神の笑える妄想話

doru

第四章 吸血鬼三作品

その一 死者の灰

世界のどこかに死者を生き返らせる力がある神秘の灰が埋められている。

そんな言い伝えが一族の間にあった。彼女はなんとしてでもそれを見つけだし永久の眠りについた彼を呼び戻すことをひたすら願っていた。

彼は一年前、宿敵の罠にはめられて居城の一室で悲惨な死を迎えたのだった。 彼女はそのとき死者の灰で彼を必ず生き返らせてみせると決心した。

山を登り、谷を下り、川を渡り、海を越え、困難な冒険の連続で幾度も挫折しそうになったが、 そのたびごとに彼女は死の床にある彼の姿を思い起こし、勇気を奮い立たせてそれらの試練を乗り越えてきた。

そして彼が死んで一年後、ようやく死者の灰があるという伝説の谷底を見つけた彼女は、 そこから運び出した灰をさらに幾多の困難を乗り越えた末、彼が眠る古城に大切に持って帰ると棺のなかに眠る遺体の周囲に注意深くまいた。

しばし彼女が見守って待つうち、言い伝えのとおり死者の灰は男を蘇らせた。

彼女は感涙にむせびつつ歓喜の声をあげた。

「目をさましてちょうだい、あなた。わたしがあなたを死の世界から呼び戻したのよ!」

棺のなかに横たわった男はゆっくりと目を開いた。 そして端正なその顔に浮かぶ表情を微かに歪めたかと思うと、突然跳ね起き、たったいま自分を復活させた彼女におそいかかってきた。 

「どうして俺を起こした!」

悪鬼のような形相で迫りくる男の腕から素早くすり抜けて部屋の入り口まで退いた彼女はにこやかに相手に笑いかけながら言った。

「永久の眠りから目覚めた気分はいかが?」

「最悪だ!」

男はあらんかぎりの憎しみをこめて叫んだ。

「あの安らかで満ち足りた虚無…死はすべての苦悩からの救いだったのに。 くそっ!  おまえのためにまた癒されることのない飢えに苛まれつづける惨めな日々に舞い戻らされてしまった!」

彼の胸にはまだ宿命の仇敵である人間の男が突き立てた白木の杭が刺さっていた。

「おあいにくさまね!  あなただけに安楽な死を迎えさせるわけにはいかないわ」

彼女が嘲りの笑い声をあげるとむき出された二本の白い牙が見えた。

「わたしをこんな身体にしておいて、ひとりだけ安らかな死を迎えられると思ったら大間違いよ!   幾度あなたが殺されようと、 わたしは必ず生き返らせてやるわ。 そうして永遠に日の光に脅かされ闇のなかをはいずりまわりながら、 果てしない血への渇望に苦しめられるがいいんだわ!」

男は狂おしい怒りの衝動にかられて自らの胸から白木の杭を力まかせに引き抜いて叫んだ。

「おまえこそ覚えているがいい!   もしもおまえの胸に白木の杭が突き立てられることがあったなら、 今度はこの俺がおまえをこの世に呼び戻してやるからな!」

伯爵は憎々しげに女吸血鬼を睨みつけるとたちまち巨大な蝙蝠に姿を変え古城の窓から夜の街に飛び立って行った。


このようにして吸血鬼たちは安らかな永久の眠りを妨害する真の敵のために、未来永劫滅びることはないのである。


その二 優しい吸血鬼たち


あるところに小さな国がありました。国の真ん中に大きな建物がありました。 それは小さな国の人々が血がでるような過酷な労働をしてやっと貯めたお金をほとんど取り上げて作られました。 白くてそれは綺麗な立派なお城でした。本当はそんな立派なお城は必要なかったのですが、 見栄っ張りの王様とお妃さまは他の大きな国に馬鹿にされると思って、大きな国よりも立派なお城を造ったのでした。

王様は見栄っ張りだけでしたが、お后さまはさらにオプションがついて綺麗な宝石が大好きなのと王様に隠れて家臣たちから遺伝子情報をいれるのに、 王様が遺伝子情報を入れた相手にはお城の地下で密かに闇ルートの通信販売で買った拷問器具を使って、 いっそ早く殺して欲しいと思うぐらい長い間かけてぶち殺している邪悪な心の持ち主でした。

家臣たちはお后さまの性癖は知っていましたが、小さな国の人々には黙っていました。でもたくさんの綺麗な宝石を買うにはたくさんのお金が必要です。

小さな国の人々の生活はますます苦しくなりました。最後は賞味期限切れのパンですら迷って最安値で買うようになりました。


今度は小さな国の人々がぶち切れました。小さな国で革命が起こりました。 人々は大きな商店のものを強奪し、貴族の屋敷に火をつけ暴れました。 当然お城にも強奪と火の両方をやって暴れようとしましたが、邪悪な心の持ち主のお后さまの方がしたたかでした。 人々が来る前に大量の宝石を持ってお城から逃げ出していました。

