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ヤモリ

doru

 

 庄之介はやもりが嫌いだった。夏の夜などは蛍の群れに混じり、村のどの家にもやもりたちが小さな虫を餌に壁を這いまわっていた。
 当然庄之介の大きなお屋敷のやもりたちは、壁に這いまわるだけではなく、屋敷の座敷にまでその姿を現し、這って小さな虫たちを追いかけているのだった。
 庄之介は、外だけではなく内にまで這い回るやもりを見るだけでその醜さに鳥肌がたち、眼に見える範囲のやもりたちすべてを、殺し続けていた。やもりへの憎悪が深い分だけ、殺し方も徹底していた。やもりの尾を押さえ、壁に力一杯打ちつける。そうすると、びしっ、びしっ、びしっ、哀れなやもりが潰される渇いた音が庄之介の耳に聞こえてくる。それでもまだ死なない弱り果てて逃げることもできないやもりの身体を握りしめ、壁にごしごしと擦りあわせては、悶え苦しむさまを見ては笑っていたのである。
 庄之介が住む屋敷の壁には、いつも死んだやもりの体液が黒い染みをついていた。黒い染みを見ながら、笑いを浮かべて庄之介はそれが醜いやもりたちを殺し続けた一種の勲章のように感じていたのである。
 ある暑い夜のことである。庄之介はいつものように数十匹ものやもりを殺してから、蚊帳の中で眠っていた。するとどこからか音が聞こえてくる。庄之介は、いぶかしげに思って、蚊帳から抜けると、天井につくほどの巨大なやもりが一匹立っていた。庄之介は驚き、その場にあった竹刀で殴り殺そうと叩いたが、それは身動き一つせず、冷淡に眺めているのであった。
 「おまえを迎えにきた」やもりの感情を押さえた低い声を聞くと、急に庄之介の力が抜け、持っていた竹刀を床に落とした。恐ろしさのあまり、やもりから離れようとするのだが、意志とは反対に、巨大やもりに魅入られたように身体が動くことができなかった。
 「誰が助けてくれ」庄之介は情けなく悲鳴をあげ、家のものに助けを呼んだ。
 「誰も助けにこない」やもりがそうつぶやくと、大きな口で庄之介の襟首をつかんだ。
 庄之介はやもりの喉元で、恐怖にかられている。誰か一人でもいい、叫び声でも聞いて眼を醒ましてくれるように願い、叫び続けた。だが両親たちが寝ているはずの母屋からは、庄之介を助けようとするものは出てこなかった。
 やもりは暴れる庄之介を気にすることもなく、屋敷の外、やもりを殺し続けた壁――一匹の巨大やもりと庄之介の周りに、何千匹もの小さなやもりが集まっている――まで引きずり連れ出した。
 満天の星空の下、巨大やもりの顎が、ぶるんっ、ぶるんっ、ぶるんっと振り回す。庄之介はやもりの喉元で駒のように回る。そして大きく勢いがついたところで、ぶしゃり、壁に打ちつけられた。庄之介の身体の骨がみしみしと音を立てて、砕けて、真っ赤な血が流れ、壁にどす黒い染みをつける。
 「助けてくれ」庄之介は血だらけになりながら、やもりたちに許しを請うた。
 「おれたちもおまえのように助けてくれるように願ったさ。おまえはおれたちがどんな目にあったのか忘れたらしいな」
 「おれたちはこんなことをされていたのだ」やもりたちは、惨めな庄之介を見て、一斉に笑った。
 「それからあんなこともされた」顔が醜く崩れたやもりが壁の染みを見て、怒ったようにつぶやいた。
 庄之介をくわえているやもりは、仲間たちに肯くと庄之介の皮膚を壁にごしごしと擦りつけ始める。摩擦によって庄之介の髪がごそりと抜け落ちる。皮膚が裂け血が滴り落ち、顔はただれていく。壁の中や地面の底から、叩きつけられ擦り込まれた、やもりたちの嘆きすすり泣く声、庄之介の皮膚が裂ける音や身体中の骨が砕ける音が聞こえてくる。
 「苦しいだろう。辛いだろう。おれたちは生きるために壁の虫をあさっていただけなのに、きさまにこんなことをされたのだ」壁の染みから、やもりたちの嘆いている声が聞こえてくた。
 「苦しいだろう。辛いだろう。罪のないおれたちはこうやっておまえに殺されたのだ」地面の下からやもりたちのすすり泣く声が聞こえてくた。
 「ぼくが悪かった」庄之介は血まみれになりながら、叫んだ。
 「おれたちがどんな思いで死んでいったのかわかったか」やもりたちの恨みの声が響き渡った。
 「許してくれ」庄之介はそう叫んだ。
 巨大やもりが口を開け、庄之介を地面に落とした。巨大やもりを形づくっていたものが、ずるずると崩れ始め、何千匹ものやもりに分かれていった。
 「これからはおれたちの分まで生きるのだ」やもりたちが一斉にそう叫ぶと、地面の上の血まみれの庄之介の皮膚の裂け目に入っていく。庄之介は動くたび、皮膚の中で、やもりがぐしゃり、ぐしゃりとつぶれる音が聞こえてきた。
 その音を聞きながら、庄之介は失神した。

 明くる朝、庄之介が眼をあけると見慣れた蚊帳が天井に掛かっている。悪い夢だった。庄之介がそう思い枕を見ると、ごっそり髪の毛が抜け落ちている。慌てて、鏡を見ると、一匹の巨大なやもりが鏡に映っていた。


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