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『黄昏銀河のプログレカフェ』異聞

第一話 マスターマインドIII トラジック・シンフォニー
◆マスターマインド1994(後編)

KONDOK

 ドレーム達のカプセルは時空震中和の衝撃で跳ね飛ばされたが、質量が軽いため惑星群から離脱できず、破壊されたスターシップと夥しい数のトカゲ達の死体が漂う空間と共に、トカゲ族惑星群の中心に向かって引き寄せられていた。
 ドレームが覚醒した時、既にマーは忙しく計器類を調節し航行の安全を図っていた。
―位置は?
 ドレームは還元剤の溶けたドリンクをマーから受け取りながら、必死に目前のホログラムを分析した。
―最悪です。敵のど真ん中に落下中です。しかし、捕捉はされていません。おそらく、中和された宇宙震空間が丸ごと引き寄せられているものと思われます。いわば、大きな泡に閉じ込められた塵の一つがわれわれです。敵の残骸や隕石の欠片にまぎれて姿を隠しておくことはしばらく可能です。
―どのくらい? 正確に推定して。
―はい、0030です。
……それまでに、イルージェがわれわれを見つけることが出来るだろうか? それとも、泡の外に出るべきか…。
―あの……
―何か策があるの? そんな顔つきの時は何時でもアイデアを持っているのね。
……思った通りの子だわ。
 マーはドレームの輝く瞳に見つめられ、ドギマギしながら答えた。
―えーと、今は、われわれの作った宇宙震による泡の中=宇宙にいます。これを、内部から操作することが可能です。
―興味ある話ね。続けて。 
 姫の辛そうな声が割って入った。
―はい。この宇宙はもともとわれわれの脱出カプセルをトリガーとして射出した宇宙震によって作られています。内部にいることでトリガーのベクトルはまだ有効です。先ほど調べました。今なら、この泡を思い通りの方向とスピードで動かすことが可能です。
―それで?
―これを思いっきりぶっつければ、少なくとも敵の時空震射出源を消滅させることが出来ます。但し、その直前で脱出しないとわれわれも消滅します。
―どのぐらい近くまで?
―惑星群の井戸から脱出できなくなるぐらい近くです。およそ、0030後で、一瞬の内に移動しなければなりません。
―《ファイヤーウィッチ》は?
―先ほど、弱い探知スキャンの痕跡を確認しました。こちらに急行しているものと思われますが、ギリギリのところです。
 その時、軽い宇宙酔いの感覚が全員を襲った。
―泡に侵入者です。機影三。方位α112。トカゲたちの探査機と思われます。
 カプセルの簡易ITが報告する。
―姫、左前方の大きな破片の影にカプセルを移動してください。
 ドレームは近傍の空間をさっとスキャンさせて、指示した。
 姫は細い塵を避けながら、巧みにカプセルをトカゲ達のスターシップと思しき大きな残骸の内側に移動させた。トカゲ族の船と肉体の破片がカプセルに道を譲る。
 カプセルが破片の影に移動するすぐ後ろをトカゲ族の探査スキャンビームが通り過ぎた。
 しばらく計測していたマーは、今度は確信をこめて報告した。
―ここで泡を動かすしかないと思われます。直ぐに探知されますけど、操作ベクトル盤をランダム次元で放出すれば数分間はもつはずです。この泡の大きさなら、あと数分全速で惑星群の中心に向かえば十分なスピードになります。もう誰にも止められないほど……
―それで行きましょう。
 ドレームは決断した。
―姫、ベクトル盤を射出すると同時に影から出ましょう。探査機にわれわれを追跡させ、十分ベクトル盤から離す必要があります。逃げまくって下さい。
―そうこなくっちゃ!

 トカゲ族の探査船は破片の奥が一瞬輝くのを感知した。ビームが向くより早く、赤い玉の円盤が勢い良く飛び出し、探査船にぶつかるほど近くを掠めて後方に飛び去った。三機のひとで型探査機は向きを変えると追跡に移った。