そして国の一番僻地の深い森の中に逃げて隠れていました。そこはまさしく僻地でした。 超貧乏そうな一軒の家しかありません。汚いところだなと思いましたが、そこしか選択肢はありませんでした。 お后さまはそこしか行くところがありませんでした。超貧乏そうな家にお后さまは入りました。

そこには自己実現のために苦しんで親元を離れて一人で暮らす若い狩人しかいませんでした。 餌代のために一番安い宝石を若い狩人を渡しました。それでも超貧乏だった若い狩人は一生遊んで暮らせるほどの高価な宝石でした。

狩人というと無骨で野蛮な感じがしますが、この若い狩人は違っていました。 黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌を持つ十五歳の初々しい美少年でした。 高価な宝石をもらい高貴な人が来て無邪気に喜んでいる目の前の美少年にお后さまは欲情してしまいました。

その夜、美少年が寝ている布団にお后さまは入りました。美少年はびっくりしました。 美少年は女の人に一度も遺伝子情報をいれたことない童貞でした。 わたしが教えてあげるといって美少年のものを唇の中にいれて興奮させた後、お后さまは自分の中に入れて、 盛んに腰を振って美少年をリードしてしました。家臣たちにも同じ遺伝子情報をいれるこつを知っていたのでテクニックはすばぬけていました。 美少年はお后さまの攻撃に耐え切れず、お后の中に思っていたより早く自分の遺伝子情報を入れてしまいました。 お后さまはもう少し調教する必要がありそうだと心の中で思いました。 こうして美少年はお后さまに強姦に近いことを行われて大事な童貞を奪われてしまいました。

美少年は童貞だったので他の女の人をまったく知りませんでした。 はじめの一回があまりにも気持ちがよかったので、お后さまに夢中になりました。 お后さまは少しずつ美少年を調教していきました。少しずつ美少年は遺伝子情報を出す時間が長くなっていきました。 やがてお后さまの調教は成功し、お后さまは満足しました。こうしてお互い毎夜毎夜愛し合い、美少年は毎回遺伝子情報をお后さまの中に入れました。


一つの季節が過ぎました。王様が大国に援助を頼み、その見返りとして、大国の飼い犬になることになりました。 そして大国の脅威となる他の国に備えるために、大国の基地が小さな国のいろいろなところに作られました。 隣国は大国だったので傲慢でした。そしてその大国の人々も傲慢でした。 ときどき小さな国の少女が大国の人にむりやり遺伝子情報を入れられることもありましたが、飼い犬になってしまった王様は文句言えませんでした。

こうして表面的には飼い犬になることで小さな国は安定しました。 そしてお后さまは立派なお城に帰ることになりました。身分の卑しい美少年をお城に連れて帰ることは無理でした。 帰るときになってお后さまに童貞を奪われた美少年はお后さまと離れたくないといってごねました。 お后さまはがんばって説得しましたが、それでも美少年はごねました。

しかたがなくお后さまは美少年をぶち殺し、森のさらに奥に穴を掘り、美少年の屍を穴の中に入れ土をかけて完全犯罪は成立しました。 お城はたくさんのお金をかけていたので耐火に優れていました。 お城は焼けずに残されていました。こうして無事お后さまはお城に帰ることができました。


ところがお后さまに少し誤算が起こりました。 美少年をぶち殺したのはいいものの美少年の遺伝子情報だけは残されていました。美少年とお后さまの遺伝子情報が結合していたのです。

美少年とは毎日やっていたのでお互いの遺伝子情報が結合する可能性はありましたが、お后さまは少し甘くみていました。 このままでは王様に自分の浮気がばれてしまいます。 遺伝子情報が結合したままどうすることもできず、だんだん自分の中で結合した遺伝子情報が大きくなっていくのはわかっていました。

お后さまは結合した遺伝子情報を自分の中から葬るためにあらゆることをしました。 お腹に石を落とそうとしたり、高いところからジャンプしたり、石にぶつかってもあいかわらず結合した遺伝子情報は残ったままです。 おそらく美少年がお后さまを心から愛して離れたくなかったように、美少年の遺伝子情報も美少年の意思をついだのか、 決してお后さまの遺伝子情報と結合したまま離れたくなかったのでしょう。

このまままではお腹の中の結合した遺伝子情報はますます大きくなり、王様にきづかれるのも時間の問題となりました。 邪悪な心の持ち主でしたが、お后さまは賢い人でした。 王様に少し気分がすぐれないので、以前行った僻地の深い森が気に入ったので行きたいと言いました。 王様は大国から入ってくる食事があわず、ときどきゲロを吐いているお后さまを心配していたので快く許してくれました。


お后さまは僻地の深い森に馬車に乗っていきました。 今度は間違いがないように、爺ぃの狩人を選びました。 爺ぃの狩人は、自己実現のために一人で暮らしていた自分の息子を一年ぶりに訪ねたら、いなくなっていたと嘆いていました。 お后はそれは若者にありがちなことでどこかの地域に旅をしているのだろうとこともなげに答えました。

