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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第十章 上陸

福田弘生

 いっこうに涼しくならない夜風の中を、ソンタール帝国の有力貴族であるクラウス・ゼンダは歩いていた。隣をやや背が低くてがっしりした体格の従兄弟のダイレスが並んで歩いている。見上げると奪回した南の将の巨大な要塞の窓に明かりが灯り、光の点がまるで巨大な山のようにそびえていた。若いクラウスは青白い顔をくもらせた。
(あれ程の油をどこから持って来たのだろう)
 おそらく要塞を囲む町や近隣の村から生活用の油をかき集めたのだろう。要塞を奪回してからというもの、総司令官のマング・ジョール侯爵はまるで自分が南の将に任ぜられたかのように振る舞っていた。今日はその要塞でクラウスの友人のラムレス・ジョールの誕生パーティが開かれている。ラムレスはマング・ジョールの息子である。要塞からはにぎやかな音楽と人々の歌声が流れ出していた。
 しかしクラウス達が歩く町の中はひっそりと静まりかえっていた。町中から娘達が呼び集められたと聞いているし、多くの住民達も要塞の手伝いに駆り出されているのだろう。クラウスもしばらくは要塞の大広間で催された宴会に付き合っていたのだが、いつ果てるとも無く続く宴にあきれて要塞を抜け出したのだ。
 ふと足元を見ると、町の中を通る水路の水面には無数の星が映ってきらめいていた。この水路は前回の戦闘の際にソンタール軍にすっかり埋められたのだが、要塞奪回後、ゼンダ家の兵によって再び掘り起こされて整備された。クラウスはジョール侯爵や副将のオルソート伯爵にも協力を求めたが、どちらも水路の工事の事など相手にしてくれなかった。
 やがて二人は町の西のはずれにある小さな酒場に入った。酒場の真ん中のテーブルには険しい顔をした傭兵隊長が椅子に座り、大きなジョッキを手にビールを飲んでいた。そのまわりを柄の悪い部下達が取り巻いている。鎧を脱いで薄いシャツ一枚になっていた傭兵隊長ガッゼンはクラウスを一瞥してビールをこぼしながら言った。
「なんでえ、ジョールお坊っちゃまの宴会に付き合ってるんじゃなかったんですかい」
 クラウスとダイレスは酒を注文してガッゼンの前に座った。
「いつまで付き合えばいいのかわからなかったので、抜け出して来た。ジョール親子は次期の南の将になったような錯覚を起こしているが、私の父親と兄達が同じように油断して北の将の要塞の手前で殺されているからね。さすがに心配になってきた」
 ガッゼンは顔をしかめた。
「おお、そうだってなあ。敵がザイマンの船乗りだけならともかくカインザー人もいるんだ、甘く見ちゃいけねえ」
 戦場で赤く色が焼けた短い髪をなでながらダイレスが悔しそうに言った。
「今回のカインザー軍にはその時の敵のクライバー男爵もいます」
 クラウスがダイレスに尋ねた。
「ダイレス、そろそろザイマン艦隊がやってくる頃だろうね」
「ええ。前回はほとんど無傷で退却しましたし、ゼイバー提督からの情報ではカインザーからの援軍を乗せた船団がザイマン艦隊に合流するようですので、もういつ攻めて来てもおかしくありません」
 ガッゼンがビールのジョッキをドンッとテーブルに置いた。
「それじゃあ俺達はここを出ていくぜ」
 クラウスは驚いた。
「なぜ」
「ジョール侯爵が俺を嫌ってる。しかも最近、金を出すのを渋り出した。こちとら命がけの傭兵だからな、そんな大将の元じゃやってられん」
「ならば金は私が出す」
 ガッゼンは戦場の風で皺が刻まれた顔で、クラウスを見つめた。
「やめといたほうがいい。この戦いの責任はあんたにゃねえ。勝とうが負けようがジョール侯爵の戦いでしょう」
 クラウスはそれでもしばらくガッゼンを説得しようとしたが、結局あきらめて酒場を後にした。外に出るとダイレスが言った。
「まずいですな。要塞はジョール親子とオルソート伯爵が仕切っていますが、実際の戦闘は我々とガッゼンの傭兵部隊、そして三人の魔法使いが行っているようなもの。ガッゼンが離脱すると戦力は半減します」
「敵が攻めてきたら、やはり要塞にこもるしかないだろうな。ジョール侯爵は最初からそのつもりでロクに海岸の警備もしていない。五将と呼ばれる将達と中央の貴族とでは戦いに対する考え方に差があるのだと思う。父もジョール侯爵も大軍を率いる柄では無いのだろう」
 遠くを見ると、前方の入り江で巨大な古代植物が月光に照らされて揺れていた。何度か部隊を送って取り除こうとしたが、全滅に近い被害を受けて退却した。伝説の生き物の凶暴さを忘れていたのだ。焼き払おうとしたが、海水を蹴立てて猛烈に暴れたので手がつけられなかった。
 二人は砂浜が続く海岸で立ち止まった。ダイレスが若い当主に尋ねた。
「敵はあのククルカートの悪魔を操れるのでしょうか」
「出来ないと思う。出来るのならば前回の要塞防衛戦で使っていたはずだし、魔法使いのメド・キモツ達は敵に魔法の使い手はいないと言っていた」
「ならば兵数においては我々のほうが圧倒的に上ですし、なにより要塞があります。敵が攻めて来ても撃退できるでしょう」
 しかしクラウスの表情は晴れなかった。ソンタールの若い貴族は細身の体にマントを巻き付かせて、要塞の行く末を案じながら要塞に戻った。

