探偵助手は山の中

稲葉小僧

俺、斎場八十一さいじょうやそいちは、とある探偵事務所の助手。

まあ、小さい事務所なんで小間使に近い立場の探偵助手ではあるが。


今日も今日とて探偵事務所を訪ねてきた妙齢の女性の頼みからの一件で、今、俺は鄙びた温泉宿にいる。


何故、俺が、こんな「ド」のつくほどの田舎にある温泉宿にいるのかというと……

それは、こんなわけだ。



「……というわけですの。お願いです、先生! うちの旦那様の眼を覚ましてほしいんです! お金の方は、いくらかかっても宜しいですわ。こう見えても家は代々、華族の家系でして……」


そのときには旦那の浮気調査だと思いこんでいた俺に所長の業務命令が。


「聞いてたな、斎場。この一件、お前に任せたいんだが……やってくれるか? 旅費もターゲットの泊まってる宿の宿泊費についても、全て経費で大丈夫。ただし、連絡は絶やすなよ。んでもってだな……くれぐれも、力の開放は、自重しろ。お前の力、全て開放すれば、この星そのものが危なくなる。それでなくとも、お前の身体は頑丈すぎるんだから、相手がチャカ以上の物を持ち出してこない限り、お前の力を開放するんじゃないぞ……後始末と、正当防衛の証明が厄介なんだよなぁ、お前の関わる事件や案件は」


所長が事件や案件の解決には悩んでないことが如実に理解できる口調で言う。

俺は、


「所長、そんなに心配なら後輩を使ってやって下さいよ。あいつも、この頃、ようやく一人前の仕事ができるようになってきたんですから」


所長、そうじゃないと言外に(言葉は発しないが)顔色を暗くする。

あ、これ、所長の特技が発動したな。


「所長、アレが発動しましたね。厄介ですよねぇ、自分の意思で発動できない能力ってのも」


「そうだよ、斎場。でもって厄介なのは、だな。アレが発動するって事は、お前にしか対処できない事案ってことだ」


そう、所長のアレとは、ランダムに発動してしまう「予知能力」である。

それも、人外の力や存在が関係する場合には必然と言いたくなるほどの高確率で発動し、事案の1シーンが幻視されるとのこと。

今回、相当にヤバいシーンが見えてしまい、それで俺の指名となったわけか。


「それじゃ、前金として、ちょいと奮発しといたんでな。ターゲットの所在と行動を掴んだら、後は半分、休暇として少しくらい遊んでこい。お前は、俺が休めとか遊べとか言わない限り、どこまでも仕事をしちまう悪い癖がある。何か趣味はないのか? 悪い遊びをしろとは言わないが、少しくらい柔かくなれ。そんなんじゃ、この業界は渡っていけないぞ……まあ、お前の場合は、渡るより先に命の危険と隣り合わせだからなぁ……」


「分かってますって、所長。ただし、俺の関わる案件には、命よりも、自分の存在そのものと正気度が問題となるんですがね」


はぁ……と、ながーいため息をついた所長は、


「さあ、行った行った! レポートにまとめた案件の要項があるんで、これを読み込んでおけよ。では、気をつけてな……ただし、アレと関わるときは十分に注意しろよ。今回も、その可能性が高い」


最後の方は、俺に向かって囁くように、所長が言う。

俺は前払いの費用を受け取ると、仕事用の端末と電話を引っ掴んで、ターゲットがいると教えられた、秘境と言っても言いすぎじゃないほどの山奥にある温泉宿へ向かった。


俺以外、全て地元の客だろうというくらいに人が乗っていない電車は、何処までも続くと思われた山道をどんどん登っていき、トンネルも幾つ潜ったか分からないほど過ぎて、ようやく終点。


「北山港ぉー、きたやまみなと、終点です。この電車は、ここまでです。**方面へは、ここから5kmほど離れました、私鉄電車の南山港みなみやまみなとから電車が出ております。南山港へのバスは、この駅前から出ておりますので、それをご利用下さい。終点、北山港です」


さすがに半日近く電車のボロボロのシートに座って尻が痛くなってきていたので、ようやく到着した終点で降りる。

おい、本当に、ここは現代の日本だよな? 

