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イムカヒブ族とともに 56
高本淳

 たどりついた岩塊の陰へと背中の弩が小枝を折らぬよう気をつかいながらすすむ。森ではこうした小さな痕跡こそが闘いの杞憂をわけることになるのだ。もっとも生まれついてのジャングルの民に比べればわたしの観察力と注意力はまるで赤子同様のレベルだろう。すでにツマヤクは追手の存在を明瞭に感じとっているのかもしれない。しかしいまだ毒針が飛んでこないことをみるとわたしの居場所を正確にはつかんでいないのだろう。

 無意識に二の腕に結びつけた楯の位置を確認する。細く裂いた樹皮をイムカヒブ族の伝統的な意匠で編みあげたそれは、しかし生命を託すにはいかにも頼りない。とはいえ−−闘いに挑む戦士としての出で立ちをわたしは万端整えることはできていた。
 腰には貝殻で飾られた幅広の帯がペニスサックの上からしっかり巻かれ、両肩から腰にかけて十文字にわたされた呪術をかけられた飾り紐はその霊力によって身を守る鎧となっている。頭には昆虫の羽根で飾られた日よけの鍔つきバンド−−これはイムカヒブの戦士としての威厳を示すとともに重さのない環境で薮のなかを進むときに小枝などで目を傷つけないための実用的な工夫でもある。

「止めても聞くはずもないものね。もう何もいわない−−そのかわり、せめてこれを使っておくれ」
 差し出されたそれらの装備をながめ、わたしは感謝しつつ黙って彼女にうなづいたのだった。
「みんなはあんたが呪術師に勝てないと考えてる−−でもわたしはそうは思わない。あんたの生命まで奪おうなんて、そんなことぜったいあいつにさせたりしない」
 そしてオトネは身をよせるとわたしの耳にツマヤクの潜んでいるだろう場所への道筋をささやいたのだった。

「なぜその場所を?」
「……あいつがナヤンの自殺をすぐに知ることができたのは村のなかに協力者がいたからなんだ。ときおり水や食料なんかを差し入れして奴を助けている。でもその男は必ずしも全面的にあいつの味方というわけじゃない。呪術師に逆らうと何をされるかわからないので仕方なく協力しているだけなのさ。
 大多数の村人も本心ではむしろあんたのほうを応援しているよ。だから協力者も自分が呪術師を助けていることが知れわたるのを望んじゃいない」
 オトネはずる賢そうな笑みを浮かべた。
「で、言いふらしてやるよって脅したらぺらぺらしゃべったわけさ」

 女系社会であるイムカヒブの女たちのネットワークと影響力は男のそれを凌駕している。あの呪術師はかつて自らの妻子を手にかけた時点で彼女たちを決定的に敵にまわしてしまったわけなのだろう。
 入り組んだ枝の間をすりぬけながらわたしは苦笑した。つまり−−もし自分がこの闘いに破れ森のなかであえなく生命を落としたとしても、それを惜しむ人間は少なくないということらしい……。

 突然かたかたという甲高い音が頭上できこえた。静寂にみちた森のなかでそれはひときわ大きく響いた。わたしは凍りつき、ついで枝と枝の間にわたされた細い糸を弩の弦がひっかけていることにようやく気づいた。その先は小さなひょうたんにつながっていて微かな振動でも中の木の実が乾いた音をたてる−−もちろんかの呪術師の仕掛けた鳴子である。
 
わたしの位置はこれで完全に知られてしまった。

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