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『黄昏銀河のプログレカフェ』異聞

第二話 クォーターマス、或いはエントロピーの物語
◆クォーターマス1970(前編)

KONDOK

 碑伊太は紫の女人の香りに半ば酔いながら『ノーマッド』を啜っていると、後ろのブースで声をかける者があった。
―如何です。こちらにかけませんか。そのマスターは神経質なのと、気に入った者にしか話しかけてくれませんからね。まして、初めての客はね。まだ今日は機嫌が良い方なのでましですがね。
 碑伊太は後ろのライトに浮かぶ、洒落たグレーのスーツと明るいブルーのカッターに身を包んだやや痩せぎすの紳士に目を留めた。
―さあ、どうぞ。ああ、私はクラウマンス。怪しい者じゃありません。都市設計技師です。ヒイタさん? 全く如何いう字を書くんでしょうな。さっきの話が聞こえてしまったものでね。お見受けしたところ『少年』のところで反応されていた。もし誰かをお探しでしたら協力できるかもしれませんよ。まあ、チョットした話を聞いてもらわなくてはなりませんがね。さ、どうぞ。
 碑伊太は新たな展開に躊躇しながらも、アップテンポのロックンロールに促されるように、紳士のブースに向かった。
 近くで見るとクラウマンスは意外に若く、30代半ばぐらいに見えたが、落ち着いた物腰と経験から来る知的な印象は年輪を感じさせた。やや大きめの瞳ととがった鼻筋、髪は後ろに撫で付けられ、伊達で遊び人の風情だが、瞳の奥になんとも言えぬ憂愁を隠しているようで、独特の存在感があった。
―『ノーマッド』の味は如何ですか? 初めてなんでしょ。私も若い頃はたっぷり飲んだものです。いまは、チョッといけません。ほら、こんな『亜麻ロック』でもう饒舌になっている。
 クラウマンスは金色のカフスボタンを煌かせて、グラスを左右に振った。
―あの、これが探している少年です。
 碑伊太は上着の内側に付けたペンライトを押すと、二人のテーブルの上に少年である『莱』のホログラムを投射した。ホログラムは、テーブルの上のダウンライトに照らされうっすらと白い卵型の境界線を現した。その中で、様々な形の『莱』が浮かんでは消えていく。
 クラウマンスは、瞳を凝らしてじっと眺めていたが、問うように話し始めた。
―ビーストですか? でも、少年。違法ですよ、これは。ここだから良いようなものの、カフェの外では捕まりますね。それに……一番最後のフォトが有りませんな……まあ、大きな変化はもう無いようですからこれで充分分かると思いますが。
 碑伊太はホログラム全部出したことにドギマギしていた。どうも、『ノーマッド』が効いているらしい。とりあえず、クラウマンスを信じるしか無かった。
―信用してもらって良いですよ。どのみち、私はじきに他の時空へ移動しますから。黄昏銀座に寄る時間も有りませんしね。
 クラウマンスは、全く寛いだ様子でチップを口にはさむと、もう一度ホログラムの顔を思い出しながら、スローテンポのバラードに身をゆだねていた。
―私はこの曲が大好きですな。なんとも言えぬ物悲しさと、スリリングなスタイルが見事にマッチしている。ハードボイルドの世界に入っていくような……この曲を聴くと否応無くある都市の情景が蘇ってくるのです。一つ、聞いてもらえますか。そこには、私の記憶にある少年達も出てきます。ただ、この少年とピタリ当てはまる子は見たことがありませんがね。でもそこに、探している少年の手ががりがあるかもしれませんよ。

◇     ◇     ◇

―1―

 輸送船がアトランティカに到着する時はいつも夜明け前だった。
 クラウマンスが初めてその都市に着いた時も、まだ大宇宙の神秘が渦巻く漆黒の夜であった。
 母星アルジェを出て凡そ200母星日。アルジェの奨学金を得ていたので半冬眠でも良かったのだが、長く眠ることを嫌うクラウマンスは、船窓から外を、時には宇宙空間に飛び出して銀河を眺め、積極的に輸送船の外壁補修などの仕事を手伝いながら、残りの大半は船室図書館の中で重力建築学の研究に没頭した。もっとも、遊びにも積極的で、若い仲間達とスポーツで賭けをし、シガレットを吹かしながら『ノーマッド』を飲みまわし、時には肉体を重ねあって、船内に朝がくるまで愛と神秘について語り明かした。というわけで、大概の船長は若い彼らを送り出す前に、アトランティカへは夜の側からそっと入り込み、船内時間を調節して彼らを充分覚醒させた後、輝き始める都市を見せるのが常だった。

 船長の柔らかな声がアトランティカの夜明けを告げる。
―皆さん、ようこそアトランティカ・エントロピアへ! そして、おはよう!
―α1の方向から主星テラノスが昇ります。

 展望室に集まったクラウマンス達は一斉に、惑星エントロピアの地平線が、初めは赤くつづいて金色に染まりながらくっきりと大地を宇宙から切り取り始める方向に身を乗り出し、やがて金色のテラノスが地平線の中心を大きく膨れ上がらせて昇る姿を、畏怖の念をこめて凝視した。鳥の黒い陰が二、三、朝日の中を横切っていく。
 しかし、本当の驚愕はその後だった。クラウマンス達の頭上に一筋の明るい光が後ろから現れ、展望室の内ガラスに当って輝いた。彼らが振り向くと、それはあった。
 空中浮遊都市アトランティカ。今、その最先端部がテラノスの加護を受けて神秘的に光り輝いていた。その他の部分は今まさに闇から剥がれるように薄っすらと浮き上がり、巨大な全貌が現れ始めていく。少しずつ、星星の動きに合わせてしかし悠然と、かつて人類が作り上げた最大の建造物は、その幾重にも入り組んだ構造を現し始めていた。
 クラウマンス達は、ただ眺めていることしか、否、眺める喜びを全身で感じていた。クラウマンス達には、アトランティカがテラノスの光に命を授けられ、グレーの骨格に鏤められた金色の金属らしきものが生き生きと動き出して都市のあちこちで煌き、更に複雑な中心に向かって伝わって行くかのような、まるで、強大な生き物の心臓が目覚める時のような錯覚に心を奪われた。
 すっかり日が昇っても、その印象は変わらなかった。

