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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第十九章 暗黒の罠

福田弘生

 ランスタイン大山脈の北の平野では空が驚くほど広い。それは夜でも同じである。その空を煤けた雲が渡って青白い月の光を隠した時、月光の要塞の中庭にある美しい泉で金色の魚がはねた。
 次の瞬間、大気を裂くような轟音が響き、幾筋もの黒い稲妻が紫の閃光を放って天から降り注いだ。稲妻は大地に近づくと重なり合って泉に吸い込まれ、泉は沸騰するように沸き上がって黒い水がみるみるあふれ出した。泉を取り巻いている大理石の敷石は地中から拳で突き上げられたように砕け、泉から流れ出た水がそこに流れ込んだ。
 壮麗な月光の要塞がまるで砂糖菓子の城のように内側に崩れ始めた。大地は巨大な口を開き、要塞を兵士ごと喰うように飲み込んだ。赤い色の球電が踊り、黒い稲光が残った建物の廊下を走った。その悪魔の光に触れた兵士達は、炭のように黒い粉になって散った。
 それは要塞のソンタール兵達が眠りにつく直前の出来事だった。下着姿のままの兵士達はあわててベッドから飛び出したが、揺れる床に積み重なるように転がった。要塞の指揮をまかされていたパールの三人の友人は、別々の場所でその異変に遭遇した。
 上階の司令室にいた要塞の指揮官であるゲイルは、ふらつきながらも兵士を呼び集めながら階を降り、大声で指示を下して何とか兵士達を要塞の外に逃がそうとした。しかしついに要塞全体が陥没して、その声は途切れた。
 要塞の外壁に近い酒場で酒盛りをしていたペイジは、まわりにいた者達を率いて要塞の中にゲイル達の救助に入ろうとしたがかなわず、命からがら城外に逃げ出した。
 城壁の外に野営している軍にいたヒースは、地割れを避けながら兵を指揮して要塞から離れた。
 天と大地の異変は三十分にわたって続いた。

 要塞を見上げるあたりまで山を下った地点で兵をまとめたヒースは、地鳴りが止んで揺れが去ったのを確認してから慎重に要塞に近づいた。そして大きく根を張った大木によりかかるように座り込んでいるペイジ達を見つけて、大声で尋ねた。
「ゲイルはどうした」
 傷だらけのペイジは情けなさそうに首を振った。
「要塞の中だ。おそらく助からなかっただろう」
「どのくらいの兵が死んだと思う」
「外にいる兵は数えたか」
「ああ、二万だ」
「ならば死者は残り全部だ」
「何と七万か」
 ヒースは端正な顔を蒼白にして馬を下り、ペイジの横に立った。
「怪我は」
 ペイジは太い筋肉質の足を叩いて立ち上がった。
「足をくじいただけだ。いったいさっきのあれは何だ」
「わからん」
 二人は要塞のあったあたりを見上げて、声も無く立ち尽くした。

 ルフーの群れと二千のゾックは、山の中から月光の要塞に起きた異変を眺めていた。話し合うような共通の言語は持っていなかったが、意志は通じ合っていた。
 やがてルフーの長レイユルーが「ヴァオン」と一声ゾックに向かって吠えると走り出した。ゾックも羽をたたんでバッタのような跳躍でその後に従う。夜の闇の中を二つの種族は走った。東へ、ロッグに向かった魔法使いテイリンを追うために。

