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イムカヒブ族とともに 33

高本淳

 

 早鐘のように心臓が打つ間、耐え難いほどゆっくりと身体は回転していき、まもなく首をいっぱいにねじ曲げた視野の隅に当の相手が入ってきた。見れば――先ほどわたしが息を吹きかけられた際に思わずあげた悲鳴に驚いたのだろう、広げた尾翼に風をはらませ、身体をゆっくり波打たせつつこちらをうかがうのは体長三メートルほどの鏃鮫だった。浮遊する森の周囲に群れ集って小動物を食らっている――コドリガ乗りが『ドゥク』と呼び手なづけているのと同じ仲間の小型肉食獣である。唾を飲みこみつつわたしはとりあえず呼吸することを思い出した。鏃鮫には人間を一口で飲み込めるほど巨大な種類もいる。その意味では最悪の事態ではないのかもしれないが、半ば開いたその口に並ぶ鋭い歯を見れば身動きかなわぬこちらとしてはけっして心穏やかではいられない。
「むこうにいけ!」と、状況が許すだけのせいいっぱいの威厳をこめてわたしは叫んだ。「マサクの蜜でもさがしていろ。おれはおまえの口にはあわないぞ!」
 獣はまったく無視して周囲をゆうゆうと泳いでいる。縛られ情けなく漂っている男がそうして口汚くわめき散らしている絵は傍目にはたぶん滑稽に見えたことだろう。しかし本人としては相手が背後に回るたびに、いまにもがぶりと尻ったまに噛みつかれるのではないかと背筋がぞくぞくし、全身がぐっしょり冷や汗で濡れていくのがわかるほどだ。
 つぎの瞬間、「ひゅっ!」という声とともに肺から息を絞り出された。脇腹に痛烈な衝撃が加わったのだ。わけもわからぬうちにさらに幾度となく身体のあらゆる部分を叩きつけるようなショックが襲った。見開いた目にはただ明暗がめまぐるしく交替するだけで何一つ判然ととらえることができない。たぶんわずかの間気を失っていただろう。気がつけば猛烈な風圧のなか獣臭い鱗片状の肌に顔を押しつけられているのである。身体に加わるのは規則的に増減する加速度――驚愕がおさまって頭が働きだし、それらの意味がおぼろげにわかってきた。どうやらこの鏃鮫は鼻面を使ってわたしの身体を猛烈な速度でいずこかへと運んでいるらしいのである。
 やがて遠慮会釈ない獣の最後の強烈な一押しとともに、わたしは濃密な枝葉によってすっぽり抱きとめられた。反射的に自由のきかぬ両手で木々にしがみつき、わたしは一声――安堵と同時に苦痛のうめきをあげた。命の恩人である鏃鮫のあらっぽいやりかたで全身いたるところ打撲と擦り傷だらけになっていたからである。


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