 アトランティカは、200テラノス年ほど前の天才設計技師ミレイアが、その心血を注いで設計した反重力建造物が核となり、彼女の残された手記や設計図に基づいて200年の間多くの建築家や芸術家、技師や労働者、石工や金属工、科学者や神学者、そして諸々の商人や政治家、果ては詐欺師や泥棒達もを巻き込んで成長していた。その推進力となったのは、ミレイアの呪文のような謎の言葉『生命の樹』と『作り続けよ!』だったことは最早忘れ去られていたのだが……
 ミレイアの出身惑星サムサラでは、初めは巨大なエネルギー源発生都市として構想されたアトランティカが、何時しか作り続けることが最大の目的となっていた。目的は、更に近隣の姉妹惑星を巻き込み、優れた金属工や重力設計技師を多く輩出するアルジェでは、アトランティカの建設に関わる事自体が名誉であり多くの富をもたらす手段となっていた。

 午後2時の入港が決まり、クラウマンス達は身の回りをまとめ、出発デッキに急いだ。その間にも、中央の巨大な展望室を通じて都市の複雑で興味のあるオブジェがあちこちに認められ、時折それらの間を這うように進む金属片に見とれては、後から来るものに声をかけられて前に進んだ。
 ここに来て、それぞれ専門のグループに分かれチェックを済ますと、専属の着陸艇に分乗し、アトランティカのメインゲートであるポートアトラスに上陸した。
 落ち着いたグレーと内部から発光する金属を適所に配置した機能的な地域で、アトランティカの最上部全体を見渡せる見晴らしの良い地点であった。と言うことは、また何処からでも、誰からでもポートアトラスを指差すことができるということでもあったが。
 見渡す都市から見つめ返される。そんな奇妙な感覚がクラウマンスの心を横切った。
 落ち着くために、クラウマンスは最後のシガレットに火をつけて、深深と吸い込んだ。

―ようこそアトランティカへ。
 クラウマンス達は今日二度目の歓迎の言葉を聞きながら、惑星や船で知り合った友人、仲間と短い別れの抱擁を交わしながら、早くもそれぞれの学校や工房の宿舎に向かうエアバスに向かい始め、都市の中心へ、ポートの下へ、下へと、まるで複雑に絡みつく銀のパイプ達に導かれるように降りていった。
 クラウマンスが落ち着いたのはダリューの工房で、三重構造の都市の最中心環上方に位置している、やや白みの帯びたグレーの構造物地帯に日中は大地と日の光が反射する明るい場所であった。
 丸い赤ら顔に丸い眼鏡をずらしながら、クラウマンスの推薦状を嬉しそうに眺めたダリュー親方は、少し緊張して手を組んでいるクラウマンスに、『カミーユ先生はお元気かね』と尋ねた。
 それまで一所懸命頭の中で、自分の技術をどう言おうかあれこれ考えていた千もの言葉はあっという間に消え去り、故郷の懐かしい先生の笑顔が蘇ってクラウマンスは親方に促されるように手振りを交えて話し始めていた。
―あっ、先生はお元気です。出発の直前まで私達に講義をされました。先生の反重力工学第7省察です。反重力の創造にわれわれが立ち会うことになった場合の、観測意識に関する膨大な考察が述べられています。
 丸眼鏡の奥から安堵の目の輝きをにじませて、ダリュー親方は右手で推薦状を大きく振り回した。
―うむ。確かに君は優秀な工学者のようだ。君が、先生の理論を理解しこの工房で応用してくれることを望む。よく来てくれた。とにかく、次の便で直ぐに送り返すことはしないよ。とりあえず、1箇月はマルタの指示に従って、いろいろこの工房を学んでくれたまえ。ああ、それから食事と宿舎を案内させよう。
 親方の呼びかけに、扉の後ろからするりと黒ずくめの女性が入ってきた。
―あ、マルタ。クラウマンス君だ。反重力工学の理論が君の作業に役立つかもしれない。また1箇月ほど面倒を見て欲しい。
 マルタは、小麦色の肌に黒い髪、目鼻立ちのはっきりした女性で、サムサラ出身が伺える、踊るような身のこなしかたと感情の太そうな表情がクラウマンスには新鮮だった。
 しかし、挨拶もそこそこにマルタから辛らつなことばがクラウマンスに降りかかる。
―親方。この前の人も1月と持たなかったのにですか。
 ダリュー親方は眼鏡をしっかりとかけ直すと、マルタを包み込むような眼差しで穏やかに説明した。
―うむ。しかし今の工房の作業にはどうしても最新の工学理論が必要なのだよ。それに、マルタ、きみが来るまでは彫刻師も1箇月毎の日替わりだったのは知っているね。とにかく、共同で作業が行えるかどうか確かめてみてくれ。
 親方の穏やかな懇願にマルタは肩を上にあげて同意を示すと、クラウマンスの荷物を1つ持ちあげて、クラウマンスを部屋に促した。
―こっちよ。
 赤土の壁で出来た回廊の外は珍しいエントロピアの植物が咲き乱れ、遥か下から風で運ばれて来る潮の香りはアルジェでの少年時代を思い出させる。
―さっきはごめんなさいね。前の人があんまり突然だったもので……驚いたでしょう。
 親方はあの通りのんびりしているものだから、つい強く言ってしまうの。さ、ここよ。前の学者さんが使っていたけど、きれいに片付けてあるわ。
 クラウマンスが案内された部屋は夕日の良くさしこむ、白い漆喰で塗り固められた清潔な一室だった。都市の一部とエントロピアの山々を見渡せる窓の近くに大きな作業用の机があり、日の影になる部分に書棚と柔らかそうなシーツに包まれた寝台が置いてあった。
 クラウマンスはショルダーから彼自身のトライアングル・マザーベルとプリズム解析装置を取り出すと机の左端に設置した。
―どの学者さんもそれは必須なのね。
 部屋の不具合など、あちこち調べまわっていたマルタは、確認に満足して戻ってくると机の上の三角形をした機械を目で指しながら軽やかに尋ねた。
―これは僕の相棒のトーマス。小さくてもかなり優秀なやつで解析結果の僕の分析に素晴らしいインスピレーションを与えてくれるんだ。おい、トーマス、マルタさんに挨拶して。
 マザーベルは歌うような惑星サムサラの一曲を電子音で吹いて見せた。
―なるほど、今度の学者さんは今までとチョッと違うのね。少なくとも機械とお友達だわ。
 マルタは驚いたように、黒い瞳を輝かせ、故郷の曲を久しぶりに聞いた喜びを素直に感謝した。
 テラノスが西の水平線に沈み始め、黄金の輝きが白い漆喰の壁を赤く染め上げる時、アトランティカは日の恵みをたっぷりと吸収し、グレーの外壁は様々な鉱物の刺激を受けて青い炎のように薄っすらと輝いていた。
 家路に急ぐ鳥だろうか、真っ赤なテラノスを二、三黒い影が横切って飛んでいく。
 クラウマンスにポートアトラスで感じた不安がふと蘇り、『食事は三十分後工房の裏側で』と言い残して回廊を戻ろうとしているマルタに声をかけた。
―前の学者さんて、どんな方だったんですか。どうして、やめたのかな。
 マルタは薄暗い影の中で振り返ると、夕暮れに瞳だけ輝かせて困ったようなしかし落ち着いた声で答えた。
―私にもあまりよくわからないの。作業は悪くなかったわ。でも突然、おかしくなったの。だいぶ前から、長く勤まる人はいなかったけど、この前の子は早すぎたわね。……何かに脅えていたような感じで、書類もまとめず逃げるように帰っていったわ。まあ、思いつめるタイプね。見た感じあなたは違うようね。あなたは、快楽主義者かな。あ、そうだ、言っておきますけど、私は単性生殖主義者ですからね。
 マルタは優雅に腰を揺らせてウインクすると、工房に戻っていった。
 クラウマンスはジャンヌの神に恨み言を言いつづけながら、着替えをすまし、トーマスに留守番を頼むとマルタを追って工房に向かった。