―探査機の情報は?
 ドレームはマーに尋ねた。
―完全なシークレットスキャンでは有りませんが、デジタル解析で船内の様子がほぼわかります。乗員は六名。パイロットを除く戦闘員は三名で残りは探査の技術者と思われます。
―転送装置は?
―有りません。いや待ってください。脱出用の非常ボート内に有ります。簡易タイプですが。
―乗り移れる?
―数秒ほど相対距離が一定ならば。でも危険です。
 カプセル内が一瞬揺らぎ、探査機の機影がホログラムに浮かんだ。姫の操縦するカプセルは大きな塵の間をすリ抜け、無力化されるのたくみに避けながら泡の中心から逸れ始めた。
―マー、後尾のダミー三機をc0712の方向に発射! 姫、前方の大きな塊の下から大きく上に回りこめますか?
―大丈夫よ、探知できない障害物がないかぎりは。
 カプセルは巨大な宇宙塵の傍から潜り込み、その重力を利用して大きく上方に回転するとそのまま慣性飛行にうつり、一艘の探査機の上に出た。
―全ての船体エネルギーを停止! このまま慣性で探査機に近づき、探査機の引力圏に侵入開始。
 といって、何もすることが出来ない三人は、数秒が過ぎるのを、悪魔に見初められた乙女のようにただじっと我慢した。カプセルはやがてひとで型探査機の上部後方に六十センチほどの空間を空けて着艦した。
 探査機の船長はちょっとメモリがぶれるのを見たが、それよりふっと消えてしまったカプセルの行方探査に夢中だった。なにせ、先ほどのスキャンデータが信用できるなら、あのカプセルには数百年もの間敵対し、三十年程前に辺境の次元に閉じ込められてしまった女人惑星軍の姫が乗っているはずだったから。自ら操縦桿を握りしめ、なおもスキャンデータを睨みつづけた。だからコックピットの扉が開いて、その姫が入ってきた時、一瞬何が起こったか分からなかった。しかし、姫の手に握られたサイバーサーベルがトカゲ族の血に染まり、付き従う二人の屈強な兵士の体から戦い終えた喜びのエネルギーが放出されているのを見たとき、全てを悟り体内の自爆装置を発火させた。
 ドレームが盾になるより早く、火の玉が姫を襲い、あっという間に姫は火達磨となった。ドレームは姫に覆い被さると、緊急の生命維持装置を作動させ、抱き上げて後部座席に固定した。姫の基本生命サインはまだ動いている。マーは既にあちこちにくすぶる船長の骸を始末し、船内の機器を点検、作動させていた。
―マー、姫の応急手当を代わって。この探査機を操縦して脱出するわ。くそ、自爆で操縦席がベトベトね!
―隊長! トカゲの探査機です。こちらに会合しようとしています。
 マーは、姫の焼け爛れたスーツを剥がしながら、ホログラムで位置を確認した。
―三機います。
―どこ?
 戦闘服をトカゲの粘液で汚しながら操縦席についたドレームは、駆動フォースをオンすると脱出ルートを探索しつつ尋ねた。
―後方に二機。前方に一機。前方の一機には一応ミサイルの照準を合わせましたが……
 特に前方の一機は探査機とは思えぬスピードで近づいており、既にカプセルは捕獲されるモードでロックオンされていた。その探査機はスターシップ並みだった。万事休すか。このまま降伏し、姫の治療をトカゲたちに委ねる方が良いかもしれなかった。ドレームはミサイルを解除した。
 ドレーム達は改めて姫の治療に専念することにし、前方のシールドを外して、機影が肉視できるまで待った。
 機影はあっという間に大きくなったが、ひとで型ではなく見慣れたコバルトレッドの翼が、加速された泡の中に散らばる塵の衝突で輝いた。

―降伏を。 
 高速のスターシップに、探査機が十機で戦っても勝ち目は無かった。トカゲ達もそのことをよーくわかってくれていればいいけれど、と思いながら、イルージェは、前方の機影に目を凝らせ、通常交信を行った……おや? 良く知っている声が響き渡った。
―急いで!話している暇は無いわ。三人転送。位置は、コックピットよ。救急班を装置の傍に。姫が大やけどよ。
―おお、ジャンヌ様!
 三人の位置を確認して、キーボードを叩くと直ぐに転送室に向かった。
 イルージェの前に、姫の姿は余りにむごかった。マーは全身赤黒く火ぶくれをおこした姫の体を抱きかかえ救急カプセルベットにそっと静置し、とりあえずの生命維持で繋ぎとめた。
―まず脱出。次に姫を治療できる惑星を探す。
 ドレームのかすれた声に、相槌を打ちながら、イルージェは緊急発進を命じていた。幸い、コバルトレッドのスターシップを確認した探査機はそれ以上近づいてこなかった。
―泡からでるため、フルスロットよ! ブーメラン曲線、方位Ω211、GO!
 イルージェは指令席に飛び込み、三人が固定されたのを確認すると、時空に溶けるようなスピードで《ファイヤーウイッチ》を発進させた。
 泡の一部がはね飛ぶように破れ、流線型の光が振動する宇宙に一直線に飛び出した。一部破れた泡の小宇宙は再び傷を塞ぎ、惑星群の中心に向けてますます加速していった。とたんに、《ファイヤーウイッチ》の時空計器があわただしくデータをはじき、ホログラムに夥しい数の粒の光が点滅した。まわりはひとで型宇宙船だらけであった。ただし、今度はスターシップだった。
―慣性潜行。方位λ1。
 できるだけ目立たないように、最小の慣性力でコバルトレッドの翼は滑り出した。

―イルージェ、マーを紹介しておくわ。
―ここまで皆とともに生きてきたんだから、たいしたやつね。宜しく。
 マーは胸に手を合わせ、緊張気味に答えた。
―いえ、この船を敵の探査船と見違えました。もう少しで攻撃するところでした。
―あなたは正しいわ。まさに、敵の探査船データを機体から発散させて航行したんだから。近づいてきた探査船を無力化してデータを全部頂いたわ。ダミーにそのデータをインプットして《ファイヤーウィッチ》の直前を走らせたの。轟々と雑音を撒き散らせてね。敵は全て道を開けたわ。泡に急行する探査機と思ったのでしょう。
―そのダミーはまだ使えるの?
 ドレームはあまり期待せずにたずねた。
―さっきの泡の中。
―やっぱりね。
 その時幽かな時空の揺れを、観測者が報告した。トカゲ惑星群の中心付近に泡が激突した瞬間である。ひとで型スターシップ群に明らかな乱れが生じ、動揺が感じられる。
―今よ! イルージェ、全速で、ひとで包囲陣を突破!
 全てのひとでスターシップ探知機に突然赤い点が点滅し、それは恐ろしいスピードで近づいてきた。完全に混乱しているトカゲ達は、左右に展開しかけては衝突を避けるために反転する動きをあちこちで起こしていた。その間をぬって、いまやコバルトレッドの輝きを惜しげも無く撒き散らしながら、《ファイヤーウイッチ》は包囲網の外へと突き進んだ。    
 それでも、幾つかのひとで達は後を追ってきた。追跡機を置き去りにしながらも、横から飛んでくる時空ミサイルをかわし、前方のひとでを無力化しつつ、突き進んだ。最後の追跡者を振りきりながら、イルージェ達はこの星系の位置とある程度の女人系の居住惑星を探索しつづけた。
 いつの間にか星雲がまばらになり、計器でも肉視でも静かな大宇宙が広がる空間に突入していた。
―かなりの辺境に来ています。われわれの銀河までは三光速でもおよそ二十日の距離です。近くには大きな銀河はありませんが、もう何百年も前に入植したと見られる惑星系がただ一つ有ります。ヴォイド系です。
 マーが報告した。
―姫の体は二十日も持たないでしょう。少なくともある程度の医療施設があれば、安全に姫の生命を維持することができるかも知れません。
 緊急医療班の軍医が進言した。
―仕方が無いわ。そこに賭けましょう。
 ドレームはイルージェに惑星ヴォイドに向かうよう指示を出した。
 赤い翼は、静かな世界にぼんやりと青く輝く星系の中心に向かって落ちていった。やがて、中心に向かう力を反転させ、減速すると人型生命の観測される惑星に突入した。
 厚い雲を抜けると一面銀白の世界だった。しばらく飛びつつけると氷山から海が現れ、やがて河口から長く続く河川が三角形のスターシップを町と思われるところへと導いた。