そしてお后さまは美少年が肌身離さず持っていた宝石を爺ぃの狩人に渡しました。 それは美少年をぶち殺して屍を穴に埋める時、安物だったけど一緒に穴に入れるのはもったいなかったので、 美少年の屍から奪い取ったものでした。美少年同様、爺ぃの狩人には一生遊んで暮らせるほどの高価なものだったので無邪気に喜びました。

お后さまは爺ぃの狩人に一人で暮らせる場所はないでしょうかと聞きました。 すると自己実現のために一人で住んでいた自分の息子のところが空き家になっていると言って、ご丁寧に親切に連れて行ってくれました。

お后さまが思ったとおり、自分の中で育っている遺伝子情報の父親、つまりお后さまはぶち殺した美少年のところでした。 あいかわらず超貧乏くさく汚い家だなと思いました。  爺ぃの顔を改めてみると黒檀のような黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌をしていました。 でもお后さまは爺ぃは欲情の対象外だったのでしかとしました。


以前も住んでいたところだったのですぐにその生活に慣れました。 何ヶ月かが過ぎ、お后さまの中から誰の助けも借りず結合した遺伝子情報は出ました。 黒檀のような黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌を持った女の赤ん坊でした。

苦しめやがってこのくそがきめとお后さまは思いました。 こんながきは野獣の中で食物連鎖の一部になるのがいいとお后さまは思いました。そして森の更に奥に女の赤ん坊を捨てました。

ところがこの女の赤ん坊はお后さまが結合した遺伝子情報を自分の中から出そうと思っていたのに決して出ず、 さらに野獣にも食われることもなく異常に生命力の強い遺伝子情報を備えていた持ち主だったのです。


たまたま深い森に入って、野獣をぶち殺しにきていた老狩人が赤ん坊の泣き声を聞きました。 不思議に思って行ってみると、女の赤ちゃんがいました。 自己実現のために行方不明になり帰ってこない息子そっくりの美しい女の子でした。 老狩人は息子の生まれ変わりだと思って家に連れ帰りました。そうです。この女の子こそがお后さまが捨てた赤ん坊だったのです。

女の子は父親の遺伝子情報をもらい美しかったけど、心は母親の遺伝子情報をもらって邪悪なものでした。 だんだん大きくなるにつけて両方の遺伝子情報はとどまることを知らず増大しました。

女の子は教えられてもいないのに最初から母親以上のテクニックの持ち主でした。 最初は近所の少年で試してめろめろにさせ、次第に行動範囲を広げていきました。 しかも邪悪な上に飽きっぽい性格だったので、生ごみのように簡単に男たちを捨てました。

男たちは女の子に捨てられたショックでみんな首を吊りました。女の子は首くくり姫とあだなされ、国中に知れ渡りました。


とうぜんお城の王様にも首くくり姫の噂が伝わりました。 王様は好奇心で首くくり姫に遺伝子情報を入れてみたいと思いました。 もし気に入ったら首くくり姫のところに通って何回も遺伝子情報を入れてみたいと思いました。

噂は当然お后さまのところにも届いています。 そして王様つきの家来を犬にして探らせ、王様が首くくり姫に男として興味を持っているのを知りました。 お后さまは激しく嫉妬しました。ぶち殺してやろうと思いました。

さっそく首くくり姫が住んでいるところに行きました。そして近所の家に行き首くくり姫のところにつきました。 顔は見えませんでしたが若い女がどこかの男と腰を振り合っています。すごいテクニックの持ち主でした。 それに顔を見ると黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌でした。 お后は自分が出した子供だと思いました。このままでは王様はめろめろになると思いました。 お后さまは自分で屍にしておいて、どこまで祟るのだと美少年を思いました。 あのくそがき、野獣の中で食物連鎖の中に入っていなかったのかと思いました。

遺伝子情報を入れる寸前だった男の頭をなぐり屍にして、嫌がる首くくり姫をお后さまと数人の家来が取り囲んで、 言葉にできないぐらいさんざんな目を合わせて、最後はあだなどおり、首にロープを巻き、木に吊るされました。 こうして首くくり姫は父親同様屍となりました。


木に吊るされて首くくり姫を見て、老狩人はびっくりしました。 首くくり姫は邪悪な心を持っていたのは知っていましたが、未だに息子の生まれ変わりだと信じていたので、 人工呼吸や心臓マッサージなど考えられるあらゆる努力をしました。でもすでに首くくり姫は屍となっていたので生き返りませんでした。

もう老狩人の力ではどうにもなりません。老狩人は森の魔女に相談しました。 森の魔女は屍となったものは二度と生き返らないと言いました。それでも生き返らして欲しいと老狩人はごねました。 魔女は説得しましたが、老狩人はごねました。 魔女はしかたがなく老狩人に金品を要求して、生き返らすことはできるがどうなってもいいのだなと言いました。 老狩人は首くくり姫が生き返るのならと思って無邪気にはしゃぎまわり魔女の言葉を聞き逃して、 どんなに生活が苦しくても首くくり姫が幸せになるのなら嫁入りのときにあげていいと思って 大事に持っていたお后さまからもらった大事な宝石を渡しました。

