この国の空を飛ぶことは
糸井翼
空飛ぶ魔法のじゅうたんを手に入れた。仕事でとある海外の有名な考古学者と会う機会があって意気投合し、売ってもらったのだ。実際に自分でも信じられないが、有名な考古学者だし、詐欺ではないだろう。結構高く払ったのだ。まあ、仮に空を飛ばなくとも、このじゅうたんの、異国情緒たっぷりの見事な絵柄はお金を払う価値があると思っていた。
とはいえ、本当に飛ばないのか、試してみたくなるのが人間というもの。まずは、家で広げてみて、真ん中に座ってきた。…何も起きない。
あの考古学者が言っていた。「これは魔法のじゅうたん。人の意思と反応します。強く念じることが大事ですよ」
強く念じる。空を飛ぶ。じゅうたんに乗って飛ぶ。昔見たアラビアンナイトの絵本のように。そこに乗る自分…
浮いた。部屋の中だから変な感じだが、浮いている。
前へ。後ろへ。上へ。右へ。左へ。降りろ。できる。コツをつかめば意外と簡単だ。
そうなったら、もう外に行きたくなる。行かないという選択肢はないだろう。
試すのは人が少ない夜遅く。昼間にじゅうたんで空を飛んだら注目されてパニックになりかねない。夜遅くなら目立たないし、誰かが気付いて騒いでも、普通の人なら信じないと思う。
部屋の中からそっと浮かび、庭から外に出る。高く、空へ!
今日は静かな満月の空。下は怖いので見ないようにする。意識を夜空だけに向ける。満月、星、夜空。冷たい風が心地よく感じる。ごちゃごちゃした地上を忘れて、この静かな美しい世界には今、自分一人しかいない。邪魔する者はいない。すべてのしがらみから解放されたのだ。そして、心が解放されて、その気持ちが魔法のじゅうたんにも伝わり反応する。スピードが上がる。もう、何も怖くなかった。
毎日毎日、この現実から離れる時間を過ごした。若干寝不足気味になったが、やめられない。この気持ち、この解放感は実際にやった人しかわからないだろう。
夜遅くとはいえ、毎晩のようにじゅうたんが空を飛んだら、さすがに気がつく人もいるようで、SNSで検索すると、目撃情報がぽつぽつヒットするようになった。まだオカルト話の延長くらいの反応しかないが、人の目が少し不安だ。だが、不安になれば、余計に空へ行きたくなる。
そしてある日。家のチャイムが鳴った。
「警察です」手帳を出した。
なぜ警察が来たのか。じゅうたんのことがばれたのか。お騒がせしたことをとがめに来たということか。だが待て、何の罪だというのか。
「私は国土交通省の専門官です」
隣の男が身分証明書を見せる。国土交通省?
「いきなりなんですか」何も思い当たるものはないという顔をする。
「あなた、じゅうたんで空を飛んでいるでしょう」
やはり、その件か。ならばとりあえず。
「じゅうたん? そんなので空が飛べるはずないでしょ? 警察やお役人がそんなこと信じてるんですか」しらを切る。
男たちは顔を見合わせ、大きなため息をついた。
「もうわかっていますから。写真もあるよ」
言い逃れはできそうにない。
「これ、なんかだめなの」
「航空法」
「こーくーほう?」何それ。
「空飛ぶじゅうたんは航空法が適用されます。通常の人を乗せる航空機と同じく、操縦や所持には免許等が必要でして…」国土交通省の男が説明を始めた。
「飛行機と同じって言いたいのか」
「はい。プライベートジェットをイメージしていただければ」
「そういうことだ」
「空飛ぶじゅうたんや魔女のほうきは国の検討会でも度々議題に挙がっては進展がありませんからね」
ふざけている。じゅうたんがプライベートジェット? 検討会?
「おかしいだろう、これは魔法の空飛ぶじゅうたんだぞ? 魔法を使うのがこの国では犯罪だって言うのか」
そこまで叫んで、警察の男が私を取り押さえた。
「何を言っているんだ。魔法だろうが何だろうが、法律の下にあるんだよ。この国は法治国家だ」
(終わり)