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『黄昏銀河のプログレカフェ』異聞

第二話 クォーターマス、或いはエントロピーの物語
◆クォーターマス1970(後編)

KONDOK

―4―

 エウエルはアトランティカ博物館の中央にある図書センターのドームに入っていった。
 そこは一日中多くの人々が研究し働いていて、アトランティカの太陽テラノスが顔を出すまでまだ3母星時間はある深夜でも、カデイロスより賑わっているほどだった。
 エウエルは惑星エントロピアの古生物関連書物を扱っている売店のカフェに近づいて、ドリンクを注文すると椅子に腰掛けた。
―はい、探偵、何時もの目覚ましドリンクだよ。
 店の少年がフラワースパイスのたっぷり入った飲み物を持ってエウエルのところにやってきた。少年は11歳位で、エントロピアは勿論、クラウマンスの故郷である惑星アルジェやサムサラの人々とも異なる容貌で、本人にも何処からきたのか分からない秘密があった。
 半年ほど前に、エントロピアの歓楽街で『夜の少年たち』に混ざって路上生活をしていた辛そうな少年をエウエルはある仕事の関係で見つけ、連れ出して図書館の売店を営む旧友に預けたのだった。利発な少年で、仕事を直ぐに覚え、文字も徐々に理解し始めると、店の書籍は勿論、膨大な博物館の目録も暗記できるようになり、エウエルは最近仕事で調べ物が必要な時、目的の書類を捜す手伝いをよく頼んでいた。
―今度は、こいつを頼みたいのだが……
 エウエルは、アトランティカ内のエネルギー配管坑図面を依頼し、クォータークレジットを少年に手渡した。少年が早速図書ドームに駆け出したのを目で追いながら、ドリンクを一口啜って一息ついた。
 クラウマンスは、『赤い石』について何か知っているにせよ、それとラピタの失踪については完全にシロだと思われた。工房内に秘密が有るかもしれないので、何れ会いに行かねばならないが、今は、あの黒く大きな影が隠れた先を突き止めるのが先決だった。どうも、悪い予感がする。このアトランティカで人が襲われるのは数年ぶりだったし、第一、あのおとなしい黒翼竜が一体どうしたというのだ? この都市で、無機質の物まで息つきはじめ、それぞれが勝手に自己を主張し始めたかのようだった。
 エウエルはシガレットを取り出すと、火を点けて深深と吸い込んだ。
―これでしょ? 
 半時ほどで、少年はドームから戻ってきて、ディスクを手渡した。
 エウエルは更にクォータークレジットを少年に渡すと、ディスクを手持ちのプリズムに差し込んで、すぐにアトランティカ内の複雑な配管坑をテーブルの上に浮き上がらせた。
 あの黒い影が消えた地点から推定して、繋がる配線坑は3つ。アトランティカの東西に伸びて、丁度『時計の顔』と『滑車の顔』の下0.7スタディオンの地点と、更に都市の最下層、創設者ミレイアが『揺籃のゆりかご』と呼んだ、まさにアトランティカ創造の出発点だった。
 黒い影は『時計の顔』の下の配線坑へダイブして、『滑車の顔』か『揺籃のゆりかご』のどちらかの方向に向かった。その途中で止まっているかも知れないが、向かうとしたらその3地点しか考えられなかった。
―その穴知っているよ。
 エウエルはそばに未だ少年がいることを忘れるほどホログラムを凝視していたので、その言葉に少しビックリしたが、隣の椅子でホログラムを覗き込みながら足をぶらぶらさせている少年に、気を取り直してたずねた。
―知ってるって、この穴に入ったことがあるのか?
―皆とグループでいた時、よく入り込んで遊んだり、寝たりしたよ。冬は外よりずっと暖かいんだもの。
―中はどんな風なんだ? 巨大な探偵が潜り込めるかい?
―大きな探偵に勇気があればね。中はかなり広いんだ。奇妙な機械がいっぱい垂れ下がっていて、しょっちゅう唸っているんだけど、慣れると如何ってことないよ。高速で動く滑車につかまればかなり奥まで入り込めるらしい。
 探偵はプリズムをしまいながら、少年を見つめると最後の質問をした。
―さて、これは大事な質問だ。君達は何処からそこに入ったんだ? そこに案内できるかい?
 少年はチョッと考えていたけれど、吹っ切れた様子で立ち上がると、店の奥に戻ってしばらくごそごそしていたが、店長にはしばらく探偵と一緒だと言いながら、バックを担いで出てくると、エウエルを促した。
―探偵のライダーは何処? 早く行かないと、都市の外れだし、お昼に戻ってこれないかも……
 エウエルは現場を聞いて少年を連れて行くことに躊躇したが、結局短時間で正確な場所を言葉だけで掴むのは分かりずらいことと、少年はずっとライダーの中にいるとの条件で連れて行くことにした。

