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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第五十九章 人間の詩

福田弘生

 

 エルガデール城の中庭にセルダンを降ろすと、竜のアンタルはエルセントの城壁の外に布陣しているマルヴェスターを訪ねると言い残して飛び去った。
 夕暮れの中庭に一人残されたセルダンは、城全体が唸っている事に気付いた。負傷者のうめき声が城全体から湧きあがるように大気を満たしているのだ。唇を噛みしめたセルダンの前に庭の茂みの中から二人の少年が現れた。
「やあベリック、アントン」
 ベリックはホッとした顔で王子を見上げた。
「待っていましたよ、黒い冠の魔法使いはどうしました」
「倒した。だけど、存在は消えていないと思う。北の戦場で奇妙な出来事を見たんだ」
「奇妙な出来事とは」
「ああ、ロッティがソンタールの第六の将パールの軍を撃破した。その後、戦場からパールらしき人物が消えた。アンタルは黒い冠の魔法使いの魂が関係したと思っている」
「それで魔法使いはこのエルセントにもう一度来ますか」
「いや、僕との戦いは終わったらしい」
 ベリックがうなずいた。
「ならば僕らの敵はもう東の将とユマールの将の軍隊だけだ」
「いや、もう一体。黒い冠の魔法使いが操っていた巨獣が解放された、必ずここにやって来る」
「それではその前にライケン達と決着をつけましょう、ところで王子」
 ベリックが言いかけると、アントンがおかしそうに横を向いて背中で笑った。
「何だ」
「あなたがセントーン中に指名手配されているのを知ってますか」
「ええっ、誰の命令で」
「この国の王女様です」
 セルダンはうめいた。
「わかった、だがエルとの話は後にしよう、ベリック会議室に皆を集めてくれ」
 セルダンはそう言うと煙に煤けた城の塔を見上げた。会議室がある窓に人影が見える、レンゼン王とマスター・リケルだろう。セルダンはその勤勉な二人を見ているうちに希望が湧いてきた。
(大丈夫だ、まだみんな生きている)

 ・・・・・・・・・・

 マコーキンの魂は戦場に戻っていた。マコーキンの魂が不在の間にパールは敗北し、どこかに消えてしまった。マコーキンは自らの兵一万にパール軍の残り一万五千を加えて二万五千の兵を率いてロッティの後を追うように南下している。しかしすでにこの軍にセントーンの状況に介入する力があるとは、さすがのマコーキンにも思えなかった。マコーキンは軍が休憩に入った時にミリアに問いかけた。
「私は何のためにセントーンに来たのだろう」
「もうあなたの役目は終わったのかもしれないわよ」
「タルミの里の出来事でか」
「ええ魔法使いでは無いあなたにはよく理解出来ないかもしれないけれど、あれは大変な事だったの」
「再びあの力を使う事があると思うか」
「ええ、おそらく最後の決戦の時」
「場所は」
「グラン・エルバ・ソンタールになると思う」

 ・・・・・・・・・・

 ユマールの将ライケンは、ヤーン伯爵の海上軍をミルバ川から海に戻し、海上での物資輸送に専念させる事にした。キルティアがエルセントに火を放ち、食料などを灰にしてしまったからだ。
 ライケンは腹心のミハエル侯爵にボヤいた。
「カインザーのロッティ子爵はいつ頃エルセントに到着するんだ」
「おそらく二週間後かと」
「急がねばならないな」
 椅子に座っていたライケンは立ち上がってテーブルの地図に目を落とした。
「なぜだ、なぜこんなに手間取っているのだ」
「エルセントにこだわり過ぎたのかもしれません。セントーン全土を手中に収めれば、エルセントは捨て置いて枯れさせてしまっても良かったのではと」
「だがキルティアに取られるわけにはいかなかったぞ」
「そこでございます。キルティアの存在が我々の最大の障害だったのです」
 ライケンは重々しくうなずいた。

 ・・・・・・・・・・

 東の将キルティアの元には、マコーキンとパールの軍がロッティ子爵に敗れたという知らせが届いていた。
(残念だな、面倒な存在ではあったが、戦場に強い者がいるのは敵でも見方でも面白かったのに。しかしムライアックを囲っていたとは、あの皇子は手に入れねばならん)
 キルティアは美しい顔にふと影を落とした。
(レリーバもデッサもマーバルももう戻らない、わらわは一人になってしまったな)

 ・・・・・・・・・・

 ロッティの軍はようやくエルセントまで二週間の距離に辿りついた。
 ロッティの横にはマコーキンの元から助け出したアシュアン伯爵とマスター・モントが並んで馬を進ませている。サルパートのエラク伯爵は皇子ムライアックのお守で馬車にいた。
 アシュアンが心配そうに言った。
「さてロッティ、いよいよ戦場だぞ」
 ロッティは困ったように口をゆがめた。
「だが敵は城壁の中、市街戦では俺の騎馬軍団は役に立たん」
「ああ、意外な展開になった。まさかエルセントに敵がたてこもってしまうとは」
「しかもその大軍の真ん中にセルダン王子達がいるんだからなあ」
 吹きつける風にはまた雪が交じり始めた、アシュアンが首をすくめた。
「寒いな、私は馬車に戻るよ。交渉が必要になったら呼んでくれ」
 ロッティはうなずいた。
「そんな機会があるとは思えないけどな」

 ・・・・・・・・・・

 バルトールの暗殺者イサシは雪のチラつく平野に馬を進ませていた。やがてぼんやりとかすむ視界の中に何かを見た。近づくとそれは奇妙な獣に跨ったパール・デルボーンだった。
「パール将軍、何をなさっているのですか」
 パールはゆっくりとイサシに目を向けた、その目にはゾッとする黒い闇が見えた。
「行くぞ、付いて来い」
 パールはゆっくりとそう言った。
「はい」
 イサシの口から自然にそう返事が出た。イサシはパールと共に西へ、グラン・エルバ・ソンタールへ向かって馬を向けた。

 (第六十章に続く


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