―2―

 二日目の朝から直ぐに作業現場の仕込みだった。
 クラウマンスは動きやすい長袖の作業服を身に纏い、工房から少し上の高台にある出発点まで登ると、既に黒ずくめのマルタは道具を背中に背負って上昇の準備をしていた。
―よく寝れた、学者さん。
 マルタは黒髪を後ろにまとめ、赤いバンダナを額に巻きながらよく通る声で歌うように言った。
 クラウマンスは夢うつつの中で、火柱の神と黒ずくめの神に交互に説教されている自分に悶々としながら朝を迎え、朝飯もろくに食べずに坂を駆け上がったので、頭がまだぼんやりとしており、半ば宇宙船にいるような浮遊感にくらくらしながらもごもごと挨拶を交わした。
 クラウマンスはしばらく漠然とあたりを眺めていたが、都市はまだ殆どが雲海の下に眠り、僅かに最上階が朝日の予告に輝きを帯び始めていた。
 あの頂点を昨日は外から眺めたが、今は下から、都市の存在の一部として眺めていることに気が付いてやっと自分の位置に目覚めてきた。
―それじゃ、現場に急ごう。
 今度はしっかりした声で明るく言うと、自分の荷物を背中に背負った。その様子を見て、マルタはクラウマンスにヘルメットと背嚢を渡すとしっかり荷物の上から身を包むようにと言った。
―前の留め金を三重にフックして、腕は胸の前で組んでしゃがみこんで。こうよ。
 クラウマンスは怪訝な顔をしながら言われたままに身を屈めると、マルタは鋭い声を何事か2,3回発した。突然背中から強い風が吹き付け、黒い影が2人を蔽うと、次の瞬間クラウマンスの身体は浮き上がっていた。
 クラウマンスが悲鳴をあげる前に、ヘルメットからマルタの軽やかな声が聞こえてきた。
―テラノスの申し子。私の相棒、エルマよ。
 羽の左右が1ディオンもある巨大な翼竜は、2人の背嚢をしっかりと掴んで、やや明るくなった宇宙から金の筋が現れてくっきりと浮き上がる都市の外壁をすべるように昇っていく。やがて、その黒い影もテラノスの光を浴びて灰白色の滑らかな皮膚と純白の羽毛を現していった。
 エルマは最上部の周りをゆっくりと旋廻してから、三段下の作業場の渡りに2人をそっと下ろして羽を休めると、脇の羽毛の毛づくろいを始めた。
―エルマはあなたが気に入ったようね。都市を旋廻してテラノスの光を受ける歓待の挨拶をしたわ。あ、なぜ反重力ライダーを使わないのかと思っているでしょう。重機械の微妙な磁場の乱れが外壁の作業に影響を与えることと、何よりも私がエルマを気に入っているからよ。とても賢いの。あなたのトーマスぐらいはね。
 クラウマンスは、その巨大な生き物に呆気にとられ、相棒というより用心棒のような容姿に、なぜか安堵を覚えた。
―さあ、親方達が登ってくる前に仕込みをおわらせないと。とにかく現場を見て頂戴。
 マルタに従って、渡りから強大な外壁の一つにたどり着くと、クラウマンスは作業台によじ登り、マルタらが作業中の彫刻『時計の顔』を見渡した。
 昨夜の食事中に親方から聞かされた話では、マルタがデザインした図柄がダリュー親方に認められ、作業が始まったのが凡そ3母星年前、しかしあちこちに鏤められる黄金色の金属〈カルコス〉がなかなか思うところにはめられず、工房では反重力工学の専門家つまりは『学者さん』が必要となった。
 そもそも〈カルコス〉は奇妙な物質で、一概に金属とは言えなかった。分析しても均一の反復構造が認められるだけのエントロピア土類金属類に近似していて、放射性はないが明らかに温かみを帯びていた。その温かみがどこから来るかが学者達の論争を呼んでいた。一番有力な説は、カミーユ教授の『反物質=場内包説』で、観測し得ない未知のレベルにある反物質子が同レベルの物質子と出会うたびに結合を繰り返し、飛び出たエネルギーがほのかな温かみを与えているという説である。最近の第7省察では、観測し得る仮定の場における意識の作用がおよぼす影響について仮説が述べられていた。
 その中で、それだけでは説明し得ない作用についても言及されていた。例えば、反物質子と物質子の結合率がモデル化できず、単位体積当りの発熱温度が、実測値を予測できないこと。また、何よりも観測者のいないレベルで〈カルコス〉は明らかに遷移するという事実だった。
 従って、彫刻家などの芸術家が思い思いの場所に〈カルコス〉を当てはめ、加工しても、数日後には全く違う場所にあったり、形が変わっていたりするのだった。
 二百年前の天才、ミレイアは惑星エントロピアで〈カルコス〉を発見し、この浮遊都市創造を思いついたという。とすると、明らかに重要な反重力を有する物質であって、アトランティカの骨子を形成するものでありながら、人類が完全に制御するものとはなっていなかった。ただ、積み重ねられてきた経験と測定者の予測によってのみ場が決められるので、失敗も多く試行錯誤の連続であった。