 エウエルのライダーは都市の東側、『滑車の顔』の0.7スタディオン下、入り組んだ工場群の奥にある金属精錬工場の裏庭に滑るように入っていき停車した。
 エウエルは少年から預かったかばんを手にしてライダーから下りると、裏庭から破れた塀を乗り越えて、工場の中庭に入っていった。
 庭の中ほどで足を止めると、シガレットに火を点けて、工場の裏口から出てくる3人の人影を待った。
―いよ! 探偵さん。久しぶりだな。そろそろ、来る頃かなと思っていたよ。
 真中の低い、ずんぐりした男が話し掛けた。
―未だ、夜の少年達を扱っているのか? しかもこんな、町の反対側で、ここへ来る客達はまだいるのか?
―おまえさんのおかげで、あの商売は止めちまったわよ。
 右側の色白の男が、甲高いかすれ声で囁いた。
―そいつは済まなかったな。だが、俺の勘はまだ匂うって言ってるぜ。かなり臭いな。
 エウエルは真っ直ぐに真中の男を見つめながら、シガレットを下に落として砂をかけながら言った。
―こいつ喧嘩売りに来たのか? やっちまおうぜ。
 左側のエウエルより更に10センチは高い大男がうめくようにがなり声を上げ、エウエルに突っかかろうとした。
―落ち着けよ、ビッグフット。情報が欲しい。都市の中に入る穴を知りたいだけだ。
―ほう、だれがそんなもん、ここにあると言った?
 真ん中のずんぐりした男は目を細め、少しエウエルとの間をつめながら尋ねた。
 エウエルは少年のかばんからレコードを取り出すと、真中の男に投げ与えた。
 男はゆっくりかがんでレコードを拾うと、チラリと眺め、砂をはたいて内ポケットに仕舞った。
―これと引き換えにしちゃちょっと高けえけど、まあ良いだろう。商談成立だ。どのみち、あれの扱いにはちょっと困ってたところなんだ。まあ、入ってくれ。
 エウエルは、色白の男にじっくりと身体検査をされて、OKが出ると、ずんぐりした男の後ろについて、と言うよりビックフットに押されながら工場の建物に入っていった。
 休日のため、工場内はがらんとしており、金属を加工したり溶接する道具がきちんと置かれ、模範的な設備の外観を呈していた。
―奇麗なもんだろう。俺たちは、足を洗ったんだよ。
―ああたいしたもんだ。3人揃って、大ポセイドス祭の日も出勤とはね。
―お互い様じゃねえか。あんたのカッコは、パレードのコスチュームには見えないしな。ああ、ここだ。
 男達は、エウエルに不正に作られた地下道の入り口を示すと、後ろに下がってエウエルに道を開けた。
―実はあんたが来るのを待っていた。あんた、カデイロスで襲われただろ。誰に頼まれて何を調べているのかは聞かないが、この穴を使って出入りしていた一団と関係があるんだろ? やつらには使用料はたっぷり頂いているが、最近特に厳重になってきて、こちらの商売にも影響が出始めている。特に夜がさっぱりだ。少年達は散りじりになったしな。
―ほう、やっぱり残業のほうが多いのか? とにかく、ここを開けさせてくれ。
 エウエルは、少年のバッグに有ったもう1つの物である電磁キーを取り出すと暗号を打ち込んで、扉のくぼみに刺し込んだ。
 床の扉は少し唸ってから左右にスーと開いた。
 中は複雑に機械が絡み合い簡単には奥があるとは思えなかったが、微かに風が吹き上がり、その風に乗ってすえたような異臭も漂ってきた。
―どうする探偵。こいつは、かなり暗いぞ。それに……悪いな、俺たちパーティを思い出した。
 3人の男はそわそわし出すと、あっという間に部屋を出て彼らのライダーに乗って去って行った。エウエルは、首を振ってしばらく穴を見下ろしていたが、画像ポロトランソファーを取り出し、警察に連結して穴の中に侵入させた。
 5分で警察が工場を取り囲み、穴の捜索が始まった。エウエルは既に内部の情報を画像で得ていたので、顔見知りの担当刑事に2,3説明して直ぐにダリューの工房に向かうことにした。
 裏庭のライダーに戻ると、少年は待ちくたびれたように男達の反応を聞いたが、レコードをあっさり持っていったことを聞くと、少し気が抜けたような顔をして、ソファーにまたもたれた。
 エウエルはライダーを発進させながら、シガレットに火を点けた。
 しばらくして、少年はつぶやいた。
―あれを持っているの命がけだと思ってたんだけどな。
―ああ、大概やばいしろものだ。だから、渡したかったんだろ。顧客リストなんて、作っとくもんじゃないぞ。
―夜の仲間達は全員作っていたよ。護身用といわれたから。何時でもランダムに発信できるようにしてさ。中には、政治家や司祭の顧客がいると自慢していた仲間もいたよ。
 エウエルは漠然と聞き流していた少年の言葉に、さっき見た画像が重なり、シガレットをバイオシュートに入れると少年に尋ねた。
―仲間は何人いたんだ? 
―13人ぐらい。僕以外に。
 エウエルは画像を頭の中で反芻し、穴の中にあった死体を数えてみた。死体は3つ。全員身体のあちこちに穴が開き、一部金箔になっている部分もあった。
 残りの死体は『揺籃の泉』にでも落とされているのだろうか。
―仲間の正確なリストは分かるか?
―半年前で良いのならば。今では、だいぶ居なくなっているんじゃないかな。
 エウエルもそうであってくれればと思いながら、あの時3人の男達をもう少し締めておくんだったと後悔した。
 エウエルは、画像をバイオモードに変更し、生存時の顔に戻して少年に見せた。
―2人は世話人格の仲間達だ。あと1人は知らない男の人。
 エウエルが知っているのは、あとの1人だけで、それがラピタだった。
 世話人格とは、年長の少年達のことで、18歳を超えてると思われた。
 エウエルは簡単にかれらが死んでいることを少年に伝え、誰かに知らせる人は居ないかと尋ねた。
 少年はしばらく無言だったが、世話人格の1人に『エントロピアからの顧客は知り合いだ』と言われた以外はだれも身寄りがないはずだと言った。
 そのまま無言の2人を乗せたライダーは、都市の複雑な連結管と彫刻群の間をすり抜けるようにして来た道を戻り、外周を回り込むと『時計の顔』の下にあるダリューの工房に滑り込んだ。

―5―

―まだ、朝飯も未だだけど、ちょっとここによって行くぞ。
―待った。今度はついて行くから。
 エウエルと少年はライダーから降りると、工房の入り口に向かった。2人の上空をさっと鳥の影が過ぎる。2人が見上げると、白い羽毛を脇に生やした翼竜が一声鳴いて、来客を告げていた。
 2階の窓が開く音がした。
―探偵さん。早いのね。 エルマの声に反応したマルタが2階の窓から顔を出し、夜明けまで楽しんだ余韻のある寝ぼけた眼差しで2人を見下ろした。 
―今からお休みのところ悪いが、クラウマンス君は起きているかな?
―さっき部屋に行ったばっかりよ。待って、ドアを開けるわ。親方はもう起きているから。
 急いで目を覚ましたマルタが軽やかに降りてきてドアを開けると、2人に朝食の良い匂いが漂ってきた。
―これは探偵さん。おや、かわいい助手君かな? 大ポセイドス祭最初のお客人が都市の守護神とは有難い。さ、どうぞ。ま、私の作品を味わってくれたまえ。
 赤い上着に金髪の鬘をかぶったダリューは、自らエントロピアの香草で蒸した海洋なまこの大皿を両手で運びながら、2人を食堂に差し招いた。
―そいつは有難い。私もこの子も朝早くから運動したんで腹ペコだった。
 黒い髪を後ろに束ねたマルタが、スープにパン、それに親方の作品を器に盛取って、2人に持ってきた。
 ダリューが、エントロピア・デ・ミレーアのワインと〈ノーマッド〉の樽出し物を抱えて蔵から戻ってくると、早速グラスに注いで乾杯を促した。
 エウエルは乾杯する気分では無かったが、陽気な親方に勧められ、また、さっきまでの妙な不安を払拭すべく一気に飲み干した。
―それで、何か進展があったの? マンスがなぜ狙われているか?
 フラワードリンクでパンのかけらを流し込みながらマルタは尋ねた。
―えーと、お嬢さん。それはまだ誰からも依頼されてませんな。私の今の仕事に関係あるかどうかもまだ分かりません。ただ、いろいろ尋ねなくてはならなくなりました。
―私はマルタよ。……何かあったの?
 エウエルは極秘にすべきか迷ったが、すぐに知れ渡ることと、協力してもらうことが必要との直感から、今朝の出来事を話すことにした。
―では、マルタ。お祭りの朝に申し訳ないのだが、殺人事件の話をしなければならない。
 エウエルはできるだけ簡素に今朝の出来事を話した。
 ダリューはテーブルの下で手を合わせ、祈りの言葉を小さく呟いた。
―待って、マンスを起こして来るわ。
 マルタはスープの器をテーブルに置くと、ナプキンで指をぬぐってキッチンから出て行った。
―どうも最近おかしいな。殺人なんて何年振りだ? ワインもっと飲むかね?
 ダリューはワインを探偵に勧めながら、2人はいろいろ話し始めた。
―去年の春ぐらいだったな。どうも壁の彫刻と金属の相性が悪くなり始めたのは。聞くと他の工房でも同じようなことが起こっていて、地区の政治家の話ではアトランティカの位置も不安定に成りつつあると言うことだった。 もっとも、エントロピア自体の気象異常も関係があるかも知れないがね。
 エウエルは食事の終わった少年にナプキンを渡すと、ワインを飲み干して親方に続いた。
―確かに今年の夏は暑かったですね。エントロピアの海岸に降りてみたが、本来は南の生き物が多くいた。おたくのペットと戦った黒翼竜も大挙して海のビーストを食べていたな。

