SFの小箱(15)アンドロイド

小林こばやしあお

分割払い、一年、契約更新は来年の今日だ。二人のシロネコナガトの配達員が慎重に部屋に運んできたことを覚えている。電源に繋ぎ、赤いランプが点った日、それから異常に高い電気代に気づいたときには、後の祭りだった。

クーと名乗る家事用アンドロイドが家に来た。

私たちの新しい家族だ。息子はクーをいつも警戒している。私にはよくわからないけれど、彼の眼差しが気に入らないのだろうか。

私は彼の目を見つめる。冷たいアイスブルーの瞳がこちらを見つめ返す。私は微笑むと彼の頬の人工筋肉が緩む。人間にしか見えない。彼に夕食を任せて私はデスクでデータをいじっている。息子はリビングの真ん中でタブレット端末に夢中だ。

しばらくして、こんがりと焼けたチキンの良い香りがしてくる。もう年末だったのかと、気づけば冬の夜を迎えていた。窓の結露を拭き取ると、クーの視線が私に注がれる。

「奥様、お夕食が冷めてしまいます」

「わかった、わかった。あなたって本当に機械みたいに真面目ね」

「奥様、私は機械です」

「あ、そうだった。いつも忘れてしまうわ。クー、なにか歌ってちょうだい」

「選曲は?」

「任せる」

クーの内蔵スピーカーから息子の大好きなアニメソングが流れてきて、プッと吹き出してしまう。腹の底から笑ったのは久しぶりだ。息子が踊り出した。私はクリストフが陽気に腰を振る様子をスマートフォンで動画にする。

エリックから電話がかかってくる。クーの内蔵モニタに繋がると、家族の時間が満ちていく。近くにいるようであなたは地球ではないどこかで過ごしている。


エリックは実業家で、ロケットの開発事業をひとりで始めた。いつも突拍子もない発想でみんなを驚かせたが、事業が軌道に乗ると、その拠点を宇宙に移した。

さいしょは月だった。クリストフが二歳になったばかりの夜に、彼はクーの内蔵モニタで「あいしてる」と言った。

私は彼の夢を知っている。宇宙を、世界を広げるニュースペース構想、それがエリックが作りたい新しいロジスティクスだった。月の資源が枯渇することはいまでは考えられていないことだったけれど、インドやアフリカの国々、中国と言った新興国がつぎつぎとロケットを打ち上げて、宇宙に進出するなかで、だいぶリアリティのある話になったと聞いた。エリックの仕事もより忙しくなるだろう。私たちは離婚も考えたけれど、彼の経済的な力はクリストフが大人になるまでは必要だというのが私たちの落とし所だった。

そうして彼が、クーがやってきた。彼はよく働くので在宅の仕事の納期が迫っているときには頼りになる相棒だった。クーのようなアンドロイドはすでに社会でなくてはならない存在になっていた。人口ピラミッドが、この国の衰退を予測するなかで、働き手の減少や国外流失、あるいは宇宙流失で、労働人口は大幅に減少している。クーはエリックの軌道コングロマリットがアンドロイド事業で好調な菱田インダストリアルを買収した結果、生産されるようになったアンドロイドだ。プロトタイプとして作られたクーをエリックがモニターとして使うために、自宅に送られてきた。いや、押しつけられたのかもしれない。月の石が内蔵されているとかなんとか。機械オンチの私には何一つわからない。

エリックが帰ってきたのは次の年の春だった。クリストフが三歳になる頃、エリックはまたしても宇宙へ旅立ってしまった。今度はどこなのか、聞く暇もなく私たちは離れ離れになってしまった。

クーは私たちの家族になった。エリックがメールで送って寄越すレポートに月々の使用感を添付して送り返すことが日課になった。でも問題はクリストフがクーになついてくれないことなのだ。

クーの内蔵モニタにエリックのビデオメッセージが映るときだけ、クリストフはクーに向けて微笑む。どこまで行っても家族であるのは私とエリックとクリストフ、三人なのだと理解はしているつもりだ。

私たちはいずれ、別々の軌道に向かって飛んでいく。エリックは遠い宇宙へ、私は墓場へ、クリストフはどこへ向かうのだろう。時代の行く末が宇宙なら、彼もまたエリックのそばにいたほうが幸せかもしれない。私はつまらない孤独を感じて、クーの淹れてくれた紅茶に口をつける。

「おいしい……」

クーは電源に繋がれたまま眠っている。私は彼の安らかな寝顔に、つんと指を立てる。僅かに固い人工筋肉の感触が指を押し返す。

私はきっとひとりぼっちなのだ。そう思うと胸に苦い痛みが走った。


エリックの会社の株価が暴落しているというニュースを見たのは、それから三日後だった。胸騒ぎが止まらず、彼の連絡先にかけてみても、繋がらなかった。社長の失踪という根も葉もない噂をあちこちで聞いた。

失踪? どこへ? 