 翌早朝、海中でソチャプが揺れる湾の西側の砂浜にザイマン海軍の上陸挺に乗ったカインザー兵達が上陸を開始した。このあたりにもわずかに要塞の兵が配備されていたが、昨夜の宴会の流れで酒を飲んで眠りこけていた所を瞬く間にベロフの抜刀隊に襲われて沈黙させられた。海軍を持たない要塞軍は海上を警戒する事が出来ないため、上陸は比較的容易だった。
 黒い鱗状の鎧をまとったベロフ抜刀隊に率いられた小隊が続々と浜辺に上がっていく。真っ先に上陸したベロフは無言のまま身振りでテキパキと指示を送り、兵達を砂浜に近い森の影に待機させた。ベロフと抜刀隊が率いる五千の兵は皆カインザーからの兵員輸送船に乗って来た者達である。その後を追うようにして、一千の赤い鎧の兵が上陸し、最後の小舟でクライバーがやって来た。
 紅の男爵はジョブジョブとブーツで水をはじきながら砂浜に上がると、遠くに見えるソチャプの影を見つめた。
「あれを武器に使うのはどうにも気がすすまないなあ」
 兵を整列させたベロフがクライバーの背中を叩いた。
「俺達が足場を確保するまでの時間稼ぎだ。要塞の兵を少し脅かしてくれればいい。もっとも昨夜は宴会が開かれたはずなので、兵の動きは鈍いだろうがな」
「トーム・ザンプタが聞いたら激怒するぜ」
「まあ、勝ったらその後に説明して許してもらうしかあるまい」
 ベロフとクライバーの兵は上陸を完了すると、真っ直ぐに要塞の西にある小さな山の麓にあるシセの村に向かった。そこを占領するのが最初の目的である。