―ペットじゃないわ。相棒よ。それに襲われたのはマンスの相棒。エルマは助けたのよ。勇敢に戦って。
 エウエルが振り向くと、キッチンの入り口にマルタが立っており、外では相棒が一声上げた。食事に満足した少年は、親方の料理集を興味深げに眺め、ダリューが相手し始めた。
―分かった、お嬢……マルタさん。マンス君は目を覚ましたかな。
―かなり眠そうだけれどね。下の工房に来てほしいそうよ。
 エウエルがマルタについて石造りの工作室に入っていくと、ぼさぼさに乱れた髪をかき上げながら、木箱の資料を取り出しているクラウマンスがいた。
―おはよう、先生。あまり寝ていないそうだね。話せる気分かな?
―ああ、何とかね。それよりラピタは殺されてたって? どうしてなんだ。
―そいつは責任を持って調べるよ。ところでその資料は何なんだ。先生、まだ勉強する気分じゃないだろうに。
 エウエルは、近くの椅子をつかむとクラウマンスの横に持ってきてすわり、工作台の上のディスクとスケッチブックを見下ろした。
―これは、全部ラピタの遺品だよ。以前一通り調べたが何もつかめなかった。
―それは『赤い石』についてかね?
 クラウマンスは観念したように薄く笑うと、両手で資料を見るようエウエルに促した。

―はい、先生。これ、探偵の特効薬。
 少年は部屋に入ってくると、フラワースパイスの入った飲み物をクラウマンスに手渡した。
―あ、ありがとう……だが、君は一体誰だ?
―図書館の何でも屋だけど、いまは探偵の助手。それは、エウエルが徹夜するときに飲むやつで、完全に目が覚めるらしいよ。
 少年は無邪気に答えた。
 クラウマンスがぼんやりした顔でエウエルのほうを向くと、目で尋ねた。
―そいつは本当だ。ああ、助手の話じゃないぞ。俺のばあさんが教えてくれたドリンクだ。頭の切れがずっと良くなる。特に、お酒のあとはね。
 それでも半信半疑でクラウマンスはなめるように口をつけ、一口啜った。炎のように熱い流れが食道を襲い、あっという間に脳髄が刺激でシェイクされ、目の前が飛び跳ねた。
―うわ!
 クラウマンスの手からドリンクが少しこぼれた。
―目が覚めたら仕事に取り掛かろうか。
 エウエルは最初のディスクを無造作につかむと工作台の上部から引きおろしたホログラム解析装置に挿入した。
 いきなり、大きな怪物達が台の上をはいずりだした。背中にとげの生えた鎧竜、巨大な口の鰐竜、嘴の尖った翼竜、飛び跳ねる鳥獣、三口の大きなカタツムリ……
―おっと、何だこいつら?
 エウエルは、あわてて別のディスクに取り替えようとした時、後ろから落ち着いた声が聞こえてきた。
―実に興味深いですな。エントロピアの古代生物たちですかな。
 4人が振り向くと、2人の紳士が入り口に立っていた。
―これは、いつもぶしつけで失礼します。私は、ウインキンズ。宇宙博物学者で、こちらは助手のオーエン君。若いお2人とはカデイロスでお会いしましたな。ここへはご主人に案内されてきました。
 2人は帽子を取ると、エウエルに右手を差し出した。
―こんな変なものが分かるなんて、マンス君のお友達は一体どんな人たちなんだ。
 エウエルは握手に答えるため立ち上がり、グロテスクな生き物に興味深そうな2人に席を譲った。
―それで、皆さんはなぜここに? お祭りの朝食目当てではないでしょうに?
 ダリューは、2人を奥に促して、自らも工作室に入り、両手を振りながら質問した。
―実は、クラウマンス君達には話したが、ラピタという人物を探している。正確には、『探していた』と言った方が良いか。
 かれは、私達に助けを求めていました。それでやってきたが、ずっと音信不通でした。
 ずいぶん探し回ったが、カデイロスでのクラウマンス君の言葉が気になって、工房界隈で聞いたところ、該当する人物はオナーと言い、この工房で働いていたとのことが分かりました。しかも今朝の速報で殺されたことを知りました。それで、何か手紙のようなものが無いかと思ってここに来たんです。
―しかし彼は、生物学者のはずでは?
 クラウマンスは、さっきのドリンクの衝撃で少しクラクラする頭を振り切って尋ねた。
―だが、このホログラムは正しくラピタ君のものだろう。なぜか、彼は工学者と偽ってこの工房で何かしていたようだ。
 オーエンはディスクを調節しながら答えた。
―工学系のレコードを調べてもだめなわけね。なぜ彼の計算が上手くいかないのか良く分かったわ。素人だったのね。反重力も、〈カルコス〉も。
 マルタは黒い瞳に納得の表情を表して、親方の方を見た。
 ダリューは両手を大きく広げて、首を振った。
―いや、そうとも限らない。少なくとも、〈カルコス〉についてはある程度、否、工学者以上に知っていたかも知れない。
 オーエンが古生物のホログラムを調べながら呟くのを聞いて、クラウマンスは反応した。
―どういうことだ? 〈カルコス〉が生き物とでも言うのか?
―なかなか鋭いな。それ自身は生き物とは言えないが、生き物にとってとても重要なものだ。
―あんまりもったいぶるなよ。〈カルコス〉は一体何だと言うのだ?
 オーエンは、すっかり目が覚めたクラウマンスの言葉に対して、ウインキンズに助けを求めた。
―まあ、そうせかないで。このラピタ博士の指摘が正しければ、〈カルコス〉は言わば、〈精子〉ですな。あるいは、単体という相にある生命体と言った方が良いか。
 飄々と説明するウインキンズの言葉に、全員言葉も無く、様々な思いが交差した顔でウインキンズを注視した。 

―この赤い玉は何?
 そのとき、少年の好奇心にとんだ声に全員がはじかれたように振り返った。

 見ると奇妙な古生物がうごめく作業台上のホロスコープの奥に楽しそうに眺める少年の顔が見える。
 皆、我先に少年の後ろに回りこんだ。
 全身が真っ白の羽毛で、長い七色の尾っぽを持ち、首から下にかけて薄いピンクの綿毛で覆われた美しい鳥竜に抱かれるようにそれはあった。
 薄っすらと青い磁気の幕に覆われた卵型の赤い玉は、クラウマンスがエウエルのホログラムで見た〈レソタニド〉だった。
―くそ、このレコードは調べていなかったな。赤い石とは何かの卵だったのか!
 完全に目を覚ましたクラウマンスは頭をフル回転させながら、ホログラムの映像を注視した。
―まった。さっきウインキンズ博士は、〈カルコス〉が精子だと言いましたよね。この赤い卵と関係があるのですか?
 クラウマンスは無意識に髪の毛を手ですきながら尋ねた。
―うむ。ラピタ博士はそう分析していたようだ。このホログラムのあちこちに〈カルコス〉が登場していて、うごめいているのが良く分かる。マーカーを付けてランダムに進む様子を調べている。
 オーエンがホログラムを動かすと、画像は暗転し、青い磁気に包まれた赤い玉と近づいては反発を繰り返す小さな金色の点が現れた。
―この金色の点は何かに運ばれているような動きをしている。はじめの位置を遡って推定すれば、収まる位置も確定できる。まるで、都市の〈カルコス〉の動きと一緒だ。こっちの方がずっと速いが。
―マンス、トーマスが必要でしょ!
 夢中になり始めたクラウマンスに、マルタはエルマの庭からつれてきたトーマスを手渡した。
―よし、分析を始めるぞ。
 トーマスと直接思考を繋ぐと、没頭し始めた若い学者の姿に、ウインキンズ達も一歩引き下がり、何事かが起こるのをじっと見守ることにした。
 エウエルは、短い間に起こった急な展開を冷静に検討するため、少年にフラワースパイスのドリンクを頼んだ。
 トーマスの思考するブーンと言ううなるような音だけが部屋に聞こえ、祭りの朝の工房は、厨房のパンのいい香り以外、漂うものは無かった。