私は情報を集めようとしたけれど、地球という星がもうすでに情報の中心にないことを改めて感じるだけだった。分かったのは彼がうみへび座で消えたことだ。私たちは白銀色の空に押しつぶされていくだけだと思った。この重く、憂鬱な気配に、ただ無力感を抱くだけの哀れな動物だった。

エリックの会社は代表取締役を無くして、混乱している。知り合いの専務のチャンがなんとかやってくれているようだ。クリストフの小さな手を握りしめた。こんなときでも家に帰ればクーは私たちに温かいスープを作って分けてくれた。

私たちは負けるわけにはいかないのだ。強くなければいけないと、そう思った。電源が切れるまで、彼のアイスブルーの瞳はやさしく私たちを受け入れていた。

エリックのビデオメッセージの録画記録の再生回数が千回になっても、エリックからは何もなかった。彼の生死はわからなかったが、すでにどこかで死んでいるというのが大多数の見立てで、経営者もチャンが立てた新しい代表取締役に交代していた。


いつだってエリックは未来を見つめていた。あの横顔が懐かしかった。世界を変える百人に選ばれたときの記事を大切に保管していたのに、いつかのために取って置いたのに、それが今日来てしまったのだと気づいて、悲しくなった。遺影をメールで葬儀社に送った。

私たちはきっと儚い夢を見ていたのだとはっきりと分かった。いずれ三人で海と星空の見える軌道レストランでクリストフとお酒を飲む、そんな夢だ。涙が溢れてくるのに、止まらず、私は泣き崩れた。いま私が、彼を忘れることなんてできない。これからだって。

「強くなくっちゃいけない……」

クーの電源ランプが赤から緑に変わる。彼の口から思いがけない言葉を聞いた。

「やぁ」

なんとも言えない懐かしい声だ。

「ぼんやりしているんだ、いまここはどこだ?」

エリックだ。エリックの声に違いない。でもどうして……? 

私は彼に結婚するときに約束したことをクーに聞いた。クーは正しい答えを言った。紛れもない私の夫だった。

私はクーに、いや、エリックに、いまがいつでここがどこなのかを教えた。エリックの説明ではどこか遠い場所からクーを介して喋っているらしい。

「エリック、いまどこなの?」

「いまは月だよ」

月? なにを言っているんだろう。エリックの声は穏やかだ。月の洞窟で光る石を見つけたと言っている。石が急になつかしい声で喋り出したので答えたのだという。エリックが月にいたのはだいぶ前のことだ。

「エリック、混乱させないで」

「どうして」

私はこんがらがる頭で彼に告げた。

「あなたは今日、死んだの……」

エリックの声が少し高くなる。

「死んだ? こんなにピンピンしてるのに? 僕が……? 冗談はよせって……」

言葉にならない私の様子を察してか、エリックは少し考えてから言った。

「そうだな、僕は死んだのかもしれないが、別の僕が死んだってことだろう……」

エリックはつまらない話を始めた。宇宙にはブラックホールという特異点が存在している。ブラックホールのなかに入った向こうでは、彼が死んでいない世界が存在している。

こういう話を並行宇宙仮説とか多世界解釈とか言うらしい。

「僕がこうして生きているのはそういう理由なんだ」

私はエリックを失っていない幸せな私たちを想像した。彼らはきっとこの夜に彼を待ちわびている。あの日の私たちのように。

「エリック、お願い」

「なんだい?」

「あなたには帰るべき場所があるの、もう夢なんて追うのはやめて。家族を大切にして」

「この世界の僕はひどい男みたいだね」

「ひどいなんてものじゃないわ」

彼はふふっと笑った。私もつられて笑う。

久しぶりの夫婦の時間だった。向こうの世界の彼と話し込んだ。彼は私の知っている彼そのものだ。いつの間にか安らぎを得ていて胸の底が暖かくなっていた。

「すこし待ってくれ、いまローバーの奥から携帯食を持ってくる……」

そう言ってクーの声からエリックの声色がぶつりと消えた。私は夢でも見ていたかのような気がして、我に返った。エリックは死んだのだ。受け止めないといけない。葬儀社から確認用のメールが届いていた。彼の横顔は笑っていた。

クーはアイスブルーの瞳をこちらに向けるだけだった。


私は彼の書斎にいた。彼の匂いがうっすらとして、落ち着いた。クーの電源が再びオンになる通知音が響く。もう充電が終わったのかと思って、リビングに戻る。きょうはどうしてか家事が捗って、クーの補助もいらなかった。私にもまだやれることがあると、心細い気持ちを奮い立たせていた。

「アイリスか」

振り返るとクーのなかにエリックがいた。

涙が溢れた。

「もう会えないかと」

「通信が切れたと思ったんだ。二四時間経過したら、元に戻った。そういう周期なんだろう」

エリックはあの石をいくつか削り出してラボで分析していると言った。そうしてその一欠片を、地球の家族に送ったと話した。

彼を思い出して泣きそうになる。伝えなければいけないことがある。どうしたって運命がある。変えられるなら、むこうの私たちには幸せになってほしい。

「エリック、あなたはこれから事業を次々と拡大して成功を収める。あなたの夢が叶うの。でも、未来のあなたはうみへび座で消息を絶つ。夢の先であなたは挫折する。私だってこんなことは言いたくないわ。でも知ってしまった責任がある。あなたの家族をたいせつにして」

エリックは黙って聞いていた。そうして私のなかの記憶がつぎつぎと塗り替えられていく。早回しのビデオのように。

あの日、家に来たのはクーじゃなかった、エリックの運転する車だった。

冬の夜に、いい匂いのするチキンを焼いてくれたのはエリックだった。

下手くそなアニメソングを、踊る息子といっしょに歌ったのはエリックだった。

温かい紅茶を淹れてくれたのもエリックだった。

そうして私が息絶えるまでそばにいてくれる人も、きっとそう。

私の目の前に月の石を持ったエリックが立っていた。

「ただいま」

返す言葉は決まっている。

「おかえりなさい」(了)