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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第六章 緑の要塞の戦い

福田弘生

 攻めるソンタール軍の青年貴族、クラウス・ゼンダが魔法学校の三人の魔法使いと相談をした日の翌日から、ゼンダ家の兵士達によって要塞を囲む町の中の水路の埋め立て工事が始まった。
 守る緑の要塞の最高指揮官デル・ゲイブとカインザーのバイルン子爵、そしてザイマンの侯爵の娘ベゼラ・イズラハの三人は、要塞の上階にある司令室の窓からその様子を眺めていた。金髪でそばかすだらけの子供のような顔をしたデルは、工事が行われている方向を指さして大柄なカインザー人に言った。
「おい、何か始まったぞ」
 バイルンが知ってるよと答えた。
「見ての通りさ、水路を埋めているんだろう」
「なあバイルン、そろそろ潮時だ。海に退却しよう」
「そうしたい所なんだが、ベロフとクライバーがまた攻撃の準備をしている」
「おい、いいかげんにさせろ。確かにこれまであの二人の襲撃作戦は面白いように成功してきた。しかしいくらカインザー戦士が強くても、水路が埋まれば兵力に圧倒的な差が出る。もうかなわないぞ」
 バイルンは部屋の中央にある机の椅子にドサリと座った。
「いや、今度は襲撃じゃ無い。やって来る敵を待ち伏せようとしているらしい」
 デルはバイルンと向かい合って座ると、二人の間の机の上にある要塞を囲む町の街路図をバンと叩いた。
「お前はここにいるカインザー軍の中では最も位が高いんだろう。二人に指示してやめさせるんだ」
 バイルンは片手を軽く上げてデルを遮った。
「あと一回やらせてやってくれ。あいつらが危いようなら俺も行く」
 デルが婚約者のベゼラを振り向いた。
「カインザーからの兵員輸送船はまだ着かないのか」
 ベゼラが豊かな黒髪を左右に振って答えた。
「伝令鳥が来たわ。ザイマンの船乗り達がぼやいてる。素人のカインザー人船員と大量の兵士を乗せたために全然進まないって。ごめんねバイルン」
 バイルンは優雅に両手を開いた。
「いえいえ、事実ですから。それで、あと何日くらいでこちらに着きますか」
「三週間」
「それまでは保たない。どうしたって一時退却しかないなあ。バンドンの言う通り、退却の前にソチャプを乗せた大船を引っ張って来よう。そうすればソンタール軍も港だけは支配下に置けなくなる」
「そうだった。その大仕事が残ってた」
 デルがうめいてベゼラに目を向けると、ベゼラは広い肩をすくめた。
「私は要塞を退去する船団の準備で手いっぱい。たまにはあなたも船の指揮をしてらっしゃい」
「ああ、わかった。仕方が無いやるか。バイルン、あと何日くらい余裕があるだろう」
「まあ、五日といった所だな。ベロフ達は水路が埋まるのを待っているらしいから」
「やれやれ」
 デルはため息をついた。

 ・・・・・・

 四日もすると、要塞を中心にして町中に張り巡らされていた水路はほぼ埋まった。
 バイルンの言葉通り、ベロフとクライバーはこの時を待っていた。二人が戦場に選んだのは要塞の西側の海に面した大きな広場だった。町中の水路は海に近づくに従っていくつかの大きな水路に合流する。その最大のものがこの広場の東側を通っている。広場の南は港、西には町の外に通じる大きな道がある。北側は建物の壁になっていた。広場の中央には水路から引かれた生活のための大きな泉がある。そこにはまだ水が溜まっていたが、工事の土が流れ込んで茶色く濁っていた。
 馬に乗った二人のカインザー貴族と参謀のバンドンは、広場の中央に立って辺りの様子を確かめた。周りの建物にはまだ住民が住んでいる。ソンタール軍は要塞攻めをする際に住民を避難させなかった。ソンタールの兵は遠征に慣れていないため、住民の協力が無ければ大軍を維持出来なかったのだ。金髪を遅い午後の陽にきらめかせてクライバーが言った。
「ソンタール側には住民から情報が筒抜けだな」
 痩せっぽちのバンドンが鼻をすすりながら落ち着かない様子で答えた。
「わかったところで敵はここに来るしかない。水路ってのは人の生活に合わせて造られている。そこを埋めて行進してくりゃあ、どうしても市民生活の中心のここに来る」
「なる程。ところで落ち着かないな」
 バンドンは肩を抱いてブルブルッと震えた。
「いっくら言ってもわかってもらえないと思うがなあ、俺はこういう平らな所で戦うのが大嫌いなんだ」
 陽がかなり傾いてきた。建物の上からソンタール軍を監視していた兵から連絡が入ったのを、ベロフが口髭をひねりながら二人に伝えた。
「大熊の紋章を旗印にした軍が進んで来る」
 クライバーが楽しそうに応じた。
「ゼンダか、やっと歯ごたえのありそうな連中が出てきたぞ」
 クラウス・ゼンダは全軍の約半数の一万の歩兵を率いて北側から町に侵入し、水路を埋めて造った道を兵でいっぱいにしてやって来た。クライバーは千二百の騎馬隊を広場の北の陸側に配置した。ベロフは二百の抜刀隊を連れて路地に潜んだ。