 ・・・・・・・・・・

 ソンタール帝国の首都、グラン・エルバ・ソンタールの王宮の地下にあるガザヴォックの部屋で、闇が狂乱したように踊った。部屋の中央で瞑想をしていた黒の魔法使いの総帥は、歓喜に顔をゆがめながら立ち上がった。
「おお、ついにかかったか」
 ガザヴォックは知覚を拡げて闇の中をさぐった。そして自分の失敗に気が付いた。
(しまった。アイシム神の魔法使いは月光の要塞にはおらん)
 ガザヴォックはさらに闇の知覚を拡げ、ロッグで自分が見落とした小さなネズミにアイシム神の魔法使いが触れた事を知ると、急いで闇の中に魔法の手を伸ばしてアイシム神の魔法使いを闇の中に引き込んだ。
 次にガザヴォックは急いで王宮を抜け出し、馬を走らせて郊外にある大鬼ザークを閉じこめてある収容所に急いだ。老魔法使いが囚人達の格子の間を駆け抜けて中央の広場にある鬼の囲いに入ると、星を見上げていたザークが気が付いて魔法使いにどなった。
「罠は失敗したぞ。要塞に魔法使いはおらん」
 ガザヴォックもうなずいた。
「ああ、しもうた。月光の要塞はどうなった」
「跡形も無い。パール・デルボーンの兵が壊滅的な打撃を受けた」
 ガザヴォックは青ざめた。
「パールはいたか」
「いや、ロッグへの攻撃のために要塞をあけていた」
 さすがのガザヴォックも膝に手をあててホッと息をついた。ザークがせせら笑った。
「アイシム神の魔法使いは逃がしたのか」
「いや、捕らえた。闇の中に閉じ込めてある」
「チッ、なんでえ。ふがいない奴め」
 ザークは残念そうに舌打ちすると、ガザヴォックが悔しそうに言った。
「ネズミだ。ロッグにわしの魔法にかかったネズミが一匹残っていたのだ。それに魔法使いが触れ、要塞のほうの罠が起動した」 
 大鬼はカラカラと笑った。
「さすがの大魔法使いにも手違いがあったか。それでアイシム神の魔法使いはどうする」
 ガザヴォックは苦々しそうな顔をして背を伸ばした。
「せっかく生け捕りにする機会を得たのだ。どんな魔法使いか調べてみよう」
 大鬼ザークはその声にゾッとする響きを感じた。
「何を考えているガザヴォック」
 ガザヴォックは低く笑った。
「わしとした事が、せっかくの機会を危うく無駄にするところだったわい。アイシム神の魔法を研究し、可能ならば我が手におさめてやろう」
「やめておけ。相手は聖宝の小神じゃない。宇宙神だぞ」
 ガザヴォックが軽く右手を振ると、ザークは魂をわしづかみにされる苦痛に悶絶した。鬼の絶叫に背を向けると、暗黒の魔法使いは笑いながらその場を立ち去った。

 ・・・・・・・・・・

 バルトールのベリック王が居場所を偽って冒険をしている間、カインザーのクライバー邸で身替わりを務めていたダンジ少年は、今では首都ロッグで神官の見習いとなっている。
 その朝、神官長のナバーロに頼まれて、ダンジは破壊されたバリオラ神の聖堂跡を見回っていた。夏の木々の緑は濃く、荒れ果てた地面にも赤い花がたくさん咲いている。黄色いゆったりとした神官服は、この季節では少し暑い。
 ふと見ると虹色の蝶が舞いながら瓦礫の中に消えていった。ダンジが導かれるように石の影を覗くと、そこに一人の若い男が倒れていた。少年は男を背負ってすべての行政の中心となっている薄紅色の塔に戻った。
 ダンジは塔の入り口にいた見習いの神官にナバーロを呼ぶように頼むと、一階の広い部屋にある長い椅子に男を横たえた。やがて螺旋になった階段を下ってナバーロとマスター・メソルがやって来た。巫女の黄色い長衣を着たメソルは横たえられた男を見るなり驚いたように声を上げた。
「テイリンじゃないか」
 ナバーロは皺だらけの顔を近づけて、興味深そうに男を観察した。
「昨夜、女神の聖堂にいた男だな。何者だ」
 メソルはテイリンの茶色い髪に指を入れて軽く梳いた。
「黒の神官だよ。獣の魔法使いの次あたりに位置する魔法使いだ。だがマルヴェスターは、この男がアイシム神の魔法使いである可能性が高いと言っていた」
 ナバーロも思い出した。
「そうか、この若者か。思ったより頼りない印象じゃな」
 この二人の会話に驚いたダンジは、気を失っているテイリンに近づいた。
「それではこの人は聖宝の守護者と並ぶシャンダイアの切り札じゃないですか。どうして気を失っているのでしょう」
 メソルも不思議そうな顔をした。
「さあて、坊やだったが強力な魔法の使い手だ。この男が意識を失うとしたら、相当強い相手と戦ったか、危ない魔法に触れたかだが」
 ダンジがあわてて身を引いた。メソルが続けた。
「戦ったとしても翼の神の弟子はこのあたりにいないから、もしかしたら黒の神官同士の争いか、何か別の魔法にやられたのかもしれないね」
 ナバーロが険しい顔をした。
「昨夜会った時は何とも無かった。何かあの聖堂あたりに危険な魔法があるのかもしれんな。ダンジ、聖堂のまわりの兵を増やして警備を強めてくれ。それからクチュクに情報を集めて持ってくるように言いなさい」
「はい」
 ダンジは急いで走り去った。メソルがナバーロに言った。
「テイリンは私が見張りましょう。少しは魔法についての知識がありますから」
「頼む。マルヴェスター達が帰ってくるまでは、ここにいる者達で切り抜けていかなければならないのだ」
 メソルはうなずくと、部屋の中にいた巫女達にテイリンを塔の中の一室に運ぶように命じた。