 やがて、トーマスの三角形に光が点滅すると、分析が終了したようだった。
―クラウマンスは信じられないような顔をしてしばらく考え込んでいたが、考えをまとめる決心をして、ドリンクを飲み干すと話し始めた。
―まず、この物質の習性ですが、『赤い石』すなわち〈レソタ二ド〉に近づこうとする〈カルコス〉の習性が彼ら達自身によって遮られると、ある計測できない次元の場が歪められ、反重力作用が出現します。おそらくは、一番強い反重力作用の〈カルコス〉が最終的に、他の仲間を跳ね飛ばすと、〈レソタ二ド〉が磁場を解いて最強の〈カルコス〉と結合するのです。その結果、結合体が出来ますが、それがどんなものかは見当がつきません。それと、いまだにこれらは単なる物質としか言えません。どうしてこれが生命と言えるのか私には分からない……
―単純に生命とも言えないでしょうな。
 一気に話して一息ついたクラウマンスの後を、ウインキンズが引き継いだ。
―少なくとも、われわれが了解している生命体の特性を遥かに凌駕しているようだ。興味深い研究対象だが、ある意味、われわれ以上かもしれない。
 クラウマンスの記憶に、夜の微笑む『時計の顔』が蘇ってきた。
―ひょっとして私達を観察し、操っている?
 思いつめたような声で、マルタが話に割って入った。
―〈カルコス〉がかね? まさか……
 ダリューは、引きつった笑いを浮かべると、グラスにワインを注いで飲み干した。
―いえ、親方、冗談ではありません。 時々、見られている自分を感じるときがあります。たいていは、何らかの彫刻のそばです。その、『時計の顔』はまるで話しかけてくるかのような時もあります。そもそも、こんなデザインはどのように決まっているのですか?

 こんどは、全員がダリューを見つめる番だった。
―そ、それは君も知っているように、ミレイアの手記に基づいて、厳正なるアカデミアが大枠を決定する。その後、デザインが公募されて、工房の長が決定する。
 ダリューが珍しく、機械のように無表情で通常の手続きを述べた。
―そうではなく、ミレイアはどのような発想でデザインを決めていたのですか?
 マルタは、仕事にかかるときのように、髪を後ろに束ねだした。
―それは、問題外だ。なにせ、ミレイアは宇宙一の天才だったんだからね。
 ダリューは抑揚の無い声で囁きながら、固まり始めた。
 それは、マルタが初めて見る、ダリューの変化だった。精気に満ちて人間的だったダリューは見る見る石像のように灰褐色をおび、壁の漆喰に溶け込むかのように彼方へと後退していく。
―親方、どうした?
 エウエルは驚いて、ダリューの腕を掴もうとする。
 ダリューは無表情なまま、女性の声でエウエルにささやいた。 
―頼まれた仕事を急いで……

 そのとき、工房の上空に異変が迫っていることを告げる鋭いエルマの鳴声が響いてきた。
 窓から上空を見上げると、おびただしい数の黒い翼竜が飛来しつつあった。
 マルタは、作業台のレーザー刀を掴むと中庭に駆け出して行く。
 それをオーエンは、帽子を押さえながら追いかける。
 それらを、クラウマンスはスローモーションのように眺め、トーマスと考えた状況を急いで分析していく。

 赤い石、赤い玉、赤い卵、それらに着床しようとする金色の鉱石、金の精子‥‥ 反転させて得たホログラムの金の粒は、元の画像のあるものの少し前を常に動いており、元の画像のあるものとは、小さな飛び交うあの南の翼竜達、すなわち黒翼竜だった。
 〈カルコス〉の推定でしか得られない位置関係は、赤い石〈レソタニド〉を求心力 として、互いに反発しあう金鉱石〈カルコス〉の相互作用が強く働いていた。
 それが推定でしかありえないのは、過去からくる結果ではなく、未来からの必然的な『意志』によっていた。では、誰の意志か? それは、空中浮遊都市アトランティカの創始者、デザイナーのミレイアでしかありえなかった。
 ミレイアの意志は『生命の樹』と『作り続けよ!』に象徴されていたが、その他にもおびただしい数の手記やデザインの構図が残されていたという。その神秘に最も近い存在は、実は多くの親方達だったのでは? 何らかの未来からの指示が出て親方達があたかも選んだかのように決定する。とすると、今や、灰色の石像と化したダリューの変化は何を意味するのか?

 クラウマンスは急いで、ギルド回線を通じて工房の仲間達に連絡を取った。
 『滑車の顔』工房のヤズル兄弟から、彼らの親方も同じ変化をして固まったことが、彼らの騒ぎ具合で直ぐに分かった。
 何かが止まった? 空の騒ぎと関係があるのか?

―『赤い石』はどこだ?
 エウエルは、石化する寸前のダリューから『赤い石』捜査の本当の依頼者はミレイアだと聞いていた。
―先生方、分かっているなら教えてくれ。
 クラウマンスはホログラムから正確に計算できる本来あるべき位置と、最新の〈カルコス〉散布と移動図から既に〈レソタニド〉の現在の位置を推定していた。
―〈レソタニド〉はアトランティカの中心部、ギルド会議場と教会に挟まれた図書センターの標本室にある。
 だれが守っていようが、それを持ち出してもとの神殿に戻すしかなかった。しかも、当局に説明し出動を待つほど時間はなさそうだった。
―よし、先生聞いてくれ。おれは急いで『赤い石』を探し出し、もとの宮殿に戻さねばならない。手伝ってもらいたいが、おれには見通しが分からない。だから、途中途中で危険なことになるかもしれない。
―どのぐらい覚悟がいる?
―分からない。先生と俺の命ぐらいか‥‥
 クラウマンスは既にトーマスと他のあらゆる可能性について検討し終えていた。
―分かった、エウエル。作戦は?
―ああ、ちくしょう、すまない。その……作戦は単純なほど良い。
 俺は正面から入る。かなり派手に。先生はその間に後ろから忍び込んで持ち出す。今のうちに、標本室の位置や構造、脱出ルートなどをあんたの相棒にインプットさせておいてほしい。
 それと、ウインキンズ先生とは回線を繋いで、〈カルコス〉の生物的な側面から常に助言をもらいたい。後は、行動しながら考える。

 ウインキンズはうなずくと、黙ってプリズム解析装置を調整し、ラピタのホログラムデータをすべてインプットし始めた。
―外の騒ぎは時間が切迫していることを示している。黒翼竜たちが〈カルコス〉を盗まれた〈レソタニド〉に導き始めたのだろう。
 ウインキンズは怯えている少年を椅子に座らせると、灰色の瞳でクラウマンスとエウエルを交互に見返した。

 エウエルは自身のホログラム分析装置を調整し、クラウマンスとウインキンズとの回線を開いた。これで、3人の行動は互いに把握でき、それぞれの声が聴覚に直接届くことになる。
 クラウマンスも動きやすい上着に着替えると、作業場に行く時の背嚢を手に提げたまま、窓から空の様子を伺った。
―ウインキンズ先生、未だどのくらい時間がかかると思いますか? その…、結合まで。
 クラウマンスは、リックの固定具合を調べながら尋ねた。
―うむ。先を争う〈カルコス〉の量によるな。既に幾つかの集団になっていれば跳ね飛ばす力も相当だから、指数関数的に早くなる。この都市ぐらいの大きさのテリトリーなら、推定でも、24テラノス時間ぐらいかな。
 ウインキンズは少年に熱い飲み物を渡しながら落ち着いた態度で答えた。