 ゼンダ軍は揉み込むように広場に突入した。
 クライバー隊は一呼吸置いて適当にゼンダ兵が広場に入った所で、敵の隊列の先頭を削るように北から突撃して切り崩した。しかし今回のゼンダ軍はサムサラ砦の戦いの時より、遙かに頑強な軍隊に変身していた。実戦経験に富んだ兵士達は、これまでのジョール親子やオルソート伯爵の軍とは戦意に格段の差がある。クライバーは嬉しそうに笑った。
「ああ、これだ。この緊張感だ。今までの相手は軍隊じゃなかった」
 クライバーの騎馬部隊は八倍の数の歩兵と互角に渡りあってなるべく狭い広場の入り口で防ごうとしたが、ゼンダ軍は苦戦しながらも広場に満ちてきた。
 ベロフの抜刀隊はゼンダ軍の隊列からはみ出した兵士達を効率よく片づけていった。しかしベロフは血の臭いを嗅ぎながら首をかしげた。
(そろそろ敵の次の部隊が来ていい頃。ここが戦場になっている以上、ここに来るのが常道だが)
 歩行のベロフはクライバーに駆け寄ると、馬上の若い貴族にどなった。
「クライバー、おかしい、次が来ない。見て来る」
 紅の男爵クライバーは水車剣を振り回しながらどなり返した。
「頼む、ここは大丈夫だ」

 ・・・・・・

 抜刀隊を引き連れたベロフは、ゼンダ軍をかき分けるようにして広場の東の口から町の中央部に向かった。街路には人気が無い。住民は皆建物の中に隠れているのだ。空が夕焼けに赤く染まり、道が暗くなってきた。
 しばらく辺りに注意しながら路地を縫うように走っていたベロフ隊は、ある大通りでいきなり傭兵部隊の側面に飛び出した。あり合わせのような不揃いの鎧があきらかにソンタールの正規軍と違う。
 傭兵部隊はざっと三千くらいの数だった。多くの兵士が手に火のついた松明を持っている。その部隊の中央の馬の上から指揮をしている男は、鍛え抜かれた体にいくつもの鎧を繋ぎ合わせた奇妙な鎧を付けていた。ベロフの目はその戦士に釘付けになった。
(ガッゼン。見付けたぞ、ボロ切れ)
 ベロフは躊躇せずにその隊列の側面に突っ込んだ。
 傭兵隊長のガッゼンは、いきなり横道から飛び出して来た少人数の一隊が、まさか自分の部隊に突入してくるとは思っていなかった。
「ちくしょうカインザーか、全く狂っていやがる」
 ガッゼンは二股の鞭を振り上げて部下達に叫んだ。
「カインザー人を叩き潰せ」
 そして馬をめぐらした時、襲撃して来た黒い鎧の戦士団の先頭に短い髭の壮漢の姿を見付けて舌打ちした。
「おっと、ベロフ男爵だ。こいつらが噂のベロフ抜刀隊か」
 隣で部下がヒッと悲鳴を上げた。ガッゼンは鞭で地面を叩き付けた。
「おびえるな。敵は小勢だ、皆殺しにしろ」
 隊長のこの命令に、命知らずの傭兵達がベロフ抜刀隊に襲いかかった。

 ・・・・・・

 緑の要塞のカインザー軍の総司令官バイルン子爵は、要塞から市街戦の状況を分析した。要塞からは海に面した広場の戦いと、そこから町の中央部に向かったベロフ隊の戦闘の様子がよく見えた。
(さてと、クライバーは大丈夫だろう。ベロフが危い)
 バイルンはそこで手勢三千の歩兵すべてを引き連れて要塞を出た。そして真っ直ぐに町の中央部に向かった。最短距離を取ったバイルン隊はすぐに傭兵部隊の端に達したが、ベロフはバイルンが思ったより敵軍の中に深入りしているようだった。
(面倒な事を)
 バイルン隊は弓を巧みに速射しながら抜刀隊と傭兵部隊が戦っている場所に急いだ。

