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戦士たち

高本淳

 

 「あぶない!」という叫びが背後から聞こえ『勇者』は反射的に身を沈めた。その一連の動きは幾度も死活の境を通りぬけてきた戦人のみ可能なものであり、物陰から襲いかかってきた亜獣の丈夫な鱗で覆われた首は彼自身ほとんど意識することもないうちに聖剣の一閃とともに宙に舞い上がっていた。
「ふむ、お見事……」
 剣を背中の鞘に納め、いつもどおり冷静な『賢者』の賛辞にわずかにうなずきかえしたのち『勇者』は警告の声の主に礼を言うべく残る仲間たちをふりかえった。ようやく『蒼天の塔』の最上階にたどり着きローブの頭巾を外したその顔にしかし『女魔術士』は少々とまどった微笑を浮かべていた。たとえ不意をうたれたとしてもいまの『勇者』の技量ならあの程度の亜獣におめおめ深手を負わされるはずはないのだ。また仮にそうなったとしても『女魔術士』の呪文でその傷はたちまち消え失われた体力ももとどおり回復させることができる。にもかかわらずなぜあんなに夢中で叫んでしまったのか――彼女の表情にはそんな戸惑いがありありと見てとれた。
 しかしよりいっそう困惑しむしろ不機嫌そうなまでに憮然としているのは残るひとり、クールな言動で常日頃仲間から一歩距離を置こうとしている『闇召喚士』だった。つまり彼と彼女は先行する『勇者』が待ち伏せされたと知った瞬間、期せずしてたがいに異口同音に警告の声をあげてしまったのだ。
「ありがとう。いまはさすがに油断をしていた。助かったよ」
「――おたがいさま。ゴールが近いといっても最後まで気をぬいちゃだめよね」
 頬を染め妙に弁解めいた調子で応える『女魔術士』に対し、なおも『闇召喚士』はあらぬ方角に視線をそらして無言のまま。やがて自分が他の三人の注目をあびていることに気づいた彼は少し怒ったような調子で口をひらいた。
「この塔に入ってからあんまり長いあいだ喋らなかったんでね――いわゆる発声練習さ」
 大声で笑い出したいのをこらえ『勇者』はふたたび部屋の中央に目をやった。美しく飾られた大理石の台座のうえに彼らがここ数日そのために戦いつづけてきたもの――『孤高なる指輪』がはめ込まれていた。
「さあ、指輪をとりたまえ。きみがほんとうに大魔王ハルファスと闘うべく運命づけられた戦士であるなら無事それを台座から抜き取ることができるはず」
 腕を伸ばして指輪に触れようとした『勇者』は『賢者』の言葉に寸前で手をとめ自問するかのようにたずねた。
「……もしもぼくがそうでなかったら?」
「この場で生命を失うことになるだろう。だが心配することはない。きみが選ばれた者でないのなら、そもそもどうして聖剣をふるい群れなす亜獣どもをうち払ってこの場所までたどり着けよう? さあ、自分自身を信じるのだ」
 意を決した面もちで『勇者』は指輪に触れた。瞬間、新たに生命を得たかのように指輪はまばゆく揺れ動く七色の光を発し、その輝きは彼がそれを取り上げて自らの指にはめてもなお失われることはなかった。