 しかし、人々は作り続けた。ミレイアの意図に基づき、三重の基本構造に〈カルコス〉を鏤めた無数の彫刻を作り続けることによって。初めは不安定で、何度もエントロピアの重力に引き寄せられそうになっては、不思議な〈カルコス〉遷移の発現で、かろうじて浮遊がたもたれたが、巨大化するに従って都市の浮遊が安定し始めた。
 今では、惑星エントロピアの大洋、ポセイドス上空28スタディオンに位置し、上下幅6スタディオン、水平幅50スタディオンの平たい円形三重構造をなし、テラノスの光を受けると、やはり〈カルコス〉の遷移を通じて巨大なエネルギーが放出され、周辺の惑星に恩恵をもたらしていた。
 クラウマンスはトーマスを取り出すと、測定解析装置の値をインプットし始めた。『時計の顔』は高さ11メートル、幅5メートルの縦長で、中央やや上部に浮上する水滴のような強大な顔が、あばたのように鏤められた〈カルコス〉でまばらな金色に輝いている。
―どうしても、思うようなところに落ち着いてくれないの。一年ほど前までは、それでも、設置場所の可能性が他にもあったので、私も親方並みに楽観視していたわ。でも、ここ数箇月は行き詰まりつつあるの。後半年もこのままだと、デザインは根本的に練り直しになるわ。そうなったら、私はサムサラに戻って別の職につくしかなくなるし……ただ、前の『学者さん』初めの頃はとても興味ありげに分析していたけど…… 
 マルタは朝日で輝き始めたあばた顔をまぶしそうに下から眺めながら、レーザー彫刻刀の出力を調節しはじめた。
 クラウマンスは〈カルコス〉の今の散らばり具合を測定し、トーマスと共同で決して観測できない初源の位置を推定しようと努力した。
 小一時間もたったころ2人の頭上から、陽気な声が被さってきた。
―は、は〜! 楽観主義者のダリューが来たぞ。さっさと、作業を始めるぞ!
 見上げると、親方が双眼鏡レンズ付ヘルメットをかぶり、かなり遠くの飛行艇から身を乗り出して両手を大きく二人に振っていた。周りの壁を見渡すと、多くの工房も動きはじめている。沢山の親方や弟子、彫刻家や技師、それに市民や見物客らしき黒い大きな人影まで混ざって壁の周りに集まって思い思いの飛行艇で飛び舞う姿は壮観でもあった。
 ダリューの意思が工房員全員に伝わり、あらかじめマルタが大まかに磨き上げた彫刻石が次々に持ち上げられ壁にはめ込まれていく。ダリューは相変わらず飛行艇の中から全体を眺め回し、時折マルタや他の弟子達に指図した。
 全ての〈カルコス〉を一通り測定し終わったクラウマンスはトーマスとの謎解きを一旦中断し、渡りで休憩中のマルタに尋ねた。
―ねえ、前の学者が残した資料はまだあるのかな。昨日の話では、全て置いていったらしかったけど。
―私達、いえ、となりの工房の技師さんにも見てもらったのだけれど、あんまりたいした発見は無かったわよ。膨大な測定値と関数、ちょっと機械にやり込められていた様子だったけどね。たしか、親方の工房に置いてあるわ。木の箱に入れてね。
 マルタはエントロピア特産のフラワードリンクを一口飲んで、クラウマンスに渡すとバンダナを外して黒髪を風になびかせた。
―それじゃ何か言ってなかった? 鉱物か何かのことで。
―そうね、一人で考えるタイプだったし、私達と仕事の会話も少なかったし……そういえば、あまり飲まない学者さんが『赤い石』とかなんとか呟いて『ノーマッド』をがぶ飲みしながら回廊を歩いていたことは、不思議だったので覚えているわ。
 エルマの鋭い鳴き声に、二人は顔を上げた瞬間、巨大な羽影が背後を蔽ったと思ったら、突然、エルマが夜明けに羽ばたいた時よりも大きな風が湧き起こり、クラウマンスは壁まで飛ばされた。肩を欄干に強くぶつけて思わずトーマスを手放した。トーマスは、足場を転がって欄干の端に引っかかった。黒い羽影は、マルタの突き出す鋭いレーザー刀をひらりとかわすと、トーマスを掴んでいっきに上昇した。混乱して右往左往する親方の飛行艇を尻目に、灰白色のエルマが追撃する。アトランティカの上空で、二羽の翼竜がもみ合いつつきあって、互いに威嚇する声が響き渡り、作業場の人々は何事かと天空を見上げた。
 エルマの鋭い嘴が、大きく黒い翼竜の足首を突付いたので掴んでいたトーマスを放し、黒い翼竜は逃げ去った。エルマは反転して落下するトーマスを追いかけ、アトランティカの端に激突する寸前のトーマスを嘴で掬い取るとそのまま飲み込んで、マルタとクラウマンスのいる作業場の広場にふわりと着地した。勝利の雄たけびを一声天空に発して。
 クラウマンスは肩を脱臼していたが、エルマに駆け寄るマルタの後を追って声をかけた。
―有り難う、えーと、エルマ! そのう……言葉は分かるのかな?
 エルマの嘴を優しくなでながらマルタは答えた。
―言葉の意味そのものは無理よ。でも、身体で示す意図は良く分かるわ。特に、ウソかどうかは直ぐに分かるみたい。私達には分からない何かが分かるのでしょうね。
