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医邦人・3

中条卓

 

治療〜呪医のことばを用いるなら「和解」〜のためにまずわたしが会得しなければならないのは正しい呼吸法であるらしかった。悠長なことを、と思ったが、ほかに途はないのだ。座してただ死を待つよりはましだろう。それに、たしかに呪医の指導のもとにゆっくりとした呼吸を繰り返していると心が落ち着き、息苦しさが緩和されるようではあった。

呪医は語った。

「眠りと目覚めというふたつの位相は死と生に、そして呼気と吸気に対応しています。生まれたものはまず大きく息を吸い込み、死ぬときにはその息を吐き出すのです。できるだけゆっくりと息を吐いてください。吐いている間にあなたはこの世からあの世への旅をなぞります。吐ききったら息を止めています。その間あなたはあの世に滞在します。息を吸いながらあなたはあの世からこの世へと旅をしてきます。吸いきったらまた息を止めなさい。止めている間にあなたはこの世での役割を果たすのです」

呼気−息止め−吸気−息止めというこのパターンをできるだけなめらかに、「主観的に」等間隔となるよう注意を払いながら続けよ、というのだ。やってみると簡単そうで実に難しい。息を吸うことはあまりに容易なので時間をかけることが難しいし、吸いきった息を止めるのは苦しい。吐く段になってみると息を「吐ききる」というのがなかなかやっかいで、吐き尽くしたつもりでもしばらくすると残りがこみ上げてくる。そしてひとたび息を吐き尽くしてしまったら、そこからさらに息を止めるのは地獄の苦しみなのである。手本を見せてくれた呪医はこの4つを半眼半口と言うのだろうか、涅槃像のような表情をたたえたまま、いつまでも続けられるのだった。胸と腹のうごきを注意深く見ていなければ生きているのか死んでいるのかわからないほどだ。

最初は固いマットに横たわって練習した。かすかに響いてくる潮騒を聞きながら薄闇の中でこの4つを繰り返していると、生老病死とか起承転結とか盛者必滅といった四字熟語が際限もなく思い起こされた。そのうちに言葉は浮かんでこなくなり、こんどは過去のさまざまな場面が映画の回想シーンみたいに浮かんでは消えた。吐いて止めて吸って止めて吐いて止めて吸って止めて…時がたつのを忘れて繰り返しているうちに、いや、繰り返していることを意識することさえしなくなった時、ぽっかりと頭の中が真っ白になった。

 

完全な沈黙

 

呼びかけられて目を開けると呪医がのぞき込んでいた。

「おめでとうございます。あなたはひとつの階段を上ったのです」

呪医の目は明るく輝いていた。

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