空の形

福田弘生

トバは谷の底で生まれた。幼い頃のトバは黒い髪と黒い目の小柄な少年だった。

トバが十二歳になった頃、両親ががけ崩れの事故で死んでトバは一人で生活しなければならなくなった。

身分の低い彼の一族は谷を出る事は許されず、トバは首が痛くなるほどに上を見上げて、細長く切り取られた空を見ながら痩せた農地を耕して暮らしていた。

農地で働いていると、時々谷の上空を白い翼を広げた飛翔機が横切るのが見えた。貴族達の乗るその船は谷の縁のさらに上を輝きながら飛んで行った。

トバが十五歳になったある日、白い飛翔機が赤い塊となって谷底に墜落した。

その日の夕方から、物々しい鎧に身を包んだ兵士達が谷底にやって来て昼夜を問わず一帯を探し回り、残骸を回収して行った。 トバの村の族長は手伝いを申し出たが厳しく拒絶され、村人もその墜落地に近寄ることを禁止された。

二十日間の回収作業の後に兵士達は去った。その一週間後、トバは荒れ地にあった獣の巣から一つの箱を見つけた。 兵士達は探索の際に黒焦げになった獣の死骸を無視していたのだ。

トバは精緻な模様と紋章が刻まれた箱を谷の入り口にある監視所に届けた。そしてその日、トバは捕まった。

箱には重大な秘密があったのだろうが、字が読めないトバにそんな事などわかるはずもなかった。

トバは黒い護送に乗せられ、谷から連れ出された。窓の無い車の中からは外の様子は見えなかったが、トバは生まれて初めて谷の外にいるはずだった。

トバの収容所での生活が始まった。塀に囲まれた四角い空の下で働き、時々円形の中庭で丸い空を見上げながら運動をさせられた。

トバは収容所の中でも決められた作業を懸命にこなした。そして元貴族だった男と友人になった。 親子程の年齢の差のある貴族は真面目なトバを信用して可能な限りそばに置いた。

五年が経ち、トバが二十歳になった頃、青くて丸い空が赤く染まり革命が起きた。

開放されたトバは革命派だった友人の貴族の使用人として召し抱えられた。 連れて行かれた貴族の館の扉には、谷底で見つけた箱にあったのと同じ紋章があった。

トバは無限に広がる空の下、貴族の農地で働く事になった。そして静かな夜に初めて月を見た。 地平線に低くかかった月は谷底からも収容所の中庭からも見られないものだったのだ。

トバは不思議そうに夜空に開いた丸くて大きな白い穴を見つめた。そして驚くことにその穴の形が変化する事に気がついた。 美しい正円が次第に欠けてゆき、やがて細い線となって消えてまた何日もかけてゆっくりと元に戻る。次第にトバはその宇宙の穴に魅せられていった。


数年が過ぎ、貴族は家督を息子にゆずり、月にある領地に隠居をすることになった。 トバはあとを継いだ息子の元で地上での仕事を提案されたが、主に従って月への移住を希望した。

清々しく晴れた日、宇宙空港から船は出発した。トバが少年の頃に見上げたあの飛翔機をさらに大型にした宇宙船だ。 船は駆け登るように空に舞い上がって行った。

宇宙船の窓から見た空は薄くて青い膜のように巨大な大地を覆っていた。


空は今彼の足の下にある、そしてやがてトバは形の無い宇宙の中にいた。