 クラウマンスは『ここにも人が観測できない事象があるんだ』と思いながら、兎に角、トーマスの無事を確かめるためそっとお願いした。
―えーと、吐き出してくれるかな? その、消化されてないだろうね、トーマスは。
―エルマ、出しなさい。
 マルタは嬉しそうにエルマにウインクすると、ちょっと離れた。
 クラウマンスがいぶかしげに眺めていると、エルマは再び空を見上げ、やわらかな声を楽しそうにあげながら、いきなり大量に排便した。辺りに何ともいえない匂いが漂い、かなり近づいていた親方の飛行船はあわてて後方に退いた。
 風上の方を向いて、マルタはクラウマンスにトーマスを指差した。
―あそこに光っているわ。あなたのお友達。
 クラウマンスは情けない気持ちで、エルマの排泄物に近づくと、緑の粘着物で汚れた相棒を痛くない腕で助け出した。
 そのまま洗い場に行くと、全ての世界に背を向けたい気持ちでトーマスを洗い始めた。
―肩、痛いのでしょ。トーマス君は私が洗うわ。なれているから。
 マルタは弟子達にエルマの排泄物を片づけるよう指示すると、クラウマンスに声をかけた。
―なにも、飲み込まなくても。こいつ、怒って反応しなくなるかも。それと、どこか消化されていないか心配だし……
 マルタはクラウマンスの肩を伸ばしながら、軽く言った。
―そうじゃないの。正確には消化じゃなくて、交尾なの。
―???
 クラウマンスの緑の瞳がエルマの表情を読み取ろうとする。
―エルマの種族は、気に入った雄性を認めると飲み込んでしまうのよ。消化管から導かれた卵嚢でしっかりと交尾管を挿入し時には何年もやりっぱなしのこともあるわ。その、多分トーマス君はエルマの好みに似ているのね。小さな、三角だし。まあ、飲み込んで直ぐに交尾の相手じゃないってことは分かったんでしょうけど。
 マルタはチョッと話を止め、クラウマンスに我慢するように言うと、脱臼している肩を力任せにはめ込んだ。クラウマンスは汗びっしょりになって悲鳴をあげたが、直ぐに肩が楽になって大きく息をついた。
―交尾が終わると相手は卵管を通じて直腸に排泄されるの。
―それじゃ、普通の消化とあんまり変わらないじゃないか。どうして、トーマスが交尾の相手だっていえるのかい。
 少し元気になって、クラウマンスは反論を試みた。
―それは、この緑の汚物で分かるわ。排卵する時に同時に出る排泄物なのよ。ある種の栄養物とホルモンが豊富で、エントロピアのある地方では貴重な蛋白源にもなっているわ。
 マルタはトーマスの水と汚れをきれいにふき取ると、トーマスを軽く左右に振ってクラウマンスに返した。
―そこまでだな、今日は。
 飛行艇から紐梯子を伝わって下りてきた親方は、クラウマンスを見舞って穏やかに言った。
―まっ、クラウマンスもトーマスもゆっくり身体を洗うこった。確かに、仕込みは悪くなかった。〈カルコス〉も彫刻も少しづつ収まり始めているようだ。『時計の顔』が輝き始めているのが良く分かるよ。
 親方はさっきの騒ぎも忘れたかのように明るく言うと、集まっている弟子達にクラウマンスを簡単に紹介し、指示をすると更に上方の作業場に登っていった。
 クラウマンスは洗ったトーマスをジャケットの内側に固定し立ち上がると、観念したようにマルタに身繕いをしているエルマを指差した。
 マルタはうなずくと、汚れた衣服を脱ぎ捨てて着替え、ヘルメットを被って背嚢を再び背負うと、クラウマンスに合図してエルマを呼んだ。
 再び二人は天上を舞い、但し今度はアトランティカと下に広がるエントロピアの海と大地をゆっくりと眺めながら、工房の広場に向かって降りていった。
―変ね、大地を見るまで気が付かなかったけど、あなたを襲った大きな黒翼竜は普段はとてもおとなしい種なの。もっと、南のほうにいるし。
―今まで誰かが襲われたことはない?
―ないわ。
 クラウマンスは宇宙船を降りてから漠として感じていた不安を口にした。
―実は、ポートアトラスに着いてから時々誰かに見張られているような気がするんだ。それも、人だけではなく。
 しばらく沈黙の後、マルタは珍しく呟くように言った。
―まさか……でも、確かに、私も全てのものが意思を持ち始めたのではないかと感じることがあるわ。ぞくっとして見上げても、『時計の顔』が見下ろしているだけなのに。
 黒翼竜にあなた達を襲うだけの理由があったのかしら?
―トーマスに聞くしかないね。実際、さらわれそうになったのは彼だから。
 クラウマンスは、エルマに広場へ下ろしてもらうと、胸元からトーマスを取り出し、反応できる状態かどうかを調べてみた。
 トーマスはまだ微振動を繰り返しており、生き物で言うとまだ失神状態だった。
―大丈夫?
 マルタはヘルメットと背嚢を取り外し、バンダナを解いて黒髪を後ろに振りほどきながら尋ねた。
―分析器でスキャンしてみないと、何ともいえないね。バイオ機器は精神的ショックにデリケートなんだ。