 河口で微生物を採集していたコートは、今朝も見た夢の意味を考えながらふと東の空を見上げた。それを見るのは久しぶりだった。美しい流線型の宇宙船が川上に向かってゆっくりと進んでいる。……あれが夢の意味だったのかしら? とりあえず、コートは作業を中断し、町へ急ぐことにした。この町でサイエンティストと言えるのはコートだけだったから、よろず相談事は早かれ遅かれコートに持ち込まれるのが常だった。それに、ちょっと胸騒ぎがするし……
―どうなっているの?
 コートはクルーザーを町の中心に寄せると、窓から赤みをおびた銀髪のかかる顔を出して、待っていた助手に尋ねた。
―お待ちしていました。二十分ほど前から、宇宙船の緊急避難信号をキャッチしていました。女人惑星群エクセルシアの信号です。おおやけどのけが人がおり、医者を求めています。
―地下滑走路に誘導し、病院に運ぶように作業責任者に言って。それと、強烈な暖房がいるわ。きっと彼女たちは、一日と持たないわ。ここの気候じゃ。
 コートは指示を与えると、急いで病院に向かった。
 白衣に着替え診察の用意を整えたころ、三人の大きな女人と軍医と思しき女性に保護されるように生命維持カプセルが運ばれてきた。
―お目にかかれて光栄です。ドクター。
 軍医はコートを一目見るなり固まって最敬礼の挨拶をした。 
―コートです。まずはけが人を。詳しい話は後からにしましょう。
 コートは後ろのカプセルに回りこんで中を覗き込んだ。……まあ、可愛そうに。コートは言葉を飲み込み、カプセルのデータを見ながら軍医と治療方針の相談を開始した。ドレームとイルージェにはなんのことか分からなかったが、二人の会話からして深刻な事態であることが用意に察せられた。
 ここは寒かった。この暖防具を貸してもらえなかったら、《ファイヤーウィッチ》から一歩も出られなかっただろう。それにしても、なぜこの町の人達はあんな薄着でいられるのだろう……。
 軍医は俯いて少し首を振ると、ドレーム等に向かって説明を始めた。
―状態は思ったより深刻です。姫は、火トカゲの自爆をまともに受けられました。飛散した細胞が姫の体に食い込んでいます。それはまだ活発に活動していて、徐々に姫の体内を侵食中です。現在、半冷凍でできるだけ生体活動を抑えていますので、進行は遅いのですが……
―どのくらいの時間、姫のままでいられるの?
 イルージェは大きな身体を少し丸めて軍医に尋ねた。
―三日が限度です。ご存知のように、火トカゲ族もわれわれの祖先からの分離亜種ですから、融合は極めて早く進みます。勿論、その後の生体が存続できないことは確かですが。            
 軍医は慎重に言葉を選んで予測される最悪の事態を説明した。
―姫を助ける方法はないの?
 ドレームは懇願するように辺りを見回し、マーはしゃがみこんで顔を手で覆った。
 その様子を見ていたコートは、観念したように、しかししっかりと発言した。
―一つだけ有ります。
……ああ、今朝の夢が……と思いながら、コートはペンを胸ポケットに戻し、ほのかに赤い銀髪をかきあげて、姫のカプセルデータを見つめながら説明を始めた。
―患者の正常な幹細胞を抽出し、慎重にDNAを操作して胞胚期まで戻します。それを体内に再移植して発生を適切にコントロールすれば、患者の細胞を全て正常に戻すことが出来ます。また、ICチップに収めるまでも無く大脳を含めた神経系は未だ全て正常ですので、人格の補完も問題ないと思われます。ただ……
 零下の診察室に、データを読み取るシンクロイドマシンの音がカタカタと鳴り響いていた。
―ただ、再移植する段階で、ベクターにこの惑星の細菌しか使えません。まだ、研究段階だったのであなた方の菌を持ち出すことは出来ず、また持ち出していてもすべて不活性になっていたでしょうけど……つまり、患者は亜種として初めての試みとなります。勿論、この惑星の人間では全て成功させていますが。結果の正確な予測は不可能です。
 ここで、ドレームは数年前に宇宙への辺境へと就いた一人の天才科学者のことを思い出していた。
―あなたは、ひょっとして……
―そう、私がコート・シェリー。あのシェリー伯爵の孫です。この惑星ヴォイドには三年前から居着いています。
 それで、軍医が眼を輝かせている理由がわかった。彼女は一目でわかったのだ。
―お目にかかれて光栄です。
 三人は遅ればせながら軍医に追従した。
―挨拶している余裕はありませんよ。患者にバクテリオサージェリーを施行するか決断してください。本人の同意は無理でしょうから。私は、火トカゲの細胞だけを殺し、患者の細胞を正常に発生させる細菌の選別に入ります。えーと……
―ティアです。
―そう、ティア少尉もデータ解析を手伝って下さい。
―もちろんです。
 軍医は栄光と寒さと任務の重さに紫の頬を青白く硬直させてコートに従った。