と言いたくなるぐらい駅前には古いクルマやバスが停まっている。


あっちには製造年より半世紀以上は経っているだろうと思われるボンネットバス。

こっちには明らかに軽自動車でも360cc時代のものだろうオート三輪や、何処の外国から持ってきたのかケバケバしい塗装を施したトゥクトゥク? のような車も見える。

駅から出ると、プップー、とクラクションを鳴らされる。

何だろうかと音のした方を見ると、目的の温泉宿の名前が書かれた、えらくクラシックな黒いセダンに乗った渋い白髪の男性が俺に手を振っている。

迎えがあるとは聞いていたが、ここまで凝っているとは思わなかった。


「お待たせしました? 一人客なのに何か悪いですね」


俺は、お迎え車の運転手に向かって詫びの言葉を。


「いいえ、このくらいしてこその、お客様ですよ。それでなくとも、うちの温泉は、昔から秘湯とか隠れ里の湯とか言われてきましたので、車がないと無理なんですよ」


うわぁ・・・

言いたかないがターゲットの旦那さん、マニアックにも程があるぜ、おい! 


結局、駅から温泉宿まで、山道(舗装してない道が、ほとんど)を1時間以上、車で走った。

これは秘湯とか隠れ里とか言われても納得するわな。

冬場はどうするんだと聞いたら、奇跡的に、このへんは雪が積もらないんだと言われた。

緯度的にも高度としても、雪が降らないはずはなし。

豪雪地帯と言われても当然と言うほどの山奥なのに、なんで雪が積もらないんだ? 

温泉の地熱のせいかも知れませんと運転手は言ってたが、そこまで地面が熱いような風にも見えないんだが。


ようやく着いた、というのが正直な感想。

本当に国内だよな? 

と思うくらいの時間がかかった。

俺は、さっそく宿帳へ記入し、とりあえず一月分の宿代を支払う。

料金を聞いてビックリ! 

普通に高級な町のビジネスホテルに3ヶ月は余裕で宿泊できる料金だ。

こんな、言ってみれば山奥の一軒家のような温泉宿に、何故、こんな高い金額設定が? 

と思ってたら、夕食が運ばれてきて、料金の高さにも納得した。


いや、凄かった。

松茸の焼き、松茸茶碗蒸し、松茸ご飯、果ては松茸入山菜炒めもの。

次に運ばれてきたのは、鰻のフルコースに近いもの。

最後に、幻と呼ばれる茸をふんだんに使った大皿の茸料理・・・


これは、原価だけ考えても、あの宿泊料金じゃギリギリだろう。

別の意味で、この温泉宿が心配になってくる。


温泉は、さすが秘湯と呼ばれるだけあるなと。

湯の質も量も、かけ流しである風情も、おまけに、檜の湯船。

贅沢極まりない一日を過ごせる宿ではあると思う。


次の日、これまた豪勢な朝食で腹を満たすと、俺はフロントに。


「今現在、どれくらいの人が泊まってる?」


俺も、よほどの秘湯マニアという触れ込みで予約したんで、これは聞き慣れているのか、


「はい、今は5人ほどですね、お客様含めて。昔なら、お泊りの方々にお集まりいただきまして、一緒に食卓や囲炉裏を囲むようなスタイルが普通だったんでしょうが、これも時代の流れでしょうかねぇ……広い食堂に集まる方も減り、個々にお食事を摂られる方ばかりになり、こちらもその都度、お部屋へ食事を運ぶシステムになってしまいまして……」


そうか、それで朝食なのに、部屋へ運んできたのか。

ターゲットの顔が見えなかったのは、入浴以外、外へ出ないからか? 


「それじゃ、**さんって、ここに長く泊まってるお客さんがいるだろ? 俺、知り合いなんだが、奥さんに、いつになったら帰ってくるのか、ついでだから聞いてこいって頼まれちゃってさ。いつまでここにいるって話、聞いてる?」


フロントにいた仲居さんは、


「さぁ……もう二ヶ月ばかりお泊りですが……あ、ご同行の女性は奥様じゃ……ここだけの話、不倫旅行でしょうね。二周り近い年の離れた美人と、お泊りなんですよ」


最後の方は、声をひそめて、俺の耳に囁くように言ってきた。

ははぁ……

所長の予知能力も今回ばかりは外れか? 

