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タイムマシン

高本淳

 薄闇のなかに不意に旋風がまきおこった。風は乾いた砂地に塵埃をまきあげ、岩だらけの荒野を駆けぬけながら微かな悲鳴をあげた。つむじ風の中心におぼろに霞むきらめきが出現し、それはまたたくうちに旋回する真鍮と石英の複雑な構造物へと変じた。やがてどこか奇妙に歪んだ方向に目まぐるしく回転していたフレームが静止すると、そのなかに作りつけられた自転車のサドルにまたがった人物はほっとおおきなため息をつき、誰に聞かせるともなく独り言をもらした。
「さて、さて。どうにか無事に到着はしたらしい……しかし、いったいどこへ?」
 その呟きに答えるようにどこからともなく声が聞こえた。
「――まったく見ていられないよ。きみの性急さと考えの足りなさときたらね!」
 機械のなかの男はぎょっとして辺りを見回した。
「誰だ? どこから話している?」
「ずいぶんなご挨拶だな。こちらからすればきみのほうこそ正体不明の侵入者ということになるんだぜ。まず名乗るべきなのはそちらではないのかね? ……もっともその特徴ある機械を見ればきみが何者かは一目瞭然だけれど」
「ばかな、一目見ただけでこいつのことがわかると言うのか……?」言いかけてから彼は思い直したように言葉を止め、おもむろに機械の外に降り立つといささか戸惑った様子でそれでも威厳をこめて部屋着の乱れをなおした。
「確かにそちらの言うとおり、こっちから正体をあかすのが筋だろう。わたしはリッチモンド在住の発明家。そしてこれは……」彼は傍らの真鍮と石英で作られた美しい機械に愛おし気に触れた。「わたしの発明になる“タイムマシン”だ。きみの住居にこうした形で突然侵入してしまったことは申し訳なく思っている。ええ……」
「住居というわけではない。わたしはこの地の管理者なのだ」
「どうも管理者くん。わたしの名は……いや姓名を名乗ったところで無意味かも知れない。ここは明らかにわたしの属する世界ではないらしい。わたしのことは便宜的に『タイムトラベラー』と呼んでくれたまえ」
「ようこそ。タイムトラベラー。歓迎するよ」
「それでは管理者くん、ご尊顔を拝することを許してもらえるかな?」
「ここだよ。きみの目の前だ」
 薄暗いなか目をすがめるようにして彼は声の主の居場所を確かめた。正面の岩の前に墨石造りの小卓があり、その背後に深い頭巾で顔を隠したひどく痩せた男が坐っていた。
「気づかず失礼した。ここはずいぶん暗いね」
「ああ、だがすぐ慣れるさ」
「そう望むね。……それまでのあいだきみを相手に二、三質問してもいいだろうか?」
 タイムトラベラーは相手の返答を待たずにつづけた。
「きみはわたしやこの機械のことをよく知っているようだ。それはなぜだね? タイムマシンの秘密について口外したのはごくわずかな知人たちだけだが?」
「知っているとも。商売柄何でも一応は耳にいれることにしているんだ。先週きみは自宅の晩さん会の最中友人たちの前で自慢のタイムマシンの試運転を行った。そのとききみが送りだした雛形は――ほら、ここにあるよ」
 管理者は机の上の小さな模型をタイムトラベラーのほうへ押し遣った。
「なんということだ! 確かにこれはわたしの試作品……だが、なぜ? それは時間の中を永遠に飛び続けているはずだったのだが!」
「模型も本物もここにやってきた。筋は通っているじゃないか?」
「さっぱりわけがわからない!」
 タイムトラベラーはいらだたしげに叫ぶと砂地のうえにどっかりとすわりこんだ。
「わたしの理論のどこが間違っていたというのだ?」
「つまり見通しが少し甘かったのだよ。そもそも時間を移動するとはどういうことなのか、きみはわかっていないようだな?」
「それではきみにはわかっているというのか?」誇りを傷つけられ憤然とした口調で彼は反論した。
「時間は空間の三つの次元と本質的には少しもかわるところはない。通常の物体は縦横高さの三つの次元のほか時間的次元への延長を持つ。わたしのタイムマシンは時空間を回転させることでこれらの次元の入れ替えを行うのだ。機械にとって通常の時間軸は空間軸に翻訳される。そうしてそれはあたかも辻馬車がウエストエンドへ走るがごとくいかなる困難もなく時間のなかを移動するのだ」