 取り残されたドレーム達は、温かい《エデンの水》をすすりながら、限られた状況での検討に入った。
―マー、援軍は連絡取れる位置に来ている?
―何回か弱いサーチを感じました。《ファイヤーウィッチ》の莢は無力化されたと思われますので、別の時空抗を探しながら、あるいは作りながらとなります。まだ一日はかかるものと思われます。
―こちらから出迎えられる?
 イルージェは、いままでの敵の主な位置関係をホロスクリーンに映し出しながら説明した。
―ここは、火トカゲ達の星域です。いくら《ファイヤーウィッチ》が高速でも、時空穴を探知する前に取り囲まれる可能性が高くなります。
―二十四時間後では取り返しがつかなくなるわ。姫をコート先生に託しましょう。
 ドレームは静かに言った。
 だれにも異存はなかった。
 そう簡素にコートとティアに伝えると、姫の傍にいると言うマーを残して、ドレームとイルージェは《ファイヤーウィッチ》に戻った。しばらく成す術は無かった。じりじりと時が経つ間、敵と味方の探査網を測定し、船と兵器を整備し、仮眠と食事をしながらひたすら手術の成功を祈った。政府がどう言おうが、偶然でも宇宙一のバクテリオサージェリードクターが治療を行っているのだ。むやみに騒がず邪魔をしないで待つしかなかった。

 コートは丁寧に姫の全身に及ぶやけどの皮や汚れをふき取り、食い込んだトカゲ細胞を目視できる範囲で一つずつ取り除いていった。次に、拡大顕微鏡、最後に走査顕微鏡で表面を入念にチェックした。六時間後満足そうに微笑むと、電子スキャンで表層のトカゲ細胞は全て取り除かれたことを確認した。ティアはその一部始終を特別助手として見ていたが、殆ど電子機器を使わず精密に行う作業に驚嘆していた。
―第一工程が無事終わりました。これから細心の注意が必要となる第二工程に移ります。
 ティアは事前の打ち合わせで聞いていたことを改めて反復した。
―ティア、予め抽出した患者の幹細胞が胚胞期に戻っているか再確認して。DNAを抽出して最も相性のいい細菌ウイルスDNAと連鎖させ、各組織のオーガナイザーに打ち込みます。ターゲット組織は139カ所。これも、一つずつ丁寧に行うことが重要です。
 ティアは寒いにもかかわらず、額に汗が伝わる感触がわかった。

 歩哨が点検している時、《ファイヤーウィッチ》の入口付近を動く者があった。
―おや?
 入り口への接近者ランプが点滅し、ホログラムに小さな影が現れ直ぐに消えた。
―火トカゲ?
 いや、もっと大きかった。小さな子供のような...、少年?
―珍しいわね。しかもこんな辺境で。 
 イルージェは入り口を開けると、辺りを見渡したが誰もいなかった。しかし、足元にバスケットが置かれ、惑星ヴォイドの食べ物と飲み物が入っていた。
―住人の誰かが差し入れしてくれたわ。ここを戦場にはしたくはないわね。姫の治療が無事終了したら、直ぐに引き上げないとね。少年もいるし。
 イルージェはバスケットを司令室のテーブルにどさりと置いた。
―少年?
 ドレームは聞き返した。
 ホログラムを解析すると確かに少年だった。ここの住人と同じ薄着であるが、顔立ちと人種は不明だった。
 珍しいヴォイドワインを温めて飲んだ後、姫の無事を祈りつつまどろんでいた隊員達の部屋に、突然計器の点滅が始まった。
 マザーベルの機械的な音声が響き渡る。
―警戒! 警戒! 未確認の飛行物体が上空に展開しつつあります。また、小さな時空震穴の開く可能性が60%以上あります。
―イルージェ、《ファイヤーウィッチ》を発進。上空1.5万メートルで哨戒待機。あっと、その前に、一個小隊をコート先生の病院に送り、マーの指揮下に入れて。無人操作が可能な脱出用のカプセルと時空砲を持たせるのを忘れないで。

―発進!
 地下格納庫が開いて、ピンクの光と共に赤いスターシップが再び紺碧の宇宙に飛び出した。 
 ホログラムで捉えたヴォイド星系空間は先ほどと違って圧倒的に賑わっていた。トカゲ達は怒り狂い、全軍で攻めてきたかのようだった。
―かなり本気ね。姫の手術が終了するまで囮の行動にでるわ。ダミーをヴォイドの太陽の方角へ0005づつ発射、本艦は最後尾に着いて敵をかく乱させつつ、惑星ヴォイドから遠ざかること。
 次々に発射されるダミーにひとで型スターシップは翻弄され、はぐれたものは後から切る本物に狙い撃ちされ、あっという間にひとで型は二十機以上消滅した。しかし、ひとでたちは次から次に現れ、遂に《ファイヤーウイッチ》でもかわせない空域においこまれつつあった。ドレームが敵の主艦に乗り移るしかないと判断し、船をλ104の方向に転じさせようとした時、近くの空域がゆれホログラムにピンクの光沢が現れた。
 一瞬で《ファイヤーウイッチ》を取り囲んだひとで型はすべて無力化されていた。
 一通りの閃光が収まると、《エリザベスリード》が時空震穴を切り開き属艦を従えてトカゲ達の宇宙に現れていた。
―隊長、遅くなりました。
―エマ、最高よ! 惑星ヴォイドに姫がいるわ。火傷をおって治療中なの。
―すでに、《ムーンチャイルド》を急行させました。隊長たちの状況は逐次十二時間前から《ライジング》達が把握しており、あとは、トカゲたちが探知していない時空震点の一つから絶妙のタイミングと場所で侵入するだけでした。ご無事で何よりです。
 《エリザベスリード》の艦長エマは、喜びをおさえて更に報告した。
―隊長、司令官のご命令をお伝えします。本隊の指揮権と、そして無傷の《パペットマスター》をお返し致します。
 《パペットマスター》では大きな歓声がおこり、やがてキャップの下からうねる銀髪たなびく戦闘服姿の隊長を迎え入れた。
―ここに戻れたのが一番嬉しいわ。有り難うみんな。
―では隊長、命令を!
 ドレームは《パペットマスター》の司令室に入ると、全ての情報を短時間で確認し全艦に向かって通常通信による指令を発した。トカゲ達に聞かれ様が一向に構わない戦闘開始の合図である。
―全艦、惑星ヴォイドの生存確保に全てを集中せよ! いいかい、守るのは姫だけではないよ。惑星ヴォイドの全住民たち、そして、宇宙一の頭脳よ! 
……ああ、先生、とにかくご無事で!