ただの不倫旅行だったか。


「でね、おかしなことがあるんですよ、最近。お昼やご夕食をお持ちしても、要らないと断られることが多くてねぇ……外出してるような様子もないんで、ちゃんと食事してるんでしょうか?」


え? 


「ちょいと心配ですね。よければ、様子見てきましょうか? 奥さんから言い使ってきたんで、無事なことだけでも確認しなきゃね」


「お願いできますかぁ? スタッフや仲居じゃ、あまりお部屋に入れないんですよ。朝のお布団整理の時には入らせてもらえるんですけどね……それでね、これが、お年のはずなのに頑張っておられるのかしらねぇ……お布団が乱れに乱れてて……」


「了解です。三度の食事くらいするように、言ってきますよ」


お願いしますねぇ! 

などと仲居の声を背中に聞きながら、俺は、この時点で完全に浮気の不倫旅行だと思っていた。


お、ここだな、宵闇の間ってのは。

ちなみにだが、この宿、部屋の名付けが独特だ。

新月の間、十六夜の間、白夜の間、果ては俺の泊まってる部屋の名前が「永劫の間」

先代は、さぞかし面白い趣味人だったのかも知れない。


部屋の前に立ち、ドアをノッカーでノックする(和室なんだが、ノブの付いたドア、それも、重厚な作りをしてるという、まことに奇妙な和洋折衷)


「はーい」


中にいる女性? の声。

待ち給え、とか、待ってるのよ、とか言い争う声が聞こえたが、ドアを開けて出てきたのは渋い老齢の男性。


「ん? 君は誰だ? 宿のものでもなさそうだな。用がなければ、こっちは放っておいてくれたまえ」


「そうも行きません。実は、奥様から頼まれてまして……」


ターゲット自身が出てきてくれたのは有り難い。

とりあえず、無事を確認してから、俺は依頼者である奥さんから、無事であることと、いつ頃帰るのか聞いてきてくれと頼まれたのだと言う。

まあ、奥さんは離婚前提なんだが、そんな事は眼の前の爺さんには言えない。


「そうか……立ち話も何だ、入り給え。部屋は散らかっているが」


散らかっているとは言え、ある程度は片付けられていた。

まあ、乱れた床は見せられないからな。


俺は、奥様から頼まれたと、ある程度の着替えを渡す(本当に、奥さんから頼まれていた。取材旅行へ行くと言って、もう二ヶ月以上も、この宿にいるんだから、着替えが必要だろうと奥さんの配慮だ)

いつまで宿にいるのかという答えは、


「儂の取材している民話の件が片付いたら、すぐにでも帰るつもりだ。もしかしたら、民俗学や民間伝承の新発見があるかもしれん」


写真で見せてもらった好々爺のような表情とは、まるで違う、ギラギラした眼をしている。

とても老人とは思えないエネルギッシュな表情に、俺も押されてしまう。


「で? 取材は、どこまでいったんです? 新発見の糸口くらい掴めました?」


「それがだね……こちらの姫川くんが、面白い昔話を覚えていてね……いや、これ以上は取材情報の秘密だよ。帰ってくれ。妻には、もう少しかかると言っておいてくれないか」


これ以上は聞けるような雰囲気ではない。

しかし、気になる情報があったな。

土地の民話、伝承? 

昔話? 

これは、こちらでも探らねば。


俺は、フロントへ戻ると、本人と女性は元気だと伝える。

ついでに、


「こちらに独特の伝承とか民話、昔話なんてのがあるそうで。俺も、そういう話に目がないんだ。詳しい人、知らない?」


仲居は、ちょいと考え込むと、さらさらとメモに電話番号と名前を書いたものを渡してきた。


「土地の歴史研究家だと聞いてますよ。あいにくと私は、他の土地から流れてきた者ですので」


この宿、若女将も外から嫁いできた女性なんだそうで。

生まれたときから住んでいるのは、今の女将と先代女将だけなんだそうだ。

女将の旦那さんは婿さんだそうで、外の人をもらったとのこと。

ちなみに若女将の旦那さんも養子で、赤ん坊の頃に養子縁組してるんで、この土地に根付いてる人じゃないと。


「ここ、陸の孤島みたいな山奥でしょ。麓の村には少数だけど、今でも昔から暮らしてる人たちがいるのよ。ただし、外から嫁や婿を入れたりするのは、この100年ばかり前かららしいわ。それより以前は、血族結婚を繰り返してたらしいのよ。まあ、時たま迷い込んでくる旅人なんかも、一夜の婿や嫁としてた、なんて話も聞いたことあるけどね」