魔女は宝石をもらい、トリカブトやマンドラゴヤやバジリクスなどのわけのわからないものをたくさん入れて、 鍋の中でぐちゃぐちゃ混ぜて、やがて一個の赤い林檎を入れました。 化学反応で赤い林檎は金色の林檎に変わりました。そしておもむろに老狩人に渡し、 口移しで強引に首くくり姫の体内にいれたらなんとか蘇るだろうと言いました。


老狩人は首くくりの屍を見て、息子そっくりの顔をしていたのでちょっと嫌な気分になりました。 でも首くくり姫を生き返らすためならなんでもできると思って、口に金色の林檎を含み、 首くくり姫の口をあけて、金の林檎を流し込みました。首くくり姫は屍だったので最初はかなり難儀しましたが、 何度もやっているうちにこつを掴んで全部の金色の林檎を芯まで残すことなく、首くくり姫の体内に入れました。

やがて金色の林檎の効果で首くくり姫の活性化がはじまりました。最初は小さな痙攣でしたが、じょじょに大きくなり、 最後は首くくり姫の全身の骨が折れるのじゃないかと心配するほど大きく痙攣していきました。

老狩人の心配は杞憂でした。しばらくして、首くくり姫は目を開けました。でもその口からは二本の鋭い牙が見えました。 首くくり姫はいきなり老狩人の首に鋭い牙をつきたてました。

そして首くくり姫は少しずつ老狩人の血を吸っているうちに心が少しずつ変化していきました。 首くくり姫から邪悪な心が消えていき優しい心の持ち主になっていったのです。

老狩人の心は優しすぎたので血を吸った首くくり姫からすべての邪悪な心が消えて、心根の明るい優しい女の子になりました。


首くくり姫は悩みました。自分が血を吸ってしまったので、この優しすぎるおじいさんが死んでしまったのだわと思いました。 そしてなんとか生き返らせる方法はないかしらと思いました。 そして自分の血を与えればなんとかおじいさんを生き返らすことができるんじゃないかと思いました。

そして首くくり姫は、自分の手首を鋭い牙で噛んで血を出して自分の口の中に入れました。 そしておじいさんの口をあけて血を流し込みました。屍だった首くくり姫は知りませんでしたが、 偶然にも老狩人も同じようなことをやっていたのです。 そして首くくり姫と同じような変化が起き、やがて復活すると首くくり姫の首筋に鋭い牙をつきたてました。

そのとたん、首くくり姫はなぜが血を吸われる快感でなんとも言えない気持ちになりました。 そして老狩人が屍から吸血鬼になって復活した姿を見ると、首くくり姫はさらに優しい気持ちになりました。 老人が喜びそうなことは何かしらと思いました。思い当たることは一つありました。 首くくり姫が一番得意なことを老人にもやってあげることでした。


首くくり姫は損得なしに老人に愛情を込めて奉仕しました。老人も優しい吸血鬼だったので、首くくり姫を喜ばそうと全力を出して奉仕しました。 男と女の吸血鬼同士が絡み合い、若い首くくり姫の血をもらって老人の遺伝子情報が活性化し、首くくり姫の中に遺伝子情報を入れました。

この優しさと快感を他の人に伝えるため二人はいろいろなところで血を吸って、 やがて首くくり姫の優しさは血を吸われた吸血鬼によって広まりました。 男の吸血鬼は遺伝子情報を出し、女の吸血鬼は遺伝子情報をさかんに受け取りました。吸血鬼の世界はまさに乱交状態でした。

やがてお城にも吸血鬼はやってきて、王様やお后さまも優しい吸血鬼に変わりました。 そしてお后さまはその優しさからみんなに伝えようとお城を出て、 損得なしに地位や年齢に関係なくいろいろな男の吸血鬼から遺伝子情報を自分の中に入れました。

そして誰の遺伝子情報が結合したのかわかりませんが、お后さまのお腹の中で遺伝子情報は結合したまま大きくなりはじめました。 今度はお后さまは優しい吸血鬼になっていたので自分の中から無理やりだそうとはしませんでした。 お后さまの遺伝子情報は結合したまま、やがて黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌を持つ男の赤ん坊を生みました。 なんと偶然にもお后さまが人間だったときにぶち殺した美少年の父親と遺伝子情報と結合していたのでした。


お后さまは優しい吸血鬼になってから人間だったとき美少年をぶち殺したことを後悔していました。 そして目の前の美しい男の赤ん坊が美少年の生まれ変わりのように見えました。 そして吸血鬼と吸血鬼の間から生まれた赤ん坊も当然吸血鬼でした。 男の赤ん坊は本能的にお后さまの首筋に鋭い牙を突き立てました。 そして男の赤ん坊から血を吸われている間、 お后さまはこの子が大きくなって遺伝子情報を出すまで誰にも自分の中には遺伝子情報を入れないと決心しました。 そしてこの子だけしか遺伝子情報を受け入れない。そして何度でも遺伝子結合をして、永遠にこの子と私の子供を産み続けようと思いました。

