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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第二十章 盾の都エルセント

福田弘生

 

 白い伝令鳥が兵士の血に紅に染まってエルセントまで辿り着き、トラゼール落城の悲しい知らせを届けた。エルネイア姫は未亡人となった姉のシリーと共に丸一日泣き明かした後、ピンク色の鎧を着て城から駆け出そうとした所を魔術師マルヴェスターに捕まって引き戻された。
 翌日、マルヴェスターは五人の守護者と共に馬に乗り、エルセントを六角形に巡って聖宝の力で魔法の結界を築いた。都市の南端にある塔の上で、指輪をかかげてマルヴェスターの呪文を聞いていたアーヤは、呪文が終わると訝しげに唇をとがらせた。
「おじいちゃん、これで本当に大丈夫なの」
「魔法に対してはある程度の効果があるはずだ」
 ベリックが首をかしげた。
「光も闇も魔法は六という数字が基本でしょう、ここには聖宝の守護者は五人しかいません。ブライスがいなくて完璧な結界になるんですか」
「いや、六角形の一角だけは開いている」
「どこですか」
「もちろん港だ。ブライスは海に関係の深い男だからな」
 セルダンがベリックの肩に手を置いた。
「海から来る相手は結界程度で防げる相手ではないんだ。そうでしょう、マルヴェスター様」
「その通り。黒い冠の魔法使いと謎の巨獣が海からやって来る、これが最大の敵だ」
 セルダンはうなずいた。
「そして黒い冠の魔法使いが僕の相手だ」
 ベリックがこれまでずっと気になっていた事を口にした。
「その事に関して、ライケンから助言を受けているんだ」
 セルダンは意外そうな顔をした。
「へええ、ユマールの将は何と言ってた」
「セルダン王子と黒い冠の魔法使いの戦いは、なるべくエルセントの戦いの勝敗から引き離した場所で行わせるようにって、魔法は魔法同士で相殺させないと誰も勝者になれないそうだよ」
 セルダンがマルヴェスターに目を移した。
「実は僕もそう思っていました、少なくとも黒い冠の魔法使いはエルセントの中で戦う相手ではない」
「うむ、おそらくその通りだろうな」
「どこで戦えばいいでしょう」
「それは時が来ればわかるだろう」
 その時、エルネイアが憤然と口を挟んだ。
「ちょっと待って、もうセルダンを一人で戦わせないわよ。絶対駄目、私の大事な人はすべて私が守るんだから」
 セルダンはその勢いにちょっとびっくりした。
「わかったよエル、その時が来たら話すから」
「絶対よ」
 アーヤが平らな塔の屋上からぐるりと周りを見回して言った。
「ところでおじいちゃん、この結界には敵の兵隊を防ぐ効果はあるの」
「いや、全然」
「もう、それじゃだめじゃない」
「そのためにみんなで頑張っているんだよ。エルがフオラから聞いた通り、ミルトラ神の力が弱まっている。ここから先の戦いは人の力で戦わなければならないんだ」
 アーヤ達の目の前では、都市の外輪部の塔を繋いだ城壁の建造が続いている。これはエルセント建設の初期段階から計画されていた防衛策の一つで、すでに都市を囲む分厚い二重の城壁が完成しつつあった。城壁にはエルセントの守備兵五万の配備が進んでいる。しかし都市が巨大なため、五万といってもその数は頼りない程に少ない。
 そこにフスツが四人の部下を従えてやって来た。
「マルヴェスター様、セントーン各地の情勢の分析が終わりました。マスター・リケルが会議の準備を整えましたので皆様お越し下さい」
 マルヴェスターが塔を降りる階段に向かおうとした時、アーヤが城壁から海面を指差して叫んだ。
「おじいちゃん、あれ」
 皆がアーヤの指差す海面を見ると、白い塊が揺れながら浮かんでいた。よく見るとそれは海面いっぱいに無数に浮いている。セルダンがうんざりしたように言った。
「ソホス玉だ、いよいよ来るぞ」
 一同は急いで城に向かった。