 マー達は急いで簡易バリケードを築き、トカゲの侵入に備えた。手術はまだ四時間ほどかかるはずだった。その間、建物、電力、磁力、空気その他全てを確保しておかなければならなかった。侵入探知レーザーが鳴り響く。
―トカゲ達が病院屋上に現れました。重火器装備兵で応戦中です。
―敵の主な兵器は?
―通常兵器です。しかし前線が倒れても、あとから湧くようにやつらは出てきます。
―穴が開いているの?
―いえ、上空から飛来しています。
―隊長に、トカゲ発生源の宇宙船へ緊急攻撃を要請して。
 マーは通信係の隊員に指示をだし、小火器をつかむと上空のトカゲ達迎撃に向かった。
 その時、薄いピンク色の光が病院の上空に炸裂し、ひとで型の飛行船が飛び散った。閃光と煙が薄れると、旗艦《ムーンチャイルド》がその姿を表していた。
―マー。こっちは片付いたわ。病院の上空にシールドをはるよ。
 いままで侍女長の声がこんなに頼もしいと思ったことはなかった。
―ありがとうございます。
 これで、時間が稼げる。マーはほっとすると共にチョッとめまいがして……え、めまい?
―観測班、時空震のあらゆる状況をモニターし、報告。
―手術室の入り口近くで小さな穴が開きつつあります。
―おお、ジャンヌ様
 マーは脱出用カプセルの自動操縦装置をつかむと、小隊を引き連れて、地下の手術室に急降下していった。
 小隊は、穴を守ろうとするタフなトカゲたちの出迎えを受け、肉弾戦となった。近すぎて火器が使えないので、サイバーサーベルやワイヤーラッシュで、敵の体を切り裂いて行く。敵の位置を予測して、兵器の動きより早く移動する。下から突き上げてくる閃光サイバーを避けながら、急襲してくる左右の敵の手足を掻い潜り、体当たりして、更に急いだ。  
 マーと装置を守る兵士の数が一人また一人と減っていく。それでもマー達数人は返り血でベトベトになりながら、手術室の入り口にたどり着いた。
 入り口はしっかりと閉じられていたが、近くに空いた時空震の小さな穴が生々しく青白い火花を放出している。
 マー達は急いで、無人の脱出用カプセルに時空震発生装置を設置し、またトカゲ達が飛び出してくる前に穴に発射した。
 ゴーグル越しでも明るい閃光が確認され、蛇の口がのたうつような穴の退行が始まった。扉の前で、飛び散った部屋の残骸に身を隠したマー達に火の粉が襲い掛かり、たちまち部屋の中は白煙で満たされた。
 それでも、蛇の口が扉の内側に遷移しないように時空砲で調節する必要があった。今度は、外部からコントロールしてくれる友軍はいなかった。小隊は火の粉を浴びながら扉の前に散開し、左右にゆれる蛇の口に照準を合わせてコントロールしようとした。
 その時、小さな虫のようなものが飛来し、小隊に激突した。マーは顔面と肩口に直撃をうけ転倒した。隊員は次々に倒れ、暴れる蛇の口の一番近くにいた二人の隊員は虫に気を奪われ、蛇の口に扉まで吹き飛ばされて動かなくなった。
 マーは朦朧とする意識で、時空砲を最大のパワーにセットすると火の粉の方向に連射した。誰もが動きを止めるほどの閃光があがり、再び白煙で視界が不明となった。
 マーは薄れる意識の中で、消えた時空震穴と、薄れた白煙の向こうで次々に立ち上がるトカゲども……そして、なぜか後ろに引きずられ始めたことだけは分かっていた。
―だめ、退いては……、扉を守って……
 マーの叫びは、銃火器の音にかき消された。

 トカゲ達の前に扉は開いていた。しかし、恐ろしいほどの冷気が吹き出しており、勇敢な軍医を中心に一個小隊クラスの防御隊が火器を向けていた。
―ここまでよ。あなた達が、なぜそんなに姫の近くに出現できるか、原因が分かったわ。
 軍医はトカゲの小隊長に照準をあわせたまま、これ以上は踏み込ませないという気迫で立ちふさがった。
 トカゲの小隊長は命令を発しようとして、冷気で機械虫たちが動かなくなっていることに気が付いた。通常兵器では勝ち目は無い。後は一歩でも近づいて……
―気をつけて!
 トカゲ達の後ろから声があがり、ドレームのワイヤーラッシュが、軍医に近づいた小隊長の首に巻きつき無力化していた。あっという間に、《ムーンチャイルド》の隊員達がその他のトカゲたちも拘束していた。

