ノーモア、タイムマシン

糸井翼

 ノーモア、タイムマシン。タイムマシンピースパークにはその言葉が掲げられている。大きな事故のあった現場は記念公園として親しまれている。

夜、そのパークで事故の残骸を深刻そうに見つめる一人の男がいた。思わず声をかけると、酔っているのか、昔の事故と関係する奇妙な話を語り始めた。



この国初のタイムマシン実験は華々しい一日となるはずだった。だが、大惨事となる。

タイムマシンが時空間に穴を開けて旅立とうというその瞬間、その穴からの時空の波が周囲に溢れ、その空間は耐えられなかった。

実験に立ち会った数百人の人はひとり残らず死に絶えた。そして、旅立ったはずのタイムマシンは、時空の波の影響をまともに喰らったせいか、ボロボロの状態で発見された。

タイムマシンを操作していた博士は、もはや特定することすらできないほど損傷した遺体で見つかった。唯一確認できたことは、その遺体が博士の年齢では考えられない、年老いた人の特徴が見られたこと。これは時空の波の影響とされた。そしてもう一つ。博士の高級なダイヤモンドコーティングの腕時計は辛うじて原型らしきものをとどめていた。


博士の息子も時空間の研究者だった。その実験には別の学会で参加できなかった。結果として、それで生き延びた。

恐ろしいほどの批判。中傷。この事故が兵器開発に繋がるという噂もあった。あるいはこれ自体、博士が意図的に起こしたテロだとも。しかし彼はそれを受け入れるしかなかった。父親がこんな大惨事を招いたのだ。逃げることなどできないと覚悟していた。

その責任を負う形で、事故調査チームに入った。彼の知見は実際有意義だった。時空間からの強烈な波がどうして生じたか、そのメカニズムは専門外では理解不能なのだから。そんな調査で、彼は警察と調査チームしか見られないタイムマシンの膨大なデータに触れることができた。

彼は調査資料を繰り返し読み、あるとき突然思い立った。このような事故を二度と起こさない。それが事故調査チームの使命だった。だが、彼は別の答えを見つけた。完璧なタイムマシンを作る。博士が遺したこれだけの資料。膨大な事故調査資料。それらを組み合わせれば、事故が起きないタイムマシンができるはずだと気付いた。過去に戻って、事故を阻止すれば良いのだ。

周囲には言わなかった。いや、言えなかった。失敗すれば父が犯した罪と同じことになるかもしれない。世の中的にも、タイムマシンを作ってはいけないという流れなのに。

だが、彼が失った多くのものを取り戻すにはそれしかなかった。

誰にも邪魔されないところ。父が使っていた秘密の研究所があった。山奥の研究所には、もちろん事故調査チームや警察は何度も入ったが、その後は不気味がられて人も寄りつかないところになっていた。

年月は流れ、タイムマシンは人知れず、再び完成した。すっかり彼は実験を行った当時の父の年齢を超えて、年老いた姿になっていた。だが、抱えている思い変わらない。あの事故を阻止すべく、彼はタイムマシンを起動した。



「…それから?」

タイムマシンを眺めたまま、男は応える。

「彼のタイムマシンは事故当時の時空のゆがみ、波に巻き込まれて、事故現場に投げ出されたんだよ」

「ちょっと待って、そうすると、あの事故で死んだのは当時の博士だろ」

「違う」

「なんでわかる?」

その問いに対して、こちらを見て、悲しそうな顔を見せた。腕を出した。古びているが、高級そうな腕時計。

「ダイヤモンドコーティングだから、壊れにくい」

「その時計…」死んだ博士が付けていたものと同じなのか。

「これは特注品なんだ。私と、息子しか持っていない」



博士を乗せたタイムマシンは、時空間の中を飛んでいた。実験の会場で大惨事となっていることなど夢にも思っていないままだ。

しかし、初の時空間での操作は困難だった。右も左も、上も下も、何も目印のない時空間でどこをどう目指せば良いのか。さらに、時空間の圧力でタイムマシンはぎしぎしと変な音を立てている。早くどこかに着地したかった。

そんな中、わずかに時空のゆがみを検知した。一気に進み、そこに入り込む。だが、あるところで動かなくなった。タイムマシンがそのゆがみにはまってしまったらしい。時空の狭間で、タイムマシンは壊れてしまいそうだ。

操縦席からなら出ることができた。博士が脱出してすぐ、タイムマシンは大きな音を立て、そのまま消し飛んだ。

静寂。

ふと我に返ると、自分のいる場所に見覚えのあることに気付いた。機械の多くが変わっているが、これは自分の研究所ではないか。最近まで使っていた形跡がある。息子に違いない。時空のゆがみがあったのも、息子の実験のせいか。助けられたのかもしれないと思った。

何日経っても、息子は帰ってこなかった。空腹と未来への好奇心で、研究所の中のものを探り始めた。しかし、そこで博士は気付いてしまった。あの実験で自分のしでかしたこと。そして息子のこれまでの実験ノートと手記を見つけた。全てわかった。



何も言えない。つまり、タイムマシンに乗っていた博士は生き残り、事故現場ではあれだけの惨事となった。死んだと思われていたのは、事故を阻止するために来た博士の息子。

そして、この男は…。

「なんでそんな話を俺にしたんだ…?」

「この話はまだ終わっていないよ。私はタイムマシンをもう一度作ることに成功した。この残骸を秘かに研究してね、ほぼ同じものを作ったんだよ」

「それでどうするんだよ」

「私はあの実験で死んだことになっているんだ。つまり、あの場に戻らないといけないだろう?」

この男が言っている意味がわからない。だって、死んだのは息子の方ではないのか。

「私が行かなければ、本当に息子が死んだことになるんだろう。特注品の時計は、世界に二つしかないんだから。私のせいで苦しみ、そんな形で死ぬなんて…私のしでかしたことはもうどうにもならないんだろうが、せめて息子は、助けたいんだ。悪いんだが、」

「俺にどうしろと」

「この真実はあなたしか知らないからね。私がタイムマシンで出発した後、どちらが死に、何が起きたのか。あなたが結末を 見極めてほしい」

俺が何も返事ができないうちに、男は去っていった。