 バイルンの出撃した様子をザイマンのデル・ゲイブが見ていた。デルは戦闘に関しての経験が無かったので、バイルンがベロフの救援に向かったのを見て、単純に今度はクライバーが危いと思った。そしてザイマンの陸戦部隊の隊長であるニガッソ男爵を呼んだ。
「どうする」
 長髭の忠実な男爵は即座に答えた。
「私がクライバー男爵の応援に行って参りましょう」
 しかし同じ部屋にいたベゼラが首を振った。
「待って、デル。バイルンにまかせたほうが良くないかしら」
 デルは爪を噛みながらしばらくブツブツと悪態をついていたが、迷いを振り切るように言った。
「かまわん。カインザーの連中はいささか自分達の力を過信している。どう見てもあの兵数の差では危い」
 ニガッソはザイマン人の兵二千を率いて出撃した。少数の部隊がそれぞれ別の目的を持って出撃した事が、シャンダイア軍全体に混乱を引き起こした。

 ・・・・・・

 街の中心部めがけて走っていたバイルンは、後方のざわめきに気付いて後ろを振り返った。そして緑の旗と海老の旗印の一隊が要塞から出撃して来るのを見て仰天した。
「ニガッソか、ちいっ、よけいな事を。デルは何を考えている」
 バイルンは部隊に速度を上げさせて、傭兵部隊に切り込むとベロフを探した。そして狂ったように傭兵を薙ぎ倒して、傭兵部隊の中心に迫ろうとしているベロフに走り寄った。
「戻れベロフ」
 ベロフは息も乱さずに振り返った。
「おお、久しぶりだなお前の乗馬姿」
「俺が落馬する前に帰れ」
 ベロフは首を振った。
「もう少しでガッゼンに追い着く」
「やめておけ。何を考えたのかデルがニガッソを送り出して来た。放っておいたらゼンダ軍に殺されてしまう。俺は救出に戻る」
「なんと」
「抜刀隊を連れて広場で合流してくれ。頼んだぞ」
 バイルンはそう言い残して急転すると、ニガッソ隊めがけて部隊を返した。

 ・・・・・・

 広場のクライバー隊はゼンダ軍と互角の戦闘を繰り広げていたが、戦場が乱れてきたのを戦士の勘で感じ取った。そして近くでヒイヒイ言いながら戦っていたバンドンに叫んだ。
「バンドン、引き時か」
 バンドンがわめくように叫んだ。
「すっかり勘が鈍っちまったのかと思って心配してたぜ」
「わかった引こう」
 クライバーは手際良く退却を開始した。しかし、隊をまとめた所で要塞を出たニガッソ隊が自分達に向かって進んで来る事に気づいて慌てた。
「馬鹿、俺が挟まれて立ち往生しちまうじゃないか」
 クライバー隊の足が止まった後ろからゼンダ軍が攻撃を仕掛けた。

 ・・・・・・

 傭兵隊長ガッゼンは襲撃をかけてきていたベロフ隊が退却を始めたのを見て、一気に部下達を街路に散らばらせた。そして要塞に近い海岸線沿いの民家に火を放った。火は次々に建物に放たれていった。煙があがり、火のはぜるバチバチという音と共にあたりを熱風が包んだ。住民達の悲鳴が上がり、人々が路地に走り出た。
 炎の壁が、シャンダイアの各隊の合流を困難にした。さらに突然の炎を見て、バイルン隊とクライバー隊の馬達が驚いて乗り手を次々に振り落としていった。

 広場でクライバー隊と戦いを続けていたソンタールのクラウス・ゼンダは夕闇を赤く染め上げる炎を見て愕然とした。
「何をやったんだ、ガッゼンは」
 横にいた参謀のダイレスが蒼白な顔で頭を振った。
「あの夜、メド・パンハルがガッゼンに耳打ちしたのがこれだったのです。こんなひどい事は傭兵にしか出来無い」
 クラウスは一声、ウオオオと叫ぶと全軍に命じた。
「全軍停止、戦闘はここまでだ、民家の消火に向かう」
 そしてダイレスに向かって吐き捨てるように言った。
「こんな戦闘に付き合えるか」
「しかし、すでに火はついてしまいました。今攻めれば紅の男爵の軍を壊滅出来ます」
「クライバー男爵にはいずれサムサラの借りを返す。だが今日はやめだ」

 ガッゼンは広場で戦っていたゼンダ軍が後退して来て、火が燃えて広がらないように炎のまわりの家を壊しはじめたのを見て毒づいた。
「おぼっちゃまが」
 そこに突然、魔法使いのメド・パンハルが現れた。
「かまわん。もはやゼンダは用済み。おぬしも引き上げて良い。ここまで混乱したら後は神官部隊がけりをつける」 
 ガッゼンは鞭を手元にひきよせて言った。
「まかせたぜ。大事な兵をこれ以上死なせられるか」
 そう言うと、ベロフの抜刀隊にズタズタにされた傭兵部隊をまとめて引き上げた。