 窓の外から、再びエルマの鋭い鳴声と、マルタの指示を出す悲鳴が混ざって聞こえてくる。
 エウエルはスペースレボルバーを抜くと電磁力照準の具合を確かめ、ホルダーに戻した。
―ウインキンズ先生、その子を頼む。それじゃ幸運を、先生方。
 エウエルとクラウマンスは工房を出ると丘を駆け上がり、エウエルはライダーへ、クラウマンスはマルタのところに向かった。
 見上げると、黒い翼竜達が壁の彫刻に群がっては金色の〈カルコス〉を穿り返し口に含んでは飛び去っていく。それを、エルマを含む工房の弟子達が防ごうと戦い、追いかけ、追い払っていた。
 マルタはオーエンとともに壁を守り、エルマ達に指示を与えていた。
 しかし、既に『時計の顔』の大半はつつかれ、殆どすべてを覆っていた金色の皮膚は剥がれ、灰色の地肌が命の終わりを示すように広がっていた。
 クラウマンスはマルタとオーエンに手短に説明し、エルマを借り出すことにした。
―分かったわ。
 マルタは鋭い声を上げてエルマを呼び戻すと、自らも黒い作業着姿になり背嚢を背負った。
―いや、君は危険だ。工房に……
 言いかけたクラウマンスをにらみつけ、マルタはレーザー彫刻刀を腰のホルダーから抜いて力強く振るうと、クラウマンスの横の岩石が二つに裂けた。
―ミレイアの意志は、全サムサラ人の意志よ。それを妨げるものは、すべて打ち砕くわ。

―6―

 数秒後クラウマンスとマルタはエルマに捉まれて再び大空に舞い上がっていた。
 『時計の顔』を突つき終った黒い翼竜たちは一団となって東に向かいつつあった。
 見下ろすと様々な色のフラワーキング達が街や工房のあちこちに鎮座し、都市をあげての大ポセイドス祭の始まりが間近に迫っていることが伺われる。
 真下に三角形のライダーが一路、都市の中心へ向かっていた。
―エルマ、あのライダーの後につけて。
 その間にクラウマンスとエウエルは都市のあちこちから情報をかき集め、結局、親方が石化し、彫刻の〈カルコス〉が剥ぎ取られたのは、『時計の顔』と『滑車の顔』の2箇所だけだったことが分かった。
―ウインキンズ先生、何か分かりますか?
―うむ、その2つはかなり完成に近づいていたんだね。集合して、ある程度の大きさになった成熟複合体かもしれない。
―それをなぜ翼竜が突つくんですか?
―攻撃しているわけではなく、成熟し活性化した〈カルコス〉の担体として働くためだろう。
―どこへ? ああ、赤い卵の方にですね。でも、なぜ黒翼竜が運ぶのでしょう?
―さっき、ラプタ博士のデータを調べていたら、あの翼竜体は〈カルコス〉の反重力を吸収中和する物質を含む細胞で出来ていた。
 これ以上は良く分からないが、自ら運ぶ〈カルコス〉を赤い卵、つまり〈レソタニド〉に結合させた黒い翼竜の個体は他に比べ、その後の生殖戦略を有利に進めることが出来るのでは無いかと思われる。
 オーエンが、ウインキンズの代わりに答えた。
―いまいち良く分からないが、まあ良いだろう。ところで、先生方、脱出経路とクレイト神殿の場所はもうつかめたか?
 エウエルが割ってはいる。
―今計算中だけれど、因数が多くて正確な位置がぶれてしまう……
 クラウマンスはトーマスからの膨大な可能性座標を実際の都市構造と照合しながら、東へと飛び続けた。
 やがて中央図書センターに近づいてきたエウエルは、以降の全ての記録を保存に切り替え、ライダーを都市会議場の駐車場に止めると、図書センターの中央塔にマルタ達が降り立ったのを確認して、最後のシガレットに火をつけた。
 塔の周りを黒い翼竜たちも旋回し始めており、お祭りの衣装を身にまとった人々も不気味そうに囁きあっている。
 エウエルに、既に連絡しておいた人影が近づいてきた。
―3人の使いか? 伝えてくれ。10分後に図書センターの15階で騒ぎを起こしてほしい。1分程度で良いと。頼んだぞ。
 エウエルはクレジットを少年に渡すと、急いで戻っていく後ろから、センターの玄関を潜った。もう、ここからはあまり信頼できる者は居ないだろう。ラプトル団の息がどこまでかかっているか不明だった。

 クラウマンスとマルタは、塔の屋上からレーザー刀を使って扉を切り開き、螺旋階段の最上階に滑り込んだ。急いで、3階分を駆け下り、16階の機械室に潜り込む。そこから正確に下の標本室にある〈レソタニド〉の位置を探り、床にそっとレーザー刀で傷をつけ、エウエルの合図を待った。

 エウエルは15階の展示閲覧室に入っていくと、すばやく奥にある標本室の扉と警備員達の位置を確認した。カーニバルパレードの時間が近づいているため、幸い人影はまばらで子供達は一人も居なかった。
 標本室に向かおうとすると、たちまち3人に囲まれた。
―いよ、探偵。こんな所で何してる。おかげで、あの工場にも戻れなくなって困っちまったぜ。どうしてくれる?
―少なくとも、場違いなお前達よりましだろ。ビックフット!
―なに! やっちまうか。
 エウエルは後ろから思いっきり標本室の扉まで飛ばされた。
 あわてて止めに入る警備員達と3人はもみ合い、陳列ケースの一部がはずれ貴重なエントロピアの昆虫標本が飛び出す。

 標本室の中では、センター長を始めマンバス、エントロピア党の評議員マークが、黒ずくめの男と密談中であったが、外が騒がしくなったので、警護主任が様子を伺いに出た。
 扉を開けたときは既に騒ぎは収まり、3人は警備員達に外へ連れ出される途中だった。警護主任は周りを伺ってすばやくドアをしめようとしたが、振り向いたときには、レボルバーライトで気を失っていた。

 エウエルは警備主任の持ち物を調べ、必要な情報だけをインプットすると後は全て無力化した。更に、警備主任の声で他の警備員を部屋の外に誘導すると、入れ替わりに中に入って鍵を閉め、クラウマンスに合図を送るとまっすぐに奥の応接間に進んでいった。
―君はだれだ?
 センター長がソファーから立ち上がり、イライラした仕草でエウエルを静止しようとした。
 エウエルはその手を振り払い更に奥へと進んでいく。マンバスとマークは立ち上がり、エウエルの進入を戸惑った様子で見つめながら警備主任を探しはじめた。
―あまり騒がない方がいいと思いますよ。私の視覚は、アトランティカのギルド会議とアカデミアに繋がっている。ラプトル団の首領と密談中のところはライブで流れていますな。
―はったりを言うな。エウエル。
 マークは、毒つきながらも、外の警護官達に待機を命じた。
―なぜ、私を知っている。その黒服の方の情報か? 昨夜、クラウマンスを襲わせた。
 黒服の男はソファーに座ったまま、目に薄っすらと笑いをこめて、よく通る低い声で返事をした。
―あれは警告だ。襲うなら確実に仕留めている。
―そっちこそ、はったりだな。 『赤い石』を探されたら困るわけは?
 部屋にしばらく沈黙の時間が流れた。
 黒服の男は、やや目の端に怒りを浮かべ立ち上がった。大男のエウエルよりまだ20センチは高い巨体だった。
―あれは、もともとエントロピアのものだった。それを、異邦人のミレイアが搾取して勝手に空中都市なるものを作り上げ、富と繁栄をエントロピア以外にもたらしてしまった。それ以来、エントロピアの繁栄は永久に失われ、特に南の聖なる大地は未開のままだ。
 エウエルは『それは単に、学習をさせようとしないお前ら民族の問題だ』と思ったが、ゆっくりと天井に上っていく石の箱を目の端に捕らえ、あえて怒りを表さず相手の目を据えてたずねた。
―一体あれが何か分かっているのか? 
―もう少しで分かるところだった。優秀なラピタが殺されるまでは。
 黒服の男の制止を遮って、センター長が後ろから話した。
―お前達が殺したのではないのか?
 エウエルには怪訝だった。未だ他に殺人者がいる?
―『赤い石』を動かしてから〈カルコス〉が関係することは分かった。それで、工学者を募集することにして、古生物学者のラピタを雇ってダリューの工房に忍ばせた。ラピタは〈カルコス〉と古生物の関係を独自の研究で調べており大喜びだったな。
 われわれは『赤い石』の本当の力を調べるためだった。だが、いつのまにかラピタは失踪し、気がついたら死体になっていた。隣の技師を装って、残された資料を調べたが『赤い石』も失踪も謎のままだった。

