ラブライフ(仮)

9.あなたの意思をいちばんに尊重いたします

 たなかなつみ

定期的に注文品を運んできてくれる小型運搬船から荷物を預かり、納品用の箱と返品用の箱をそれぞれ格納する。そして、ケイだったものを積んだ船がゆっくりと離床し、次の目的地へ向かって遠ざかっていくのを見送る。

感傷的な気持ちにとらわれる。一定期間、親しく暮らしていた人物との、別れの儀式だ。まぁ、別れを選択したのはおれ自身なので、身勝手な話なんだが。

居住区へ戻って外出用の防護服を脱ぎ、身支度をととのえて生活スペースへ入る。おかえりなさい、と言って笑顔で振り返るのは、ケイと同じ顔、ケイと同じ声、ケイとほぼ変わらなく見える肢体の持ち主だ。胸部のふくらみは比較的小さいとはいえ(S-146-J の特徴であり、つまりおれ自身が望んで選択したものだ)、やはりケイとは異なって見える。けれども、普段の生活で強く意識されるほどの違いでもなく、ジェイと名づけたそのドロイドは、そのままおれにとってのケイの代わりとなった。

バッテリーのもたなさも、日常生活におけるばかみたいな不器用さも、ジェイはケイと比べてまったく遜色がない。笑顔であちらこちらを破壊しながら、何かと言えば、「私もお手伝いします」「いかがいたしましょうか」「あなたが喜んでくださることこそが私の喜びです」。こちらとしてももう慣れきっているので、そこで生じる問題への対処もお手のものだ。そして、対応と後片付けに走り回りながら仕事を進めて疲弊しきっているおれのために、ケイではないその存在は、ほぼケイそのものの姿形で、覚えたての「お茶を入れる」という行為をし、おれを柔らかくハグし、ケイとまったく変わらない声で、こう言ってくれる。

「少し休憩しましょう、リヒト。それからあらためて考えましょう。大丈夫ですよ、なんとかなります」

そうして、ケイとの生活をトレースするような日常のなかで、おれは徐々に気づかされることになった。ケイと異なるところがほんのわずかなのが、すこぶるたちが悪い。違う名前を与えた。違う名前で呼ばせた。目の前のこのドロイドをケイとはまったく異なる存在と見なすことにした。

だからこそ余計に、その存在がケイを思い出させる。結局、代わりになんかならない。同じものではない。けれども、まったく別のものとして扱うには、その何もかもがケイそのものでありすぎた。

ほんの少しのずれが積み重なっていく違和感というのは、こんなにも大きく感じられるものなのか。

自身の勘違いを是正するために、何度もおれの名前を呼ばせて安心する。おれを「リヒト」と呼ぶ目の前にいるこの存在はケイではない。何度もその名前を呼び、返事をするのを確認して安心する。目の前にいるこの存在は「ジェイ」であってケイとは異なる。

その胸のふくらみを目で確認し、触れて確認して安心する。目の前にいるこの存在はケイではない。

ジェイはセクサロイドとして、おれのそうした行為を別の意味をもつものだと認識する。

「私に触れて気持ちよいことをなさいますか。それとも、リヒトが気持ちよくなるように私がいたしましょうか」

ストリップショーさながらに、おれの目の前で踊るように自身の衣服を剥いでいく。ケイの裸体なら、やつがボディを掃除しているときに何度も目にしたし、なんなら分解されたその奥まで見まくった。自身のこの手で触れて分解することもさせてもらったし、さらにその奥にまで触れることさえした。だからよく知っている。ジェイのボディは仕組み自体はケイと同じなのに、あれとは異なる。胸にはおれの手に心地よくおさまる弾力性のあるふくらみが二つあり、その下半身にあるのは、成り成りて成り余れるところではなく、成り成りて成り合はざるところだ。

ケイとは異なり、ジェイとは交合することが可能だ。おれとジェイとのあいだには「危険性回避の必要性」なんてものは存在しないし、おれを誘うジェイの姿態を目にして、欲望が一切湧いてこないなんてこともない。好みど真ん中の姿形の持ち主が、明らかにセクシャルな様子でおれを誘ってくるのだ。我慢できるわけねーだろ。

けれども、結論から言うと、おれはジェイと抱き合うことはできなかった。

行為自体を忌避したわけじゃない。実際のところ、何度か試みてはみた。でないと、ジェイを選んでケイを送り返した意味がなくなるだろ! 心の底から抱きたかったよ。そうできさえしていたら、これ以上悩む必要なんか何もなかった! 

でも、どうしてもできなかったんだよ…… 誰か嘘だと言ってくれ…… でもどうしてもできなかったんだ! こんちくしょーが! 

ケイと同じその顔が悪い。ケイと同じその声が悪い。ケイと同じその気づかいの仕方が悪い。

ケイとはまったく違う、性行為への積極性が悪い! 全部悪い! 

おれを拒めよ! 機能的に想定外の動作であり不可能だって言えよ! 危険性回避のために動作に枷がかかるようになっているって言えよ! 笑って、できませんって言えよ! そんでもって、優しくハグしてこいよ! 

