名前

小林ひろき

僕たちはみんな似ているから数字で呼ばれている。数字は僕固有の名前として僕とその他の人々を区別してくれるけど、僕は数字が嫌い。だって僕は僕なんだから。数字なんかじゃない。僕の息は荒い。

「30,80,162、聞いているのか!」

僕の耳をうるさくするのは上官の声。僕は上官も嫌い。だって怒鳴るから。僕は静かな人が好き。

「30,80,162。作戦行動は分かっているな」

「小惑星の除去ですよね、はいはい」

「随分と反抗的な態度だ。レポートに書き込んでおこう」

本当に嫌いだ。

僕の乗るスペースクラフトはゆっくりと小惑星帯に近づいていく。小惑星のひとつに狙いを定める。ビリヤードみたいにひとつの小惑星の軌道を変えてやる。成功した。僕は黙々と作業を続ける。

「任務は終わりました」

「了解、帰投せよ」

労いの言葉もない。本当に嫌い、嫌い、大嫌い。

僕は自動運転に切り替えて一息つく。隣で仲も良くないのにゴマすりしてくるやつが通信してくる。僕は音楽を聞いていたいのに。

「お疲れです。30,80,162さん。本当に凄いです。配属されて三ヶ月でありながら最前線での活動、加えて技術力の高さ。見習いたいです」

「ありがと」

本当に嘘ばっかりだ。こいつが他の人間に僕の悪口を言っているのを知ってる。

「これからもついて行きます。それじゃ」

通信がプツンと切れる。別の現場に行ったみたいだ。

僕が待っていた静けさだ。

基地に帰るとスタッフのゼンさんが出迎えてくれた。ゼンさんにも僕と同様に数字名が割り当てられている。なんだっけかな。確か205,92,92。作業班のリーダーで全責任を負っているから、ゼンさんと僕は勝手に呼んでいる。ゼンさんは許してくれている。

「30,80,162。今回は操作性を優先したが、感触はどうだ?」

「ゼンさん、だから僕のことはアイって呼んでって言ったでしょう」

「愛だの、恋だの、そこそこの年齢のおっさんが無闇矢鱈に言えるかっての!」

ゼンさんは頬を赤く染める。そこそこの年齢のおっさんなのに純情だ。そういうところが僕は好き。

「30,80,162。お前、困っていることないか? 良ければ相談に乗るくらいは……」

僕はゼンさんの言葉を遮った。

「だいじょうぶ! 僕はエリートパイロットなので。そこらへんは任せてよ」

急ぎ足で僕は更衣室に向かった。

僕、つまり30,80,162の活躍で現場には僕と同じ遺伝形質を持つパイロット達が作られ、動員されている。仕事として喜ばしいことだったけど、僕の存在って何なんだろうと思うことがある。

僕は僕のクローンと面と向かったとき、真っ先に同じだと思った。僕の存在って何? 僕はうつむく。本当に胸の奥底がざわざわして落ち着かない。鏡に僕が映っている。

「ホント、嫌い」

数字が僕と僕のコピーを区別してくれる。けど無機質な数字が僕だなんて嫌だ。

壁に地球の絵が飾られている。美しい星は僕らには残されていない。

僕の生まれるずっと前、地球は大隕石の衝突で太陽の光を失い、死の星となった。僕の祖先、つまり第一次人類は諦めなかった。宇宙への移住を目指した。宇宙時代の始まりだったのだ。

でも第二次人類はまともな生殖能力を失っていた。彼らは考えたんだ。体外受精や人工子宮を使って次の世代を生み出していった。

僕たち、つまり第三次人類はクローンなんて当たり前だし、デザインされた子どももいる。よっぽどのお金持ちじゃなきゃ、デザインベビーは作れない。だから技術によって僕らは似通った形質を受け継いだ。みんな兄弟って考え方もあるだろうけど、僕は嫌い。だって食事のときでさえ、自分と同じ顔と向かい合うなんてまっぴらごめんだから。

上官は抑えた口調で言った。

「30,80,162。話は分かったな? 作戦行動の中心はお前だ」

僕は少しぼんやりしていた。上官を怒らせてしまったようだ。

「255,215,0。そして255,255,224はサポートに回れ。ブリーフィングは以上だ」

僕のとなりで彼らが挨拶を交わしている。僕もよろしくと言った。

スペースクラフト三機は基地から出発して、目的の場所へと向かう。

僕は部下のふたりをチャーリー、ブラボーと呼ぶことにした。区別がつきやすいだろうと思ったからだ。チャーリーは真面目な性格なようで通信を基本的に切っていた。反対にブラボーはおしゃべり好きだった。僕にいろいろ聞いてくる。一番大変だったミッションは何? とか。