―もうそのぐらいにしよう。何か変だ。なぜ一人で来た? エウエルは蛮勇以上に慎重な男だと聞いている。いままで、それに敬意は払ってきたが……
 黒服の男は、手首からサイバーナイフを取り出すと、エウエルの胸元に先を突きつけた。
 エウエルは両手を挙げて、諭すようにゆっくりと話した。
―そもそも、動かしたのが間違いだ。エントロピアの自然ではあまり集積されないエネルギーも、ミレイアの揺りかご、つまりクレイトの神殿でその力を発揮する。
 エウエルの聴覚に『当りだ!』というオーエンの声がこだまする。
 エウエルは、大きくため息をつくと言い放った。
―君達がいやなら、私が戻さねばならない。あの箱の中の石を。
 黒服の男は、にやりと笑うとおもいっきりナイフを突き出した。エウエルは左に回転すると、男の首筋に手刀をみまい、左足で大きく払った。黒服の男は、そのまま勢い良く入り口まで飛び直ぐに振り向いたが、警官のサイレン音を聞くとドアを開いて逃げ出した。数人の護衛官もその後に続く。
 マークは警備官を呼び、センター長は卵の箱に走り出す。
―ない!
 センター長の悲鳴に、エウエル以外は凍りつく。エウエルは窓を蹴破って15階からダイブすると、タイミングを合わせるようにプログラムしておいたライダーに飛び乗った。
 センター長とマークはただ穴のあいた天井と、蹴破られた窓を見つめたまま、サイレンが図書センターの前で止まるのを唖然として聞いていた。
 それまで隠れていたマンバスは、今日の大ポセイドス祭のスピーチはキャンセルを覚悟した。
 その時である、都市の不気味な振動が始まったのは。

 エルマが、〈レソタニド〉の箱を抱えたクラウマンスを掴んで再び塔から飛び立つと、黒い翼竜達の群れが大きく乱れ、エルマ達をきりもみ状態で取り囲むように追いかけだした。その幾つかを、スペースリボルバーで追い払うと、エウエルはエルマについて東に向かった。
―なぜ、東に向かう?
―『滑車の顔』が入り口だ。そこから都市の内部に入り、中心から一気に下層に向かう。予測はついたが、トーマスとの計算の結果、予測と合致した。
 クラウマンス達が東の方向を見やると、そこでも雲のように黒い翼竜が発生し、こちらに向かってきていた。
―気をつけろ。最初の反重力闘争が始まる。
 いつもとは違う、ウインキンズの緊張した声が皆の脳髄に響き渡る。
―反重力闘争って一体なんだ?
―〈レソタニド〉に近づくもの同士の戦いだ。出来るだけ群れから離れ、重力風に注意しろ。
 エルマとライダーは、東からの翼竜が西からの群れと接触する寸前に推進力を止め、自由落下し、低空でビルの谷間をすり抜けるように『滑車の顔』を目指した。
 見上げると、二つの黒翼竜の群れは渦を巻くように混ざり合い、近づいては跳ね飛ばされ、飛ばされてはまた舞い戻り戦いに加わっている。 
―今のうちに出来るだけ、距離を稼いでおけ。そのうち、より強いものだけが残って追いかけてくる。
 ウインキンズの声が更に響く。 
 数分後、エルマとライダーは、やはり痘痕だらけになった『滑車の顔』のレリーフの下に舞い降りると、あらかじめヤズー兄弟に開いてもらっていた都市配管坑の入り口に滑り込んだ。
 既に屈強な3体の黒翼竜が急接近しており、最後尾の1体はキアの放ったレーザー刀に胴を裂かれ、きりもみしながら坑の入り口に激突すると、大きな〈カルコス〉の塊を口から射出し息絶えた。
 それでも〈カルコス〉は、分裂しながら飛び跳ね回り、辺りかまわず金色の穴を開けまくって最後に融解した。

 エルマとライダーは大きな薄暗い空間に、機械仕掛けの滑車がぶら下がる、都市の心臓部へと入り込んでいた。しかし、都市の振動はここではより増幅され、滑車のきしみゆれる音が、まるで弦楽器の盛り上がる反復音のように坑道にこだましている。
 ヤズー兄弟からの連絡では、この振動がこのまま加速されていった場合、都市が分裂する臨界点はあと3時間そこそこだった。
 それまでに神殿に降り立たねばならない。
 クラウマンスは、トーマスの望みを聞き入れることにした。ジャケットの内側からトーマスを取り出すと、勢いをつけて投げ上げ、エルマに飲み込ませた。
 エルマにトーマスを飲み込ませることで、神経結合することが分かっていた。どうも、エントロピアの翼竜たちは、金属や機械を体内で共存させることが得意のようだった。
『実に興味深いですな。』クラウマンスには、ウインキンズの口癖が聞こえるようだった。
 ともかくトーマスと結合したエルマは一層加速した。上下左右、あるいは前後から迫ってくる滑車の群れをひらりとかわしながら、追尾してくる黒翼竜の攻撃もあしらって先に進んだ。
 やがて、前方に漆喰の底なし沼のような大きな穴が現れた。磁気を帯びた粒子の粒が渦を巻いて落下しており、時折明るく輝く以外はその輪郭がはっきりしなかった。
『時空坑になっている。』クラウマンスは観測もそこそこに、直感した。
 トーマスと結合したエルマは、クラウマンスとマルタを掴んだまま、更に迫る繰る滑車から身をかわし、恐れず都市の下へと、都市の初源『揺籃のゆりかご』へと、空間と時間を遡る旅に身を躍らせた。
 エウエルは一瞬躊躇したが、2体の翼竜が迫っているのを見てエルマに続いた。同時に、急激に意識が遠のいていくのが分かった。