「そのとおり……きみの機械は時間軸と空間軸を入れ替える。そのときとめどない時の流れにとらわれていたタイムマシンは自在にそのなかを移動できるようになる。だがしかしきみはひとつ忘れている」
 痩せた手を伸ばすと管理者はタイムマシンの雛形を持ち上げた。
「そうした状態にある物体には通常の物理力は及ばない。摩擦力、慣性力、そのほかすべての物理的な作用はその周囲の次元が転換された瞬間にその物体には働かなくなる……重力もふくめてね」
 彼はそれをタイムトラベラーのほうにほうってよこした。
「だから何だという?」放物線を描いて飛んできた精密な模型をあわてて両腕で受け止めつつ彼は言った。
「そんなことは始めからわかっているさ。だからこそタイムマシンは遥かな歳月の流れを移動しつつ破壊されることがないのだ。もしも外部のすべての物理的な影響が及ぶなら幾万世紀もの時間を飛び越える間にまたたくうちに雨や風の侵食作用がそれを摩滅してしまうだろう」
「するときみは一度も想像したことがないわけだな? 時間旅行を始めた瞬間にタイムマシンに働く地球重力もまた消滅するだろうその意味を? それがピーターシャム通りのきみのテラスハウスに大人しくとどまっていられるはずがないことを?」
 唖然とした表情でタイムトラベラーは口を閉ざした。
「なるほど……それには一理あるな」
「とうぜん通常の物体との間の抗力も消滅する。それは幻のように実験室の板張りの窓をすり抜け……テムズ川を飛び越え、ロンドンの南西の空に向かって目覚ましい速度で飛び去っていくだろう」
「地球の自転から取り残されて――か? それに公転速度も加わるな……太陽系そのものの銀河系内での運動も」
 管理者は声もなく笑った。彼がそうするとかたかたと妙な音がすることにタイムトラベラーは気づいた。
「――いや、まてよ。うっかり騙されるところだった。そうではないぞ!」
 彼は急にこの問題に興味をしめしたらしく、ふたたび立ち上がり尻から砂を払い落とすとつぶやきながらそこらを歩きまわりはじめた。
「わたしは四年ほどまえからアメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス誌に掲載されたマイケルソンとモーリーの実験について詳しく検討してきた。彼らの実験結果をガリレイ的座標変換とともに電磁気学を含んだ物理学内部で矛盾なくとりあつかうためには光の性質についてある斬新な仮定をしなければならない……それは座標系によらず、いわば遍在的な速度を持って観測される。少なくともわたしの結論はそうだ」
 彼は立ち止まると管理者に向かって挑戦的に叫んだ。
「先ほどのきみの指摘は完全に間違っている。それは時間旅行をしているタイムマシンは『静止』という特権的な状態にある、と主張しているのと同じだ。だが現代物理学にとってそうした状態など許容しえない。絶対空間に対する静止状態は時代遅れの“エーテル”とともにすでに葬り去られた概念だ」
「ほほう? そうなのかね?」
「そうとも。タイムマシンが地球の運動から置き去りになる、などという言い回しは馬鹿げている!」
「それではそれは地球とともに曲芸師か何かのように目まぐるしく回転しつつ太陽の周囲を仲良く動いていくわけかね? いったい何がそれをきみの実験室に押しとどめておくのだ? さきほどきみも認めたように重力も慣性力も抗力もそれには働かないのにもかかわらずだよ?」
「うむ」タイムトラベラーは当惑して肩をすくめた。
「確かに説明は難しい。時間のなかを移動しているタイムマシンがどこにあるべきか……」それから急に気づいて彼は言った。
「そう。それはまさにここ――ここにあるわけじゃないか? 管理者とやらよ、答えてくれ。この場所はそもそもいったい何なんだ?」
「やれやれ、まだわからないのかね? きみは自分のタイムマシンは絶対的な静止状態(rest)にはありえないと言った。しかし一方でそれがおいてけぼりをくらうことなく地球とともに運動する理由を見つけられないでいる。そうしてすべての論理は破綻し、整合性は死に、タイムマシンの存在も理性によって許容され得ぬものとなったのだ。――だからきみときみの機械は今ここ、この永遠の安息(rest)の地にあるわけさ」
 闇を背にして管理者は立ち上がり、そしてその手にはいつのまにか巨大な鎌がにぎられていた。

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