 結局、トーマスは多幸感に浸っているだけとのことが分かり、覚めるまでかばんの中でそっとしておくことにした。中庭で毛づくろいをしているエルマに監視を頼みながら。
 クラウマンスは身体を洗ってから、マルタに出してもらった『前の学者さん』の置いていったホログラム資料を調べ始めた。プリズムディスクをマルタの機械を借りて実体化し、高速スキャンで分類していく。2テラノス時間ほど没頭して、凡その資料系統を分離した。
 それは、反重力工学、エントロピアの土類金属、彫刻学、計算ノート、そしてエントロピア古生物学の五つに分類された。
 かすかに期待していた『赤い石』の記載は何処にも認められなかった。一連の謎を解く手掛りは見つけられず、後は、トーマスの目覚めを待つしかなかった。
 そのトーマスも夜中には覚醒し、エルマの体内での体験については一切語らなかったが、『誰かに見つめられている』という漠然とした感覚、『様々な意思が飛び交っている』という感じがバイオマシーンにも薄っすらと知覚されていることを示した程度で、特別に、クラウマンス達が襲われる理由や不安の原因を究明することはできなかった。

 実際、その後、エルマが哨戒していることもあって、時折こころをよぎる不安の感覚以外は何事も無く過ぎて行った。作業も順調で、クラウマンス達の予測する〈オレイカルコス〉の遷移前の位置と、これから作られる彫刻の無限の可能性が壁の上で交差し、マルタに豊潤なインスピレーションを与え、『時計の顔』は見事な仕上がりを見せるようになっていた。
 3箇月も経つ頃にはダリュー工房の進み具合が町の話題になっており、エネルギー省の職員や聖職者、他の親方達や技術者などが時折尋ねてきては『時計の顔』を測定しプリズムチップに収めて行った。また、クラウマンス自身にも相談が持ち込まれ、気のいい親方の頼みで出張することも多くなった。
 特にエントロピア出身の大司教マンバスと、アトランティカ評議員のマークは熱心で、ダリューやマルタらと何度も食事会を持ち、クラウマンスらもよく招待された。