赤ん坊の吸血中、母親と女の快感が混ざりあり、お后さまはなんともいえない表情を浮かべました。



やがて地球上から人類は駆除され、優しい吸血鬼たちが死ぬこともなく永遠に支配していったのでした。

優しい吸血鬼たちよ。永遠に呪われるがいい。その様子を見ていた神は邪悪な笑みを浮かべました。 そして別のところで首くくり姫がはじめて蘇らせた美少年の父親と遺伝子結合を起こして黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇、 雪のように白い肌を持つ男の赤ん坊を育てていました。 神はまた首くくり姫も、母親のお后さまと同じ考えを持っているのを知っていました。 神はさらに深い呪いをお后さまと首くくり姫にかけていたのでした。そしてそもそもこのすべてがこの邪悪な神の計画でした。

だけど神は自分の顔を見たことはありませんでした。神の顔もまた黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇、雪のように白い肌をしていました。



その三 神からの約束


ついに老人はやってきた。ここを探りあてるまでに何十年という歳月を費やし、 それに対応する苦労を重ねてきた。だがすべての苦労はここで報われるのだ。

彼は石の門を調べはじめた。

「教授、この遺跡でいいのですか」中年の小太りのガイドが顔にかかった汗を拭きながら聞いた。

老教授は門の仕掛けを調べ、罠がないのを確認するとガイドといっしょにその遺跡にはいっていった。

遺跡の中は、焼けつくような外とは違い、ひんやりとして古い遺跡独特のかび臭さが漂っていた。

「気をつけるがいい。ここには侵入者を寄せつけないための数々の罠が待っているはずだ」

ふたりは一歩一歩確めるように歩いて行った。 老教授の事前調査が功を奏したのか、たまたま運がよかったのか、それとも彼らの知らぬ力でも干渉していたのか、 二時間後彼らは求める場所にたどりついた。

遺跡の中央には墓が並び、ある古文書にそのなかのひとつに死者を蘇らす箱が納められていると書かれているのだった。 老教授は墓の一つ一つを開けた。ある神がミイラとなりつつ守っていると言われる箱――死者を蘇らす箱をついに探しだした。 箱はミイラが両手でしっかり握り、箱を守っているかのように置かれていた。

老教授はミイラから注意深く箱をとった。ミイラはしっかり握っていたにもかかわらず、まるで教授に自ら差し出すように箱は簡単にとれた。

老教授は箱を取るのにかなり手ごわい罠が待っていると警戒していただけに少しだけ安心した。 そしてまたこれから行うことで緊張しすぎていると思った。


「とうとう見つけたぞ。これで妻は蘇る……これで妻は蘇る……これで妻は……」

老教授は胸の内ポケットにしのばせた古びた写真に手をやった。

あれは何十年前だったろう。妻と出会い、愛し合い、結婚した。 そして長期の休暇をとりあわただしい日常を離れて絶海の孤島へハネムーン旅行にでかけた。 素朴な島民のなかに親しくまじわり、時には暗い砂浜で生まれたままの姿で愛し合った。 すばらしい日々だった。だが最後の日、ぼくらは南国での休暇の名残をおしむように海にカヌーで出た。 その日は波が荒く、季節はずれのタイフーンが近くまで接近していることに気づかなかった。 カヌーはバランスをくずして転覆し、妻は運わるく頭を打って溺れ、そのまま帰らぬ人となった。

「教授?」現地人のガイドは老教授の異変に気づいたのかいぶかしげに声をかける、

「おまえはよくやってくれた」教授は、懐にしのび込ませていた短剣で男の腹をいきなり刺した。

「どうして……」ガイドは血が出る腹を押さえながら聞いた。

「許せ。妻を生き帰らすためにはどうしても生け贄が必要なのだ」目を充血させながら教授は言った。 更に力を入れて短剣を押しこんだ。溢れんばかりの鮮血が一気に流れ出た。それを箱いっぱいに注ぎ込んだ。 ほとんどの血がなくなったガイドが絶命しているのを横目で見て、その後妻の復活の時には以前から決めていたことを実行した。 教授は自らの指を少しきりその滴り落ちる血をそこに加えた。 写真といっしょに隠し持っていた妻の黒髪を一束とりだし箱にいれた後、それからおもむろに呪文を唱え始めた。

長かった。この年になるまで、妻を生き帰らすのを目標にして研究に研究を重ね、 生涯を費やして考古学を学び、数々の墓石を盗掘し、古代語を習得した。古文書によれば、神の身体を寄りしろにして死者が蘇るはずだ。