「基本的にミッションの性質は同じだよ」

「そういうものですか、なるほど。隊長は好きな人とかいるんですか?」

僕は吹き出しそうになった。あまりに唐突だったから。

「いないよ、そんな人……」

「隊長ほどのエースパイロットならモテモテでしょう。隊長のこと好きな男の子はいっぱいいると思うけどなぁ」

僕は咳払いをする。

強いて言うならゼンさん。でもゼンさんは憧れの人だしなぁ。

チャーリーが信じられないとでも言ったかのように、口を開いた。

「隊長、あれを見てください」

僕たちの目線の先には残骸が浮いていた。デブリなんてものではない。宇宙戦艦の残骸が目の前に帯状に浮かんでいる。

「ええと、戦闘でもあったのですか?」

と様子を見ながらブラボーが言った。

「そんな報告はないはずだ。生存者を探そう」

「了解」

僕は器用に戦艦と戦艦の残骸のあいだを飛んでいった。生存者は今のところいない。

ふと、エンジンが作動している戦艦を見つけた。僕は唇を少し開いた。

もしかしたら、という小さな希望だった。

僕はスペースクラフトを戦艦につなぎ、なかを捜索した。死体がたくさんあった。どんなに確認しても、生きている人間はいなかった。僕はつい仕方なく、うっすらと笑った。笑いたいなんて思わなかったけど。

艦橋に上がると、やっぱり死体だらけだった。僕はうつむいたまま、下を見つめた。

すると視界の隅で動きがあった。

僕はすぐに近づいた。動きがあったところを揺らす。生きている! 

「うぅ……」

彼は呻いた。

「大丈夫ですか?」

「君は……?」

「近くの基地のものです。偶然に通りかかったもので」

「そうか……」

「救助はまだ来ません。気をしっかり持って」

僕は大きく息を吐き出す。

艦橋のシステムが急に動き出した。

「これよりこの艦は亜空間へ移動します」

僕は目を丸くする。

「ワープする気だ。システムを止めなくちゃ」

でも遅かった。僕のスペースクラフトごと戦艦はワープした。

戦艦はどことも知れない場所に着いた。外は暗黒の海で、星々は心成しか遠くに見える。僕は戦艦のなかに残された薬と包帯を持って彼を手当てした。応急処置でしかないけれど、しばらくは持つだろう。

彼はウィルといった。僕は彼と話した。

ウィルは民間軍事会社の人間で戦艦の補給のためにやってきた民間人だった。

「補給の最中にドーンとね」

彼は小声でささやいた。

「戦争があったんでしょう? でも僕はその戦争を知らないんだ」

「戦争というよりかは利権がらみの小競り合いだよ。ある宇宙の隅で、鉱石でできた星が発見されたんだ」

「鉱石っていうと? ダイアモンドみたいな」

「正解はラピスラズリだよ」

「なにそれ?」

「絵の具の材料とでも思っておけばいい」

「そんな物のために戦争を?」

「ラピスラズリは儲かるからな。あれを半永久的に採掘できるなら大金持ちにだってなれる。あの星は文字通り、金のなる木だったのさ」

僕は彼の話を黙って聞いていた。ラピスラズリは穏やかな青色だという。いつか見た地球の青色に近いのだろうか。

僕とウィルはしばらく会話を続けた。会話を続けることが彼の命を繋いだ。一日がとても長く感じた。

「君の名は?」とウィルが言った。

「僕は数字の名前が与えられているんだ」

「どんな名前」

「30,80,162。気に入らないからアイって読んでほしい」

「ラヴ、最近めっきり聞かなくなった言葉だな。その数字は座標か?」

「分からない。でもみんなは数字で呼ばれるのが慣習なんだ」

僕のスペースクラフトから救難信号は出ている。待つにしたって三日はかかるかもしれない。

スペースクラフトの酸素は持って二日。ギリギリだ。

二日が経過した。


「30,80,162。30,80,162! 聞こえるか」

通信は急に来た。懐かしい上官の声だ。

「天国には行ってないようだな」

「もちろん。悪い冗談を言わないでください」

僕は上官に返事をした。スペースクラフトにウィルを乗せて僕は帰った。帰るとウィルは医務室に運ばれていった。

僕は自室に帰るといつの間にか眠っていた。


次の作戦のブリーフィングが終わると、僕は準備を始めた。ゼンさんの手入れしたピカピカのスペースクラフトはとても頼もしく見えた。

「行くか」

僕は腰を上げるとウィルがいた。僕の声はうわずる。

「どうしたの? こんなところで」

「分かったんだ。名前」

「名前って?」

「君のだ」

「30,80,162はRGBの座標、つまりカラーだったんだよ」

彼は目を輝かせる。

「うーん」

「わからないか、つまりさ、その数字は瑠璃色を意味するんだ」

「ルリ……」

僕の心のなかに瑠璃色が広がった。

「だから君はアイじゃない。今日から君はルリだ」

どうしてだろう、僕の心のなかの縮こまった気持ちが流れていくみたいに消えていく。

胸に温かいものがこみ上げてくる。目から涙が出る。

「うん……うん……」

「大丈夫か」

彼は心配してくれた。

「平気!」

数字で呼ばれるのは嫌い。でも名付けてくれた人が少しでも意味をもってつけてくれたなら。僕は僕のことを好きでいられるかもしれない。

僕はスペースクラフトに乗り込むと、勢いよく飛び出す。

「行ってきます!」