*

 『蒼天の塔』をはるかに望む山麓の村に蓄積した疲れを癒すべく彼らは宿泊した。にぎわう旅籠の食堂の片隅で四人はテーブルの上に『賢者』がひろげた古の世界地図を囲んでいた。
「これをみてわかるようにこの世界には四つの王国とそのほぼ中央に位置し魔王ハルファスの支配する闇の領土がある。かつて四王国の力は闇の力を圧倒しており太古の戦いの結果魔王は自らの国で暗黒の塔に封じ込められ、人々は奴の力を怖れることなく大陸を自在に行き来することができた。しかしいつしかハルファスは結界を破り復活をとげ、逆にその魔力で大陸全土に呪いをかけた。その結果いまや人間たちはおのおの小さな領域に分割されてしまっているのだ。力をあわせてこそ人間たちは魔王をうち破れるもののそれぞれ孤立させられてはそれはかなわぬ。やつは世界全体をいちどに破滅させることができないので、分割しひとつひとつの領域ごとなしくずしにつぶしていくつもりらしい」
「そもそもその魔王の呪いってどんなものなの?」
 『女魔術士』の問いに『賢者』は噛み砕くかのようにゆっくりと説明した。
「真昼に見晴らしのよい野外に立って地平を眺めてみるがいい。天頂こそ青空だが目を低い角度に移すにつれ次第に赤みがかり地平線にいたれば彼方は闇に沈んでいる。若いきみたちは当然だと思っているかもしれないが、それはやつの魔力によって光の波長が延ばされているためだ。つまりこの呪いとはこの大地を空間そのものとともに永遠に膨張させつづけるという性質のものなのだ」
「それは呪いよりむしろ祝福じゃねえの? 土地が広くなっているってことは――?」
 『闇召喚士』がコメントするもののもちろん誰も賛同はしない。
「問題は人間の移動速度には限界があることにある。この世でもっとも速い乗り物は先日わしらが手にいれた『孤高なる指輪』によって思考コントロールされる『天空船』だ。その飛翔速度は光のそれに匹敵すると言われている。だがハルファスの呪いによる大地の膨張速度のまえではそれすら十分ではない」
「そしてその呪いをうち砕くにはやつのいる暗黒の塔に行ってハルファス自身を倒さねばならない――」
 仲間の顔をみわたしつつ『勇者』は沈痛な面もちで言った。
「しかし暗黒の塔ははるかに遠く、いかに『天空船』といえど暗黒の塔にたどりつくにはまだ力が足りない――そうですね?」
「うむ、観測によればある任意の地点からdだけ離れた土地が遠ざかる速度vはv=dHであらわされる。このとき仮にHをハルファスの定数と呼び、このvが光の速度にひとしくなるdをハルファス半径と呼ぶとしよう。魔王の暗黒の塔はここからハルファス半径以上離れているためにそこから出た光がわれわれの目にとどくことはない。同様に光速度以上で飛ばぬかぎりそこに到達することもできない、とこういうわけだ」
「ふん。ハルファスの呪いを解かないかぎり大地の膨張はとめられない。そして大地の膨張があるかぎりハルファスの暗黒の塔には行けない――ってか。まさにどうどうめぐりってやつだな」
「光より速く飛ぶ魔術ってないのかしら?」
「『女魔術士』よ。残念なことにいにしえの大賢人のひとりがそれは不可能であると証明している。『天空船』より速く移動する手段はこの世にはないのだ」
 黙り込んだ四人はおのおの思いあぐねた様子で食事を終え、悄然としたまま早々に床につくのだった。