―3―

―やっぱり前の学者さんと大違いね。すっかり、馴染んでいるわ。快楽主義者さん。
 休日を前にして、何時もクラウマンスとマルタは都市一番の繁華街カデイロスで一晩中飲み明かし、他の技術仲間達と議論し、時には喧嘩し、大抵は愛し合うのが常だった。今日も、明日の『大ポセイドス祭』を前にして、マルタの運転するライダーでカデイロスに急ぐ最中であった。
 クラウマンスは深深と翼竜の羽で出来たクッションに身を沈め、瞬時に過ぎ行く景色を眺めながら、ぼんやり生返事を決め込んでいた。
―う〜ん。そうでもないさ。ちょっと、人より好奇心が強いだけかも……ん? あれは。
―え、どうしたの?
 クラウマンスは今下をくぐった橋の上の人影を思い出そうとしていた。あまりはっきりとは輪郭を捉えることは出来なかったが、確かにポートアトラスで感じたのと同じ視線だった。それははっきりと人の形を表していた。トーマスも来ていればと思ったが、トーマスは休日をエルマと過ごしたがったし、安全を考えればそうするべきだった。
―また、視線を感じたのね。引き返す?
―いや、このままカデイロスに急ごう。何故か、向こうで会える気がする。まるで、待っていたみたいだ。
 クラウマンスは、人影が2つあったことは話さなかった。
―いいわ。行ってみましょう。
 反重力ライダーは、夜のネオンが天上を星星のように流れるカデイロス地区を疾走し、音も無く行きつけのカフェアトラスの駐車場に入って行った。
 カフェでは、リズムの良いサムサラの音楽が流れ、マルタの姿態は自然に踊るステップを踏みながら、込み合うカフェの奥へ進んでいく。
―よ! ここ、ここ。
 良く似た顔の兄弟が大きく手上げて2人をボックスに迎え入れた。クラウマンスとは宇宙船の中で知り合った双子の技術者で、1人は機械、1人は電磁の専門だった。兄弟は共にダリュー工房の反対になる東側の壁面で『滑車の顔』の作成に関わっていた。
―やっぱり、ここに来たな。君達も。
 たちまち、マルタやクラウマンスの仲間達が集まり十数人に膨れ上がった。
―えーと、ここの親父にはだれが話をつける? 今日の機嫌は如何かな。
―『時計の顔』が来たからには機嫌は良いさ。今や、町の誇りの一つだもん。
―よせよ、未完成だ……
 クラウマンス達の抗議もかき消され、多くの〈ノーマッド〉や食べ物が注文されていく。
 普段はむっつりしたカフェの主も、少しは愛想を良くして食べ物を運んでくる。
―ヤズル兄弟の工房は、進み具合どう?
 マルタは『ノーマッド』を片手に、椅子の後ろに落書きをしながら2人に尋ねた。
―ああ、最近良い具合だ。〈カルコス〉が治まり始めている。『時計の顔』の影響かな。何処の工房も捗り始めているようだぜ。
 ヤズルの弟のキアは、ポセイドスビーストのソテーを食べながら、答えた。
―このままで行くと、この第13工程はこの夏に終わるかもしれない。次に開ける『ミレイアのパンドラ』は何かで、政治家と神学者は綱引きを始めたらしい。
 ヤズルの兄タアは、フラワーシェリーを啜りながらクラウマンスにウインクして追加した。
 それからは、何時もの話題、例えば、工学と芸術の相互作用、、解かれていないミレイアの命題、観測点と位相、翼竜のエクスタシー、反重力工学の技法、サムサラの女人、神学者達の性癖、意志の問題、店の料理の味、親父の愛人、夜の少年達、ポセイドス祭に行われるファイヤーボールレースの賭け……など、何時果てるとも無く宴が夜明けまで続くのが常だった。
 しかし、クラウマンスは今日はあまり酔えないでいた。何時、あの視線を感じるかもしれないと少し緊張してカフェ内をさり気なく見回したりしたが、それらしい人影は見当たらなかった。流石に2時間も経つ頃には、緊張も薄れ、クラウマンスも皆と冗談を言い合い、サムサラの曲に合わせてマルタとダンスを踊りはじめた。
 その時、カフェの扉が開いて2人の紳士が入ってきた。入り口で、帽子とコート、それにチップを給仕に渡すと、奥のボックスに案内されてくる。
―実に興味深い、この都市は……おや、これは、若い技師さん達じゃないですか。 ちょっと、お邪魔しても宜しいですか?
 二人は、丁寧な物腰で彼らの方に近づいてきた。
 踊っていたマルタとクラウマンスも、異国の匂いのする2人の人物に気が付いて、ダンスをやめて戻ってきた。
―君はクラウマンス君ですね。この都市に着くなりニュースで見ましたよ、反重力工学の最先端を行く学者にして、翼竜の使い手。ああ、私は、ウインキンズ、宇宙博物学者です。こっちは、助手のオーエン君。丁度、同じ歳ぐらいかな君達。それは、兎も角、この都市は実に興味深いですな。生き生きと生命の息吹か感じられる。皆さんのように、若い技術者や芸術家が多いからですかな。おっと、失礼しました、どうぞ、お楽しみください。
 年配の紳士は、あごひげを押さえて礼をすると更に奥のボックスに向かおうとした。
―えーと、どちらの星からこられたのですか?
 クラウマンスは、親方が記者に間違ったことをわざと伝えたと思いながらも、好奇心を出して尋ねた。
―地球と言います。3つの宇宙を乗り換えて凡そ100宇宙日ぐらいですね。ご存知ですか?
 オーエンは、身だしなみの割には親しげにクラウマンスに答えた。
―いえ。……たしか、昔の教科書にあったような……
―ええ、大概の星で一度は習っているようですね。もし興味がおありならば……またお会いできるでしょう。
 2人の紳士が行ってしまうと、彼らの話題はしばらく地球で持ちきりだったが、皆の記憶もあやふやで、祖母から聞いた話や三文誌の記事などを投げ込んで、ごった煮にした姿として、地球とは『3つ目の巨人と火を吐く巨大な竜が生息し、凡そ人などが生きてゆけない灼熱の地獄』ということで落ち着いた。
 つまり、彼ら2人はいかさま師か、自分達をからかっただけとの結論だった。