 エルガデール城の会議室の大きな机の上には、エルセントを中心として周辺の地形まで書き込まれた巨大な地図が置かれていた。人が揃ったのを確認したマスター・リケルが、長い棒で港を指し示した。
「バルトールの情報網をフル稼働して情勢を調べました、現在セントーンにあるすべての勢力がこのエルセントを目指しています。まず、すでに目前まで来ているユマールの将ライケンの艦隊ですが、指揮しているのはヤーン伯爵、総艦数三百七十隻、兵員約一万」
 ベリックが補足した。
「あの戦艦からの大砲には気をつけたほうがいいよ、ダワの戦いでは海岸にいたキルティアの軍がかなりの被害を受けた」
 リケルがうなずいた。
「すでに港から三百メートル以内の建物の住人は避難させてあります。岸壁に近い家を壊される程度の被害でしたら、エルセントの都市機能には何の支障もありません」
 マルヴェスターが厳しい顔をした。
「むしろ問題はその艦隊がエルセントの南側を流れるミルバ川に侵入して来た時だろうな。南の城壁の真横から砲撃を受ける事になる。ミルバ川は都市の南を守る大河のはずだったが、大艦隊で攻めてくる相手にはそれ程の守りにはならないだろう」
 リケルが続けた。
「ライケンの本隊はエルセントまで三日という距離まで進軍して来ています。ユマールから連れて来た兵は四万程度でしたが、キルティアの別働隊と離反軍を飲み込んで、現在では総数二十四万を数える大軍になっています」
 ベリックが隣に座ったフスツと顔を見合わせた。
「ずいぶん増えたなあ」
「トラゼールを陥落させた東の将キルティアの軍は約十五万、エルセントまでは二週間の距離にいます。さらに北方トルマリムの近くには元西の将マコーキンの兵一万と、第六の将パール・デルボーンの兵二万が陣を張ったまま動いていません」
 マルヴェスターが言った。
「彼らは当面動かないと見てよいだろう。ライケンとキルティアがこれ程の兵を動員しているのだ、マコーキン達が介入しようとしても味方に追い払われるのがオチだ。それにどういうわけかミリアとアタルス達もマコーキンの陣にいるようだから、動きがあればすぐに知らせて来るはずだ」
 リケルがまとめた。
「敵の総兵力はマコーキンや海軍を含めると四十三万となります」
 机の中央に座ったアーヤが地図をバンバンと叩いて催促した。
「さあ、味方の兵力を教えてちょうだい」
「はあ、まずここエルセントに守備兵五万」
「たったそれだけなの」
 アーヤの隣にいたレンゼン王がアーヤの背中をなだめるように軽く叩いて説明した。
「セントーンは国境で敵を防ぐ事を防衛の基本としてきたのだよ。だから首都にはほとんど兵がいなかった。近隣の町や村からはせ参じた兵を含めてようやく五万なのだ、そのかわりこの都は長い時間をかけて防衛のための準備をしてきている、二重の城壁とその中の様々な仕掛けで十分に敵を苦しめる事が出来るよ」
 リケルが続けた。
「我が方の最大の兵力はトラゼール城を脱出した八万の兵です。これは現在キルティア軍とミルバ川を挟んで平行するようにこちらに向かっています」
 ベリックがうなずいた。
「その軍も二週間でここに着く、無事にエルセントに入城出来れば十三万の大軍と城壁で敵を防ぐ事が出来る」
 慎重に地図を確認しながら聞いていたフスツが言った。
「キルティアが易々とは入城させてはくれないでしょう。キルティアはまず平地でその八万の兵に攻撃を仕掛ける可能性が高いものと思われます」
 リケルが指示棒を南に動かした。
「朗報もあります。まずセントーンの南方の港町ヤベリにベロフ、クライバーの両男爵に率いられたカインザー兵四千が上陸しました」
 マルヴェスターが笑顔を見せた。
「待っていたぞ、今のセントーンに必要なのは局地戦に強い指揮官だ」
「しかし遠いです。ヤベリ、ダワとライケンの残した守備隊を撃破してここに着くまでには、どんなに早くとも一月半はかかります」
 次にリケルは棒を北に移した。
「ロッグを発進したロッティ子爵の兵四万はランスタイン山脈を回り込んで、セントーンの国境を越えました」
「事実上それが最強の戦力だな、生粋のカインザー兵四万は心強い」