 ・・・・・・

 メド・キモツとドボーレに率いられた神官部隊は、広場の西の道からゼンダ軍が退却した後になだれ込んだ。クライバーとニガッソの隊は混乱していたが、何とか退却する体勢に入っていた。その中にメド・キモツは要塞軍の指揮官らしい男を見つけた。キモツは黒衣をちょっとはしょると、老人とは思えない速度で走り出した。いつの間にかキモツの横にドボーレとパンハルが並び、二人が抜け出すとニガッソの両腕を抱えるように飛び付いた。老男爵が呆気にとられる間にメド・キモツがニガッソの頭上に飛び上がると、手の先で男爵の頭にそっと触れた。ニガッソは蒼白になると絶命した。
「たやすい。しかも弱々しい命」
 残る二人もうなずいた。着地したキモツがつぶやくように言った。
「これは」
「たいした相手ではなかった」
 しかしザイマンの海兵隊がこれを見て動揺し、崩れるように列を乱して退却を開始した。その混乱の最中に、町の中央部から救援に来たバイルンの部隊がたどり着いた。バイルンの弓兵隊は神官部隊をめがけて弓の雨を注いだ。メド・キモツはその敵部隊の中央で、馬上から指揮をしている明るい水色の鎧の大男に目をつけた。
(あれは大物)

 一方、美しい碧眼のバイルン子爵も神官部隊の中に頭を剃り上げた三人の老人を見つけた。
(魔法使いか。しまった、やはりこの要塞戦に参加していたのだ)
 次の瞬間、どうやって動いたのかと驚く程の速さで三人の魔法使いがバイルンの目の前に立った。馬上から三人を見下ろしてバイルンは叫んだ。
「バステラ神の高位の神官と見た」
「いかにも」
「まさに」
「しかり」
 バイルンは先頭の魔法使いめがけて矢を放つと、馬頭をめぐらしてその場を離れようとした。メド・キモツは矢を額にまともに受けてふっ飛んだ。そして地面に仰向けになると、目を寄せて額に刺さった矢を見つめて冷静な声で言った。
「なる程、カインザーの貴族の矢は凄い」
 次にメド・パンハルがバイルンの真上に飛び上がった。しかしバイルンは片手で大剣を抜くと、頭上にかかげてメド・パンハルをはじき飛ばした。地面に飛び降りたメド・パンハルが肩をすくめた。
「生身の人間なのかあいつは」
 だが、メド・パンハルをはねとばした一瞬のスキにメド・ドボーレがバイルンにしがみつくように飛び付いた。激痛がバイルンを襲ったが、強力の子爵は力を振り絞って魔法使いを投げ捨てた。その時、ベロフの抜刀隊と、踏みとどまったクライバー隊が神官兵に逆襲をかけた。それを見て三人の魔法使いは神官部隊を後退させた。
 乱戦の中をベロフが駆け寄って来て、バイルンに声をかけた。
「遅くなってすまん。ニガッソはどうした」
 クライバーが老男爵の亡骸を鞍の前に横たえて合流した。
「遅かった。でも不思議な事にニガッソの体に傷が無い」
 バイルンがフラフラしながら馬を立て直した。
「魔法使いにやられたんだ。引き上げるぞ」

 ・・・・・・

 要塞に駆け戻った三人をデル・ゲイブが迎えた。巨大な要塞の門が閉じ、その内側にカインザーの三将とデル・ゲイブとベゼラが立った。デル・ゲイブは鬼のような形相でニガッソ男爵の亡骸の横に立った。バイルンが蒼白な顔でデルに謝った。
「すまない。傭兵が火を放ったところまでは大丈夫だったんだが、三人の魔法使いがいた。ニガッソはそいつらにやられた」
 デルは蒼白な顔で答えた。
「なる程、それでは仕方が無い。こっちには魔法使いがいない。俺は今まで要塞など欲しいとも攻め落としたいとも思った事が無かった。だが、一度はここを退却するが、もう一度戻って絶対にあの連中を叩き出してやる」
 それを聞いたバイルンが崩れるように倒れ込んだ。ベロフが急いで抱え起こした。
「どうした」
 バイルンは弱々しく薄目を開けて微笑んだ。
「魔法使いに触れられた。あれは武力ではどうにもならない別の次元の生き物だ。すまん、当分俺は役にたたん」
「どうせ退却だ。船の中で寝ていろ」
 こうしてザイマン、カインザーの連合軍は船を連ねて海に退却した。町を焼く炎が要塞の輪郭を赤く彩り、炎に照らされた港にはソチャプの巨大なつたが揺れていた。

 (第七章に続く)

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