―7―

 しばらく時空の揺れが続いた後、クラウマンス達が到着したのは、霧の朝もやに包まれた美しい建物が見渡せる川原の上空だった。
―あれが神殿ね。
 マルタは確信を込めて、クラウマンスに言った。
 エルマは建物の近くに2人を下ろすと、喜びのいななきをあげた。
―どうしてそう分かる?
 クラウマンスはまぶしそうに建物を見上げ、マルタにたずねた。
―だって、これがサムサラに伝わる、ミレイアの伝説の住処ですもの。
―よーし、この卵を収めにいくか。
 クラウマンスが箱を持って歩き始めたとき、上空に稲妻が走り、クラウマンスの上に黄金の礫が落ちてきた。崩れ落ちるクラウマンスにマルタは覆いかぶさり、エルマは空に向かう。卵の箱は、転がって建物の入り口近くの草むらで止まった。
 マルタが見上げると、上空では2体の黒翼竜が欲望を丸出しにしてにらみ合っていた。
 恐ろしい重力波の圧力があたりを覆い、容易に身動きできず、エルマも遠巻きに旋回するしかなさそうであった。
 マルタは押しつぶされそうになりながらクラウマンスの様態を伺った。ヘルメットが真っ二つに裂け、数メートル前方に黄金の穴を開けている。背嚢は粉々に裂けてマルタの胸の下でくすぶっている。
―うう、重いよ。マルタ。
 少し重力波が弱まった時、クラウマンスがうめき声を上げた。
―無事なのね!
―まだ頭が揺れているが大丈夫だ。あのフラワードリンクよりはましだ。
 熱気のような圧力が再びあたりを覆う。エルマの警告が聞こえ、2人は転がって川に逃れかろうじて重力圧の振動から身を守った。
 2体の翼竜は互いの反発をものともせず組み合い、ぶつかり合っていたが少し均衡が崩れだし、やがて一方の翼竜は組みつかれたまま反重力波を全身に受けて跳ね飛ばされ金色に光り輝きながら爆発した。
 残った翼竜は反転すると、〈レソタミド〉の箱を探しに川原に飛来した。
 クラウマンス達は別の風圧を感じ城の入り口近くを見ると、赤い玉だった〈レソタミド〉は箱から飛び出して浮遊し、青白い光を放ちながら表面がおうとつを繰り返し始めていた。
―まずい。結合しそうだ。
 クラウマンスが動くより早くマルタが川から飛び出し、レーザー刀を抜き放つと、〈レソタミド〉と竜の間に回りこんで巨大な黒翼竜に対峙した。
―今のうちにあれを城へ!
 マルタの叫びに身がすくんでいたクラウマンスも走り出し、浮かび上がっている〈レソタミド〉を夢中でつかむと城の入り口に向かった。
 マルタには怪訝で戸惑ったような仕草をしていた黒翼竜も、〈レソタミド〉を持ったクラウマンスを見ると凶暴な鳴声を上げ、再び金色に輝く〈カルコス〉の塊を口からクラウマンスに向けて発射した。マルタの叫びに飛びのいた地面深く〈カルコス〉は突き刺さり、さらに暴れのたうちまわって付近の地面を焼き上げて金色に変えた。
 マルタは〈カルコス〉の幾つかを叩き落すと、黒翼竜の足首を切りつけた。黒翼竜は右足から血を滴らせて舞い上がり、風圧をかけてマルタを倒すと、左足で掴み急上昇した。掴む力は息が詰まるほど強く、もがくマルタを黒翼竜の嘴が襲い、急旋回して失神させようとする。ますます苦しくなってきたマルタは掴まれたまま、渾身の力で大きく上体を反らせ、フルパワーのレーザー刀を左右に一閃した。
 次の瞬間、黒翼竜の首から上が胴から吹っ飛び、溢れ出た〈カルコス〉が居場所を求めて飛散した。
 黒翼竜の胴体はしっかりとマルタを掴んだまま、バランスを失って背面から落下し始めた。追跡してきたエルマは、マルタを掴んでいた左足を根元から噛み付いてもぎ取ると、血が飛び散る足首をくわえて焼け爛れた川原にそっと降り立った。
 強く胸を掴まれていたマルタは息がつまり気を失いかけていたが、足のつめが緩み息を吹き返すと、直ぐにクラウマンスの姿を探した。

 クラウマンスは、手足のあちこちを火傷したまま少しずつ城の入り口ににじり寄り、翼竜にさらわれたマルタが翼竜を切り裂き、エルマに助けられたのを見届けると、再び赤いただの石に戻った〈レソタニド〉を片手にかかえ、這いずるようにして城の扉をくぐった。
 扉を押し開くと、大きな白亜のホールがクラウマンスを迎え入れ、正面の壇上にぽっかりと開いた祭壇が回転しながら青白い磁気を放って輝いている。
 クラウマンスは手足の痛みに『赤い石』を取り落とし、転がる先に向かおうとしてつまずいて倒れた。
 クラウマンスが両手を突いて顔を持ち上げたとき、黒のブーツの間に『赤い石』はあった。
―良くがんばった。お若いの。だが、ここまでだ。後はラプトル団が始末する。
 黒服の大男は、『赤い石』を拾いあげると、満足そうに微笑んだ。
―おかげでこの石の力も良く分かった。本来エントロピアのものだ。どうかね、この石の力をもっと調べ高めたいだろう。ラプトル団に迎えてやっても良い。
 城の外ではエルマのさえずるような鳴声が聞こえている。
 クラウマンスは、床の上に胡坐をかいて座ると、両手を後ろについて観念したように大男に尋ねた。
―ああ、もううんざりだ。好きにしてくれ。ただ、念のために聞かしてくれ。もし、断ったらどうなる?
 大男は口だけ笑って、手首からサイバーナイフを突き出すとクラウマンスの顔面に先を向けた。
―アトランティカもこの祭壇もあと数時間で消滅する。だが、それを君は見ることは無い。
 大男がサイバーナイフの先に力を込めようとした瞬間、スペースリボルバーの閃光があがり、大男の持っていた『赤い石』は衝撃で弾かれて床を転々とする。クラウマンスは気をそがれた大男のサイバーナイフの先をよけ、カデイロスの一件以来隠し持っていたレーザー刀を後ろから振り抜いてサイバーナイフをはね飛ばすと同時に『赤い石』に飛びつき、今度こそしっかりと掴んで祭壇の前の階段を駆け上がる。天窓を蹴破ってエルマが飛び込み、ラプトル団の一味をはね飛ばし、遮るものを掃除する。
 大男が飛ばされたサイバーナイフを取り戻し、祭壇に向かって照射するのとスペースリボルバーの照準がナイフにあたるのが同時だった。
 頭の後ろで爆発が起こり、なかばはね飛ばされるように祭壇に突っ込んだクラウマンスは、『赤い石』を磁気の中に押し込むと、祭壇の下にへたり込んだ。

 ブーンと言ううなりとともに、クラウマンスの周りの床から長方形のガラス状の棺のようなものが立ち上がり、大男達の姿が見えなくなった。

―おい、どうなっている? 大丈夫か? 聞こえたら応答せよ。
 クラウマンスが気がつくと、ウインキンズ達との連絡も回復しだしている。
―都市の振動が収まり始めている。成功したのか?
―ああ。
 クラウマンスは返事するのがやっとだった。
 それでも傍に来た人影を見ると毒づかざるを得なかった。
―遅かったじゃないか。
―すまん、森の中に墜落したんだ。更にマルタの介抱を優先したんでね。きみは良くやっていた。それに、援軍の登場はいつも土壇場と決まっている。
 エウエルは警戒を緩めず、エルマにも指示を出して周りを隈なく調べたが、ラプトル団なるものも大男も忽然と消え失せていた。
―まったく、エルマの思考がトーマスと繋がっていなかったら今頃串刺しだったね。
 クラウマンスはあちこち痛む身体を確かめながら立ち上がると、あらためて白亜のホールを見渡した。
―これを見て。ああ神様。
 いつもの踊るような歩き方を取り戻したマルタは、乱立するガラスの箱の一つを仰いて驚きの声をあげた。
 クラウマンス達が駆け寄ると、箱の中には教科書のホログラムでしか見たことの無かった花のような創造主ミレイアがいた。
 薄く電磁の雲がかかり、あちこちで小さな閃光が輝く様子はまるで小宇宙をその手で掴んでいるかのようだった。しかも、目を開き微笑んでいた。
 3人が見守る中、ミレイアの言葉が頭の中に流れ始めた。
―私には分かっていましたよ。あなた達ならこの危機を救ってくれることを。チョッと苦労したのはクラウマンスさんを如何にしてアトランティカの工房に連れてくるかということぐらいでした。 
 私が200テラノス年前にアトランティカを構想したのは、〈カルコス〉との甘美な共生の誘惑に負けたからです。自ら〈レソタニド〉に成り代わり、彼らの求愛を永遠に求めようとしたのです。
―どういうことですか?
 マルタは厳粛な面持ちでミレイアにたずねた。
 夫と私は生物学者で、夫はこの奇妙な物質と生命体の関わりについて既に気がついていました。彼は、黒翼竜の集団行動について研究していてこの物質を見つけていたのです。
 しかし、夫は〈レソタニド〉に近づきすぎて発情した〈カルコス〉の集団に蜂の巣にされてしまいました。私は、泣く泣く黄金の金属に変化した夫の部分だけ採取して金属のレリーフにしました。はじめは、思い出のために。でも、直ぐにとんでもないことに気がつきました。レリーフが位置を変え、時には浮き上がるのです。当時の私は、それが夫の意思であると誤解していました。
 ミレイアは美しい瞳にまだそのときのときめきを浮かべながらつづけた。
―それから私は狂ったように〈カルコス〉との交信を探りました。黒翼竜の集団と交わり、レリーフを電磁的に分析し、夫からのメッセージを読み取ろうとしたのです。
 残念ながら夫の意思はどこにもありませんでした。
 3人は身じろぎも出来なかった。
―次に考えたのは、この〈カルコス〉の無数の組み合わせを永遠に続けることで、何時か夫との思考を共有できるのではないか、それを子孫に託してでも続けなくてはならないのではないかということでした。
 今では、これは強い集団を目指す習性のある〈カルコス〉による、私への働きかけであることは分かっていますが、当時は夢中でした。
 私は、〈レソタニド〉を手に入れることに成功しました。その結果、ラプトル団などの反都市分子も出来てしまいましたが……
 ミレイアは、少し休んで3人を見下ろした。
―〈レソタニド〉がそばにあると、〈カルコス〉の羨望、希求、せつなさが良く分かります。それが甘美に心を揺さぶるのです。それが、また〈カルコス〉の戦略でもありますが。だから、共生と言ったのです。