 クラウマンスは少し涼しい風に当たろうとテラスに向かった。テラスは人影もまばらで、冷たい風が頬をなで、火照った身体には心地よい刺激だった。エントロピアの衛星ジェノスも出ていないので、アトランティカの天空には宇宙の神秘渦巻く漆黒の夜が広がっており、いくつか肉眼で銀河の渦が認められるほど澄み切っている。
 クラウマンスは、久しぶりにフラワーシガレットに火をつけると、大きく吸い込んで、目線を天空から都市の地平に戻し、カデイロスに向かう途中で人影を見た、陸橋の方角を凝視した。
―火を貸してもらえないかな?
 何時の間にか、テラスの人影の一つが近づいてきて、クラウマンスに声をかけた。
 クラウマンスは反射的にポケットを弄りながら、声をかけた男の方を振り向いた。男は、かなり大柄で、厚手のジャケットをラフに着込んで散歩するように近づいてくる。
 クラウマンスは黙って磁力マッチをすると、男の顔に近づけた。
 マッチの明かりで一瞬、男の顔が照らされる。あの視線だった。ポートアトラスで、陸橋の下で感じた視線の男だった。
 男は黙ってシガレットに火をつけると、クラウマンスに礼を言った。
―有り難う。クラウマンス君。だが、実のところ、君はあまりヘビースモーカーじゃないな。だいぶ待ったので、すっかり冷えてしまったよ。良く晴れた夜だ。君の故郷は何処かな?
 クラウマンスは男の落ち着いた態度に、警戒を少しずつ解きながら言葉を捜した。
―あの薄っすら赤い銀河の中のどれかですよ。ところで……
―エウエルだ。私立探偵をしている。宜しくな、若い先生。
 大男は証明書を示して気軽に右手を差し出すと、クラウマンスの右手を陽気に求めた。
―突然ですまない。初めは、君をマークしていた。前任者のラピタが失踪したのでね。でも、君はどうも本当の工学者らしい。悪いけど、君の故郷に照会させてもらい、その回答が来たのが昨日だった。それで、話を伺う機会を待っていた。
 エウエルの開けっぴろげに話す態度に、クラウマンスも抗議する気にはなれず、過去の疑問を口にした。
―ポートアトラスからずっとかな? 誰かに見られているような感じがしたんだ。
―うむ。あそこは広いからな。どこでも見渡せるし、何処からも見つめられる。
 エウエルは直接質問に答えず、シガレットを消滅チューブに押し込むと、ジャケットの内側に手を突っ込んで、ホログラムを取り出した。
―〈レソタニド〉と言う『赤い石』を探している。聞いたことはあるかね?
 クラウマンスはできるだけ表情を変えずに首をかしげた。
 エウエルの差し出したホログラムフォトには、薄っすら青い電磁の膜で覆われた卵形の赤い鉱石のようなものが出現していた。
 クラウマンスは何故か、宇宙の全てがこちらを向いたような感覚に襲われた。
―若い先生は、流石に勘が鋭い。でも、ごまかすのは下手くそだな。
 エウエルは笑いながらホログラムを仕舞うと、シガレットケースを取り出してクラウマンスに一本勧め、自分も1本口にくわえて、今度は手持ちの電磁マッチで火を点けた。
―前任者のラピタとか言う人、その『赤い石』とどんな関係があるのですか?
―正確には分からない。しかし、今ではその行方を唯一知っている人物と考えられる。なぜなら、彼は、クレイトの神殿から『赤い石』を盗んだと思われるラプトル団の一味で、凡そ1箇月間、君の工房に身を隠して何かを探っていたらしい。
 だから、私は後任者の君がラプトル団とのつなぎ役か、彼を消すために現れた人物ではないかと疑った。ダリューやマルタは既に照会済みだったからな。
―今一つ良く分からないな。その『赤い石』とかラプトル団とは一体何で、そもそもあなたは誰に雇われているんです。
 クラウマンスは冴え冴えと銀河が輝きわたる夜空を再び見上げながら、隣の黒い影に向かって尋ねた。
―最後から答えると、ノーコメントだ。我々には雇い主の守秘義務がある。ラプトル団とは、かなり前にアトランティカで主にエントロピアの住人によって結成された原理主義者の一団で、アトランティカの完全なエントロピア所属あるいは消滅を信条としている急進派だ。今のところ、殆ど表面に出てきていないが、アトランティカ当局はずっとマークしている。『赤い石』は正直私にも良く分からない。クレイトの神殿も実は良く分からない。ずっと、アトランティカの秘物だったようだが……
 ただ偶然か、盗まれた時期の数箇月後君達工学者の大量な参加が決定した。工房で作業が滞りがちになったからと言われている。
 確かに、クラウマンス達に急な要請が舞い込んだのが一年前。カミーユ先生の講義が慌しく行われ、多くの試験も目が回るように行われて促成栽培された感があった。
 エウエルは更に続ける。
―君は、工房についた翌日襲われた。尤も私は初め、それがラプトル団の通信手段だと思ったんだがね。後で、君達が何か掴んだんだと思うようになった。もう、思い出したことは無いかい?
 クラウマンスは答えようとしてエウエルの方を向いた時、エウエルに跳ね飛ばされた。風を切る音がして耳元を何かがかすめた。窓枠の花瓶が落下しテラスに大きな音が響き渡る。
 跳ね飛ばされたところからエウエルを見ると、彼は早くも立ち上がり、手に光るものを持って既に駆け出していた。その奥に、更に黒い大きな人影が見えたが、横の茂みにダイブして消えた。
 クラウマンスは立ち上がり、音のした方を見ると、テラスの床にレーザー刀が突き刺さっていた。クラウマンスは人が集まって来る前に刀を床から抜くと、ジャケットにしまった。
―大丈夫? 何があったの?
 ヤズル兄弟と共に、マルタが駆け寄ってきて尋ねた。
―誰かに襲われたようだ。探偵と一緒だったんだが。
 クラウマンスは獲物を逃がして悔しがるように戻ってくる、エウエルを指差して、かすれた声で説明した。
 
―やれやれ、最近運動不足のようだ。君は大丈夫か? おや、学者先生のお友達かな? 私はエウエル。怪しいものでは有りません。
―名前は知っているわ。探偵さんでしょ。アトランティカ一って評判の。
―そいつは、お嬢さん、三流雑誌の冗談だ。大概は、逃げたペット探しや、痴話もめの後始末で日銭を稼いでいる。
 エウエルはテラスのあちこちを調べ、割れた花瓶をまとめながら照れたように苦笑いした。
 それから、クラウマンスの方に顔を向けると、チョッと困ったような声で、頼みごとをした。
―若い先生。この花瓶代、あの親父に渡しておいてくれないかな。どうも、苦手でね。あの親父。
 エウエルはクレジットをクラウマンスに渡すと、ライダーの置いてあるパーキングに向かった。
―また、会おう。
 クラウマンスは、去っていく男の後姿を目で追い、クレジットをひっくり返すとエウエルの連絡番号が書いてあった。
―前の学者さん、名前なんて言ったっけ。
 クラウマンスは、マルタに尋ねた。
―オナーよ。
―それが、どうも違うらしい。エウエルはラピタと言った。

―ラピタ君を知っているのか?
 突然テラスの上で、睨んでいる親父の横から声がして振り仰ぐと、ウインキンズが顔を乗り出して声をかけてきた。
―いや、直接には……私の前任者です。工学者の。
―じゃ別人かな。私の知っている彼は、生物学者だ。その彼に、私達は呼ばれてきたんだが、まったく連絡が取れないでいる。明日は既に大ポセイドス祭だと言うのにな。ま、他を当たろうかオーウェン君。
 2人の紳士は、丁寧に帽子とコートを身に羽織ると、テラスを登るクラウマンス達とすれ違いに降りてきて、軽く会釈し去って行った。
 クラウマンスは、むっつりした親父にエウエルのクレジットを渡しカフェに戻ろうとした時、また何かの視線を感じて後ろを振り返った。
 この時間になってエントロピアの衛星ジェノスが顔を出しており、アトランティカの上層部は銀色に輝いていた。その中心に、『時計の顔』のレリーフがほぼ金色に照り返しているだけで何も動く気配は認められなかった。

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