ラブライフ(仮)

6.あなたがそう望むのであれば、いくらでも

 たなかなつみ

恋をしたことがないわけではない。学生の頃の淡い恋も含めて、何人かの女性とつきあった経験があり、その人数分、失恋も繰り返した。片想いの経験も含めれば、もっとだ。

あの頃、相手の女性たちに対して抱いていた気持ちと、いまケイに対して抱いている気持ちとが、同じものだとは思わない。そもそも、恋情でありさえすれば、そのすべてが同じかたちをもつわけではないということも、もう充分に知っている。

パートナー契約を結ぶことまで考えたのは、最後につきあった女性だけだった。出会ったのはまだふたりとも同じ大学にいた頃だ。気が合う。話が合う。価値観が近い。興味の方向性も似ている。だから、一緒に暮らしてもやっていけると思っていた。

お互いに仕事に就いてから、物理的に距離が離れた。喧嘩別れをしたわけじゃない。逆に言うと、そんなことをするだけの時間さえとれなかった。双方仕事が忙しすぎた。時間があるときに連絡をとればいい。双方そう考えていた。いや、そう考えていたのはおれだけだったかもしれない。多少離れていても問題ない。相手に対する信頼感があるからこそ、そうできると思い込んでいた。離れた時間の分だけ、経験した積み重ねの分だけ、人は変化していくものだという、そんなシンプルなことすらわかってはいなかった。

(たまにはおれに合わせろよ)

何気ないひと言のつもりだった。けれども、たったそれだけの言葉が、最後の頼みの綱を自ら切る刃になった。

目の前を、ぽん、ぽん、と弾むように歩きながら、ケイが横切っていく。床に座ったままその様子をぼんやりと眺めているおれの視線に気づいたようで、こちらを向いて手を振り、笑顔を見せる。

おれは自律動作するこの存在が、単なる人工物だと知っている。ヒトに似せて作られただけの、ヒトではないまがいものだと知っている。おれに向けられるその笑顔が、そうするように作られただけのアルゴリズムの結果でしかないと知っている。それでも。

可愛い、と思ってしまうのは、なんなんだろうな。そう思っちまうんだよなー。

抱き合いたい、と思う気持ちと、そうしたいとまでは思わない、と思う気持ちとが、自分のなかでぐらぐら揺れる。

「どうかしましたか?」

ぽん、ぽん、と跳ねるように近づいてきたケイが、柔らかな笑顔でおれの顔をのぞき込んでくる。

こっち、と手でケイを呼び、その後頭部を引き寄せて、口づけをする。もう慣れてしまったそれは、すぐに深くなる。そのまま、大切なもののように抱きしめられてしまう。

触れ合う肌の向こうに、ケイの体温を感じる。偽物だとわかっているのに、ここにあるそれが本物であることも疑いがない。

愛しい、と思う。

思っちまうんだよ。

「私は今から植物園に午後の収穫に行きますけど、リュウも行きますか?」

「行くよ」

ケイの問いかけに、間髪をいれずに応じて立ち上がる。ひとりで行かせられるか、と思う。あとから生じる修復作業を増やさないためには、ケイのやることを見はりながら一緒に作業を進めてしまったほうが、断然楽だ。

そう、確かに、いま立ち上がった大元の理由はそれだ。面倒事を増やしたくない。

けれども、違う理由が自分を動かしていることも、もうおれは知っている。

できればいっしょにいたいのだ。ずっと。もっと。

愛しいとも思うし、抱きしめたいとも思う。抱きしめられたいとも思うし、あたたかいところでつながりたいとも思う。

離したくないと思う。けれども、今以上の接触を求めたいわけではないのだとも思う。

わがままなのか、おれは。

だが、ドロイド相手にわがままになってはいけない理由があるのか? 

別れる直前、彼女が言った。

(あなたが欲しいのは、わたしじゃないよね。たぶん、わたしも)

そうして、彼女はひとり、新しい仕事を得て、遠くの星に向かって旅立った。たぶん、もう、戻ることはない。たぶん、もう、会える日は来ない。

欲しい、の意味を考える。性行為の相手が欲しい。一緒に暮らす相手が欲しい。どうでもいいことを毎日話せる相手が欲しい。日々そこにいて触れ合うことのできる相手が欲しい。

一緒に生活をつくっていく相手が欲しい。

おれは、ケイが欲しいのか? 

順調に生育している野菜が植わっている畝の前で、おれの隣でおれと同じようにしゃがみ込み、慎重にキュウリの付け根に鋏を入れているケイを横目で眺める。こめかみを伝って流れている汗を、指先でぬぐってやる。ケイはこちらを向いて、ありがとうと言い、笑う。

「汗も出るし、飯も食うんだよな、おまえは……」

そう口にすると、ケイは当然といった様子で笑い、うなずく。

「触れ合うときの体感は重要ですから。私の体液はオーナーを高めるための重要な因子です。食事については、顧客の方からのリクエストが非常に多く、バージョンアップ時に採用されたものです。プロトタイプにはない機能でした」

「飯も重要な因子なのか」

「私の最大の機能は癒し効果ですので。誰かと一緒に食事をとることを、癒しの時間だと考える人が多いということかもしれません」

笑顔で力強くそう言い終えた瞬間、性行為という繊細な行為のために作られたはずの目の前のドロイドは、野菜収穫時の力加減をコントロールすることすらなぜか満足にできないその手で、収穫したばかりのキュウリを華麗に握りつぶした。

冷たくて青臭い果汁が水玉となってそこら中にはじけ飛ぶのを、ふたりで慌てて追いかける。

ケイが笑い、おれが笑う。隣にいる存在と、ただ笑い合う。特別ではない日常のなかのほんの小さな出来事を得て、ふたりでただ笑い合う。すごく簡単なようでいて、今までのおれには遠すぎたものだ。

この時間こそが、おれが欲しかったものなのか? 

ケイの代替機はすでに発注してしまった。だが、今からでも注文を取り消すことは可能だ。たとえ高額のキャンセル料が発生したとしても。

けれども、目の前のこの存在は、そこまでの労力と対価に値するものなのか。そうまでしても守りたいものなのか。

「……おまえ、ずっと、このまま、ここにいたいか?」

「あなたがそう望むのであれば、いくらでも」

ついもごもごと口にしてしまったおれの問いかけを受けて、ケイが当然のように即座に発したその言葉は、正しい答えだ。おれがケイのオーナーである限り、ケイはそう答えることを選ぶ。ケイに可能な選択肢は、ただそれのみだ。

だから、おれの発した問いの先にあるのは、自身の欲求への問いかけでしかない。

それは、おれの本心が望んでいることなのか? おれは、高いキャンセル料を払っても、ずっとケイとともにいたいと思っているのか? 

この孤独な場から離れる日が来たときであっても、おれはおまえとずっと一緒にいたいと思うだろうか。何かしらのデメリットがあったとしても、おまえをこの先もずっと選び続けるという選択肢が、おれにはあるだろうか。

(あなたが欲しいのは、わたしじゃないよね)

違う、と言ってもよかったのか。

あるいは、そうだ、と言っても。

ケイは、選べない。おれが、選ぶしかない。

選べるのか、おれは。

何を。