「しかしこれはさらに遠い、大軍だけに順調に来ても二か月。しかも我々との間にはマコーキンとパールの軍がいます。南下に時間がかかれば北方では雪が降り始めて、さらに進軍の速度を遅らせるでしょう」
 ここで皆がセルダンを見た、エルセントの名実ともに最高司令官はセルダン王子なのだ。セルダンは一呼吸置いてからリケルに尋ねた。
「黒い冠の魔法使いと巨獣の消息は」
「それは未だ不明です、トルマリムを壊滅させた後から姿を消しています」
 それまでじっと話を聞いていたテイリンが言った。
「その後、一度だけ私は彼に会いました」
 マルヴェスターが尋ねた。
「どこでだ」
「タルミの里です。その後の行方はわかりません」
「ううん、内陸にいるとすれば由々しい事だ」
 セルダンがリケルに言った。
「黒い巻物の魔法使いレリーバと巨獣デッサは」
「キルティア軍と共に行動しています」
 セルダンはうなずいた。
「よし、まずトラゼールから退却してきた兵を迎えに行こう。ゼリドルもベルガー子爵も戦死して指揮官がいない状態では、キルティア軍をかわしてエルセントに入城するのは難しい。しかし誰か中心となる指揮官を派遣すれば、八万の軍がエルセントに入城出来る可能性が高くなる。そして一か月半頑張ればベロフとクライバーが来る。そうなれば陸戦の経験が少ないライケン軍と十分に渡り合う事が出来る」
 ベリックが質問した。
「誰が行きますか、ライケンの軍はもう目の前に来ていますからセルダン王子が行くわけにはいかないでしょう」
 エルネイアが立ち上がった。
「私が行くわ、だってセントーンの兵達だもの。私が行けば喜んで力が倍増するわ」
 マルヴェスターが首を振った。
「キルティアとレリーバが最も憎んでいるのが盾の守護者だよ。それにお前さんに軍隊の指揮は出来ないだろう、やはりわしが行くしかあるまい」
「僕が行きましょうか」
 ベリックが言った。
「いや、お前はダワで一苦労してくれた。ライケンとも馴染みになったようだから、もう一度ライケンの相手をしてくれ」
「うーん、どっちかって言うとキルティアの相手がいいなあ。ライケンってサルパートのマキア王みたいな感じで話がややこしいんです」
 アーヤが鼻を鳴らした。
「シャンダイアの王様達が仲が悪いとは知らなかったわ」
「いや仲が悪いんじゃなくって、相性が悪いんだ」
「よくわかんない事言わないで。それよりスハーラ、あなた大丈夫」
 アーヤはこの数日、口数が少ないスハーラに声をかけた。スハーラは突然名前を呼ばれて驚いたように顔を上げた。
「え、ああ、大丈夫よ」
 エルネイア姫も心配そうにスハーラを見た。
「そうも思えないけど。アーヤに協力してもらってシムラーの宿にあったのと同じ、泡がたくさん出る石鹸を完成させたから、一緒にお風呂に入って休みましょう」
 これにはマルヴェスターが驚いた。
「アーヤ、お前、クラハーン神の魔法を呼び出せるのか」
 アーヤが首を振った。
「石鹸だけ。これはエルに相談されて、シムラーを出る時にクラハーン神に頼んでおいたの」
 マルヴェスターは問いかけるような目でエルネイアを見つめた。
「もうちょっと役に立つ事を思いつかなかったのか」
「あら、品質のいい石鹸って世界中の女性にとってものすごく重要な事なのよ。さあ、会議はほぼ終りね、行きましょうスハーラ」
 そう言い残すと、エルネイアはスハーラとアーヤとエレーデを連れて部屋を出て行った。 
 女性達が部屋を出て行くと、それまで黙っていたテイリンがマルヴェスターに声をかけた。
「私もマルヴェスター様にご一緒させていただいてよいですか、どうも私のいる場所はここでは無いと思うのです」
「うむ、わしもそんな気がしておった。ガザヴォックと出会うまで、そなたの運命はセントーンとは別の所にありそうだな。わしがトラゼールから退却してくる兵と合流したら、そのまま思う所に行ってみるがよい」
「はい」
 テイリンはうなずくと考え込んだ。

 翌日、エルセントの広々とした港の沖合に小さな船影が浮かび、それはすぐに数えきれないほどの数になった。やがてヤーン伯爵の指揮する三百七十隻の巨大な戦艦が押し寄せて、エルセントの海上を見事なまでに封鎖した。

 (第二十一章に続く

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