ここで、声をひそめて仲居が言うには、


「あのね、言いにくいんだけど、血族結婚で生まれた子供の中には、結構な数の奇形がいたらしいわ。昔は、それを閉じ込める座敷牢もあったらしいわよ」


まあ、昔の話だ。


「この温泉宿は? 古びてはいるようだけど、建築そのものは新しいよね?」


建物そのものは、どこかの古い民家を移築して、この地に建てたものらしい。

移築にも金銭的、人員、運送や、その他の問題が山積みだったらしいが、麓の村長家が大金を出して解決したとのこと。

温泉そのものは遥か昔から利用されていたらしいが、記録に残っているのは戦国時代より少し前から。

落ち武者の集団が麓に村を作り、その村人が狩りの途中で天然温泉を発見したようだ。


「すごいね。そうすると、この村も温泉も、随分と昔からあったってことじゃないか」


「政府の人たちが研究班を連れてきて、この村を発掘調査したいって申し入れて来たこともあったんだけどね。村長が頑として断ったんだって。何か、掘り返されたらマズイ物があるんじゃないかって噂が、そのときにはあったわね」


ふーん……

まあ、古い村だからな。

他の地域でも飢饉の時とか、とてもじゃないが人目に触れさせたくない酷い風習もあったと聞くし。

この村でも、そんな過去があったんだろう。


次の日から、俺も麓の村へ調査に出る。

ターゲットの言ってた、民話や伝承に興味が出たからだが、初日は成果なし。

まあ、服装すら違う何者かが、勝手に村のことを嗅ぎ回ってるのは誰でも怪しむよな。

俺は、我慢して一数間、土地の古老の家に通い続けることにした(仲居にもらったメモに記載されていたのは、この村の古老の娘の電話番号だった。娘は都会の大学で学んだこともあって、余所者にも穏便に対処してくれる。それもあって、俺は村一番の古老である、この家のお婆さんに話を聞くことができた)


「まんず、こんなババぁに聞きてぇことがあるなんてなぁ。なんでも、古ぃ言い伝えが聞きてぇとのことで」


「そうなんです。この村に伝わる言い伝えや伝説、民話に興味がありましてね。山の上にある温泉旅館に泊まってる者なんですが、仲居さんにお聞きして、この家を紹介してもらったわけでして」


「ふーん、そうなんけぇ。ちょっと前に、どっかの大学の先生とか言う人が、おらに伝説や民話が聞きてぇと来たんだがょ。あんまりに態度が横柄なんで、そいつは追い出してやった。あんたは行儀が良いね、ちゃんと物事を分かっとる。んじゃ、儂の知っとる限りの昔話と言い伝えを話してやろうかねぇ……」


町で買ってきたケーキセットが、殊の外、お気に入りだったらしいお婆ちゃんは、知る限りの伝承、言い伝え、民話を話してくれた。

一応、ボイスレコーダーに録音したが、こいつは民話を研究するものにとっては一財産にもなり得るものだった。


宿へ戻った俺は、使い慣れた超高速無線回線ではなく、普通の中速回線であることに不満はあるものの、不通区間じゃないことに感謝しつつ、所長あてに報告書を送る。

近況を書いたメールに報告書のファイルを添付しただけなんで、そうそう重くない小さなファイル。

転送も数十秒で終わった(超高速回線なら、一秒もかからんはずなんだが、無い物ねだりしても仕方がない)