―自爆するんです。行き場がなくなったら。 
 ドレームは説明しながらジュビリー侍女長と共に姫の所に急いだ。軍医の説明では、手術は無事終り、姫は集中治療室に運ばれていた。
 ガラス越しに見える、生命維持液の中で眠る姫の横顔は未だ赤黒く晴れ上がり、全身の所々で皮が剥け切開した跡も残っていたが、死地の峠は越えていることがドレーム達にも十分良く分かった。
 それでも、侍女長は変わり果てた姫の姿に大粒の涙を流し、ガラスの上から姫の身体を何度もさすっていた。
―今、姫の新しい細胞がトカゲ細胞の残骸や破壊された細胞に置き換わる第三工程の最中です。姫は、十分若いので三日ほどで完全にもとの美しい身体にもどれます。
 コートは、消毒液の香りを全身からただよわせたまま、片手に飲み物を持ちながら、治療室の扉の前でドレーム達を迎えた。
―有り難うございます。先生も、ご無事で何よりです。
 ジュビリーはまるで神を見るかのように、胸に手を合わせた。
―治療に集中していたので今まで外で何があったか分かりませんでした。ティア少尉、マー達は?
―三名死亡しました。マーメイダス伍長は意識不明です。
 コートはチョッと目を閉じると、唇をかんで飲み物を置いた。
―案内して。
 コートは白衣を羽織ると、生命分析装置を片手に急いで部屋を飛び出した。

 姫を護衛する侍女長らを残して、ドレームは半ば終了した戦況を分析するため、病院の理事室を借りることにした。
 結局、トカゲの時空震はもう開かなかった。取り残されたトカゲ人たちは十二名。全員無力化され、冷凍房に収監された。破壊したスターシップは三百二十六機。まだ追いかけている《ファイヤーウィッチ》のグループが、その数を増やす可能性はあった。宇宙から侵入したトカゲ戦士は全員死亡した。
 一方、ドレ―ムの軍は六機が破壊され、七機の乗員がスターシップを放棄した。死亡は十九名、負傷はマーを含め五十六名だった。惑星ヴォイドの住民は驚くほど直接攻撃されず、二名が軽い怪我、一名行方不明となった程度だった。
―ひとまず良く守れたわ。
 ドレームは、最後のキーを叩くと、気になっていたことを問い正すためティア軍医を探しに行った。
 軍医はマーの浸かっている治療槽の傍でマーの生体分析を行っていた。
―どう?
―はい、隊長。一命は取り留めました。顔面に受けた傷については少し残りますが……
 顔を上げた軍医の表情には、戦闘の疲れと安堵感が混在していた。ティアも充分若く、おそらく実戦はこれが初めてだったのだ。
 