老教授が呪文を唱え終わったとたんに、遺跡の中にばちばちと雷が天上から落ちてくるばかりに火花が飛んだ。 最初のうちはわからなかったが部屋全体を覆うように薄い青い煙が見えた。 目をこすったが確かに青い煙は見えた。しかも時間がたつにつれて青い煙ははっきりと見えるようになっていった。 ミイラが呼び寄せるかのように青い煙はすべてミイラのまわりに集中していった。 青い煙がミイラに一気に吸収されていくのが見えた。 やがて干からびたミイラが最初はこきざみに痙攣し、痙攣は徐々に激しさを増していった。 最後はミイラそのものを破壊するのではないかと思うほど大きく弾み、最初からこれまで一度もとまることなく痙攣が続いていた。

このままではミイラは破壊されてしまう。もう永遠に妻は戻ってこない。その様子を見て老教授はあせった。

いきなり、あれほど激しかった痙攣はおさまり、もとの静かなミイラに戻った。

だが、青い煙はまだミイラのまわりを取り囲んでいた。今度は別の変化が起こり始めた。 少しずつだがミイラが大きくなっていた。変化はそれだけにとどまらなかった。 大きくなるのと同じくミイラの色も変わり始めた。黒からこげ茶そして茶色、最後には人間らしい色に変わっていった。

やがてミイラが人間らしい肉体に変化していった。胴体に肉がつき、顔に肉がつき、手足にも肉がついていき、 さまざまな場所でミイラは人間化していった。男性か女性かわからなかったものが、 胸は大きく膨らみ、股間からは女性らしい部分が作られ、やがて女性の身体だとわかるようになった。 そして何もなかった頭からは黒い髪が生え長く伸びていった。

最後はまさしく妻とそっくりの全裸の女がそこに横たわっていた。そのときはミイラだったもの、 今は全裸の女にかわっているが、まわりをとりかこんでいた青い煙がすべて吸収され消えていた。

「ああ、おまえ……!」老教授が長年に待ち望んだ妻の姿に思わず声をはっすると裸体の女はぱっちりと目を開き、立ち上がった。 裸体の女は他人の体を見るように念入りに自身の身体の観察を続けていた。 最後は初々しい体毛まで隠すそぶりもなく、それどころか面白そうに指をからめいじくっていた。

「人間の男の身体の方がよかったが、人間の女の身体らしいな。みょうに力がはいらず頼りない」しわがれた声で言った。

呆然と立ちすくんでいる老教授に裸体の女が気づいた。

「お前はこの女とどういうつながりだ」女は興味深そうに老教授に聞いた。

「私の妻だ」老教授は答えた。

「人間の女がどんなものか少し試してみるか」女は小さな声でつぶやいた。

女は咽喉を押さえ何度か試したうち、納得のできた声になったらしくうなづくと話し始めた。

「どうだ? これで」男心をとろかすような聞き覚えがある妻の魅惑的な声を出した。 そして女は老教授しか見せたことのない大事な部分に無造作に二本の指を差し込んだ。

とたんに女の身体が敏感に反応する。女は身体をくねらせ、女の顔は何かを堪えるように歪み、 黒い長い髪は乱れ、愛らしい唇からは妻の喘ぎ声が聞こえた。

それとは反対に女の大事な部分から見え隠れする二本の指は攻撃でもしているかのように盛んに動かしているのを老教授は見た。

さらに女は身体を強く揺らし、自分自身の二本の指に翻弄されているかのような動きを見せた。

かつて夫であった老教授は目の前で妻の姿をした女が見えない誰かによって犯されているような感覚を覚えた。 だが老教授は何もできず、女が一人でしているのをただ見つめるしか方法は残されてなかった。

どれぐらい続いたか老教授はわからない。女は自分の中で絶頂を迎えたのかなんともいえない表情を浮かべ、 自分の中から二本の指を差し込んだときと同様無造作に引き抜いた。

女は老教授が驚きに目を見張っているのを眺め、面白そうに笑った。だが唇からかつて妻にはなかった二本の鋭い牙が生えているのを老教授は見た。

「おまえは私の妻じゃないのか?」老教授は聞いた。

「私か? 私はおまえが望んでいたものでもあり、またこの墓に埋葬されていた神でもある」

「じゃあ、私の妻でもあるというのだな」老教授はよろよろと裸体の女の身体に手を触れようとした。

「おまえのような人間ふぜいが私に汚れた手で触れるでない!」低い鋭い声で静止がかかった。

焼け火鉢を手におしつけられたように老教授は手をひっこめる。

「聞くがいい」裸体の女の声がいった。

「老人よ。この身体はおまえが持ってきたものを素材に造られたもの。 しかし心は神のものなのだ。だから気安く私に触ってはならない。 とはいえ長い年月復活を待っていたわが魂を蘇らせてくれた恩はある。 それと生前の自らの契約どおりお前の望みを一度だけ叶えてやる。お前が望めばわたしはいつでもやってくる。 それは神であるわたしから約束する」女は裸体のまま遺跡から立ち去ろうとした。