その夜、所長から仕事ケータイに電話が入る。


「斎場、大丈夫か? 報告書は受け取った。クライアントからは、浮気くらいなら離婚の条件に丁度良いと言われたよ。しかしな、問題は、他のことだ」


「所長、その事なんですが。今回、ちょいと荒事に巻き込まれそうな気がするんですよね。まあ、できるだけ回避して話し合いでケリつけようとは思ってますが」


「力づくは、他に手段がない場合のみだぞ。そんな陸の孤島には、弁護士の先生も行きたがらないだろうから」


「へいへい、分かってます。2つの勢力の片方とは何とか話し合いで済ませられそうなんですど」


「まあ、お前の力なら、二勢力を前にしても怯むことは無いだろうがな。やらずに済むなら、それに越したことはない」


電話が切れる。

繋がるとは言うものの、バリ3とかの通話圏じゃない。

ギリギリ1本立つかどうかって通話圏なんで、電話をあっちこっち移動させながら一番良い場所を探しながら話したりデータを送ったりしている。

まあ、通話できるだけで感謝ではある。

ちなみに、麓まで降りると通話は不可能。

山の上にある宿なんで、何とか電波が届くわけだ。

近くに中継基地局なんて、あるわけがない。

電車やバスも、必要経費を考えたら、いつ終了になって閉鎖されてもおかしくない、

この村や温泉宿に観光客が定期的に来るんで(それも、ほとんどリピーターばかり。俺やターゲットの老人など不定期客なんてのは、ほとんど来ないと仲居も言ってた)その金と知名度目当てに、今でも電車やバスを動かしているに過ぎない。

まあ、赤字補填は村や県、そして温泉宿で行っているとの事だったが。


莫大な赤字になるはずなのに、なぜ廃止や中止にならないのかと聞くと仲居は、


「ほら、歴史的に重要な村らしいんで、廃村にするわけにゃいかないんですって。政府の上の方からのお達しで、江戸や明治の頃からも、ここには馬車や荷車の定期便があったんだって」


すごいな、そんな昔から重要な村だったんだな。


「ところでね、仲居さん。この辺の近くに、蛇神様を祀った祠があるって聞いたんだけど?」


へぇ、と驚いた顔をして仲居は、


「うちで置いてる観光パンフレットにも載ってない小さな神社なのに、よく知ってるね。確かに、山の毒蛇から守ってくれる霊験あらたかな蛇神様を祀った神社は、裏手の階段を登りきったところにある小さな公園の奥にあるわよ。けど、あそこは年に一度の蛇神様祭り以外、地元の人も寄り付かない場所なのよねぇ」


