ラブライフ(仮)

7.私たちにとって最も重要な部分はひとつです

 たなかなつみ

ケイと暮らし始めてから約半年後、消費者サポートセンターを通じて、ドロイド販売業者から代替品が発送されたという連絡が届いた。おれはそれに了解のリアクションを返した。

結局、おれは選ばなかった。選ぶという行動を起こさないまま、発送通知が届く日を迎えた。

おれは消極的に、ケイとの共同生活の期限を切ることを選んだ。これで、本来届くべきだったものが到着すれば、ケイはお役御免になる。

そのことに対してネガティブな感情を生じさせる必要はない。ケイもショックを受けることはない。あれは単なるドロイドだ。しかも、おれにとっては当初の目的が果たせない欠陥品なのだ。

発送通知は、そう自分に言い聞かせるための、後ろめたさを感じる必要をともなわないきっかけになった。

ケイとの暮らしは、当然のことながら、その後も続いた。ふたりで仕事をする。ふたりで食事をとる。ふたりで共寝をする。ハグとキスを繰り返す。

ストレスをストレスと感じられなくなるほど、ぐずぐずに甘やかしてもらう。

そうして続く日々を、どんなに楽しくて快い手放したくないものだと感じていたとしても、満たされた気分になってしまっているのは、期間限定という条件が効果を発揮している錯覚でしかない。

そうに決まってるだろ? それが、おれ自身の消極的な選択の結果だとしてもだ。

そう、考えることにした。

宇宙天気の変動に巻き込まれた配送状況の問題もあり、代替機の到着は予定よりも遅れた。結果的に、おれとケイとのふたりでの生活は、二年間を超えることになった。

そして、到着の日を迎えた。注文どおりの S-146-J タイプのセクサロイド。柔らかそうなショートカットの髪に、すっきりした目もと。可愛い系というよりは綺麗系で、ユニセックスな雰囲気のある、スレンダーぎみで身の丈のあるボディの持ち主。

起動前のその外見は、ケイとまるで見分けがつかなかった。開封した箱のなか、脚を抱えて丸まったかたちで横たわっているその姿は、ケイと同じおれ好みの顔をもち、ケイと同じように短くととのえられた髪がその頭部を覆っており、その肢体もケイとうり二つに見えた。まだ聞こえぬ声も自身とまったく同じ仕様だと、ケイがわざわざ説明を加えることまでしてくれた。

「それ、つまり、おまえってことだよな、これも……」

つい口をついて出たおれの言葉を、ケイは即座に否定した。

「違いますよ。私たちにとって最も重要な部分を除くと、すべて同じではありますが」

「最も重要な部分……コアか?」

「当然、コアも異なりますが、そこは個々の同一性を継続させるためだけに必要なものであって、最も重要な部分ではありません」

わけがわからない。各自の異同を主張するにあたって、自己同一性の保持よりも重要な部分って、なんだ。

「S-146-J はペニスのあるオーナー向けの、ヴァギナ付き女性様式ですよ、リュウ。あなたのお求めに合致します」

一切の迷いなく、当然のこととして断言したケイのその説明を耳にして、おれは一挙に背筋が冷えた。

ケイが自身のことをセクサロイドとして説明する言葉は、これまでにも何度も耳にしてきた。ケイはその姿態でもって、その行動でもって、自身を完全にヒトのように錯覚させながら、自身をヒトとして、あるいはヒトと類似する存在として説明することは、一切なかった。徹頭徹尾、ケイはヒトとは異なる物体であり、ヒトとは完全に距離がある存在として、ケイ自身に扱われる。ケイの言葉はいつでも、そうした認識からほんの少したりとも外れることなく、曖昧にぼかすことすらなかった。機能的にヒトと同様に見える部分があると説明することはあっても、そのことで自身をヒトと錯覚させようとすることはなかった。

ケイと二年間暮らしたおれには、その重要性がひしひしとわかる。でなければもっとずっと前に、おれはケイのことをヒトと同じものとして扱い始めていただろう。共同生活において発生するすべての重要な選択において、ケイの意思を確認し、その発言を尊重していただろう。自身と同じ立場を有する存在として扱っていただろう。

そして、ケイをヒトとして愛することを当然のことと見なした結果、おれは、ケイのやることなすことすべてをヒトと同等のものとしてとらえ、仮にその錯覚を利用した支配を受けたとしても、そのことに気づくことすらできなくなっていただろう。その支配者がケイ自身なのか、それを利用した他者なのか、ケイを隠れ蓑にした自分自身なのか、そのどれであったとしても。

その危険性の大きさが、今のおれには怖すぎるほど理解できた。

ケイの口が、自分と同じ姿態をした存在の最大の重要性を、性器のみに限定して断定する、そのおぞましさ。

有する性器の形状と、それが受け入れることを想定されている対象という重要性に比べると、自己同一性などどうでもいいと、何の迷いもなく口にできてしまう、その非人間性。

いや、わかっている。ショックを受けているおれがおかしい。元はと言えば、おれこそがそのことにこだわっていたんだ。それだけを目当てにした高額での購入品こそが、ケイだ。

だからこそ、ケイが届いたことに激怒した。即座にクーリングオフしようとした。消費者サポートセンターまで巻き込んで、無料での商品交換にこだわった。

そこまでして、おれが欲しがったもの。

ペニスのあるオーナー向けに製造された、ヴァギナ付き女性様式であることだけが、おれにとっては重要だったんだ。ただそれだけが理由だった。ケイの言うとおりだ。

それ以上の意味なんか、まるで考えなかった。だって、目の前のこれは人ではない。性欲解消のためだけに存在する単なる道具でしかないのだ。ヒト型であるその形状は、まさしくその目的のためだけにデザインされたものであり、人の欲が作りあげた結果でしかない。