ジェイに触れることはできる。そうすること自体は確かにおれにとっての「喜び」だ。けれども、つながることはできない。どうしてもそこまで辿り着かない。

だって、おまえ、ケイじゃねーじゃん! 

つながりたかったのはケイ相手にだ。おまえにじゃない。なのに、ケイの顔をして、おれに触れてくるなよ! 

自分でもむちゃくちゃなのはわかってる。つながれないからケイを手放したんだ。おれがケイを捨てたんだ。ケイと同じ特徴をもつドロイドとつながることができたら、忘れられると思ってたんだよ! 

今までだってそうしてきた。新しい恋はなくした恋の痛みを軽減させ、忘れさせてもくれた。記憶からなくなってしまうことはなくても、時間をかければ平気になっていった。今回だって同じはずだった。

忘れさせてくれよ! 

ケイと同じタイプなのにケイと異なるメイン機能をもつケイとは異なる存在が、目の前で混乱しまくるおれを優しく抱きしめる。

「大丈夫ですよ、リヒト。あなたは好きなようにしていいのです。私にとって、あなたの意思はいちばんに尊重されるべきことです。あなたが望むのであれば、私はいくらでもあなたのそばにいます。私を遠ざけることがあなたにとって必要であれば、そのように。あなたの喜びこそが私の喜びなのですから」

やめてくれ。ケイの声でそんなことを言わないでくれ。

遠ざけたくなんかなかったんだって! 

けれども、おれはそうした。ケイを遠ざける選択をした。ケイの存在より、金を惜しんだ。ケイを捨てて、ジェイのもつ性的機能に賭けた。

おれは間違うんだ。ばかみたいなことにこだわってばかみたいなことで間違うんだ。それで、おれはおまえを失ったんだ。永久に失ったんだ。そういうばかな選択をしたんだ。

「……悪い、ジェイ……」

「何も。リヒトが私に謝ることは何もありません」

ジェイがその柔らかな胸に、おれの顔を埋めさせる。今のおれよりひどい存在はない。セクサロイドなんてものが存在する現実よりひどいものはない。こんなことで容易に癒し効果を得ることができてしまうおれの選択よりひどいものはない。

ケイという存在をこの世から消し去ってしまった事実をどうにもできないまま、ケイと同じ面差しをした存在から癒しを得て快適な暮らしを続けられさえすればいいとする選択のほうが、今なおおれにとっては重要ってことになるじゃんかよ。ほんとひでぇ。

そうは思うのに、現実にはどうしたってそこ止まりだ。笑えねぇ。

ケイはもう、どこにもいない。

おれが、そう選択したから。

「……なぁ、ジェイ、性行為抜きでおれと暮らせないか。おれはあんたをできる限り大事にするよ。そういうふうに一緒にいられないか」

「あなたに負担をおわせて苦しめることは私の喜びではありません」

ジェイは柔らかな声でそう返答し、おれの髪を撫でる。そして、予期しなかった発言をその先に続けた。

「私は性行為であなたを癒すために作られたロボットです。私にはまだリヒトが試していないいろいろなことができる機能がございます。私の可能性を見きわめられるには早すぎます。リヒトはもっと私の可能性の限りを尽くせます。そのための余地はまだまだございますよ」

そうして、ジェイはおれの目の前に「S-146-J の高度な使用方法」を示す追加マニュアルを展開する。そして、優しげな笑顔で穏やかな口調で、非常に前のめりに、自身を売り込むためのプレゼンテーションを開始した。

なるほど、こうなるのか。おれは声を出して笑ってしまった。あらかじめ定められた機能に沿うことに頑ななのは、S タイプを通した仕様ってやつなのか。営業トークまでお手のものかよ。こんなところまでケイとまるで同じだよ。方向性はまったく逆なのにな。

「元気が出たのならよかったです。やりたいことがございましたら、いつでも私に仰ってくださいね」

おれの笑い声を確認し、我が意を得たりとばかりに、やり遂げた感いっぱいの笑顔で自分の胸を叩いたジェイを目にして、おれはまた笑ってしまった。

実際、こんなばかなことで元気は出てしまうのだ。まんまと癒されてしまうのだ。

たぶん、おれはこれから先も何度も、ジェイとこういう類いのやりとりを繰り返すのだろうと思う。その未来の先で、ジェイと性行為をやり遂げるようなことも、もしかしたらあるのかもしれない。ジェイに対してケイに対するのとは異なる愛情が芽生えることも、もしかしたらあるのかもしれない。それこそ、おれの望んだとおりに。

でも、ケイへの気持ちが消えることはもうないのだろう。こうしてジェイに癒されているいまこの瞬間も、おれの脳裏にずっといるのはケイなのだ。

ジェイを通して、ケイの夢を見ることはできるだろう。ケイと再びまみえる夢を見ることはできるだろう。ケイと奥深くまでつながる夢を見ることはできるだろう。

けれども、おれ自身の手で閉じてしまった存在を、ケイではないケイの代替物に託して自分勝手に夢見ることは、許されていいのか。

(あなたがそう望むのであれば、いくらでも)