―実に興味深いですな。ミレイア博士。この都市は、なぜか精気に満ち溢れていた。その根源はそもそも、〈カルコス〉の戦略が一部をなしていたのですな。
 ウインキンズの声が割ってはいる。
―誰かに見られていたような感覚は〈カルコス〉を通じて発していたのね。でも、あのデザインはどうやって組み立てたのですか?
 マルタはたまらず疑問を口にした。
―単なる思い付きではありませんよ。それも〈カルコス〉との共生です。私は、クラウマンスさんのような工学者では有りませんから、計算で作るのではなく、ただこうあれば美しいだろうという感覚でデザインしました。
 そして、あなたの推理通り、何人かの〈カルコス〉人、即ちダリューのような鉱物生命体を工房の親方として『生命の樹』と『作り続けよ!』をモットーに浮遊都市を増殖させていったのです。
 でも、都市が出来れば、自然に人が集まり日々の営みが始まります。アトランティカはもう私個人のものではありません。皆さんの手にゆだねる時期が来ています。
 それで、この騒動に合わせクラウマンスさんを呼び寄せたのです。クラウマンスさんは、反重力工学の優秀な学者で十分若い人です。これからのアトランティカは、芸術だけではなく、〈カルコス〉の鉱物的な習性を熟知した彼のような人が必要ですし、〈カルコス〉もそれを望んでいます。
―あのラプトル団はどうなったのかな? ラピタを殺したのも〈カルコス〉なのか? それと、親方達は戻るのかい? 
 エウエルが、辺りを見回しながら矢継ぎ早に尋ねた。
―ラプトル団はこのガラスの棺に閉じ込めました。皆さんが戻ったら、この『揺籃のゆりかご』ともども永久に切り離します。
 そもそも、彼らがここまで降りてこられたこと自体が、都市が自立し始めた証拠なのです。一時は、〈カルコス〉の秩序を乱し、親方達を木偶の坊にしてしまうほどの影響がありました。秩序が戻れば、〈カルコス〉人は再生しますが、団もまた出現しないとも限りません。
 。それと、ラピタ博士は都市の危険をほぼ察知していましたが、ラプトル団の手前〈レソタニド〉を神殿に戻せとは言い出せませんでした。未だ配管坑に有るうちに持ち出そうとして近づき過ぎ、発情した黒翼竜同士の闘争に巻き込まれてしまったのです。その黒翼竜達は未だ小さく、配管坑の滑車で取り除きましたが、その間にラプトル団は〈レソタニド〉をアジトに運んでしまいました。

―切り離したら、〈レソタニド〉の影響もなくなるのではありませんか?
 いままで黙って聞いていたクラウマンスが初めて口を開いた。
―その通りです。ですが、アトランティカは既にエントロピア自身との共生関係が発生しています。〈レソタニド〉が盗まれてあちこち移動しても、ラプトル団による黒翼竜の集団が現れ〈カルコス〉が活性化するまでは、余り都市の位置がぶれなかったのがその証拠です。
 ですから、今度は皆さんが〈カルコス〉と共生し制御する番です。

 神殿の周りの明かりが弱まり、通信も再び乱れ始めてきた。
―さあ、急いで戻ってください。ラプトル団やさかりのついた黒翼竜が再び目覚める前に。出発口は、テラノスの昇る方向の上B41度です。

 クラウマンス達は後ろ髪を引かれる思いで城を後にした。群青色に染まり始めた夕空に薄っすらと白く衛星ジェノスが現れ、見下ろすと城の後影が黒み始めた森の境と重なり始めており、暴れる〈カルコス〉に焼かれた前庭がところどころに残って、最後の黒翼竜の遺体を取り囲んでいた。

 マルタがクラウマンスの横でさりげなく言った。
―私も、あのときあなたが〈カルコス〉に穴だらけにされていたら、その部分を切り取ってレリーフにしていたかもしれないわ。
―それって、単性生殖主義をやめるってこと?
―いいえ。『工学者の顔』を作るためよ。冒険記念の。

◇     ◇     ◇

―いくつか謎は残ったけど、親方達は元に戻り、大ポセイドス祭は何事も無かったかの様にとり行われた。
 変わったのは幾人かの聖職者と政治家が引退を表明したぐらいだったが、われわれにとっては、ずっと〈カルコス〉が制御し易くなったのも事実だ。
 以来、浮遊都市を増殖させ続けてきたが、ミレイアとその城は二度とわれわれの前には現れなかったな。
 クラウマンスの話は、静かに流れる電子音の音色と共に終わった。
―その、少年はどうなったんですか。
 碑伊太は、ミレイアや〈レソタニド〉を希求する魂に揺さぶられながら、一番関心のある点を尋ねた。
―ああ、そうだね。彼、名前だけは思い出したらしい。ライタとか言ったな。でも、古生物に興味を示したんで、ウインキンズ博士に預けられ、勉強していると思うよ。宇宙のあちこちで。
 クラウマンスは、腕を大きく振って金のカフスを光らせた。すると、曲の始まりに天井から欄干に降りてきた生き物がクラウマンスの肩までやってきて、キュウと鳴いた。
 見ると小さな翼竜だった。
―これは、エルマとトーマスの子孫達。あいつら、本当に交尾したんだ。信じられないがね。エントロピアの翼竜達は、鉱物だろうが機械だろうが取り込んで同化し、更に広がっていく能力があるんだね。

―〈カルコス〉に魅入られたミレイアの都市に魅入られた魂達。それらも、どんどん増殖していくのだろうかね?
 何時の間にか、近くに来ていたマスターは追加のボトルをテーブルに置くと、誰に尋ねるでもなく呟いた。
―おや、マスターらしくないことを言うもんだ。だいたい、意識というものは‥‥

 曲調がとても静かで暗い汽笛の音色に変わると、碑伊太は話にふける2人をおいて、薄暗いカフェの奥にある人形に目を留めた。
 そちらの方から声がしたと思ったのだ。

【第2話 了】

トップ読切短編連載長編コラム
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