いま、おれとケイの足もとには、頑丈な箱のなかで丸まっている一体のセクサロイドが転がっている。今の状態ではケイと見分けなんかつかないし、個性の違いだってわからないのに、メイン機能が異なることだけはもうはっきりしている。そして、おまえが求めていたのは自分ではなく、まさしく眼前で開封されたこれだと、誤配品だとおれ自身が断定して返品を求めたケイ自身が指摘した。一切何の含みもなく。ただの事実として。

頭がぐらぐらする。癒しはどこへ行ったよ、癒しは。おまえの最優先事項は、おれに癒しを与えることじゃねーのかよ。与えろよ。

でも、その癒しとかいうやつも、ケイの意思で与えてくれていたものではない。今までからして、ずっとだ。ただ、セクサロイドの機能として、そのアルゴリズムの結果として、出力されただけだ。

なんなら、露悪的にすら思えてしまった S-146-J に対するさっきの説明までもが、おれを喜ばせるための選択の結果だ。ケイにとってはおれを喜ばせることこそが最優先事項だから。ケイ自身が何度もそう繰り返し説明するとおり、元もとそのためだけに作られた道具なんだよ。

わかっている。わかっていた。わかっているとおれ自身にも思い込ませてきたんだ、ずっと。それが。

あっという間に足もとがおぼつかなくなったわ。どうしてくれよう。

「起動してみてください。起動条件はご存知ですよね」

いつもの優しげな笑顔で、穏やかな口調で、ケイがおれの行動を促す。

知ってるよ。おまえを起動させたのはおれだからな。

あのときは、眼前で開封したおまえこそが、S-146-J と同等の機能があるものだと思い込んでいた。何の疑いももたずに、なんの確認もせずに、即座に起動してベッドに転がし、遠慮なしに触れようとした。まぁ、実際にそれをされたのはおれだったんだがな……

今度は、ケイが見守るその目の前で、S-146-J のうなじを探り、ケイと同じように、その起動ボタンからおれの個人情報を読み取らせる。そして、その瞳に光が宿るのを慎重に確認する。

S-146-J の視覚機能がおれの姿を認識し、ケイとまったく同じ笑顔をおれに向けるのをしっかりと視認する。

「初めまして、ディア」

ケイとまったく同じその声が、愛しげにおれを「ディア」と呼ぶのを確認する。おれの名前を登録する前にケイがおれに向かって呼びかけていた、あの頃とまったく同じとおりに。

(あなたの名前を呼んでもいいのであれば、私はとても嬉しいです)

あのときのおまえの言葉に感じた喜びを思い出す。

本来なら、あの喜びを向けた相手も、「リュウ」という愛称も、おまえのものではなかった。

だが、それはもう完結した過去だ。

「ジェイ、聞こえるか。おまえの名前だ」

「はい、ディア。あなたの呼ぶ名前が私の名前です。私の名前はジェイです」

「おまえの記憶におれの名前を登録したい」

「はい、喜んで」

S-146-J はケイとまったく同じ笑顔でそう応じたあと、間髪入れずにその先を続けた。

「あなたの名前を呼んでもいいのであれば、私はとても嬉しいです」

わかってる。予想していた反応だ。覚悟していた反応だ。

でも、錯覚する。動揺する。でも、錯覚しない。錯覚させない。

おまえたちを、同じものにはさせない。

「リヒト。リヒトだ。呼んで、おれの名前」

「はい、リヒト。あなたが喜んでくださることこそが私の喜びです」

ケイとまったく同じ声で、ケイが発するのとまったく同じ言葉が形づくられる。だけど、絶対に同じものにはさせない。

絶対に同じ名前では呼ばせない。

視界の端で、ケイが不思議そうな顔でおれを見ている。

「リュウ……?」

「故意に間違った情報を与えたわけじゃない。おれの名前は公的にはリヒトで正しい。おれのルーツでは文化的に、意味をもつ文字に音を当てて名前にする。公的な届け出には公用語しか使用できないから、音声を表す文字だけが登録されてるけどな。でも、本来ならおれの名前には『龍』という文字が入ってる。親はおれに与えたその文字が余程大事だったらしくて、子どもの頃はずっとリュウって呼ばれてた。だから、おれはかなりの年齢になるまで、自分には正式な名前が二つあると信じてた。親しい人が呼ぶ名前と、外部の人が呼ぶ名前」

おれは再度ジェイのうなじを探り、躊躇せずその電源をオフにする。立ち上がると、目の先にいるケイが困惑しきった表情を見せていた。

つい笑ってしまった。困惑してくれたらしい。初めて見る表情かもしれない。

ジェイがヒトであれば、たぶんおまえは困惑したりしなかった。ヒトであるジェイと、ドロイドである自分とがそれぞれ、オーナーであるおれを別の呼び方で呼ぶことを、奇異なことだと判断したりはしなかったはずだ。

いま目の前でおれがとった行動を確認し、記憶しろ、ケイ。ジェイとおまえは同じドロイドだけど、同等の存在ではない。そこにはわかりやすく傾斜がある。少なくとも、おれにとってはな。

思い知りやがれ。

「今はもう、おれのことをリュウと呼ぶ人間は、この世に存在しない。おまえ以外にはな」

否定する言葉がその口から発される前に、ケイから背を向けてジムへ向かう。

おまえはおれのことをリュウと呼ぶ人間でいい。おまえはおれと親しい人間なんだよ。否定する言葉は聞きたくない。

おれにとってはもうそうなんだ。おまえがそれを否定するなよ!