「へー、そんなに大切にされてる神社なら、ぜひとも行ってみなきゃ。で? そこはカメラ禁止とか、あるのかな?」


「んー……条例とかあるわけないようだけど、マナーとして大きな音やフラッシュなんか焚かないようにとは言われてるわ。蛇神様の眠りを乱すなってことらしいんだけど」


そうか……


「それじゃ、今から行ってみる。夕食までには戻れると思うんで、よろしく」


仲居に言ってはみたが……

裏手の階段ってのが、尋常じゃなかった。

少し上がれば、などと思ってた自分を叱ってやりたい。

結局、300段の石段を上がり、山の頂上部へ。

随分、暗くはなっていたが、まだ陽は沈みきっていない。

俺は、小走りで小さな神社の奥にある、蛇神様の祠へ急ぐ。


到着。

祠そのものは石造りで、相当に古いものだと、素人の俺にも分かる。

これは、それこそ神代に造られたと言っても納得しそうだ。

神社のほうが後から建てられたようで、明らかに様式が違う。

祠の中はと、暗がりになってきた奥を覗くと……

頭の後ろを殴られたような衝撃を感じ、俺は、その場に崩れ落ちた。


ーーーーーーーーー神々の守護を受けし者よ、目を覚ませーーーーーーーーーーー


何者か、頭の中に響くような声を受け、俺は目を覚ます。

辺りは、すっかり日が落ちて真っ暗になっている。


俺に呼びかけたものは……

と見渡せば、明らかに俺に近づく、得体の知れないものの気配を感じる。

俺の生存本能が動き出す。

一気に起き上がると、理性の許す限りのリミッター解除を行う。

今の俺は、たぶん、ゴリラと同じくらいの膂力と握力、脚力がある。

10分後には、一般人の3割も力がない状態になるだろうが。


「誰だ? いや、何者、何物? 人じゃないな、この気配」


ーーーーーーーーーさすがに分かるか、吾の存在が。さすがに神々の加護を受けし者ーーーーーーーー


今ので分かった。

こいつ、喋れない。

と言うより、声帯が人間と違いすぎて、人間の言葉を話せない。

こいつは、精神感応、テレパシーの一種だ。

俺の言葉も、精神を読んで理解しているな。


「ああ、明らかに人間じゃないな、この気配。もしかして、太古にいたという蛇人間か?」


ーーーーーーーーほう、意外だな。この時代に、吾を知るものがありうるなどとは思いもしなかったーーーーーー


「俺の知識は、アメリカ仕込み……というか、昔のパルプ小説仕込みでね。ハワードのキング・カルシリーズで知ってるのみ。まさか、本物がいるとは思わなかった」


ーーーーーーーー太古の昔、地球が氷河期に入ったころ、我々は滅亡しかけていた……やっとのことでたどり着いた、この弓状列島にある天然温泉で、僅かな生き残りが命をつないだのだーーーーーー


「あんたらも、温泉で助かった口か。よくもまあ、人間なんて猿の進化系と仲良くできたもんだな」


ーーーーーーーー種族の中で少数の者たちは人類との共存を拒否し、この里を出ていった。ただでさえ少なくなっていた我々は、もう種族を維持するのに、同じ蛇種族などと言っていられなくなったのだーーーーーーー


「そうか……それで、この里の村の者たちの顔が独特なのが理解できた。同族結婚じゃなくて、先祖返りの顔だったわけだ」


ーーーーーーーーそう、今では半数以上が、人類との混血種だ。まあ、仕方がない。滅びかけた我々が、ここまで生きながらえたのは、**神のおかげだろうーーーーー


神の名前だろうが、異質な思考ゆえか、名前が判読不能。

まあ、思考のベースすら違う種族が意思疎通しようと思うなら、このくらいは我慢だ、我慢。


「それで、蛇人間の村なのは分かった。俺も、平和な村を荒らそうとは思わない。しかし、この村に、異質なものが入り込んでいるのは間違いない」


ーーーーーー承知している。お前とは別の神々の加護と祝福を受けている者だ。しかし、現在は自分が、神々の手先となっていることを知らぬようだがーーーーー


やはりな。


「それでだな。この決着、俺に任せてくれないか? お前たち蛇人間が、今、表に出るのは非常にマズイことになるのは分かっているんだろ?」


ーーーーーー分かっている。しかし、この里と山を守るためには……ーーーーーー


「だから、そこは俺に任せろ。俺は特殊案件専門の探偵事務所で働く、探偵助手だ。荒事は専門でね。まあ、悪いようにはしないさ」


ーーーーーー誠に済まないとは思う。種族を代表して、最大の感謝を! ーーーーーー


「良いって、そんなことは。せっかく助かった命だ。混血だろうが、蛇人間の遺伝子が後世に続いていくのなら、ご先祖も納得するだろう」


ーーーーーーでは、感謝の印として、そなたに**神の加護を。危機に遭った時、そなたを守ってくれるだろうーーーーー


はっと気がつくと、俺はどっぷりと暮れた闇の中、祠の前に倒れていた。

未だに衝撃が残り、クラクラする意識を繋ぎ止めて、何とか階段を降りようとすると、数段降りたところで、下から大人数が登ってくるのが見える。

俺は、その場に留まり、皆が登ってくるのを待つ。


「斎場様、ご無事でしたか! 仲居が、何時まで経っても斎場様がお戻りにならないとのことで、人数集めて捜索隊を組織しました」


「ありがとうございます。ご迷惑かけました。祠の調査に夢中になりすぎて、暗くなるのも意識に入らず……戻る途中で転びましてね、頭を打ったようで、クラクラするんですよ」


数人の肩を貸してもらいながら、俺は階段を降りて宿へ戻る。

夕食も、軽いものに変更してもらい、簡単に済ませると、傷や病に効くという温泉にたっぷり浸かり、そのまま寝る。


目覚めは気持ちよかった。

所長へ報告書を送り、簡単に指示を受けると、俺は目的を果たすために、例の宵闇の間へ向かう。


コンコンと、ドアノッカーを鳴らすと、隈を作った、それでもギラギラした眼光をした老教授が出る。


「おや、君か。残念だが、この取材は延びることが確定でね。君は帰って、妻に儂はまだ戻らんと報告してくれたまえ」


できれば俺も、そうしたいんですがね。


「そりゃ残念。でも、今の俺の目的は、そっちの姫神さんのほうでして。姫神さん、いや、クトゥルーの眷属さんという方が正しいかな。他のお客や宿の従業員に迷惑かけたくないんで、外へ出ませんか?」