―マーには勲章ね。一番激しかった戦いの英雄として。ところで、ティア、チョッといい?
 ドレームは軍医を治療槽から誘い出すと尋ねた。
―あの時、トカゲ達に言い放った言葉の意味はなに? たしか、トカゲ達は姫のそばに出てくるとか何とか…… あなたは何をつかんだの?
―おお、報告が遅れてしまいました。こちらへ。
 ティアはドレームを連れて治療槽の隣にある細胞観察室に入った。そこは、普段コートも執務する部屋だったが、今は誰もいなかった。ティアは右隅の雑然と資料が散らばる机の上に立体顕微鏡のホログラムを映し出した。それは、精妙に出来たアミーバ型発信機で姫の細胞との軽い融合が認められた。
―これは姫の前胸部あたりから採取しました。コート先生は別に気にされませんでしたが、私は軍人として調べました。
―トカゲの船長が爆死した時姫に付着したの?
―いえ、その時ではここまで融合する時間はありません。融合速度から、およそ七十八時間ほど前姫に起こった出来事です。
 ティアはマイクロスキャナーを動かして画像を調節しながら、淡々と報告した。
―しかも、相手の細胞はわれわれ女人のものです。
 ドレームは《ムーンチャイルド》が勝手に動き出し、慌てふためいていた時を思い出した。
―時空映像を出すまでも無いわ。細胞は火トカゲに乗っ取られて焼死した侍女のものね。あの時姫は、未だ焼けている亡骸を抱き上げて頬ずりして泣いたと聞いているわ。でも、どうしてあの侍女がアミーバ型発信機を持っていたのかしら。火トカゲが乗り移ってもそんなに直ぐに細胞は同化しないのでしょう。
―おそらく、侍女が生まれた時にすでに埋め込まれていたと思われます。およそ十五年前ですが、侍女の出身地を調べたところ、彼女の一族は最も古い貴族級の一つで、トカゲ族が亜種として分化したころから彼らとの交易を続けているものもいます。
―でも、そんな科学的技術は無かったはずよ。そのころ、彼らには。
 何時の間にそこまで調べたの……と思いながら、ドレームはしばらくティアの思考と付き合うことにした。
 ティアはチョッと辺りを見回し、声を顰めた。
―コート先生がなぜ、このような辺境、しかもトカゲ達の星域に来たか考えてみたことは未だ無いですよね?
 ドレームは本来ドクター・コートの仕事場である細胞観察室を見渡した。細胞観察用のマイクロスコープと顕微鏡。なにやらわけのわからない器具の置いてある棚。びっしりと情報や観察結果がファイルされた本棚。そして本棚の端にひっそりと置いてあるフォトホログラム。そこには、祖母に当たるシェリー伯爵と小さいながら白衣姿で写るコートの姿があった。
 ドレームの思考の中で、過去の出来事がジグソーパズルのように繋がり始め、ティアの思考と重なった。
―驚いたわ。シェリー伯爵がトカゲ達の後ろにいるってことなの。
 ドレームは思わず口に出して言った。
 確かに、シェリー伯爵が『怪物を作ってしまった.』というナゾの言葉を残して失踪したのは、およそ十五年程前のことだった。
―そのとおりよ。でも、私達のように自由な肉体でいるかどうかわからないですけどね。
 ドクター・コートは脱いだ白衣を殺菌プールに放り込むと、赤みをおびた銀髪をかきあげて、観察室に入ってきた。
―先生! 
 助手達が集まってくる。
―いいのよ、事実を話しましょう。
 コートは執務机を回り込んで椅子に座ると、しばらく考えをまとめ、ゆっくりと話し始めた。
―祖母と私には共通の夢がありました。細胞工学を駆使して、女人類を何時までも若く、健康に保つ夢です。勿論、単性生殖を選んだ我々女人類の科学者もどきが、一度は必ず見る夢ですけど。皆さんご存知のように、祖母はその研究で突出していました。その結果、大方の病気はバクテリアやDNAサージェリーで根本から治療できるようになり、老化はコントロールされようとしていました。しかし、ここで祖母は致命的な失敗を犯します。あまりに優良なDNAを揃えすぎたため、突然の環境変化に耐えられない個体を複数作ってしまったのです。
 十八年程前、惑星アクドに発生した結晶熱をご存知ですか? 湿度が三十%減少すると突然皮膚が胞子化する病気です。実はDNAサージェリーによるものでした。更にその後、惑星特有の風土病と思われていたものが、DNAサージェリーによるものである可能性が次々に出てきました。衰えていく患者を目の当たりにして祖母は焦りました。いろいろな細胞をプールして、切断と融合を繰り返し、死亡した患者の再生治療にまで当たりました。
 コートは感情を押し殺した声で続けた。
―そして、とうとう本当の『怪物』を作ってしまったのです。先祖返りした皮膚は鱗で覆われ、手足はしなやかな猛獣並みの筋肉となり、瞳はキャッツアイ、頭脳は明晰でしたが……人肉を好みました。
 惑星ヴォイドの主星が白銀の山稜に沈み始め、あたりは黄昏と沈黙に支配される中、コートの姿は更に深い闇に包まれ、はるか遠くでは何かの物の怪がうごめきはじめているかのようだった。
―祖母は半分狂っていましたが、最後の良識を込めて祖国を脱出しました。サラマンドラの世界へ、『怪物』である私の母を連れて……。
 ドレームはあまりに静かな部屋の雰囲気に、そっと呟いた。
―先生、もう結構です。トップシークレットですが、いろいろ噂は耳にしました。
 顔を上げたコートは、窓の外、はるか彼方の群青に染まりはじめた空を見つめた。
―噂? では、これも広まったのかしら。『シェリー伯爵の孫も怪物を作る夢をみている』って。尤も、これは本当に寝ている時の悪夢ですけどね。ここに来て、殆ど毎晩見るわ。でも、その度に、祖母が近くにいる気がするの。母を上手く、トカゲたちの世界に潜り込ませたのかもしれないって。
 助手達が部屋の明かりを点し、夕食の時間を告げる音楽が病院内に流れ始めた。
 コートは椅子から立ち上がると窓に近づいて、一層深く暗闇に溶けて行く山稜の輪郭が一瞬の間黄金に煌くのを見届けると、納得がいったようにドレームの方へ振り向いた。
―かれらが祖母の力を利用した可能性は高いでしょう。エクセルシアの王族と王族近くの者は全て検査しておいたほうがいいかもしれません。検出キットは直ぐに作れます。
 最後にいつもの先生に戻ると、コートはきっぱりとした口調で見解を述べた。

 ドレームは、報告すべき内容を簡単にまとめると、ホットラインで総司令官に送った。
―食堂に簡単な食事の用意があります。特産のワインも揃っていますから、非番の方はお試しください。
 コートは案内するためにドレーム達の部屋に立ち寄った。白衣からメタルブラックのドレスに着替えた先生は、なかなか魅力的だった。
―ワイン、ああ先生、昨夜おそらく少年と思われる人影に差し入れでもらいました。ところで、あの少年はどうして?
―それが、私にも良くわからないの。一年程前、山で細菌を採集していた助手が、倒れている彼を見つけ、病院に搬送しました。全身打撲の瀕死状態でしたが、ここの細胞操作で蘇生しました。見慣れぬ人種で全く言葉が通じずこまりましたが、器用で人懐っこいことから、助手達の雑務をさせていましたが……そういえば彼は今どこ?
―先生報告します。行方不明の一名が実は彼だそうです。子供達を集めた地下の避難用集会所からいなくなったということです。そのう、心配されると思いまして。
 側近の助手があわてて口をはさんだ。
―そう、未だどこかにかくれているのかしら。迷路のような病院の地下倉庫を一番良く知っているのもあの子だし。
 ドレーム達は、ガラス張りのエレベータで一階の食堂に降りていった。

 ヴォイド駐留二日後、王族軍司令官リンダ姫が到着し、ドレーム達を見舞った。
 スーザンの十二歳年上の姉である司令官は、全身全霊で無事な者を祝い、失った者を弔った。
―今回の騒動は、我々が日ごろの注意を怠ったことが最大の原因です。それを身をもって示してくれたプリンセススーザンと、危機を防いだ彼女のチーム全軍に感謝します。
 謁兵式に、もうマーが参列しているのを見たドレームは司令官に耳打ちした。司令官は顔面にまだ包帯を巻いているマーの前で立ち止まると、跪いたマーを豊かな胸で抱擁し、労った。
―マーメイダス少尉。良く姫と我々の世界を守ってくれました。後で、最大の激戦を話してもらえますか? 確率映像ではなく、あなた自身の言葉で。
 マーは言葉に詰まりながら、感謝の言葉をぼそぼそと口にした。
―おやおや、だれでもあの胸に抱かれると言葉に詰まるのよね。
 イルージェはドレームに囁いた。