*

 しかしつぎの朝状況は一変した。目をさまし宿のまわりが妙に騒がしいことに気づいた彼らは表に出て村の人々が高い場所にのぼりてんでに北の方角を指さしながら何事か叫んでいるありさまに唖然とした。
「いったいなにごとがおこったんだろう?」
 右往左往している村人をつかまえて訊ねる『勇者』に相手は不安のあまり我を忘れた調子で答えた。
「暗黒の塔……『暗黒の塔』だ!」
「おちついて話してくれ。『暗黒の塔』がどうした?」
 そのとき抜け目なく教会の塔にあがった『闇召喚士』が鐘楼の窓を開け放ち彼らの頭上からどなった。
「なんてことだ……『暗黒の塔』がここから見えるぞ!」
「なんだって?!」
 彼らは教会に駆け込むと小さな鐘楼の窓にむらがるようにして表を見やった。
「――たしかに、あれは魔王の住まうかの『暗黒の塔』にちがいない!」
 いつものとおり闇にとざされた地平線の彼方に暗赤色に染まった不吉な高い塔のシルエットがうっすらとうかがえるのだった。
「どうしたわけだろう? ハルファスの呪いの効果が薄れてきたのかな?」
 しばらくその光景を見つめてのちおもむろに『賢者』は答えた。
「そうではない。呪いの効果はつづいている。いや、もっと早く気づいてしかるべきだった――これはある意味で予期できた結果なのだ」
「予期できた結果?――どういうことです?」
「大地の膨張は通常の等速運動とはちがう。この世で最高の速度で遠ざかっているものに追いつくことも永遠に不可能というわけではないのだ――わかるかね? それは空間のなかの物体の運動ではなく、空間そのものの膨張だからだ」
「うーん、もうすこしわかりやすく説明できません?」
 混乱して顔をしかめる『勇者』にめずらしく興奮した口調で『賢者』は説きつづけた。
「ハルファス半径以上離れた場所から出た光がこちらに向かって来ても周囲の空間は光速度以上のスピードでわれわれから遠ざかっている――だからその光は永遠にここまでやってくることはない、と以前わたしは説明した」
「そうじゃなかったと?」
「ああ、そうとは限らないのだ。なぜならあくまでそれはハルファスの定数Hが不変である場合にすぎないからだ。もしHが変化するならハルファス半径自身が変わってくる。v=dHならd=v/H。仮にじょじょに定数Hが小さくなった場合――それこそじっさいにおこっていることだと思われるが――ハルファス半径dは時とともに増大する。その結果、いままでハルファス半径より外にあった土地がその内部に移動してくることもありうるわけだ」
 話がようやく把握できるものになったので『勇者』の頭もすばやく働きだした。
「なるほど。つまり暗黒の塔までの距離を拡大したハルファス半径がこの朝追い越し、その結果この村からあれが見えるようになった、とこういうことですね」
「そして光がむこうからやってこられる以上こちらから行けないはずがないわ!」
「確かに時間をかけさえすればね……」
「『闇召喚士』よ。そのあたり時はわれわれに有利に働くだろう。限りなく光に近い速度で飛翔する『天空船』の内部では時間の経過はゼロに等しいからね」
 『勇者』はすらりとその聖剣をひきぬくと遠い暗黒の塔にむかって挑むごとくにかかげた。
「これこそ天の助け……いまや道はひらけた! いざ魔王ハルファスの本拠地――かのいまわしき塔へ!」
「……しかしそれにしてもタイミングよすぎるな。『孤高なる指輪』をゲットした翌朝に『暗黒の塔』が出現――まるでご都合主義の安っぽいヒロイックファンタジーだぜ」
 事ここにいたっても『闇召喚士』はひとこと皮肉を言わないではいられないらしい。
「誰かに操られているようでどうも面白くねえ」
「うむ――たしかにこの世界はより大きな何者かの意志によって未知なる目的に向かって動いているのかも知れないな」
 地獄の炎に似た地平の赤い彩りにほのかに浮かぶ暗黒の塔のシルエットを見つめつつ『賢者』がつぶやいた。
「真相はわからない。だが仮にそれを知ることとなったとしてもわれわれが果たすべき使命が変わるわけでもあるまい?」
「そのとおり。たとえ運命が行く先を定めようと誰もべつに強制されてるわけじゃない。行きたくないものはここに残るがいい。たとえ一人になったとしてもぼくはハルファスを倒しにいく!」
「どつく、どつく、だけの単純キャラのあなたを一人で行かせるわけにはいかないわね。わたしもいくわ」
「これで旅の仲間は三人」
 『賢者』の笑いをふくんだ言葉に『闇召喚士』は仕方がないという表情で応えた。
「勝手にきめるなって。だれも行かないなんて言ってねえだろ」
 いまや魔王打倒の決意を総身にみなぎらせた仲間たちの顔をみまわすと不敵に微笑みつつ『勇者』は頭上に『孤高なる指輪』をかかげて『天空船』召喚の呪文を朗々と唱えた。

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