以前に見たときとは違う、蠱惑的な中にも悍ましいものを含んだ視線を俺に向けた後、姫神と名乗る女は、俺と一緒に宿の外へ。


宿から相当に離れたところで、俺は姫神と名乗る女に話しかける。

ちなみに、老教授は、姫神のマジな視線を覗き込んだ途端、腰が抜けたのか、部屋から出なかった。


「あんた、こんな山奥まで何しに来た? クトゥルーの眷属なら、海だろうが。ここにゃ、蛇神様と蛇人間しかいねえぞ」


女が声を出す。


「やっぱり、あいつと眷属がいるのね。主神様が邪魔と仰るんで、あの邪魔な**神と、力はもたなくなったけど邪魔をしてくる蛇人間たちを根絶やしに来たのよ。計画は順調に進んでいたのに、もうすぐ実行って時に、あんたのような邪魔者が現れるとは、あたしもツイてないわね。見たところ、**神の守護を受けてる様子もないけど、何の好奇心? そんな事やってると、長生きできないわよ。そして、ね。正気も保てないわよ……」


「ふん、正体見たり、だな。おそらくと思ってたら、やはりクトゥーニアンの一派だったか。それじゃ、蛇神イグとは同族嫌悪ってやつかな?」


「その名を口にするな、汚らわしい! 太古には、我が主神、クトゥルー様の配下であったくせに、地下へ潜った途端、裏切りおって! 奴らは氷河期で滅び去ったと思っておったが、いまだに生き残りがいたとはな」


「邪神、いや違った、古き神々たちは基本的に不死だからね。変温動物であった蛇人間が生き残っていても不思議はないと思うけど?」


「お前、色々知っているようだが、よく正気が保てておるな。普通は、そこまで知る前に狂うんだが」


「あんた方こそ、現生人類、舐め過ぎだ。このくらい、今の人類なら受け止められる。正気かどうかと言うと、俺にも疑問はあるんだが」


「四の五の言う前に、この世とおさらばする用意はしてきたかい? 行くよ!」


さすがにクトゥーニアン。

正体を表すと、その烏賊とも蛸とも似つかぬ身体と触手で俺に襲いかかる! 


「な、なんだと?! なんで、何の加護もない人間ごときが、吾の触手を受け止められる?! そして、ぬめりを無視して掴んでおるじゃと? あり得ぬ、あり得ぬぞぉ!」


俺も余裕があるわけじゃないがね。


「はっ、さすがにショックが大きいか。まだまだ、これからなんだよ、バトルってのは、な!」


俺は、掴んだ宿主を引っ張る。

クトゥーニアンは、別に怪力の眷属ではない。

奇襲を得意とするため、それが防がれると、後は触手や体表のぬめりを利用する防御が本命となる。

しかし、今の俺は、手のひらに浮かんだ鱗により、ぬめりを無視して触手を掴むことが可能になっている。

これが蛇神イグの加護だな。


俺は、人間の身体のリミッターを外す。

ある言葉を口にするだけで段階的にリミッターを外せるんだが、今は緊急事態。

最高のリミッター解除の文句を口にして、俺は一分間だけスーパーマンと化す。


「こうなると悲しいね、邪神の眷属さん。次は人間に生まれなよ!」


そう言うと、俺はブチブチと触手を引きちぎり、悲鳴を上げるクトゥーニアンの身体も2つに引き裂く。


終わった。

急激な怪力の代償で、歩くのすら辛い俺は、無理やり自分の部屋までたどり着き、そのまま布団へ。

まる一日、湯にも浸からず、食事も摂らず、俺は眠っていたらしい。

翌翌朝、異様に飢えていた俺は、自分の部屋での朝食ではなく、食堂で腹いっぱいの飯をかきこむ。

大きな炊飯ジャーが空になったと言うから、俺もフードファイターの素質はあるようだ。


それから一眠り、そして昼飯前に湯に入り、夕飯前に湯に入り、俺は目一杯、温泉と食事を楽しむ。

夕食が終わると、俺は最終報告書を書き上げ、所長に送る。


「そろそろ戻ってこい」


所長の一言で、俺はまた半日かけて街へ戻っていくのだった……