるが、グーノス島に寄る」
 事情を聞いたゼリドルは賛成しなかった。
「この時期にドン・サントスと取引して大丈夫だろうか。グーノスは彼の本拠地だし、並の海賊で無い事はおまえが一番よく知っているはず。いくらカインザーの戦士がいても島全部と戦うわけにはいくまい。奴が裏切って捕らわれてしまえばザイマンそのものの命運にかかわるぞ」
 ブライスは厳しい顔をしていた。
「あなどれない相手だからこそ、南の将グルバとの対決の前に決着をつけておきたいんだ。味方に引き入れるにしても敵にまわすにしても、のっぴきならない状況まで追い込んでやる。本番の戦闘の最中に妙な動きをされるのが一番危険だ」
 ミリアが海図を眺めながら言った。
「ブライス、マスターメソルがザラッカと組んだのは確かなの」
「ここ、セントーンにいるバルトールマスターからの情報です」
「残念だけど信頼度は抜群ね。これは手ごわいわ。元々メソルは奇妙なバルトールマスターだった。あなたは気に入らないかもしれないけれど、サントスまで敵にまわさないほうが良さそうよ」
「やっぱりそうか」
 そこへ城の者が息せき切って駆け込んできた。
「デルメッツです。不滅の鷲が南方にあらわれました」
 窓辺で日差しを浴びながら座っていたレンゼン王が驚いた。
「デルメッツがセントーンへか。鷲がこの平野まで飛来したことなど過去に無かったぞ。それでどうした」
「いくつかの町の上空を旋回した後、一度着地をしたようです。その後、西に去っていったとの報告です」
 一同は顔を見合わせた。レンゼン王が言った。
「南の将グルバか黒い剣の魔法使いザラッカか。どちらかが何かをたくらんでいるのだろう」
 ミリアが言った。
「もしかしたら乗り手を下ろしたのかもしれない」
「誰じゃ」
「わかりません。まさかとは思いますがザラッカの可能性もあります。ゼリドル」
「わかった。西部地域の警戒体制を強化する」
「頼むわ。でももしザラッカならばうかつに手を出してはだめよ。とんでもない破壊力を持った魔法使いだから」
 セルダンが剣に手を置いた。
「もしザラッカのほうから来てくれるのならば。僕はここに残ったほうがいいんじゃない」
 ミリアが首を振った。
「ブライスの船団にはあなたが必要よ。もしザラッカが来たとしても私が何とかするわ」
 セルダンの後ろにいたアタルスが蒼白になった。スハーラが心配そうに聞いた。
「大丈夫ですか」
 ミリアは笑った。
「マルヴェスターとは一緒にしないでね。彼と黒い指輪のガザヴォックはちょっと別の次元にいるわ。でもザラッカならば何とかなるかもしれない」
 その日の夕方。セルダン達は後ろ髪を引かれる思いでエルセントを後にした。エルネイアは結局姿を見せなかった。船の後甲板に立って都を眺めているセルダンの横にアタルスがやって来た。
「セルダン様にお願いがございます」
「なんだい」
「私たちは亡きロトフ様にセルダン様の護衛を命じられました。ロトフ様はみなし子だった我ら兄弟を育ててくれた恩人。その命令は私たちの第一の使命です。しかし王子の身が安全だと思われた時、私達がもう一方を守る事をお許しくださいますでしょうか」
「ああ、もちろんだ。誰を守るの」
「魔術師ミリア様を。私たちがお守りするまでもなく強大なお方でしょうが、もしもの時にお守りしたいのです。私たち兄弟が生まれて初めて自らの意志で行おうと思った事です」
「それはいい事だと思う。僕も今、守りたい人がいる」
 そう言ってセルダンはエルセントを指差した。船の上から眺めると都は夕焼けに真っ赤に染められていた。その赤が血の赤のようにセルダンには見えた。
「血の色ですな」
「おまえにもそう見えるか」
 二人の心に、この平野が戦場になるかもしれないという漠然とした不安がやどった。そのセルダン達の予感は、やがて東の将とユマールの将による総攻撃と、迎え撃つセントーン、カインザー、ザイマンの連合軍の大会戦という形となって現実となる。

 バイルン子爵にうながされて、領地であるセスタの町に戻ろうとサルバンの野を行軍していたクライバーの軍に、バンドンの盗賊部隊が合流した。バンドンはクライバーに謹慎が申し渡されると、暇を取って巨竜ドラティの洞窟を探しに行っていたのだ。元々山賊だったバンドンは今ではすっかりカインザーの指揮官の一人になっていたが、竜の財宝の伝説は見過ごすわけにはいかなかった。クライバーは、いつの間にか馬を並べてきたバンドンに声をかけた。
「どうだ、竜の財宝は見つかったか」
 バンドンはつまらなそうに答えた。
「洞窟は見つけたぞ。信じられないことだが、アルラス山脈の北方の山のふもとにあった。それほど高い場所じゃない。ドラティはあそこに人が忍び込むなんて考えた事も無かったんだろうな」
 クライバーが笑った。
「だが、ベリック王が侵入した。で、お宝は」 
「無い。からっぽだ。竜の宝なんておそらくは魔法の産物なんだろう。竜が死ねばただの土くれにもどっちまうんだろうさ。見つけたのはこれだけだ」
 そう言ってバンドンは懐から細い鎖を取り出した。
「何だそれは」
「わからねえ。ただの鎖だと思うんだが、俺の勘が何か特別なものじゃねえかと告げている。しばらく持っていてもかまうまい」
 二人はそれ以上に何も言わずに馬を進めた。

(第四章に続く)

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