 姫が完全に回復したとの連絡をドレームが受けたのは、イルージェと三度目の戦況分析を行っている時であった。このヴォイドを、トカゲ監視基地として利用するかどうかのシミュレーション報告作成に没頭していた二人は書類を投げ出し、歓声を上げて、司令官と共に、姫の寝室に急いだ。
 姫は、天使のような笑顔で三人を迎えた。ただし、分厚いガラスの向こうではあったが。
―姫、お元気になられてなによりです。 
 泣き出しそうな二人をいとおしげに見つめた姫は、やさしくねぎらい、今回の状況報告を黙って聞いたあと、落ち着いて話し始めた。
―結局私の思いが通じたのね。死んでいった仲間には申し訳ないけど……それで、誰がこのヴォイドに駐留するの。トカゲ族とシェリー伯爵の動向を監視するには絶好の惑星だわ。
 いつも通りの、頭の回転の速さに冷汗をかきながら、ドレームは現在シミュレーション中であることを報告した。
―お姉さま、最適なのは私ね。 
 姫は司令官に向かっていつもの口調で言い切った。
―スーザン、それは最高会議で決めることです。
―あら、こんな寒さに耐えられる司令官が他にいるかしら。
―姫! それは。
 侍女長がたしなめた。
―いいの、コート先生の説明でよく分かったの。私も怪物の一人よ。マイナス八十度でも薄着で生きられる。そして、エクセルシアでは常にカプセルに閉じこもっていなくては生きていけない……ったく、普通ならば自殺もんね。
 しかし、姫は虹色の瞳を輝かせて言い切った。
―でも私は、コート先生に感謝するわ。全く新たな亜種の分岐点に私はいるの。これからの世界にわくわくする自分がいるわ。あっ、コート先生失礼をお許しください。
 姫はコートの姿を見つけるとあわてて詫びた。しかし直ぐに、虹色の瞳をくるくるさせると、決心したように続けた。
―でも先生、先生のお母様も同じことを感じられていたのではないかと思います。ただ辛いだけではなく、未来の新種として、宇宙の新しい仲間として、さらにわれわれの生命の樹を豊かにするための輝石としての喜びも……だから先生、お母様はきっとお祖母様を感謝こそすれ、恨んではおられませんわ。
 コートは、姫に示された突然の可能性にしばらく声も出なかったが、やがて少し震えながら姫の傍らに跪くと、一滴の涙が頬を伝わって消えた。
……これでヴォイドに留まり、一生をバクテリオサージェリーと系統樹の研究に捧げる覚悟ができた。
―姫、有り難うございます。母がそれを理解できるかどうか、今となっては分かりません。しかし少なくとも、これからは母の、いえ怪物の夢を見ないで眠れそうです。

◇    ◇    ◇

―私とドレームは姫の会話を呆然として聞いていたわ。それは、チーム《スー》の解散だけではなく、何よりも私達が姫と厚い抱擁を交わすことが出来なくなることだったから。さっきは話さなかったけど、姫が火達磨になったのは、一瞬身をずらせてドレームをかばったからなのよ。ドレームにはそれが良く分かっていたわ。だから、喪失感は私以上だったでしょうね。

 碑伊太はマイナス八十度の感触から引き戻されながら、女人の端整な横顔に焦点をあわせた。イルージェの夢見るような瞳は三杯目の《ノーマッド》でうっすら赤みをおび、豊かな銀の巻き毛は、カフェのライトでキラキラ輝いた。
―結局、姫は惑星ヴォイドの大使兼司令になり、マーがその近衛中隊長に昇進したわ。ヴォイド人と先生以外で、姫に近づける数少ない体質の女人としてね。ドレームと私は、近衛隊としてのお役はゴメンになり、ドレームは准将として機甲師団長に、私は大佐として、第三宙空司令大隊の隊長を務めているけど……でもあの時のときめきはもう戻らない。姫の利発で屈託の無い笑顔は見られないし、ドレームとの力勝負は過去のことね。今が間違っているとは思わないけど、勇壮に船出しても、黄昏時に元に戻れないと寂しいものね。マスター、どう思う?
 渦巻くギターの音色が高らかに鳴り響き、カフェの室内照明はミラーボールのようにキラキラ輝いて、碑伊太やイルージェ、そしてコーナーの人々を映し出す。
―生きていることは悲劇かもしれないけど、勇壮に幕を閉じれば笑い飛ばせる喜劇かもしれないとは思わないかな? 次に、幕を開けるまではね。
 闇の候から、マスターの眼鏡が光る。何時の間にか音楽はエンディングを迎え、イルージェの横顔が揺らめき始めているようだ。
―そろそろ時間、また来るわ。その答えはまた今度ね。
 碑伊太が少年の消息を聞く暇も無かった。
 益々イルージェの姿が揺らめき始め、青白い煙のように霞むとふっと消えた。
―おつりは?
 マスターの声が煙を追う。
―その子に一杯奢ってやって。《ノーマッド》が飲めるならね。
 どこかでイルージェの声がし、碑伊太にははっきりと、彼方に飛び去る《ファイヤーウィッチ》の爆音が聞こえた。

 そして、爆音が消え去る頃、次の曲が始まっていた。どこか混沌として物憂げなキーボードの響き。何者かが二つ三つゆっくりと天井の上から舞い降り、欄干に羽を休めた。曲は一転してアップテンポになり、ハードな歌声は、『I'm a black-sheep of family』と歌いだしていた。

【第一話 了】

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