「私の妻でもある神よ。吸収されていったあの青い煙は何だ」老教授は最初から疑問に思っていたことを聞いた。

「おまえ、エーテルが見えるのか。私の復活の時に自分の血を入れたな。 私や私のしもべたちはもうお前には手は出せない。 いずれ自分の運命を呪うことになるぞ」裸体の女はさっき笑ったものとはさらに質の悪い邪悪そのものの笑い声をあげ、遺跡から出て行った。

後には呆然自失した老人と、ガイドの死体だけが残っていた。


翌日からミイラ化した人間が復活し、以前はなかった鋭い牙で他の人間の首元を襲い全身の血を吸い取り、 吸い取られた人間はミイラ化し再び復活するという不可解な事件の噂が広がった。

それは少しずつ範囲を広め、やがて人々はそれが噂ではなく、本当のことだと気がついた。 かつて伝説だった吸血鬼が実際に存在することがわかった。更に悪いことに次から次に血を吸われミイラ化し吸血鬼となるものが増えていった。

吸血鬼伝説を信じるものは十字架を首にかけ、にんにくを吊るし、教会にこもり、聖水で身を守って神に頼るものもいた。 そんな人々をあざ笑うかのように吸血鬼は恐れず昼夜を問わず教会を襲い血を吸い仲間を増やしていった。

吸血鬼に対抗できるものは何一つなかった。希望はまったくなく絶望の文字だけが人々に残された。

世界中の人々は恐怖でパニックを起こした。吸血鬼のいない地域でも食糧確保のために近くの商店を襲い、暴動が起きた。 この世の終わりが来たと言って、女を犯し人を殺すものまで出た。治安の悪化はとどまることを知らず、加速度的に地球全土に広まって行った。

人々は理性を失い、できれば他人を押しのけても自分だけは生き残りたい。 そのためにはなんでもする。人間の姿をしていたが本能だけに従う野獣となっていった。

老教授は妻の姿をしたあの女――すべては神のしわざだと気がついた。 恐らくあの姿でいるためには復活の時にミイラが吸収し続けた青い煙、神が言ったエーテル、 人間の精気のようなものが必要なのだろう。そして、毎日一定数の犠牲者の血を吸った吸血鬼から精気を吸収するしか、 身体を保っていることができないのにちがいない。老教授は自分のしたことを後悔した。 助手を殺したことだけではない。もしかしたら自分はさらに悪質なパンドラの箱を開けてしまったと思った。

姿形は愛しい妻のものでも、その心は傲慢で邪悪な神そのものだった。 いたたまれずに老教授はあの遺跡にもう一度行って見た。しかし女の姿はなかった。 驚いたことに石室の中はどれも空になっていた。恐らく自分の精気の一部を与えたのだろう――他のミイラまでもが蘇っているようだった。

老教授はニュースで吸血鬼化が進んでいる最前線を知り、あらゆる方法を使って、その場所に行った。

老教授が見たものはまさしく地獄そのものだった。遺跡で見た青い煙があたり一面充満して濃厚で視界はほとんど見えない。 だが他の人はまったく気にするようすはない。どうやらまったく見えないらしい。 おそらく神が復活したときに入れた自分の血が関係しているのだろう。

成人の男や女が叫び声をあげ逃げ惑い、自分が助かるためだけに立場の弱い子供や老人を突き飛ばし、吸血鬼に差し出そうとする。

だが神のしもべである吸血鬼はそんな人間の思いとは裏腹に、容赦なくすべての人に平等に首筋に鋭い牙を突き立てる。 老教授には吸血鬼が一番血の流れが多く効率よく取れる頸動脈に突き立てているのがなぜかわかった。 普通の人間にそんなことわかるはずがない。おそらく他の人間が見えない青い煙が見えるのと同様、 老人が神に血を与えた影響でそんな特殊能力も得たのだろう。

老教授の見ている前で吸血鬼に吸われていく犠牲者は最初生気がなくなり、頭髪が抜け、男女差がなくなり、 肉がなくなり、やがて小さくなり、ミイラにかわっていく。あの遺跡で神の復活のときの逆の現象が起きている。

その横では犠牲者から血を吸った吸血鬼の身体から大量の青い煙が流れ出て行くのが見えた。 青い煙の一部はミイラ化したもののまわりに集まり、神と同じ過程で青い煙を吸収し、神と同じ過程で復活する。 だが、吸血鬼に吸われ、ミイラになり復活したものには同じ共通点があった。生前なかった二本の鋭い牙が生えていた。 彼らは人間から吸血鬼に変わり、襲われるものから襲うものに変貌していく。それが老教授の見ている前で同じことが何度も何度も起こっていた。