 同じ頃、はぐれ魔法使いのシャクラが乗る小舟が静かにソチャプに近づいていた。ソチャプの巨大なツタが船の上を覆う所まで船が近づくと、シャクラはつたが絡まって大木のようになっているソチャプの巨大な姿を見上げてため息をついた。
「これはとんでも無い生き物だな」
 船を操る部下を指揮していた、クライバーの参謀のバンドンが肩をすくませた。
「生きた心地がしねえ。さっさとやってくれや」
 シャクラは海水に両手を突っ込んだ。その手先をバンドンが覗き込んだ。
「どのくらい時間がかかるんだ」
「少し黙っててくれ。この化け物が熱いと気が付くまで、このあたりの海水を温めるんだから」
 シャクラの手が熱を帯び、海水の温度が少しずつ上がり始めた。シャクラは瞬く間に湯気をあげ始めた海水を見て心の中で驚いた。
(俺の力が強くなっている。ザサール様の力を受け継いだからなのか、そうだとすれば引退しても黒い冠の魔法使いの力は強大だったのだな)
 一時間程、魔法使いはそのままじっとしていた。する事が無いバンドンは横になってぼんやりとその姿を眺めていた。海面に霧のように湯気が充満し始めた頃、ソチャプのツタが痺れたようにビクリと動き、やがてゆっくりと水温の低い要塞の方角の海面に向けて動き出した。その時、ソチャプにとまっていたコッコの群れが轟音と言える程の羽ばたきの音をたてて飛び立った。
 バンドンがあわてて飛び起きた。
「なんだ、なんだ」
 シャクラも仰天した。水面に意識を集中していて気が付かなかったのだが、まさかコッコがソチャプを宿り木にしているとは思っていなかったのだ。バンドンが空を見上げた。
「コッコだ」
「ああ、ソチャプは要塞に向けて動き出したが、コッコが警報を鳴らしてしまった」
 バンドンはソチャプの移動で起きた波に船を乗せると、ベロフ達が上陸した浜に船を向けるように部下に命じた。
「要塞軍が繰り出してくるな。こいつは俺のカンだが、たぶんクライバーは喜んでるぜ」
 自分の力が増大している事を知ったシャクラは魔法の念を放って、コッコの心に触れてみた。そして反応がある事に驚いた。
(何と、俺も獣を操れるかもしれんぞ)
 シャクラはしばらく船底に寝ころんでコッコに魔力を放ち続けた。

 要塞の北の一角を三人の魔法使いと黒の神官達が占領している。ラムレス・ジョールの誕生パーティには招かれなかったが、要塞中に行き交う料理人や給仕から酒と肉を集めて酒盛りをした後、三人の魔法使いはいびきをかいて横になっていた。厳しい戒律も、この辺境では無視されていたのだ。
 だが、コッコの羽ばたきの音に気付いたメド・キモツが起きあがって窓から西の空を眺め、驚いて声をあげた。
「あれや、コッコが飛び回っておる。ソチャプが動いておるわ」
 頭を剃り上げて似たような顔をしたメド・ドボーレとメド・パンハルも横にやって来た。やがて三人の見つめる前で、バラバラに飛んでいた鳥達が次第に群れの形を整えてソチャプの周りを旋回し始めた。メド・パンハルが言った。
「いるな」
 メド・ドボーレが答えた。
「ああ、我々以外の魔法使いがいる」
 三人はそのまま窓から飛び降りると、家々の屋根の上を飛び渡ってソチャプの方角へと向かった。

 森の中を歩行で進んでいたベロフとクライバーは、背後でコッコが飛び立つ轟音があがったのに驚いた。巨大な鳥達の羽ばたきと鳴き声に後方の空を見上げると、黒い影が無数に舞っている。クライバーが舌打ちをした。
「参った、これは要塞に気が付かれるぞ」
 横にいたベロフが鼻で笑った。
「かまわんだろう。兵達の船酔いを醒ますには丁度いい」
 そして兵に向かって号令をかけた。
「進め、シセの村を一気に占領してしまえ」
 兵達は早足になって小さな村の守備隊に攻撃を仕掛けると、あっさりとこれを追い払った。クライバーは馬を集めると斥候を放ち、村に通じる森の中の二つの街道を封鎖して兵を配備した。
 やがて要塞の方角から軍勢の雄叫びがあがり、鎧の擦れる耳障りな音が地鳴りのように聞こえてきた。その様子を確認した斥候が戻って二人の貴族に報告した。
「敵が押し出してきます」
 クライバーが斥候の兵に叫んだ。
「最初にあがった旗は何だ」
 兵が大声で答えた。
「大熊の旗印」
「またあいつか。サムサラ以来、俺の相手はいつもクラウス・ゼンダだな」
 ベロフが口髭をひねった。
「おそらくゼンダ以外の兵はまだ眠っていて動け無いのだろう」
 クライバーはふと思い付いたようにベロフに尋ねた。
「ベロフ、クラウス・ゼンダをどう思う」
「クラウスとお前が戦うのは、サムサラと前回の要塞での戦いに続いてこれで三度目だろう。お前を相手に三度戦場に立てる相手だ」
「なる程。強いとは思わんが勇気はあるな」
 クライバーは口元を引き締めた。

 こうして三回目の要塞攻防戦が開始された。

 (第十一章に続く

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