おれの内でそう断じてくれたのは、ケイの声なのか、ジェイの声なのか。

ジェイとこれから先、どういう未来を築いていくのかはわからない。でも、おれはこれから先、ずっと後悔したまま生きていく。自ら選択した過ちを、ずっと忘れないまま生きていく。ジェイの与えてくれる癒しを貪りながら、おまえじゃない、これはおまえから欲しかったものじゃない、と否定し続ける矛盾を抱えたまま、おれはこの先ずっと生きていくことになる。

ジェイが、S-146-J という、ケイと同じタイプでありながらケイとは異なるスタイルをもつ存在であるからこそ、分かちがたく、ずっと。

好きだよ。離したくなかった。

これから先も、もうずっと。


ジェイはおれが予想していたのよりもずっと早くに、そのすべての機能を停止させることになった。

きっかけになったのは、事故だ。居住区外での業務中に固定用のアンカーが破損し、掘削機が暴れて飛んでいってしまったのだ。事故自体は、おれ自身のしでかした点検時のミスによるものだ。性能的に劣る旧式のものではあったが、長年手を入れながら愛用していた掘削機を手放す結果を導いたのが自分の落ち度であることについては言い訳のしようがなく、だから比較的容易に諦めもついた。

問題は、暴れた掘削機の飛んでいった先に、ジェイがいたことだ。

制御不能になった掘削機は作業中だったジェイのボディに勢いよくつっこみ、その一部を巻き込んで持っていってしまい、破損部分はもうおれにもジェイ自身にも修復不可能だった。要するに、寄木細工のからくりごと、ジェイの腰と下肢にあたる部分がごっそりなくなり、上肢にあたる部分も一部が飛んでいってしまったのだ。ボディの一部を回収できただけでも奇跡的なことだったし、コアが残っていたのは本当に不幸中の幸いだった。だが、そのコアを守る最奥の保護函自体も肉眼で確認できてしまうほど、内部の破損もひどかった。

「大丈夫ですよ。メーカーに私を送ってくだされば、ボディの修理は可能です。それでご満足できないようでしたら、代替品を新たに購入いただくことも可能です」

ジェイは笑顔でそう提案してくれたが、結局おれはその提案を選べなかった。メーカーの窓口に修理についての相談はした。けれども、破損部分が大きすぎること、遠距離配送になることがネックとなり、提示された料金は代替機購入など一笑に付すことができるほどの高値になったのだ。しかも、それですら完全な修復を確約できないという。

今のおれにそれだけの余裕などない。いや。

仮にそれだけの金額が用意できるのであれば、欲しいものは別にあるのだ。

ジェイ自身に不満があるわけではない。生活をともにした時間分の情は充分にある。

それでも、どうしようもない渇きがずっとあるのだ。鎮めることのできない燻りがずっと胸の内にあるのだ。

おれの意向を伝えると、ジェイは笑って応じてくれた。

「大丈夫ですよ、リヒト。あなたは好きなようにしていいのです。私にとって、あなたの意思はいちばんに尊重されるべきことですから。あなたの喜びこそが私の喜びなのです」

それで、おれはそうした。ジェイのユーザー登録を解除し、オーナー情報とバックアップ情報を削除した。動きを止めたボディは以前と同じように再梱包して返送した。

返品したボディは、メーカーの規約どおりリサイクルに回され、そのままの状態で再利用されることも、同一体として修復されることももうない。コアはそもそも再利用されない。細かく分解された部品から新たに作成されるボディは、どこをとっても「別人」となる。

今度はジェイの存在が消える。おれがそうすることを選択した。

けれども、そこここで新たなボディの一部として新たな命を得て、望んでくれるオーナーのもとでの生活を次こそ長く営んでほしい。そんな身勝手な願いを込めつつ、おれはジェイだったものの旅立ちを見送った。

ケイを見送ったときには、こんなことを考える余裕すらなかった。

実のところ、ボディの完全修復を目指さずに、会話機能のみを有する据え置き型ロボットとして、ジェイを手元に置き続けることは可能だったのではないかと思う。元の会話機能を長年継続させることはできないとしても、数年程度の使用が困難ではない状態にまで修復するのは、ジェイ自身の助言とおれの技術とがあれば、おそらく。けれども、おれはそうするための努力を選ばなかった。

欲しい人がいるんだ。もうずっと。

だから、おれはその人を手に入れるための努力を、今度こそ最優先で選択することにした。

おれの生活はすべて元どおりになった。ケイはもういない。ジェイももういない。すべてをこの手に抱えることはできない。何かを選択して何かをあきらめなければ、おれ自身を維持することすらままならない。だから、そうすることにした。

おれはひとりきりの空間で生活し、こつこつと金儲けを続けている。

今度こそ間違えない。いや、たとえこの選択がやはり間違いだったとしても。

あきらめきれない人がいるんだ。もうずっと。