だがそんな中でも吸血鬼は誰一人として老教授を空気であるかのように襲わない。 こんな地獄を見るならいっそのこと血を吸われて、なにもかも忘れていられたらよかった。

だが神に血を与えた老教授は決して吸血鬼にはなれない。このままでは地球上に人間はいなくなり、 人間から血を吸えなくなった吸血鬼も神からすべての精気を吸い取られやがて消滅する。 すべての精気が消滅したこの地球はもはや利用する価値がないと神は考え、 なんらかの方法をとって笑いながら地球を去っていく。そして次の星でもこの地球と同様なことが起き、 精気を得られる知的生命体が発生している星々すべてを渡り、やがて宇宙が消滅するまで永遠に生き続ける神となるような気がした。

あのとき神に血を与えたことで神と同じく一時的に青い煙を吸収したのだろう。 神は常に青い煙が必要だが、老人は地球上の人間以外の動植物を食べ続ける。 どちらも永遠の命を持ったことになる。人間も吸血鬼もいない世界で特殊能力を持った最後の『人類』として永遠の孤独に耐えなれけばならない。

もう老教授に迷いはなかった。神に言う望みはすでに決まっていた。老教授は感情を抑えきれず大声で叫んだ。

「私はこんな地獄のような世界は見たくはなかった。ただ妻を取り戻したかっただけなのだ。神よ。今こそ私の望みを聞いてくれ」

しばらくすると裸体の妻の姿をした神がどこからか現れた。

姿形は妻だが老教授が遺跡で見た妻とは明らかに違っていた。普通の人々には、神々しいオーラのようなものを備え、 見るに堪えがたいほど光輝き、近寄りがたい、まさに正義の神そのものといった存在になって見えるだろう。 そして唯一吸血鬼を倒すすべを持った正義の神が天から舞い降りたと思い、神をあがめたたえ大勢の人々が集うだろう。 それが神の巧妙な罠とは知らず、神は笑みを浮かべ、 哀れな人々は神のしもべの吸血鬼によっていっせいに血を吸われミイラとなって神のしもべの吸血鬼となり再び蘇り増え続けるだろう。

神に血を与え特殊能力を得た老教授には、目の前の神が濃度の濃い毒々しいほど青い煙を全身にまとっているのが見えた。 これはきっと神のしもべになった吸血鬼から青い煙を大量に集めているせいだろう。 今もなお神のまわりに青い煙の濃さが更に増して常に吸収を続けている。 今すぐ神の暴走をとめなければと老教授は思った。神は邪悪さが更に邪悪な力をつけ続け、 神の血を与え特殊能力を得た老教授でもいずれ手におえない存在になってしまう。

「お前か。望みを決めてきたのか?」

「ああ、もうたくさんだ。妻の姿を借りた神よ。こんな地獄のような世界はやめてくれ」老教授は押し殺した声で言った。

しかし神は首をふって言った。

「そればかりはかなえられない。もとはといえばおまえがあの箱で私を行き返らせた結果がこれなのだから。 自分に対して行われた行為の結果を元に戻すことは私にもできない」

「じゃあこれならどうだ? 私がおまえを目覚めさせる前に私をつれもどしてくれ。――妻がまだ生きている過去に私を送ってほしい」

老教授の妻の姿をした神は微笑みを浮かべた。

「それはかなえてやることはできる。ただし時を越える以上おまえの振る舞いによっておまえ自身の存在がどうなるかはわからない。 それでもかまわないのだな?」

「ああ、かまわない。それが私のたった一つの望みだ」


ざぱーんざぱーん。気がつくとひとり老人は浜辺に立っていた。目の前を若い男女を乗せたカヌーが行きすぎる。 はっと気づいて老人は西の空を見た。黒い雲がたちのぼっている。彼は近くの原住民の家に駆け込むと大至急カヌーを出してくれるように頼んだ。

思ったとおり海は急に波高くなり、カヌーはひっくりかえり、若い女が意識を失ったまま海に投げ出されて流されていく。 先回りをしていた老人は着ていた服をみな脱ぎ捨て、飛び込むと女を救出した。

若い女は舟の中で海水をげえげえ出していたが命は大丈夫そうだ。浜につくと若い男が心配そうに飛んできた。

「もう大丈夫だ」老人はそう言って立ちあがった。

「ありがとうございます。せめて名前を聞かせてください」若い男がそう言っている声を背に彼は浜を後にした。


老人の身体が消えかかっていた。神が言っていたのはこのことだろう。 つまりタイムパラドックスだ。死んだはずの妻を助けたことで老人のやってきた未来そのものが消えてしまうのだ。 老人は確かに許されない罪を犯した。しかし老人のたった一つの望み、この選択は正しかった。 神からの約束は守られたが、神はその約束のために敗北した。

この歴史では妻は神に犯されず、吸血鬼も現れない。二人は幸せな家庭を築いていくだろう。 消えながら老人は満足そうに笑い、最後の瞬間に考えた。この歴史にも傲慢で邪悪な神は墓の中で復活の時を待っている。 老人は一人で神と戦い今回もかろうじて勝利したが、次は神に勝てるかどうかわからない。どこかの馬鹿な老教授があの箱を開けなければいいが。