 ・・・・・・・・・・

 小鬼の魔法使いテイリンは闇の中に立っていた。何が起きたのかさっぱりわからない。足下をさぐってみたが、どうやら平坦らしかった。そこで注意深く歩き回ってみる事にした。
 しばらく歩いていると、遠くにぽつんと灯りが見えた。
 テイリンが近付いて行くと、大きな椅子に深々と沈むようにして幼い女の子が眠っていた。白い髪が顔のまわりに広がっている。真っ赤な服が闇の中で鮮やかに見える。テイリンはしばらく椅子の横に立って考えた。
(ここはどこだろう。この子は誰だろう。どれ程の魔法でこんな事が起こせるんだろう)
 やがて女の子が目を開いてテイリンを見上げた。
「あなたは誰」
 テイリンは微笑んで答えた。
「テイリンと言うんだ、お嬢さん」
「あたしはアーヤ」
「アーヤ、どこかで聞いた事がある」
 少女はピョコンと椅子から降りた。そしてテイリンを観察しながら、ゆっくりと魔法使いのまわりを一回りした。
「ずいぶん汚れているわね」
 テイリンは思いがけない事を言われてとまどった。
「いや、ちょっと野外での生活が長かったから」
「お風呂に入らなきゃ、だーめ。マルヴェスターおじいちゃんと同じ臭いがするわよ」
 テイリンは思いがけない名前に驚いた。
「マルヴェスターおじいちゃんって、魔術師マルヴェスターの事」
「もちろん、他にいるわけないじゃない。誰でも知ってるわよ、あなたどこに住んでいるの」
「ええっと、ランスタインの山の中です」
「じゃあ仕方ないわ」
 女の子はもう一度椅子に座った。するとテイリンの目の前で女の子の服の色が黄色く変化した。テイリンは目を丸くした。
「どうやったの」
「できるのよ、ここでは」
 女の子は髪の毛の上に巨大な白い帽子を出現させた。それには空色の大輪の花が付いている。テイリンは尋ねた。
「ここはどこなの」
「黒い指輪の魔法使いガザヴォックの空間よ。あたしはずっとここに捕まっているの。最初のうちは暗い闇だけだったんだけど、少しずつ色々な物や色を出せるようになったの。あんまり殺風景だから、いつかここをお花とお洋服でいっぱいにしてやるの」
 そう言ってアーヤと名乗った女の子はニヤリと笑った。テイリンは椅子の横にしゃがみこんで、アーヤの美しい灰色の瞳を覗き込んだ。
「ゆっくり話をしよう。僕たちはここを出なければならない」

 (第二十章に続く

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